【本編完結】影とうたわれるもの~二人の白皇再構成~   作:しとしと

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仮面つけてようが、だらだらしないとハクじゃない!



第十一話 サボりしもの

 帝都にある会議室で、ライコウは目の前の盤面を強く叩き激怒する。

 不可解なことが起こりすぎているのだ。

 

「どういうことだ、シチーリヤ」

「し、しかし……」

「報告は間違いではないのか。それが正しいとすると、クジュウリとエンナカムイに同時にオシュトルがいたことになるぞ。そして、ヴライだと? なぜ奴がオシュトルに協力する」

「……それは、わかりません。もしかすれば、ヴライ将軍でない可能性も……」

「それはわかっている。ヴライでない可能性の方が高い。しかし、仮面(アクルカ)の力を使い得る存在がいることに変わりはない。奴の持ち得る手駒を甘く見ていたか……!」

 

 デコポンポも生きて捕えられ、しかもガウンジまで失った。

 これでは、オシュトルがガウンジを用いてデコポンポに対し卑怯な手段で勝ち得たという噂を流布したとしても、効果は薄い。エンナカムイの惨劇として各国にエンナカムイへの経済制裁をすることもできず、一足先にクジュウリとの同盟まで結ばれた。

 

「ミカヅチを呼べ! とにかく、どちらが影武者であったか知る必要がある」

 

 通信兵を呼び、ミカヅチと交信する。

 

「どうした、兄者」

「貴様が見てきたこと全て話せ、あのエンナカムイで何を見てきた」

「草にて報告した通りだ。エンナカムイにいたオシュトルは本物。決闘中に砦から飛び出してきた者が仮面の力を使い、この俺に手傷を負わせた」

「つまり、その後から援軍に来た者が、オシュトルの影武者である可能性は」

「顔は見えていない……そして、仮面はオシュトルのものとは違う、ヴライの仮面であった。そして、仮面の力をも引き出すことができる、仮面に認められし者」

「つまり……そ奴はヴライだと? 俺の知る限り、ヴライは一度決めれば容易には言葉を曲げぬ。であれば、オシュトルと共闘などあり得ぬ」

 

 ライコウは苛立たしく、通信を切ると、地図上にある青色の駒の横に、新しく赤色と、白色の駒を置いた。

 

「もしヴライだとしても……いや、ヴライだからこそ、あのオシュトルの影となり、オーゼンから色好い返事をもらうことなどできようはずがない。優秀な誰か別の者がいると考えるのが普通だ……シチーリヤ、その男の情報を集めよ。一刻も早くだ」

「はっ」

 

 エンナカムイ包囲網は既に崩れかかっている。

 思っていたよりも随分早く、このヤマトは二つに割れた。

 未だこちらの忠誠を誓うものは多いものの、あのクジュウリが認めたということで裏切るものも出てくるであろう。

 であれば、見せしめがいる。そして、その見せしめを見てなお、帝都に逆らうというものは、まとめて叩き潰すのみ。

 

「予定を変え、ナコクの攻略準備を急ぐ。ミカヅチ、貴様が司令塔だ」

「承知」

 

 まさかこのライコウが先手を取られるとはな。

 オシュトル。貴様はこのライコウの対抗馬として十分すぎる実力を示した。であれば、こちらも本気で潰しに行く。精々耐え抜いて見せろ。

 そして、亡き帝を越え新たな時代を作るには、貴様と貴様の抱える姫殿下では不十分であることを決戦の場で示してやろう。

 

「……ライコウ様」

「何だ」

 

 シチーリヤがまだ何かあるのか、下がらない。

 苛立たし気に問い返すと、恐る恐るといったように、質問してくる。

 

「あの……デコポンポ軍はどういたしましょうか?」

「接収しろ。デコポンポ自体が死んでいようがいまいが、それは変わらぬ」

「しかし……エンナカムイよりデコポンポの引き渡しと、マロロという采配師の家族交換の提案がなされていますが……」

「無視しろ。接収に反対する者には、聖上の御言葉を疑うのかと言え。それに、今更デコポンポに義理堅い者もいまい。デコポンポを手元に置いておく事は毒になりこそすれ、薬にはならぬ。奴には牢獄でこれまでの人生を振り返らせておけ」

「了解、しました」

 

 シチーリヤを下がらせようとしたが、しかし盤上の赤と白の駒を見て、シチーリヤを呼び止める。

 

「待て、シチーリヤ。その交渉、誰が来る?」

「オシュトルと、その采配師一人の計二名であるとか」

「何? マロロではなく、か?」

「名前は書いていません」

「……」

 

 オシュトルの、采配師だと?

 マロロのことは俺も高く評価している。だからこそ、交渉には直接マロロが来ると踏んでいたが、オシュトルにマロロ以外の采配師だと?

 

「気が変わった。その交渉の場はどこを指定してきている?」

「エンナカムイ国境近くの関である、ルモイの関を指定しています」

 

 ルモイの関か。

 エンナカムイにとって交易路の中心と言ってもいい場所だ。

 もし奴らがエンナカムイより大軍を率いて各国行脚する場合、真っ先に攻略しようと考えていた場所だ。

 

「何時だ」

「それが……来月の下旬を指定しています」

「……何?」

 

 随分悠長なことだ。

 人質が有用であれば、情報を引き出すために時間をかけることはありうる。しかし、デコポンポにその価値がないことなど、奴らは知り得ている筈。

 早々に時期を決定し、こちらの準備が整う前に交渉の席につくのが定石だ。

 

「わからぬ。まるでわからぬ。機敏であるかと思えば、一転して悠長に構えている。奴らの狙いは何だ」

 

 一月以上先にしなければならぬ理由とは何だ――。

 盤上の駒をじっと見つめた後、ふとヴライを模した赤の駒を倒す。そして、残った白の駒を見つめる。

 

「……仮面(アクルカ)の力は、負担が大きい。それはミカヅチからも聞いている。であれば……」

 

 新たに現れた仮面の者(アクルトゥルカ)は……怪我を、している。もしくは、動けぬ状況に陥っている。

 しかし、仮面の力を使うことの出来る程の者が、果たして奴の配下に――。

 

「まさか……」

 

 そこで、かつて、帝より鎖の巫女を頂戴した男の顔が浮かぶ。ずっと不可解であった。なぜ仮面(アクルカ)を鎮めることのできる唯一の存在を、姫殿下を救ったとはいえ名も知れぬ男にくれてやったのか。

 帝が既にあの男の価値を認めていたとしたら――?

 仮面の力(アクルトゥルカ)に相応しき漢だと考えたが、既に四人に仮面を渡しているから、それに及ぶものをくれてやったのだとしたら――?

 

「シチーリヤ。デコポンポもマロロの家族もどうでもよいが、敵を知るため俺とミカヅチで交渉に参加する。しかし、返事は急くものではない。交渉の場は敵国内。こちらも万全の準備を整えてから返答する。デコポンポ軍の調練と、デコポンポを裏切った元お抱えの蟲使い共に新たなガウンジを調教させておけ」

「はっ」

 

 そして、件の交渉の場を有利に進めるため、もう一つ布石を打つ必要がある。

 今までじっと側に控えていたウォシスに声をかけた。

 

「ウォシス」

「はい?」

「貴様の出番だ。影を見極め……影を殺すか、捕えよ」

「方法はいかがなさいますか?」

「貴様の好きにしろ」

「……わかりました。影を務めている者に心当たりがあります。まずは、それとなく探らせましょう」

 

 ウォシスが闇に消え、会議室に静寂が訪れる。

 

「オシュトル。貴様の自慢の手足、まずは捥がせてもらうとしよう」

 

 帝都には、相も変わらず陰謀が渦巻いていた。

 

 

 ○ ○ ○ ○ ○

 

 

 暗闇の中、自分は布団で四六時中ごろごろしていた。この一週間程、風呂トイレ以外はこの部屋から出ていないように思える。

 そんな時だった。

 

「ハクさん、いるですか?」

「ネコネか? どうした?」

「入りますです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

 

 自分に体を密着させ、肩をもんでいたウルゥル、サラァナの二人を引き剥がし、ごろんと寝床に戻る。

 

「いいぞ、入ってくれ」

「それでは、お邪魔するです」

 

 ネコネはすっと入ってきた時、こちらの姿を見て沈痛な表情となり、すぐにその表情をぎこちない笑みに変えると、こちらに来る。

 

「御体はどうなのです? ハクさん」

「まだ、ちょっと動かないな」

「そ、そうなのです、か……」

 

 シスからやられた腹部の怪我に、ガウンジに足と背をやられ、オシュトルの代わりにミカヅチと戦うため、仮面の力まで使ったことで、体に大きな負担がかかった。

 力を引き出す代償なのか、仮面は自分の顔から剥がれなくなり、骨はあちこち軋み、筋肉は全身が内出血を起こしたかのように痣だらけだった。仮面の種類やそのものの適正によって「力」の発現に違いがあることは知っている。ヴライの仮面は、自らを治癒することなどせず、ただただ自らの体ごと破壊に振りきった性能をしているのだろうか。

 

 自分はその影響で永遠に寝たきりとなったのだ――というのは嘘で、実は驚くほどすぐに怪我も治り体は動き、正直走ることもできるのだが、さぼりたい一心で嘘をついたところ、皆が信じてしまった。

 風呂やトイレなどは双子が介抱している設定なのでバレる心配はないし、疑う以上に随分な満身創痍に見えたのだろう。まあ、何だかんだ体にガタがきたのは確かなので、少し休ませてもらおう程度に考えていたのだが。

 

「ごめんなさいなのです……兄さまの代わりに、こんな……」

「いや、気にするな。自分が勝手にやったことだ。ネコネのせいでも、オシュトルのせいでもないさ」

 

 どうやら、ネコネはかなりの罪悪感を持ってしまったようなのだ。

 勿論、オシュトルと、それを庇うであろうネコネのため、という理由は確かにある。あの時オシュトルのもとに走り、結果的に仮面(アクルカ)の力を使ったのは、ネコネが同じようにミカヅチの前に飛び出そうとしていたことが大きいだろう。

 しかし、仮面の力を使おうとしたのは自分なのだ。それに、実は治っていますと言わずに、嘘をついちゃったのも、自分なのだ。

 

 ネコネがこうして悲痛な表情で甲斐甲斐しく介抱し始め、周囲もそれを信じてしまったため、嘘でしたともいえない。それに、治ったと言えばまた仕事が舞い込んでくる。それは勘弁してほしかった。

 

「あの……何か、してほしいこととか、あるですか?」

「そうだな……トリコリさんのご飯が食べたい……」

「は、母さまをここに来させるつもりですか?」

「いやいや、こっちから……」

 

 そこでおかしいことに気付いた。

 そうだ。自分は寝た切りなんだからこっちからもあっちからも無理なんだった。

 

「いや、やっぱ、そうだよな。無理だよな……」

「しょ、しょうがないのです。代案があるのですよ」

「ん? 何だ?」

「最近、私は母さまから料理を習っているのです。ですから、母さまのご飯と私のご飯は一緒ということです。食べたいというなら、私がご飯を作るのです」

「はあ」

「では、作ってくるのです。少し待っててくださいです!」

 

 ふんすふんすと鼻息荒く、任せろのオーラを背に纏って部屋を出ていくネコネ。

 別に習っていようがいまいが、トリコリさんの料理=ネコネの料理ではないんだがなあ。

 

 ちなみに、ネコネの料理は、トリコリさんの料理には到底及ばないおいしさの筈だったが――。

 

「ハクさんは、今手が使えないですから、仕方がなく、仕方がなくなのですよ――ほら、あーん……なのです」

 

 顔を真っ赤にして箸で掴んだものを差しだすネコネ。

 甘んじて受け入れるが、改めてそれなりの危機感を感じ始めていた。

 

 ――怪我は嘘だと言ったら、二度と脛が使い物にならなくなるな。

 

「美味しいですか?」

「あ、ああ、まあな」

「ふふん。当然なのです。あ、お酒はダメなのですよ。わたしの美味しい料理で我慢するです」

 

 結局、ネコネにいつバレるかという緊張感で味が全然わからなかったのだった。

 

 ネコネが帰って暫くして、また誰かが戸を叩く。

 

「ハク、少しよいか?」

「ああ、構わないぞ」

 

 次の訪問者はオシュトルか。

 毎日毎日ご苦労なことだ。

 

「ハク、シス殿が某に接する際のことなのだが」

 

 ぎくりと、肩を震わせる。

 そういえばオシュトルの影武者の時、色々やってしまったからな。

 

「やはり気のせいではなく、随分と距離が近く感じるのだ。遠征にてシス殿に何を言ったのだ」

「……」

「何やらやたら腹部の怪我を心配される。もう治ったと言うと、めくって確かめようとしてくる。一体どういうことなのだ、ハク」

「……そういうことだ」

「ふむ。ネコネに聞けば一騎打ちまでしたと。大変勇ましく結構である。それができるよう鍛えたのだからな……しかし、遠征のたびに女性を連れて帰るようでは、これからも其方に交渉事を任せるのはいささか不安であるな」

「……すまん」

 

 オシュトルには言われたくないが、一応謝る。

 だってオシュトルに惚れている女性を数えたら、ヤマト一だろ。

 

「まあ、それはよい。誤解を解けばよいだけのこと。して、本題に入ろう――そろそろ、起きられてはいかがかな。ハク」

「な、何のことだ?」

「某の目は誤魔化せぬよ」

「……」

「仕事をしろとは言わぬ。我が母上がハクのことを随分心配している。顔を出してきてはいかがか」

「マジで? トリコリさん、自分のことを?」

「マジだ」

「……わかった、行くよ」

「……やはり、嘘だったのだな」

「あっ、オシュトル、お前――」

 

 どうやら鎌をかけられたようだった。

 オシュトルは口の端を歪め、薄く笑った。

 

「ふ、ハクの献策は読めぬが、普段の行動は読めるのでな」

「く、くそ~」

「まあ、暫く休養することは礼として提供するつもりであった。しかし、こういった嘘をつかれては、少々減給するのも吝かではない」

「勘弁してくれ、オシュトル。ネコネにばれたら今度こそ動けない状態になっちまう」

 

 あ~んまでしてくれたからな。減給よりもそっちが怖い。

 

「……ならば、聖上の面倒を見てはもらえぬか」

「皇女さんの? 面倒ならいつも見てるだろ」

 

 寝た切りだっつってんのに、遊べ遊べと部屋に特攻してくるのは皇女さんくらいのもんだ。

 

「うむ……実は、聖上が市井の民の暮らしを見てみたいというのだ」

「ま~た悪い癖が出たのか?」

 

 賭博場だの、走犬場だの、飯屋だの、皇女さんと色々見て回った記憶がよみがえる。

 しかし、話によると、この国の民が快く自分を受け入れてくれたことに感謝したいが、この国の民のことを何も知らないから、というのが理由らしい。

 

「どうせ、元気が有り余ってるんだろ。重いもんを持ちあげてはどうじゃどうじゃと最近元気さを主張してきて五月蠅いんだ。んで疲れたら勝手に横で寝るし」

「否定はせぬがな。しかし、志は立派である。ぜひとも協力してほしい」

「自分が? なんでオシュトルが対応しないんだ? その辺の家を覗いてくるだけだろ?」

「……聖上は帝の後継者であり、その存在は高潔なるものでなければならぬ。民も委縮してしまうであろうし、聖上の思いもよらぬ行動が悪影響をもたらすとも限らぬ。しかし、某では、聖上の御行為を止めることなど恐れ多く……」

「……自分はいつも止めているみたいな言い方だな」

「違うのか? 聖上にあれだけ物申せる者は、世界広しと言えどハクとクオン殿くらいであろう」

「……オシュトルって、皇女さん苦手なのか?」

「……」

 

 それは聞くなという顔をされる。

 まあ、亡き帝の形見だのなんやらかんやらで、強く言えないってのもあるのかもな。

 帝都在住時代、ウコンの時にアンジュを見て、思わず「げっ」って叫んでいたし。

 

「……わかった、任せろ。だが、嘘ついてたことは見逃してくれよ」

「無論、聖上の御機嫌を損ねることのない献策ができれば」

 

 そういった会話をオシュトルとした翌日。

 皇女さんはオシュトルから何か聞き及んだのか、嬉々として部屋に突撃してきた。

 

「ハク! なにやら余のために、市井の暮らしを体験させてくれるそうではないか! うむうむ。その忠誠心、褒めてつかわすぞ!」

「一応、まだ体が痛いんだが」

「ハク。そなたならば動けると信じておるぞ」

 

 まったく、すぐ調子に乗りおって。

 

「とりあえず、皇女さんがいても違和感のない家ってのは中々ないんでな。だが、一応見つけたぞ。信頼のおける者の家で、家の中に堂々と入ることができ、警備の者達がいても不自然ではない家――オシュトルの家だ」

「オシュトルの?」

「ああ、トリコリさんというオシュトルの母親がいるんだ。少し目が不自由しているから、皇女さんは……自分の姪で、新しくオシュトルに仕える前に、女官としての経験を積ませたい、という設定でお願いするのはどうだ」

「ハクの姪……」

 

 未練だな。

 思わず姪といってしまった。チイちゃんの顔をした皇女さんを見ると、どうしてもそういったことが思い浮かぶ。

 

「まあ、妹や娘でないだけマシか……乗ったのじゃ! オシュトルの御母堂なら、いずれ挨拶せねばと思っていたしの!」

 

 オシュトルに許可は取ってないが、まあ、こっちに任せたみたいだしいいだろ。

 

「よろしく頼むのじゃぞ――おじちゃん?」

「あ、ああ。任せろ」

 

 やはり、未練だな。

 ここまで心動くとは、思ってなかった。チイちゃんそっくりの子、兄貴の想いが今ならわかるな。

 

「じゃ、行くか」

「うむ、道案内よろしく頼むぞ。おじちゃん? あ、そうじゃ、足腰ガタガタのおじちゃんのために、余が担いでやるぞ? むっふっふ、どうじゃ、おじちゃん?」

「……」

 

 姪におんぶされるとかどんな罰ゲームだよ。

 おじちゃん呼びが気にいったのか、皇女さんはおじちゃんおじちゃん連呼し始め、姪設定は、やっぱ失敗だったかな、と後悔するのだった。

 

 昼時、そのままアンジュとともに、オシュトルの家に訪問する。

 アンジュを外で待たせておいて、戸を叩く。暫くしてトリコリさんが顔を出した。

 

「どうも、トリコリさん。ハクです」

「あら……ハクさん。お久しぶりね……最近あまり顔を見せないものだから、心配していました。さ、どうぞ中へいらっしゃって」

 

 案内されるがままに、中に入る。皇女さんには、未だ外で待機させている。

 居間で少しの雑談の後、居住まいを正し、本題を切り出した。

 

「実は、今日来たのは、個人的なお願いをしたくて来たんです」

「お願い? あら、何かしら。いつもお世話になっているハクさんなら、大抵のことは聞くけれど……」

「実は……自分の姪なんですが、オシュトルの女官として仕えることとしまして」

「あら! ハクさんに、姪が?」

「ええ、ただ、お恥ずかしい話なんですが、熱意はあれど、えらく不器用で……このままオシュトルに仕えさせるのもいかがなものかと考える次第で」

 

 横戸の向こうから唸り声が聞こえる。

 まだ出番ではないというのに、自分の言葉に何かひっかかったようだ。

 

「あらあら、息子に仕えて頂けるだけでもありがたい話ですのに……」

「いえいえ、やはり右近衛大将ともなると、傍には一流ばかり。縁で自分の姪を紹介しましたが、とんだじゃじゃ馬でして。このままでは恥をかかせてしまいます。そこで、迷惑なのは承知していますが、是非トリコリさんの家事手伝いを通し、経験を積ませたくて……」

「いずれ、家族ぐるみの付き合いになるハクさんからの頼みですもの。勿論、構いません」

「あ、ありがとうございます。このお礼は必ず……」

「お礼ならいいの。いつもハクさんからは美味しいお菓子を作ってもらったり、家事を手伝ったりしていただいているもの……そのお返しだと思って」

「いえ、それでは自分の気が済みません。また、何か入用でしたら、ぜひ自分をお呼びください」

「ふふ。ありがとう、ハクさん」

「では、呼びますね。入りなさい」

「は、はい!」

 

 横戸を力の限り開けて、ずんずん入ってくる皇女さん。

 緊張は伝わってくるが、それを補って余りある堂々さに少し呆れた。

 しかし、トリコリさんは気にした様子もなく、目の前に現れた少女に顔を向けた。

 

「……お名前はなんと言うのかしら?」

「は、はいぃっ!! その、新しくオシュトルの女官となったアンなのじゃ……よろしくお願いするぞ」

「アン、よろしくお願いします、だろ?」

「む……よ、よろしくお願いします」

「ふふ、こちらこそ、よろしくお願いします。息子に仕えて頂いてありがとう」

 

 挨拶が終わり、トリコリさんは早速といったように、皇女さんに掃除のやり方を教え始めた。

 掃除に既に悪銭苦闘する皇女さん。

 それを優しく教えるトリコリさん。ようやく掃除が終わり一息といったところで、まだ仕事があるとトリコリさんが言うと、皇女さんはえらく驚いた。

 

「何、これ以外にも仕事があるのか!? 市井の生活とはかような忙しさなのか……」

「すいません。姪は随分な箱入り娘で……」

 

 こうしてフォローいれても隠しきれないほど不自然だぞ、皇女さん。

 

「いいのよ。さ、アン。水を汲んできてくれるかしら。夕餉の準備を始めないと」

「夕餉? 日はまだ高いではないか」

「水を汲んで、食材を下ごしらえして、煮炊きすれば、出来上がる頃には夕刻だもの。それにアンはまだ慣れていないみたいだから、もっと時間がかかるんじゃないかしら……あ、もしかしたら、今日はご飯が食べられないかも?」

「そ、そんなぁ」

「ふふ、頑張って。ひと段落ついたら、美味しいおやつが待ってるから。ね、ハクさん」

 

 自分が作るのか。まあ、トリコリさんに頼まれたら断れないな。

 

「おお、おじちゃんのおやつか。それは楽しみじゃの! うむ、頑張るのじゃ!」

「いい子ね。私もハクさんのお菓子は久々だから、楽しみだわ」

「ま、任せてください」

 

 そうして、自分が台所でお菓子作りに励んでいる間、横では皇女さんとトリコリさんは夕餉の準備にかかっていた。するすると綺麗に皮むきをしたり、包丁で切ったりする行為を見ても熟練の技だとわかる。皇女さんは、それを感嘆の瞳で見ていた。

 

「おお、なんと見事な……御母堂は目が不自由ではなかったのか!?」

「既に手が覚えているから、見えなくてもわかるのよ。アンもこれくらいできるようにならないと、お嫁さんになるのは難しいかしら?」

「なっ、それは真か!?」

「そうねぇ、殿方を射止めるには胃袋を捕まえるのが一番なんだから」

「むぅ……」

 

 ちらりとこちらを見る皇女さん。

 

「なるほど……確かに、胃袋を掴まれておると弱くなるのぉ」

「ふふ、それでは逆ね。助言するとしたら、料理をするうえで大事なのは真心を込めること、丁寧に、丁寧に、ね」

 

 見よう見まねで、皇女さんはゆっくりと包丁を動かすと、トリコリさんは笑みを深めた。

 

「はじめてにしては筋が良いわね。息子のお嫁さんになってくれないかしら」

「息子!? そ、そそそそ、それは、お、オシュトルのことか!! い、いや、じゃが、しかし、その……」

「もしかしたら、他に誰か好きな方でもいるの? だったら、残念だわ」

「そ、それは……う、ううううぅ……そ、そんなことないのじゃ!」

 

 なぜこっちを睨む。

 しかし、民の生活を知りたいという言葉も、帝都にいた頃と全然意味が違うな。皇女さんも成長しているということで、自分もお菓子作りに精を出しますか。

 

「さて、水炊きする前に、少し休憩にしましょうか」

「菓子か!?」

「ええ」

「もうできてるぞ。アン、居間に持って行くのを手伝ってくれ」

「うむ。任せるのじゃ!」

 

 居間の食卓を囲み、作った菓子を頬張る。

 うん。ルルティエに敵わないまでも、良い出来だ。

 

「相変わらずハクさんのお菓子は美味しいわ」

「いやぁ、そんなそんな」

「いや、ハク! 菓子作りに関しては天下一じゃ!」

「お菓子だけかよ」

 

 そんなやりとりに、トリコリさんが笑う。

 和やかな空気のまま、菓子を食べ終わり、皇女さんが率先して皆の皿を片付けに行く。

 居間にトリコリさんと二人残ったところで、気になることを話した。

 

「どうでしたか、私の姪は」

「あなたの言う通り、熱意は十分ね。でも、不器用なんかじゃないわ、やり方を知らないだけ……ネコネと似た者同士ね」

「そうですか?」

「ええ」

「あ、そういえば、ネコネが料理を教えてもらっていると言っていましたね。ネコネにも誰か気になる人が?」

「ふふ、そうみたい……娘と久しぶりに家事ができて、私は嬉しいのだけど……オシュトルはああ見えて気が気でないみたいね」

 

 まあ、そりゃ大事な妹だもんな。

 どこの馬の骨に惚れているかわかったもんじゃないからな。

 

「ネコネは相手に気付いてもらえなくて随分悩んでいるみたい」

「そうなんですか?」

 

 まあ、オシュトルが妹の恋愛感情に気付いたらそれはそれで困ったことになるしなあ。

 叶わぬ恋というのは悲しいものね。

 

「ええ、あの子が傷つかないよう、しっかり見ていてあげてね。ハクさん」

「はい、勿論です」

「そういえば……もう少しでネコネが来る時間だわ。このくらいの時間から、いつも料理を一緒に作っているから……」

「な、なんですとっ!?」

 

 まずい。この前寝た切りを披露したばかりなのに、こんなに動いていたら怪しまれるぞ。

 それに、皇女さんがこんな形で家に来たことなんて知らないだろうし。

 

「母さま、ネコネが帰ったのです」

 

 外から、そう呼ぶ声がする。

 本当に来てしまった。

 

「あら、噂をすれば、ね。ハクさん、申し訳ないのだけれど、ネコネを出迎えてくれる」

「は、はあ。任せてください」

 

 トリコリさんにお願いされては断れない。

 オシュトルにもネコネにも許可を取ってないのに、こんなことをしているとばれたら、というかサボっていたことがばれたら……。

 

「よ、ようネコネ」

「……ハク、さん? え、なぜ家にハクさんがいるのです?」

「こ、これには深ーい訳があってな」

「……もう歩けるのですか?」

「あ、ああ、おかげさまでな。ネコネの料理が効いたのかもな、ははっ」

「そうですか。母さまもハクさんのことは心配してたですから、顔を見せに来ていただいたのです?」

「ああ、そんなとこだ」

 

 あれ、何だかネコネが優しいぞ。

 

「とにかく、中に入れてほしいのです」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「?」

「じ、実はな……」

 

 そこで、オシュトルから頼まれ事をしたこと。皇女さんがいまアンという自分の姪としてトリコリさんの傍仕えとして働こうとしていることなど、説明する。

 

「……一つ疑問なのです」

「なんだ」

「兄さまはこのことを知っているのですか?」

「……事後報告だ」

「……」

 

 ネコネの右足が脛を蹴ろうとする動作をしたので、一瞬身構えたが、ネコネの足は空中で制止し、そのまま戻った。

 

 

「はあ、怪我人でなければ蹴るのですが……しょうがないのです」

「すまん」

「とにかく、終わったらすぐに報告してくださいです。それに、動けるようになったなら、わたしにも早く言ってほしかったのです」

「……」

「なんなのです?」

「何だか――優しくなったな」

「うなっ!?」

 

 ぼんと音が出るかのように、頬を染めるネコネ。

 

「わ、わたしだって怪我人に鞭打つなんてことはしないのです! それとも、脛を蹴り上げるのがハクさんにとってお望みなら、そうしてやるのです!?」

「わ、悪かったって! と、とりあえず、中に入ろう、な?」

「全く、誰のせいで、ここで足止めをくらったと思ってるですか。ほんとハクさんは自分勝手でダメダメな人なのです」

「悪かったって。だが、なんで今日はトリコリさんのところに?」

「夕餉のお手伝いなのです」

 

 それだけのために、結構歩くここまで来たのか。偉いなあ。

 とりあえず、中に入れると、皇女さんは驚いたが、ネコネがうまくフォローしてくれたおかげで、事なきをえた。

 

 トリコリ、ネコネ、アンの三人で夕餉の準備をするのを眺めながら、居間で寝転がる。

 やがて、美味しそうな匂いが漂ってきて、できたことを報せてくれた。

 

「「いただきます」」

「いただきますなのじゃ!」

「いただきますです」

 

 机に並ぶ色とりどりの食事に、美味しい美味しいと舌鼓を打ちながら、楽しい食事をした。

 

「ふふ、こうしてみると、娘がもう一人できたみたい……ね、ハクさん」

「え、ええ。そうですね」

「……」

 

 トリコリさん、なんでこっちに同意を求めたんだろうか。

 これじゃあまるで、夫婦みたいじゃないですか。

 

「いたッ――!?」

「あ、ごめんなさいなのです。ハクさんが変な顔をしていたので無意識に足が当たったのです」

 

 対面に座るネコネからが謝るが、どう考えても当たった程度じゃないぞ。というか変な顔してたってどういうことだよ。少し鼻の下が伸びただけだぞ。

 

「おぐッ――!?」

「あ、余も当ててしもうた。すまんの、おじちゃん?」

 

 右に座る皇女さんからも謝られるが、いくら机の下が狭いとは言っても、そんなに当たる訳ないだろ!

 二人とも正座だった筈だし!

 

「ふふ、相変わらず人気者ね、ハクさん」

「そ、そうですか?」

 

 とりあえず、それ以上足を蹴られないよう警戒しながら、食事したのだった。

 

 そして、夕闇も外を覆う頃になった時分。

 食事と、その方付けが終わると、いよいよ帰る準備をと思ったのだがアンジュは随分と渋った。

 しかし我儘をもう既に聞いている状態なので、帰ることをトリコリさんに伝え、強引に連れ帰ることにした。

 

「また、来てもよいかの御母堂」

「ええ、勿論。もう私にとって娘みたいなものだもの」

「……ありがとうなのじゃ! 明日も一緒に来るのじゃぞ、おじちゃん!」

「はいはい。では、トリコリさん。またご迷惑おかけするかもしれませんが……」

「いいのよ。一人で寂しく過ごすよりも、こうして来ていただけることが嬉しいわ。またいらしてね、ハクさん……アン」

 

 その日は泊まるというネコネにトリコリさんを任せると、二人で帰る。

 

「良い方じゃったな」

「そうだな」

「……市井の母とはああいうものなのかの」

「……そうだな」

 

 兄貴……父親しか、知らないんだもんな。

 そりゃ、離れたくなくなるか。

 

 皇女さんに同情したのもつかの間。案の定、一日だけという条件だった筈だが、後日、皇女さんは随分足繁く通い始めたようだ。

 

 オシュトルにも事後報告という形で言ったが、随分渋い顔をされた。

 トリコリさんは、最近体調がいいようだが、もしかすれば悪化するかもしれないとのことで、皇女さんをいつでも止められるようハクがついているならば、許可するとのことで了解を得た。

 

 つまり、皇女さんが行くときは必ず――。

 

「さあ、ハク! いや、おじちゃん! 今日も御母堂の元へ参ろうぞ!」

「そんな毎日毎日通ってたらトリコリさん疲れちまうだろ。今日はやめとけ」

「しかし、明日も来ていいと言ってくれたのじゃ!」

「……皇女さん。トリコリさんは、ネコネの前で一度倒れたこともあるそうだ。定期的に通うのは構わんが、もっと時期を開けた方がいい。それに、聖上としての仕事だってあるだろ?」

「……うぐ」

「トリコリさんが好きなのはわかっているが、あくまでこっちは向こうにとってお客様なんだ。余計に気を使わせちまうだろ?」

「……わかったのじゃ。では明日赴くとしようぞ!」

 

 全然わかってないだろ。

 とりあえず、その日は皇女さんの説得に時間をかけたのだった。

 

 




ハクトルの時はハクがライコウともミカヅチとも戦いましたよね。
でもこの作品では、武はオシュトルVSミカヅチで、知はハクVSライコウで行きたいですね。
でも、ヴライの仮面被ってるから、ハクもめちゃんこ強くなれそう。
本編最後らへんではミカヅチと勝てないまでもタイマン張れる実力になりますからね。
あと、ハクがオンヴィタイカヤンであることを知っているのは、クオンとウォシスだけだからこそ、ライコウの読みに隙が生まれる気がします。

現在、ここから先の展開を書き溜めて整合性を取ってから投稿しようとしていますので、申し訳ないですが、これまでのような更新頻度は期待しないでください。暫く空きます。

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