Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《先だってのブリーフィングでも触れた通り、ラティオ軍の多塔式高層化学レーザー『テュールの剣』は極めて厳重な警戒態勢下にある。中でも広範囲に設置された観測気球とレーダー施設による監視網は、航空攻撃における最大の障害となることが推測される。
ウスティオ軍によるラティオ西郡制圧は目前だが、これを待ってばかりもいられない。『テュールの剣』制圧作戦に先んじ、我が軍は独自に部隊を展開。レーダー施設へ攻撃を行い、ラティオ軍監視網に打撃を与える。戦闘機隊の諸君は攻撃隊を護衛し、かつ可能な限り観測用気球を破壊せよ》



第7話 雨下に舞う三色旗《トリコローリ》

 地に、呑み込まれる。

 音速に近い速度で眼下を流れていく地表は、そんな錯覚を覚えそうな程に近く、暗い。高度計は200を指しているものの、空を覆う曇天と、絶え間なく降り注ぐ大粒の雨がその目測を狂わせているのだろう、実際の印象は木々に腹をつかえそうな低さにも思える。左右に隆起した低い丘と鬱蒼と生い茂る林の様は、さながら大地が両腕を広げて横たわっているかのようだった。

 

 ただでさえ集中力を消耗する超低空飛行に加え、視界の悪い雨天下ともなれば、心身にかかる負担は想像を絶する。まして、いつ敵が襲い掛かるか分からない戦時の空ならばなおの事である。

 目の奥が、ずいぶん前から重い。ひとしきり目を強く瞑り疲労を紛らわさせながら、愛機『クフィルC7』のコクピットに収まるエリクは、疲れた目を再び前へと向けた。できることならば目の上からマッサージしたい所だが、悲しいかな今はヘルメットが邪魔でできそうもない。

 

《ハルヴ1より各機へ。敵監視エリア侵入まであと5分だ。ハルヴ隊は上空、ヴェイナス隊は対地警戒を厳にせよ。全機いいな、速度を落とさず行くぞ》

《ヴェイナス1了解。空はあんたたちが頼みの綱だ、しっかり頼んだよ》

 

 ハルヴ隊の後方から、攻撃隊である『ヴェイナス隊』指揮官の声が耳に届く。レクタでは珍しい女性の指揮官らしく、張りのある自信に満ちた声がエリクにも印象的だった。

 

 本作戦の参加は8機。うち4機は護衛を担うハルヴ隊だが、今回は対地攻撃も目的の一つであるため、無誘導爆弾(UGB)を搭載した爆装での出撃である。9か所あるハードポイントのうちの4か所にUGB3つずつを搭載している他、IR誘導式空対空ミサイル(AAM)2基と増槽を下げていることもあり、機体の加速は少々鈍い。

 一方、攻撃の主力であるヴェイナス隊はその後方、4機のA-4N『スカイホーク』により構成されている。機体サイズに対し優れた搭載量を誇る攻撃機ではあるが、それでも小型機であることを考慮すると、その攻撃力にも限りがある。施設への攻撃部隊としては些か少ない感が否めないが、これに関しては『テュールの剣』防衛に関するラティオ軍の配置に要因があった。

 

 開戦直後の3日間を除いて敗走を続けて来たラティオ軍が、敗勢を食い止めるべく選んだ拠点――『テュールの剣』。かつてベルカ公国が有したレーザー兵器『エクスキャリバー』を彷彿とさせるその威力は凄まじく、勢いに乗ったレクタ軍の攻勢を留めるのに十分な威容を誇っていた。

 ところが、この『超兵器』に思わぬ弱点が見つかったのである。

 そもそも、かつてのベルカ公国同様のレーザー兵器を自力で運用できる国は限られており、就中(なかんづく)開発まで可能な国といえば、ベルカの実験データを接収したユークトバニアを除いて他に無い。当然ながらこの『テュールの剣』もユークトバニアの技術提供があって初めて建造できた訳であり、その運用ノウハウにも実施スタッフにも、ユーク関係者が多く関わっているとされる。勢力を増やすために同盟国へ手厚い保護が必要な点は、冷戦期から変わらない先進国の責務でもあったのだ。

 

 とはいえ、ユークトバニアにとってレーザー兵器関係技術はいわば虎の子であり、同盟国とはいえ易々とすべての技術を与える訳にはいかない。万一ラティオが敗北して『テュールの剣』そのものや技術情報がオーシア同盟側へ流れると、自国へも脅威を与えかねない為である。そのリスクを踏まえての事だろう、ユークトバニアからラティオへ提供された技術には、一定の制限が課せられる結果となった。具体的には、精密照準機器のグレードダウン、ならびにレーザー偏向・射出装置の簡略化等が上げられる。

 

 結果、『テュールの剣』は、いわば劣化『エクスキャリバー』程度の能力しか得ることができなかった。すなわちレーザー射出部の耐熱機構簡素化によるレーザー出力の制限、それに伴う1基当たりの威力および射程の低下、精密照準機器の能力不足による超長距離狙撃の精度低下など、いくつもの弱点が露呈したのである。

 当然ながら、ラティオもこれを座視することは無く、独自に改良を施すとともに、運用方法にも工夫を加えた。『エクスキャリバー』同様の単塔式から多塔式へと構造を改め、目標に対し複数のレーザーを集中させることで威力を補えるよう改修を施したのもその一環である。また同時に、レーザーを反射して目標への照射を可能たらしめる、専用の改造を施した航空機部隊の編成も行われたという。狙撃精度の向上に関しては、周辺域に多数の簡易レーダー施設と観測用気球を配置することで補うこととなった。

 

 施設そのものへの改修は今更如何ともしがたいとして、現状最も厄介なのは後者――すなわちレーダー施設と観測用気球の存在だった。多数の目を以て精度を補うという手法は単純ながらも効果的であり、現にレクタ軍機はラティオ中郡へ近づくことすらできずにいたのである。裏を返せば、これらの『目』を一つ一つ潰していけば、『テュールの剣』の死角も増やせるということにもなる。

 

 以上の状況を踏まえ、レクタ軍は少数部隊によるラティオ監視網への攻撃を立案した。すなわち、低空から少数機を進入させてレーダー網を掻い潜り、監視の主となるレーダー施設への奇襲を行うという訳である。最終目標はレーダー施設へ電力を送る発電施設だが、まずはその前段としてラティオ前線の監視網に穴を開けるのが今回の目的となる。

 もっとも観測用気球も存在する以上、攻撃隊の存在は瞬く間に露見し、『テュールの剣』の攻撃に晒されることは明白である。それを考慮して、本作戦では部隊全滅のリスクを避けるべく、複数部隊による同時攻撃が成されることとなった。1部隊が攻撃されている間は、他の部隊は安全と言う訳である。当然ながら、攻撃を受ける方の部隊は全滅のリスクすら抱えることになる。施設攻撃にしては少ない戦力も、このリスクを最低限に抑えるための策と言えないことも無かった。

 

 引き金を引いて、放たれるのは五筋のレーザー――まったく、泣けるほど凝ったロシアンルーレットだことだ。昨日受けたブリーフィングの内容を反芻し、思わず漏れ出た溜息は、酸素マスクの裏に籠もって消えた。

 

《ハルヴ3、目標確認。大尉、レーダー照射を受けています》

《こんだけ近づきゃ当然か…。ヴェイナス隊へ、うちらが先行して露払いする。きっちり一撃で仕留めてくれ》

《あいよ、ヴェイナス1了解。戦闘機隊の手並み、見物させて貰うよ》

 

 小隊内でやや高い位置に占位するヴィルさんが、いち早く発見の報を告げる。既に速度は亜音速、毎秒数百mを飛ぶ計算である。先頭から2番目に位置するエリクの目にも、その目標の姿はすぐに捉えられた。

 天を指す、器のような白いパラボラ。コンクリート製の、背の低い施設。周辺に立つアンテナと、対空兵器と思しき車両複数。曇天に沈んだような暗い彩りのそれらが、丘の合間の開けた地点にこぢんまりと集っている。間違いない、ラティオのレーダー施設だ。

 

 フットペダルを押し込む。

 増速、距離概ね2000。後続の『スカイホーク』が徐々に離れてゆく。

 音速に近い今の速度なら、投下された爆弾は慣性で投弾地点より前方へと流れてゆくことになる。ヘッドアップディスプレイ(HUD)に表示された予測着弾地点は、機体速度と高度を考慮してか相当に先にあった。

 兵装選択、UGB4基12発。

 投下ボタンに指をかける。

 雨がキャノピーを打つ。

 対空砲が砲火を刻み始める。

 正面、2両。右奥にさらに1。

 火線が交わる。

 照準が重なる。

 距離、1200。

 

《投下》

 

 隊長の声とともに、力を込めた指。

 がちり、という音と共に、重量物を捨てた翼がふわりと跳ねあがる。機首が指すのは、曇天の空。降り注ぐ雨の向う。

 後背に重なった幾つもの爆音を、『クフィル』の翼は軽快に振り切っていった。

 

 眼前の隊長が翼を翻し、それに倣ってエリクも操縦桿を傾ける。右に傾いて俯瞰した先には、四散した対空砲の残骸と抉れた地面。そして、その上空を過ぎた4機のA-5Nがレーダー施設へ殺到し、コンクリートの箱を寸分違わず粉砕する光景が映っていた。

 小規模部隊とはいえ、レーダー施設一つを破壊するには些か過剰な火力だったのだろう。4機の『スカイホーク』が通過した下には跡形もなくなった施設の壁が転がり、僅かに残ったラティオの国旗が炎の中に燃えていた。

 

「ハルヴ2よりハルヴ1、ヴェイナス隊の攻撃完了を確認。レーダー施設と護衛部隊は沈黙した模様です」

《低空侵入、緊張したぁ…。思ったより敵の数が少なくて助かりましたね》

《まぁ、レーダー施設バカバカ作ったのと、大本の要塞防衛に戦力割いてるせいだろうな。ハルヴ1より司令部、目標の沈黙を確認。撤退指示を請う》

 

 クリスの言葉に応えた隊長へ、エリクも意を得て首肯する。クリスの言う通り、前線のレーダー施設にしては防備が手薄な点が引っかかっていたのだ。

 その実態を推測すれば、おそらくは隊長の言った通りだろう。急造したレーダー施設の数は多く、同時に『テュールの剣』そのものの防衛も万一を考えると外す訳にはいかない。結果的に1か所当たりに配置できる戦力が限られることとなり、最前線と言うにはあまりにも脆弱な防備にならざるを得なかった、という所か。

 

 眼下で燃える、パラボラの残骸。呆気ない程に作戦は成功し、ラティオの監視網に穴を一つ開けることに成功した。――だが、あと『目』はどれだけ残っているのか。そして、それをいくつ潰せば『テュールの剣』へ至ることができるのか。ここへ至るまでに溜まった心身の疲労を省みれば、先の見えぬ徒労感がどっと増えたようにすら感じる。必死に上った険しい山道が、実際には一合目にすら至っていない時の気分を想像すれば幾分は近いだろうか。

 とはいえ、今回の目的は果たした。以降のことは、帰ってから考えればいい。どうせそれを決めるのは上の人々なのだから。

 緊張をほぐすように、襟を緩めようと手を伸ばすエリク。その耳に飛び込んで来たのは、予想を裏切るものだった。

 

《司令部よりハルヴ1、現在友軍の第3攻撃隊がレーザー照射を受けている。攻撃が他の隊へ集中している今がチャンスだ。この隙に、貴隊周辺の観測用気球を撃墜せよ》

《はぁ!?そんなことしてる間にこっちにもレーザーが…》

《そうならない為の気球撃墜だ。悪天候のためレーザー照射の精度も落ちている。元より気球撃墜も目標の一つである、急ぎ撃墜せよ》

「…ったく、人の命をなんだと…」

《…まぁそうぼやくなエリク。鬼畜メガネ…上官さまの命令は絶対だ》

《聞こえているぞ、ハルヴ1》

 

 友軍へのレーザー攻撃、その隙を突いての監視網への打撃命令。命令にすれば簡潔なものだが、いざ実施する段になれば溜息が漏れそうな思いだった。現在攻撃を受けている友軍がいつまで持つかは分からず、気球の撃墜前に目標がこちらへ切り替われば目も当てられない。まして、あのレーザー兵器は文字通り必殺の威力を持ち合わせているのだ。命令する方はいいだろうが、実際に請け負う方にとっては堪ったものではない。

 とはいえ隊長の言う通りここは軍。悲しいかな、上官の命令は絶対である。やれやれと嘆息しながら後頭部を掻こうと伸ばした指先は、ヘルメットに阻まれた。

 

 仕方は無い。観念したように操縦桿を引き上げ、エリクは機首を再び上空へと向ける。事前情報によれば、気球の配置は高度1000から3000と幅広い。加えてサイズは戦闘機と比べて小さく、レーダーにも映りづらいという三重苦とくれば、果たして空域の全機を撃墜できるかどうか。おそらく雲の上にも数機が浮かんでいるだろうが、この分厚い雲を隔ててはこちらを捉えてはいまい。それらは無視してしまっていいだろう。

 ちらりと見やったレーダーには、案の定反応が無い。目視できる限りでは、同高度付近に2つ、高度2000付近に5つ。おそらくミサイルも誘導しないであろうことを考慮すると、機銃での撃墜が理想だろう。30㎜での狙い撃ちは正直苦手だが、今はある意味命の危機でもある。苦手でもなんでも、やる他ない。

 

「くっそ、小さいな…」

 

 散開して各々の目標へと向かっていく僚機たち。その下方を抜けながら、エリクは同高度の一つを見定め、そちらへと機首を向けた。

 照準器の中心へと捉えた姿は、しかし小さい。見慣れた戦闘機の機影と違い距離感が掴みにくく、機銃の有効射程へ入ったかどうかの判断が思いの外つきにくい。静止目標なのが唯一の救いだった。

 距離…おそらく900、800、700。スロットルを絞って機位を微調整し、機首の延長線上に砲弾型のシルエットを捉えていく。低速下での精密射撃は『クフィル』の得意とする所ではないが、今回ばかりはやむを得ない。一撃で確実に仕留めなければ、それだけレーザーの脅威も増すのだ。

 

 焦りを帯び始めた、曇天の脳裏。その目前、レーダーサイトに不意に光点が映ったのは、何度目かの微調整をした時の事だった。

 

「…?何だ?」

 

 気球ではない。目の前のそれとは位置が異なるし、何より数が違う。先攻して2、やや離れて5。何より、それらは明らかにこちらを指して動いている。特に先頭の2つは、明らかに速い。

 まさか。冷たくなる脳裏の中、エリクは計器類へ次々と目を遣る。方位150、ベレッツィア要塞方面。進行方向、こちらへ直行。敵味方識別装置(IFF)反応、――ラティオ機。

 

「チッ…!ハルヴ2より各機、方位150より機影2、遅れて5!ラティオの迎撃機と推定!」

《早い…!もう敵が!?》

《ま、敵さんの領地だしな。ヴェイナス隊、悪いが気球の対処は頼む。俺たちは敵の迎撃機に当たる》

《ヴェイナス1了解。悪いね、任せたよ》

 

 低空域で掃討を続けるヴェイナス隊を残し、ロベルト大尉を先頭とした4機が機首を上げてゆく。機数では勝っているとはいえ、上空を取る有利はどの戦場でも変わりはない。

 しかし、速い。

 レーダーの光点は見る間にその距離を詰めてゆき、やがて眼前にその機影が現れた。こちらの予想を上回る速度で、ラティオの2機は既に上空の優位を占めている。

 上空を指すこちらをよそに、斜め上にいち早く占位したラティオの2機。それらが翼を翻してこちらへ正面から向かうのと、けたたましいミサイルアラートが鳴り響くのには数秒と無かった。

 

《散開!》

「くそ、正面なら…!」

《待て、無理に狙うな!…エリク、ヴィルさん、レーダー誘導されてる!大きく旋回して躱せ!》

《これは…SAAM(セミアクティブ空対空ミサイル)!?》

「この…!『クフィル』の機動、舐めるなよ!」

 

 隊長の声に、エリクは反射的に操縦桿を横へと倒した。

 横転する雲、傾く地面。操縦桿を横から手前へと引き込むと同時に、視界が地面の茶一色に染まってゆく。右下方への急旋回、次いで水平位からの機首上げ。胃袋を苛む圧力を受けながら、景色が目まぐるしく回転する。

 擦過、一瞬。

 敵機2機が編隊を抜けると同時に、背を追っていたミサイルは誘導能力を失い、地面へ向けて蛇行しながら落ちてゆく。左右を省みれば、同様に攻撃を受けたヴィルさんも無事に回避できたらしく、『クフィル』の健在な姿を空に翻していた。

 機首を上げて左右に散開する敵機は、見慣れない姿だった。ロケットのような細長い胴体に、高い位置に設けられた水平尾翼。何より印象的なのは、全長に対して極めて小さな主翼だろう。アスペクト比が小さく方形に近い形状に加え、形式も今どき珍しい直線に近い配置となっている。その様は、まるでミサイルそのもののような奇妙なシルエットを形作っていた。

 

《あれは…F-104『スターファイター』ですか。珍しいですね》

《どうもラティオ仕様のS型だな。後続の5機もいる、とっとと2セルで落とそう》

「了解。クリス、支援頼む」

《はいっ、後ろは任せて下さい!》

 

 素早く態勢を立て直した『クフィル』が、2機一組となって分かれた『スターファイター』を追い始める。それに呼応したのだろう、眼下を旋回して機位を変える『スターファイター』の機動は、しかし小型機の割に非常に大きい。上空の優位を失い下方への逃げ場を塞がれた今、ロケットのようなその機影は徒に低空域を蛇行し身を捩らせていた。

 

 元々、F-104『スターファイター』は上昇力と加速力に重点を置いて設計された、邀撃専用機と言って良い機体である。空力的に洗練された細長いフォルムも、胴体に対して異様に短い翼もその目的のために最適化された故の形状であり、一つ事を極めたその設計思想は後のMiG-25『フォックスバット』の先蹤を成すものであった。

 しかし、長所は翻せば短所にもなる。優れた加速性能を発揮するための機体形状の代償として、F-104は旋回を多用する格闘戦に弱いという欠点をも抱えることとなったのだ。近代化改修を加えたとはいえ、ラティオ仕様のF-104Sでもこの点は変わりない。

 

 敵機の斜め後方で反転し、逃げ惑うF-104Sの背を取る。右旋回、次いで左。その機動は、先の突撃速度が嘘のように鈍い。クリスの機銃掃射で逃げ道を塞がれたその機体は、反射的に回避行動を取ったのだろう、エリクの眼前に無防備な姿を晒した。距離、900。運動性に優れる機体ならまだしも、邀撃専用機には必中の距離。

 ダイヤモンドシーカーがHUDの中でその背を追いかける。エリクの目が、『クフィル』の眼が、過たずその背を捉える。鳴り響く電子音。『スターファイター』の致命を告げる、ロックオン。

 貰った。

 ミサイル発射(FOX)――。

 

「…あ」

 

 引き金を引きかけた刹那、それはまさに『あっという間』だった。『スターファイター』のコクピットから風防が弾け飛ぶや、白煙に包まれた座席が空高く舞い上がったのだ。跳ね上がった先で開いたパラシュートをよそに、主を失った『スターファイター』が地面へと吸い込まれていったことは言うまでもない。

 不利を察しての、緊急脱出。

 パラシュートを避けるように機体を翻しながら、エリクはその白い傘を目で追った。降りしきる雨の下を、それはゆらゆらと揺れて風に流れてゆく。

 勝利というには苦い快感。それを振り払うように、エリクは機体を翻して隊長の下へと向かった。首尾よく撃墜できたのだろう、2機の下方には四散した『スターファイター』の残骸が転がっている。

 

《よーしお疲れ、凌いだな。後続の5機に向かおう。ヴェイナス隊、気球の対処までどの程度かかる?》

 

 一層激しさを増す豪雨の中、翻る4つの翼。その上方で、ヴェイナス隊の『スカイホーク』は散開し、各個に観測用気球の排除に動いていた。近代化改修を受け、搭載機銃を30㎜に改造されたA-4Nの機銃掃射を前に、気球は一たまりもなく次々と撃墜されてゆく。この調子ならば、万一こちらが標的となっても精度の高い射撃は困難となるだろう。いつ例のレーザーが向くかと気が気ではなかったが、何とか杞憂に終わりそうだった。

 『スカイホーク』が、また一つ気球を撃ち落とす。初速の劣る30㎜で寸分違わず中央を撃ち抜いたその手腕は、例の隊長機のようだった。

 

 末路の見えた戦場、来るべき撤退の機。それらをひっくり返す予想だにしない一瞬という意味では、『それ』もまたF-104の脱出劇同様、『あっという間』だった。

 

《ヴェイナス1よりハルヴ1、見事な手並みだったよ。見える限りだとあと1つだ。すぐに落とし…》

 

 瞬間、空から光が注いだ。

 彼方から注ぐ光の筋は、合わせて5本。僅かに桃色を帯びたそれらは、刻一刻とその軌跡を変えてゆく。まるで、光そのものが意志を持って、獲物を探るかのように。

 ――これは、まさか。

 数日前にも目の当たりにした、数多の機体を灼いた様と寸分違わない光景。

 

 エリクの心がぞっと粟立つのと、集った光が『スカイホーク』を一瞬で両断したのは同時のことだった。

 

《…!?何だ、今のは…?…おい、応答しろ、ヴェイナス3!》

「…ロベルト大尉!今のは…!」

《見逃しちゃくれねえか…!各機散開!聞こえるか、ヴェイナス隊!すぐに後退しろ!》

《馬鹿言うんじゃないよ!あと1つくらい、すぐに落としてやるさ!気球さえ落とせば精密照射は…!》

《無茶だ!『あいつら』がいる限り、レーザーはまた来る!》

 

 突出するヴェイナス1の『スカイホーク』を、ロベルト隊長の通信が追いかける。気球を潰しても無駄、『あいつら』。その言葉の意味する所に、エリクもはっと思い当る節があった。

 先ほどの攻撃は、レーダーと気球をほとんど潰したにも関わらず、その照射はこちらが見えているかのように正確だった。しかも明らかにこちらの斜め上空からの照射であり、明らかに『テュールの剣』の高さを上回る位置から放たれたものであることを物語っていた。加えてこちらに接近していた、レーザーの本数と符合する5つの機影。

 そういえば、最初に『テュールの剣』の攻撃に見舞われた作戦の時にも、こちらと一定の距離を保った敵編隊がいた。記憶が確かならば、その数もまた、5。――つまり。

 

 エリクの、そしておそらく隊長の頭にも浮かんだであろうその仮説。それは待つまでもなく、直後に立証された。南東の空に浮かぶ5つの機影と、そこから放たれた5筋の光がヴェイナス1を貫く光景によって。

 

《ぐうっ…!?この、ヤロウ…!》

《事前情報通りだ…奴ら、航空機にレーザーを反射させて長距離射撃をしてやがる。ヴェイナス1、脱出しろ!》

《…まったく、何てザマだい…。ハルヴ1、ウチの部下のこと頼んだよ》

《おうとも。ヴェイナス隊、聞こえたらすぐに後退しろ!背中は俺らが守ってやる!》

 

 左翼を失った『スカイホーク』から、パラシュートが空に舞う。残った2機の『スカイホーク』は、滑るように低空へと機首を向けて、帰路となる北西方向へと鼻先を向けて行った。豪雨の戦場に残ったのは、4機の『クフィル』と上空の5機。そして空を裂く雷鳴と、彼方に聳える5つの塔。

 

《困りましたね。気球を潰したものの、あれらがいては迂闊に帰れない》

《そ、そうですよ…!このままじゃどこにいても背中を狙い撃ちされます。何なんですか、あの反則兵器…!》

《まーまー落ち着けお二人さん。エリク、どうするね?》

 

 レーザーの充填に時間を要しているのか、しばし止んだ光軸の雨。その隙間を縫うように、ハルヴ隊の4機は各個思い思いの機動を描きながら上空を見上げた。機種は判別できないが、上空の5機は雁行に近い、逆U字の隊形でこちらを見下ろしている。小隊内でも高度差と幅を設け、広範囲にレーザーを照射しうる独自の隊形なのだろう。いずれにせよ、この位置関係では不利は否めない。

 

 ロベルト隊長からの試すような問いに、エリクはできる限りに頭を巡らせる。とはいえ、状況が状況であり、元々咄嗟に作戦を考えるという器用なことは得意ではない。せいぜい今利用できるもので突破口を開きたい所だが、AAMと機銃しかない今の状況では高が知れている。『クフィル』の加速度を活かして逃げたいのが本音だが、そうすればクリスの言う通り容赦なく背中を狙い打たれるだろう。一心に加速をかければその分機動は鈍り、先程の敵機同様に回避を困難にするだけとなる。

 

 そう、先程の『スターファイター』のよう、に…。

 

「………。」

《…先輩?》

「…よし、全力で加速をかけましょう」

《ほう》

「ただし、敵の方に」

《…ほほう》

 

 口角を上げたような、大尉の含み声。それで、方針は決まったようなものだった。

 機首を上げる。4機が4機、一斉にエンジンを吹かし加速をかけてゆく。

 見る見る数値を上げてゆく回転数、速度計、そして高度計。速度の高まりとともに、風防を穿つ水滴も勢いを増してゆく。

 高度差、1500。上空の5機が隊形を崩す。

 中心に1機。やや高度を下げて両翼に2機。さらに下、より幅を取って残りの2機。殺到するこちらを焦点に捉えるような、扇を広げたような隊形。

 

《2セル!目標両翼端!》

 

 2機×2隊形、目標は左右端の敵機。

 命令を咀嚼し、エリクは目標を見定める。狙いは向かって最右翼の敵機。紡錘状の胴体に、後退翼と機首下のエアインテークを備えた、小柄な機体。機体下部に鏡を備えた、空飛ぶ反射鏡――。

 

《来るぞ!両翼分散!》

 

 目前で、不意に敵機が機体を傾ける。回避行動とは異なる、扇形の中央へと機体下部を向ける独特の挙動は、まるでステージを照らすライトのようにも見える。

 ――照射準備。

 脳裏にその言葉が浮かぶと同時に、エリクは操縦桿を右へと倒す。

 先程まで飛んでいた位置に、桃色の光が照射されたのはその直後のことだった。

 

《案の定…!照射中は…》

「その位置を変えられない!」

 

 掠めるレーザーを潜り抜け、奔った一筋を翼に刻まれ、それでも機体は音速を越えてゆく。目標、斜め上方。兵装選択、AAM。距離、900。外す筈も無い、射程距離内。

 

「貰ったっ!!」

《てえぇぇっ!!》

 

 動けない筈の位置、外す筈のない距離。

 ――それならば、その『結果』は、偏に敵パイロットの技量によるものだったのだろう。

 4発のミサイルの軌跡が見えているかのように、眼前の敵機は急減速しつつ機体を傾けて、投影面積を一瞬減少。小柄な機体を活かしてエリクのミサイルをすり抜けると同時に意図的に失速を生じさせ、クリスの2発をも見事に回避しおおせたのである。有り余る速度差に機銃掃射の暇もなく、その敵機はあっという間に二人の前から消え失せていった。

 

《嘘…!?》

「冗談だろ…!何だ、あのデタラメな機動!」

《く…!申し訳ありません、こちらも外してしまいました》

《たはー…まぁ、納得っちゃ納得かね。見てみろ、あの塗装》

 

 ロベルト隊長とヴィルさんも同様らしく、目標としていた左翼端の敵機を逸して編隊上空を抜けてゆく。

 隊長をして攻撃を当てさせない、驚くべき技量。存外に落ち着いた声音の隊長に引かれるように散開する敵機を見下ろしたエリクは、思わず驚愕の声を上げそうになった。

 

 鏡張りの機体下部と裏腹に、その機体上面には一般機とは一線を画する塗装が施されていたのである。機首を中心点とし、赤、白、緑と、放射状に彩りを変えてゆく特殊な塗装パターン。戦争の空におおよそ似つかわしくない、ラティオの色に染め抜いたカラフルなその姿は、子供の頃に航空ショーで見たことがある。

 あれは――。

 

《…『バンディエーラ・トリコローリ』!?……ほ、本物…!?》

《専用塗装のG.91に、先程の操縦技術…悲しいことに、そのようですね》

 

 ラティオが誇る曲技飛行隊、『バンディエーラ・トリコローリ』。ラティオの言葉で『三色の旗』を指す、世界でも指折りの技術を持つ飛行小隊である。旧式ながら軽快で運動性に優れるG.91を駆り、他国の曲技飛行隊では真似できない技を軽々とこなすその様は、テレビでも幾度となく紹介された有名なものだった。

 だが、それが今や敵だとは。彼らが、戦争の空を飛ぶことになるとは――。

 

 命の瀬戸際にある事をも忘れ、苦い思いを噛み潰すエリク。だが、敵は敵。レーザーの中継点となる彼らから逃げおおせることが、今は最優先事項である。

 省みた顔を、エリクは再び正面へと戻す。低空から見上げた唯一の活路、空一面の曇天へと。

 

「…とにかく!『作戦は成功』です。全機、このまま雲へ!!」

《――だな!あんなのに追われちゃ体が持たねぇ、とっととずらかろう!》

 

 再び編隊を構成し反転する5機をよそに、音速を越えた『クフィル』が厚い雲へと突入する。ばちばちと爆ぜる雨滴とエンジンの轟音を残し、視界は一時闇へと包まれた。

 

 エリクが考案した作戦とは、すなわち以上のように機体特性を活かした一撃離脱であった。

 『クフィル』の加速力の高さはこれまでも経験して来た通りであり、一たび加速がつきさえすれば、ほとんどの機体を引き離すことは容易である。攻撃で敵編隊を崩した上で逃げに徹しさえすれば速度が下がる危険もなく、安全な撤退が可能と言う訳である。つまりは、先の『スターファイター』が仕掛けた理想的な一撃離脱戦法を、上昇する形で再現したのである。唯一の心配である『テュールの剣』からの狙撃も、気球の大部分を潰したため心配する必要はない。雲の下からでは目視でこちらを捉えられない以上、バンディエーラ・トリコローリによるレーザー中継も不可能と言って良いだろう。まさに、機体特性と天候に救われた形だった。

 

《…それにしても、あのバンディエーラ・トリコローリが敵だなんて…》

「………」

 

 轟音と暴風に消え入りそうなクリスの呟きが、その絶望を物語る。

 オーシアの曲技飛行隊『アクア・エンジェルス』と並び、空を飛ぶ者が一度は憧れる存在。そんな彼らが、ラティオの超兵器を支える戦力となって立ちはだかるなど、一体誰が想像し得ただろうか。声には出さねど、そこに抱える複雑な思いは、おそらく自分も、隊長やヴィルさんも変わらない。

 

 不意に眼前が明るくなり、機体が雲を突き抜ける。

 轟音を背に、宙返りから反転する『クフィル』。武装を全て使い果たした機体は、思った以上に軽い。

 

 雲の上に広がるのは、澄み渡った晴天と太陽。

 キャノピーの水滴に反射する日の光が、何故か今日はいやに冷たく感じられた。

 




《諸君、ご苦労だった。諸君らの奮闘により、敵前線の監視網にダメージを与えることに成功した。展示飛行隊までも戦力として仕立てるとは予想外だったが、それも偏にラティオの窮状を物語るものであろう。
ウスティオ軍によるラティオ西郡制圧も完了し、ウスティオが誇る精鋭傭兵部隊も続々と戦闘態勢を整えつつある。以降の連合作戦に備え、諸君らは引き続き任務を遂行せよ。以上だ》

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