Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《諸君、緊急事態だ。偵察隊より、ラティオ軍の大規模戦爆連合が敵前線から飛び立ったとの情報が入った。諜報部の情報およびその進路から、攻撃目標は連合軍統合作戦本部が布陣するラティオ西郡ヴァーレ・トリッツァ平原と推測される。折しもヴァーレ・トリッツァには『テュールの剣』攻略に向けた陸軍部隊の主力が集結しており、爆撃を受ければその被害は計り知れない。対空兵器の配備も遅延しており、迎撃能力は無きに等しいのが現状だ。
頼りは諸君ら戦闘機部隊しかいない。諸君はただちに出撃し、ウスティオ空軍機と連携してラティオ戦爆連合を邀撃せよ。空域にはウスティオの空中管制機と空中給油機も派遣される。戦闘行動時にはウスティオ空中管制機の指示に従え。
ラティオの爆撃機を1機たりとも通してはならない。諸君らの奮闘に期待する。》



第8話 ラティオ西郡迎撃戦(前) -Sky High-

 「…たった、これだけか…」

 

 銀翼の眼下、遠い大地の背景に灰色を映えさせる機影を数え終えて、最初に口を突いたのはその言葉だった。

 機数、わずかに7。それも漏れなく機体にはいくつもの銃創が刻まれており、煙を噴く最後尾の1機に至っては今にも墜落しそうな様にすら見える。

 降って湧いた、ラティオ軍による大規模反攻攻撃の情報。同盟国ウスティオとの連携を待たずして、レクタ独自に派遣された邀撃部隊の成れの果てがこの姿だった。事前のブリーフィングによれば、第一次邀撃隊は新たに導入された最新鋭機『グリペンC』を加えた計28機。それが、実に四分の一にまで減少し、落ち武者さながらの姿となって撤退するこの光景は、エリクにとって大きな衝撃だった。

 

 こちらと入れ違い、レクタ領内へと飛んでゆくそれらを目で追いながら、同時にこちらの後方や左右に翼を翻すいくつもの機影へと目を走らせる。

 レクタ第二次邀撃隊として派遣されたのは、総勢18機。先頭をスポーク隊の『タイガーⅢ』2機が行き、そのすぐ後方にエリクが属するハルヴ隊の『クフィルC7』4機が続く恰好である。左右両翼にも、それぞれ『クフィルC7』4機ずつから成る2小隊が並び、部隊の最後方には『グリペンC』4機が続くという編制となっていた。

 機数こそ第一次邀撃隊より少ないものの、主として本土防空の迎撃任務に当たっていた第一次邀撃隊と比べ、開戦前後から前線の防空に当たっていた自分たちはいわば練度に優れた百戦錬磨の部隊と言えなくもない。おまけに、今回はウスティオ空軍との共同作戦となるため、実質的な機数は倍以上になる計算である。場数を踏んだ自分たちの存在と、少ない機数を練度で補うウスティオ軍機の存在があれば、第一次邀撃隊と同じ運命に陥ることは無いに違いない。

 そう強引に予見を結んだ自分が、気づけば藁にも縋りたい思いでいることに気づき、エリクは思わず舌打ちをした。逼塞していた敵軍の決死の大反攻、そして立ちふさがった友軍部隊の敗亡。その様を目にして、曲がりなりにも勝ち進んで来たレクタの運命に不安を抱いているとでもいうのか。

 

 ふぅっ。酸素マスクの内側で、エリクは深く息をつき、余計な存念を頭から追い払った。

 後方警戒ミラーの中に映った、煙を噴いた『ミラージュF1』が墜落してゆく様を、極力視界に映さないようにしながら。

 

 雲量1、快晴。14時を少し回った真昼の空は、果てなく明るく広い。10月に入り、秋の穏やかさを纏った空気は空の上でも変わることは無く、空をも埋める大編隊が迫っている逼迫など微塵も感じさせなかった。遠方まで見渡せるのは迎撃において有利にも働く反面、雲に隠れて爆撃機への奇襲を行うといった搦手は使いにくい。爆撃する側にしても、目標が雲で覆われる曇雨天では都合が悪いと判断したのだろう。晴れ渡ったこの日を狙って万端に準備を進め、乾坤一擲の語に相応しい大部隊を送り出したラティオの意気は、推して知るべしという所だった。

 

 そもそも、この戦争において、ラティオは初戦を除き敗退を続けて来たと言える。

 開戦直後の電撃戦はレクタ・ウスティオそれぞれで食い止められ、返す刀の逆電撃戦でラティオ西郡の防衛線は次々に突破。レーザー兵器『テュールの剣』で辛うじて進軍を食い止め、戦線を膠着させるのが精一杯の状態にあったのだ。

 防戦一方の状況を、『テュールの剣』を(てこ)に挽回したいラティオの事情。その状況に情勢が拍車をかけたのは、つい先日のことだった。

 先日――すなわち2010年10月4日。目下攻勢を受けていたオーシアの最西端たるサンド島に、ユークトバニア揚陸部隊が上陸作戦を敢行したのである。9月27日の開戦以来、攻勢を仕掛けつつも有効な打撃を与えきれていなかったユークトバニアが業を煮やし、オーシア本土へ直接橋頭保を築くべく先手を仕掛けた形だった。サンド島を護る部隊は僅かな航空部隊に過ぎず、対してユークトバニア軍は10隻以上の護衛艦艇と強襲揚陸艦に加え、噂の最新鋭戦闘潜水空母『シンファクシ』まで投入するという念の入れようだったという。その戦いの帰趨は、自ずと明らかだった。

 

 だが。その大方の予想は見事に裏切られた。オーシアの誇る大気機動宇宙機『アークバード』の戦線投入、そしてサンド島航空部隊の決死の抵抗により、ユークトバニア揚陸部隊はことごとく壊滅。満を持して投入された『シンファクシ』も撃沈の憂き目に遭い、ユークトバニアによる上陸作戦は部隊の全滅という結末に至ったのである。

 予想を裏切った同盟国の勝利に、オーシアのみならずレクタも沸いた。翌日の朝刊の第一面にはその報がでかでかと載り、レクタの国威発揚に一役買ったほどである。

 忙しさにかまけて詳細までは読み込んではいないが、エリクの印象に残ったのはサンド島海岸に漂着した『シンファクシ』の残骸、そして防衛を担ったサンド島飛行小隊の写真だった。彼らの乗機なのだろう、犬のエンブレムを施されたF-5E『タイガーⅡ』と、それを背にした4人の男女。真ん中の一際大柄な男が隊長なのだろうか、太い左腕には青年が抱え込まれ、右腕は後ろに立っている男の顔を隠してしまっている。そしてその傍らには、呆れたような、あるいは見守るような、落ち着いた目をした女の姿もあった。いずれも概して若く、その戦績も相まって、読者の印象にも好ましく映ることだろう。何よりエリクには、『仲間』を印象付ける気の置けないその距離感が、一際印象に残っていた。

 

 ともかく、この戦闘の結果は一局面の勝利に留まらず、オーシア・ユークトバニア間の戦局にも大きな影響をもたらした。これまで対オーシア戦の主軸を担っていた『シンファクシ』の喪失に伴ってユークトバニアの攻勢が止まり、オーシアに戦線を構築する余力が生じたのである。

 周知の通り、オーシアはウスティオやレクタと、ユークトバニアはラティオと同盟を結んでいる。オーシアとユークトバニアの力関係の微妙な変化が、オーシア東方諸国にも影響を与えるのは最早当然の帰結だった。すなわちラティオ側においてはユークトバニアからの支援の遅延という課題が、ウスティオ・レクタ同盟においては『テュールの剣』攻略に向け『アークバード』投入の可能性が生じたのである。

 膠着を続ければ、やがて不利を免れなくなる。ラティオの抱いた危惧はまさにそれであり、その打開のために出せる限りの航空戦力を投入するというのはある意味で常識的な判断だったと言える。この機に集中したレクタ・ウスティオ連合の陸軍主力を殲滅できれば、戦況を五分以上に戻すことも可能だからだ。

 

《…聞こえるか、こちらウスティオ空軍第6航空師団所属、空中管制機『イーグルアイ』。接近中のレクタ軍機へ、指揮官の所属およびコールサインを知らせ》

 

 甲高く、それでいて落ち着いた声が、エリクの内省に終わりを告げる。事前情報にあったウスティオ軍の空中管制機だろう。まだ『クフィル』のレーダーにそれらしき反応は無いが、こちらの存在を遠方から正確に捉えている辺り、その電子性能の高さが窺い知れた。

 

《こちらはレクタ空軍第5航空師団第99教導飛行隊、スポーク1。貴機の誘導に感謝する》

《了解した。イーグルアイよりスポーク1、ラティオ戦爆連合が防空エリア内に接近しつつある。ただちに方位095へ変針し、展開中のウスティオ軍機に合流されたし》

《了解。レクタ各機、本機に続け》

 

 アルヴィン少佐の『タイガーⅢ』が僅かに機首を右へと傾け、パウラの『タイガーⅢ』、ロベルト隊長の『クフィル』がそれに続いてゆく。エリクもそれらに倣い操縦桿を傾けながら、視線は二つ前のパウラ機を追っていた。

 見る限り旋回の様子は常通り、本人の言う通り負傷も特になく、これといった不安要素は見て取れない。先日の作戦で『テュールの剣』による攻撃を受けて機体を中破させたパウラだったが、元々の技術面では自分を上回ることもあり、万一の心配も杞憂に終わりそうだった。唯一異なる点といえば、緑主体のダズル迷彩を施されたアルヴィン機と異なり、その機体が灰色一色の塗装に留まっている点くらいだろう。教導隊が保有する予備機を回してもらったとのことで、急拵えの配備である以上、この点は仕方のないことだった。

 

 機体を奔らせ十数分、雲一つない蒼穹に、黒い影がぽつりぽつりと浮かび始める。やや大型の機影のみ、はじめは少数。距離を詰めるにつれ、その周囲の小さい機影も徐々に捉えられるようになってくる。ざっと見渡した限りだと、電子戦機や空中給油機と思しき大型機が2機、戦闘機16機という所だろうか。戦力で言えばレクタ軍と同数で、迎撃戦力は倍増する勘定になる。

 

《ウスティオご自慢の精鋭部隊か。頼もしいねぇ》

《空中管制機の存在も有難い限りですね。これだけの数だ、連携も大変でしょうから》

 

 ウスティオ編隊の隣に並び、隊長とヴィルさんのやりとりに耳を傾けながら、エリクもその様子を顧みる。背中に大型のレーダーレドームを乗せた、おそらく『イーグルアイ』と思しき管制機――E-767を中心に、周囲を囲む戦闘機は大きく分けてわずか2機種。高額な高性能機を少数と、安価でコストパフォーマンスに優れた主力機の混成――いわゆるハイ・ローミックス構想を徹底してウスティオ空軍は構成されており、他国と比べてそもそも機種が少ないのが特徴である。この時も、編隊先頭のF-15C『イーグル』4機を除き全てF-16『ファイティング・ファルコン』系列で構成されており、一般的なウスティオ軍という様相を呈していた。軍の一部を傭兵で賄っているという点と併せ、このような軍編制の特徴は『ベルカ戦争』当時から変わっていないという。

 

《イーグルアイより連合軍各機へ。これよりラティオ編隊迎撃を開始する。敵編隊は高度3500前後を飛行中、大型機10、小型機28で構成されている。さらに高度4500にも小型機4を確認。各隊は高度4000へ移行し前進せよ。バハムート隊、ならびにメイス1から8は先攻し、敵護衛機を爆撃機から引き剥がせ。メイス9から12は上空の4機を排除したのち空戦域に合流せよ。レクタ各隊は敵爆撃機への攻撃に専念されたし》

《こちらバハムート1、了解だ。イーグルアイ、遅刻してる連中に伝えておいてくれ。お前達が遅いから先に頂いちまうぞってな!》

《こちらスポーク1、了解した。ウスティオ機に続いて攻撃を実施する。レクタ各機、いいな》

 

 戦闘に巻き込まれかねない空域に、無防備な空中管制機を置く訳にはいかない。『イーグルアイ』と空中給油機を後に残し、連合軍の戦闘機は一様に機首を上げて高度を取りながら、接近しつつあるラティオ編隊へと鼻先を向けていった。合わせて34機もの戦闘機がひと塊となって統制行動を取る姿は、流石に圧巻である。ベルカ戦争以降軍縮が進んでいた各国のことを思えば、これほどの部隊はおいそれとはお目にかかれないことだろう。

 

 ――しかし。

 時間にして、わずか数分。やがて目の前に現れたラティオ編隊は、そんな偉観すらも小さく見えるほど、想像を超えたものだった。

 

《……なんて、数…。あれが、全部敵だなんて…》

 

 通信に思わず零れた、クリスの声。私語を挟んだクリスを窘める声一つ聞こえないのは、全員がその様相に圧倒されていたためだろう。

 事前情報通り、敵は大型の4発爆撃機を中心にした38機、そして離れて頭上に4機。いずれも遠く機種は窺い知れないが、大型の爆撃機が加わっている関係上、その編隊規模は数以上に大きくも見える。戦闘機の数だけ見ればこちらが上だが、その強みも相手の機種や技量次第ではどうなるか分かったものではない。

 

 敵編隊が眼下に近づく。頭上の4機は後方の『イーグルアイ』を狙う積りなのか、下方に位置するこちらを素通りする挙動を示していた。それに反応して機首を上げた左翼の4機は、おそらく先程指示を受けていたメイス隊のF-16だろう。相対している互いの体感速度は速く、その距離は瞬く間に長距離ミサイルの有効射程範囲を割ってゆく。

 

《バハムート、メイス各隊、かかれ!》

 

 セミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)とともに放たれた声。それに弾かれるように、左翼側のウスティオ軍機は一斉に機体を翻し、眼下の敵編隊へ向けて殺到した。

 先行したSAAMにラティオ機の1機が撃ち落とされ、真正面から放たれた空対空ミサイル(AAM)をもろに受けたF-16が四散する。F-15Cが敵編隊を断ち割り、閃光と白煙が錯綜する。飛び交う砲火の応酬に、先ほどまでの整然とした編隊は一変して、一瞬にして混戦の渦へと飲み込まれていった。倍する敵にも関わらず統制を乱しおおせた辺り、流石は練度を誇るウスティオ軍と思わせる手並みである。

 

 ウスティオ軍機が敵編隊を突っ切る。左右両翼に分かれた護衛機があるいは追い、あるいはこちらへ機首を向けて来る。既に敵機は遊撃の体勢に入り、爆撃機に張り付いているのは僅か4機程度に過ぎない。大柄の爆撃機と、こちらを指す護衛機。その間に生じた『穴』が、エリクの目にもはっきりと映った。

 

《レクタ各機、突撃!目標、敵爆撃機!》

《敵さんは『ベアH』か!食い過ぎて腹壊すなよ!》

 

 アルヴィン少佐の声とともに『タイガーⅢ』から増槽が捨てられ、左へ傾いた小柄な機影が急降下してゆく。エリクは同様に増槽を捨て、左下方へと傾いた機体からその敵の姿を見やった、

 急な後退角を描いた主翼に、左右二つずつ設けられたエンジン。その先端に回るプロペラは、その機構が今頃珍しいレシプロ形式――正確にはターボブロップエンジンであることを如実に物語っている。間違いなく、その姿はラティオが保有する大型爆撃機、Tu-95『ベア』。ロベルト大尉の言葉によるならば、その中でも新鋭型のTu-95MS『ベアH』だろう。10tを優に超える兵装搭載量、そしてその機数を考えれば、まともに攻撃を受ければヴァーレ・トリッツァの駐屯地など容易に壊滅してしまう。

 

 通す訳には、いかない。今更ながらの決意一つ、エリクは照準の先に横たわる機影を視界の中心に捉えた。真正面から迫る敵機は12機、2枚羽根の尾翼はMiG-29『ファルクラム』か、Su-27『フランカー』系列か。機種を確かめる余裕もなく、エリクは操縦桿を右斜め手前へ引き、同時にフットペダルを和らげる戦闘機動――バレルロールで以てその矛先を回避した。後方で爆発の光が生じたが、それを確かめる余力はない。

 敵戦闘機と馳せ違う。

 『穴』の最中へ機体が飛び込む。

 狙うは、前から2番目の『ベアH』。レシプロ機では最速と謳われる機体といえども、音速を越える『クフィル』とは元より速度が違う。斜め上からの攻撃という直撃を期し難い相対位置でも、低速の相手ならば命中は容易に違いない。

 距離、1500。1200。1000。今まで相手にしたことのない大型の機影に、ややもすれば距離感が狂いそうになる。

 この際、目は頼りにならない。距離が900を割り、『クフィル』が上げたロックオンの声を頼りに、エリクは操縦桿のスイッチを押した。

 機体から放たれ、直進する2筋の白煙。それを追う間もなく、エリクは操縦桿を引き上げ、急降下から右斜め上昇へと機動を変えた。敵編隊の下方へ抜けるのが一番安全ではあったが、高高度迎撃戦で迂闊に高度を失えば、以降の追撃に支障を来しかねない。高度計の針が数を刻む最中、振り返ったその後方では、ミサイルの直撃を受けた『ベアH』が3機、ゆっくりと高度を落としてゆく様が目に入った。

 

《敵護衛機反転。スポーク1より各機、散開。各個に追撃を続行する》

《ハルヴ1了解。ハルヴ各機、2セルで行く。絶対に2機体制を崩すな、敵は山ほどいるぞ!》

「了解…!クリス、後ろに就け。何かあったらすぐに言えよ」

《分かりました!絶対に先輩の後ろは取らせません!》

 

 言うようになったもんだ。後輩の意気込みに思わず呟きながら、エリクは『クフィル』の小柄な機体を右旋回させ、爆撃機編隊の後方を取るべく機首を翻した。これで、残存機は残り9機。戦場を俯瞰すると、先程ウスティオ機を追っていた敵護衛機も空域に戻っており、そこへ再び乱入したウスティオ機と併せて、戦場は乱戦の様相を呈し始めていた。上空、下方、左右、前後。その全てにいずれかの戦闘機が舞い、絶えず火線と爆炎を刻んでいる。

 60機に迫る多数の機体が入り乱れ、命を削り合う空。これほどの大規模な空戦は、エリクのみならず両軍の兵士にとっても初めての体験だっただろう。

 

 狙うべき獲物は、どれだ。交錯する空の中で、エリクは目を走らせる。ウスティオのF-16に散らされたMiG-21か、友軍の『クフィル』を追うSu-27か、それとも『グリペンC』とドッグファイトを演じ隙だらけのMiG-29か。追わんとする連合軍と、それを懸命に食い止めるラティオ軍機の乱舞。規則性のない渦のようなその空間から、2機の機影が抜けたのはその時だった。

 ウスティオの国籍マークが施された、2枚尾翼の大型の機体。遁走するTu-95MSを追うその2機に気づいたのか、護衛機2機が旋回してその背を追いつつある。切り欠いたデルタ翼を持った、レクタ機とは異なるあの意匠は間違いない。

 

「ウスティオの『イーグル』…!まずいな、優位を取られてる。クリス、急ぐぞ!」

《わ…分かりました!》

 

 フットペダルを思い切り踏み込み、生じた加速に体がシートへと押し付けられる。周辺の空戦を後に残し、エリクとクリスは『クフィル』の加速を活かして、追撃するその背を追った。

 『イーグル』の背を追うのは、2枚の垂直尾翼と尻尾のような長いテイルコーン、すらりと伸びた機首を持った大型の戦闘機。機体形状からSu-27『フランカー』系列と見られるその2機は、『イーグル』の後方斜め上空に占位し、徐々に距離を詰めつつあるようにも見える。後ろから頭を押さえられる不利を強いられる位置だが、おそらくウスティオのパイロットもそれを承知の上で爆撃機を追撃しているのだろう。敵の護衛機が友軍を押しとどめている今、誰かが追撃を仕掛けなければ『ベアH』に振り切られるのは明白、という訳である。

 だが――『フランカー』が『イーグル』を射程に収めるのに、果たして間に合うだろうか。

 

「く、流石に速いな…」

《…ッ!せ、先輩!後方敵機2!》

「何!?…くそ、こんな時に…!」

《一旦回避しましょう!このままじゃ二人とも…!》

 

 唐突に入ったクリスの声に、思わず舌打ちが漏れた。顧みた後方には、確かに小さな機影が二つ。機種は判然としないが、その進路は明らかにこちらを指向している。友軍機を追うこちらの排除を目論んでいるのは、考える間でもなく明白だった。

 回避のために左右に分散すれば、矛先をかわすのは容易である。だが、一旦速度を緩めてしまえば、『ベアH』はおろか、背を追われている『イーグル』に追いつくことすらままならなくなる。唯一敵の防衛網を抜けたあの2機は、言うなれば希望。ここで失う訳にはいかなかった。

 ならば。

 

「駄目だ、ここで緩めたらあの2機がやられる!…クリス、『奥の手』を使う。サンドウィッチで縦に挟むぞ!」

《へ?…あ、あっ、はい!奥の手、サンドウィッチ…分かりました!》

 

 間の抜けた声を返すも一瞬、クリスもすぐに意図する所に思い当ったらしい。ぐん、とこちらを抜いて一気に加速したクリス機の横で、エリクは操縦桿を引いて、『クフィルC7』の機体を急上昇させた。

 エリクの意図は、後方の2機を所謂サンドウィッチ戦術に嵌めることだった。すなわち、僚機を追う敵機に対してこちらは上昇・減速し、下方を追い越してゆく敵機に上方から襲い掛かる古典戦術である。もっとも、今回は敵機が複数である上、一時でも速度を落とさざるを得ないこの戦術は、常ならば適正とは言えないだろう。

 

 それを知ってか知らずか、エリクは上昇する機体からちらりと後方を見やる。思った通り、敵機の片方はそのまま直進してクリスを追い、残る1機がこちらを追って上昇に入る所だった。葉巻状の胴体を持つその機影は、MiG-21系列に違いない。

 喰いついた。

 口角に浮かんだ笑みを噛み殺しながら、エリクは『奥の手』の鍵たる正面操作盤のボタンを押し込んだ。

 

 正面操作盤の脇、多目的ディスプレイに表示されていたモード表示が、『COMBAT』(戦闘機動)から『CM・PLUS』へと置き換わる。こぉお、と深呼吸をするかのような音が、一瞬コクピットを満たす。

 

 瞬間。

 一際強くなったエンジンの唸りとともに、エリクの『クフィル』はぐん、と速度を速め、後方に迫るMiG-21を一気に突き放した。十分に速度と高度を稼いだ所で眼下を見やれば、同様に速度を速めたクリスの『クフィル』を、ラティオのMiG-21が懸命に追っている姿が見える。

 狙い通り。

 操縦桿を元に戻したエリクは、間髪入れずそれを前に倒し、機首を下方へと向けてゆく。眼前には、こちらの存在を完全に意識の外にしたMiG-21の姿。

 ヘッドアップディスプレイ(HUD)の中でダイヤモンドマーカーに捉えられたそれは、一瞬後に放たれたAAMによって、三角の主翼を空に飛ばして落ちていった。振り返れば、後方のMiG-21は遥か彼方にある。高度は向うが高いとはいえ、この速度差では追いつくことはできないだろう。

 

 『奥の手』というのは、すなわち『クフィル』のエンジンにのみ備わったこの特殊な機能――『コンバット・プラス』と呼ばれる機構であった。

 戦闘機の推力強化機構としては、エンジンの排気に燃料を吹き付けるアフターバーナーが知られている。航続距離と引き換えに最大推力を引き出すこの機構は戦闘機にとって一般的なものだが、『クフィル』の場合はそれに加えて、この『コンバット・プラス』機能が備えられていたのである。短時間ながら推力を5%向上できるというこの機能は、まさに『クフィル』のみが持つ奥の手と言うにふさわしいものと言えるだろう。

 

《流石です、エリク中尉!》

「気を抜くなよ、本番はこれからだ!射程に入り次第撃て!」

《はいっ!…ハルヴ4、FOX2!》

 

 『コンバット・プラス』が功を奏し、詰まりつつある『フランカー』との距離。その背へ向けてクリスがAAMを放ったのと同時に、エリクも目標へ向けてAAMを一発撃ち出した。クリスはともかく、その後方にいたこちらはそもそもまともに狙いをつけないままの射撃である。尾部へ命中し、僚機から落伍してゆくクリス側の『フランカー』とは対照的に、エリクの方の『フランカー』は運動性を活かして左方向へと急旋回。連続した左右への旋回で迫るAAMを振り切り、近距離からの攻撃を見事に回避しおおせて見せた。もっとも、回避運動でその高度はかなり失われてしまっている。ウスティオの『イーグル』が攻撃位置に就くのにはおそらく間に合わないであろう。

 

《こちらバハムート3。ありがとな、助かったよ。お礼に獲物は山分けでどうだ?》

「お礼は嬉しいけどな、こっちは弾切れ寸前だ。いっそ全部貰ってってくれ!」

《イーグルアイより各機、敵編隊が攻撃可能ラインを突破しつつある。急ぎ撃墜せよ》

 

 ウスティオ空軍機のあくまで呑気な声に応じた所へ、イーグルアイの督促が拍車をかける。

 攻撃可能ライン――すなわち、『ベアH』が搭載している可能性の高い空対地ミサイルの想定射程範囲。その意味を読み取ったのだろう、2機のF-15Cは雑談もほどほどに、それぞれ『ベアH』の後方へと機位を向けていった。

 

「…クリス、残弾はいくつある?」

《AAMは残り2発、機銃は合わせて200強です》

「こっちももうAAMは1発しかない。…あいつらに頼る他ないか…!」

 

 それぞれ爆撃機に食らいつく2機の『イーグル』の後方で、エリクは後方の戦場を顧みる。絶えず火線こそ上がっているものの、機数でほぼ同等な戦場から他に抜け出る機影は見られず、爆撃機を巡る攻防戦は膠着しているように見受けられた。緑のダズル迷彩を施されたタイガーⅢが一歩抜け、その横からSu-27が掃射を仕掛け妨害する。こちらを指したラティオのMiG-29を、ロベルト隊長の『クフィル』がかき乱す。互いの足を引っ張り合う混戦の中では、こちらへの支援は期待できそうもなかった。つまり、この4機で残る敵爆撃機を全て落とさなければならない。

 

 くそ。口内に吐きながら、エリクは編隊最左翼の『ベアH』に狙いを定めた。速度差があり、先のMiG-21と比べれば捕捉は容易である。

 ロックオン。電子音が響き、『ベア』の致命の時を告げる。

 右から回り込んだクリスと同時に、放たれたAAM。合計3発のミサイルが、その機体へと殺到した。

 機体尾部、エンジン、主翼付け根。それぞれに爆炎を刻んだ機体が傾き、大穴の空いた主翼が根元からへし折れて脱落してゆく。大きく機体を傾けた『ベアH』は、直後にバランスを失ってきりもみ状に落下していき、爆散。その破片の渦の中に、落下傘の白色は一つも見ることができなかった。

 

 先に『イーグル』がそれぞれ1機ずつを撃墜したこともあり、残機数はこれで4。既にウスティオの2機は次の目標へ向けてミサイルを放っているが、攻撃可能ラインへの到達に間に合うかは非常に危うい。ミサイルが尽きたとは居ても立ってもいられず、エリクとクリスは『ベアH』の後方に取りつき、機関砲で以て銃撃を浴びせかけた。大型の機体相手ゆえに命中は容易であるものの、相応に頑丈な『ベア』はなかなか火を噴かない。尾部の23㎜機関砲の火線をロールで回避しながら、エリクは必死に照準を覗き込み、引き金を引いて機銃弾を浴びせ続けた。

 墜ちろ。間に合え。間に合え――。

 

《よし、2機ダウン。バハムート4すまん、こっちは弾切れだ。あと1機頼んだ》

《了解。ラス1、お言葉に甘えてゴチに…》

 

 掃射を受ける『ベア』の左右で、『イーグル』に追われていた2機が黒煙とともに落伍する。その黒煙に幻惑されたか、攻撃に専心するあまり気づかなかったか、あるいは残存機が減って幾分でも生まれた余裕のためか。唐突に降って湧いた警報に、エリクの思考は沸騰した。

 

「…接近警報!?――ぐうっ!!」

《先輩っ!!》

《…!?しまっ…!バハムート4!》

 

 直上からの、殺気。些か抽象的に過ぎるが、表現するならその言葉の他無かった。真上から閃光が奔り、それが擦過すると同時に黒い何かが『クフィル』を掠め去ったのだ。停止した思考に、それが真上からの機銃掃射だったと知覚できたのは一瞬後のことだった。

 腕にじわりと刻まれた痛みに歯を食いしばりながら、エリクは手早く計器盤へと目を向ける。計器類は全てグリーン、主翼に穴が開いた他は特に損傷は見られない。被弾の際に内装が爆ぜたのか、飛び散った金属が右の二の腕を掠め、その跡に血の筋を刻んでいるのが損傷といえば損傷だった。

 

 おそらくは、先程見逃したMiG-21。稼いだ高度からこちらを見下ろし、隙を見計らって一撃離脱を加えたのだろう、既にその軌跡すら追えない手並みは敵ながら見事なものだった。おまけに、同時に放ったミサイルはバハムート4の『イーグル』を貫き、一撃でもって爆散せしめたらしい。

 バハムート4の爆炎を振り切って、残ったのは機銃すら弾切れ寸前の『クフィル』2機と、同じく残弾を使い果たした『イーグル』が1機のみ。方や、爆撃機は銃撃を受けた『ベアH』が高度を下げているものの、残る1機は無傷のまま健在である。戦闘能力を失い、後続機が突破する気配すらない友軍の状況を顧みれば、状況は絶望的だった。

 

《そんな…》

「………くそっ!もう時間が無い。…一か八か、正面に回り込んでコクピットを…!」

《待った。もう奴は爆弾庫を開いてる。到底回り込んで反転する時間は無いな》

「そんなこと言ったって…もうそれに賭けるしか無いだろう!」

 

 絶望的な現状を分かっているのか、状況を楽しむようなバハムート3の声に、エリクは思わず苛立ちを返す。無理だろうが何だろうが、たとえ1発でも攻撃を許せば、彼方の先で友軍が何人と死ぬことになるのだ。任せられた任務を全うできず、むざむざ友軍を死に向かわせていいのか。それも、目標たる爆撃機を目の前にしながら。

 軍人として、レクタに生まれ育った者として、そんなことを許す訳にはいかない。その地に根差さない傭兵には分からないかもしれないが、これはいわば軍人としての矜持の問題であった。

 操縦桿を握る力を強める。瞳を向け、狙いを定め、肚に力を籠める。たとえ無謀でも、やってやる。そう、たとえ可能性は低くても。たとえ、この身をぶち当ててでも――。

 

《まーまー落ち着き給え。ここはいっちょウスティオ傭兵の技量に頼って貰おうじゃないの》

「…へ?」

 

 勝負を賭けてフットペダルを踏みかけた矢先、被せられた軽い声に思わず素っ頓狂な声が漏れる。

 傭兵、の、技量。

 その意味する所が判然とせず、脳裏が不意に混乱したその一瞬。バハムート3の『イーグル』はアフターバーナーの炎を曳いて一気に加速し、瞬く間に『ベアH』の頭上へと占位した。後方にしか武装を持たず、コクピットを機体前方に設けた『ベアH』の死角には違いない位置だが、ミサイルも機銃も失った機体で手出しができるものではない。そう、その他に攻撃する手段といえば。

 

 そこまで思い至り、エリクは思わず息を呑んだ。

 先程自らの中に生じた、『体当たり』の文字。それが不意に、眼前を飛ぶ『イーグル』の背に重なったのである。

 まさか。このパイロットは。

 

「何を…!……っ!馬鹿なことは止めろ!!」

《そうさ、体当たりなんて馬鹿の極致だ。良い子は真似すんなよ!》

「……!」

 

 まるで、先のこちらの内省を読み切っていたかのような言葉に、エリクは今度こそ言葉を飲み込んだ。

 『イーグル』の昇降舵が動く。

 アフターバーナーが和らぎ、日の煌めきが翼に反射する。

 機首が、真下を向く。

 やめろ。

 

 その声は声にならないまま、エリクは眺めることしかできなかった。速度というエネルギーを以て急降下した『イーグル』が、その左主翼で『ベアH』のコクピットを両断する様を。

 

「……!!」

《…嘘……!》

「………馬鹿、が…!」

 

 コクピットを失った『ベアH』が制御を失い、ほとんど真っ逆さまとなって地表へと吸い込まれてゆく。『イーグル』と墜落する『ベア』から生じた黒煙に視界を阻まれながら、エリクはそう絞り出すだけで精一杯だった。

 ウスティオ空軍の主力を成すという、傭兵。金のために戦う欲得の兵士、というこれまでの印象に、計り知れない何かが加わった瞬間だった。国の為に戦う訳でもないのに、何が奴らをあそこまで駆り立てるのだろう。何が、奴らを戦いに向けさせるのだろう。

 内に問うても答えは出ず、エリクはただ目を地上へと向けた。砕け散った主翼の破片の他に『イーグル』の残滓を残すものは、最早そこには見えない。堕ち行く『ベア』の破片も、漂う黒煙も、その中にきらりと見える灰色の右翼も。

 ――右翼。

 いや、待て。ちらりとしか見えなかったが、先程バハムート3が当てたのは左翼ではなかったか?

 

 どくん、と跳ねた心臓が、エリクの目を黒煙の中へと奔らせる。

 待つこと、数秒。黒煙を割いて見えたその姿は、間違いなく『イーグル』。左主翼を失いバランスを崩してなお、その翼は空にあった。

 

《せ…!せ、先輩!あれって、まさか…!》

「は…はは、は…信じられん、なんて奴だ…!」

《うえっほ、げっほ。言っただろ、俺馬鹿だからよ。それにな、傭兵はどんな手を使ってでも生きて還るのが信条だ。覚えときな。――んじゃまた地上でな!》

 

 思わず、心からこみ上げた笑い。それを背に受けながら、バハムート3はコクピットから射出され、数秒後にはパラシュートの白い花を虚空に開かせた。堕ち行く『イーグル』、煤だらけであろうその姿。それでもなお、エリクにはその姿が、妙に輝かしいようにも感じられた。

 

《こちらイーグルアイ。ラティオ爆撃機の全機殲滅を確認した。よくやった。各機、残存機の掃討に当たれ》

「…よし、行くか。もう一仕事だ」

《はい。後ろ、任せて下さい》

 

 同じく笑っていたらしいクリスの方を見やり、頷き一つ。

 2機の『クフィル』は機首を上げ、戦火絶えぬ空戦域へとその機体を向かわせていった。

 パラシュートの白い花と、爆発の紅い花。それらが咲き乱れる、蒼穹の中へ。

 

******

 同刻、空戦域より南方30㎞。

 高度1000に満たない極低空域を、いくつもの機影が地表を舐めるように疾駆する様を認めることができる。

 

《サラヴェイ6よりサラヴェイ1。周辺に機影なし》

《連合の連中、まんまと引っかかったらしい。ククーロ隊の連中は気の毒だが…》

《その分、ユーク直伝の奇襲戦を味わわせてやりますよ》

 

 可変翼を携えた高速爆撃機、Tu-22M3『バックファイアC』。地を焼き尽くして余りある弾薬を携えた翼は、まるで空に咲く花から身を隠すように、蒼穹の下を駆け抜けていった。

 


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