Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《開戦直後に我が国への侵入こそ許したものの、諸君の奮闘によりラティオ軍の撃退に成功した。同盟国ウスティオへ侵攻したラティオ軍もウスティオ軍に反撃を受け、実に作戦参加部隊の4割を失う大損害を被って撤退したという。
3日天下とはよく言ったものだ。開戦わずか3日で、ラティオ軍の攻勢は完全に停止した。今度は、こちらが攻勢に移る番だ。
本日9月30日0700時を以て、我らレクタ軍はウスティオと共に戦域攻勢計画8601を発令。目標をラティオ西郡、すなわち旧ウスティオ領の制圧と定めた。これに向け、我が軍はラティオ領内における橋頭保確保を目的とする『プレリュード』作戦を発動する。制空部隊の諸君は陸軍部隊ならびに対地攻撃機の護衛に就き、友軍の拠点確保まで敵航空機の脅威を排除せよ》



第5話 境界を越えて

 雲一つなく晴れ渡った空が、遠く南の彼方まで続いている。

 9月30日、秋の最中の朝空は、遮る者一つなく抜けるように高い。愛機『クフィルC7』の照準器に反射した日の光を受け、中に納まる青年――エリクは、思わず心地よい溜息をついた。

 

「いい天気だ…。清々しいな」

 

 爽快な気分である。言葉に表すならば、最もしっくりくるのはその表現だっただろう。

 澄み渡った朝の青空は、人の心を洗ってくれる。朝目覚めてカーテンを開けた時に、快晴の空を見上げた時の特有の爽やかな感覚は、おそらく誰しもが経験のあることではないだろうか。ましてそれが、今のように過ごしやすく穏やかな春や秋ならばなおの事である。

 だが、エリクの心に湧き起こる爽快な感覚は、青空によるものだけと言っては真を損ねるだろう。何せ空を飛ぶ航空機パイロットともなれば青空は見慣れたものであるし、穏やかとは言え今は隣国との戦争の最中なのである。ただ単に朝の快晴だけで気分をよくするなど、軍人らしからぬ無邪気さ、ないし能天気さと言わねばならない。

 

《ウィットゥベール1より各車へ、これよりラティオ国境を突破する。警戒を厳にせよ》

《スポーク1より各機、敵迎撃機に注意せよ。これより敵領だ》

 

 その爽快さの根源を物語るもの――空と地に無数に動く(くろがね)の群れから、沈着な男の声が響く。これまでは国境を超えられる側だったものが、こうして国境を超える側になった。この戦争で初めての局面であるだけに慎重にならざるを得ないのだろう、指揮官の声を待つまでもなく、警戒と索敵は事前に過剰なまでに念を押されたことだった。

 

 そう、エリクが、そしておそらく皆が共通に持つ、言い知れない爽快感。それは、これまで防戦を強いられてきたラティオが、今初めて反撃に転じられたことによるものだった。

 27日の開戦以来、レクタは継続的にラティオからの攻勢を受けて来た。エリクの所属するヘルメート基地周辺で見ても、開戦直後の空襲に加え当日中の国境防衛、そしてたびたび領空に侵入するラティオ機への警戒と、神経をすり減らすような守りの手ばかりを取らされてきたのである。

 ところが、昨日――すなわち8月29日に、形勢は大きく動いた。レクタの同盟国であるウスティオ方面へ侵攻していたラティオ軍が、ウスティオ軍による集中反撃に遭い、大損害を受けて潰走したのである。15年前の戦争で首都を含むほぼ全土を制圧されながら領土回復を成し遂げた経歴と、量より質を重視した伝統の軍制。ウスティオの逆境への強さを示すそれらの要素に加え、かつての『鬼神』を思わせる精鋭部隊の集中投入により戦況を打破したウスティオ軍は、追撃の勢いのままに国境を突破し、ラティオ西部より侵攻を開始するに至った。

 戦場は別でこそあれ、相手取る国が同じラティオである以上、状況は糸のように繋がっている。ウスティオ方面軍の壊滅に合わせてレクタ方面に展開していたラティオ軍の攻勢も一気に弱まり、その体制は明らかに攻めから守りへと移った。一局面の大勝が、戦局をも左右したのである。

 

 もっとも、ウスティオ軍はラティオの西端と接しているため、ラティオ西部からレクタ国境方面へ至るには時を要する。その支援として、ラティオ内部に楔を打ち込むというのが今回の『プレリュード』作戦の肝であった。『序曲』の名の通りこれ自体が戦況を左右するものではないが、成功すれば以降の部隊展開を容易にしうる上、ウスティオ方面への援軍も防ぐことにも繋がる。対ラティオへの攻勢を維持する上で、この作戦は地味ながら重要なものでもあった。

 

《こんだけの部隊が集まると、流石に壮観だな》

 

 ちらりと下を眺めたのだろう、機体を僅かに傾けたロベルト隊長が、通信越しに声を紡ぐ。空に、地に満ちる味方の軍勢。釣られるように改めて眺めたその様は、確かに壮観な光景だった。

 空には、前線指揮を執るスポーク隊の『タイガーⅢ』が2機とエリクらハルヴ隊の『クフィルC7』4機が上空掩護に当たり、対地攻撃を担う爆装したA-4N『スカイホーク』8機とAH-64D『アパッチ・ロングボウ』2機が低高度に付随している。地上はといえば、戦車8両に加え対空戦車2両、そしてそれに付随する装甲車や兵員輸送車、橋頭保となる陣地構築のための工兵隊が続き、緑の平原に軌道の跡を刻みながら進軍を続けていた。空から降り注ぐ光を受けて、それらは甲虫のように背を輝かせながら地を這っている。

 耐え忍んだ雪辱の機会は、必ずものにして見せる。レクタ上層部の言葉なき意志が、南部全域から戦力をかき集めたようなその布陣に見て取れるようだった。

 

《お…。『カルクーン』より各部隊へ。方位180、40㎞に複数の車両が布陣中。方位095と205からも機影が接近中、いずれも反応は小型、095の方は5機、205の方は4機。しっかり玄関でお出迎えしてくれてるぜ》

《機種は?》

《スポーク2、すまん、そこまでは分からん。ただ、大した速度じゃない。先にこちらが敵機甲部隊に到達するはずだ。他には周辺に敵影なし》

 

 スポーク1の後席、『カルクーン』ことフィンセント曹長の通信に耳を傾け、状況を整理する。

 敵陸軍の布陣は真南、すなわち現在の進行方向上。迫る機影は迎撃機だろうが、方向はてんでばらばら、数も多くなく、その上速度も到底こちらの攻撃に間に合うものではない。大方攻勢の情報を得ておっとり刀で出撃してきたので、部隊間の連携が取れていないのだろう。距離が遠いのならこちらの攻撃機への危険も少なく、こちらから迎撃に向かえば各個撃破できるに違いない。

 攻撃側の高揚、そしてこちらの戦力の利を活かせる位置取り。エリクは思いの至るまま、意見具申の形でそれを口に出した。

 

「ハルヴ2よりスポーク1。敵迎撃機は連携が取れておらず、少数です。こちらから向かい、先行して排除すべきでは?」

《0点》

「…んな…!」

 

 咄嗟の思い付きは、しかしいつも通りと言うべきか、スポーク2――パウラの冷たい声でかき消された。前回と言いこれといい、彼女はこちらの案や行動を肯定することはまずない。加えて、エリクは際立って低得点にされている感すらある。

 階級も年も下の相手の、にべもない否定の言葉。流石に癇に触れたその態度に抗弁しかけた刹那、別の声がそこに被さった。

 

「何でだよ、今なら敵はバラバラなんだからこっちが有利に…!」

《待て、エリク。俺も同感だ。》

「…隊長!?」

《言葉で表せないが、俺の勘だと何かある気がする。考えても見ろ、連中がウスティオに負けて防戦に入ってから丸1日は経ってるんだ。陸軍を無防備に置いて、しかも今更迎撃機をチンタラ向かわせるか?奴らだってそこまで間抜けじゃない》

《ハルヴ1、いい読みだ。ならばその真意はどう読む?》

《スポーク1、あくまで俺の勘ですがね。例えば囮の迎撃機でこっちの戦闘機を引き離したら、攻撃機と戦車は無防備だ。何かしら対空兵器やヘリを隠してて、こっちが近づいた瞬間に一網打尽…なんてのはどうです?》

《………》

 

 スポーク1――アルヴィン少佐の感嘆と、ロベルト隊長の読み。数秒の沈黙の間に、エリクも熱くなりかけた頭を今一度落ち着かせた。言われてみれば、確かにラティオの布陣は隙があり過ぎる。ロベルト大尉の言う通り、防戦体制に入っているのならば、数日前までのエリクらのように常時哨戒機を配置しなければならない上、スクランブル体制だって整っている筈である。それを明らかに遅れたタイミングで、慌てたように派遣するのは道理に合わない。何かしらの罠があるのか、それとも単にラティオの防空体制が追い付いていないだけなのか。

 いずれにせよ、決断は指揮官のものである。自然と目を『タイガーⅢ』へと注ぎながら、エリクは沈黙の数瞬が破られるのを待った。

 

《スポーク隊、ハルヴ隊、敵陣地へ先行し機銃掃射で露払いを行う。ネプテュヌス隊はそれに続き攻撃を実施せよ。攻撃各機増速、敵迎撃機到達前に初撃を終える》

《なるほど、身を以て向うの出方を確かめる訳ですな。りょーかい、お供しましょう》

 

 心なしか、笑っているように感じられた隊長の声。その残響を振り切って、『タイガーⅢ』を先頭とした6機が増槽を捨てながら、高度1000前後の低空にまで徐々に降下を開始した。

 一面に広がる緑の絨毯、所々盛り上がる丘。地上のそこかしこには針葉樹の林が群がり、地上の視認を困難にもさせている。眼下を流れる緑の海は徐々に速く、速く、まるで吸い込まれそうな程に近づいてくるような錯覚すら感じさせた。

 流石に音速機ともなれば、低空侵入でもその速度は速い。友軍に先行して数分ほど後には、緑の海に浮かぶ小島のような、ラティオ軍の陣地が見て取れるようになった。ほぼ円形になるよう柵と土嚢で急造陣地を組み、中には戦車や対空車輛、地対空ミサイル(SAM)の姿も見える。歩兵陣地はその左右両翼、それぞれ林を背負った位置。逆に陣地前面には樹木はほぼなく、陣地の全容は容易に見て取ることができた。射界を妨げるものが少なく、ラティオ側にとってみればSAMによる迎撃が容易な半面、攻撃側のこちらにとっては陣地急所への打撃も与えやすくなる。いわば、迎撃に特化した陣地構成に見受けられた。

 

《あくまで様子見だ、加速して一気に抜けるぞ。変に狙おうとしなくていい》

「了解。対空戦車相手はこの前で懲りましたしね」

《そういう訳だ、餅は餅屋。…さて、行くか!》

 

 ミサイルアラートが鳴り響く。対空砲が銃線を刻む。陣地への距離を詰めるごとに苛烈さを増す殺意の雨を、2機の『タイガーⅢ』と4機の『クフィル』がくぐり抜けてゆく。

 選択は30㎜機関砲。低い初速から対空戦には使いづらいものの、殊対地攻撃に関してはその威力は非常に頼もしい。引き金に指をかけながら、ガンレティクルの中で瞬く間に流れていく目標へと、エリクはその眼を見定めた。

 

 スポーク1、スポーク2、掃射を終えて左右に散開。焔を上げる燃料タンクを避けたハルヴ1が、30㎜を対空戦車へと叩き込んでゆく。

 目標、中破。履帯を切られ動きを鈍らせたそれへ、エリクは機首を向けて引き金を引いた。

 機銃が唸る。

 正面の敵が断末魔の砲火を上げる。

 すれ違い、一瞬。

 腹に風穴の空いた敵兵。

 直後に上がる炎。

 目が合ったそれらを切り抜け、エリクは目の奥の残滓を振り切って、陣地後背の林を抜けた。

 

 瞬間、だった。

 

「…っ!?何っ!!?」

 

 衝突警報。

 突如鳴り響いたアラームに、エリクは正面へ向けた目を思わず見開いた。真正面、何もいないはずの林の影から、突然機影が姿を見せたのである。

 距離、僅かに300。もはや思考を働かせる間もなく、エリクは反射的に操縦桿を引いて乗機を急上昇させた。

 

 空を切る音が遠ざかる。アラームが消え、宙返りのコクピットで視界が逆転する。

 いきなり、一体何なのか。反転した天地の中でエリクは地上を見上げ(・・・)、そこに驚くべきものを捉えた。

 

「…!林の影に…敵機!?」

《く…!まさかあのような所に潜んでいたとは…!》

 

 同じ光景を捉えたのだろう、ヴィルさんが驚きの声を上げる。

 死角となっていた、敵陣地後方の林の影。ハルヴ隊が通過するのと時を同じくして、隠れ蓑をかなぐり捨てるように、そこからいくつもの機影がゆっくりと上昇を開始していたのだ。上空から見た限りでは、AV-8『ハリアー』シリーズに似た小柄の機体6機と、キャノピーが段になった複座のヘリコプター2機。おそらく予想外のこちらの攻撃に慌てて離陸したのだろう、高度確保を優先しているためにその速度は極めて遅い。

 

《Mi-35P『ハインドF』にYaK-38『フォージャー』…なるほどな。こっちの護衛機を引き剥がしてから、隠してた垂直離着陸機で攻撃部隊を料理する腹だったか。手札さえ見えればこっちのもんだ》

《スポーク2、ハルヴ隊、離陸した敵機を優先的に攻撃せよ。ネプテュヌス隊は続けて攻撃に当たれ》

 

「本当にいたなんて…。………ハルヴ2、了解!」

 

 その瞬間抱いた感覚を、どう表現すればいいのだろう。畏れ、羨望。分解してみれば多々あるが、一言で言えば最も近いのは『驚愕』だろうか。

 敵迎撃機の出方に注力していたエリクに対し、パウラはそれを『0点』と一蹴し、ロベルト隊長は状況を読んで、敵の作戦を正確に言い当てて見せた。それも、事前情報も機体の走査能力も、同じ条件下にあったにも関わらずにである。自分には見えていない何かが、ロベルト隊長やパウラには見えていたのか。自分に今足りないものは、一体何なのか。

 ――いや、迷うな。今はただ戦えばいい。生還さえすれば、時間は腐るほどある。その時に、改めて考えればいいだけのことだ。

 そう、生還さえすれば。

 

 渦巻く思考の釜に蓋をし、エリクは操縦桿を引いて、機体を宙返りから直下への下降へと移行させた。目標、高度を上げつつあるYaK-38。垂直方向に推力を割いているため、その水平方向への機動はまるで歩くように遅い。

 ほとんど静止目標と化したそのコクピットへ、エリクは照準器を定めた。

 林を掠めるのも構わず、『フォージャー』が徐々に前進し始める。

 パイロットがこちらを見上げる。

 絶望に満ちたその目が合う。

 引き金。

 

 一瞬赤く染まったそのコクピットは、続いて降り注いだ次弾で跡形もなく砕け、爆散。エリクは『クフィル』を水平に立て直し、地に炎をまき散らす残骸の上空を駆け抜けていった。

 周囲を見渡すと、他のハルヴ隊メンバーの攻撃によるものだろう、既に他にも『フォージャー』3機が墜ちている。残る2機は懸命に速度を上げ、攻撃体勢に入りつつあるネプテュヌス隊の『スカイホーク』迎撃に向かいつつあった。純粋な戦闘能力や積載能力は通常の制空機に劣るとはいえ、『フォージャー』は曲がりなりにも対空戦能力を有する。正面から迎撃に遭えば、いかに頑丈な『スカイホーク』といえども被害は免れないだろう。

 

《あっ…!隊長、2機抜けました!『スカイホーク』の方に向かってます!》

《おう。エリク、クリス、その2機を頼めるか?俺とヴィルさんは『お客さん』の相手をしなきゃならんようだ》

《あれは…接近していた敵の迎撃機ですね。了解、ハルヴ1》

「こっちも了解。任せて下さい。クリス、右の奴を頼めるか?」

《はい!》

 

 『お客さん』――ロベルト大尉の言葉に空を見上げ、エリクもその意味に気づいた。

 高度、概ね2500。戦域の上空に見える4つの飛行機雲が西からまっすぐ伸びているのが、エリクの目にも映った。おそらく『カルクーン』の情報にあった、方位205から接近していた4機の迎撃機。その機影は徐々に高度を下げ、こちらを指しつつあるようにも見える。

 『フォージャー』を始末し終えていない以上、こちらは両方に戦力を二分しなければならない。機首をもたげるロベルト大尉らの『クフィル』を潜り抜けるように、エリクとクリスの『クフィル』は加速しながら『フォージャー』の背を追った。

 

 垂直離着陸機の『フォージャー』に対し、『クフィル』は加速に優れるデルタ翼機であり、もとより加速能力には雲泥の差がある。その尻尾は瞬く間に『クフィル』の間合いへと引き込まれ、蛇行する背を目前に晒し…その迷彩色の背に、ヘッドアップディスプレイ(HUD)のダイヤモンドシーカーが重なった。

 当然ながら、敵もまた防御兵装を持っているであろうことは過去の経験からも推察される。過去の戦闘から予測を立て、エリクは捉えたその背へAAMを1発放ち、間を置いてもう1発のボタンに指をかけた。

 

 『フォージャー』の背を白煙が追う。

 ミサイルの軌跡が、不意に揺らぐ。

 『フォージャー』の背が光る。防御兵装――フレア。

 放たれた高熱の塊が、ミサイルを誘いその誘導を狂わせてゆく。

 敵機、急減速。こちらのオーバーシュート(追い越し)を誘う、絶妙のタイミング。

 その、一瞬。エリクは指に力を込めた。

 

 オーバーシュートを競う至近距離ならば、ミサイルの飛来は1秒と経たない。速度を落としていた『フォージャー』はフレアを散布する余裕もなく、放たれた第二射に尾部を砕かれ墜ちていった。僅かに残った飛行能力を、傍らを擦過した『クフィル』の余波で奪われながら。

 敵機、1キル。旋回がてらに右翼側を見渡せば、クリスはまだ『フォージャー』を撃墜できないでいるようだった。中距離射撃が苦手らしいことに加え、ミサイルを放つタイミングも完璧に読まれているらしく、加減速とフレアでいいように翻弄されている。

 

《中尉、エリク中尉ぃ~!当たりません、助けて下さいー!》

「お前な…。待ってろ、そいつを逃がすなよ!」

 

 まるで蝶を捕まえられず闇雲に虫取り網を振り回す子供のように、涙声で泣き言を漏らすクリス。呆れ半分、先輩風半分の溜息一つ、エリクは機体を右へロールさせ、操縦桿を引いて横方向への旋回に入った。幸いにもクリスの追撃で、敵の進路は『スカイホーク』隊から離れつつある。その意識もクリス機に奪われている以上、横方向からの一撃離脱を狙うのが最も効果的だろう。

 敵の予測進路上へ鼻先を向ける。傾いた主翼が林を掠める。距離、800。もう少し。

 ――だが。狙いを定めたその敵機は、横合いから別の射線に貫かれて揚力を失い下降。照準器の中で四部五裂し、樹木に躓いて地に転がった。

 横合いからの、狙いすましたかのようなタイミング。

 まさか。

 不意に兆した嫌な予感。案の定と言うべきか、その黒煙を割いて上空を通過したのはパウラの『タイガーⅢ』だった。

 

《遅い》

《な…!何なんですかもう!私が追って、先輩が隙を狙って追い込んでたのにその言い草!》

《私語でマイナス5点》

《…ぬぬぬぬ…!…せ、先輩も何か言って下さい!》

「まあ、おいおい慣れるだろ。ハルヴ2よりスポーク1、低空域の敵機排除完了。指示を請う」

 

 慣れとは恐ろしいものである。先のように状況によって腹を立てこそすれ、パウラと初の邂逅から約1か月を経れば当初より耐性もできるものらしい。いつの間にか合間合間の暴言にさして腹を立てていない自分に、エリク本人も幾分驚く思いであった。…もっとも、多分に悲しい環境適応の姿ではあったが。

 

 ともあれ、戦況は順調に推移している。

 ロベルト大尉の看破のお蔭もあり、ラティオ軍の秘策だったYaK-38は全機が撃墜。Mi-35Pもパウラの手で先んじて撃墜されていたらしく、その姿は既に空に見当たらない。敵陣地へは8機の『スカイホーク』が襲い掛かって打撃を与えている最中であり、既にその戦力は半減。上空を見上げれば、まだ撃墜の炎こそ見えないものの、隊長たちは敵の4機と互角に渡り合っているようだった。アルヴィン少佐のF-5Fも敵機を牽制しつつ状況を俯瞰しており、隙は皆無と言って良い。肉眼にも電子の眼にも映る機影は上空の敵機を除いて他に無く、どこから見ても敵の脅威は確実に潰えつつあるように思えた。

 

 だが、現実は時として人の想像を超える。

 エリクは、そして今この場にいる全てのレクタ軍人は、おそらく失念していた。この地を巻き込んだ15年前の戦争で、人の想像を『超えた』超兵器が確かに存在していたことを。そして、それらは今なお世界の各地の存在し、脅威となっていることを。

 

《こちら『カルクーン』。ハルヴ2、早急な対応感謝する。周辺空域に他の脅威なし、増援の5機も視界外でウロウロしてるだけだ。上空の戦域に加勢し、残る4機を撃退してくれ。スポーク2、お前も加勢を頼む》

「ハルヴ2了解。ハルヴ4とともに上空へ移行する」

《スポーク2了解。ただちに…》

 

 パウラの通信を背に受けながら、機首を上げかけたその刹那。まるで近くに落雷したかのように空が光り、エリクの視界が一瞬白に塗りつぶされた。

 何だ、これは。

 落雷ではない。空は依然快晴のまま、雷雲など影一つない。湖や機体そのものへの太陽光の反射でも無論ない。

 

 光の瞬間、脳裏に挟まった違和感。

 それは一瞬後、空を引き裂く轟音と、機体を殴りつける凄まじい暴風に掻き消された。

 

「う、あ、あああっ!?何だ、何が…!?」

《きゃあああぁぁぁ!!》

《な…何だぁ!?今空が光ったぞ!?》

 

 悲鳴、そして混乱。もはや誰の声かすら聞き取れない暴風の中、エリクは木の葉のように舞う機体を辛うじて立て直した。

 まるで台風の中にあるような、空気の塊を叩きつけられたような凄まじい衝撃。だが幸いにして機体に損傷は見られず、手早くチェックした限りエンジン出力、通信、いずれも異常は見られなかった。キャノピーや主脚等の破損、兵装類の異常といった致命傷も危うく免れている。

 だが、一体何だというのか。

 計器類に向けた目を上げて、キャノピー越しに見下ろした先。そこには、目を疑う光景が広がっていた。

 地表に刻まれた、焦げたような黒い円。辺縁の草木は焼け焦げ、その周囲に原型を失った鉄屑がいくつも炎を上げて転がっている。そして、先程までその空域を飛んでいた筈のネプテュヌス隊のうち、4機の姿が見えない。

 文字通り一瞬の光芒、灼けた大地、そしてロストした機数と一致する残骸の数。

 まさか、そんな馬鹿な。

 

《ね…ネプテュヌス2、3、4が撃墜!…くそっ、ネプテュヌス8もだ!何だ、何が起こったんだ!?》

《さ、散開、散開だ!陸軍、あんたらも林の影に隠れろ!》

《こちらウィットゥベール1。直掩の空軍機へ、いったい何が起こった。状況知らせ》

《分からん!空が光ったと思ったら、一瞬で『スカイホーク』4機がスクラップになった!何なんだありゃ、聞いてないぞ!》

 

 勝利の色濃い空と地が、再び恐慌と悲鳴に塗りつぶされてゆく。攻撃を中断し個々に散開する『スカイホーク』。進行を止め、空を見回す陸軍部隊。混乱と恐怖は一瞬で人々から統制を奪い、戦場を混沌へと変えてしまったかのようだった。

 そして。その恐怖すら嘲笑うかのように天から注いだ第二射は、今度は継続的に照射されていた為だろう、エリクの目にも明瞭に軌跡が捉えられた。まるで何かの冗談のように、恐ろしくはっきりと。

 

「これは…レーザー!?…馬鹿な、こんなものが!」

《何だこれは…!逃げろ、各車丘に退避しろ!急げ!》

《……『エクスキャリバー』…!?》

 

 最後に上げた声は、隊長のものだったのだろうか。それすら判然としないまま、エリクは噴き出た汗を拭う間もなく機体を翻えさせた。

 危うい所で、光が翼を掠めて過ぎる。光は縦横に地を奔り、草木を裂き、人を焼いてゆく。先ほどと違い、装甲の厚い戦車などは外装が焼けるのみに留まっているものの、それとていつまでも照射を受ければ耐えられるものではないだろう。事実それを証明するかのように、光線の交点に位置した不運な装甲車が一台、先の『スカイホーク』同様に融けて灼ける様が目に映えた。

 

《なんという有様だ…!スポーク1より空軍各機、無事か》

《ネプテュヌス1、残存各機は健在。ヘリ部隊2機も無事です》

《ハルヴ1異常なし。ハルヴ隊大丈夫か、死んだ奴は返事しろー。…よし、ハルヴ隊損失なし》

「そんな適当な生存確認ありますか…。とはいえ何とか無事、に…」

 

 流石に隊長の言は各機の無事を確かめた上での冗談だろうが、ともかく通信から判断する限り、敵の第二射は機甲部隊を狙ったものだったらしい。航空機への損害こそ無かったものの、地上の有様は目を覆いたいほどの光景だった。黒焦げになった肉体、半ばから融けた車両。ちろちろと燃え始める草と、衝撃で捩じ曲がった幹。被害を受けたその全てが、原型を留めていない。

 左から右へ、被害を確かめるべく視界を巡らせたエリクの目に、空に漂う黒煙が映ったのはその時だった。後方のクリスは無事、他の機体も健在。地上から立ち上る黒煙とも、方向が違う。ならば。

 その主を眼で追った先。そこにあったのは、右尾翼と主翼の一部を切り裂かれたパウラの『タイガーⅢ』の姿だった。

 

「…な…スポーク2、大丈夫か!?ハルヴ2よりスポーク1、スポーク2が機体損傷!尾翼と主翼の一部が欠落しています!」

《なんだと…!?スポーク1よりスポーク2、ただちに基地へ引き返せ》

《スポーク2より1、まだ飛行は可能です。…少佐、お願いします。私は一緒に…》

 

 尾翼どころか、揚力の源たる主翼の一部まで失った痛々しい姿。それでもなおパウラの技術が成せる技なのか、『タイガーⅢ』は辛うじてバランスを保ち、よろめきながらも飛行を維持していた。

 もっとも、それもいつまで持つか分かったものではない。緻密な計算で構成される航空機は、ひとたびバランスを崩せば容易に墜落しうるのである。F-15『イーグル』などは片翼を失ってなお生還した伝説を持つ名機だが、それは高出力のエンジンと優れた機体構造が成し得た例外に過ぎない。まして、エンジン出力が小さく主翼も小型な『タイガーⅢ』ならばなおの事、飛行の継続は至難と言わざるを得ない。

 抗弁するパウラの声は、それでもいつになくしおらしい。それに被さるアルヴィン少佐の声音もまるで噛んで含めるようで、どこか親子のような、不思議な印象を感じさせた。

 

《パウラ。状況は悪化している、お前を庇う余力は無い。…いずれにせよ当地の確保は不可能だ。レクタ各部隊はこれより敵兵器射程外まで撤退する。陸軍各隊、ただちに反転し後退せよ。空軍各機は上空を支援する。ハルヴ2、撤退するスポーク2の護衛に就け》

「な…!何で俺…いや自分が!?」

《そ、そうですよ!なんで中尉が!?》

《友軍機を丸腰で退かせる訳にはいかん。ハルヴ1と3は上空、4は技量が心許ない。位置としてもハルヴ2が適任だ。行け》

《ま、よろしく頼むぜエリク。俺らは追撃機撒いたら適当に逃げて来るからよ》

「…了解。スポーク2、追従せよ。これより撤退する」

《……………》

 

 まさかの護衛役抜擢に、思わず重なるエリクとクリスの声。惑う若人二人の言葉は冷たい声に押さえられ、隊長の追撃も加わりそのまま押し切られる結果となった。納得いかない、そんな3人の沈黙を残して。

 操縦桿を傾け反転する『クフィル』。パウラの『タイガーⅢ』は、無言ながらも緩やかに旋回し、エリクの左横に機位を就けた。同高度真横に位置するだけに、溶断された主翼の断面はキャノピー越しにもつぶさに見て取れる。

 凄まじい熱量と暴風、そして複数本が重なれば装甲をも溶断する威力。それを至近距離で受けたのである、中のパウラは果たして無事であるのかどうか。エリクの脳裏に束の間(よぎ)るは、レーザーの直撃を受けて黒焦げになった歩兵の姿。目に焼き付いたその光景を思わず想起し、エリクは微かに身震いした。

 

「…ハルヴ2よりスポーク2。体の方は無事か?どこか傷めたりしてないか?」

《………》

「通信装置の故障か…?スポーク2、応答を…」

《私語》

「………ああもう、いっそ減点でもなんでもいい。とにかく怪我はないんだな?」

《………》

「もうちょっと融通の幅があってもいいと思うぜ、スポーク2」

《………》

「……分かった、悪かった。もう黙るよ」

 

 エリク・ボルスト25歳、これまでの人生でここまで会話が続かない相手は初めてである。私語厳禁は分かるが、せめて怪我の有無の確認くらいは許容してくれたっていいではないか。それも、一応別部隊とはいえこちらが上官かつ年上だというのに。

 もっとも、結局はその先輩たる意地が却って足枷となる。積もり積もった不満は口に出ることなく、ふてくされたような言葉一つ残して胸の奥にしまいこむに留まった。思うがままに口は出せず、何ともこの世は世知辛い。

 ――ところが。通信回線を切りかけた矢先、不意に声が響いたことに、エリクは思わず驚いた。

 

《ハルヴ2》

「…!?何だ、やっと話す気に…」

《正面機影3》

「な!?…馬鹿な、一体どこから!?」

 

 パウラの声、そしてその中身。二重の意味で驚いたエリクは、思わず心臓を跳ね上げた。

 頭が冷える。目が、レーダーとHUDを交互に捉える。反応は確かに3、距離わずか1600。眼下は林と平原ばかりで、基地はおろか滑走路すら見当たらない。

 だが、遠目に捉えたその姿に、エリクは思わず舌を打った。極めて小さな正面の面積、そして機体上部の回転翼。間違いない、先と同様、ラティオ軍のヘリコプター。おそらくはこちらの撤退ルートを読み、こちらの通過後に埋伏したに違いない。

 

《機種確認、Ka-50『ホーカム』。AAM搭載の可能性あり》

「…冗談だろ…!パウラ、回避行動は取れるか!?」

《急速旋回、ならびにロールは不可》

 

 再び、額に汗が滲む。

 状況は極めてまずい。機関砲程度しか対空兵装を持たない『ハインド』と異なり、眼前の敵機――『ホーカム』はパウラ曰くAAMを搭載できるという。レクタ陸空軍を相手取る予測ルート上に配している以上、対地兵装しか装備していないというのは甘い考えだろう。そして何より、パウラの『タイガーⅢ』は実質回避を封じられており、正面からミサイルを撃たれれば成す術がない。つまり、初撃で3機すべてを撃墜しなければならないことになる。

 ところが、ここに問題が一つ。先ほどAAMを2発使ったため、現在のエリク機にはAAMが2発しか残っていないのである。機銃も装備してはいるものの、ただでさえ小さいヘリを相手に、威力と引き換えに正確さの劣る30㎜では直撃を狙うのは難しい。

 

 どうする。

 迷う間にも、相対距離は瞬く間に詰まってゆく。

 距離1500、1400、1300。あと数秒で、パウラの機体もAAM射程内に入ってしまう。

 くそっ、ヘリ相手に苦戦する筈も無い音速機が、まさかこんな状況で追い詰められるなんて。

 何か手は無いか。ミサイルはもう2発きり、1発を2機に当てる神業など到底不可能。ならば、2発を確実に当て、一か八か機銃で勝負を挑む他ない。それも音速機の強みを活かし一気に加速をかけ、パウラへの脅威を最小限に食い止めながらである。そう、音速機の強みを活かして。

 ――音速。

 待てよ。確か昔、空軍士官学校で――。

 

「…!パウラ、進路そのまま!」

《…了解》

 

 記憶の底に眠った知識。不意に蘇ったそれは閃きとなり、短い言葉となって口に昇った。

 目標、左右両翼の『ホーカム』。同時に踏み込んだフットペダルは、瞬く間に『クフィル』の鼓動を高めてゆく。

 距離、1000。

 ダイヤモンドシーカーが『ホーカム』の機影を捉える。

 選択、AAM。

 続けざまに放たれたミサイルが、両翼の2機へと殺到する。

 爆炎。

 ミサイルアラート。

 咄嗟に傾けた機体の脇をミサイルが掠めてゆく。

 加速で照準がぶれる。

 ロールで機体が安定を失う。

 翼が、音を越える。

 

 まともに見定められない照準、ロールで射線を外れた敵機。

 エリクは引き金を引くことなく、衝突ぎりぎりの位置を掠めて、『ホーカム』のすぐ傍らを擦過した。

 

《あ…》

「…成功だな。スポーク2、このまま帰還しよう。追従を。…ふー、冷や汗ものだな」

 

 機銃での射撃を逸したエリクとすれ違い、後続の『タイガーⅢ』を射界に捉える筈だった『ホーカム』。しかし、高い安定性を誇る筈のその機体は右方向へと回転を続け始め、その正面を失いつつあった。よくよく見れば、その回転翼やキャノピーの一部が砕け散っているのが判別できる。

 

 エリクが咄嗟に行ったのは、『クフィル』の加速性能を活かした兵装を使わない攻撃方法――すなわち、音速飛行時の衝撃波を利用した部位破壊であった。航空機が音速を越えた際に生じる衝撃波は、その飛行物体と近ければ近いほど当然威力も大きくなる。殆ど零距離で擦過した『ホーカム』の受けた衝撃は、おそらく想像を絶するものだっただろう。機体自体はもちろん、『中身』も無事では済んでいまい。

 

《…15点》

「うん?」

《機体損傷のリスク大、リスク管理意識の欠如。…発想はまずまず》

「…そりゃどーも」

 

 緩やかに堕ち行く『ホーカム』を尻目に、二つの機影がラティオの地を駆けてゆく。

 一線を越えた戦況、降り注ぐ光芒、そしてその先にある言い知れない脅威。

 それらを微塵も感じさせない、爽やかな晴天の日差しを浴びながら。

 




《諸君、よく戻ってくれた。予定ポイントの確保は失敗したものの、敵兵器射程外と思しき70㎞西の地点を友軍が確保することに成功した。以降、この地点を橋頭保とし、東進するウスティオ軍と連携しつつラティオへ攻勢を与えることになるだろう。
なお、今回確認されたラティオ軍新兵器の詳細は現在調査中である。情報が入り次第、諸君に周知を行う。確報が入るまでの間、本件の口外は厳に慎むよう》

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