第19話 「異変」
~夢幻郷 人里~
八雲神社の麓にある人里。
数十年前に夢幻郷に移住してきた人々とその子孫が暮らす人間の里。
いつもは活気に満ちているその人里は嘘のように静まり返っていた。
季節はもう少しで秋に差し掛かり、農業を生業とする人里の人間たちは忙しくなる。
しかし、その年は珍しく全員が自宅で大人しくしていた。
「今年はどうしたんでしょうか?」
「そうね。このままだと、田畑が荒れ放題ね。」
人気の無くなった人里を歩く2つの人影。
八雲神社の巫女、水雲しいなと湖の精霊シアンディームの2人だ。
彼女らは人里の異変を嗅ぎ付けて調査しに来たのだ。
「ゆかりさんなら、何か知ってるかと思うけど・・・・・・」
「でも、ゆかり様ならすでに何かしらの対策を採っている筈では?」
「それもそうね。」
そんな会話を交わしながら人里を歩くしいなとシアンディーム。
そして、ちょうど南の森との境界で人影を見つけた。
「シアンさん、あそこに誰か居ます。」
「うん。背中に羽があるから、妖精みたいだけど・・・・・・」
「「・・・・・・様子がおかしい」」
しいなとシアンディームの声が重なった。
2人は見つけた妖精は足取りが非常にふらついており、いつ倒れてもおかしくない状態だった。
そして、バタンッと妖精が倒れたのはその直後だった。
「大丈夫!?」
2人はいきなり倒れた妖精に駆け寄った。
植物のような深緑の髪に妖精の証である揚羽蝶のような半透明の翼。
しかし、その翼はボロボロで、髪も所々黒くなっている。
「酷い怪我ね。これだけ傷を負えば、普通は一回休みになるのに。」
そう言いながら、シアンディームは両手を傷ついた妖精に当てる。
すると、その妖精の身体を淡い光の膜が包み込んで、傷を癒していく。
シアンディームの能力は「傷を癒す程度の能力」。
その名の通り、他人や自分の傷を癒すことができる能力である。
しかし、それは肉体的な傷にのみ作用。なので、心の傷など精神的なものには意味を為さない。
「これで大丈夫でしょう。」
「シアンさんの能力って、便利ですよね。
私の能力なんか、今は自己強化ぐらいしか使えないですし。」
「その代わり、私は後方支援しかできないわ。
それに引き換え、貴女はゆかりさんの隣を一緒に歩むことができるわ。」
2人がそんな会話を交わしている時、バサッバサッという羽音を立てて、何者かが背後に降り立った。
「あら、黒蘭。どうしたの?」
「八雲からの連絡よ。すぐに神社に戻ってきて欲しいって。」
「ゆかりさんが? 分かったわ。」
シアンディームがそう返答すると、黒蘭は大空に舞い上がった。
その後、2人は意識を失ったままの妖精を連れて八雲神社に戻った。
~八雲神社~
人里に下りていたしいなとシアンディームは居間に集められた。
2人が助けた妖精はルーミアが客間に連れて行った。
「急に呼び出してどうしたんですか?」
「さっき、里長から事情を聞いてね。貴女たちにも話しておこうと思ってね。」
ゆかりの顔はいつにもなく真剣な表情だ。
そんな彼女の様子から今回の事態が深刻なものだということを物語っていた。
「先日、妖精がいきなり人を襲ったらしい。
襲われた人は命からがらに何とか逃げ出したみたい。」
「妖精が、人を、ですか?」
夢幻郷の妖精と人間は共存共栄関係にある。
妖精が自ら人間に危害を加えることなど滅多にない。
「うん。この夢幻郷ではありえないこと。
だけど、里長は気になることを言ってたの。
その妖精は正気ではなく、まるで何かに操られているようだった、と。」
「つまり・・・・・・」
「今回の騒動は何者かが意図的に起こしたものだと言う事。」
そう言うと、ゆかりは立ち上がった。
その手には鞘に納められた刀剣形態の蒼月と焔月。
「私はこれから人里に下りて、敵を誘い出す。
2人は此処に居るように。人質にでも取られたら、私は何もできなくなるから。」
八雲神社には特殊な結界が施されている。
龍脈を不用意に悪用されないために八雲神社の周囲にひかれた結界は妖怪や悪意を持つ者に反応するようになっている。
その結界に引っかかった者は容赦なく弾かれるようになっている。つまり、入れない。
なので、結界が壊れない限り八雲神社が一番安全なのだ。
なお、ルーミアや黒蘭は結界を通り抜けれるように御札が渡されている。
「ゆ、ゆかり様!!」
「なに?」
「わ、私も連れて行ってもらえないでしょうか?
私なら最悪の場合、自分で自分の身を守れますし・・・・・・」
「・・・・・・そうね。しいなも荒事の経験を少しは積んでおかないといけないし。」
少しだけ悩んだ後、ゆかりはしいなの同行を認めた。
鞘に入った焔月と蒼月を腰に差して、2人は八雲神社から飛び立った。
目指すは人里の南側にある妖怪の森。
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
八雲神社から飛び立つこと、3分。
ゆかりとしいなは妖怪が出没する人里の南の森にたどりついた。
夜には低い獣の声がよく聞こえる森だが、まだ太陽も高い時間なので酷く静かだ。
「ここに件の妖精が居るんですか?」
「確証はないけどね。」
そこに妖精が居るという確証もないが、2人は森の中へと入っていく。
相変わらず人の手が入り込んで居ない森は太陽の光が差し込んでいるにも関わらず薄暗い。
所々地面から太い樹の根っこが飛び出ていたりして、足場も危険だ。
「それにしても、妖精を操るなんてことができるのでしょうか?」
「持ってる能力にはよってはできるよ。
私も似たようなことができるけど、直接触れないと駄目だし。」
「そういえば、ゆかり様の能力は・・・・・・」
「私の能力は“境界を操る程度の能力”。結構応用が利くから重宝してるよ。」
「何か、凄そうな能力ですね。」
そんな暢気な会話を交わしていると、ゆかりがいきなり焔月と蒼月を抜いた。
自分の相棒を引き抜いたゆかりは自然体のまま森の奥を見つめる。
「しいな、気をつけて。奴さんが出てきたみたいだよ。」
「!?」
ゆかりの視線の先に広がる闇。
その中から這い出てくるように一人の妖精がおぼつかない足取りで現れた。
顔は俯いているので分からないが、その手には漆黒の禍々しい剣が握られていた。
妖精の特徴でもある羽は黒く染まりきっており、露出している肌にはミミズのように黒い線が這っていいる。
(やれやれ。これは厄介なことになりそうだ。)
ゆかりは心の中で呟いた。
最近ルーミアの出番が少ないような気がする。