Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《第7国境警備隊より緊急連絡が入った。本日1600時、ラティオ機甲部隊がレクタ中部国境から侵入し、交戦状態に入ったとのことだ。情報によるとラティオ軍は戦闘攻撃機や空挺戦車も用いた大規模な部隊で展開を行っており、既に国境警備隊は壊滅、増援の友軍も劣勢に立っている。このままでは、国境の突破も時間の問題だ。
もはや一刻の猶予も無い。諸君はただちに出撃し、展開中の陸軍部隊を支援せよ。なお、他の空軍部隊は東部国境から侵入しつつある敵部隊の迎撃で手一杯となっている。当該方面は、諸君に委ねる他ない。頼んだぞ》



第4話 境界の炎碑

《ハルヴ1、離陸する(テイクオフ)

 

 『クフィルC7』の小柄な機体が、眼前を奔り空へと舞い上がってゆく。

 

 夜明け前の宣戦布告と、時を同じくした奇襲攻撃から半日あまり。傾いた太陽の下で朱に染まるヘルメート空軍基地は、再び戦場の喧騒に包まれ始めていた。

 慌ただしい。開戦から1日を経てすらいない中で、様々なことが起こり過ぎ、脳が熱を帯びているような感すらある。タキシングから滑走路へと入り、乗機『クフィルC7』の中で離陸を待つ青年――エリクは、胸にこみ上げたその思いに深くため息をついた。

 

《ハルヴ1、離陸確認。ハルヴ2、離陸を許可する。滑走路の片方はまだ復旧していない、脚を折って滑走路を塞ぐなよ》

「今更そんなヘマするかよ。ハルヴ2、離陸する」

 

 はっ、と短い笑い一つ、エリクはフットペダルを踏みこむ力を強めてゆく。最初はじわりと、そして徐々に速く、速く。『クフィル』は徐々に速度を上げ、正面の計器類がその数字を見る見る上げてゆく。

 もっとも、今回は対地攻撃任務ということで、今日の機体は重い。9か所を有するハードポイントのうち、増槽とIR誘導式空対空ミサイル(AAM)で3か所を占有した他は全て無誘導爆弾(UGB)を搭載しており、その装備重量は『クフィル』の最大搭載量である6tにも迫る。戦闘機にすらフル装備の爆装を施して対地任務を担わせなければならないという辺りに、ラティオの初撃で戦力の半分を失ったヘルメート基地の苦衷が色濃く滲み出ていた。

 管制官の言う通り、片方の滑走路が爆撃で使えない今、この滑走路まで塞ぐ訳にはいかない。エリクは滑走路の端まで機体を加速させ、十分に速度が乗った所で操縦桿を引き起こした。ふわり、と空に舞い上がった機体は、しかしやはり上昇が鈍い。操縦桿の手応えにこそ普段と差は無いものの、実感として『クフィル』が重たがっているようにもエリクには感じられた。

 

《ハルヴ2離陸完了。続いてハルヴ3、離陸せよ。ハルヴ4はタキシングへの進入を許可する》

 

 ゆるゆると昇ってゆく機体から、しばし基地の方を振り返る。

 『中身』ごと燃えて潰れた第3格納庫、熱でひしゃげた対空砲、基地を護るべく危険を冒して離陸し、直後に敵に喰われた中隊長機の残骸。そして基地の敷地の一歩外、離陸中のこちらを護るため最期まで足掻き続けたサテリトゥ3が、地に墜ちて刻んだ機体の墓標。夕焼け色に染まったヘルメート基地は、卑劣な初撃で血を流したレクタそのものの象徴にも見える。

 だが、これしきで怯んではいられない。中隊長に、そしてサテリトゥ3に護られた自分が、今度は護る側になるのだ。小隊の皆を護り、基地を護り、ひいてはレクタと言う国を護る。そのためには血を流すことも、血が流れることも厭わない。その信念は、けして折らせはしない。知らず、エリクは操縦桿を握る力を強めていた。

 

 2010年9月27日、16時45分。オーシアとユークトバニアの開戦に世界が揺れたこの日、人知れぬ辺境の地でもまた、戦火がひっそりと燃え立ちつつあった。

 

******

 

《スポーク1、『カルクーン』より各機へ。今回は臨時編成につき、当機が前線航空管制を行う。緊急時には本官の指示に従われたし》

《ハルヴ1了解。こっちは多分対地攻撃につきっきりだ、指揮頼んまっせ》

 

 先頭を飛ぶスポーク1――正確には後席の『カルクーン』ことフィンセント曹長から、令達の声が耳に届く。どこか馬が合ったらしいハルヴ1――ロベルト大尉の冗談めかした会話に、フィンセント曹長が応えるという応酬数巡。重なるそれらは、スポーク隊2番機のパウラが『うるさい』と短く一喝するまで繰り広げられた。

 

 ラティオによる今朝の先制攻撃で、ヘルメート基地の受けた被害は甚大だった。ハルヴ隊こそ全機無事だったものの、迎撃のために先行した第1小隊――サテリトゥ隊は4人中3人が戦死。出撃待機中だった第3小隊に至っては格納庫に爆弾が直撃し、その全員が戦死してしまったのだ。スポーク隊の2機が臨時に基地航空隊に加わったとはいえ、戦力が半減した以上、航空基地としての機能は著しく低下したと言っていい。

 フィンセント曹長の言う『臨時編成』というのも、いわばその苦衷を含めた現状を指したものである。スポーク隊の2機にハルヴ隊の4機、そしてサテリトゥ隊の生き残り1機では、機数も役目も異なり偏りができてしまう。そのために、今回は指揮官機たるスポーク1を除き、2機ずつの3分隊に分けて編制するよう申し合わせをしていた…というのが、その実態であった。すなわちスポーク2――パウラとサテリトゥ4が第1分隊、ロベルト大尉とヴィルさんが第2分隊、そしてエリクとクリスが第3分隊となる形である。指揮に専念できる複座機はスポーク1のF-5Fのみであり、各々の乗機や技量を考えると妥当な配置と言えるだろう。ミーティング通りに推移した場合、各機が爆撃を完了した後に、対空・対地それぞれに分かれて2機編制で行動することになる。

 

《スポーク1より各機。あと5分で戦闘空域に入る。火器管制を再度確認、警戒を厳にせよ》

 

 明るい雰囲気のフィンセント曹長とは打って変わって、アルヴィン少佐の峻厳な声がぴしりと空気を引き締める。はるか彼方に見えるいくつもの黒煙は、国境警備隊や陸軍の戦闘の痕跡だろうか、たなびく靄のように色濃く見て取れた。ちらりと目を走らせた時計は、既に17時と20分。戦闘開始から既に1時間以上は経過している計算になる。

 先制攻撃でレクタの空軍をまず叩き、その後に支援を無くした陸軍を電撃的に攻略する。ラティオの描く戦略はまさにそれであり、近現代的な電撃戦の模範ともいうべき道筋を辿って構築されている。その点、いかにして制空権を確保するかが重要視される現代戦において、最初期から出遅れたレクタの不利は文字通り致命的だった。航空支援の無い機甲部隊の脆さは、過去のいくつもの戦いが証明しているのだ。

 その状況が、既に1時間も経過している。事前情報によるとラティオは戦闘攻撃機や空挺戦車まで投入しているとのことであるから、友軍は包囲の憂き目を見て苦境に立っているのだろう。いや、目の前に広がる黒煙の数からすると、もしかすると既に。

 こみ上げるは、不安、焦り、そして怒り。脚元を掬いかねないその全てに、エリクは懸命に耐えた。焦るな、焦らなくていい、焦る必要はない。焦った所で『クフィル』の脚は早まらず、そして侵攻中の敵は逃げはしない。たとえ前線を突破されようとも、それ以上侵攻させなければこちらの勝ちなのだ。

 

 見えた。

 たなびく黒煙の下、いくつもの砲火が飛び交う大地の上。そこには小高い丘陵を間に挟み、いくつもの車両が対峙しているのが見て取れた。南側はラティオ軍、北側はレクタ軍だろうが、レクタ軍の一部は西側の森林地帯にも対峙しており、その上を絶えず航空機が飛び交っている。戦場のあちこちには既にいくつもの車両が残骸となり、炎を上げながら横たわっていた。

 

《こちらレクタ第5航空師団スポーク隊。展開中のレクタ陸軍、誰か応答しろ!生きてるか、状況はどうなっている!?》

《…!やっと来たか!こちら第2機甲師団第6機甲大隊『ブラウンベール4』!もうこっちは大隊長以下半分がやられた。南と西からも包囲されている!早いとこ片付けてくれ!》

《了解した。まず敵の機甲部隊を叩く。各分隊、編制順に爆撃を実施せよ。目標、丘陵南のラティオ部隊》

《了解。スポーク2より爆撃を開始します》

 

 親身なフィンセント曹長とは対照的に、アルヴィン少佐とパウラの機械的な応答が鼓膜を揺らす。編制順の対地攻撃を取るにあたり、取った隊形は斜め一列。パウラを先頭とし、右手側に捉えた敵部隊へ順々に降下して波状攻撃を仕掛ける戦術である。航空指揮を執るためであろう、スポーク1のF-5F『タイガーⅢ』は高度を上げ、1300フィート付近に位置取った。

 増槽を捨て、火器管制を今一度確認する。武装選択、UGB。対地爆撃は初めてだが、演習では何度も経験している。戦車を始めとした多彩な車両が居並ぶ様は壮観でこそあれ、やることは一緒だ、気負うことはない。

 

 先頭のF-5E『タイガーⅢ』が機体を傾け、斜めに降下してゆく。数秒の間を開け、サテリトゥ4が、ロベルト隊長が、そしてヴィルさんが続いてゆく。

 降下してゆく、ヴィルさんの『クフィル』。それに続くように、エリクも機体を右へと傾け、目標へ向けて機体を降下させていった。既に爆撃を受けた敵の最左翼からは濛々と黒煙が上がり、恰好の煙幕となっている。

 機体に速度が乗る。『クフィル』の三角翼が煙幕を突っ切る。時折空気を裂くように光を刻む曳光弾が、正面から、横から、機体を掠めて飛び去ってゆく。

 黒煙を抜けた、その先。エリクの目に真っ先に飛び込んできたのは、殺意のようにこちらを指した4門の砲身だった。

 

「…っ!対空戦車か!」

 

 思わず、詰めたような声が吐き出される。

 上から押しつぶしたような平らな砲塔、車体下部のキャタピラ、そして全面に取り付けられた4門の砲身は、ユークトバニア製の対空戦車…確かZSU-23-4と言っただろうか。チャフやフレア等で欺瞞できる地対空ミサイル(SAM)とは異なり、妨害手段のない実弾による対空砲火は低空侵入時の大きな脅威となる。特に23㎜機関砲4門に加えレーダーをも備えたZSU-23-4の迎撃性能は高く、十分に注意するよう周知されたばかりであった。

 ――それが、真正面からエリクとクリスを狙っている。

 

「ちっ…!クリス、正面対空戦車!俺が叩く、迷わず抜けろ!」

《えっ…!?は、はい!》

 

 逡巡は、命取りとなる。エリクは咄嗟にボタンを押し、その場でUGBを全弾投下させた。UGBが直撃すればそれでよし、外れたとしても破片と砂煙はしばらくレーダーと視界を遮ってくれる。何より、いち早くクリスへの脅威を除かねばならない以上、このまま無手で上空を通り抜ける悪手は回避しなければならない。

 慣性に従い爆弾が斜めに落ちてゆく。入れ違いに、正面から23㎜弾が殺到する。コクピットに響く衝撃、そして金属を穿ったような音。いくつかが装甲を貫通したのだろう、激しい炸裂音が耳朶を叩き、上空を擦過してからもこちらの背を追いかけてくる。歯を食いしばりそれらに耐えた直後、乗機の後方でいくつもの爆炎が上がり、後方警戒ミラーに何かが吹き飛ぶ様が見て取れた。

 第3世代機の中でも比較的後期に開発された『クフィル』は搭載能力が高く、1つのハードポイントにUGB3発の搭載が可能である。すなわち、投下されたUGBは実に12発。流石に本職の攻撃機には一歩譲るものの、同世代の制空戦闘機の範疇では、地上への制圧能力は優れた機体だったと言って良いだろう。

 

 操縦桿を引き、敵の対空迎撃から逃れるべく機体を急上昇させる。後方眼下では、煙幕を抜けたクリスが敵部隊右翼寄りへ爆弾を投下し、装甲車やミサイル車両を撃破する様も見えた。先攻攻撃した4機は既に上空にあり、全てが健在のようである。

 

《各機投弾完了。予定通り、以降2セルで行動する。第2分隊は西に迂回した敵部隊を可能な限り撃破せよ。第1、第3分隊は戦域の戦闘攻撃機の排除に当たれ》

「ハルヴ2了解。敵は…あれか。今朝基地を襲ったのと同じ奴だな」

《直線翼の機体も複数混じっているみたいです。あれは…確かSu-25だったでしょうか。ちょっと自信ないですが…》

 

 アルヴィン少佐の下命に従い、ロベルト隊長率いる第2分隊が西の森林部へと鼻先を向け、パウラの第1分隊が友軍の上空から攻撃する敵機目がけて降下してゆく。エリクも機体を傾けて徐々に高度を下げながら、敵の状態を見定めた。ざっと上空から見た限り、総数は7機。うち5機は今朝ヘルメート基地を襲ったのと同じ、葉巻型の胴体に可変翼を装備した戦闘攻撃機、Su-22M4『フィッターK』と伺い知れる。残る2機はエリクも見覚えのない、胴体真横にエンジンを装備した直線翼の機体である。クリスの言を信じるなら、対地攻撃機として名高いSu-25『フロッグフット』だというが、実物を見たのは初めてだった。『フロッグフット』を第一の脅威と見なしたのか、機動を見る限りパウラはその一方を狙っているらしい。

 

「『フロッグフット』は第1分隊に任せよう。目標、2時下方の『フィッターK』。ミサイルを浪費するなよ」

《了解です!…みんなの仇を、ここで…!》

「応!」

 

 機体を傾け、見定めた敵の位置目がけて操縦桿を倒して降下してゆく。目標は、2機1組となって機銃掃射を続けている『フィッターK』。既に対地兵装を使い切ったらしいとはいえ、機体上面を撃たれ続ければ地上部隊には脅威となるだろう。いち早く排除しなければ、戦線の瓦解にも繋がりかねない。

 目標との距離、目算で1400。友軍の自走式対空砲が絶えず砲火を上げていることもあり、敵機はこちらに気づく様子すらなくひたすらに掃射を続けている。低空の運動性では『フィッターK』に分があるとはいえ、後方警戒を怠っている今ならば『クフィル』得意の一撃離脱で片を付けられるだろう。

 目標へ向けて、エンジンが唸りを上げる。降下の加速が乗った『クフィル』は瞬く間に距離を詰め、ヘッドアップディスプレイ(HUD)上の敵機にダイヤモンドシーカーが重なる。

 電子音が告げるロックオン。漸くこちらのレーダー照射を察知したらしい『フィッターK』が身を捩って回避運動に入るが、到底逃れうる距離ではない。躊躇いなく引かれた引き金は、そのまま煙の尾を曳くミサイルとなり、向かって右側の敵機へと吸い込まれて爆発した。

 爆炎が爆ぜ、部品が飛び散り断末魔を上げる『フィッターK』。それでも、強靱さで知られた機体は、よろめきながらも今だ墜ちることを拒んでいる。

 

「流石に頑丈だな…。クリス、止めを頼む」

《了解、仕留めます!》

 

 中破した敵機の脇を抜け、エリクは左側に逃れたもう1機の『フィッターK』の背を追った。既に可変翼を最大まで開き、速度を落とした低速旋回で回避に入っている。低速時の安定性に劣る『クフィル』の欠点を見越し、横方向への機動で回避する戦術を咄嗟に取った辺り、一筋縄ではいかない相手のようだ。

 ならば、狙いはただ一点。エリクは機体の速度を落とさず、左旋回に入る敵機の斜め後方から一気に距離を詰めた。

 電子音がロックオンを告げる。距離が900を割る。近すぎず遠すぎない、AAMが『フィッターK』の機動に追随できるぎりぎりの距離。必中を期した間合いを見定め、エリクはその引き金を引いた。

 だが。

 

 全てを見越していたのか、右への急旋回へと入った『フィッターK』から放たれる真っ赤な火球(フレア)。高熱を放つそれは、この上なく機を捉えたタイミングで放たれ、最後の一発となったこちらのAAMをあらぬ方向へと逸らしていった。

 勝ち誇ったように、悠々と右旋回に入る『フィッターK』。おそらく目標を捉え損ねたこちらを嘲笑うかのように、そのパイロットは後方を振り返り――そして、驚愕の眼を見開いたに違いない。振り切ったと思っていた『クフィル』が、速度を緩めぬまま旋回の予測位置へと突進してきたのだから。

 

「そう来ると思ったよ…格闘戦で、『クフィル』の弱点を突いて来るってな!」

 

 照準器の中心に捉えられるは、装甲下にない唯一の急所――すなわち、『フィッターK』のコクピット。放たれた銃弾はその目標へと寸分違わず着弾し、ガラスをその中身ごと砕き散らした。

 いくら『フィッター』が格闘戦能力に優れるとはいえ、至近距離からのミサイルを回避するにはフレアの使用が不可欠である。加えて、ミサイルが誘導性能を失った所で直進は続けるため、被弾を避けるためには旋回で針路を変えなければならない。左旋回に入っていた『フィッター』が採りうるのは上右下の三択だが、低空ゆえに下には逃げ場がなく、速度が下がった状態で上旋回に入れば必然的に動きは鈍る。そこで、エリクはその回避方向が右側しかないことを事前に予測し、AAM発射直後にその予測位置へと機位を向けていたのだ。爆弾を捨てAAMも使い果たし、機体が身軽になっていたのも幸運と言えた。

 

 堕ち行く敵機を飛び越え、エリクの目が戦場を探る。パウラらが追っていった『フロッグフット』は1機が既に堕ち、もう1機もその背を追われつつある。クリスは…といえば、機銃にまだ慣れていないのか、先の『フィッター』に対して今だに致命傷を与えられず、徒に曳光弾の筋を刻み続けていた。

 先の『フィッター』2機の例を引くまでもなく、眼前に集中したパイロットは警戒が疎かになりがちになる。今のクリスもまた、まさにその中にあった。その背を別の『フィッターK』が捉え始めているのに気づく素振りもなく、緩やかなヨーを小刻みに続けていたのだから。

 

《この、このっ!おっかしいな、なかなか当たらない…》

「クリス、急旋回しろ!後方敵機(チェックシックス)!!」

《えっ!?い、いつの間に!?》

「牽制する、すぐ離れろ!」

 

 ちっ。思わず零れた舌打ち一つ、エリクは横倒しにした機体を急旋回させ、クリスの背に迫る敵機の方へと機首を向けた。互いの進行方向が異なる上、速度が乗っていることもあり、ヘッドオンには到底間に合わない。下手を打って余計な機動で時間を費やせば、それだけクリスが受ける脅威も大きくなる。

 それなら。

 強烈なGの中、エリクは敵機の進路と直交するように旋回を調整。クリス機へ迫る敵機の鼻先を掠めるように、横合いから機銃弾をばら撒いた。

 針路を塞ぐ銃撃に、『フィッターK』が直進を諦め、斜め上へと旋回に入る。急旋回で揺れる視界では命中を期すことはできなかったが、なんとか攻撃を断念はさせ得たようだ。クリスはほうほうの体でこちらの後背に位置どり、きょろきょろと周囲を警戒している。初撃で被弾した『フィッター』は、煙を吐いて徐々に高度を落としつつあった。

 

《た、助かったぁ…。ごめんなさい、エリク中尉…》

「無事だったみたいだな。次十分注意すればいいさ」

《二人合わせて5点》

「……目ざとく見てるのはいいですけど、戦闘中はそれ止めてはくれませんかね准尉殿」

 

 いつの間にか見ていたのか、パウラの短く冷たい声が耳を打つ。反省点があったことは分かってはいるが、これを戦闘中にやられると士気が下がるというか、端的に言えば気分が滅入るのだ。わざと敬語で、それもため息交じりで応じたエリクの言葉尻には、そんな皮肉も滲んでいた。

 ともあれ、今一度見渡した戦況は徐々に好転しつつある。『フロッグフット』2機の姿は既になく、煙を吐いて落伍していく機体を除けば、『フィッターK』も残るは4機。ミサイルはすでに無いものの、機体性能を鑑みれば撃退は可能といっていい。

 そんな予断を裂いたのは、戦場を俯瞰する別の声だった。

 

《スポーク2よりスポーク1、敵残存数4。引き続き掃討を行う》

《『カルクーン』了解、そのまま……いや、待て。……!第2、第3分隊、すぐに高度を取れ!ラティオの増援を確認、大型機4を含む6機!南西だ!!》

「増援!?このタイミングで…?」

《南西…アレか。ひいふう…確かに6機だ。機種は、と…》

 

 フィンセント曹長の声に、戦況を探る目が南西の空へと向かう。夕焼けに赤く染まった空は雲一つなく、影絵のように黒くなった機影を背景の赤に浮かび上がらせていた。数は確かに大型を含む6機、高度差は概ね1000以上。たなびく飛行機雲の帯が、まっすぐこちらを指している。

 ロベルト大尉の『クフィル』が、担当していた森林の上空から離れ、探るように南西の空へと鼻先を向ける。機種を探っているらしいその声に、はっと息を呑む気配が伝わったのは、ほんの数秒後だった。

 

《………やべぇな。ハルヴ1よりハルヴ全機、高度2000まで上がる!急がんと間に合わんぞ!》

《どうしました、隊長?そんなに慌てて》

《ヴィルさん、よく見てみな。ありゃIl-76『キャンディッド』だ。確かブリーフィングの時に言ってたよな、ラティオ軍が空挺戦車も投入してるって》

「……まさか…!」

《間違いない、奴ら空挺戦車を追加投入して、今夜中にこの一帯を制圧する積りだ。陸の連中はあの状態だ、降ろされたらひとたまりもない。――行くぞ!》

 

 輸送機、空挺戦車。それらが意味するものを察した瞬間、エリクから――いや、おそらく一同からさっと血の気が失せた。

 おそらくラティオ軍は、電撃戦を確実なものとするため、何としてもこの地を確保する気なのだ。航空部隊は対地兵装を使い果たし、陸軍の消耗は既に限界に達している以上、新たに投入される戦車部隊に対抗できる戦力は無い。おまけに、今は夕暮れ時から夜に移る頃合いである。一度基地へ戻り爆装することには日も暮れ、爆撃は困難を極めることになるだろう。そして一たびこの地を確保されてしまえば、亀裂の入った堰のように、この地からラティオ軍が続々と侵入してくることになる。そうなればレクタは東西に分断され、消耗しながら呑み込まれてしまうに違いない。

 ――戦車を、地上に降ろさせる訳にはいかない。度重なる加速で酷使したエンジンに鞭打ちながら、ハルヴ隊の4機は敵の進路へひたすらに加速を重ねた。

 

 闇色が滲む、西の空。距離が近づくにつれ、増援の6機の姿が徐々に大きくなってゆく。中心は、ダイヤモンド隊形に組んだ、後退翼に4発のジェットエンジンを備えた輸送機。その両脇を固める2つの小さな機影は、葉巻型に切り欠きデルタ翼を備えた制空戦闘機、MiG-21『フィッシュベッド』系列と見定められた。敵も既にこちらを認めたらしく、2機の『フィッシュベッド』が機体を傾け、こちらへと迂回しながら降下し始めている。

 

《この針路じゃ間に合わん…!エリク!クリスを連れて、正面から一撃かけて隊列を乱せ!俺とヴィルさんはその間に迂回して後ろからかかる!》

「…!分かりました、やってみます!」

《間に合うかどうかはお前らにかかってる、頼んだぞ!くれぐれも護衛機に気を付けてな!》

 

 いつもながら、隊長の判断は速い。進路を変えず敵編隊の斜め下から接近するロベルト隊長らと別れ、エリクは敵機の進行方向へと進路を変更。加速を一気にかけ、敵編隊の正面へ躍り出られるよう、その予測進路上へと機首を向け直した。

 エンジンの回転数が高まり、機体が空へと奔ってゆく。

 目標高度、2000。高度計がその値を指すのと同時に、エリクは操縦桿を思い切り引き、『クフィル』の機体を宙返りさせた。敵機、既に真正面同高度。距離、800。インメルマンターンを企図していたが、この距離では機体をロールさせる時間もない。

 やって、やる。視界一杯に広がった、逆さまとなったIl-76の巨体。急軌道でぶれる視界の中、エリクは懸命に照準器を覗き込み続けた。狙いは、一点。機体正面の最も脆い場所、コクピット――。

 

「このまま行く!腹括れ!!」

《う、ぐ、ううぅぅうっーっ!!》

 

 凄まじいGと背面飛行の不快感に歯を食いしばっているのだろう、クリスの通信はもはや言葉になっていない。

 冷や汗が滲む。身が冷える。それでも目は、頭は冴えている。照準器の真ん中で、敵のパイロットが目を見開く。距離――400。

 引き金を引くと同時に、耳元を過ぎ去ってゆく凄まじい轟音。命中を確認する余裕もなく、エリクはすぐさま機体をロールさせ、前方に迫っていた2機目のIl-76を回避した。

 

《ナイスだエリク、クリス!そのまま反転して護衛機に備えてくれ!ヴィルさんは左の奴を頼む!》

《ハルヴ3了解。隊長、後方機銃に気を付けて》

《…やった!やりましたよ中尉!》

「ギリギリな…!まだ敵が残ってる、すぐに反転するぞ!」

 

 左右に分かれたロベルト大尉たちと馳せ違い、息を吐き出したエリクがやっとのことで後方を振り返る。Il-76の3機は、依然健在。そのやや下方で、先程先頭にいた1機がぐらりと揺らぎ、きりもみを描きながら墜ちていく様がエリクの目にも捉えられた。おそらくコクピット以外は無事だろうが、あの機動ならば空挺戦車を降下させることは叶わないだろう。

 残るは、3機。

 十分に加速が乗った今の状態ならば、横方向への旋回よりも縦方向へのインメルマンターンの方が素早く方向転換ができる。宙返りに宙返りを重ねて頭痛を覚え始めた体を抑え、エリクは操縦桿を引き上げて機体を反転。機動にみしりと軋んだコクピットの外で、暗さを増した空が再び逆さまになった。

 敵輸送機との距離は、先より離れて概ね1500。ロベルト大尉とヴィルさんは左右それぞれの『キャンディッド』の後方に就いているが、機銃のみの攻撃で有効な打撃が与えられずにいる。手をこまねく二人をよそに、大きく迂回してきた2機の『フィッシュベッド』が、二人の背を捉えようと横方向への旋回に入り始めていた。

 

「ロベルト大尉、後方に敵護衛機!」

《分かってる!今回避行動に入ったらコイツに逃げられる。後ろ頼む!》

「ですよね…!クリス、大尉の方を頼む!俺はヴィルさんを支援する!」

《はいっ!今度こそ、当ててみせる…!》

 

 圧倒的に速度差がある輸送機相手では、戦闘機は必然的に速度を落とさざるを得ない。スロットルを絞ってIl-76の背を撃ち続ける二人の速度は相応に低下しており、旋回を終えつつあるMiG-21は瞬く間にその背を詰めつつあった。インメルマンターンで高度を稼いだこともあり、『クフィル』の加速は十分に乗っている。その一方で、『フィッシュベッド』もまた加速性能では引けを取らない。このままAAMの射程に到達されれば、ヴィルさんは――。

 エリクは歯を食いしばりながら、その絶望的な距離をひたすら詰めた。距離、1300、1200、1100。速度差が小さいこともあり、MiG-21との距離は容易に縮まらない。考えろ。何か手は無いか。敵を撃墜できなくとも、敵の攻撃を断念させる手段は。そう、敵の――。

 極限まで集中した頭は、時として普段思いもよらない閃きをもたらす。咄嗟に脳裏に浮かんだそのアイデアを、エリクは反射的に口にした。

 

「ヴィルさん、加速して輸送機の前方に!」

《エリク中尉!?…いや、なるほど。分かりました!》

 

 それは以心伝心というべきか、それとも戦場の緊迫がもたらした本能的な共感とでも言うべきか。ヴィルさんの『クフィル』は銃撃を中断するとともに一気に加速をかけ、目標としていた輸送機の前方へと遷移。結果的に『クフィル』の機体は大柄な輸送機に隠れ、後方の死角を一時的に『敵輸送機で』封じる形となった。輸送機に前部機銃は無く、そして間に輸送機を挟めば『フィッシュベッド』はヴィルさんを攻撃できない。苦し紛れの突拍子もない発想が、今はぴたりとはまったと言っていい。

 予想外の行動を前に、『フィッシュベッド』に一瞬の虚が生まれる。その間にエリクは距離を詰め、その背へと機銃を発射。咄嗟の急旋回で回避こそされたものの、掠めた機銃弾の数発がその方向舵を抉り飛ばすのを、エリクは確かに目に捉えた。ヴィルさんが攻撃を加えていたIl-76は、既にエンジンに被弾したらしく高度を下げ始めている。右翼側を省みれば、ロベルト大尉が追撃していた輸送機も炎を噴き、速度を落として落伍しつつある所だった。

 

《エリク中尉、いいアイデアでした。肝を冷やしましたよ!》

「へへっ、どーも!」

《ヴィルさん、安心するにはまだ早いぜ。あと1機だ、全員でかかるぞ!》

 

 残るは、輸送機1機。しかし左右の2機に時間を取られ、すでにそれは投下位置――すなわち友軍北側へと到達しつつある。数は減ったとはいえ、南と西に加え北からも包囲を受ければ、陸軍部隊はもう耐えきることはできない。

 だが、まだ追いつける。機銃のみの武装とはいえ、先のヴィルさんのようにエンジンを全て潰せば撃墜は不可能ではない。先攻するロベルト大尉とヴィルさんに続き、エリクは再びクリスと編隊を組んで逃げるIl-76を追尾した。

 ロベルト大尉、ヴィルさん、同時に機銃掃射。過たず左右のエンジン部へと機銃弾が叩き込まれ、それらが炎に包まれる。

 敵護衛機、横合いから急襲。大きく機首を下げて回避した大尉が、速度を速めて輸送機の前方へと抜けてゆく。

 残り、エンジン2か所。寸胴なエンジンユニットが照準器の中央に捉えられる。被弾し、高度を落としてなお、敵の輸送機は逃げる素振りすら見せない。

 距離、600。あと一歩――。

 

《……っ!!中尉、後ろっ!!》

「…なっ!?」

 

 引き金に指をかけたその瞬間、エリクの『クフィル』を衝撃が包んだ。

 破裂音、金属の割れる音、鳴り響くアラーム。咄嗟に操縦桿を左へと倒した瞬間、こちらを追い抜いて前へと出たのはMiG-21ではなく、煙を噴いた葉巻型の可変翼機――『フィッターK』の姿だった。

 

《『フィッター』…!?…まさか、さっきの!?》

「なんて執念だ、こいつ…!」

 

 馬鹿な。喉まで出かけたその言葉を、エリクは飲み込んだ。

 至る所に銃創を刻まれたその姿は、まさしく先程クリスが撃ち漏らした『フィッターK』に間違いない。機体が中破したにも関わらず、おそらくは輸送機の危機を察して戦域へと駆けつけたのだろう。傷ついた可変翼を一杯に広げ、今なおこちらの背を取ろうと旋回を続ける様からは、仲間を何としても守るという執念すら感じられる。

 至近距離で機体が馳せ違い、背を取らんと互いの軌跡が交差する。螺旋を描くように旋回し機体が傾いたその瞬間、『フィッター』のパイロットと目が合った――ような、気がした。

 パイロットとしての意地と矜持を見せ、無惨に傷つきながらも仲間を護らんとする戦闘機。敵でありながら共感を覚えたその姿に、エリクは束の間サテリトゥ3の姿を重ねていた。

 そう、その後方から殺到した機銃弾が『フィッターK』の機体を切り裂いた、その瞬間まで。

 

《ハルヴ4、1キル!やりました、中尉!輸送機を追いましょう!》

「あ…。……ああ、そうだな。ハルヴ2、追撃を続ける!………せめて、俺も自分の仕事は成し遂げないとな」

《…?》

 

 焔に包まれた機体が、薄暗くなった空の中で四散五裂して果ててゆく。細かな破片へと別れ、流星のように炎の尾を曳いて墜ちてゆく無数の残骸。燃え尽きてゆく悲壮なその輝きが、なぜかエリクの目には一際鮮やかに焼き付いていた。

 

 空に残る目標は、Il-76ただ1機。もはや護る者がいなくなったその機体へと、ややもすれば乱れそうな心のまま、エリクは静かに照準を向けた。狙いはその心臓部、機体両側に残ったエンジン。残り僅かな残弾を全て絞り出しながら、エリクの『クフィル』はその心臓へと弾痕を刻んでいった。

 揚力を失った巨体が、がくんと揺れて高度を落としてゆく。もはやその翼を空へと押し上げる術は無く、ただ墜落を従容として待つ他ない。いくつもの命を抱えたその巨体の上を通過しようとしたその時、エリクはふと、Il-76の後部ハッチが開放されたことに気づいた。

 

《ちゅ、中尉、あれ…!》

「…まさか、あいつら…!?本気か!?」

 

 まさか。その疑念は、機体後部から箱型の姿が覗くのを捉えて確信に代わった。間違いない、あの輸送機に積まれた空挺戦車は、辛うじて水平を保つ機体から降下しようとしている。地上に降りた所で、他の空挺戦車もなく孤立することも――否、空中で狙い撃たれる可能性すら高いことをも承知の上で、ただ一心にその任を果たそうとしているのだ。

 無謀。そう一笑に付すには、その姿は余りにも壮烈過ぎた。

 

《エリク、後は何とかなる。念のため周囲の警戒を頼む》

 

 1つ、2つ、3つ。燃えたつ機体の胎内から、白い落下傘が合わせて3つ、地面へ向けて吐き出される。

 戦闘機と比べればあまりにも遅い降下速度。その落下傘がロベルト大尉の『クフィル』に撃ち抜かれ、白い葬煙となって墜ちてゆく光景は、言ってしまえば当然の帰結である。それでもエリクは、その心に何か疼くものを感じずにはいられなかった。

 

《スポーク1より各機へ、敵残存部隊撤退中。周囲に新たな増援なし。敵機甲部隊の撤退を確認したのち、我々も離脱する。ブラウンベール4、無事か》

《こちらブラウンベール8、ブラウンベール4は集中砲火を浴びて撃破された。スポーク1、ブラウンベール4に代わって救援に感謝する。ありがとう》

《………了解した》

 

 地上に咲いた無数の炎に照らされて、幾つもの塊が南を指して蠢いている。航空支援を失い制圧は不可能と判断したラティオ機甲部隊だろう、西からも合流した数多の影は、縦列となってラティオの地へと向かい始めていた。

 

 意地と矜持に死んでいった、敵味方の炎の墓標。日が暮れた夕闇の大地の上で、炎は生者を静かに照らしていた。

 




《諸君、よく帰った。際どい所だったが、我が軍はなんとかラティオの攻勢を凌ぎきることができた。これも全て諸君の奮闘の賜物である。今度は、我々が反撃に転じる番だ。散っていった仲間の無念を、ラティオの連中には倍にして返してやるとしよう。精鋭たる諸君には、その先鋒を担ってもらうことになる。その時まで、ゆっくりと体を休めて欲しい。以上だ、解散》

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