Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第41話 Break of Dawn + ‐ヒカリ‐

 東の空が、仄かに明るみを帯びている。

 水平線を彩るのは、藍色を薄める白い夜明けの幕、そして運河を隔てたサピンの大地。眼下には、未だ無数の人々が眠るオーレッドの街並みと、その傍らのハイウェイに駐機する4機のF-14D『スーパー・トムキャット』。そして翻った西の空には、地平線へと下端を接する三日月の姿。

 

 操縦桿を握る手に力が籠る。長らく相棒であった『クフィル』の末裔であるC10は、それに応えるようにエンジンを響かせる。

 右目に光を、眼下に希望を、そして三日月を象った右腕のブレスレットに記憶を。全てを己の胸に詰めて、エリク・ボルストはまっすぐ前を見据えながら、乗機『クフィルC10』をオーレッド湾上空へと向けていった。落下しうる増槽や破片のことを考えても、敵の予測進路から考えても、迎撃はオーレッド湾の上空で行った方が望ましい。

 

 報復の連鎖に、決着を。

 時に2010年12月31日、午前5時25分。夜明けの空を間近に控え、左翼に三日月を染め抜いたその機体は、決意を胸に空を舞った。

 

《こちらユークトバニア空軍空中管制機『オーカ・ニエーバ』。話は聞いてるよ、三日月のパイロットくん。『ラーズグリーズ』の発進までの支援になるが、よろしく頼むよ》

「了解、『オーカ・ニエーバ』。こっちのTACネームは『ハルヴ』だ。エスコートは頼むぜ」

《あー、あー。聞こえるかね?ピーターだ。ユーク軍の回線を介し『アンドロメダ』から通信を送っている。――エリク君、やはりラーズグリーズ隊の離陸まであと30分は要するようだ。今オーレッドを飛べるのは、もはや君しかいない。…彼らを、頼む》

「ピーター参謀…。もちろんです。それに、これは俺の戦いへの決着でもある。負けません、絶対に」

 

 通信回線に入る声は、ユークの訛りが入った空中管制官のものと、聞きなれたピーター参謀のそれ。戦闘空域に入って通信を送るのは邪魔になるとサヤカは同行を辞退し、今はルーメンで『アンドロメダ』の通信に耳を傾けているため、この場に姿は見られない。ぐいぐいと前に出て来るのが信条のサヤカらしからぬ、空気を読んだ控えめな対応だった。

 だが、今のエリクにとってはその方が都合が良かったと言えるだろう。自身の中で下した、『報復の連鎖を断ち切る』という信念への答え。もしサヤカが傍にいては、きっと決断が鈍ってしまうであろうから。

 

 それにしても、サヤカ自らが丹精込めて整備した――少なくとも本人はそう自称していたが――という言葉通り、『クフィル』の機体はすこぶる快調である。純正の部品を使ってあるらしく、コクピット内装の計器類は軍用の制式機と瓜二つ。前回の戦闘で損傷したにも関わらず、エンジン回りもかつての愛機『クフィルC7』と比べても遜色無い。兵装に関しても短距離空対空ミサイル(AAM)4基に加え、今回はサヤカがとっておきと豪語する最新型の高機動ミサイル(QAAM)2基を備えており、スタンドアローンでの迎撃戦を行うには最適解とも言える武装が用意されていた。予想される敵機がクリス達を落とした例の可変機――X-02ということを考えると、目標への命中までロックオンが必要なセミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)を悠長に構えている余裕などなく、また射程に勝るものの誘導性は並みの域を出ない高機能中距離空対空ミサイル(XMAA)は回避される可能性が高いため、これも選択するメリットが薄い。それを踏まえれば、近接戦のリスクを冒すとはいえ、誘導能力が高く一度放てば目標に確実に食らいつけるQAAMを装備するのは理に適っているとも言えた。

 

 問題は、体の方である。

 バルトライヒ山脈北側での戦闘で受けた大きな傷は、左脇腹と左ふくらはぎの二か所。一応いずれも止血し応急処理を施してはあるものの、身体に高いGがかかる格闘戦が予想される以上、いつまで持つかは不明瞭だった。特に旋回戦で遠心力が働く脚は、他の部位と比べて血液が集まりやすく、一度出血すれば致命傷になる危険も考えられる。念のため負傷した左ふくらはぎはミイラ男がごとく包帯を固く巻いてあるが、この気休めがどこまで効くかどうか。

 

《『オーカ・ニエーバ』より『ハルヴ』。方位040より機影6だ。どうやらジャミングを張っているらしく、反応が安定しない。注意してくれ》

「了解。初撃で落っこちないように気を付けるよ」

 

 無意識に傷口へと落としていた目を、改めて正面へと向ける。計器盤のレーダーサイトには、管制官の言う通り円形にノイズが奔り、迫る敵の正確な位置や数が読み取れなくなっている。目視で空を探ろうにも、夜明けの白色に眩む目では夜色残る上空を凝視するのも骨が折れる。ましてこの広大な空から、暗色の戦闘機を探し出すとなればその困難さは一入というものである。

 この状況では、接敵と同時の格闘戦も覚悟を――。

 

「ッ!」

 

 警報音。ロックオンアラートとほぼ同時の、間髪入れないミサイル警報。

 反射的にエリクは増槽を捨て、操縦桿を手前に引いて機体の高度を上げた。投げ槍を放つかのような遠距離からの狙撃に対しては、少しでも高度を取り回避の手数を増やした方がいい。

 

《!敵編隊、ミサイル発射!母機相対距離、約3000…何て数だ、ミサイル12発!》

「大盤振る舞いだな…!惜しんでる余裕は無いか!」

 

 高度3600、左ロールで背面航行へ移行。先ほどのこちらとほぼ同高度から放たれたらしく、ミサイルは煙の筋を引きながら、こちらを指して上昇しつつあるのが見て取れた。高速で飛行する『クフィル』の針路を見越すように、それらは列となって殺到して、その行く手を塞ぎ来る。

 

 数を存分に活かした飽和攻撃に、出し惜しむ余裕は無い。

 エリクは操縦桿の横に設けられたボタンを押し、機体後部からフレアを射出しつつ、背面飛行のまま操縦桿を引いて機体を降下。切り上げる軌跡を描く敵ミサイルに対し巴に組むがごとく、飛来するそれらの上方を抜ける針路を取った。

 

 こちらの尾部、その後方のフレア目掛けてミサイルの群れが円弧を刻む。

 後方、連なる炸裂の衝撃。その数は2を、4を、6を数え、その度に高性能爆薬仕込みの華が夜空を赤く照らしてゆく。

 それが12を数え終えたのち、夜空を揺さぶる爆炎を抜けて、『クフィル』は背面のまま機首を僅かに下げて眼下を俯瞰した。

 仄かに明るみを帯びたオーレッド湾の水面。その上に、無尾翼デルタの機影が6つ、影絵のように浮かんでいる。見覚えのあるあのシルエットは、間違いなく。

 

「…来たか…!」

《たった1機…それも旧式の『クフィル』ごとき物の数ではない。『ヴァルハラ』、コード変更。T-04-WL-RT》

 

 X-02『ワイバーン』。あの時、目の前でクリスを屠った忌まわしい機体。

 記憶から導いた像が結論を結ぶのと、聞き慣れない男の声が回線を揺らしたのはほぼ同時。その声に弾かれるように、敵編隊の左右両翼に位置していた4機は一斉に進路を変え、左右両翼に分かれながら上昇に入って距離を詰め始めた。

 気づけば止んでいるジャミングは、おそらく敵が戦術を変えたことの証左だろう。咄嗟の判断が求められる格闘戦では、ジャミングによる妨害はメリットよりも意思疎通不全によるリスクの方が大きい。まして、数が多い側にとっては猶更のことである。

 

 敵機は左右下方から2機ずつ、デルタ翼形態のまま上昇しつつある。残る2機は眼下をすり抜け、まっすぐにオーレッド市街地へと鼻先を向けつつあった。位置取りとしては左右いずれかに格闘戦を挑みたい所だが、眼下の2機を放っておく訳にはいかない。

 

 『ラーズグリーズの元へは行かせない』。

 下した結論にリスクを放り出し、エリクはGで脚へ圧力がかかるのも構わず操縦桿を思いきり引き、機体を下方へ急旋回させた。ほぼ真下への急降下となる針路、その鼻先には下方を抜ける2機。

 敵の投影面積が最大となったその瞬間、エリクは引き金を引き、照準器の中心目掛け30㎜機関砲を撃ち放った。

 

 夜空を照らす曳光弾の閃光に敵機の姿が浮かび上がり、糸に引かれたかのようにそれらは射線を躱して左右へと散る。右の機体はデルタ翼のまま加速し、左の機体は瞬時に主翼を前進翼へと変形させ、鋭い弧を描いて反転した。

 あの機動――見覚えがある。

 小半径旋回で180度反転したその機体に対し、エリクの『クフィル』が直上から掠めて下方へと抜ける。互いが同高度になるその一瞬、そのコクピットに収まる小柄な人影と、エリクは確かに目が合った。

 

《『三日月』の……『クフィル』…!》

「…やっぱり、来たか。パウラ」

《ッ……!!》

 

 聞き覚えのある細い声が、息を呑む気配が、レシーバー越しに鼓膜を震わせる。

 今更、驚きはしなかった。いや、むしろこうなることを自分はとうに予想していたに違いない。信念は、そして心の奥底で固めた覚悟は、それを物語るかのように揺動一つなく据わっている。

 そう、この連鎖に決着を付けられる存在は。

 きっと怒りや怨恨の中にあるであろう、あいつが向かうべき相手は。

 

「――!なんて、考えてる余裕も無いか!」

 

 背後から迫るミサイルアラートに、エリクは下腹と脚に力を込めて操縦桿を引き上げる。

 平衡を取り戻し、再び上昇に転じる機体の下方を掠めるのは2発のミサイル。後方を振り返るまでもなく、先ほど上昇しながら仕掛けて来た4機が追いつき、隙を見せたこちらの上方から仕掛けて来たのに違いなかった。上昇を諦め横方向への旋回に入り、旋回半径の中心を望むように見上げた先には、果せるかなデルタ翼の機影が4。加速性能ならば現行機に引けを取らない『クフィル』を相手に猛追し、その距離は刻一刻と狭まってきている。

 

「ち…どうあってもこっちを格闘戦に持ち込みたい肚か」

《エリク君、気を付けたまえ。ウスティオのガルム1も、『ワイバーン』の包囲攻撃に遭い撃墜された。彼らが同じ戦法を狙ってくる可能性は大いにある》

「そうは言っても…ちっ!」

 

 性能で劣るこちらをあざ笑うかのように、後方の4機はさらに加速を重ね、ロックオン警報はやがてミサイルアラートへと音色を変える。後方に迫るは二筋、次いで機銃の雨。

 こうなれば、速度で振り切る手は捨てざるを得ない。エリクはフットペダルを緩め、操縦桿を手前へ引き上げつつ減速。敢えて速度を殺すと同時に機首上げによる空力低下で強引に回避機動を取り、次いでロールで機体を捻り上げて、迫るミサイルに対し機体側方を向けた。敵正面に対して投影面積を減らし、少しでも被弾を避けるためであることは言うまでもない。

 

 腹側へと抜ける二筋のミサイル。しかし速度が乗った状態での咄嗟の機動では回避を全うすること叶わず、一方が至近弾となって炸裂し、破片の雨が機体を襲う。次いで迫る機銃の筋を縦旋回とロールで危うく躱したその直後、エリクの脇腹にびり、と痛みが走った。

 被弾ではない。しかし、高Gをもたらす戦闘機動を短時間に繰り返したことで、傷が破れた可能性は大いにある。

 ――それがどうした。今更止まっては堪らない。回避を緩める余裕もない。

 

 爆炎を抜け、見据えた先。こちらを追い抜き散開した敵機のうち一番左端の機体を見定め、エリクは操縦桿を倒し照準を覗き込んだ。爆炎を抜けた際に破片が障害を引き起こしたのか、この機体だけが左右方向への機動が鈍い。

 

「まずはこいつを!」

 

 ヘッドマウントディスプレイ(HMD)上をダイヤモンドシーカーが走り、『ワイバーン』の背をその掌中に捉える。距離にしておおよそ600、AAMで狙うには誘導が万全に乗り、近すぎず遠すぎない絶妙の距離。彼我の位置を踏まえれば、万一外しても急加速で一歩踏み込み機銃掃射へ移るのは容易な距離でもある。

 

 貰った。

 口中に呟き、視線はそのままに操縦桿のボタンへと力を籠める。

 確信とともに放つ、極至近の射撃。しかしそれは直後に、予想だにしない驚愕へと変わった。

 

「な…!?」

 

 『クフィル』の主翼下部からAAMが放たれたその瞬間、眼前の『ワイバーン』は今までの鈍い挙動がまるで嘘かのように鋭角の急旋回を描いたのだ。それも急角度の右旋回だけではなく、直後に左へと切り返す極小のS字旋回でもってAAMの誘導を振り切りながら、なおかつ先とほぼ同じ機位に就いてみせたのである。その機動力はまさに桁違いであり、人間が操縦しているものとは到底思えない。

 何より奇妙なのは、これだけの運動性能を持ちながら、こちらの射界からけして外れないことである。先ほどの攻撃を見る限り『ワイバーン』の速度はこちらより速く、速度の面でも機動力の面でも、こちらの死角を取るのは容易だというのに。

 

 ――死角。

 思考がその語へ至ったその瞬間、エリクの背筋にぞっと悪寒が奔った。

 この眼前の敵を追い始めてから既に数十秒経っているが、俺はその間、自らの死角を一度も確認していない。今にも落とせそうな敵機に意識を集中するあまり、周囲への警戒を疎かにしてしまっていた。

 ならば、今敵機は。

 

 纏わりつく背筋の悪寒は徐々に明瞭な棘となり、射抜くように体を貫き始める。これは、まるで視線――いや、それ以上に意思の籠った、明確な敵意。

 

 警報。

 

「やべぇっ!!」

 

 コクピット内にミサイルアラートが鳴り響いたその瞬間、エリクは理屈も思考もかなぐり捨て、利き手の右腕で操縦桿を思いきり左奥へと倒した。

 傷が痛むのも構わず、『クフィル』が左へ急旋回し弧を描く。ちらりと走らせた右目、その端には先ほどまでの位置を貫く3筋の射線とミサイルの雨。あと1秒でも回避が遅れていれば直撃していたであろうタイミングだが、躱しえたのは果たして幸運と言っていいのかどうか。察知が遅れたことの代償は大きく、左旋回からバレルロールへ移行し、そこから推力を活かした急上昇へ移行しても、なお後方の3機は離れる気配も見せない。こちらがGで機体も体も軋ませながら回避行動を取る中、敵は距離を離すことなくぴったりとくっついて来る。本来軽戦闘機が得意とする筈の格闘戦でここまで追い込まれるとは、立つ瀬がないとはまさにこのことだった。

 

「囮戦術に嵌ったか…!くそ、何か打てる手は…」

《気を付けろ『ハルヴ』!正面から機影2!》

「くっ!?」

 

 距離、500。

 管制官の声と接近警報に正面を向き、辛うじてエリクが図り取れたのはその数値のみ。

 真正面から2つの機影が迫る。

 ロックオンはおろか、機銃の射線を合わせる余裕は無い。

 一瞬とはいえ水平飛行に移った今、左右へ旋回する暇もない。何よりリスクが大きすぎる。

 

 迫るは曳光弾二筋。

 避けられない以上、狙うはその隙間。

 瞬間、エリクは覚悟を固め、機体を左ロールさせつつ加速。放たれた射線の鋏の中目掛け、正面から突っ込み馳せ違った。

 

 被弾音。警報、そしてガラスの割れる音。

 幸い、体には当たっていない。機体も飛ぶのに支障はない。

 左ロールから背面、次いで操縦桿を引いて背面急降下。追撃を避けるべく高度を下げ、高度1800で引き揚げてから、エリクはようやく戦場を仰ぐ余裕を得た。

 

 状況は、極めてまずい。今のところ完全に向こうのペースである。

 おそらく最初にばらけた4機の『ワイバーン』は、1機がわざと囮となり残る3機が攻撃手となる戦術だろう。単純な囮戦法ながら、あの凄まじい機動力を誇る『ワイバーン』の性能と戦術が噛み合い、厄介極まりない相手となっている。

 それに輪をかけて厄介なのが、明らかに4機の連携の外にある残り2機の存在である。状況を考えればパウラともう一人の男の機体だろうが、あの2機の機動はイレギュラーであるがゆえに、攻撃のタイミングが読みづらい。

 裏を返せばこの2機と先の4機の連携は不完全とも言え、そこに付け入る隙があると見ていいのではないか。実際、パウラ達の正面突撃に際し回避運動を要したため、こちらを追撃していた3機の『ワイバーン』と『クフィル』の距離は先ほどよりも開いている。辛うじて探りえた僅かな隙だが、現在の彼我の位置はその推論を裏付けてくれていた。

 

 だが、それをどう活かす。

 刻一刻と痛む脇腹に歯を食いしばり、エリクは降下を始める3機の『ワイバーン』を見上げながら思案する。

 考えろ。ロベルト隊長も言っていた筈だ、『観察しろ』と。先の失敗を繰り返さないためにも、戦場を観て勝利を見いだせ。機動を、連携を、環境を、数値を。全てを読んで――。

 

 今だ勝機の見えない、混迷の空。空と数値を交互に行き来し、頭を巡らせたエリクの眼に奇妙な物が映ったのはその時だった。

 

「…ん?……何だ、あいつは」

 

 こちらから見て右側、ほぼ同高度。そこには大型の無尾翼デルタ機が1機、こちらと前方で直交する針路のまま、よたよたと飛んでいる姿があったのである。機種は確かめるまでもなくX-02『ワイバーン』、消去法で考えれば最初の囮となって飛んでいたはずの1機。見る間にそれはこちらの前方に躍り出て、距離800前後を維持しながら右へ左へと緩く旋回を始めた。

 

 心に沸く、疑念一つ。

 おかしい、この敵は――こいつを含めた4機は、明らかに何かがおかしい。攻撃手がこちらの背を抑えた以上囮を再び演じる必要は無い筈なのに、戦術に()()()()()()()()。まるで人ならざる、命令を忠実に実行し続けるロボットのように。

 …いや、待て。

 ――『ロボット』。人以外の手に拠る、戦闘機の操縦形態。

 まさか。

 

「こいつら…無人機か!?」

《なんだって!?》

《…いや、可能性はある。元を正せば、X-02は軍事大国エルジアの機体だ。エルジアは無人機の研究で先進しており、非公式ながら実戦に投入されたという情報もある。『灰色の男達』がX-02を自らの戦力とするに当たり、エルジアの無人機制御技術をそのまま流用したと考えても不思議はない》

 

 ピーター参謀の分析に、エリクも首肯で応じる。あくまで状況証拠からの判断に過ぎないが、そう考えれば先ほどのようなパイロットへの負担を考慮しない回避運動も、融通の利かない戦術も説明が付くのだ。

 後方には迫りくる3機。イレギュラーなパウラ達2機も、次はいつ仕掛けてくるか分からない。賭けの要素は非常に多いが、時間の猶予も無い以上、今は微かなこの勝機を活かす他にない。

 

 決断は一瞬。エリクはグラスコクピットのコントロールパネルへ手を伸ばし、エンジン出力のモード選択画面へと切り替えた。この期に及んで選ぶものといえば、もはや一つしかない。

 今、自らの手の中にある最高の切り札――推力強化機構『コンバット・プラス』。

 

「全力だ、『クフィル』!!」

 

 踏み込んだフットペダルに応じるように、『クフィル』の尾部に焔が灯る。ぐん、と増加したGに押し付けられる体、そして見る見る数値を刻んでいく速度計。あたかも獅子の咆哮のようにエンジンは唸りを上げ、風を孕んだ翼は速度を増して、三日月を刻んだ『クフィル』は瞬く間に眼前の『ワイバーン』を追い抜いた。

 追い抜いた敵機はほぼ平行しつつ、やや右後方。あと一歩減速すればこちらの後方に就ける位置にありながら、『ワイバーン』は逆に加速し、こちらの前方に出んとする挙動を示している。

 思った通りである。こいつは案の定、与えられた任務である『囮』を、今なお忠実に演じようとしている。まるで一切の融通が利かない、頑なな機械のように。

 

 では、狙うべき目標が自らを無視したとしたら、この機体は果たしてどうするか。ましてその『目標(クフィル)』が、自身より速度で勝るとすれば。

 

「いい子だ。囮なら…囮以外できないってんなら、当然そう来るよな」

 

 横目に映るのは、アフターバーナーの光を灯し、速度を上げてこちらを徐々に追い越す『ワイバーン』の姿。

 読み通りであった。今のこいつの役割が目を引き付ける囮であり、かつこちらが余計な機動で速度を殺さない以上、この『ワイバーン』は増速してこちらを追い抜く他に取るべき手を持たない。つまりこちらの前に出るまでは、この機体は横方向への機動を自ら封じている訳である。

 

 十分に速度が乗ったタイミングを見計らい、エリクはフットペダルを緩め、同時にスロットルを一気に絞り急減速。兵装を機銃へと変更し、その引き金へと指を移した。

 操縦桿を右に倒して機首を僅かに右へと傾け、照準器に納めるのは何もない虚空。

 自身の右手側、こちらを追い越そうと躍起になっている『ワイバーン』が通過するであろう、その未来位置――。

 

「追いかけっこの1位はくれてやるよ。…30㎜のゴールテープ、全身で切るんだな!」

 

 相対距離、僅かに50。

 手が触れ合うような至近を30㎜の曳光弾が奔り、光の筋となって『ワイバーン』の機首を薙ぎ斬る。

 炸裂、飛び散る破片。

 装薬の炸裂で抉れた機首は、曲がりへし折れ脱落して、風圧に揉まれて墜ちてゆく。首無し竜と化した『ワイバーン』もまた渦巻く風の虜となって、光湛えるオーレッド湾目掛けて吸い込まれていった。

 

《馬鹿な…!?『クフィル』ごときに!?》

《『ワイバーン』2番機ロスト。コードRT、機能停止します》

「つ…!…まだまだ!!」

 

 急減速の瞬間に脇腹がずきりと痛み、エリクは思わず呻き声を漏らす。奥歯を噛みながら視線を落とすと、左の脇腹にじわりと広がる暗色の染みが目に入った。傷が開いたのは確実、おまけに先ほどの被弾でキャノピーに穴でも開いたのか、コクピットの気圧も徐々に下がってきている。

 だが、まだ。まだまだ。『コンバット・プラス』が機能している間に、1機でも多く落とさなくては。

 

 頭が眩むような鈍痛の中、操縦桿を引いて縦へと旋回。その頂点でロールを行うインメルマンターンの機動で、エリクは素早く機体を反転させた。真正面やや下方には、こちらを追撃していた『ワイバーン』が3機。しかしその機動は先ほどと比べ明らかに鈍く、何の変哲もない直進のままこちらの下方を抜けようとしている。

 

「そこだ!」

 

 選択はAAM2発、次いで機銃。狙いは中央の1機。

 ボタンとともに放たれたミサイルは、飛竜の頭目掛け鏃のごとく飛翔する。

 炸裂、両主翼。さらに距離400を見計らい駄目押しの機銃掃射。

 

 敵の頭上から斜め下方に抜け、振り返った先。そこには焔に包まれた『ワイバーン』が1機、先の機動が嘘のようにあっけなく墜ちていく様が見て取れた。

 

《『ハルヴ』、2機撃墜を確認。いやあ凄いね君、後でユーク軍に来ないかい?》

「冗談言ってる場合かよ!…残りは…!」

 

 インメルマンターン、そして急速に増したGに痛みはより強く、染みもより広がってゆく。心なしか酸欠の時のように、頭もうまく回らない。

 やっと2機。まだ2機。

 時刻は午前5時40分前。ラーズグリーズの離陸まであと20分少々。

 片や、『コンバット・プラス』と自らの限界まではあとわずか。前者はエンジンへの負担、後者は脇腹の出血量を考えるといずれも5分というところか。それを過ぎれば、どちらも自滅は避けられない。

 

《よもや2機も失うことになるとは…。これ以上ベルカ空軍の名誉に泥を塗ることはできん。コード変更、T-04-WL-GR。速やかに『三日月』とラーズグリーズを屠る!》

「くそっ、時間が無いってのに…!」

 

 男の声が通信に響くと同時に、『ワイバーン』に魂が戻ったかのように機動の精彩が蘇る。こちらの後方上空で旋回するそれらはやや大振りの弧を描きながら、徐々に接近しつつあるように見えた。よく見れば機体形状も先ほどまでのデルタ翼形態ではなく、両主翼を前方へと開き尾翼を立たせた前進翼形態へと移行している。こちらの頭上を抑えるべく、上方から急降下しつつあるパウラ達の2機も同様だった。形状、そして機動から見ても、明らかに先ほどから戦術が変わっている。

 

《ふむ…先ほどの彼らの戦術だが、かつてのベルカ空軍のとある部隊と酷似している。『ワイバーン』と接敵した皆の情報を総合すると、どうやらあの機体にはエースパイロットの機動を模倣するシステムのようなものが搭載されているのではないかな。もちろん先ほどのような、機械ならではの脆さもあるようだが》

「ってことは、俺は実質一人でベルカのエース部隊と戦ってるも同然か…。…ああくそ、頭が痛くなる」

《敵の戦術も変わったようだ。こちらでも『アンドロメダ』のデータベースと照合し、可能な限り分析してみよう》

「なるべく早く、頼みます。俺も、いつまで持つか分からない」

 

 『なに?』最後に通信から洩れた声を意識の外に、エリクは操縦桿を握り直す。

 一度目を瞑り、深く息を吸う。脇腹に奔るのは、刺すようなどころでなく、体の芯まで熱した鉄棒で突くような痛み。息を吸うのももはや苦痛だが、今は少しでも酸素を吸い込み、少しでも頭を回転させなければ、目的を達することすら覚束ない。咳き込みそうな痛みの中で、敵は四方に散開しながら、こちらを徐々に包囲しつつある。

 悠長に敵の出方を待つ余裕も、まして観察に徹する時間も、もはや無い。

 

「なら…こっちから!」

 

 仕掛ける。

 末尾を口の中に結び、狙いを定めるは2時方向同高度から回り込みつつある『ワイバーン』。

 余計な旋回は出血を誘発する以上、狙うはエスクード隊よろしく一撃離脱戦法に限る。

 エリクはフットペダルを踏みこみ、強化された推力を活かして瞬く間に敵機への距離を詰めてゆく。照準の中心は、先ほど同様に予測される敵の未来位置。

 

 引き金とともに放たれた光軸は、しかし虚しく虚空を抉り彼方へと抜けてゆく。航跡と射線が交わるタイミングにきっかり合わせ、まるで風に舞う木の葉のように『ワイバーン』は機体をロールさせて、擦過弾一つなく機銃弾を躱しきって見せたのだ。『ワイバーン』の比類ない運動性はもちろんだが、射線そのものを避けるのではなく射撃を完全に見切った辺りに、人の気配が滲んでいる。

 パウラ、か。衰えない技量を横目に焼き付けながら、エリクは追撃を行うことなくその頭上を抜けていった。

 

 とはいえ、初撃はあくまで見積もりの一手。機体を横に倒した左旋回から頭上を見上げると、敵の内2機はこちらへ直進し、残る2機はひとまとまりとなって上方から迂回する様が見て取れた。1機ずつの散開包囲から、2機×2のロッテ戦術へ。先ほどの戦い方と違い、まだ敵の手の内は見えてこない。

 

 空を見、地を見、手元を見て状況を計る。

 機内気圧を見る限り、これ以上の高度上昇は厳禁。となると正面の2機を目標とする他なく、加速を活かして突撃すれば頭上の2機が迂回しこちらの尻を捉えるまでに、その射界を抜けるのは不可能ではない。現高度はおおよそ2000、万一被られた所で、ダイブして逃れることも可能な高さでもある。

 すなわち、徹するべきは一撃離脱。狙うべきは回避方向が限定される真正面。

 

 エリクは正面を見据え、機体を水平へと戻して再び加速させた。兵装選択はAAM。虎の子のQAAMは可能な限り温存したい。

 正面、2機。

 距離2000、1500、1200。

 相対速度は音速をとうに超え、距離は見る間に縮まってゆく。

 短距離AAMが有効射程に入る一拍前。エリクは機体がロックオンを告げていないにも関わらず、残った最後のAAMを撃ち放った。

 

 射程外からの攻撃に眼前の2機が揺動し、左右へわずかに開く。機首を修正しないままに放たれた4つのミサイルは明らかにその先端をこちらから外し、明後日の方向へとその鏃を向けていた。当然こちらのAAMも誘導性を発揮することなく、正面の2機の間を抜けていったことは言うまでもない。元よりエリクのAAMは攻撃の本命ではなく、攻撃の矛先を避けながら回避運動を強制させるためのものに過ぎないのである。

 

「そこっ!!」

 

 散開した2機のうち右へ回避した『ワイバーン』へ、エリクは補助翼までも動員して強引に機首を向ける。

 距離おおよそ400、照準の中心に捉えられたのはW字に折れ曲がった『ワイバーン』の主翼。

 過たず引き絞った引き金、放たれるのは本命たる30㎜が二筋。

 

 眼前を、急角度で旋回した『ワイバーン』が抜けていく。

 夜色薄まる空を背に、散るのは火花と金属片。傷としては浅いが、今度は確かに手応えがあった。機体特性とコンバット・プラスさえ活かしきれれば、『クフィル』でも立ち向かうことはできる。

 

 掌に感じた、確かな手応え。しかしその余韻は、不意に頭上から降り注ぐ焔の雨に断ち切られた。

 

「…っ…!しまった!速度が…!」

 

 こちらの鼻先を制する、ミサイルと曳光弾の雨。

 フットペダルを離し操縦桿を反射的に右奥へと倒して、エリクは急旋回でその火線を危うく躱す。幸いにして、被弾は無い。しかしその代償に『クフィル』は速度と高度を失い、一度手にした勝機を捨てざるを得ない羽目に陥った。

 左頭上を過ぎ行くのは、攻撃手らしい1機の『ワイバーン』。先のこちらの攻撃を上空から見定め、咄嗟に反転してこちらの鼻先を抑える戦法に変更したのだろう。有人機の方なのかもしれないが、今度はいやに()()()()()()()()()()

 

 確か、先ほど頭上に回り込んだのは2機。では、残る1機は。

 

「――後ろ!」

 

 左ロール。

 ミサイルアラート。

 次いで擦過するミサイルと、その母機たる黒い影。痛みの増す身体とは裏腹に、勘は、目は、常以上に研ぎ澄まされているのを感じる。目が利きづらい夜明け前にも関わらず、まるで梟の目でも得たように、戦況を見渡す目は冴えている。

 瞬時に走らせるのは、残った右目。敵の位置を、風を、高度を、残弾を読み、自らの出血の程度を見積もって、エリクはこちらを追い越した『ワイバーン』へと照準を合わせた。

 

 速い。旋回半径もコーナー速度も『クフィル』とは比べ物にならず、HMD上のダイヤモンドシーカーが捉えるより速く『ワイバーン』はその追尾を躱してゆく。元より彼我の性能差は歴然であり、今はAAMを使い果たし軽くなった機体とコンバット・プラスによる推力強化で辛うじて食いついているのに過ぎない。おまけに他の3機はこちらを引きはがすかのように、隙を狙って機銃掃射で傷を刻んで来る。

 だが、まだ耐えられる。機銃の威力はどうやら並程度であり、急所さえ避ければさして問題にはならない。問題は、刻一刻と内臓を圧するGに、体がいつまで持つかどうか。

 

 右旋回。操縦桿を倒し、スロットルを絞って旋回半径を稼ぐ。

 そこから増速、わずかに機首上げ。フットペダルを踏みこみ、進路を先読みして速度を上げる。

 間髪入れずの左切り返し、同時に右後方から1機。補助翼で強引に揚力を制御し、横滑りを堪えながら、辛うじて機首を敵の尾部へと向ける。後方から喰らった弾痕は3、ないし4。エンジンにさえ喰らわなければ今は問題ない。

 限界を超えたGに圧迫され、視野が狭まる。濡れたような温かい鼻の感触は、鼻血が出ているのか。脇腹はもはや見るまでも無い。既に血の染みは腰の辺りにまで広がっている。

 息が荒れる。視界がぼやける。しかし度重なる旋回で速度を失い、『ワイバーン』の機動は徐々に鈍りつつある。

 左旋回、下降。

 もう少し、あと一歩。

 コンバット・プラス、増速。

 緑のダイヤモンドシーカーがHMD上を走り、敵のエンジンを捉えて赤く変わる。甲高い電子音が告げるのは、ロックオンを示す確死の音色。

 ついに、捉えた。

 

「捕、まえた。…これで、墜ち――」

 

 血を振り絞るような声は、しかし唐突に機体を襲う振動によって断ち切られる。

 被弾、損傷…否。正面、エンジン制御モードを操作するコントロールパネルには、『コンバット・プラス稼働時間超過/強制停止』の表示。回転計の数値はみるみる下がり、推力が瞬く間に奪われていく。

 

「くっ!」

 

 咄嗟に放ったQAAMも、間一髪でロックを外れた『ワイバーン』を捉えること叶わず、虚しく空を切る。QAAMの残弾は、これで1。損傷と敵残数、そしてコンバット・プラスの機能停止を含めれば、状況は絶望的である。

 だが、まだ。――まだ。

 推力が低下した機体で、なおも敵の背を追うべく旋回を加えるエリク。

 しかしその旋回の頂点、『ワイバーン』が翼を翻して逃げおおせた先に目を向けたその瞬間、エリクの目は驚愕と絶望に見開かれることとなった。

 正面同高度、敵影3。先ほどまで各機ばらばらに行動していたにも関わらず、いつの間にか敵は3機ひと塊に集って、こちらへ鼻先を向けている。

 

 この変幻自在な戦術は、見たことがある。俺は、確かにこの飛び方を知っている。

 

 心に漂う確信は、続く嵐に打ち砕かれる。機体正面、回避の術すらない機位から放たれた、3機分の機銃掃射によって。

 

「ぐ、が、あぁぁぁああっ!!」

《『ハルヴ』!!》

 

 咄嗟に操縦桿を前へと倒し、射線を頭上に躱すべくとった機動。それでも位置取りの不利と門数の差は埋めがたく、『クフィル』はほぼ真正面から弾丸の雨を受ける形となった。

 

 正面から入れ違い、轟と鳴る風圧に『クフィル』が揺らぐ。

 右側、補助翼とカナードは全損。主翼と胴体には弾痕がいくつも生じ、エンジンは咳き込むようにその損傷を告げている。左翼を彩る三日月の塗装も、今や被弾の衝撃で至る所が剥げ落ちて、無残な姿となり果てていた。

 辛うじて、コクピットへの着弾は1発のみ。しかしそれは頭部を掠めてヘッドレスト後部で炸裂し、座席後部はもはや原型を留めていない。掠めた衝撃でヘルメットの右上部分は凹み、HMDにもノイズが奔るようになっていた。エリク本人はといえば、被弾のショックで右側頭から血を流し、背には細かな破片がいくつも刺さっている。着弾で頭ごともぎ取れなかったのが幸運というべきか、この際いっそ不運だったと言うべきだろうか。

 

 血が目に入り、視界が赤く染まる。

 計器盤が見えない。敵の位置はHMD上のシーカーが辛うじて捉えているものの、それもぼやけて見えにくい。体は至る所が軋み、もはやどこが痛いのか、そもそも痛みがあるかどうかすら分からなくなっていた。

 

《『ハ…ヴ』、聞…………『……ヴ』、応答…………!ラー……リーズは…………だ!…………、脱出し………!》

 

 遠距離通信機器も損傷したのか、『オーカ・ニエーバ』の声も雑音交じりでよく聞き取れない。この調子では、他の内部機器もガタがきていることだろう。もう体も、機体も、限界だった。

 もう、いいのではないか。旧式機で、たった1機で、できる限りのことはやった。ラーズグリーズの離陸まであと僅か。あとはきっと、彼らが。

 

《…リク君、聞こ……か。………結果………。…………の戦…パターン…、『グリューン隊』の……………間違…ない……う。くれ…………?…エリ……?『…ルヴ』、聞……るか。応………》

 

 グリューン隊。ロベルト隊長が、かつて所属していたというベルカのエース部隊。

 ピーター参謀らしき声が告げたその単語に、茫漠としていたエリクの脳裏に光が過ぎる。

 そうだ、戦況に応じて瞬く間に編成を変えるあの変幻自在な戦術は、確かに見覚えがあるものだった。――否、あれは、()()()()()()()()()()()だった。ロベルト隊長の指揮による『ハルヴ隊』の戦術が古巣の『グリューン隊』を下敷きにしたものだとしたら、両者が似通っていても不思議はない。敵の機動性ばかりに気を取られていたが、俺はいつの間にか隊長の影と戦っていたのだ。

 ならば。奴ら以上に熟知し、直接手ほどきを受けた『グリューン隊』の戦術というのなら。戦闘機パイロットとして空に上がってから、ずっと体に叩きこんできた『ハルヴ隊』の戦術だというのなら。俺にもきっと、読み切ることができる。

 

 絶望と諦念に包まれかけた心を、かつての記憶が光となって照らす。

 まだ、終われない。護るために。そして、終わらせるために。

 

《まだ醜く飛び続けるか、『三日月』め。…もういい、目障りだ。速やかに撃墜し、『ラーズグリーズ』撃破に向かう。もはや時間は無い》

 

 短距離通信は生きているらしく、存外に明瞭な声がレシーバーから洩れ聞こえる。

 指示を受け、迫る敵は正面左右から2機ずつ。右を第一分隊、やや遅れた左を第二分隊とするならば、さしずめ右はロベルト隊長とヴィルさんの位置、左は俺とクリスの位置という所か。

 

 右はヘッドオンを誘発しつつ牽制、本命は左。

 その読みに――否、自らの記憶と技術に従い、エリクは先行する2機と相対。攻撃を意識し回避を疎かにする愚を犯さず、正面に対し左回りのバレルロールで以て、2機の射撃と突撃を回避する。二番手たる左の2機とはベクトルがほぼ直交しており、速度を上げれば攻撃は当たらない。

 

 射撃を後方にいなし、左旋回で反転。背を取られた第二分隊は左右に散開し、一目散に逃げる『ように見せかける』。

 スロットルを振り絞り、追撃を仕掛けるのは俺の位置に当たる右の機体。『(ワイバーン)』は逃げ惑うように旋回を続けながら後方の『()』を誘導し、その隙に死角に忍び寄った『クリス』が後方から討つ手。

 ――来た。

 右後ろやや下方、こちらの主翼の影に隠れるように接近する『ワイバーン』。クリスより速く躊躇いの無い接敵だが、それだけに機動は単純で読みやすい。

 距離2000。1500。軌道修正、一撃離脱で仕留めるべく速度を上げながら1100。頭の中で描く機動そのままに、後方の『ワイバーン』は距離を詰めて来る。

 

 ふ、う。

 吐き出した息は、血と鉄の澱。

 距離が1000を切ったその瞬間、エリクは操縦桿を右横へ倒し、同時にスロットルを絞って機体を急減速。進行方向に対し機体を傾けることで強引に速度を落とし、後方の『ワイバーン』のオーバーシュートを誘発した。

 上げた速度に絡め取られ、右方を過ぎる『ワイバーン』。照準の中心で狙うは一点。かつて目の前でクリスが受けたのと同じ、機体の中枢たるコクピットへの狙い撃ち。

 赤く染まった照準のさ中を、鶴の細首のような機首が過ぎる。

 そこへ目掛け、引き金を引くのは僅かにコンマ数秒。

 『クフィル』の30㎜機関砲は、まるでこめかみを貫くように『ワイバーン』のコクピットに風穴を開け、一瞬にしてその首を抉り飛ばした。

 

《え…!?》

《何だと…!?偶然だ、ありえん!!》

 

 頭上を見上げれば、直上より迫る2機。初撃の後にインメルマンターンで反転していたらしく、既に2機はこちらをAAMの射程に捉えている。あちらは有人機である男の方がコントロールしているらしく、流石に細かな機動までは読み切れない。

 

《手負いの旧式ごときに『ワイバーン』が…栄光のベルカ空軍の戦術が破られるなど!》

 

 読み切れはしない、が。

 

《――あってはならない!!》

 

 ミサイル、4発。こちらの鼻先を塞ぐような射線で放たれたそれらは近接信管を作動させ、『クフィル』の機体を無数の破片と爆炎に包んでいく。エリクの体にもまた新たな破片が突き刺さり、太陽のような閃光は目を眩ませた。

 だが、眩まされたのはこちらの目だけではない。夜空に生じた閃光で視界が妨げられるのは敵も同じであり、この一瞬、敵はこちらの位置を確実に見失った。

 フットペダルを踏み、爆炎からいち早く抜けたエリクが目指すのは、あの2機が位置するであろう未来位置。機動が読み切れない隊長機とは裏腹に、確実にその一歩後方に付き従うヴィルさんの位置ならば読み切れる。

 

 爆炎から抜け出た『クフィル』が、速度を速めて『ワイバーン』の後方から肉薄する。

 デルタ翼に細い機首を持つその機影は、さながら鏃。回避の間すら与えず、その機影が瞬く間に『ワイバーン』を追い越した一瞬後――その『ワイバーン』は30㎜の弾痕に左翼を食い破られ、中ほどから翼を失い墜ちていった。

 

 残るは、有人機と思しき2機。戦意を喪ったかのようにふらふらと飛ぶ1機とは対照的に、『ヴィルさん』の隣にいた1機は鋭く機首を返してこちらに対し横旋回で相対している。おそらくは、あれが隊長と思しき男の機体に違いない。

 

《馬鹿な…!変幻自在を誇る『グリューン隊』の戦術が、たかが一パイロットに…》

「見積もり損ねたな。あんたらのお手本がエースのコピーだっていうなら、俺の手本は本物のエースだ」

《…何だと…!》

「俺は戦闘機パイロットとして飛び始めてからずっと、あの人の飛び方を一番近くで見て来たんだ。…覚えとけ。そんな玩具じゃ、『グリューン』の飛び方には遠く及ばない」

《……!》

《…黙れ。黙れ黙れ!貴様如きが!ベルカが誇るエースを騙るなァァァァ!!》

 

 裂帛の気迫が鼓膜を揺らし、エリクは僅かに顔を顰める。耳元で大声が響くと、今は単純に頭が痛い。

 正面、やや上方。男が操る『ワイバーン』は鋭く機首を引き上げ、こちらと真っ向から相対するヘッドオンの位置取りとなり、こちらとの距離を詰め始めた。

 旋回は鋭く、速度は確かに速い。しかしそれゆえに機動は単調で、陽動も無く真正面から突っ込んでくる。せめて本物の隊長よろしく自機の性能を省みれば、あるいはこちらの損傷や残弾数を見積もれば、他の手でいくらでも圧倒できたであろうに。

 

 エリクは正面から相対し、操縦桿に力を込めた。これが、超えるべき最後の壁。戦うべき最期の空。

 

《我らの誇りを、今取り戻す。貴様の血で…オーシアとユークの、奴らの血で!!》

 

 正面、ミサイル4連。

 手早く左手で計器盤を操作し、操縦桿下のボタンを押す。流血で視界が赤く潰れていようとも、長く慣れ親しんだ『クフィル』ならば、たとえ目を瞑っていても操作できる。

 選択は、残る全てのチャフとフレア。機体後部から四方に弾き出された銀色の雨と焔の渦は、正面のミサイルを引き寄せて次々と後方で炸裂させていく。

 

 距離600、500、400。

 『ワイバーン』から機銃弾が嵐の如く降り注ぐ。威力は並、しかしそれゆえに正確な弾道が容赦なく機体を抉り、カナードが、キャノピーが、次々と穴を穿たれ砕けてゆく。飛び散ったキャノピーの枠はエリクの頭部を打ち、ついに割れたヘルメットが床へと転がる。

 距離300、200。

 黒煙と炎を吹く機体、燃え尽きんとする命。

 勝利を確信し、衝突を避けるべく敵はこちらの右側を指す。

 

「…変幻、自在。…それが『グリューン隊』の戦術だって、あんたは言ったな」

《…何…!?》

「じゃあ、やっぱり。あんたは失格だ」

 

 距離、100。

 まさに機体が入れ違うその一瞬前、エリクは操縦桿のボタンを押し込んだ。選択は、言うまでも無く1発残ったQAAM。

 

 翼の下からQAAMが落とされ、一拍遅れて点火する。

 傍らを『ワイバーン』が擦れ違う。

 瞬く間に後方へと過ぎた『ワイバーン』。しかし優れた誘導性能と運動性能を併せ持つQAAMは、発射前にロックオンを外されさえしなければ、たとえ視界外になろうとも目標へと食らいつく。

 そう、それはまさに今。わずかに前進したQAAMがくるりと真後ろへ向きを変え、まるで意思を持つかのように『ワイバーン』の背を追い始めた様のように。

 衝突を回避するのに専心し、横方向への機動を疎かにした敵にとって、いくら『ワイバーン』といえども回避の術は無い。

 その様は、まるで神話に言う必中の槍(ゲイ・ボルグ)

 QAAMの穂先は『ワイバーン』の尾部へと突き刺さり、漆黒の破片をまき散らしながら、致命を物語る紅蓮の華を空へと咲かせた。

 

《中佐!》

《………我らの誇り。我らの悲願。こんな、所で…。…アシュレイ大佐。どうかSOLGを。朽ち果てることない、我らの怒りを…――!》

 

 焔が一際膨れ上がり、その意志と、折り重なった憎悪もろとも、爆炎の中に呑み込まれてゆく。

 

 時刻、午前5時52分。東の空は既に明るく、西の空には三日月が地平線に沈もうとしている。夜明けまで、あと少しだった。

 

 息が、苦しい。頭が朦朧とし、意識が呑まれそうになる。

 目の中の血が流れ落ち、ようやく色を取り戻した朧な視界の中。エリクは虚ろな瞳で、求める最後の姿を探した。

 ――いた。こちらとほぼ同高度、距離にして1800ほど。水平線に届き始めた太陽を背に、惑うように一人飛ぶパウラの『ワイバーン』。

 

「パウ、ラ……」

《エリク。…エリク・ボルスト…!》

 

 通信を揺らすパウラの声に、エリクはおや、と違和感を覚えた。

 まるで機械のような、先ほどまでの声音と違う。平易な抑揚とは異なり、今は言葉尻が昂り、溢れる感情を堪えようとしているようにも感じ取れる。その様は、かつて仲間だったころ、稀に垣間見せたパウラの姿を思わせた。

 ――当然だろう。ベルカによる復讐で俺は仲間を奪われ、その復讐としてアルヴィンとフィンセントを殺した。元を正せば、ベルカによる復讐も15年前の戦争での諸国の成しようが遠因であり、さらに遡ればその元もあるのだろう。いわば復讐の連鎖の末端、復讐を実行する最後の立場となっているのが、今のパウラなのだ。気が昂らないはずはない。あれほどまで彼女が慕っていたカスパルを、俺はこの手で殺したのだから。そんな相手が、今目の前にいるのだから。

 

《私は…、私はっ…!カスパル少佐を殺したあなたが、憎い…!恨めしい、…私の手で、殺したい!》

 

 エリクの口角に、微笑が浮かぶ。

 これほどに、パウラが感情を露にしたことがあっただろうか。まるでその心に溜まりに溜まった感情と言葉を吐き出すかのように、その声はとめどもなく溢れて来る。

 ようやく、本音と本音で語り合えた。そう思うと、むしろ今の気分は好ましい。俺もまたその道を歩んだ以上、復讐という選択を否定する資格もない。

 パウラ、お前は、お前の意思は、それでいい。だから――。

 

《…だけど。……だけれど、でもっ…!…殺したいけれど、憎い、けれど…!でも、………私は皆が、……あなた、が……っ!》

「――もういい。パウラ」

《…え?》

 

 嗚咽交じりのパウラの言葉に、エリクは紡ぎを重ねた。

 報復の連鎖を止めるという決意。パウラの心に残る、報復の意思。それぞれを、そして消えそうな自分の灯を考えれば、今できることはただ一つしか無かった。もしどこかが、何か一つが違いさえすれば結末も変わったのかもしれないが、今の俺にできることは、もうこれしか思いつかない。

 

 エリクは残った力を振り絞り、喉に力を込めて、できる限りの声で通信に向けた。想いを、希望を、パウラへ伝えるために。

 

「もう、いいんだ。お前の望みは、じき達成される。――報復の連鎖は、俺たちで、もう終わりだ」

《え…?……待って、エリク》

「俺はもう、レクタでは死んだ身だ。復讐を思いつく奴なんて誰もいない。俺が死んでも、連なる怨恨はもうない。…だから、パウラ。全部終わったら、お前は日常に戻れ。パウラ・ヘンドリクスとして、報復の連鎖の先に、生きてくれ」

《待って、エリク。……待って、違う、の。………私は、…わたしは……!》

 

 未来への、願い。

 それを告げきった直後、唐突に襲う嘔吐感に、エリクは胸からこみ上げたものを吐き出した。

 鮮やかな、鮮血。限界を超えたGは、既に体を中からも崩し始めている。

 頭が、重い。まるで徹夜の哨戒任務明けのように眠い。

 

 視界の端に光が溢れ、水平線から朝日が顔を覗かせる。

 ――ああ、そうだ。朝日が昇れば、月は沈まなければならない。夜明けの先には、三日月はもうお役御免だ。

 

「…ああくそ、……重い。たまらなく、疲れた。…そういう、訳だ。…パウラ。………夜は、…沈む俺たちが、持って……行くから。……お前は、…光の、中へ…」

《エリク!…エリ、ク…!私は、…わたしは、あなたが……――!》

「――元気で、な」

 

 最後の力を使い果たし、腕がだらりと垂れ落ちる。

 制御を失った『クフィルC10』は項垂れる馬のようにその機首を下げ、眼下に佇むオーレッド湾へと、炎に包まれたその翼を向けていった。

 視界の端にはオーレッドのハイウェイ。そこに駐機する黒衣のF-14には既に尾部に光が灯り、周囲へ群がる人影が徐々に離れていっている。どうやら離陸の準備が整ったらしく、広げた主翼に補助翼を上下させながら、大柄な機体は少しずつ進み始めていた。

 

 護り切った。全てを賭して、報復の連鎖へも決着を下した。

 確かめるべきものを見届け、エリクの眼は静かに閉じられる。

 瞼の奥には、残した人々の面影。

 カルロス、ニコラス。ニムロッド隊の面々。

 支えてくれたピーター参謀。

 まだ声しか知らない『オーカ・ニエーバ』、そして『ラーズグリーズ』。

 パウラ。

 サヤカ。

 ――すまない。俺は結局、お前に頼ってばかりで、与えられるばかりで、何も残すことができなかった。

 

 朧となる現実感に、生きる人々の面影もまた、闇へと静かに消えていく。

 最期の最後、エリクの目の前に見えたのは、暗闇を照らす黄金色の三日月。そしてその下、歩みを止めて振り返る、3人の姿。

 クリス。ヴィルさん。ロベルト隊長。

 良かった。今度は、俺を置いていかないでくれよ。

 

 さあ、行こう。今度はいつも通り4人で。

 報復の連鎖の果て、その先に広がる、ヒカリ溢れる広大な空へ。

 

******

 

 夜明けに満ちる、1年最後の空。

 文字通り暁を払い朝日を呼ぶように、オーシア首都オーレッドを走るハイウェイ上から、翼端を赤く染めた漆黒のF-14Dが離陸していく。

 

 時に2010年12月31日、午前6時6分。

 後の世に、環太平洋戦争と謳われる一連の戦いの終結日と言われるこの日。戦争の規模から顧みればあまりにもちっぽけな、名も無き青年が一人、オーレッド湾へと散った。

 

 4つの機影が集う空を、朝日が穏やかに照らしてゆく。

 夜明けの訪れを祝福するかのように、三日月は語らぬまま、西の地平線へと沈んでいった。


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