【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~ 作:しとしと
ミカヅチ率いる朝廷軍とナコクの戦は苛烈を極めたものであった。
圧勝に思えた戦は、敵の策である大橋の崩落とデコポンポ狂人化によって多数の兵の犠牲と混乱を招き、戦後処理に大きく遅れを齎した。またナコクとシャッホロの同盟を結べたは良いものの、来るべき朝廷との決戦に向けた戦線協定樹立については議論し切れぬまま、ナコクでの時は矢のように過ぎ去っていった。
オシュトル陣営きっての知を任された自分としては、いくらか良い手土産を持ってエンナカムイに帰還したかったが――
「――これ以上はオシュトルがいないとな」
「……そうだね。来るべき戦は近づいているが、どう戦っていくかについてはオシュトル殿も交えなければ平行線だろう」
ナコク城一室にて、自分と皇女さん、そしてナコク皇子イタク、シャッホロ皇ソヤンケクルが席を連ねる会議の中、そう結論付けた。
ここで決まったことは、来るべき戦に貸し出せる兵の上限についてだ。ナコクの橋が落ちた手前朝廷はこれ以上ちょっかいをかけてくることはないだろうと予測し、戦後復興、ソヤンケクル率いるシャッホロの海運の護衛を除いた目算である。兵の数としては申し分ないが、気になることは他にある。
「これだけあれば、平地での決戦も望める……か?」
ネコネにもっと軍法を学んでおくのだった。朝廷の軍事力と正面からぶつかって勝てるだけの数だろうか、いまいち自分にはわからない。
「うーん、そうだね……これだけの数を用意できるのであれば可能とは思うが、それを輸送する手段が限られる。いざ決戦となった際、どの程度まで無事に辿りつけるかは疑問だね」
歴戦でもあるソヤンケクルがそう提言するならば、そうなのであろう。確かに、これだけの数を船で運ぶことを強いられている。ライコウは、橋を落としたことによってシャッホロの海運にも縛りをかけたのだ。やはり何としてでも守らなければならなかったが、今更悔やんでも仕方がない。
「しかし橋が落ちた今、もはやナコクが朝廷に脅かされることはありません。来るべき決戦に備え、少しずつ我が軍をエンナカムイに合流させるのが良いのではないのでしょうか?」
「……そうだな、イタクの言う通りだ。少しでも軍備を増強させておくのは悪くない」
「であれば、シャッホロは海運を指揮するとともに、彼らがエンナカムイで駐留できるよう武具や食料について支援させてもらおう」
話はまとまった。この話を手土産に、エンナカムイに帰る。
そして、現状を確認した上で、オシュトルに今後の方針を決めてもらわねばならないだろう。
その決定より後日。
ソヤンケクルの操舵する船に皇女さん率いるいつもの面々が乗り込み、生きてはいるがもはや動けない状態であるデコポンポを船の牢に繋いだ。
「また皆さんと共に戦えることを楽しみにしています! そしてアトゥイさん」
「? 何け、イタクはん」
「……お幸せに」
「っ……い、いややわぁ、お節介け、イタクはん」
「すいません。しかし、どうしても伝えたかったものですから……またお会いしましょう。では!」
戦後処理に今暫く残らねばならないイタクを残し、ナコクを後にした。
アトゥイとイタクが何か話していたようだが、双方吹っ切れたようで何よりだ。
暫く海上を進むシャッホロ船であったが、どこからか酒が出てきて、陸の上でも海の上でも変わらずやいのやいのとどんちゃん騒ぎが大好きな連中による宴が始まった。考えたいこともあり、時機を見てその場をそっと離れ、船側でこっそりと酒を楽しむことにした。
遠くで響く賑やかな騒ぎ声を肴にしながら、月の輝く水面を見つめて思う。
――自分も遠くまで来たなあ。
オシュトルに言われるがまま協力し、クオンのいない間に随分よくわからない地位に立ってしまった。
そういえば始めは、オシュトルの真似して影武者したことだったか。その後、仮面の力使って仮面が外れなくなったり、オシュトルとかネコネとか、ルルティエや双子を死なせまいと柄にもなく命を張ったりするし、ネコネとは婚姻結ばされそうになるし、ライコウに捕まって献策させられるし、ウォシスとかいう変な奴には耳舐められるし、仮面は暴走するし、ミカヅチにはよくわからん難癖つけられるし、ナコクの橋は落ちるし。
「……自分、よく生きているな」
よくよく思えば、まさに波乱に満ちた人生であった。のんべんだらり、を愛する自分にとって一生分の忙しさではなかろうか。急に肩へ重石が乗ったかのように、疲労感がずんと増した気がした。
オシュトルに会ったら一発ぶん殴ってやると覚悟を決めると、後ろからそっと声をかけられた。
「どうしたの? ハク」
「クオン……か」
「主役がいないぞー、って皆が探していたけど」
「今も、か?」
「ううん、もう次のお酒を楽しんでいたかな」
思わずふっと笑みがこぼれた。あいつららしい。
「……」
二人並んで静かな海を見つめる。会話は無いが、それが心地良い。そう思える相手は自分にとって貴重だ。クオンは、いつの間にか自分にとって最も安心できる存在になっていたんだろう。
思えば最初はクオンとの二人旅だったな、それがウコンというかオシュトルと出会ったのが運の尽き、いつの間にかこんな大所帯だ。
「……なあ」
「ん?」
「助けてくれて、ありがとうな」
「……どうしたの? 改まって」
「いや、いつもクオンには助けられていると思って……な。最初に会った時もそうだったが、今回も、それに――」
仮面が暴走した時、自分を呼び覚ました声は誰だったのか。確かめるまでもない、聞き慣れたクオンの声が、自分を正気に戻したのだ。
「……それに?」
「……その割には、余り礼をしていないように思ったからな」
「ふふ……ハクったらようやく気付いたの?」
「ああ、財布の紐を握られているから気づかなかった」
「それは仕方がないかな! ハクはすぐ使うから」
「宵越しの銭は持たない主義なんでね」
「それが心配の原因かな。まったくもう……」
小気味良い会話を繰り返していると、何だか胸が詰まったような感じになる。疲れているからかもしれないし、酒のせいでもあるかもしれない。
ぽつりと、自分らしくないことを言ってしまった。
「クオンがいない間……」
「え……?」
「何だかんだ寂しかったよ。クオンがいればな、って思うことも多かった」
「そ、それは、私も捕まっていたから……もにょもにょ」
ぼそぼそと聞き取れない声で何かを述べるクオン。まあ、皇女さんの喉を治すための薬を取りに言ってくれていたり、トゥスクル皇女に目通りしてくれていたりと、色々やってくれていたからこそオシュトルも動けたのだ。そう思えばクオンの功績は大きい。責めるつもりは毛頭なかった。
「それに、寂しいのは、私も一緒かな……」
「……ん? 自分とか?」
「あ! あの、皆といれなくて、ってことかな!? 勘違いしないで!」
「ああ、そういうことか。そうだな、皆もクオンがいなくて寂しがっていたよ」
「……」
「……だから戻ってきてくれて、ありがとうな」
そう言いながら、クオンの空いた杯に酒を注いだ。自分の杯にも注いで、相手に促すように持ちあげる。
「……乾杯」
杯を傾けて口の中に流しこむ。寒い海の上でも、酒の力で体の芯から温まるような心地がした。
「……ふう、お礼も言えたし満足だ」
「え~? お礼は、言葉じゃなくて態度で示してほしいかな」
「? 例えば何がある」
金だろうか。まあ、オシュトルから色々任されている手前、以前よりは余裕はあるが。それか、クオンもいかに暴力的とはいえ女性であるし、包み的なものだろうか。それか酒か、菓子か。食い物さえあげてれば喜ぶだろうか。
そんな予想に反し、クオンの言葉はずっと未来の話だった。
「約束、してほしいかな。戦乱が終わったら……この海の先にあるトゥスクルの国に、もう一度来てほしい」
「ああ、行くよ」
何だそんなことかと、答える。オシュトルは逃がさないように色々と手を回すだろうが、政情が一旦落ち着けば、自分などという余所者は長くいない方がいい。それに、兄貴が最後までトゥスクルに拘っている理由も探しにいかないといけないだろうからな。
「ほんと?」
「ああ、モロロ料理以外にもあるんだろ? 食べてみたい」
「勿論! 前に来た時食べたものより、もっと色んな美味しいものがあるかな」
「それは、確かめに行かないとな」
「約束ね。ハク」
そう言うクオンの笑顔は、月の光に見初められたように眩しかった。
永遠に美しい存在があるかと問われれば、正しく今の光景だと錯覚するほどに、クオンの瞳と髪が淡く煌き自分を魅了した。
この世のものでないかのような、人の器に神を宿しているかのような、神々しい輝き。だが、それを感じたのも一瞬で、酒をごくりと飲んでぶはあと吐息する様を見れば、その感覚も霧散した。
「さ、まだまだお酒も残っているかな。エンナカムイに着いたら宴どころじゃないかもしれないし、沢山飲んでおかなくっちゃ」
「ああ……そうだな」
暫く二人だけの酒飲みを再開するも、会話はない。しかし、杯が乾かぬようにお互いの杯に酒を注ぐ手は止まらなかった。
さて、このままの速度で飲めばお代わりを宴の連中に物申さねばならないなあと考えていたところ、ふわりと酒以外の香りがした。
匂いの元を辿れば、海の風向きが変わったせいか、クオンの方から何やら良い香りがしているようだ。これは、クオン自身の香りだろうか。
「匂いが……」
「え……な、なにかな? 匂い?」
「クオンから何か匂いがするな」
そう言うと、何故かショックを受けたかのように顔を真っ赤にして固まるクオン。
しかし、自分にとってこれは好きな香りだ。そう言えば、クオンはよく香水をつけることが多い。その香りだろうか。海風の香りと重なって自分の心に落ち着きを齎した。
「安心する……」
「え、は、ハク……?」
「……いい匂いだ」
「っ~~~!?」
すんすんと、クオンの髪に鼻を近づけて香りを確かめる。自分が少し変態的な行動をしているかのように思ったが、酒も随分入った頭でそんなことを顧みることも無く。
「え、ちょ、ちょ、や、やめてっ! は、恥ずかしいかな!?」
「んぐっ!?」
羞恥でわたわたと暴れるクオンに鼻をつままれ、一瞬呼吸ができなくなる。
ああ、配慮が足りなかったかと身を引くも、クオンは涙目で抗議の声をあげている。
「すまん、いい匂いだったもんで」
「も、もう……香水を褒めてもらえるのは嬉しいけど、時と場合を考えてほしいかな!」
「ああ、今度から、気をつける……」
そう言って身を離そうとするも、体に力が入らない。どさりとクオンに倒れ掛かってしまった。
「ちょ!? ちょっと、ハク!?」
「……すまん」
何だろう、なぜこんなに眠いのか。
今までのことをゆっくりと思い出したからか。それとも朝廷から逃亡する必要も無くなったからか。いや、クオンとの会話の中で安心したことで、今まで感じていなかった疲労感がどっと押し寄せてきたからだろうか。理由はわからないが、その全てでもある気がした。とにかく、眠いのだ。
「ハク?! ちょ、ちょっと、こ、こんなところで、わ、わたくし……か、覚悟が……!」
「すまん……寝る……」
「だ、だめ……え……? 寝る……?」
クオンの肩に自分の頬を預けながら、重い目蓋がゆっくりと閉じていく。やがて深い闇が目の前を覆った。
クオンは恥ずかしいのか自分を押しのけようとしていたが、やがて諦めたように自分の背に手を回すと、優しくとんとんと間隔よく叩き眠りを誘った。それに抗える筈もなく――
「……」
「ほんとに寝ちゃった……? もう……なんなのかな、もう! びっくりさせないでほしいかな……!」
「寝た」
「寝ちゃいましたね」
「うわきゃっ!? あああ貴女達どこから!?」
「介抱」
「私達にお任せください」
「わ、私にもたれかかっているんだから、私が介抱するかな! だから別にいい、というか何時から見て――」
眠りに落ちる前に、薄らとそんなやりとりが聞こえながらも意識を手放した。
なんかライバルがいい雰囲気だから――という理由で、双子が呪法をかけたという可能性。あるかもしれません。