僕らは三人の僧人に連れられて、中栄寺にやって来ていた。
正門をくぐると、石庭の真ん中を貫いて白い道が伸びていた。石庭に散らばる落ち葉と道とが、薄闇の中で光を発しているように見えた。
年嵩の僧人が灯篭の脇を通って寺の中に入っていってから、僕らはしばらく待たされた。若い僧人と髭面の僧人は一瞬の隙もなく樫の枝を構えていて、僕らが少しでも口を聞こうものなら、私語は慎めと低い声で告げるのだった。
そうこうしているうちに、年嵩の僧人が戻ってきた。僕らは引き立てられるようにして道の上を歩かされた。樹木に囲われて黒々とした中栄寺の輪郭に小さなからだが押し潰されるようだった。
軋む階段を登ると、左右に開いた木の扉の奥から、真っ黒な闇が口を開けていた。
草鞋を脱いで鴨居を潜ると、ひんやりとした空気が鳥肌を起こさせた。影で皆の顔も黒く染まってしまっていて、ひどく心細い。
床に裸足の脚をつける度に、張り付くような悪寒がぶるぶると体を通り抜ける。まるで土か水の上を歩いているように冷たかった。
やがて年嵩の僧人は、一枚の襖の前で足を止めた。夕食をつくるから、ここで休んでいるように。そう告げると、三人連れだって廊下を戻って行った。
僕は恐る恐る襖を引き、敷居を跨いで真っ暗な部屋に脚を踏み入れた。何の変哲もない和室だった。床は畳張りで、向かい側の襖の上には欄間の窓が開けられている。
「どこをほっつき歩いてたんだ」
全員部屋に入るなりナラズミが、怒気をはらんだ口調でヒサグを問い詰めた。ヒサグは引き結んだ唇をゆっくりと解き解して、か細い声をだした。
「言わないで」
「はぁ?」
「どうせ皆、私が悪いって思ってるんでしょ」
ヒサグは頭を抱えて呻いた。僕も何か言葉をかけてやろうと思ったが、うまく言葉が浮かばなかった。
「糞、どうすんだよ」
闇の中から太い声がした。遅れてナラズミが喋ったのだと気付く。
「とりあえず、泊まっていったらいいんじゃないかな。ご飯だって作ってくれるみたいだし」
これはスクの声だろうか。即座に、ナラズミが怒鳴り返した。
「馬鹿、何だってあいつらを信用できるんだ」
「ええ、なんで」
「中栄寺には法級から連絡が入ってるはずなんだぞ。俺らだけを泊めるなんておかしいだろうが」
「きっと僕たちが話を聞いたからだ」僕は唇をすり合わせて声を発した。「そうに決まってる。きっと、何か聞かれちゃまずいことを話してたんだ。だから」
「ツガクか!」やや興奮しているのか、ナラズミが大きな声を出した。「ツガクが逃げたとかいう話、あれか」
「ちょ、ちょっと待ってよ。それってどういうこと?」
「そんなでかい声を出すな、ナラズミ。聞こえるだろうが」僕は声をひそめた。「とにかくそれは、間違いないと思う。だからきっと、口封じのために僕らを……消すつもりなんだ」
静寂が走った。
言い終わってから、言葉の重みがのしかかってきた。気付けば膝が震えていた。
「殺す……ってこと?」スクの声は余りにも無垢で純粋で、僕らを覆う闇にも重みを含んだ言葉にも似つかわしくないものだった。
「いや、もちろんそうじゃない可能性もあるかもしれない。だけども……」
「セブキ君」
僕の言葉を遮るようにして、ヒサグの声が覆い被さって来た。
いつもの凛とした調子とは打って変わって、暗く沈んだ感じの声だった。
「セブキ君は私のこと嫌いなの?」
耳を塞ぎたい気分だった。
「いや……別にそんなわけじゃ……。とにかく今はそんなことを話してる場合じゃないんだ」
「そんな話って何よ」ヒサグは言った。しまった、と思った。「大体いつもセブキ君はそうだった。私のことなんてどうでもいいんだ。セブキ君だけじゃない。みんなみんな。馬鹿みたい」
嗚咽が続いた。わからない。何がそんなにヒサグの気に触れたのだろうか。何もかもがわからないことだらけで、僕は徒労感に押し潰されそうだった。
「ヒサグ、とりえあず落ち着いて」僕が言いかけた時、襖が横に開くするっという音がした。闇の奥に薄ぼんやりとした光を纏って、さっき会った若い僧人が突っ立っていた。
表情はうかがい知れなかった。ただ一言、食事だ。そう告げて盆と蝋燭を床几の上に置くと、すたすたと立ち去って行ってしまった。
僕らは気圧されたようにして彼を見つめていた。息のつまるような一瞬ののち、互いに顔を見合わせあった。蝋燭の薄明かりに照らされた級友の顔は、皆能面のような無表情だった。
それでも、人の顔が見えたことで大分気分が安らいだようだった。僕はヒサグの冷たい視線を感じつつも、盆に置かれた惣菜に手を伸ばした。
「待ってセブキ」スクが言った。
「なんだ、スク」
「もし本当にセブキの言う通り、あいつらが僕たちを始末しようとしてるんだとしたら、これには手をつけない方がいいと思う。その、毒が入ってるかもしれないから」
言われて初めて気付いた。疲れのせいか注意力が散漫になっているようだ。僕は自らを恥じて、手に取った箸を盆に置き直した。ナラズミがこんなものいらねえ、と吐き捨て欄干から椀の中身(汁と惣菜、それに漬物)を外に放ってしまった。
それから僕らは十分くらい、思い思いに畳に寝転がって休み始めた。話したいことは色々あったけれど、何だか疲れてしまっていた。もう寝よう、というのは四人の総意だったようで、僕らは蝋燭の明かりのもと静かに目を閉じた。
襖の向こうからにじり寄るような足音が聞こえてきたのは、ちょうどその時だった。あの冷たい床を擦る足音は次第に大きくなってきて、やがて部屋の前でぴたりと止まった。
襖はぴったりと閉じられていて、相手の姿はうかがい知れない。僕はばくばくと波打つ心臓を必死に抑え、息をひそめた。
首を向けたいが、我慢する。
襖一枚隔てた向こうで音がした。襖がゆっくりと滑った。実体のない闇が忍び込んでくるようだった。
僕は反射的に目を閉じた。
僧人は二人いるようで、部屋の中を歩き回る足音だけが頭の後ろの方から聞こえてきた。
永遠にも思える時間が過ぎていった。
僧人は一通り部屋を調べ終わったのち、中央の床几のもとに座ったようだった。しばらく息をひそめて出て行くのを待っていると、出し抜けに、地の底から響いてくるように僧人の声が聞こえてきた。
あの若い僧人と、髭面の僧人に相違なかった。
「……全部食べたようだな」
「死んだだろうか」少し不安げな、若い僧人の声。
「いや、菌が完全に回るまでにはまだ時間がかかる」髭面の僧人の声。「明朝にまた、様子を見にいこう」
それからしばらく、取り留めのない話が続いた。主に寺の上層部に対しての愚痴や、寺子の修行態度がなっとらん、といったものなど、話題は多岐に及んだ。
立ち去る間際、若い僧人が、仲の良いもの同士が遊びの約束をする時のような軽い調子で言った。
「死体はどうしようか」
「森にでも捨てて置けばいいだろう」
髭面の僧人が、同じく、軽い口調でそう返した。
襖が閉じられて、再び部屋に静寂が戻って来たけれど、もうそこには平穏はなかった。僕は彼らが立ち去るのを十分に待ってから腰をあげ、言った。
「逃げよう」