【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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ライコウさんの本気。


第十七話 騙し合うもの

 エンナカムイ国境近く、ルモイの関。

 エンナカムイにとって交通の要所であるここには、常に多数の兵が配置されている筈だが、今日この日だけは防人どころか人影すらない。

 

「シチーリヤ、どうだ」

「はっ、ライコウ様。くまなく確認しましたが伏兵や罠などはありませんでした」

「オシュトルの姿は」

「関内の会議室にてお待ちです」

「護衛の数は」

「一人です。顔は隠されていて見えませんでしたが、存在は確認しています」

「ふむ……流石はオシュトル、律儀に約束を通す男よ。……ミカヅチ、我らも行くぞ」

「……」

「シチーリヤ、合図を出せ」

「はっ」

 

 返事すらせず周囲を警戒しているミカヅチを連れ、関内部へと足を踏み入れる。

 

 たとえ砦兵を皆殺しにしたとしても訪れぬ静寂の中、俺とミカヅチの足音だけが響く。

 何度か扉を開け、会議室と書かれた扉の前に立つ。

 

「……兄者、俺が先に」

「ああ」

 

 ミカヅチは武器をいつでも抜ける状態で気配を探りながら、取手に手をかける。その瞬間、扉の向こうから声がした。

 

「入られよ。某は貴公らを騙し討ちしに来たわけではない」

「……」

 

 了承を待つミカヅチの瞳に応え、扉を開けさせる。

 扉の開いた先には、帝都に居た頃と変わらぬ堂々とした佇まいのオシュトルがいた。その横には、頭巾で姿を隠した護衛が一人。

 

「久しいな、オシュトル」

「ああ久しいな、ライコウ殿。そしてミカヅチ」

「……」

 

 ミカヅチは答えない。

 俺が、此度ミカヅチに依頼した件は護衛のみ、それ以外の全ての行動は許さぬと、釘を刺したからだ。

 なぜなら、返事一つとっても不利益な言葉を漏らしかねない。オシュトルはまだしも、もしこの護衛が切れ者ならば、こちらの穴一つが決壊の要因になりかねない。

 俺に視線を向けるミカヅチを無視し、オシュトルの向かいに用意された席につく。

 すまぬな弟よ。俺は、俺の計画通りに事が進まぬ可能性を排除せねば気がすまないのだ。

 

「オシュトルよ。まさか俺の提案を呑むとは思わなかったぞ」

「ふむ、こちらとしても、互いに人質を抱えていてはやりにくい。こちらの捕虜をお返しする代わりに、我らが友の家族を渡してほしいというだけのこと。故に、ここで何か起こりうると考えなくともよい」

「……だとしても、まさかこの兵数の差で単身この場に身を置くとはな。流石の胆力といったところか」

 

 この交渉に臨むには、大きな危険要素が二つあった。

 一つは、ルモイの関という国境近くではあるが、敵国の要所を交渉場所として指定してきたこと。もし交渉中に大軍に攻め込まれでもすれば、こちらの主力は一気に瓦解する。

 そのため、関の周囲を囲む軍の数は、こちらは二千の軍に対し、エンナカムイには千の軍までしか認めぬこととした。

 この数であれば、相手に攻められたとしても十分に撤退を考えられる差である。また逆にこちらが攻めた場合でも、ルモイの関付近からの応援を待つ時間を稼げるであろう戦力差である。

 これならば、先に仕掛けて相手に損害を与えたとしても、後々周辺国からの信用を失墜させることとなり、それぞれに掲げる聖上の威信も地に落ちる。

 

 二つは、関に伏兵や罠がある可能性だ。

 そのため、交渉前には隅々までこちらの隠密に調べさせるという条件をつけた。これはつまり、敵の隠密は存在し得ないが、こちらの隠密や罠は許容するということに他ならない。これがどれだけ危険なことか、相手はよく知り得る存在の筈。

 たとえ交渉が上手くいったとしても、関の構造を知られるだけでも相手方にとってみれば痛手である。

 しかし、オシュトル自身の武と、護衛の力量を加味して判断したのか、この条件すら呑んで見せた。それならば、こちらにとって断る理由はない。

 

「貴様に賞賛を送ろう、オシュトル。貴様は、俺の知る中で最も誠実な男だ……愚かな程にな」

「そうか、では貴公もまた約束を守りに来たと」

「約束……? 甘いことを言うなオシュトル。俺は見極めに来ただけだ。クジュウリと同盟を結んだとしても片田舎の勢力に過ぎぬ貴様らが、交渉という枠の中でどれだけ渡り合える存在かを、な」

 

 ちらりと、オシュトルの後ろ、黒装で身を隠した男にも視線を送る。が、男に反応はない。

 

「そうか……しかしこちらとしては、あくまでも人質交換の交渉。こちらは既にデコポンポの引き渡し準備は済んでいる。貴公らもマロロの家族を用意していただかなければ交渉にすらならぬが……いかがなされるおつもりか」

「オシュトル……まさか、デコポンポとマロロの家族が釣り合うと踏んでこの交渉に臨んでいるのか? であれば見当違いというものだ」

「ほう?」

「勿論、自軍の中に貴様らの目的となる人物は用意してある。しかし、出番はもっと後にせねばなるまい。貴様らがあのデコポンポの価値を見出し、俺が引き渡してもよいと思わせるだけの材料を提示しなければ、我らは帰るだけだ」

「ふむ、こちらの提示する人質はたとえどのような力量であれ八柱将である。それに釣り合わぬと言われるか」

「釣り合うかどうかは俺が決めるということだ。デコポンポが今も昔も八柱将の面汚しであることは明白。囚われた時点で八柱将の位は聖上御自ら既に剥奪している。本来であれば、我らがヤマトの大軍を率いたものの敵に打撃を与えられぬまま囚われるなど割腹しても贖えきれぬ所業であると思わぬか。もはやデコポンポがこちらに舞い戻ったとしても、奴についていくものなど誰もいまいよ」

「……」

 

 オシュトルは一瞬悩む素振りを見せ、深く目を閉じた。

 そのまま、オシュトルの後ろにいる存在に問い掛けた。

 

「……と、いうことである。デコポンポよ、どうする?」

「? なに……」

 

 オシュトルの後ろにつき従う存在が、すっと頭巾を取り払った瞬間、思わず眼を見開く。

 そこには、痩せ細り、顔だけはかつての面影があるデコポンポがいた。

 

「デコポンポ、だと……?」

「人質がここに来てはならぬという理由にはなるまい。言ったであろう、某は人質の交渉に来たのだ」

「……貴様」

 

 想定外だ。

 なぜこのような場にデコポンポなどという毒にしかならぬ存在を連れてきているのか。

 いや、ミカヅチの武力があったとしても、俺自身に武力はない。そういった点では確かに自らの護衛は必要ない。その分オシュトル側には人員に余裕があるのだ。しかし、なぜデコポンポを。

 

「デコポンポの価値をそなたらに認めさせるには、某をもってしても難しい。であれば、本人にそのまま自らの価値を主張してもらおうと考えたに過ぎぬ」

「……正気か、オシュトル」

「無論。こちらには優秀な人材がいる故に、な。これから貴公らが話すことに、一切某は関知せぬ。デコポンポ自身の足掻きが、貴公の目に留まらぬというのであればそれもまた良し」

 

 そう言って、オシュトルは口を噤む。

 

「……貴様らしくないぞ、オシュトル。誰の入れ知恵だ」

「……」

「ハク、とかいう仮面の者か?」

「……」

 

 こちらの言葉にオシュトルは表情を変えることなく、ただ目と口を堅く閉じている。

 痩せたデコポンポが前に進み出たことで、否応なしにこの俺と豚を会話させる腹積もりらしい。

 

「引っ込んでいろ、デコポンポ。貴様のような豚と話す言語は持ち合わせていない」

「……おみゃあは金がほしいにゃも?」

「……なに?」

 

 あの独特の語尾と厭らしい声色はそのままに、デコポンポが言葉を発する。

 しかし、その内容はかつてのデコポンポからは考えられないほど、理詰めの話し方であった。

 

「聞けば、ライコウ。おみゃあ随分と金を掻き集めているのではないにゃも?」

「どこかの誰かが聖上に仇名す宣言をしたのだ。戦乱が起こるのならば金がいるのは当然のことだろう」

「そんなことはわかってるにゃも。おみゃあ、儂の元部下から信用されずに儂の隠し財産を聞き損ねているのではないにゃも?」

「……なぜそう思う?」

「この交渉を実現する前に、交換条件として一つ隠し場所をオシュトルに教えたにゃも。今おみゃあの軍に組み込まれている蟲使いの一人がその場所を知っているにゃもよ。もし真にライコウの部下になっているのであれば、当におみゃあの財の一部になっていたにゃも。だが、財は誰にも触れられることなくあったにゃも」

「……」

 

 デコポンポは使えぬ駒。それが俺の中での常識だった。

 なぜなら、俺の予測を超えた悪手を打つからだ。有能な敵よりも、無能な味方のほうが怖いとは良く言ったもの。デコポンポは味方としては一切信用できぬ存在だった。

 ただただ時間を浪費するだけの存在を、誰が重用するというのだ。

 

「儂は自らの財産を一度に失わぬよう、各地に分散させているにゃも。一つ教えはしたが、他の在り処は、オシュトルに吐かなかったにゃも。ライコウよ、もし貴公らの元へと戻った際には、それを教えてやってもいいにゃもよ」

「……見返りは何を求めるつもりだ」

「八柱将への復職以外ないにゃも」

「軍はどうする」

「そんなものは八柱将に戻れば儂の金子に心酔した者どもが後からついてくるにゃも」

 

 しかし今のデコポンポはどうだ。下らぬプライドを捨て、自らの一番の特技である金稼ぎの手法を武器に俺と交渉している。

 

「……それを信ずるに値する情報だと? オシュトルに全て話しているのではないか?」

「たとえ吐いていたとしても、オシュトルの国土は未だ狭いにゃも。おみゃあらにしか手の及ばぬ地域もあると考えられるのではないにゃも?」

「……ふむ、面白い」

 

 なるほど、確かにデコポンポが溜めに溜めた金子。その他金糸財宝等は裏切った部下を使っても一部しか手に入らなかった。

 金はいくらあっても困ることはない。特に、今俺が開発しているものは、兎角金を食う。デコポンポはその金の情報をもってして、自らの価値を認めさせようとしているわけか。豚にしては己の旨い部位をよく知っている。

 だが――俺はそもそもデコポンポの話になど露程も興味はない。

 

「時間潰しにしては面白い余興であった。そろそろ良かろう――」

 

 十分相手を知れた。時間稼ぎもこれくらいか。

 あのデコポンポをこうまで育てる手管。是非俺の手元に欲しい。

 相手の有能な手足を捥ぐため、数多の策を練った。俺が交渉にてマロロの家族を返す気はないことを秘密裏に流布しておけば、必ず奪いにくると踏んだ。オシュトルが最も信頼する者を寄越すと踏んだ。

 

「オシュトル。貴様の――いや貴様らの敗因は……奇を衒おうとしたこと、この場に最も信頼する男を連れてこなかったことだ」

 

 俺から発せられる不穏な雰囲気を感じたオシュトルが、目を薄く開き身構えた。

 

「何――?」

「今にわかる。俺が待ち望んだ音が今に鳴るぞ」

 

 ――カンカンカンカン!

 鳴り響く鐘音。その音こそ、俺の仕掛けた網に大魚がかかった瞬間を示すものであった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 時は少し遡り、ライコウの斥侯部隊が砦内を探索中のことである。

 

「ウルゥル、サラァナ、目的の場所まで行けるか?」

「できる」

「主様と私達二人のみであれば、十分に可能です」

「帰りは?」

「温存すれば」

「マロロ様の父、祖父の二人程であれば、戻って来られない距離ではありません」

 

 交渉に関して、相手としても、敵陣ど真ん中に二人で来いってのは認められない。

 なら、互いに不正していないか軍を確認する行為が必要になる。そこに、隠密部隊が紛れ、マロロの家族の居場所を把握し、草との情報の整合性を取る。

 結果、軍の最後方、街道から森に少し入った場所に位置していることがわかった。

 

 正直、ここからはかなり歩く距離。考えていた中で一番嫌な立地ではないものの、もし見つかれば囲まれる場所であることには変わりない。地図とにらめっこしながら、かつて双子が無理をして倒れたことを思い出す。

 二人はいけるというが、宮廷内からあの人数であの距離しか動けなかった。途中で力尽きてしまえば、敵に囲まれることとなる。

 

「大丈夫」

「道さえ作れれば、いかなる場所でも行けます」

 

 双子は位相をずらし簡易的な道を作ることができる。そこを通れば、他の者に認識されることなく移動が可能である。

 かつては、この術で宮廷内を移動したこともある。双子にとって慣れ親しんだ道だからこそ、あの人数でもいけたが、今回この場所で道を作ったことは数える程しかない。一緒に下見をかねて何度か道を作ってみたとはいえ、ここまで長距離だと確率は五分五分だ。

 

「心配しているのは帰り道だ。帰りは帰りで探らなければいけないだろう」

「心配ない」

「できるだけ密着すれば、道を狭くできるので力を必要以上に使わなくてすみます」

「腕組み」

 

 尤もらしいことを言うが本当かね……。

 しかし、今はウルゥルサラァナの力が必要な時だ。二人の空元気を見るのはこれで何度目だろうか。そろそろ、二人の願いもしっかり聞いたほうがいいのかもしれないな。

 

「わかった。じゃあ頼んだぞ」

「アメノミカゲ、ヒノミカゲト、コモリマシテ……」

「理よ、我らが主の前に平伏し、道と成せ」

 

 暫くすると、かつて帝都にいた頃、幾度となく連れだされた際のもやが、周囲を包み始める。

 

「行ける」

「では、参りましょう。主様」

「ああ、マロロの家族を救いだす」

 

 交渉はオシュトルに任せ、デコポンポに好き放題喋らせることで時間稼ぎをしてもらう。色々武器になる話題は伝えてあるので、時間だけは稼いでくれるはずだ。

 その間に、ウルゥルサラァナの二人の術を用い、自分達三人で、マロロの家族を救いだす。そして、交渉の席にデコポンポを置いておくことで、無理やり交渉を成功させてしまおうという計画である。

 向こうが何と言おうと、対外的には交渉は行われたことにできる。なぜなら、人質はお互い無事なまま互いの手元に返却されているからである。

 

 だが、これはあくまで秘密裏に行わなければならない。交渉の要であるマロロ一家を相手方も刺客を警戒し警備は厳重である筈。そこをオウギやヤクトワルト等他の人員を誘導係りとして警備を手薄にした上で、鎖の巫女の能力という反則技で奪うわけである。

 誘導役なんざ出来るほど機敏でないので、必然的にこっちの役目になるが、必ずうまくやる。

 今のところ、鎖の巫女の能力を敵方が知っているとは思えない。兄貴とホノカさん、そしてあの体験をしたもの以外は知り得ない筈だし、大丈夫だろうとは思うが。

 

「もっと近くに」

「離れては危ないです」

 

 ぐいぐいと押し付けてくる二人の肉圧で歩きにくいが、兵の垣根を縫って奥へ奥へと歩いて行く。

 

 暫くすると、街道から少し逸れた見通しの良い森の広場に、一つの野営地がある。

 

「この中の、どれかか?」

「「はい」」

「誘導役の動きを待つ、暫く待機できるな?」

「「仰せのままに」」

 

 涼し気な顔をしているように見えて、少し脂汗がにじんでいる。

 相変わらず、無理をする奴らだ。しかし、今は甘えるしかない。

 

 暫くすると伝令兵が来て、ここの兵士の一人に耳打ちすると、警備の者達が慌ただしくどこかに駆けていった。

 

「誘導役は、うまいことやってくれたみたいだな」

 

 簡易家屋の入り口から中を覗きこみ、マロロの言う人相に当てはまる人物を探す。

 

 すると、マロロと同じような化粧をした老齢の男二人が、中央で静かに佇んでいた。

 

「こいつらか?」

「はい」

「聞き及んでいた人相とも一致します」

「よし、術を切る」

 

 布の壁で覆われた部屋内で、位相の位置を戻させ正体を現す。すると、目の前の二人は少し驚いたものの、極めて冷静に自分たちの存在を歓迎した。

 

「おお。なんとも、不思議な術を使いなさる」

「来て下さると思っていましたぞ。我こそはマロロの父。我が息子の助けであるな?」

「ああ、マロロの友人だ。話したいのは山々なんだが後でいいか。大人しくしていてくれたら、誰にも気づかれずにここから抜け出せる」

 

 すると、目の前の二人は一つ頷くと、口を引き結んだ。

 時間はない。さっさとここからオサラバだ。

 

「よし、帰るぞ。頼む、ウルゥル、サラァナ――」

「刺客が来ましたぞーッ! ここに賊がいますぞーッ!」

 

 双子が道を作ろうとしたその瞬間に、マロロの父と名乗った男は、あらんばかりの声で叫んだ。

 

「!? な、何を――」

「罠」

「主様、作った道が遮断されました。逃げてください」

 

 双子が顔色を変えぬまま、自分の前に立つ。

 ――こいつら、囮になるつもりか。

 

「だめだ! 遮断されたなら、もう一度作れ、時間稼ぎは自分がする」

 

 叫び続けるマロロの家族を殴って昏倒させ、二人に預ける。

 

「お前達で連れて帰れ。腐っても親だからな」

「主様」

「いけません。私たちも残ります」

 

 バタバタと外から響く足音。鳴らされる警鐘。

 すぐさま布の壁から槍が突き抜けてくる。

 

「時間がない! やれ!」

 

 槍を掴み、あらん限りの力で引き倒す。そして、布の壁が人の形に撓んだ部分を思いきり蹴り飛ばした。

 鎧を蹴り砕く感触が伝わり、敵兵の悲鳴が聞こえた。突き抜けた槍を両手に持ち、出口に陣取る。

 

「自分には仮面がある! いざとなれば仮面の力を使って逃げる。だから行け! 無事やり遂げたら、何でも言うこと聞いてやるから! 頼む!」

「それは」

「命令……ですか?」

 

 命令だけは、したくなかった。だが――。

 

「ああ、命令だ。自分がいない間は、オシュトルが主だ。助けになんて来なくていい。わかったな」

「「……御心の、ままに」」

 

 その言葉を聞き、出口から左手に槍を右手に鉄扇を構えて飛び出す。

 

 そこには、多数の兵が待ち構えている――だけであればよかった。まだ仮面の力を全て使わずとも逃げ出せたかもしれない。だが、そこには地獄が待っていた。

 

「「グオオオオオオッ」」

「おいおい……ここで出るか」

 

 奴は、トゥスクル遠征の際に一度見たことがある。帝が崩御したとの知らせを受け、急いでヤマトへと帰る道筋の時だ。

 一人倒れている兵士を見る。先程蹴り上げた兵士だろう。胴鎧が完全に砕けていて、絶命しているかもしれない。しかし、その体は、まるで糸を上から垂らした人形のように、むくりと起き上がり、顔面はまるで歪な仮面が肉体と離れられなくなったかのように曲がり、肉体は筋肉が避け、そこから黒々とした別の肉がはみ出てくる。

 

 もはや人の形をした者は一人もいない。異形の敵影が、大勢目の前を覆っていた。

 

「「グアアアアッ!!」」

「くそっ」

 

 あらん限りの力で襲ってくる異形の者達の攻撃をいなし乍ら、槍と鉄扇で肉を削いでいく。腕を斬り、足を跳ね飛ばし、首を落とし、頭を貫く。

 しかし、それでも異形の者達は倒れた傍から起き上がっていく。次第に敵の数と力、そして再生能力故の圧力に押されていく。

 

「……仮面の力は余り使いたくないんだが、この数相手じゃそうも言っていられないか」

 

 注意を引き、なんとか簡易家屋からは距離をとることができた。しかし、道を作るにはまだかかるかもしれない。四方八方を女性陣に囲まれた時よりは絶望感は低いし、仮面の力さえ使えば、何とかなるだろう。時間稼ぎして、仮面の力を使ってさっさと抜け出す。それが最善に思えた。

 後々国際問題になるだろうが、命には代えられん。たとえ奪ったとしても、人質交換さえ実質行えれば後はどうにでもなる。

 一番してはいけないのは、刺客として捕えられること。そうなってしまえば、証拠が残る。先に仕掛けたのはこちらとなり、信用は地に落ちるだろう。

 

 トゥスクルからの帰り道でも襲われたこいつらの不死身っぷりと強さには辟易しているんだ。ちゃっちゃと倒さないと囲まれてさらに逃げにくくなると判断し、仮面に手を当てる。

 

「仮面さんよ。もう一働きしてもらうぞ。根源の力を――ッ……!?」

 

 何かを感じた。背後に何かの気配を。

 ぐらりと世界が傾く。

 

「な――に……?」

「仮面の力は、解放する瞬間が最も危ないのですよ。まあ、もう意味のない忠告かもしれませんが……今は、ゆっくりとお休みなさい。あなたには、色々と聞きたいこともありますから、殺しはしません――」

 

 力を解放する瞬間、どんな武人であれ一瞬無防備になる。特に仮面の力であれば尚更だ。かつてのヴライがそうであったように。

 油断したのか、いや、はめられたのだ。仕組まれていた、全て。

 

 ――すまん、ウルゥル、サラァナ。

 もし自分の思念が聞こえているなら、聞いてくれ。

 無理はするな。もし無理したら、お前達の主をやめる……わかったな。

 大丈夫だ。ミカヅチもいるし、そこまで酷いことはされないだろう。

 もし誰も傷つくことなくまたお前達の元に戻れたら、その時は何でもしてやる。命令した分な。約束だ。

 だから、自棄になるなよ。自殺しようとしたときも、お前達が無茶していた時も、そういうことされると尋常じゃないくらいに汗が出るんだ。

 自分がいない間はオシュトルの言うことをよく聞いてくれ。んで、謝っておいてくれ。迷惑かける、ってな。

 

 ――主様!

 

 双子の声が脳内に響いたのを最後に、意識は闇の中に落ちていったのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 警鐘の中、会議室に飛び込んでくるライコウの部下。

 

「ライコウ様!」

「シチーリヤ、報告せよ」

「はっ、マロロの父の協力により、攫おうとしていた賊を発見。仮面の者であるとのことです」

「捕えたか?」

「はっ、ウォシス様の手により、捕縛されました」

「よくやったと伝えておけ。帝都に帰るぞ。軍に帰還の命を出せ」

「了解いたしました。マロロの家族は、鎖の巫女により姿を消した模様ですが、いかがなさいますか?」

「放っておけ。道楽の金の為に友を売るような外道だ。これ以上駒として使ってやる必要もない。巫女の方はウォシスの言によれば餌を吊るせば後々引っかかる。急く必要はない」

「はっ」

 

 意味がわからない。

 何故見破られた。何故捕えられた。ライコウは、ここまで見越していたのか。

 

「ライコウ殿、こちらはデコポンポを無償で差しだしまする。何卒、その者の身柄は……」

 

 ライコウは嘲笑を自らの顔に張り付け、こちらを見た。

 

「オシュトル、俺は貴様よりも奴を評価している。この俺の裏を一度でもかいた男。是非俺の手足に欲しいと思ったのだ。俺にとって交渉事では倍以上の対価を得ることで初めて成るものだ。マロロもまた俺の手足として欲しい存在だったが、もういらぬ。既に十分な対価を得た故な」

「っ――ライコウ……ッ!」

「オシュトル、退け」

 

 刀を抜こうとしたオシュトルに、ミカヅチの剣が向く。

 

「今、この場で俺と闘えば、間違いなく死ぬ。いいのか?」

「愚弟よ、発言を許した覚えはないぞ」

 

 苛立たし気にミカヅチを咎めるライコウ、そこでオシュトルは隠密に囲まれていることを思い出す。

 

「交渉は決裂だ、オシュトル。貴様の部下の逸った行動のせいでな。何と言おうと、先に裏切ったのは貴様らだ。周辺国の信用も失墜するだろう」

「……」

「くくくく……足掻けオシュトル、大事な手足を奪われた末に見える貴様の意地。楽しみにしているぞ」

 

 逃走用の道は既に決めていた。

 机をミカヅチ側に蹴り上げ、床を刀で切り刻み、その下に前もって作っていた穴道を出現させる。もしここにマロロの家族を連れてきていれば、ここから奪う腹積もりだった道だ。

 

 宙に舞った机をミカヅチが斬り払う頃には、自らの姿を穴道の奥深くまで潜りこませ、追っ手がかかる前にと、自軍まで駆けた。

 自ら一人のみならば、何処へでも逃げおおせる。だからこそ、護る必要のないデコポンポを護衛役にしたともいえる。今頃デコポンポは捕えられている頃だろう。それでも奴にとっては構わぬ筈。奴は我らよりもかつての栄光を取り戻す道を選んだのだ。

 それよりも――

 

「――アンちゃん!」

 

 まさかのマロロの家族による裏切り。勿論仕組んだのはライコウだ。

 しかし、マロロは責任を感じるだろう。もしかすれば、このオシュトル以上に。

 

 ――甘かった。

 

 今から軍に戻り、ハクを取り戻すために軍を追撃させたとしても、敵方は倍。

 そして、ライコウの言によれば二千を帰還させるつもりのようだ。となれば、効果は薄くとも追撃し、その隙を縫って救い出すしかない。

 何としても今取り返さねば。帝都に連れていかれれば、取り戻すのはもはや絶望的だ。なればこそ、急ぎ手を打たねばならぬ。何か、この状況を打開する何かを。

 

 そう考えながら穴道から出たとき、待機させていた筈の軍はさらに混迷を極めていた。

 

「オシュトル様!」

「何があった!」

「ライコウ軍が先手を! 刺客を送った報復と叫んでいます! オシュトル様不在であったため、誘導役を担っていた者達が指揮を取り、二千の軍を抑えています! ルモイの関からはガウンジが現れ、ムネチカ様が相手を! いかがなさいますか!」

「……」

 

 追撃の混乱に乗じた救出作戦すら許さぬ気か。

 会議室で言ったあの言葉も、こちらの考えを上回るための偽りか。

 

「応援が到着するまでの時間は」

「一刻はかかります!」

 

 誠実という言葉が、これほど憎く感じたこともない。

 失敗を考え、後方に待機させた軍を近づけるよう命令しておけばよかった。街道を封鎖するよう、伏兵を忍ばせることもできた。いや、一つ疑われでもすれば、交渉は実現できなかったため、不穏な動きは見せられない。

 しかし、それでもハクの献策に甘え、不測の事態に備えて約束事を違える覚悟がなかった。それが今回の事態を引き起こしたのだろう。

 

 ――ハクは、それが己の大事な人であれば、絶対に切らぬ男なのだ。

 

 いや、己だけではない。ハクにとって大事な人間が大切にしているものさえ、易々と自らの命より天秤を重くする。

 飄々と逃げる仕草からはわからぬが、自らの命をしっかりと護っているように見えて、己より大事なものに必ず命を賭ける。

 

 ――それは、わかっていたはずだ。某も、ハクの自己犠牲に救われてきた筈だ。

 

 ハクに判断させるのではなく、某が天秤にかけねばならなかったのだ。どちらの存在が国にとって、某にとって、重いのか。某は、それを見極められなかった。

 もし失敗した時は、ハクの方が大事だと伝えなかった。だから奴は、己が命よりもマロロの家族と双子の命を優先したのだ。

 

「アンちゃん……」

 

 ミカヅチがいるならば、ハクへの拷問は許さない筈だ。

 今ここで総崩れになることだけは避けねばならぬ。救い出す機会は必ずある。ある筈だ。そう信じなければ、体が動かなかった。

 

「某が指揮を執る……援軍が到着するまでの間、関を死守する。ガウンジの動きを見よ。もしこちらの兵だけを襲うならば操兵を探すのだ。そうでないならば、ムネチカ殿に任せ逃げよ。無理に相手取る必要はない」

「はっ!」

 

 その後、戦闘は援軍が到着したことで勝利した。

 ガウンジと、その操兵も始末し、関を奪われることなく戦には勝った。

 しかし――エンナカムイとクジュウリ同盟軍の喪失は大きく、得たものはマロロの家族と、裏切りの汚名だけだった。

 




原作においてライコウとの知恵比べで勝利したことは、あの決戦だけですよね。
ライコウがヤマトの軍勢を率いて本気出すとトゥスクルも危うかったと言われるくらいなので、そういう絶望感が出てるといいですね。

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