【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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シスとルルティエ回。
シスはこの作品ではどういう立ち位置がいいんでしょうね。
迷った末の話です。


第十二話 確かめるもの

 シスは戸惑っていた。

 クジュウリにてあれほどまでに熱烈な歓迎を受けたのに。

 喜び勇んで兵の尻を蹴り上げながらエンナカムイに急ぎ辿り着いたというのに。

 

 ――援軍感謝いたしまする。

 

 オシュトル様との会話はそれだけで終わった。

 オシュトル様は宴をご用意していますと、エンナカムイに私を引き入れたが、それだけだ。

 

 まるで初対面のような、一同盟国の兵士としての相対でしかなかった。だからこそ、それ以上踏み込めなかった。

 せっかく炙ったチャモックの肝も、ヤシュマや周囲の兵士に囲まれて、仮初の笑顔を見せるオシュトルを遠巻きに眺めるだけで、渡せなかった。

 あの言葉は嘘だったのだろうか。間違うことなく私に向けた愛の言葉だったはず。ともに、ルルティエを愛し合おう、というのであれば、もっと抱擁であるとか、今晩部屋に、とか、色々あったと思うのだ。

 

 まあ、そこまではいいとしよう。

 堅物として有名なオシュトル様のことだ。兵の前で誰かに懸想している様子は見せられないと思ったのだろう。

 

 しかし――ルルティエの態度が変だったのだ。

 宴の間も、そわそわと何かを気にしていたし。何かあるのかと聞いてもはぐらかされた。

 

 極めつけは、あれだけルルティエからオシュトル様に向けられていた陶酔した眼差しが鳴りを潜めていたこと。そして、その眼差しは――。

 

「――ルルティエ?」

 

 灯の少ない暗い部屋で、ルルティエは仮面をつけたまま眠る男をじっと見つめている。

 

「お姉さま? どうかなさいましたか?」

「その男は?」

「あ……ハクさまと言います。エンナカムイの防衛の際に、重傷を負ってしまって……私が治療を任されました」

「そう、なの」

 

 本当にそれだけなのだろうか。

 治療なら、眠っている男を見つめ続ける必要はあるのだろうか。そこまで危篤な状態には見えないが。

 

「……ルルティエ、ごはん食べましょう? 父上から送られてきた支援物資の中に、ルルティエの好物があったわ」

「は、はい。そうですね、お姉さま。では、ウルゥルさま、サラァナさま、後は任せてもいいでしょうか?」

「ばっちこい」

「任せてください。眠っている主様のお世話は得意ですから」

 

 部屋の隅で控えていた双子の少女に声をかけてルルティエは退出しようとする。

 が、双子の言葉に何かが引っ掛かったのか、ルルティエは元の位置に戻ると、とすんと腰を下ろした。

 

「お姉さま、やっぱり、食事はここで取りませんか?」

「え? 別に構わないけど」

「お姉さまのごはん、久しぶりだからすごく楽しみです」

「ふふ、任せて。じゃあ、作ってくるわね」

 

 そう言って退出し、厨房を借りて料理をする。

 料理をしながらも考えるのは、ルルティエがこだわりを見せるあの男のこと。

 

 料理を部屋へと運び、ルルティエと眠る男の顔を見ながら作ったご飯を食べる。

 ルルティエは美味しいと言ってくれたが、言葉数は少なく、やはり男を気にしているようだった。

 

 ――やはり確かめなければならない。

 

 その夜半、ルルティエが自室へ帰ったところを見たあと、自然な様子で、ハクと呼ばれる男の自室へと足を踏み入れた。

 

 死んだように眠る男。

 オシュトルとは似ても似つかない素朴な顔。そもそも、この仮面はなぜ付けたままなのだろうか。

 

「……あの二人は居ない、わね」

 

 双子の少女たちが主様と呼んでいた。

 いるかもしれないと警戒していたが、姿が見えないのでどこかに行っているのだろう。

 

 腹部を確かめようと、すっと男の上着に手を伸ばす――。

 

「――そこまで」

「主様になにか御用向きでしょうか?」

 

 突然だった。

 周囲を何度も確認したはず。しかし、その二人は突然現れ、私の首元に威圧感を与えている。

 

「呪法使い……ね」

「……だから?」

「クジュウリのシス殿とお見受けしますが、何の御用ですか? ……もし主様に危害を加えるおつもりなら――」

「そんなことはしません。ただ確かめたいことがあっただけです」

 

 二人の警戒を解くように手を挙げて降参の姿勢を取るが、双子の少女の声は堅いまま。

 

「信用ならない」

「あの時のこと、私たちはまだ許してはいません」

 

 あの時? この双子とは殆ど初対面。何か恨まれるようなことをしただろうか。

 いや、そういえば……クジュウリでオシュトルにつき従う二人の姿を見た覚えがある。あの時もこうして主様と呼んでいた気がする。

 

「……ここで見たことは、誰にも口外しない。私はただ、この男の正体を見たかったの……でも、あなたたちが許さないというなら帰ることにしましょう」

 

 そう言っても、双子は一瞬の気も抜かなかった。私が退出するまで、決して私から目を離さない。

 こっそり確かめるのは、あの双子がいる限り難しいようだ。

 あの男が動けるようになるまで、真相は明らかにできないだろう。

 

 もやもやとした感情を内に抱えるまま、その数日後。

 ハクという男は漸く外出できるようになり、ルルティエも何度かそれに付き添う形で一緒に外出しているようだった。

 

「――それでな、全然離してくれないんだ」

「ふふっ、そうですか。アンジュさまが……」

 

 偶然、縁側に二人が腰を下ろし、楽しそうに会話しているのを見て、思わず物陰に隠れた。

 暫く隠れて見ていたが、その様子は大変仲睦まじく、ルルティエが心を許していることがよくわかった。わかってしまった。

 

 しかし、ルルティエが少し暗い表情をすると、ハクという男は目に見えて動揺した。

 会話の内容を聞こうと少し近づく。

 

「……言おうか、ずっと迷っていました」

「な、何を?」

「ハクさまは、約束してくださいましたよね。無理はしないって……」

「いや、それは……」

「でも、ハクさまは、いつも誰かのために無理をします……だから、私には止められないことだと思いました」

「……ルルティエ」

 

 二人の間に暫く流れる沈黙を破ったのは、ルルティエだった。

 

「私は、ただ御側にいられるだけで、構いません。でも、ハクさまが一人で無理をして死んでしまったら、その願いすら叶わなくなります」

「……」

「だから……ハクさまが約束を破るたびに、ハクさまには罰を受けてもらうことにしました」

「ば、罰?」

 

 ルルティエから出るとは思えない不穏な言葉が出て、男は少し身構えた。

 

「はい……私を……だ、抱きしめてくださいますか?」

「はい?」

「今度は、ハクさまの時に……抱きしめてほしいって、お、思っていましたから」

 

 聞き取るのが困難なほどか細く震える声で、そう告げるルルティエ。

 ハクは無言で、ルルティエの背中に手を回した。

 

「こ、これで、いいか?」

「は、はい……ぁりがとう、ございます」

「こんなことが、罰……か。もっと我儘言っていいんだぞ?」

「いえ……私はもう十分、我儘を言っていますから」

 

 何なのだ、これは。

 これではまるで――。

 

 思わずよろめいた体を壁に打ち付け、そのままずるずるとしゃがみこんだ。

 

 動揺と混乱。そして見知らぬ男にルルティエを取られるという危機感に、久々の殺人衝動が芽生える。

 

「でも……」

 

 しかし、幸せそうなルルティエを前に飛び出すこともできなかった。ルルティエは自分の道を歩もうとしているのだと、あの日気づいたからだ。自分がそれを邪魔することだけはしまいと、心に誓ったからだ。

 

 だからある日、ルルティエを自室に呼び出しあの話を持ちだすことに決めた。

 

「お姉さま? 何かお話があると聞きましたが……」

「うん。ヤシュマが帰ったのは知っているわね?」

「はい、何でも国をまとめるために……と」

「なぜお姉ちゃんが、この国に残っているかは知ってる?」

「え……私が心配だから、ではないのですか?」

「そうじゃないわ。オシュトル様から言われた通り、ルルティエとオシュトル様を信じると決めたでしょう? 私がここに残っている訳は、父上からの提案よ」

「お父さまが?」

「ええ。私とあなたのどちらかが――オシュトル様に嫁ぐためにいるの」

「え――」

 

 ルルティエは、一瞬思考が停止したのか、可愛い口をぱくぱくと閉口させる。

 

 父オーゼンから命じられたこと、それはオシュトルの血を入れること。これから沢山の武功を挙げ、姫殿下の真の忠臣として永遠にヤマトを背負うであろう英雄。その嫁がクジュウリの者となれば、国もまた永遠の信用を勝ち取り、ヤマトの中枢を担うことができる。

 

 つまり、政略結婚。

 

 しかし、ルルティエと私の様子を見ていた父上は、あくまでも自由意志で婚姻を結べばいいと言った。オシュトルが相手として不服なら、聞かなくてもいいのだ。

 

「あ、あの、それは、私が、オシュトル様と、その……」

「そう、婚姻を結ぶのよ、ルルティエ」

「ぁ、ああ……そ、それはお父様からの命令なのですか?」

「いいえ。可愛いルルティエを政略結婚の道具にはしたくないでしょう。だから、あくまでもルルティエの意思に任せるそうよ。でも、もしあなたがしないと返答したならば、私がオシュトル様に嫁ぐつもり」

 

 この言葉に嘘はない。

 それどころか、英雄色を好む、優れた血を持つ子孫は沢山いて困ることはない。オーゼンは、どちらもオシュトルの嫁となっても良いと判断しているのだ。それどころか、たとえ二人同時に嫁ぐとしても認めるだろう。

 勿論私としても、あのオシュトル様であれば、不服はないどころか、望むべきことだった。しかし――。

 

「教えて、ルルティエ。あなたはどうしたいの?」

 

 ルルティエをあれほどまでに欲したオシュトルと、それに対するルルティエの反応は、誰がどう見ても愛し合う仲に見えた。

 そして、あの縁側で見たハクという男との抱擁も、同じく愛し合う仲に見えた。

 

 ルルティエが二股などするはずがない。

 であれば、出てくる答えは一つ。あれはオシュトルの影武者だった。そして、その影を担っていたのは、あのハクという男である、ということだ。

 

「お……お姉さま。答えは……待ってはくれませんか……?」

「ええ、勿論。急ぐことではないの」

「ぁ、ありがとう……ございます、お姉さま」

 

 明らかにほっとした表情を浮かべるルルティエに、しかし一応の釘はさしておく。

 

「でも、これから先沢山の縁談がオシュトル様には届くでしょう。まあ、オシュトル様のことだから戦乱が終わるまでは婚姻など結ばないでしょうけれど、婚約は早いうちにするかもしれない。待ち続けられる問いではないことは知っておいてね」

「……はい」

 

 悲痛な表情。

 誰か他に想い人がいることを明らかにしたようなものだ。本当にオシュトルに惚れているなら、婚姻を結ぶ後押しをしてもらえば少しは嬉しそうな顔をする。

 ルルティエは優しいから、他の女性に遠慮しているという可能性もなくはないが、それならば罪悪感こそあれ、根底には喜びが見える筈。

 

 その日はルルティエの自室で、一緒に二人で寝た。

 クジュウリで過ごした日々以来の、姉妹水入らずの寝床だったが、そこには若干の気まずさがあった。

 

 やはり、あの男はルルティエにとって――。

 

 疑いを深め、明け方に再びあの男の寝室へと足を運ぶ。

 そして、今度は部屋の前で姿を現した双子に、聞きたかったことを聞く。

 

「聞かせて。あの男がオシュトルなんでしょう……?」

「……」

「別に何か陰謀を企んでいるわけではないわ。私はただ、愛しい妹に良き道を示したいだけ」

 

 双子たちは私の表情に緊迫したものを感じたのか暫く悩んでいたが、二人が顔を合わせると目を瞑って真実を打ち明けた。

 

「……主様は影」

「オシュトル様に扮し、あなたと闘った方です」

「……やっぱり、そうなの」

 

 これは、誰にも明かせない。

 特にクジュウリに知られれば、同盟破棄にまで繋がりかねない事実。しかし、あのころの情勢を鑑みれば、確かに影武者でなければ危ういことこの上なかっただろう。影武者外交は然るべき手段だった。

 

「……ややこしいことを、してくれたものね」

 

 しかし、本心としてはそうだった。オシュトル様、いやそれ以上に人たらしの影武者を寄越すなんて。

 では、あの言葉も本心では無かったのだろうか。あくまで影として告げた偽りの言葉だったのか。

 

「そうであれば……許しはしないわ」

 

 翌日。

 調練場の外れ。大木で横になっている男に声をかけた。

 胡散臭げに見上げる男の目は私の存在に驚いたのか見開かれる。しかし、すぐさま表情を改めると、面倒くさそうに返事をした。

 

「自分になんか用か?」

「ルルティエについて話があるの」

「……ルルティエ?」

 

 ぴくりと肩が震え、男の興味を引けたみたいだ。

 

「ルルティエが、どうかしたのか?」

「聞きたければ、ついてきなさい」

 

 背中を向けて、調練場の広く開けたところまでずんずん歩く。

 有無を言わさずついてこさせたのがよかったのか、足取りは少し不安ながらも男はついてきていた。

 暫く歩き、十分広さが確保できていると感じたので、男の方へと振り返った。

 

「私と立ち合いなさい」

「なんだって?」

 

 男は、もう戦うのは嫌だと言わんばかりに、拒否の姿勢を見せた。

 

「自分はただの怠け者だぞ? 戦うことは苦手なんだ」

「……その仮面を被ることができる男に、武力がないとは言えないでしょう?」

「……どうしてもか? ルルティエについて話があると言うから付き合ったんだがな。自分は病み上がりだから勘弁願いたいところなんだが」

「確かめたいことがあるの。命を取る気はないわ」

 

 ハクはやれやれといった調子で、懐から鉄扇を取りだす。

 オシュトル様が私と対峙するときに構えた、あの武器だ。

 

「それは……」

「ん?」

「オシュトル様のものでは?」

「……ああ、これか? これはだな……クジュウリ遠征の時、オシュトルに持たせた御守りみたいなもんで、元々は自分のものだ」

 

 男は表情も変えずに嘘を言う。

 ここで追求しても、のらりくらりと躱されるだけだろう。

 

「そう……では始めましょうか」

 

 そう言って、傘を模した鞘から、刀を抜く。

 美しい刀身が、煌きを以って男の目に映る。

 

「おいおい、本気でやるつもりか?」

「大丈夫、当てても峰よ」

「……これ以上怪我するのは勘弁なんだが」

 

 ぼやきながらも、瞬時に合わさる剣と鉄扇。そういえば、あの時は武器同士が合わさることもなかった。

 

「っ……!」

 

 かち合った時に感じる予想以上の力に、思わず押し戻された。しかし、私以上に驚愕していたのが、目の前にいる男だ。

 あり得ないと言った風に目を見開く男に、思わず問いかけた。

 

「……どうかした?」

「いや、何でもない」

「なら、いきますわよ」

 

 繰り出す剣戟。

 男が本当に病み上がりの体ならば、ついて来られないはず。しかし、男は何のことはないというように、剣戟を受け止め続けている。

 

 その時、調練場で鍛錬していた他の将兵たちがわらわらと観戦し始めた。

 そして、その中の誰かが、ハクが戦っていることに気付き、声を荒げた。

 

「ハクさん!? 怪我をしていたんじゃ!?」

「キウルか~? ちょっと体が鈍っているから付き合ってもらってるだけだ。心配ない!」

「余所見をする余裕がありまして!?」

「ぐっ! そこはもう勘弁!」

 

 会話に気を取られた男に不意をうつ攻撃。

 しかし、男の腹部へと放った返し手の一撃を、見事なまでに鉄扇で受けきられた。

 暫くの硬直状態になるが、押し切れる様子はない。少し力を抜いて、相手の気を緩ませる。

 

「? どうした」

「ふっ」

「お?」

 

 鉄扇を傘で弾き、刀で、腹部にある布を斬り払う。

 そこには、未だ赤黒い打撲の痕があった。

 

「……酷い、人」

 

 ――やっぱり、あなたがオシュトル様だったのね。

 

 狙いは攻撃ではない。腹部の怪我を、見たかっただけだ。

 腹部の怪我、それだけは、変えられない。私がオシュトル様につけた――痕だから。

 

 素直に聞くことが怖かった。信じたくないことだった。

 

 まさか姉妹揃って――別の男に恋していたなんて。

 

「……興が冷めました。手合せはまた今度にしてくださいまし」

「あん?」

 

 冷徹な声色とは別に高ぶる感情を誤魔化すように、調練場を去ろうとする。

 横目に、キウルと呼ばれた子が心配だとばかりに男へ駆け寄っているのが見えた。

 

「ハクさん! 駄目ですよ無茶しちゃ!」

「ん? 自分も無茶するつもりはなかったんだが……シスは何か用だったみたいでな」

「あれ、ハクさん、お腹の布が……」

「ん? うわ、本当だ。変えの服今あったかな……」

 

 そんな呟きが背中に聞こえてきても、決して振り返ることはなかった。

 

 調練場から出た瞬間走る。兵たちが振り返っても気にせず、逃げるように走った。

 そのままココポのいる馬屋まで息を切らして走りきり、高ぶった感情を抑えるかのようにココポに縋り付いた。

 

「ホロ?」

「ココポ、元気だった?」

「ホロ~」

 

 クジュウリにいた時は慌ただしくて、ココポに顔を見せることもできなかった。

 

「あなたのルルティエね、別の男に恋していたみたい」

 

 ルルティエの恋を応援してあげたいけれど、もしオシュトル様ではなく、あのハクという男と式を挙げるなんてことになれば、影武者外交をしていたことが父上にバレてしまうだろう。ルルティエは嘘がつけない。どうしても態度に出てしまう。父上も私と同じように、眼の違いに気付く筈だ。

 

 そうなれば、同盟は維持したとしても綻びが生まれることは確実。既にクジュウリにとっても勝たねばならない戦である。余計な情報を与えれば、滅びを迎えるのはエンナカムイだけではない。

 それに、たとえ戦乱後にバレたとしても、影武者外交の痕跡は、未来の国交に遺恨を残してしまうだろう。

 そして最大の問題は、あの英雄オシュトルと何の繋がりも持てないこと。ルルティエというクジュウリの姫が、どこの馬の骨ともわからぬ奴とくっついてしまえば、オシュトルとの縁を結ぶ機会はなくなる。

 そして、私がその機会を得ようとしても、あのオシュトルが影であったのであれば、本物のオシュトル様にとって私はただの初対面で眼中にない状態になる。姫殿下がオシュトルに懸想しているという噂も聞くし、オシュトル争奪戦において勝てるものが見つからない。

 

「酷い、話ね」

 

 実に皮肉な話だ。

 父上がルルティエの中にある恋慕を見抜き、最愛の愛娘を震える手でオシュトル様の手に託したというのに。掴んだ手は影だったなんて。

 そうだ、私に差しだしたあの温かな手も、全部影、全部幻。

 

「酷い……人」

 

 でも、ルルティエはたとえバレたとしても、家族を捨てれば、大手を振って恋に生きられる。

 でも、わたしは?

 私の想いはどうすればいいの?

 

 ――シス殿。これは某の個人的な願いではあるのだが、いつか、ルルティエと某の元へと来てはくれぬか。

 ――私が……?

 ――そうだ。ルルティエへの愛、某にはしかと伝わった。そして、ルルティエが其方に向ける愛も。ルルティエは、某らだけでなく、其方ら家族も護りたいと思っている。某がシス殿と共にあれば、ルルティエだけでなく……ルルティエの護ろうとしているものも、護ることができる、そう確信した。

 

 あの言葉を信じたのに。あなたを、信じたのに。

 大好きなルルティエと、愛しい男と過ごす未来を膨らませていたというのに。

 自分を支える足元ががらがらと崩れていくような感覚が襲う。

 

「私に向けたあの言葉は、何だったのかしらね……」

 

 そう、本当はあの言葉の真偽が気になっているだけ。

 あの言葉は影としてなのか、それともあの男の本心なのか。

 

 ルルティエに対しての言葉は真実だろう。それはルルティエの態度を見ればわかる。

 でも、私は、私のことは本当に必要とされているのか。それがわからない。

 

 自分があの男にどう見られているのか、それが一番気になっているに過ぎない。

 

「でも、どうすればいいの……」

 

 項垂れる私に、ココポが心配そうに身を寄せてくれる。

 暖かい体温に浸り、暫く心を落ち着けると、自分らしくもない動揺をしていたことを知る。

 

「ありがと、ココポ……」

 

 でも、なにか方法があるのだろうか。

 ルルティエとあの男が婚姻を結ぶことを、クジュウリの皆が納得できる策が。

 

 ――いや、ある。たった一つ。

 

「私が、あの男をルルティエに相応しい漢に鍛えあげれば……?」

 

 そう、あのオシュトル様よりも武功を挙げさせ、聖上の覚えめでたい英雄となれば、ルルティエとの結婚を妨げる者はいないだろう。それまではルルティエとの交際は認めない。姉として、ルルティエを護る。それが結果的にハクとルルティエの護りたいものを護ることになる。

 

 ルルティエに家族を捨てて恋に生きなさいというのが、本来の姉としての言葉なのかもしれない。後押ししてあげるのが、いい姉の証拠なのだろう。

 けれど、影の言った、共に守ろうという言葉。

 ルルティエは優しい。だからこそ、家族と仲間を捨て自分だけが得することが一番苦痛に感じる筈だ。

 

「そう、そうよ。あの言葉が嘘だろうが、その場しのぎだろうが関係ない。あの約束を私自身が果たし、真実にすればいい」

「ホロ~?」

「そうよね、ココポ。相手がどうだとしても、私の方は確かに――あの人と約束したのだから」

 

 共にルルティエと大事な家族を守れるよう、そして私自身もまたその輪に入れるよう、必要とされるよう。

 

 私は、あの男の――に、なるのだ。

 

 不思議そうに首を傾げるココポの横で、妹を幸せにする使命に燃えていたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

「――ヘークショイ!」

 

 誰かが自分の噂をしているのか、思わずくしゃみをしてしまった。

 隣にいたルルティエが、心配そうに顔を覗きこんできた。

 

「ハ、ハクさま、もしかしてお風邪を……」

「ん? いや、日が暮れて冷え込んできたんでな。この寒さだともう一枚着ていた方がいいな」

 

 ここエンナカムイは帝都よりも南ではあるが、土地柄冷えた温度が中々上がりにくいのか、随分寒い。

 最近部屋に籠り気味だったので、暫くぶりに感じる寒さに震えた。

 

「でしたら、そ、そ、その……」

「ん?」

「わ、わた、私の、その……私の、へ、部屋に、寄っていただけませんか……?」

 

 ルルティエは顔を真っ赤にしてか細い声で問うてくる。

 なんだそんなことか、というように返答した。

 

「ん、別に構わないが?」

「ほ、本当ですか! で、では……こ、こち、らに」

 

 ルルティエの顔がぱあっと明るくなったが、次第にぼそぼそと声が小さくなり、顔を赤らめ挙動不審に部屋へと案内される。

 その際に、自分の袖をつまんでそっとだが確かな力で引っ張られていたので、招かれるままルルティエの部屋へと入った。

 整理整頓されどこからか甘い匂いがする部屋の中で、ルルティエから両腕を挙げてほしいと言われた。

 

「こうか?」

「は、はい、では、そのまままで……」

「うおっ」

「あ、えと、ごめんなさい、い、痛かったですか?」

「い、いや、驚いただけだ」

 

 突然脇の下に手をいれられたら誰でも声をあげるだろう。

 

「す、すいません。今度は、痛くないように、しますね……」

「あ、ああ」

 

 別に、痛いわけではないんだが。

 少しこそばゆい。次第に遠慮なく背中から胸にルルティエの手が触れてくる。

 紐を当てたりしているが、これは何かの寸法を測っているのだろうか。

 

「んと……ぁ……お、おっきぃ……」

「そ、そうかな。クオンには小さい方だと言われたがな」

「いえ、そんなこと……すごく、おっきいです」

 

 照れくさいやらなんやらの和やかな空気の中、突然ばぁんと襖が開け放たれる。

 

「ひゃっ!? お、お姉さま!?」

「!? あ、あんたは」

 

 そこには、悪鬼の表情を浮かべるシスが立っていた。

 

「ハク様、でしたか? 私のいない間にルルティエの部屋に押し入るとはどういう了見で?」

「え、えぇ?」

 

 シスは、こちらのやっていることを見て、怒り心頭の様子のまま襖を閉めて中に入ってくる。

 改めて自分たちの姿を確認すると、何やら体と体がかなり密着しており、情事前に服を脱がせようとしているようにも見えるような見えないような、いかにもな空気を確かに感じる距離感だった。

 思わず二人して距離をとる。

 

「い、いや! ルルティエから誘われただけで……」

「ほう? こんな夜遅くに女の部屋にいるのですから、ルルティエが襲われていると思ったのですが」

「お、おそっ……」

 

 ぼんっと音がなると錯覚するほどに、顔を真っ赤にするルルティエ。

 こういうのは耐性ないんだったな。

 それに、あのクジュウリでの誓いもあり、お互いに少し気まずくなってしまった。

 

「いや! ルルティエにそんなことするわけないだろ!?」

「……そ、そうですよね。するわけ、ない……です、よね……」

 

 安心させるために言ったのだが、あれ。何だろうこの感じ。ばきっと何かを折った気がするのは気のせいだろうか。

 それにしても、シスの昼間の消沈ぶりとは思えない追求に、思わず狼狽する。

 

「では、何をなさるおつもりでしたの?」

「い、いや自分は……」

「お、お姉さま! これは、その、ハクさまに襦袢を縫わせていただこうかと、考えておりまして……」

「襦袢?」

「襦袢か。ありがたいな」

 

 寒い時期にそういったものがあれば、風邪をひくこともないだろう。

 嬉しい話だった。しかし、目の前のシスは、納得していないようだった。

 

「ふ~ん。ルルティエは、その男に襦袢を作ってあげるのね」

「は、はい。勿論、お姉さまにも作るつもりでした……」

「そ、そう」

 

 シスは、ルルティエの言葉に少し喜色が芽生えるが、すぐに表情を改めた。

 

「でも、もしそうだとしても、こんな夜更けに男を部屋に連れ込んだら駄目よ。男は狼なんだから、可愛いルルティエなんかすぐに食べられちゃうわ」

「た、食べられ……ハク様に……」

「いや、そんなことしな――「男は黙ってて」

「……」

 

 冤罪なんだがなあ。

 

「とにかく、ハク様? あなたはルルティエの部屋から早々に出ていってくださいまし。襦袢作りなら私とルルティエでやりますので」

「いや……何なら自分も手伝……う、ぞ」

 

 しかし、その言葉に再び警戒心をむき出しにしたシスが威嚇してきたので、声がどんどん小さくなってしまい、自分の言葉がルルティエに届くことはなかった。

 

 病み上がりということで仕事量が減り暇ではあるが、よく考えたら、自分はそこまで器用ではないし、足を引っ張る可能性もあるし、うん。二人に任せたほうがいいな。

 

「じゃ、じゃあ、任せるな。ルルティエの作る襦袢、楽しみにしてるよ」

「は、はい!」

 

 ルルティエの部屋を出るが、襖の奥から未だ警戒の念が感じられた。

 

 ま、オシュトルの影として、ルルティエにはあれこれ言ってしまったから、見知らぬ男がルルティエを狙っていると思われても仕方ないか。

 

 これ以上ここにいると命を狙われそうだと感じ、その日は足早に自室へと戻ることとしたのだった。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 ハク様が出ていってしまった後、お姉さまと二人で話し合う。

 大切な時間を邪魔されてしまったことよりも、ハク様に嫌われないかということが心配で、思わず責めるような口調でお姉さまに詰め寄った。

 

「お姉さま! 私がハク様を呼んだのです。なぜあんな追い返すようなことを……」

「ルルティエ」

「え……?」

「教えて、ルルティエ。あなたが好きなのは、あのハクという者なのでしょう?」

 

 衝撃。

 そして混乱。

 

「どう、して……」

「お姉ちゃんの目は、誤魔化せないわ。ルルティエのことだもの。誰よりも、早く気づいてあげられる」

 

 騙すつもりはなかったが、逆の立場なら、どうしても騙されたと感じてしまうだろう。

 しかし、お姉さまの口調は諭す様に優しいままだった。

 

「でもね、ルルティエ。彼が英雄の影である限り、あなたの恋は成就しないわ。あなたはクジュウリの姫なのだから」

「……お姉、さま」

 

 その言葉に、自らの道を応援してくれないのだと悟り、悲しみが襲う。

 

 お姉さまは、私の恋を否定した。目線がどんどんと地に落ちていく。

 

「――だから、ルルティエの恋が成就するように、お姉ちゃんがあの男をルルティエに相応しい漢に鍛えてあげる」

「え……?」

 

 恋が成就するように?

 

 思わぬ言葉に、顔を挙げ、姉様の強い視線を真っ向から受け止めた。

 応援してくれるのだろうか。でも、誰を鍛えるというのだろうか。

 

 その問いを含んだ視線を受けたシスは、にこやかに微笑む。

 

「ハク様を、私たちの手で立派な英雄にするの。そうすれば、異を唱えるものはいないわ」

「そ、それはどういう……」

「あちこちに聞いてきたの、ハク様の評判をね。何でも肉奴隷を側に控えさせたりしている相当な女たらしみたいだけど、オシュトル様からの信望は厚い。姫殿下からも信頼されているそうだし、随分な有望株だそうね」

「え、え?」

 

 思考がついていかない。

 今、どういう話になっているのだろうか。

 

「……でも、わたしはハク様の御側にいられるだけで」

「ウソ」

「え……」

「控えめなルルティエのことだから、御側にいられるだけでいいなんて言ってはいるけど、本当は違うのでしょう? もっと抱きしめてほしいし、それ以上のことだって求めたいんでしょう?」

 

 反論しようとしたが、図星を突かれたように口は動いてはくれなかった。顔が熱く火照っていく。

 

 今までずっと控えめだったから、突然積極的になんてなれなかった。だからこそ、誰かに背中を押してほしかったのかもしれない。

 

「でも、今は我慢の時なのよ、ルルティエ。今あの男と関係を持つことはやめなさい」

「は、はい」

「お姉ちゃんに全部任せなさい。恋愛経験なら、私の方が結婚期間ある分知っているんだから」

 

 事に至る前に早々に離婚したとお聞きした気がするのですが――という言葉は呑み込んだ。

 

 任せて、と鼻息荒く張り切るお姉さまを見てまたもやお姉さまの悪い癖が出たのかもしれないと思う。

 しかし、お姉さまはあくまで私の恋を応援してくれるつもりのようだ。私の恋を唯一応援してくれる存在。そうだとしたら、それを無理に止めることはできなかった。

 

「ごめんなさい、ハクさま……」

 

 これから先、ハクさまに振りかかるであろう様々な出来事を思いながら、申し訳ない気持ちでいっぱいになるのだった。

 




正体バレはもっと先でもいいかと思いましたが、やはり何だかんだ気付くのは早いでしょうと考えて即バレ展開で。
それに、このままだとルルティエが真っ先にハクを攻略ゴールインしちゃってハーレムにならないので、シス姉さんに時間を稼いでもらいましょうという話。

正体バレがないからこそできる日常回、すれ違い回は、番外編とかでできたらいいなあ……。

あと、ルルティエの腐趣味がこの作品では全く出てこない正ヒロイン状態なので、そろそろ発揮してシスも腐趣味に引きずり込む日常回を考えています。(考えてるだけ)
そのことだけでなく、ほかにもシスを絡めた日常回案がありましたら、活動報告の方に希望をお願いします。(必ず反映できるとは言ってません)

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