第39話「土着神の怒り」
ヤマタノオロチ。
漢字表記では八岐大蛇や八俣遠呂智と書かれる。
日本神話に登場する伝説の生き物であり、八本の頭も八本の尾を持つ。
目はホオズキのように真っ赤で、背中には苔や木が生え、腹は血でただれ、8つの谷、8つの峰にまたがるほど巨大な怪物とされている。
しかし、須佐之男命の策略によって酔わされて眠った所を十束剣――天羽々斬剣で切り刻まれ、討伐された。
その時に天羽々斬剣が欠け、尾から一本の剣が出てきた。
幻想郷で人里に住まう子供たちが謎の失踪を遂げるという異変が起こった。
本殿から動けないゆかりの代わりにルーミアが栞に協力することになったのだが・・・・・・
「神話に出てくる蛇・・・まさか、さっきの子供たちは!!」
「ああ。このヤマタノオロチを召喚するための生贄になってもらったよ。」
ルーミアの目の前に居るのは、八本の尾と八本の頭を持つ巨大な怪物。
神話中の描写とは若干の差異があるが、ヤマタノオロチと見て間違いないだろう。
「天下の陰陽師が卑劣なことをするね。陰陽師は人の味方じゃなかったの?」
「ふん。人と妖怪の共存などと言う世迷いごとを掲げる奴は等しく敵だ。」
「そう・・・・・・」
刹那、ルーミアの体から闇があふれ出した。
敵の陰陽師が敷いた結界の影響下でありながら立ち上がり、ストームブリンガーを構える。
「さあ、これで貴女の結界に意味はない。覚悟は良い?」
とは言っても、ゆかりから貰った対結界用の御札の効果は長くない。
それまでにあの怪物と陰陽師を倒さないと面倒なことになる。
私の力で何処までできるかわからないけど・・・・・・・
「どんな妖術を使ったかは知らんが、妖怪風情がヤマタノオロチに勝てると思うなよ!!」
ヤマタノオロチは咆哮をあげてホオズキのような目でルーミアを睨む。
ルーミアは妖力で創造された漆黒の翼――《魄翼》を展開。
ストームブリンガーを手に陰陽師に切りかかる。
「ふん。」
刹那、ガキンッという音を立てて星型五角形の障壁とストームブリンガーが衝突する。
しかし、ルーミアは障壁を足場にして近くの樹の幹に飛ぶ。
さらにその樹を足場に陰陽師の障壁に長剣を突き刺す。
「無月・破砕!!」
拳全体を妖力で覆い、障壁に突き刺した長剣を思いっきり殴りつけた。
すると、障壁は音を立てて砕け散った。
すぐさまルーミアは《魄翼》を巨大な腕に変えて陰陽師を切り裂く。
――残念だったな。それは身代わりだ。――
巨大な腕は間違いなく陰陽師の体を切り裂いたが、飛び散ったのは紙の破片。
おそらく陰陽術の1種なのだろう。本体はヤマタノオロチの頭上に居た。
再び《魄翼》の形が高速形態の翼に変えて飛翔する。
「闇を集い集まりて、敵を撃ち抜く一筋の槍となれ!!」
ストームブリンガーに彼女が司る闇が集まって形を成す。
ルーミアの身の丈を軽く越える漆黒の槍だ。
「はああぁぁぁぁぁぁ!!!!」
気合を込めて槍を振るう。
敵の陰陽師は当然ながら障壁を展開するが、かなりの妖力を込めた一閃は防げなかった。
甲高い音を立てて障壁が破壊され、巨大な槍がヤマタノオロチに振り下ろされる。
しかし、その槍は見えない力によってはじかれた。
「なっ!?」
「やれ。」
ヤマタノオロチは口から水弾を吐き出した。
大きな攻撃の硬直で動けなかったルーミアは水弾の直撃を受けて吹き飛ばされた。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
水弾の直撃を受けて吹き飛ばされたルーミアは森の樹の枝に衝突しながらようやく止まった。
いつも着ている衣服はあちこち破けて、露出した肌に無数の生傷が出来ていた。
しかし、陰陽師の結界の範囲から抜けたことで本調子に戻ったルーミアの体はすぐに傷口を塞ぐ。
「まったく・・・これは面倒なことになったね。」
ルーミアの視線の先にはゆっくりとしたスピードで幻想郷に向かっていた。
ヤマタノオロチは地方によっては水神として崇められるような怪物だ。
一介の妖怪に過ぎないルーミア1人では太刀打ちできないだろう。
「ゆかりから貰った御札の残りは4枚。
結界を無効化できるのは私だけ。だけど、向こうにはヤマタノオロチが居る。」
闇雲に攻撃してもあの巨体だとあんまり意味がない。
そもそもヤマタノオロチに近づいたら対妖怪用の結界でうまく立ち回れなくなる。
となると、結界内でも動ける私が陰陽師を殺すしかないか。
「まあ、どっちにせよ私1人じゃあ無理か。
とにかく手伝ってくれそうな妖怪に片っ端から声を掛けてみようか。」
ルーミアはヤマタノオロチの視界に入らないように妖怪の山を目指した。
~八雲神社 境内~
幻想郷付近に現れたヤマタノオロチの姿は夢幻郷からも確認できた。
しかし、夢幻郷の住人たちは特に慌てるような素振りを見せることなくドッシリと構えていた。
夢幻郷の中心地でもある八雲神社の本殿では霊禍を初めとする守り手が揃っていた。
幻想郷と夢幻郷付近の森を一望できる境内からは当然ながらヤマタノオロチの姿も見える。
「はわわわ・・・ど、どうしましょうシアンさん!?」
「落ち着きなさい、ゆり。」
突如として現れたヤマタノオロチに五代目夢幻郷の巫女、水雲 ゆりはパニック状態に陥っていた。
しかし、霊禍やシアンディーム、葵はまったく動じていない。
「神話に登場する怪物の召喚か・・・・・・。
私の能力もどこまで通用するかは分からないわね。」
「ヤマタノオロチには私の呪いも効かない。
水神として信仰されてるから弱らせないと効果がでない。」
「幻想郷の方はかなり慌てているでしょうね。」
三者三様の反応を示す夢幻郷の守り手たち。
しかし、彼女たちには緊迫感というモノが欠片も存在しない。
ヤマタノオロチが幻想郷近隣に出現してから既に10分以上が経過している。
進むスピード事態は非常にゆっくりとしているが、いずれは幻想郷は滅んでしまうだろう。
「それよりも、ルーミアさんが心配ですね。
最初に連絡して来てから途絶えていますから。」
「そうね。ゆかりさんが復帰すれば、すぐに片がつくんだけど・・・・・・」
ルーミアは事の顛末を夢幻郷に居る面々に伝えた後、ヤマタノオロチに向かっていった。
敵の陰陽師と戦闘を行ったのは夢幻郷に居るシアンディームたちからも見えていた。
しかし、現在は嘘のように静かな状態が続いている。
それにも関わらずルーミアから連絡が完全に途絶えてしまっている。
「他にも陰陽師が入り込んでる可能性があるかもしれない以上、私たちもここから動くわけにはいかない。」
霊禍は淡々と言葉を並べる。
現在、亡霊である清姫が夢幻郷近くの森を捜索している。
今のところは仲間らしき陰陽師の姿は確認できていないが、警戒しないに越したことはない。
「あ~ようやく終わった。」
刹那、勢いよく本殿の扉が開けられた。
そして、三日間も本殿に篭っていた夢幻郷の土着神――八雲 ゆかりが焔月と蒼月を連れて出てきた。
霊禍たちは待ち望んでいた人物の登場に歓喜した。
「私が閉じこもってる間に随分と面倒な事態になってるわね。」
ヤマタノオロチの巨体を視界に納めたゆかりは言った。
「どうしますか?」
「決まってるじゃない。行くわよ、2人とも。」
「「はい!!」」
2人の姿が人間形態から刀剣形態に変わり、ゆかりの両手に収まる。
「霊禍、シアン、ゆり。貴方達はここで待機。
葵、付いてきなさい!!」
ゆかりは4人に指示を飛ばし、スキマを広げて戦場に向かう。
彼女の後を追うように従者である葵も無数の目が見つめるスキマ空間に飛び込んだ。
▼ ▼ ▼ ▼ ▼
スキマ空間を通って現実世界に戻ってきたゆかりが見た光景は酷いモノだった。
自由気ままに生い茂っていた木々がなぎ倒され、ヤマタノオロチが通った地面は抉れている。
さらに激しい戦闘が起こったことを物語るように幾つものクレーター。
そして・・・・・・
「みんな・・・・・・」
妖怪の山で杯を交わした鬼や天狗たちがあちこちで倒れている。
ヤマタノオロチを倒そうとして返り討ちにあったのだろう。
全員ボロボロで満身創痍な状態。
「ゆかり、か?」
「奉鬼・・・・・・。貴女のような大妖怪でも勝てなかったの?」
「ああ。皆を率いて自分の土地を守ろうとしたが、この様だ。」
鬼の王であり、ゆかりとも個人的な交流があった大妖怪。
頭部からは真っ赤な鮮血を流し、利き腕である右腕は完全に消失している。
さらに左足もありえない方向に折れ曲がっていた。
「アイツの目的は恐らく幻想郷に住む人と妖怪の全てを殺すことだ。
早く何とかしなければ大変なことになる・・・・・!!」
「分かってる。それから、ルーミアは何処に?」
「アイツなら・・・・・・あそこだ。」
倒木に凭れ掛かるように寝かされた奉鬼はある一点を指差した。
無数に転がる天狗や鬼の体――まだ辛うじて息がある――の中にルーミアの姿はない。
ルーミアは少し離れた樹に叩きつけられていた。
「ルー、ミア・・・・・・?」
ルーミアは奉鬼以上に酷い怪我を負っていた。
顔半分は酷い火傷を負い、右目は完全に潰れてしまっている。
火傷は右半身にまで付随し、ルーミアの衣服は無残に焼け落ちている。
さらに左腕は消失し、ゆかり特製のストームブリンガーは真ん中の方で折れてしまっている。
「あっ・・・ゆかり・・・・・・」
「大丈夫? ルーミア。」
「うん。ちょっとヘマしちゃったけど大丈夫。だけど、しばらく動けそうにないや。」
ははは、と苦笑いを浮かべるルーミア。
たったそれだけの動作だけなのに、とても苦しそうだ。
傷が回復していない所を見ると、妖力を使い果たしてしまっているようだ。
「ゆかりにみたいには上手くいかないもんだね。
ゆかりなら、皆も守りながらでも戦えるけど、私には無理だったみたい。」
「十分よ。ルーミアは十分役割を果たしてくれた。
だから、少しの間眠ってなさい。起きた時には全て終わってるから。」
「うん・・・・・・」
ルーミアはゆっくり頷いて、静かに瞳を閉じた。
ゆかりはルーミアを地面に寝かせるとスキマを開いて、シアンディームを引っ張り出した。
「ゆかりさん~、急な召喚は吃驚するから止めて下さいって言ったじゃないですか~」
「ごめん。それよりもけが人の治療をお願い。」
何とか平静を装うゆかり。
しかし、その心の中は怒りの炎がめらめらと燃え上がっていた。
親しくなった妖怪を守りつつ奮闘したルーミアの成れの果てを見たときから怒りの炎は燻っていた。
「凄い数ですね。私1人で何処まで出来るかわからないですが、最善の手は尽くします。」
「うん、信頼してるよ。」
「ゆかり様!!」
刹那、ヤマタノオロチと敵の陰陽師の様子を見に行っていた葵が戻ってきた。
「葵、どうだった?」
「アイツ、先に人里の方を殲滅するつもりみたい!! 今は人里から少し離れた湖に差し掛かってる!!」
「そう・・・・・・」
ゆかりは蒼月を鞘に戻して、焔月のみを手に握り締めた。
「焔月。試作段階の“アレ”、行けるよね?」
《はい。ですが、下手をすると幻想郷の自然を破壊してしまうことをお忘れなく。》
「分かってる。」
静かに目を閉じて、その身に宿した神力を解放するゆかり。
同時に焔月から圧倒的熱量の炎が立ち上る。
「八雲式神術、烈火之纏!!」
立ち上った炎は凝縮され、ゆかりはその炎を纏う。
衣服の先端に炎が灯り、ゆかりの髪の先端にも茜色の炎が灯る。
不思議なことにその炎は衣服や髪を燃やすことなくきらめいている。
「さて、うちの家族や友人に手を出した落とし前を付けてもらわないといけないわね。」
ゆかりは地面を蹴り、ヤマタノオロチの後を追った。
霊禍の死の呪いは神力を持つ者に対して、効果が薄くなります。
かなり弱らせた状態なら、可能です。
さて、幻想郷が崩壊の危機に瀕しているのに紫は何処に居るのだろうか?