Ace Combat side story of 5 -The chained war- 作:びわ之樹
…15年前の戦争は、とうに幕を下ろした。ベルカの亡霊の妄執を、ここで断ち切るんだ。ウスティオ各機、円卓空域に侵入する敵性航空部隊を全て排除せよ!》
三日月の淡い光が、峻厳な山肌を抱きこむように照らしている。
愛すべきウスティオの大地。遥か昔の戦争から、数多の男たちの血と命を呑み込んできた魔性の大地。遠目には何の変哲もない山岳地帯でありながら、それは拒みがたい魅力を以て男たちを高揚させ、魂を引き付けてゆく。かつてこの空を飛んでいたというパトリック叔父さんも、伝説の傭兵と謳われたサイファーやピクシーも、同じ高揚を抱いて飛んでいたのだろうか。
蛍光を帯びて数多の数値を刻む計器盤。時折しゅー、と抜けた音を響かせる酸素マスク。目にも耳にも、月夜の闇をかき回すものは少ない。
まだ容貌にあどけなさが残る青年――パスカル・ジェイク・ベケットは、静寂に包まれた『円卓』の地を静かに見下ろしていた。
《円卓の空で、また『サイファー』の機体が拝めるとは。胸が熱くなるな》
自らの右後方に就く『ガルム2』ことレイモンド中尉の声は、本当に熱を抱いたかのようにどこか湿り気を帯びている。先代のガルム1ことサイファーと共に飛んでいた彼にとっては、この空もこの機体も、自分以上に感慨深いものなのだろう。
F-5E『タイガーⅡ』。主翼と水平尾翼の両端を青く染めた、ウスティオに着任したサイファーが最初に乗っていた機体。15年前の戦争に参加していたとは思えないほどエンジンや電子機器の状態は良好であり、サイファーが基地を去ってからもスタッフが並々ならぬ思い入れで整備を続けていたことが伺い知れる。
サイファーの魂を宿し、人々の想いを乗せた機体。その中に納まる自分を俯瞰して、パスカルは武者震いのような震えを覚えた。不安、畏れ、興奮。ポジティブもネガティブもないまぜとなった複雑な感情が、今は心の中に渦巻いている。
もっとも軽戦闘機の宿命か、近代化改修を受けていない15年前そのままの機体であることがたたり、『タイガーⅡ』の兵装搭載量は非常に心もとない。ハードポイントこそ7か所を有するものの、
それを補うため、今回パスカルは急ピッチで武装の増設を基地スタッフへと依頼した。具体的にはAAMが余分に搭載できないことを鑑みて、胴体真下のハードポイントに30㎜4銃身ガトリングガンポッドの搭載を提案したのである。これはA-10『サンダーボルトⅡ』シリーズが装備する30㎜6銃身ガトリング砲をガンポッド化したもので、実際にF-5シリーズに搭載された実績もある武装ではあるが、過去ウスティオ空軍での搭載実績は皆無であった。それを不安視したのか、基地スタッフの引きつった表情は今でも記憶に残っている。30㎜ガトリング砲はそもそもが対地攻撃を想定した武装であり、空対空戦闘で用いるのは正気の沙汰とは思われなかったのだろう。
それでも自分の腕に期待を寄せてくれたのか、はたまたサイファーの機体という威光ゆえか。整備兵たちは文句ひとつ言わず、自分の無茶な要望に完璧に応えてくれた。
塗料や油の匂いがまだ濃密に残る、整備直後の蒼翼の機体。その下部から正面を睨む、4門の長銃身。出撃前に目にしたその威容は、さながらサーベルタイガーを思わせる姿だった。
余談ながら、同じく機体を失ったレイモンド中尉は旧知らしいヴァレー空軍基地の傭兵に頼み込み、今回はF-15C『イーグル』を借り受けている。慣れたF-16『ファイティング・ファルコン』を貸そうかという申し出もあったようだが、今回は空対空戦闘が予想されたため、より高速性能に優れるF-15を選択したのだという。流石にこちらは時間的な余裕が無かったため、右翼の塗装も尾翼のエンブレムも省略した姿となっていた。
したがって『円卓』の舞台に展開するのは、レイモンド機も含めたF-15が9機、F-16が12機、そして自分のF-5Eが1機。スーデントールを目指す敵部隊を各個に迎撃できるよう、小隊ごとに一定の間隔を離しながら布陣した。
《暗天の円卓とは、15年前のサンダーボルト作戦を思い出すな。もっともあの時とは攻守が逆だが》
「サンダーボルト作戦?」
《ああ。PJ、お前の叔父さんもあの時は…いや、昔話をしている余裕は無さそうだ。展開中のウスティオ軍各機へ、空域に航空部隊の侵入を確認。方位030よりファトならびにゲベート所属機25、方位085よりレクタ所属機8。こちらの無線による応答なし、情報にあった各国のベルカ残党もしくはタカ派将校と思われる》
《来やがったか!》
《『ラーズグリーズ』の背中は我々が護る。奴らをスーデントールへ行かせるな。各小隊、正面の敵に対応せよ》
「了解!ガルム2、アイビス隊、続いて下さい!フェザント隊は後方のフォローを!」
方位030、北北東へと目を走らせ、操縦桿を左へ倒して舵を切る。
後方に連なるのはガルム2とアイビス隊のF-16、やや遅れてフェザント隊のF-15C。こちらは10機で、担当正面であるファト・ゲベート連合軍と当たることになる。機数では半分以下ではあるが、主力が歴戦のヴァレー傭兵であることを踏まえると、けして不利な数ではない。
増槽投棄、安全装置解除。火器管制グリーン、兵装は機首20㎜を選択。正面の空は暗く、目視でもレーダーでも敵の姿は見て取れない。――しかし、確かに近づいて来ている。敵意とでも言うべき濃密な気配が、あるいは円卓の魔の息遣いが、キャノピー越しに伝わってくる。
《フェザント1、敵編隊捕捉。『ラファールC』8、『ミラージュ2000』8、MiG-29Gが8、MiG-31Eが1。距離3200、いずれも正面》
「了解。アイビス、フェザント両隊は左右へ散開。私とガルム2が正面から敵編隊を攪乱します」
《フェザント1了解。貴機の技量はサイファーと同じように信頼している。攪乱役はお任せする》
ガルム2との間隔を狭めたこちらの後方で、8機のF-15とF-16は左右にそれぞれ分かれ、上方へ向け大きく散開してゆく。敵機25機に対しわずか2機で正面突破を仕掛けるという自殺行為同然の戦術ながら、それに対する疑義の声は一つとして上がらなかった。
その背にあるのはサイファーに対する今なお衰えない信望であり、そしてその後継として自分に託された想いである。『あいつならやってくれる』『いくつもの不可能を可能にした、サイファーと同じように』と。
ちっぽけで未熟な自分にまた一つ重ねられたその思いに、鼓動がまた一つ高まった。
《連中、素直になったもんだ。当のサイファーに見せたら大笑いだろうな。ヴァレー空軍基地の上空で大立ち回りしたお蔭かね》
「あはは…どうでしょう。…ガルム2、正面から切り崩します。行きますよ」
《ああ。ケツはフォローしてやる。思いきり行け!》
声に、想いに押され、加速するF-5E『タイガーⅡ』。機体のレーダーが正面の敵影を捕捉し、肉眼でも月明かりの下に朧な姿が捉えられる。集団は左右にやや離れ、向かって右が『ラファール』と『ミラージュ』で構成されたゲベート軍、左が『ファルクラム』を主力とするファト軍。公には目下交戦中である二国の微妙な関係が、わずかに開いた両編隊の位置を如実に物語っている。すなわち、両国部隊の連携は無いに等しいと考えていい。
距離2200、2000。1700。
レーダー警報の低い漣が鼓膜に響く。敵針路はそのまま、突出したこちらの2機を確実に叩く姿勢。
目を閉じ、息を吸う。人の期待を、想いを、信頼を呑み込む。
恐れはない。震えも今はない。エースを、英雄の姿を背負う以上、自分はサイファーを演じ、エースとなって見せる。
目を開く。
距離1000。敵の眼前、円卓の槍衾の一歩前。
《全機、撃て!》
聞き慣れない訛りの言語が通信を揺らし、殺意と化したミサイルの槍が殺到する。
フットペダルを離し、やや減速。操縦桿は手前、機首上げを控えた大回りのバレルロール。
進行方向を向いたまま時計回りに廻る機体を、正面のミサイルが次々と掠めて去ってゆく。
4発、5発、近接信管が作動しないぎりぎりの距離。
一周を終え、平行となった機体を右にロールさせ、最後に迫る2発を機体上下にいなして回避する。
あたかも闘牛士のような皮一枚の回避行動を終え、『虎』の牙先に集うのは無防備となった敵の編隊。その右側の中心、先頭を飛ぶ『ラファールC』。
引き金を引いた、わずかコンマ数秒。背面飛行となり敵編隊と正面から擦れ違った後方では、制御を失い円卓へと吸い込まれていく『ラファールC』の姿が見えていた。
《ば…馬鹿な、避けた!?アザーレ1が落ちる!》
《上、左右上空だ!ウスティオ機が突っ込んで来るぞ!》
《お、おい…今の敵機!両翼端が青くなかったか!?》
《ち…駄目だ、ゲベート軍はあてにならん!『フォッシャ』よりフロアレ各機、本機の元に集え!上空を攻撃を躱してから攻撃を集中させる!》
操縦桿を引き、機首を上げて機体を急上昇。インメルマンターンの要領で機体を平行に戻した先の眼下では、時間差を設けて突撃したアイビス隊、フェザント隊により、さらに2機の『ミラージュ2000』が脱落してゆくのが目に入る。編成を見る限りゲベートの部隊と思われるが、こちらの攪乱と上空からの攻撃により、その統制は完全に失われ、各個に回避行動に入っているように見受けられた。通信も先ほどからはゲベートの言語による混線がひっきりなしに入っており、その混乱を物語っている。
片や対照的に、ファト軍と思しき集団はMiG-31『フォックスハウンド』を中心として部隊を密集させ、下方へ抜けたアイビス隊への追撃を計り降下に入りつつあった。察するに、おそらく中心のMiG-31が前線空中管制機の役割を担っているのだろう。元来MiG-31は迎撃戦闘を主とする高速戦闘機ではあるが、優れたレーダーと通信装備を有しているため前線における空中管制機の代役を務めることもある。
つまり、あの機体こそがファト軍機の『頭』に違いない。
「ガルム2、目標をファト編隊へ変更。敵編隊中心の『フォックスハウンド』を狙います!」
《了解。アレさえ殺ればファトの連携もズタズタだ!》
敵編隊の後方上空、その大柄な機影を眼下に捉え、パスカルは操縦桿を横に倒して機体をロール。操縦桿の位置を手前に引きつつスロットルを加え、翻るように敵の後方上空から降下を始めた。
頑丈な機体構造を持つMiG-31の特徴を考慮し、兵装は胴体下部30㎜ガンポッドへ変更。急造の増設兵装である都合上反動抑制や照準補助といった機能は当然無く、なるべく至近距離から直接照準で狙う他にない。
ぐんぐんと距離を狭める彼我の距離に、MiG系らしからぬ直線を主とした武骨なシルエットが浮かび上がる。距離にして、あと1400。
《…ッ!後方から来る!フロアレ5、6、迎撃に当たれ!》
露見した。
混線がファトの言葉を紡ぎ、それに応えるように両脇のMiG-29が2機、鋭角を描いて急旋回しこちらに相対する。敵は第4世代の戦闘機、おまけに中型軽量で空力的にも優れた形状を持ち、近接格闘戦では無類の強さを誇る『ファルクラム』である。旧式の『タイガーⅡ』で真正面から立ち向かうのは自殺行為でしかない。
しかし。
唇を噛み、パスカルはきっとその先――MiG-31の巨体を見据える。
位置取りは絶好、旋回半径が極めて大きい『フォックスハウンド』にならば、一度接近してしまえば確実に撃墜できる。この一撃で敵の連携を崩せるならば、ある程度のリスクは甘受すべきだ。
《突っ込むんだな!?》
「行きます!」
《分かった!FOX2!》
阿吽のごとく短い言葉に、巡らせるは互いの意図。
一層速度を上げたこちらに対し、二歩後方を飛ぶレイモンド機からAAMが放たれ、こちらを追い越して正面の『ファルクラム』へと飛翔する。もっともAAMの射程限界から放ったこともあり、比類ない運動性能を持つ『ファルクラム』はいずれもこれを回避。あるいは機首を下げ、あるいは正面からバレルロールで矛先をいなして、AAMは虚しく彼方へと飛び去っていった。
だが、パスカルの眼には別のものが見えていた。
回避行動のため、わずかに左右に開いた2機の敵機。その両者の間、MiG-31に向けてぽっかりと空いた空間が。
「開いた!」
瞬間、パスカルはぐんとフットペダルを踏みこみ加速。軽量な機体に双発エンジンという推力の利を活かし、2機の間をすり抜けてMiG-31への距離を詰めた。
相対距離、600、500、まだ遠い。しかし斜め後方からの接敵であり、最大となった投影面積は数値以上に近くに見える。
引き金を絞る。照準を見据える。狙いは、そのコクピット。
距離、300。
目が数値を読んだ瞬間、パスカルは引き金を引き――直後に、衝撃に見舞われた。
「うわっ!?」
凄まじい振動が機体の下部から響き、照準を大きく揺さぶる。みしりとキャノピーが軋み、機首が上方へとずれてゆく。放った曳光弾もその軌跡は大きく散り、わずかに一発を機首に掠めるに留まって、パスカルのF-5Eは有効打を得ないままに『フォックスハウンド』の斜め下方へと抜けていった。
そもそもが、大量の炸薬を使用する大口径砲はえてして反動が大きいものである。30㎜ガトリング砲の本家であるA-10『サンダーボルトⅡ』ではこれを機首内蔵式とし、かつ重い自重と高い安定性でもって初めて安定的に運用しているのだ。いくらA-10のものより幾分軽量な4銃身モデルとはいえ、A-10より遥かに機体が軽いF-5Eで、なおかつ外付け式ガンポッドとして運用しているとなれば、その凄まじい反動で命中精度が犠牲になることは避けられない問題であった。
《く…何だ、今の衝撃は。奴は対空砲でも積んでいるのか!?》
《どうしたPJ、照準装置の不良か?》
「いえ、30㎜ガトリング砲の反動です。予想以上だ…」
《だからそんな妙なもんやめとけと…。まあいい、一旦引き離してからAAMで…》
「でも、もう反動は覚えました」
なに?
呟くように声を漏らしたレイモンドをよそに、パスカルは操縦桿を大きく引いて急上昇。左手側上方に旋回して逃げる『フォックスハウンド』を視界に納め、その背を取るべく機体を左へ旋回させた。加速で逃げられれば追いつけないが、旋回で回避している間はF-5Eでも追随できる。
《PJ!斜め上から来てるぞ!さっきの2機だ!》
レイモンドの声に、顔を上へと向ける。
空の三日月を背にした敵影は、確かに二つ。左旋回上昇に入るこちらに対し、下降する敵の針路はこちらと直交。こちらの投影面積が最も大きくなるタイミングで、敵の射程内に入ることになる。
まさに死地と言っていい、最悪のタイミング。――しかしそのタイミングが分かっているのなら、却って回避はしやすい。少なくとも、サイファーならそう考えるに違いない。
上方、ミサイル2。
ミサイルアラートが鳴り響くのも構わず、パスカルは進路もそのままに、回避行動を取るMiG-31を追い続けた。音速を優に超えるミサイルの飛翔は速く、その焔と矛先はあっと今に青翼の機体へと迫ってくる。
いずれにせよこの距離と機位では、回避行動を取った所で後ろを取られる。ならばタイミングを計って最小の運動で敵の攻撃を躱し、攻撃を続行する方がはるかにいい。
上。
矛先が迫る。
時が迫る。
着弾まであと3、2。
信じろ。この機体を、自らの中に宿った『サイファー』を。
タイミング――。
「今!」
時が至るのと同時に、パスカルは操縦桿を左へと倒し、機体を横へとロールさせる。
背面となったF-5Eは、その瞬間投影面積を減らし、敵ミサイルを腹の下へと掠め――わずか数m下方にその鏃を退け、健在な翼を『フォックスハウンド』へと向けた。
敵後下方、旋回中。こちらは背面飛行のまま。先ほどより遥かに難易度の高い姿勢だが、一度発砲した反動の感覚は掌に染みついている。
反動のずれは、照準中心に対し概ね4°と少し。背面なので若干縦方向に修正し、約2.5°。
《くそ!護衛は何をしている!フロアレ隊各機、ザコはいい!あの機体を、蒼い翼のF-5Eだけを狙え!!》
言葉に混じる焦りと恐慌が、敵の動揺を物語る。照準の中の機影は刻一刻と大きくなり、30㎜の牙の圏内へと、その身を徐々に近づけてゆく。
距離350、300。両牙が噛み合う、その瞬間。
《行け!》
激しい反動とともに放たれたのは、わずかに数発。それだけでありながら、30㎜口径の弾丸は『フォックスハウンド』の巨体を正確に捉え、獲物の首をもぐかのように機首を千切り飛ばして、残骸を微塵に空へと散らした。
粉々に散った『フォックスハウンド』の残骸、落ち行く火の残滓と、傷一つ受けず飛ぶ『タイガーⅡ』。
その様に人は声を失い、一拍後には現実を伴った恐慌となって、人々を襲った。
《ふ、フォッシャが落ちた!》
《円卓の鬼神だ…!間違いなく本物だ!敵う訳が無い…!》
《黙れ!まだ機数ではこちらが上だ!ゲベート軍と連携して大勢を…ぐあっ!》
動揺で回避行動が鈍った『ファルクラム』をレイモンドのF-15Cが撃墜し、さらに別の1機も四分五裂しながら落ちてゆく。もはや統制を取れる機体はいないのか、ファト軍の『ファルクラム』は各個に回避運動を行っており、小隊での連携らしい連携も見られなくなっていた。周辺に目を向ければゲベート軍も同様のようだが、こちらは辛うじて『ラファール』4機が連携を維持して友軍のF-15『イーグル』と相対している。
機体を傾ける。
文字通り空を切るように、翼端を青く染めた切り欠きデルタの翼が月夜を駆ける。
眼下、『ラファールC』4機。孤立した友軍のF-15を追い格闘戦の最中。背を取り取られ合う闘争の渦中へ、パスカルは迷うことなく『タイガーⅡ』を降下させた。
目前の獲物を追う敵は回避行動が疎かとなり、加えて夜間、死角からとなれば発見も遅くなる。
敵編隊の中心、尾翼を緑に染めた隊長機らしいその機体は、すんでの所で突撃するパスカル機に気づいたものの回避すること叶わず。空を切った30㎜によってコクピットを正確に貫かれ、機首ごともぎ取られ落ちていった。残された僚機が、蜘蛛の子を散らすように統制を乱したのは言うまでもない。
「ガルム1よりイーグルアイ。ファトならびにゲベート軍機の指揮系統を寸断。じきに掃討戦へ移行します。周辺域の情報を知らされたし」
一旦高度を取り、パスカルは戦況を俯瞰しながら通信を送る。眼下では乱れた敵編隊に突入したレイモンドが新たに『ラファール』1機を屠り、残るウスティオ機も敵部隊を追い回している状況となっていた。通信ではじきに掃討戦へ移行と言ったものの、眼下の戦況は既に掃討戦と何ら変わりない。
《こちら空中管制機イーグルアイ。対レクタ軍の方でも、こちらはレクタ軍機を圧倒しつつある。また現在、方位080より敵増援と思しき反応8を確認した。円卓空域へ向け接近中、機種不明》
「了解。敵増援にはガルム隊で当たります。空域の指揮権はフェザント1へ…」
数で勝る敵を相手に主導権を得、目下にその反応は数を減らしてゆく。これに対し、ウスティオ側の損失は現状ゼロ。この調子ならば、新たな増援が加わってもスーデントールへの進行を阻止することは可能だろう。
――だが、これまで卓越した技量で常に主導権を握っていたパスカルは知らなかった。戦場には時として、個の力では太刀打ちできない強大な力が存在するということを。
そう、敵の新たな増援に呼応するように飛来する、空を灼く悪魔の存在を。
《スーデントールへ向かう三国の飛行隊へ、この戦場は我々が請け負った。諸君は直ちに高度3000まで上昇し、速やかにスーデントールへ向かわれたし》
《…!増援か、助かった!全機、高度3000まで上がるぞ、急げ!》
《逃がすかよ!ウスティオ全機、フルスロットル!全速で追撃する!》
増援の機体かららしい通信に、ファトとゲベートの戦闘機が一斉に機首を上げ、高度を取り始める。高度域3000といえばこちらの約500下方だが、その地点目掛けて敵味方が殺到する様はどこか奇妙な光景でもあった。
とはいえ、敵は統制を乱したといえども機数は依然多い。ここで離脱を許せば20機以上の戦闘機がスーデントールになだれ込むことになる以上、こちらとしても突破は全力で阻止する必要がある。
ならば、高高度に位置するこちらは先回りし、敵の鼻先を押さえるべき。
結論を下し、操縦桿を手に機体を傾けかけたその刹那。
異変は、突如として起こった。
《…!?この反応は…!?ウスティオ各機、すぐに空域から離》
「うっ!?」
焦ったようなイーグルアイの声が流れた直後、激しいノイズが耳を苛み、パスカルは反射的に顔を顰めた。イーグルアイの声が雑音に遮断されて聞こえない。レーダーへと目を向けると、捕捉していた筈の敵の反応が安定せず、その姿は完全にノイズの幕に隠れてしまっている。
敵方のジャミング。しかし今、いったい何故。追撃の阻止にしては、タイミングがおかしい。
解釈を得ない敵の挙動に、パスカルの手の動きはしばし凍る。
敵の動きは、一体何なのか。そして何より、先ほどから感じるこの悪寒はなんだ。まるで背筋を粟立たせるような、悪魔が凝視するような、この肌寒い感覚は。
――南。
直感が、神経を介して体を突き動かす。
反射的にその方向を向いたパスカル。その目の前、距離を隔てた南東の空に爆ぜるような眩い光が生じたのはその直後だった。
「な…!?」
大きな光が一つ、次いで周囲にいくつも爆ぜる小さな光。それらはやがて赤い炎となり、彗星のような尾を曳いて、円卓の大地へと散るように墜ちていく。
震えは止まらない。背筋の粟は収まらない。まだ、終わっていない。
先ほどの光は、レクタ軍機と交戦中の友軍がいる空域に近かった。ならば。
――なら、ば。
「……!!みんな、すぐに逃げて!!」
青年の必死の声を、ジャミングの雑音は無慈悲にかき消していく。
急ぎ機首を下げようと下方を見下ろした矢先、パスカルは見てしまった。
南の空から一筋の光が飛来し、高度3000付近に位置する両軍の間で爆ぜるのを。
そしてその弾頭から無数の散弾が光り、周囲の戦闘機をずたずたに引き裂いて、爆発の奔流に呑み込んでいくのを。
眼下で地に墜ち行く焔は、まさに無数。男たちの無念を宿したかのように、それらは揺蕩い、揺らいで燃えながら、諸手を広げた円卓の大地へ吸い込まれてゆく。
「…そん、な。…そんな、嘘だ…!こちらガルム1、誰か、誰か応答してくれ!レイモンド中尉、フェザント1、アイビス隊…!みんな!!」
《く…!ようやく回復したか。…………いや、待て。何だこれは、レーダーの故障か》
「…イーグルアイ!」
《ガルム1、か。…どうなっている。アイビス隊もフェザント隊も、…いや、あれだけ飛んでいたファトやゲベート機の反応も無い。レクタ機もだ。一体何が起こった》
「分かりません・・・!南から飛来した何かの爆発に巻き込まれて、敵も味方も…!」
ようやくノイズが晴れ、耳が雑音から解放される。それに安堵する間も惜しく、パスカルは縋るように機体を降下させ、高度3000付近に旋回した。周囲には色濃く黒煙が滞留し、ただでさえ暗い夜空の視界を一層悪化させている。
誰でもいい。誰か生き残っていてくれ。
空に漂う闇を払うように、パスカルは旋回しながら頭を左右に廻し、懸命に周囲を探る。レーダーを走査モードへ、ヘルメットのバイザーも上げ、少しでも視界を明るく。
頼む。誰か。誰か――。
《く…!くそったれ!》
「…!」
わずかに耳に声が届く。肌が感じた気配にその方向を凝視すると、山脈の谷間に当たる位置に微かな噴射炎を見て取ることができた。
芽生えた期待を胸に、フットペダルを踏んでその方向へと加速する。距離を狭めるごとにその姿は明瞭となり、片方がへし折れた垂直尾翼、1/3ほどが無くなった左翼、そして後部に覗く双発のエンジンカウルが見て取れるようになる。
機番、照合。間違いない。
「…レイモンド中尉!!無事ですか!?」
《おお…生きてたかPJ。体はいいが、機体は少々厳しいな。F-16の連中は全員墜ちた。残ったのは、俺たちだけだ》
《まぁ戦力は無いに等しいですがね…。フェザント3ならびにフェザント4、健在です。辛うじて》
レイモンド以外の声にはたと気づき、パスカルはその先へと目を凝らす。
確かに、レイモンド機の向こうに隠れるように飛ぶF-15が2機。しかしいずれも機体の一部を失うなど損傷が激しく、到底空戦には耐えられそうにない。すなわち22機を数えたヴァレー空軍基地の精鋭も、残るは自分1人ということになる。
《巡航ルート照合。…間違いない、今のはサピン軍の情報にあった巡航ミサイル『アロンダイト』だ。……連中の狙いは、最初から三国軍による円卓の突破には無い。奴らを囮に我々をおびき寄せ、一網打尽にするのが狙いだったんだ…!》
《いかれてやがる。俺らさえ始末できれば他人が何人死のうと知ったこっちゃないってか…!》
《…ガルム隊、フェザント隊、悪い知らせだ。先述したレクタの増援機が急速接近中。機種も判明した。X-02…『ワイバーン』のコードを持つ機体が8。戦力差は言うまでもない。…もはやこれまでだ。全機、ただちに空域を離脱せよ》
どっ、どっ、と心臓が鼓を刻む。
ウスティオ機を――おそらくは『ガルム』を葬り去るためだけに投入された巡航ミサイル。他国兵を巻き込んだ大量虐殺すらも躊躇わない冷徹な作戦。おそらくはこの空域を離れた所で彼らはこちらを追い、確実に始末してからスーデントールになだれ込むだろう。手負いの『イーグル』では到底逃げ切ることは叶わず、全滅は必至に違いない。
どうする。どうしよう。どうすればいい。
機体を捨ててすぐに脱出する?しかし、彼らがそれを見過ごすとは思えない。エリクさんの言葉によると、彼らはパラシュートすらも狙い打つ。
全機で迎撃する?だが、『イーグル』はたったの3機、それも中破以上。戦闘機動には耐えられない。
逃走しながら援軍を要請する?いや、間に合わない。電波状況が悪い円卓では、外部へ届く保証もない。
どうする。
こんな時、『サイファー』ならどうした。
皆が謳う英雄の彼ならば。パトリック叔父さんが敬愛し、レイモンド中尉が往時を偲び、ヴァレーの皆が口々に語る彼ならば。
――そんなの、決まっている。
どくん。――どくん。
鼓動が、鎮まる。
自らの中の『サイファー』は、答えを既に告げている。
迷うことは何一つ無い。自分は、『ガルム1』なのだから。その名を名乗った時から、
「
《な…!?》
《お…おい!PJ、何を言ってる!あの数だ、無駄死にするだけだ!機体だっていつものF-2じゃない、ポンコツのF-5Eなんだぞ!》
「全機で逃げても速度差で追いつかれます。その上、彼らのスーデントール到達を許すことになる。ラーズグリーズ隊が側面攻撃を受ける形になる以上、ここで時間を稼ぐ必要があります」
《な…なら俺も残るぞ!ガルム隊が2機揃わなかったんじゃ格好が付かないだろうが!》
「レイモンド中尉の機体では対空戦闘は不可能です。それに、フェザント隊を護衛する戦力も必要です」
《で、でもな…!……俺は、俺たちはお前の叔父さんを…PJを最前線に送り出して死なせちまった。お前まで死んじまったら、もう俺はあいつに合わせる顔が無いんだ。…頼む。考え直せ、一緒に退こう》
感情を帯びた声が、引き止めるように身に纏う。
死なせたくない。叔父のように、一人だけで死なせたくはない。その振り絞るような言葉に、パスカルは胸が詰まりそうになった。レイモンド中尉は、おそらく15年前の戦争の事を今でも悔やんでいるのに違いない。
だが。同じように、自分もレイモンド中尉たちを死なせたくはない。サイファーもきっと、少しでも多く敵を落とし、少しでも多く味方を助ける道を選んだ筈である。
「ありがとうございます、レイモンド中尉。でも、ガルム1…サイファーなら、きっとこの場に残ったと思います。皆が語るような人なら、きっと」
《…!…違う!お前は、サイファーじゃない!パスカルっていう人間だ!》
「この機体に乗り、このエンブレムを身に着けている以上、
レイモンド中尉のF-15Cに並び、想いを伝えるようにまっすぐにその目を見つめる。
瞳がこちらを見る。尾翼のエンブレムへと流れ、それが再び視線と交わる。暗闇の中の筈だが、パスカルにはそう感じられる。
バイザーを上げた目元を、殴るように拭ったレイモンド中尉。半壊した『イーグル』はそれを最後に、機体を傾けて西の方へと向かっていく。残る2機もパイロットの敬礼を残し、その軌跡に追随した。
《…死んだら、承知しねえからな。覚悟しとけよPJ!》
にこり、と微笑を返し、パスカルは機体を反転させる。既に東の空からは殺意が迫ってきていることが、素肌にも濃厚に感じられた。
「イーグルアイ、そちらも撤退してください。敵は、そちらすらも標的にしかねません。こちらは一人で大丈夫です」
《E-767の走査範囲を舐めて貰っては困るな、PJ。ぎりぎりまで支援はさせて貰おう。敵は変わらず真東、進路変化なし。…妙な隊形だ、2機ずつ4分隊に分かれた》
イーグルアイの怪訝な声が鼓膜を揺らし、その様をレーダーで確かめたパスカルも首を傾ける。空戦時の編成といえば4機小隊単位がオーソドックスだが、眼前の敵は2機ずつの分隊に分かれ、しかもそれらがまっすぐ梯子状の列に並んでいるのだ。探りを入れるための隊形なのかもしれないが、自身の感覚はそれを否と告げている。機数に対して殺意はわずかだが、その分より鋭くこちらを貫いている。
この位置は、まずい。
「させない!」
矛先を逸らすように右旋回したその瞬間、敵の先頭の2機は弾かれた矢のように突貫。距離1800の中距離からミサイルを発射しながら、速度を増して突っ込んで来た。
右、次いで左下方。機体の近くをミサイルが掠め、危うい所で擦過してそれらは飛び去り、機銃弾とともに2機の戦闘機が過ぎ去ってゆく。
ミサイルアラート、第二波。やや高度を落としたこちらに対し撃ち下ろす態勢で2機4発。予測より加速は速く、1発が避けきれずに至近で炸裂の華を散らす。
来る、第三波。
操縦桿を引き、機首を上げて加速する。腹を見せ隙を生じたこちらに乗じるように、2機のデルタ翼機が突撃して来る。反転して来ているであろう先二波は振り返る余裕もない。
ミサイルは同高度、同じく4発。
背面、機首上げ、操縦桿を引き敵と正面から相対。近接信管で炸裂した4発を突っ切り、20㎜を放ちながらすれ違う。
正面、残る2機。これまでより突撃のスパンが短い。
歯を食いしばる。下腹に力を籠め、操縦桿を斜め手前へ引きながら加速する。互いのバレルロールの渦の中で、神経が昂り、より研ぎ澄まされていくのが分かる。
音速と音速、ミサイルの炸裂すらも後方に置いていく、わずかコンマ数秒の擦過。
引いた引き金はわずかに1発が敵機に弾け、F-5Eは左に身を捩った。
《似ている…。オーシアの『ソーサラー』隊の戦術じゃないか、これは。PJ!第一波が反転、後方から接近して来ている!》
「やっぱり…!」
フットペダルから足を離し、減速しつつ旋回を続けながら、パスカルはバイザーを落ろし反転した敵を振り返る。
先の攻撃で、敵の戦術は概ね分かった。おそらくは小規模分隊で続けざまに一撃離脱を繰り返し、こちらに回避行動を強いて機動を制限。こちらが攻勢に入る前に第一波から反転し、連続して攻撃を繰り返す積りなのだ。
それなら。
敵第一波、こちらよりやや上、右旋回中のこちらに直交する位置。打ち下ろされる2発のミサイルを機首上げと左旋回で大きく躱し、敵機を腹の下へいなしたパスカルは、そのまま敢えて第二波に対して背を向けた。一撃離脱を繰り返しこちらの攻撃のタイミングを潰すという戦術は一見弱点が無いようだが、至近距離を擦過していくその一瞬ならば、わずかだが攻撃の時間はある。まして、その離脱方向が分かっていれば。こちらが尻を向けた以上、後方から襲い掛からずにはいられない状況ならば。
「今だ!」
第二波の2機が迫り、ミサイル発射を狙うまさにその一瞬。パスカルは『タイガーⅡ』を急激に減速させるとともに、機体をやや右に傾けて30㎜ガンポッドの引き金を引いた。
ぐんと増した速度差に、敵機が轟音とともに入れ違う。
その進路上に『置かれた』射線に、そのうちの1機が突っ込んでゆく。
反動を熟知した30㎜の弾道に、当初のようなブレはもはや無い。4銃身から放たれた光軸の網に絡め取られ、デルタ翼のその機影は主翼を蜂の巣のように引き裂かれ、炎を纏って墜ちていった。
「よし!」
《オーシア仕込みの俄か戦術ではこの程度か。『ヴァルハラ』、コード変更。T-08-WL-GL》
《気を付けろ、PJ。連中、何かを仕掛ける積りだ》
続いて背後に迫る、第三波。それらに備えるべく操縦桿に力を込めた瞬間、通信に聞きなれない男の声が入り混じった。何らかの暗号のようだが、言葉に前後して迫っていた2機は左右に散開し、先ほど通過していった3機もまっすぐ反転することなく、左右に大きく旋回を始める機動へと変わっていった。よく見れば敵機は先ほどのデルタ翼機から一変し、角ばった前進翼を持つSu-47のようなシルエットへと変化している。
つかず離れず、こちらの周囲を旋回する7機のX-02。まるで渦の中に呑み込まれた格好だが、これでは敵の出方が全く分からない。
《これは『ゴルトの巣』…旧ベルカのゴルト隊か!?馬鹿な、一体どうなっているんだ!》
「ゴルトの巣…?」
《すぐにその包囲を突破するんだ!渦の中で嬲り殺しにされるぞ!》
「っ!」
まずい。
敵の機動、イーグルアイの言葉、そして何より一層増した殺気。それらが同時に本能を揺り動かし、パスカルはフットペダルを踏みこんで間隙へ向けて機体を加速させた。
後方、ミサイルアラート。
息を詰め、機体を左へ旋回させ回避する。
続けざま、ミサイル――否、衝突警報。
目の前を黒い影が横切り、思わず機体を右へ急旋回させる。
その正面、今度は別のX-02。ヘッドオンと同時の機銃掃射。旋回半径の都合上、こちらの30㎜の弾道は届かない。
被弾。キャノピーがひび割れ、機首に弾痕が刻まれる。
敵は、先ほどすれ違った1機が後方、2機が下。1機上。他は。
レーダーが走り、目が奔り、機体が駆ける。加速しても旋回しても、まして急降下や減速でも、7機の網は執拗に絡みつき、『タイガーⅡ』の小柄な機体を渦の中に取り込んでくる。
「このままじゃ…!せめて数を減らして、突破口を!」
時を追うごとに増える弾痕。研ぎ澄まされた神経と裏腹に、摩耗してゆく機体。
側方、1機。キャノピー横に着弾。それと入れ違う瞬間、パスカルは意を決して操縦桿を倒し、機体を急旋回。減速を組み合わせた最小半径旋回で、上方を通過した敵機の後ろを素早く捉えた。気流に翻弄され横滑りする機体の中でも、そのレーダーは正確にその背を見据えている。
距離、わずかに150。外す筈もない距離。
「FOX2!」
――少なくとも、常識の範囲ならば。
瞬間、眼前の『ワイバーン』は信じられない素早さで旋回、次いで急降下。抉るような角度の回避機動は短距離AAMですら追尾すること叶わず、それらは敵機の尾部を遠く掠め、虚しく飛び去っていった。
ありえない。今の機動では、到底中のパイロットは無事では済まない。いくら耐G技術が向上していようと、人間が操縦できる限界は存在する。――その、筈なのに。
渾身を躱され、パスカルの機動が一瞬鈍る。
前方に1、後方に2。1機の死角を必ず複数の僚機が補う、徹底した集団戦法である『ゴルトの巣』。その瞬間、パスカルの『タイガーⅡ』はその巣の中に、完全に絡め取られた。
《所詮はその程度だ。鬼神の紛い物》
宣告の声が殺意となり、ミサイルと機銃の雨となって機体を襲う。
右、急旋回。間に合わない。
「ぐ・・・あっ!!」
《PJ!!》
近接信管の炸裂に翻弄された機体に、複数の射線が殺到する。
被弾。衝撃。熱。痛み。視界は一瞬黒く染まり、爆炎の渦が機位さえも見失わせる。
腕が、額が痛い。
胸が、苦しい。
揺れる機体の平衡をようやく取り戻し、酸素マスクを外して息を吐く。
口から流れたのは吐息ではなく、ごぽっという重い音。そして今まで見たことのない、大量の鮮血だった。
「あ…」
血で、計器が見えない。左足の足首は半分千切れ、そこから先が機体の振動でぶらぶらと揺れている。下腹部に突き立っているこれは、何だ。照準器の破片か、割れたバイザーか。目も霞んでよく見えない。耳元ではイーグルアイが何か叫んでいるようだが、何を言っているのか、もはや分からなかった。
《ここまでだ。下らない鬼神の伝説はここに潰える。ベルカの栄光を汚した鬼は、この地で無様に、醜く果てるのだ》
男の声も、もはや遠い。しかしなお胸の闘志は、サイファーは死んでいない。
戦術を見て、弱点は見切った。死角を僚機が補うというのなら、先ほどと同じだ。敵機の位置は、自ずと把握できる。
『サイファー』は撃墜される訳にも、無為に死ぬ訳にもいかない。
《っ!往生際の悪い!》
もはや脳が意識するより早く、体は本能のように機体を操作する。
健在な右脚で機体を加速させ、渦からの離脱を計る。
後ろ、ばらけて左右と上。正面左右にいた2機は回り込み、こちらの針路を塞ぐべく迂回してくる。先ほど同様、こちらの目前を遮って速度を殺す積りに違いない。加速性能も彼我の差は大きく、後方はあっという間に追いついてくる。
来た。見えなくても、もはや感覚で感じる。眼前を遮るべく、こちらの右下から上昇に入る1機。
この1機は最も攻撃を受けやすい位置の機体である。目前を過ぎる目標は、追わずにはいられない。遮り擦過するその背中を追われる危険は最も高いのだ。言い換えれば、必ずこの1機のフォローは近くにいる。読み通りなら、その位置は。
来る。轟、というエンジン音を響かせ、X-02が目の前を右下から左上へ横切っていく。
ここで左上に上昇すれば、敵の背。しかし狙いはそちらではない。
操縦桿を引く。機体が右へ傾き、次いで背面となって下を向く。
増加するG、口から零れる血。鮮血の海となったコクピットから、しかしパスカルは確かに『それ』を見つけた。
いた。先のX-02をフォローすべく、ほぼ同じ機動で上昇する『ワイバーン』。最も危険な機体の背中を、僚機がフォローしない訳がない。
敵は上昇中、推力を上げている今、横方向への機動は制限される。片やこちらは急降下の最中で、機動も速度も存分に活かせる。軌跡は交差、互いのベクトルはわずかな距離で交わる。
距離300。200。前進翼の機体が迫る。
150。敵機、わずかに針路を右へ。機首を上げ、こちらも機位を修正する。
距離100。50。
眼前一杯に敵機が広がり、スローモーションとなった光景の中でいくつもの声が頭を過ぎる。
レイモンド中尉、ごめん。イーグルアイも最後まで心配をかけてしまった。
エリクさん、まだ見ぬラーズグリーズ隊。どうか、作戦の成功を祈っています。
サイファー、あなたの機体とエンブレムを汚してしまって申し訳ない。私は、やっぱりあなたにはなれなかった。
でも。
パトリック叔父さん。私は、俺は、あなたがいつも自慢していたサイファーに、少しでも近づけましたか。天国で、笑って迎えてくれますか。
――激突。轟音。
『ガルム』のエンブレムを刻んだ『タイガーⅡ』は、そのまま獲物を噛み砕くように『ワイバーン』へと突き刺さり爆発。純烈な青年の想いを白い光に溶かし、灰色の残骸と一体となって、月夜の円卓へと呑まれていった。
静寂の中、円卓を飛ぶ機影は6。数多の男の魂と想いを呑み込み、円卓は重く静まり返っている。
《…くだらん。伝説など所詮はこの程度だ》
《中佐、各機ミサイルを想定以上に消耗しました。残弾数4割です》
《やむを得ん、一時帰投し補給後にスーデントールへと向かう。…最後まで邪魔をしてくれたな、鬼神め…!》
灰色の機影は翼を翻し、東を指して飛んで行く。その方向は激戦を前にしたスーデントールではなく、彼らの本拠たるレクタを指していた。
僚機の離脱、そして援軍の阻止。
自身を伝説のエースと見立てて、人々の想いを背負い、身命を賭し散っていった若者へ、未だ向かう言葉は無い。
雪を纏った円卓の山肌。そこに横たわる擦れ焦げた『ガルム』のエンブレムは黙して語らず、ただただ月光を静かに浴びていた。