第43話 「古明地さとり」
第43話 「古明地さとり」
〈ヤマタノオロチ異変〉から何十年、何百年も月日が流れた。
幻想郷と夢幻郷は〈ヤマタノオロチ異変〉以降、大きな異変が起きることもなく平和な日々が続いていた。
ただ、外の世界の変遷に合わせて幻想郷と夢幻郷を覆うように“常識と非常識の境界”が張られたことで「外界で忘れられた物」が集まる土地となった。
それでも目立った争いはなく、退屈な日々がずっと続いていた。
「あの異変から数百年か・・・。」
鬼や天狗たちによって統治されている幻想郷北部にある妖怪の山。
その中でも屈指の実力者、星熊 勇儀はとある人物と杯を交わしていた。
「〈ヤマタノオロチ異変〉。私は聞いたことしかありませんが、一体どんな異変だったのですか?」
「簡単に言えば、幻想郷が崩壊する直前まで迫った異変だな。あの時は本当にヤバかったからな。」
そう言って、勇儀は大きな杯――星熊杯に注がれたお酒をぐびぐびと飲み干す。
勇儀も〈ヤマタノオロチ異変〉の際、他の鬼や天狗たちと共にヤマタノオロチと戦い、敗れた。
おそらく、あそこまで決定的な敗北を味わったのはその異変だけだろう。
「そして、最終的に異変を解決したのは夢幻郷の土着神だ。さとりも何度か会ったことがあるよな?」
「はい。お顔を少し拝見しただけですが・・・・・・」
“さとり”と呼ばれた桃色の髪を持つ少女は勇儀に比べると随分小さい杯を口に運ぶ。
外見は小学校高学年ぐらいで、胸の辺りで“第三の眼”とでも呼ぶべき物がふよふよと浮かんでいる。
彼女の名前は古明地さとり。
妖怪の山に住む覚り妖怪の一人で、大半の妖怪や人間からは生まれつきの読心能力のせいで嫌われている。
しかし、性格は温厚。特に手を出すようなことをしなければ無害な少女でしかない。
「何か困ったことがあればアイツを頼ると良い。きっと力になってくれるさ。」
「そう、ですか。」
「まあ、夢幻郷まで行くのが少し骨だがな。」
妖怪の山から夢幻郷に行くには、人里を通り抜けないといけない。
空から行っても、陸を歩いても人里を越えるのが非常に難しい。鬼や天狗のように強い力を持つならまだしも、読心能力以外は人間と大差ない身体能力の覚り妖怪では無理矢理通り抜けることなど不可能だ。
「そうだ、さとり。こいしの奴に不用意に出歩かないように言っておいてくれ。」
勇儀は思い出したようにそんな言伝を頼んだ。
こいしとは、さとりの実の妹でありながら読心能力を使えない覚り妖怪だ。
正確には、自ら“第三の眼”を閉じて無意識に身を置くようになった少女。
天真爛漫で“心を読む程度の能力”と引き換えに手に入れた“無意識を操る程度の能力”で幻想郷の各地を放浪している。
「私たちを快く思わない天狗たちが何か企んでいる、ですか・・・。」
さとりは勇儀の心を読み取り、彼女が言わんとしたことを先に口に出す。
勇儀はそれを気味悪いと思うこともなく、さとりに妖怪の山で渦巻いている陰謀について話した。
「おそらく大天狗派の奴らだろうが、お前たちを山から追い出そうとしてるみたいだ。」
「やはりこの山に移り住んできたのは迷惑だったのでしょうか・・・」
「せいっ!!」 「きゃんっ!!」
自虐的な言葉を吐くさとりの頭を勇儀は軽く小突いた。
さとりも妹のこいしも、元々妖怪の山に住んでいた訳ではない。
外の世界の変遷につれて故郷に居座ることができなったために妖怪の山に移り住んできたのだ。
妖怪の山を治める奉鬼を初めとする鬼や天魔は二人を歓迎したのだが、大天狗とその一派は反対した。
その理由は定かでないが、さとりの能力に不都合があったのだろうと噂されている。
「あんまり気にするな。少なくとも私や奉鬼様はお前たちのことを迷惑だと思っていないさ。」
勇儀は星熊杯に注がれたお酒を一気に飲み干した。
「おっと、空が曇ってきたな。今日はこれでお開きだな。」
「そうですね。私も自宅に戻りましょう。」
広い大空を灰色の雲がゆっくりと浸食していく。
あまり時間も掛からない内に空が曇天に覆われるのは明白である。勇儀とさとりはその場で別れると、互いに自分の住居に向かった。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
~妖怪の山 中腹~
「はあ・・・今日は災難ね。」
さとりが自宅に到着するのを天気は待ってくれなかった。
もう少しで自宅が見える所まで辿り着いたのだが、突然降り始めた雨は予想以上に激しくさとりは足止めを食っていた。
ちょうど大きな樹が傘の代わりになってくれているおかげで、一時的に雨を凌げている。
「こいしはもう帰ってるかしら?」
さとりは若干放浪癖があるたった一人の妹のことを心配した。
「少し雨が収まったら、急いで帰りましょ。」
さとりは大きな樹の下で雨宿りを続けた。しかし、さとりの予想とは裏腹に雨足は弱まることを知らずに大地に恵みを与えていく。
一向に弱まる気配を見せない雨にさとりも少しばかり困り果てた。
「雨、止まないわね。」
さとりは地面から突き出した樹の根っこに腰を下ろし、雨足が弱まるのを待った。
彼女が樹の下で雨宿りを余儀なくされている時、澄んだ鈴の音がさとりの耳に届いた。
チリーン、チリーンと高い音がどんどんさとりに近付いてくる。すると、彼女の視界に強い雨の中を疾走してくる黒い影が写った。
鈴を鳴らしながら疾走する黒い影の正体は黒い毛並みを持つ二尾の妖猫だった。幻想郷なら大して珍しくない妖怪だ。
「お燐?」
『ようやく見つけたよぅ、さとり様。』
黒い妖猫はさとりの飼い猫であるお燐だった。
雨の中を走ってきたせいで、お燐の黒い毛はびっしょり濡れている。
「何かあったの?」
『実は・・・・・・』
お燐から事情を聞いたさとりは雨に濡れてしまうことも忘れて、自宅に向かって駆け出した。
~さとりの自宅~
「こいし!!」
雨の中を駆け抜けてようやく辿り着いた自宅の扉を荒々しく開けるさとり。
ご主人の帰宅に気付いたペットたちが総出で出迎えるが、“第三の眼(サードアイ)”が読み取る動物たちの声はとても慌てていた。
さとりは靴を脱ぐと、ペットたちの案内に従って妹の部屋に急ぐ。
「こいし!!」
バンッという音を立てて勢いよく扉を開くと、苦しそうに悶えている妹の姿が真っ先に目に入った。
「おねぇ、ちゃん・・・」
「こいし!! 大丈夫!?」
「大丈夫、じゃない、かも」
こいしは途切れ途切れに言葉を発する。
流行り病に掛かってしまったのか、こいしの体は酷く熱を帯びている。
しかも、残念なことに自宅に置き薬はない。薬を手に入れるには幻想郷の人里まで降りていく必要がある。
「お燐!! 私は人里まで薬を貰ってくるから、貴女は此処でこいしの様子を見てて。」
『き、危険すぎますよ!! 人里はただでさえ、妖怪には容赦しないのに!!』
確かに幻想郷に来る妖怪の数が多くなってから人里は妖怪をあからさまに敵視している。
そんな状態の人里に近づけば、退治されるのが関の山だろう。
しかし、人里以外で効果が高い薬が手に入る場所など幻想郷にはない。
そう・・・・・幻想郷には。
「夢幻郷・・・・・・」
『夢幻郷なら、薬があるかもしれませんが・・・・・・あそこも人里を越えないと駄目ですよ!?』
「このまま手を拱いてる訳にはいきません。
お燐、こいしのことは頼みましたよ!!」
さとりはお燐の制止の声を振り切って、雨が降り続く中夢幻郷に向かった。
一気に数百年後まで時系列を飛ばしました。
正直、〈ヤマタノオロチ異変〉の後の話を書いているとグダグダになりかねませんので。
一応、第5章となっておりますが、この章はあまり長くなりません。