Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《サピン全土の軍へ!俺はサピン王国空軍第7航空師団第19戦闘飛行隊隊長、ニコラス・コンテスティ少佐である!本日夜、オーシア首都オーレッドにおいて、オーシア・ユークトバニア両首脳による和平会談が行われる予定となっている!両大国の和戦により、ついにこの東方諸国における戦争も終わるのだ!しかしサピン内で徒に戦争を望む勢力が、我が軍の最新鋭ガンシップを奪取。オーレッドへの攻撃を企図し、今まさに攻撃を強行しようとサピンの空を飛んでいる!心あるサピンの同志よ、平和とサピンの誇りを愛する戦士たちよ!願わくば我の元に集い、無法の者を討つべく共に戦おうではないか!この地に平和を取り戻す為に!!》


第38話 Break of Dawn(前) ‐くろがねの双頭竜‐

 キャノピーの防弾ガラスの上天を、真珠色の三日月が照らしている。

 冷たく澄んだサピンの空に、はっきりと輪郭を際立たせた上弦は、さながらまさに振り下ろされる(メッザ・ルーナ)。際立つ刃は星の光をかき消して、黒と白の冷たいコントラストだけが、12月の凍空を彩っている。

 

 眼下には、月夜に朧に浮かぶ田園風景。冬小麦の播種が終わってまだそう日は経っていないらしく、地表には往時を思わせる麦穂一つの面影すら見て取ることはできない。

 冷たい空、そして生命の息吹もまばらな地表。凍える天と地の間で、自らの呼気の音と、先ほどからラジオを介して流れる知己の男の声だけが、辛うじて人の気配を伝えてくれている。

 

 時に2010年12月30日、午後8時00分。

 まるで月光に誘われた蝙蝠のように、翼端を黒く染めた4機の機体が、サピンの月の下を駆け抜けていった。

 

《ペステータ市郊外上空を通過。航路消化、順調です》

《にしても、ニコラス少佐もやるもんだねぇ。反逆の誹りも恐れず演説で義勇軍を募るなんざ、なかなかの男っぷりじゃないか》

「ニムロッド2、私語は慎め。今はどこにベルカ残党の目が光っているか分からん」

 

 欠いた機首に設けられたエアインテーク。葉巻型の胴体に、小さな切り欠き三角翼。そして尾翼を彩る蝙蝠のエンブレム。もはや時代錯誤とすら言っていい旧式のシルエット――MiG-21UPG『ディビナス』から、カルロスは後方の列機へと声を送る。2番機のフラヴィは冗談めかして笑ったきり黙りこくり、周りは再び、自ら以外の音すらない静寂に浸されていった。

 

 静寂は、漆黒は、脳裏の想いを想起させる。カルロスはしばし、今に至る経緯を――激動と言っていいその流れを、しばし反芻した。

 

 あのレクタの兵隊崩れ――エリクがヴェスパーテ基地を去ってから小康状態を保っていた事態は、今日になって大きくうねりを見せた。

 

 発端は、L.M.A.のサヤカからもたらされた情報である。

 実際の所、カルロスの所属するレオナルド&ルーカス安全保障はL.M.A.との企業としての繋がりも深く、エリクがヴェスパーテを去って以降も、サヤカからは頻繁に連絡が入っていた。殊に今月中旬以降からは本格的に対ベルカ残党勢力に肩入れする気になったらしく、オーシア内部の反抗勢力の存在やベルカ残党の暗躍、秘密裏に行われる和平交渉の状況などを逐一伝達するようになってきたのだ。無論一傭兵に過ぎないカルロスには何ら手の出しようもない情報ではあるが、カルロスはそれらを整理し、注意深く伝手を辿って、正規軍のニコラスへ渡るように手配した。ベルカ戦争で活躍し、それ相応に中央とのパイプも持っているニコラスならば、然るべき筋へそれらの情報を繋げるのは不可能ではないという判断ゆえである。

 事実それは功を奏し、サピン内においても停戦に向けた準備と空気の醸成は徐々に為されつつある状況にあった。

 

 ――だが、今回の一報は、これまでと一線を画したものだった。

 オーシア・ユーク両首脳による平和会談の実行。ベルカ残党が保有する核兵器『V2』。占拠された戦略衛星軌道砲『SOLG』。――そして、両首脳会談の場であるオーレッドへ向け出撃準備を進める、サピンの大型双胴機『アークトゥルス』。戦略上、それどころか現在の世界情勢にさえ大きな影響を及ぼす兵器の存在が、3つ同時にもたらされたのである。

 サヤカからの入電は、午後3時過ぎ。最低限の情報交換を済ませたカルロスは、すぐさまニコラスに連絡を取り、上層部への上伸を求めた。いくら秘密兵器とはいえ、結局は軍という組織の管轄にある兵器である。あわよくばトップダウンで『アークトゥルス』出撃中止が下命されることを期待してのものだった。

 

 だが、その目論見はあっけなく頓挫した。

 そもそも『アークトゥルス』はその配備地域の関係上第2航空師団の所属になるのだが、今朝から師団長を含めた幹部連と連絡が取れないというのだ。それどころか、上伸した統合本部からも『和平交渉の成り行きを注視するため、各戦闘飛行隊は積極的な戦闘行動を抑制せよ』という事実上の全軍出撃停止が下命される事態となった。これには『アークトゥルス』も含まれるため一応の制止を行ったようにも見えるが、万が一『アークトゥルス』がこれを破り出撃を強行した場合、それを止める戦力が不在ということにもなる。

 

『上も全く話にならねぇ。…なぁカルロス、どうすりゃいいんだ、俺』

 

 電話口で成り行きを伝え、絶望と悲哀に声を震わせるニコラス。

 状況を呑み込み、サピンの背景を考慮に入れて、カルロスは推測を巡らせた。

 ニコラスの上伸を退けずあくまで全軍に行動中止を求めた所から察するに、第2師団による『アークトゥルス』の独断運用は上層部にとって予定の外であったと見ていい。しかしそれならば、離陸前の現時点ならば強権で以て『アークトゥルス』出撃を止める程度は造作もない筈である。この理由は、地域の和平仲介というサピンの大義名分と、オーシア・ユークとも異なる第三勢力としてのサピンの立場を重ねると、おのずと透けて見えて来る。

 

 要するに、サピンにとっては『アークトゥルス』による攻撃が成功した方が都合がいいのである。

 もしこの攻撃で両国の首脳が死亡した場合、オーシアとユークトバニアの両大国は確実に弱体化する。同時に、ここ東方諸国における両国の同盟国も動揺し、戦力面で大幅に弱体化するに違いない。そこで独自の立場にあるサピンが仲介に当たることで、一気に東方諸国…否、オーシア大陸におけるイニシアチブを握るという筋書きである。当然その結末はベルカ残党にとっても願ったり叶ったりという訳であり、サピン国内のベルカ残党とサピンのタカ派が結んだ可能性もあると見ていいだろう。

 勿論、仮に攻撃が失敗し和平交渉が成立する可能性も存分にある。そうなった場合に備えた『言い訳』として、全軍への飛行停止命令は下されたのに違いなかった。

 

『……!冗談じゃねえ、冗談じゃねえぞ!ふざけんな!!俺たちはベルカじゃないんだ。そんなサピンの繁栄なんて望んじゃいねえ!糞喰らえ!』

『落ち着け。それに、そうそう筋書き通りに事は運ばない。下手をすれば両同盟からの報復攻撃でサピンは滅亡だ』

『…分かってる。いずれにせよ、これはサピンの手で止めなくちゃならねぇ。俺はこれから師団長に出撃の談判に行ってくる。カルロスも手貸してくれ』

『……。俺は…』

 

 傭兵としての契約の範疇外。

 企業の人間として、部隊長としての理性から口にしかけたその言葉を、脳裏に掠めた本能が押し留めた。

 去来するのは、去り際の口論を交わしたエリクの顔。

 歯を食いしばって絶望を乗り越え、微かな未来の光に手を伸ばす姿。溢れる熱情と感情を、芯となる信念を宿した、その瞳の色。脳裏を過ぎった記憶の姿は、もがき、足掻いて、ようやく信念を掴んだ、かつてのある青年の姿を思い出させる。

 

 指揮官としての責任を抱き、理性で固めた心。その隙間から、15年前の青年の激情が顔を覗かせた。

 

『…今回だけだぞ。違約分の金と燃料代は補填してくれるんだろうな』

『1970年物のアルロン産ワインでどうだ?終戦が成ったら打ち上げに一杯』

『お前な、ワイン1本って…いやもういい、いっそ何でもいい。――とにかく、攻撃阻止に全力を挙げるぞ。俺たちだけじゃ手が足りん。何とか人間をかき集めてくれ』

『任せとけ。予測進路を踏まえると…2005時、ペステータ市の西10㎞で落ち合おう。そうそう、後で電報送っとくから、そっちからL.M.A.に送ってやってくれ。んじゃ後でな』

 

 がちゃり。口早に電話を切り、ニコラスの声が途切れる。あれから15年も経つというのに、調子がいいのは相変わらずと言うべきか。

 電報、か。

 ニコラスの最後の伝言に、ふとカルロスは興味を覚えた。基地の脱走から同道しているとすれば、エリクは今もL.M.A.のサヤカの元にいるはずである。

 

 ついでに、送っておいてやろう。あの日最後に伝え損ねた言葉を。

 国境があり、人と人という存在の境界がある以上、空は一つに繋がることはない。それでもなお、人としての激情を以て目指せ。――ひと繋ぎの空(Skies of seamless)を。

 

《隊長、前方に友軍機の反応あり。エスクード隊と思われます。…隊長?》

「…いや、何でもない。こちらでも確認した」

 

 4番機のアレックスの通信が、カルロスの意識を現実へと引き戻す。物思いに耽っている間にやや進路がずれてしまっていたのだろう、機体方位は真西から5°ほど北へと傾いてしまっていた。

 月光に照らしあげられた、朧な空。人の目の行き届かない薄暮の中でも、『ディビナス』のレーダーは目の前を飛ぶ機体の姿を捉え、ヘッドアップディスプレイ(HUD)上にその姿を照らしあげている。

 中央は、大型の四発機に大型レドームを備えた早期警戒機E-3C『セントリー』。その左右に4機ずつ侍る編隊は、コクピット横まで張り出したヒレのような主翼全縁付け根延長(LEX)や外向きに傾斜した垂直尾翼と言う特徴から見て、サピンの主力機であるF/A-18『ホーネット』シリーズと見ていいだろう。

 そして先頭を先導する4機は、大型のカナードとデルタ翼、双発のエンジンが特徴的な大型戦闘機。月明かりに照らされる赤地に黄色い十字の塗装パターンも見て取って、カルロスはその機体の横へと機体を進めた。いうまでも無く、『エスクード1』ことニコラスが駆る『タイフーン』である。

 

《よう、待ってたぜ。たく、慣れない演説モドキなんてするもんじゃないな》

「演説ぶち上げて頭数を集めろとまでは言ってないがな…。それより、空中管制機までよく出て来れたな」

《何、師団長が聞き分け悪かったからな。一発『コレ』よ》

 

 キャノピー越しにこちらを向いたニコラスが、左拳を握って前に突き出すジェスチャーを見せる。察するに基地側の理解が得られなかったため、おそらく師団長を殴り倒して出撃して来たのだろう。殴られた師団長に関してはとんだとばっちりと言うべきか、ご愁傷様と言わざるを得ない。

 それにしても、全軍への飛行停止命令が下されている中で、これだけの戦力が集まったのは驚くべきことだろう。15年前の戦争を生き残ったエースパイロットとしてニコラスの名はある程度浸透しているが、おそらくはそれだけが理由ではないだろう。

 ニコラスが無線で語り続けた、全土への激。融和と協調を語る男の熱い思いが、人を動かしたのではないか。編隊の先頭を切って飛ぶ親友の姿に、少なくともカルロスはそう信じた。

 

《こちら空中管制機『デル・タウロ』。ニムロッド隊の合流に感謝します。周辺空域に合流を企図する他飛行隊なし。参集各機は方位340へ変針し、『アークトゥルス』追撃を開始して下さい》

《エスクード1了解。各機続け!》

 

 先頭に立つニコラスの『タイフーン』が翼を翻し、『デル・タウロ』を除いた15機がそれに倣って北寄りへと進路を取る。眼下は漆黒の大地から月を反射する水面へと変わり、編隊がオーレッド湾に至ったことを物語っていた。こちらの方位を考えれば、オーシア‐サピン国境を南下して来る『アークトゥルス』に対し、こちらはオーレッドに至る湾上空へ先回りした形になる。

 

《『デル・タウロ』、目標の状況は?》

《目標『アークトゥルス』は現在フトゥーロ運河に差し掛かり、方位190へ変針。そのままフトゥーロ運河を南下してオーレッド湾に出るものと見られます。相対距離およそ8200、あと数分で可視領域に入ります。周辺には随伴機と思しき反応が6、いずれも第2航空師団所属機と思われます》

《やれやれ、嫌な感じだ。15年前を思い出すな》

「…同感だ」

 

 サピンの超兵器に当たる『アークトゥルス』、そして護衛に就くサピン軍機。苦虫を噛み潰したように声を押し殺すニコラスに、カルロスも声を潜めて応えた。

 両名の想いが向かうのは、15年前。ベルカ戦争終息後に勃発した、クーデター組織『国境なき世界』との戦闘である。国籍を問わず集った組織との闘いの中で、カルロスもニコラスも、同じサピンの軍人と戦う羽目になった。味方であった筈の人間と、敵として殺し合う。その記憶と経験は、15年を経た今もなお苦い。

 それに加え、彼我の位置から見た予測戦域が、カルロスの心に引っかかった。北西を指すこちらに対し、フトゥーロ運河を南下する『アークトゥルス』の速度を鑑みれば、おそらくこのまま行けばフトゥーロ運河の出口付近で交戦することになる。紛れもなくその地点は、15年前の『国境なき世界』との戦闘で、カルロスとニコラスが最後に交戦した場所であった。

 

 この地でカルロスは、かつて同じ部隊の先輩であり、後にクーデター軍に合流した男を撃墜した苦い記憶がある。

 もし、この地での戦争の終幕も、ここフトゥーロ運河で降りるというのなら。神の悪戯と言うにはあまりにも意地の悪いやりようを、カルロスは呪わずにはいられなかった。

 

 月を照り返す、遮るものの無い水面。揺らぎ、狭まるそれらは北へと延び、やがて五大湖へ至るフトゥーロ運河へと連なってゆく。

 闇の幕を帯びた、北の空。そこに闇からにじり出たような朧な巨影が遠目に映ったのと、ニコラスが声を上げるのは同時だった。

 

《あれだな…。エスクード1、敵機視認!一応俺が警告を出す。各機、戦闘用…》

《『デル・タウロ』より各機!『アークトゥルス』、ミサイル発射!》

「――散開(ブレイク)!」

 

 ニコラスの通信を、管制官の声が断ち切る。

 方位、ほぼ正面。発射数不明。最低限の状況を確かめ、カルロスは増槽を投下。同時に安全装置を解除し、翼下からフレアを放出しながら左へ機体をロールさせた。敵のミサイルも近接信管の感度も不明な以上、ある程度大きく機動する方が回避の上で都合がいい。ちらりと視界を巡らせると、『タイフーン』や『ホーネット』もそれぞれにチャフやフレアをばらまき、ミサイルの矛先を欺瞞しながらそれぞれの回避運動に入っている様が見えた。

 

 正面、ミサイル1。相対速度で音速を優に超えるそれは、誘導で曲がる気配も無くまっすぐにこちらへと飛翔して来る。チャフに欺瞞されたのか、それは最右翼の『ホーネット』編隊の傍ら、見当違いの位置を通過し――翼を掠めて通過しかけたその瞬間、凄まじい衝撃波を生じて炸裂した。

 

 その瞬間を、カルロスは見てしまった。

 ミサイルの弾頭が炸裂するその瞬間、爆炎に無数の小弾が飛び散るのを。そしてそれらが散布領域内にいた4機の『ホーネット』を粉々に切り裂き、瞬く間に鉄屑の塊に変えるのを。

 ただのミサイルでは無い。フレシェット弾頭などを仕込んだロケット砲の類でも断じてない。たった今目にした光景が、そして15年前の忌まわしい記憶が、その推測を否定している。

 

 この威力は、光景は、15年前の『ここ』で目にしたことがある。

 

《こちら『デル・タウロ』。レボルベル隊4機の反応がロスト。何が起こっているのですか?》

《こ…こちらエスクード2!ミサイルとすれ違ったレボルベル隊が、一瞬で粉々に…!》

《な…!?》

《…カルロス》

「…間違いない。『アロンダイト』だ」

《…冗談じゃねえ…!連中、まさかあんなものをオーレッドに撃ち込む積りか!?くそ、全機へ!今のは散弾ミサイルだ!絶対に正面からすれ違わず、大きく旋回して回避しろ!掠めただけで死ぬぞ!》

 

 狼狽の声が錯綜し、編隊の機動が怯えたように乱れてゆく。カルロスは自らの編隊を散開させたまま、千々に千切れて落ちてゆく『ホーネット』の残骸に奥歯を噛み締めた。

 

 コードネーム『アロンダイト』。それは旧ベルカ公国軍が開発し、後にクーデター軍によって運用された多用途炸裂弾頭ミサイルである。一説にはベルカの次期主力機に搭載される予定だった散弾式ミサイル『ハイパーシン』と同型、またはそれを元にした量産検討モデルとされているが、今となっては定かではない。戦後もサピンで開発が継続されたという噂は聞いていないが、秘密裏に接収していたのか。それとも、ベルカ残党からもたらされた物なのだろうか。

 

 いずれにせよ、分かっていることはただ一つ。

 オーレッドを、『あれ』の射程範囲に入れさせる訳にはいかない。

 

「エスクード1、高機能長距離空対空ミサイル(XLAA)撃てるか!?」

《いつでも行ける!》

「第一射で敵の護衛機を排除してくれ、その間にこちらが先行して攪乱する。懐に入れば敵は『アロンダイト』は撃てない…!」

《乗った!グラナーダ隊各機、こちらの後方に就け!エスクード各隊、XLAA用意!――発射!》

 

 4機の『タイフーン』の主翼下に炎が灯り、煙の尾を曳いて矢の如く放たれてゆく。

 その背を追うように、カルロスはフットペダルを踏みこんで増速。軽快な機体に加速性能に優れた形状の『ディビナス』は、冷たい夜風を孕んで速度を増していった。『アークトゥルス』までは距離3400ほど、機銃はおろか赤外線誘導式空対空ミサイル(AAM)すらまだ到底届かない。

 

《はは、あんな訳わからないものに突っ込ませるなんざ隊長もイかれてるね!》

《私ゃそうなったら即脱出しますよ曹長。まだ死にたくないっすからねぇ》

「それでいい、ブラッド。全機、『アロンダイト』とすれ違う時は敵ミサイルに腹を向けろ。最低限装甲圧でコクピットは守れる。――来るぞ!」

 

 4機のMiGを突き放し、XLAAが敵編隊へ殺到する。

 フレアの放出につかの間照らされる巨人機の相貌。それでもなお相殺しきれない矢の掃射に、護衛機のうち2機が瞬く間に炎に包まれ爆発、残るうち2機は真上へ急上昇し、残りは1機ずつ左右へ広がってゆく。

 空域に漂う炎の残滓と黒煙を割くように、ミサイルアラートが鳴り響いたのはその直後のことだった。

 

「散開!」

 

 主翼外側フレアディスペンサーポッド作動、内側ガンポッドよりチャフ弾発射。

 熱と電波、二つの要素を欺瞞しながら、カルロスは操縦桿を右、次いで手前へ引き上げる。

 

 心音のようなミサイルアラートが、徐々に大きく、間を詰めて近づいて来る。迫る焔の跡はこちらではなく、散開した左手側。横目に捉えられた、高度を下げて回避行動に入るブラッド機の方向。

 

「ブラッド、ロールだ!頭上を庇え!」

《ああぁもう、貧乏くじぃぃ!》

 

 炸裂。

 閃光はしばし視界を幻惑し、暗順応した目がつかの間僚機の姿を見失う。

 違う。相応に距離は置いた筈だが、近接信管にしては反応が鋭敏過ぎる。母機からのコントロールか、それとも弾道ミサイル同様、事前入力式か。

 ――ブラッドは。

 

「ニムロッド3!ブラッド、無事か!?」

《ぐぁー…、っくそ、こちらニムロッド3。体は幸いぴんぴんしてますが、腹で受けたらレーダーも主脚も逝かれちまいました。エンジンも駄目っぽいですこりゃ》

「体が無事ならそれでいい。脱出しろ」

《残念だったねぇブラッド!あんたの分までアタシが食っといてやるからさ!》

《ちぇっ!》

 

 水平を取り戻したブラッドの機体からキャノピーが吹き飛び、次いで射出された座席からパラシュートが宙を舞う。これで、残存は3機。目前には既に『アークトゥルス』の巨体が迫り、距離は1500を割っている。

 

 AAM有効射程圏内に至り、カルロスは月明かりに目を凝らして『アークトゥルス』の姿を観察する。

 旧ベルカ公国の爆撃機であるBm-335『リントヴルム』を横に2機繋げ、威圧感を醸し出す主翼幅。遠目には定かではないが、ガンシップに改造されただけあり、機体上部には機銃らしき砲身が複数屹立している様が見て取れた。片や機体下部は影になって判断が付きがたいものの、元々装備していたレーザー偏向機器が機体中央部から排除されているように見受けられる。代わりに二つの胴体を繋ぐ連結部は厚みが増しており、爆弾倉か、何かしらの設備を増設したらしいことが察せられた。

 

「ニムロッド各機、射程に入り次第AAMを発射。敵機上方を掠めて後方へ抜ける」

《アレックス、対空砲火に注意しな!》

《了解!》

 

 相対距離、1300、1100、1000。

 巨体が眼前に迫る。

 機首上部の機関砲から閃光が爆ぜる。至近を擦過する曳光弾の筋は、しかしその数も威力も、せいぜい並の域を出るものではない。

 ガンレティクルに納めるのは、向かって右側の胴体。照準からはみ出るほどの威容を浮かべる、双胴竜の片割れ。

 引き金と同時に放たれた機銃弾、そして後方の2機から撃ち込まれるAAM。尾翼を掠めすれ違った先で振り返ると、『アークトゥルス』は爆炎にシルエットを浮かびあげるも一瞬、すぐに元の闇へと包まれていった。

 ガンシップとして改造された以上、やはり装甲も相応に強化しているのだろう。戦闘機ならば一撃で撃墜しうるAAMでさえ、『アークトゥルス』は揺らぎすらしていない。

 

《なんて硬さ…!》

「ニムロッド1よりエスクード1、『アークトゥルス』本体への攻撃は望み薄だ。エンジンかコクピットを狙った方がいい。こちらは護衛機排除を優先する」

《頼む。グラナーダ隊は上に抜けた2機を抑えてくれ!この距離じゃ『アロンダイト』は撃てやしない。ちょっと心は痛むが…きっちり叩き落してやる!》

 

 エスクード隊の後方から離れ、直上の2機に対し急上昇していく4機の『ホーネット』。エスクード隊の4機はその影を振り切りながら、左右2機ずつに分かれて『アークトゥルス』の真正面から肉薄してゆく。おそらくは左右のエンジンを先に狙う積りと見て取りながら、カルロスは乗機『ディビナス』を右旋回させ、同高度に留まる2機の護衛機の姿を探した。わずかな月の光の下ではあるが、MiG-21bisから換装したレーダーとHUDを搭載した『ディビナス』ならば、機械の眼を以て捉えられる。

 

 ――いた。11時方向、エスクード隊に対して横方向に迂回し、後方から襲い掛からんとする『タイフーン』が1機。もう1機右方向にもいるはずだが、そちらは『アークトゥルス』の反応と重なり姿を捉えることはできない。

 

「ニムロッド2、空域にもう1機護衛機がいるはずだ。そいつを探して叩け。あの1機は俺とニムロッド4で対応する」

《あいよ隊長!》

 

 右翼へと離れるフラヴィ機を横目に、カルロスは機体を増速させる。時間的な余裕がない今、エスクード隊の攻撃を妨げさせる訳にはいかない。

 右手に『アークトゥルス』を追い越しながら、正面にはエスクード3と4の2機、そしてその後方には回り込んだ敵機がほぼ正面。距離にして1800、長距離ミサイルはおろかAAMすら積んでいないカルロス機にはまだ遠い。一方で、XLAAが搭載可能な『タイフーン』には十分な距離である。

 

「ニムロッド4、セミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)用意。牽制でいい。こちらはエスクードの後方を護る」

《了解しました!》

 

 半月前と比べれば頼もしくなったアレックスの声に、カルロスは微かに頬を和らげる。負傷したオズワルドに代わり戦場に立つようになってまだ日も浅いが、それでも多くの戦場を潜り抜けて成長していく様は、好感の持てる姿だった。もしこの戦争がもっと続けば、と想像するのは不謹慎かもしれないが、その技量は一層のペースで上達していくに違いない。

 頼んだぞ。口内にそう呟き、カルロスは操縦桿を右へと倒した。

 

 横倒しにロールした視界の中で、頭上(・・)をエスクード隊の2機がすれ違ってゆく。

 その先、『タイフーン』。ミサイル発射2連。

 通信に『FOX1』の声が響く。

 『タイフーン』が機首を上げる。

 操縦桿、手前。右ロールからの旋回で割り込むのは、エスクード隊とミサイルの間。

 照準の中、何もない空間。そこへ向けカルロスは引き金を引き、翼下の23㎜2連装ガンポッドから曳光弾とチャフ弾を撃ち放った。

 

 ばら撒かれた金属片は電波を反射し、電波誘導式のミサイルの眼を狂わせる。

 目標を見失い慣性の虜となって落ちていくミサイルを横目に、カルロスは機体の機首を立て直し、操縦桿を引き上げて天を仰いだ。

 天を照らす三日月の傍らには、急上昇からの宙返りでSAAMを回避する『タイフーン』と、その背を追って必死に追随するアレックス機の姿。

 

《く、振り切られる…!》

 

 宙返りの頂点で引き揚げ損ね、『タイフーン』を射界から外すアレックス。機体を水平から下降へ戻し、降下加速する敵機の背を追い始めるも、その距離は徐々に開いてゆく。

 敵機の機動、そして降下の終点を見定めて、カルロスはその予測地点へ向け操縦桿を倒した。降下の終点、加速が乗り切ったその瞬間は、いくら『タイフーン』といえども横方向への運動性は鈍る。

 

 横合いから回り込み、狙うは機首を上げる『タイフーン』の側面。

 引き金、機体から放たれるは光軸五筋。光の網に絡め取られた敵機は、辛うじて機体を捻り致命傷を回避するも、半ばきりもみ状態となり自ら速度を殺してしまっていた。

 

「今だ」

《は…はいっ!》

 

 空中の的と化した『タイフーン』へ、アレックス機から23㎜の曳光弾が殺到する。

 頭上を抑えられ、強みの速度を殺された『タイフーン』に回避の術は無く、それは四散五裂しながら、オーレッド湾の水面を照らした。

 

《はあっ…!こ、こちらニムロッド4!1機落としました!》

《ニムロッド1よりニムロッド2、こっちも一丁上がりだ。大型狩りは気分がいいねぇ》

「よし。引き続きエスクード隊のフォローに入る。残るは…」

 

 フラヴィの通信に応えながら、カルロスは錯綜した戦場を見上げ、互いの機位を確かめる。

 頭上、右手に通り過ぎるのは『アークトゥルス』の巨体。左右の両翼から火を吐き、エンジンへの損傷が見て取れる。心なしか高度も落ち始めており、エスクード隊の攻撃は功を奏したようだった。エスクード隊の4機はそれと交差しこちらの左手上空、4機が結集し反転に入りつつある。

 さらに、その頭上。

 護衛機2機を追ったグラナーダ隊の行方を確かめようと頭を上げたその瞬間、カルロスの背は凍り付いた。

 

 エスクード隊の後方上空から、2つの機影が急速に迫っている。敵味方識別装置(IFF)反応は、敵。上空にグラナーダ隊の4機は――いない。数の差で以て敵機を抑えているはずの『ホーネット』編隊は、たった1機の姿すらも認めることができない。

 まさか。

 

《よーし順調だ。各機、反転してケツを…》

「待てニコラス!加速しろ、早く!」

 

 焦燥したカルロスの言葉を、2機から放たれたミサイルが無残に断ち切る。

 先にこちらが示した通り、頭上後方は戦闘機にとっての死角。まさにその形を襲われたエスクード隊に逃げる術は無く、続けざまのミサイルは次々と紅の機体へと着弾。咄嗟に右下方へ回避したニコラスを除き、紅蓮の『タイフーン』の体は、それより鮮烈な爆炎の赤へと飲み込まれ千切れていった。

 

《な…!?おい、お前ら!?…くそ!なんてこった…!》

「ニムロッド2、エスクード1を援護しろ!こちらは高度を失ってまだ追いつけん!」

《了解!ち、なんなんだいあいつら…!》

 

 後方のアレックスを確認する間すら惜しく、カルロスは操縦桿を引き、フットペダルを強く踏み込む。『アークトゥルス』撃墜は最優先だが、あのような敵機がいてはその追撃すら危険が伴う。今は、ニコラスと連携して護衛機を殲滅するのが先決だった。

 まだ遠い空の先で、2機ぴったりと揃った敵機は降下から加速を得て急上昇。ニコラスの『タイフーン』を振り切るや2機に分かれ、1機が宙返りの直上から掃射、もう1機は回り込んで後方を捉えんとする構えを見せた。フラヴィの『ディビナス』は加速し、後方を捉えんとする1機の背を捉えつつある。すなわち、逃げるニコラスの背に敵機、さらにその背にフラヴィという位置取りである。残る1機は再び急上昇し、フラヴィ機の背を下から追いつつあった。

 

 遠目には定かではないが、敵機は2機ともデルタ翼機。しかし主翼形状といいエンジン回りの形態といい、サピンはおろか各国が所有する主力機とはいずれも違う姿である。

 しかしカルロスは、その姿を、その飛び方を見て、胸騒ぎを覚えていた。垂直方向への機動や2機の連携を主としたあの飛び方は、そして無尾翼デルタの特異な機体形状は、いずれもかつて、別々の場所で見た記憶がある。

 

 ニコラスが減速旋回し、誘いの機動を取る。フラヴィがその隙を突くべく、一気に加速する。

 記憶の糸が手がかりを掴み、その光景をカルロスの脳裏にまざまざと蘇らせたその瞬間。カルロスはコールサインも忘れ、思わず叫んでいた。

 

「…!!ニコラス、フラヴィ、逃げろ!!」

《はぁ!?隊長、今更何言っ…うあっ!?》

 

 だが、全ては遅かった。

 手を伸ばすように叫んだ声が届く一瞬先、ニコラスを追っていた1機は機首を真上に上げて急減速。フラヴィのオーバーシュートを誘うと同時に、最後方の1機が急加速してフラヴィを追い抜き、一気にニコラス機を射程に収めたのだ。

 オーバーシュートに動揺したフラヴィが機動を乱す。

 速度を失ったニコラスが、辛うじて旋回降下で矛先を躱す。

 錯綜した曳光弾の筋は『タイフーン』の右主翼を、『ディビナス』のエンジンを貫き、三日月の下に爆発の炎を描き出した。

 

《フラヴィ曹長!!》

「ニムロッド2、脱出しろ!」

《…ああくそ、お気に入りの機体だってのに!!》

 

 炎に包まれる機体から煙が爆ぜ、パラシュートが月下に舞う。フラヴィの生還に安心する間もなく、カルロスは機首を翻し、錐揉みで急降下して逃れたニコラス機の傍らへと位置どった。敵の2機は再び結集し、頭上でこちらを睥睨しながら旋回している。

 

《見たことない機体だ。分かるか、カルロス》

「確証はないが、昔エルジアで見た覚えがある。確か…X-02とかいうエルジアの試作機だった筈だ。尤も飛んでる姿は今が初めてだが」

 

 息を荒げながら問うニコラスに、カルロスは記憶を頼りに答えを返す。

 そう、既存の機体に無いその姿を見たのは4年前のユージア大陸でのこと。大陸戦争終結の後、反抗を画策したエルジア軍残党組織であるところの自由エルジアに雇われた際のことだった。格納庫に数機駐機しているのを見た程度だが、その高性能は自由エルジアの青年将校が自慢していたのを記憶している。

 尤もそれらの試作機も、あの『リボン付き』の手で全滅させられたという話らしいが。

 

 本来存在しない筈の機体が、今まさに敵として飛んでいる。しかしその現実は、カルロスの脳裏に兆したもう一つの『現実』ほどに心を動かさない。

 

《そうか…。妙だと思ったんだ。あの飛び方は知ってるのに、機体が違う(・・・・・)ってな》

《飛び方…?》

《縦方向への機動戦。デルタ翼機の限界を超えた戦闘機動。息の合った2機の連携。…『間違いない』んだろう、これ》

「ああ。――あれは、『エスパーダ隊』だ》

 

 躊躇っていた言葉に、自らの心臓が拍を早める。耳には、アレックスが息を呑む気配が伝わる。

 エスパーダ隊――それは15年前のベルカ戦争において活躍した、サピンを代表するエース部隊の名である。ベルカ戦争の最中ではカルロスもニコラスも彼らと共に戦い、後に彼らが『国境なき世界』へ移籍した際には矛を交えることにもなった。カルロスにとってはエースパイロットの矜持を学んだ相手でもあり、信念を築く標ともなってくれた、恩師といっていい人であった。

 

 ――無論、本人である筈はない。

 エスパーダ1、アルベルト大尉は『国境なき世界』との紛争後に自ら交戦し、戦死している。エスパーダ2のマルセラ中尉も今は首都グラン・ルギドに居住しており、空での生活からは身を引いている筈だった。

 どう考えても、理由は掴めない。唯一分かっていることは、あの2機は今や、落とさなければならない敵である事だった。

 現実を前に、絶望が胸に兆す。しかし同時に、何故が胸を浸す感慨と高揚感を、カルロスは覚えずにはいられなかった。

 

《はっは…はは、はっはっは!そっかマジか、怖えなオイ。おっかねえなオイ。…わくわくするな、オイ!》

「全くだ。まさかエスパーダ隊ともう一度飛べるなんてな。ニムロッド4、お前は反転し『デル・タウロ』と合流しろ。AAMもSAAMも使い切った今、あの2機相手は荷が重い」

《え…し、しかし!3対2なら、数の上でも優位に立てます!》

「いや。…あの2機の技量が本物だとしたら、数は何の優位にもなりはしない。命令だ、急げ」

《…は、はっ!》

 

 戸惑いを残した若い声が、反転する『ディビナス』とともに遠ざかってゆく。どの道あの2機相手では、アレックスを気に掛ける余裕は無かっただろう。

 アレックスを追う素振りも無く、上空の2機は螺旋を描きながら徐々に旋回降下に入ってゆく。ゆっくりと、しかし運動エネルギーを得ながら加速降下でこちらを狙う、さながら剣舞のような機動。

 

《優しいねぇ。信念って奴か?》

「いや。あの2機には、お前と立ち向かいたかった。それだけだ」

《…へへ、照れ臭い事言ってくれるじゃん相棒。――『アークトゥルス』も控えてるんだ、遊んでる暇は無いぞ!》

「応!」

 

 左前方、やや斜め上。

 相対距離が2000を切った所で、カルロスとニコラスは同時に急上昇。機銃掃射で突撃する2機を下方に躱し、高度を取って垂直に反転した。敵は変わらず2機ひと塊、旋回上昇する態勢。このまま縦の巴戦になれば、自重のある『タイフーン』では不利を免れない。

 

「俺が囮になる。お前は一撃離脱を繰り返してダメージを狙ってくれ。絶対に尻を追って深追いするなよ!」

《分かってる!そっちこそヘマして一発で落ちるなよ!》

 

 拳でジェスチャーを交わし、ニコラスの『タイフーン』が左旋回しつつ離れてゆく。

 視界の端にその軌跡を捉えながら、カルロスは縦への旋回を止め、右方向へ旋回。上昇旋回中のX-02を強襲すべく加速し、その進路上へ機銃を掃射した。

 必中を期しうる距離、正確な弾道の23㎜が五筋。あまつさえ横方向への機動が鈍る上昇中でありながら、敵の2機は左右へ開いて射線を回避し、こちらの頭上で背面のまますれ違った。こちらが横旋回で機位を確かめる間に、それらは後方で交差しながら小半径で反転し、瞬く間にこちらの背を捉えつつある。デルタ翼機らしからぬ近距離での格闘機動の切れは、確かにアルベルト大尉を彷彿とさせるものだった。

 

 ミサイル、後方2連。

 鳴り響くミサイルアラートにすぐさま指を折り、操縦桿のボタンを押し込む。翼下から放たれる高熱のフレアは、しかしミサイルの誘導を断ち切ることなく、電子音は変わらず耳を苛み続ける。

 

「電波誘導か!」

 

 引き金を引く先は、虚空の中。旋回と同時に放たれたチャフ弾は機動とともに拡散し、危うい所でミサイルの矛先を皮一枚で躱す。それでもその慣性を殺すことは叶わず、至近に至ったミサイルは近接信管を作動させ爆散。『ディビナス』の小柄な機体は、激流に巻かれる木の葉のように、爆炎の奔流に弄ばれた。

 

《そこだあぁぁ!!》

 

 そして、攻撃の隙を見逃すニコラスではない。敵編隊の右側から接近したニコラスが、裂帛の気合とともにAAMと機銃を掃射し、横殴りに斬り抜けてゆく。

 狙いは鼻先、直撃は回避しおおせても、近接信管の炸裂でダメージは与えうる距離。カルロスの眼から見ても、それは完璧な奇襲攻撃だった。

 ――であれば。

 その結果は、ひとえにあの2機の――エスパーダ隊の技量によるものだったのだろう。

 横合いの射撃に対し、2機は互い違いの方向に大きくバレルロール。両機の旋回半径が最大となるタイミングにミサイル擦過の瞬間を寸分違わず合わせ、AAMは炸裂の焔を上げることなく擦過していったのだ。速度を落とすどころか加速し、カルロス機は赤外線誘導AAMの射程にすら捉えかねない程に接近されている。

 

「く…もう1回だ!」

《分かってる!カルロス、フレアで目を潰せるか!?その間に死角から狙ってやる!》

「…やるしかないか…!タイミングは合わせる。5秒前にコールしろ!」

 

 横旋回がもたらすGが、肺腑を苛み体を締め付ける。フレアを温存しなければならない以上、敵を赤外線誘導AAMの射程外に維持しなければならないが、果たしてそううまくいくかどうか。ちらりと振り返った先では、目算距離でおおよそ1000。わずかでも加速を緩めれば、あっという間に捕捉される距離だった。

 

 ミサイル、今度は1発。射程からするとAAMではない。

 旋回、23㎜。彼我の位置から素早く判断し、カルロスは引き金を引いてチャフ弾を散布する。今度は先と違って早めに散布したこともあり、ミサイルは爆裂することなく、機体下方をすり抜けていった。

 漏れる安堵の息。額を濡らす汗。

 それを知覚したということは、偏にカルロスの油断が招いたことだっただろう。

 直後に殺到した機銃弾の筋に、カルロスはしたたかに額を打ち据えられた。

 

「ぐっ!?…しまった、挟撃か!」

 

 煙を吹く『ディビナス』から、カルロスは遅ればせに自らの機位を把握する。

 右主翼には複数の弾痕。真後ろに就いていた筈の2機は、一方が離れて右後方から左後方へと斜めに機動している様が目に入る。

 攻め方が変わった。おそらくはこちらの回避のタイミングに合わせて編隊を解除し、こちらの回避先目掛けて一方が先回りし機銃掃射を行ったのだろう。性能差とダメージの蓄積を鑑みれば、これ以上は持たない。

 

「くそ…!ニコラス、まだか!?」

《待ってろ…就いた!絶好の射線だ。行くぞ、5カウント!》

 

 ちらと走らせた視界には、敵編隊の斜め下から接近するニコラスの姿が映る。目が届かず、意識の外にもなっているであろう絶好の位置。カルロスは下腹に力を入れて操縦桿を引き、機体を急上昇させた。

 速度が落ちる。

 敵機が近づく。

 しかし目を潰し、死角を活かすにはこの方法しかない。

 3。

 2。

 後方にAAM、機銃の雨。

 照準の先には三日月。

 ボタンを押し、殆どのフレアを放ちながら、スロットルを絞る。

 1。

 フレアを背に、機銃弾を浴びながら、失速反転する『ディビナス』。

 2機のX-02は夜空の閃光に魅入られたかのように、フレアとAAM誘爆の奔流に機体を呑み込ませていった。

 

「はぁ、はぁ…。どうだ、やったか!?」

 

 失速状態から、辛うじて機首を持ち上げ機体を制御する。後方では銃声、そして閃光。ニコラスの追撃が、2機へ到達したに違いない。

 状況を確認すべく、振り返ったすぐ先。そこに映ったのは、絶望だった。

 

「な…!?」

 

 ――いる。

 炎に幻惑されてなどいない。こちらのほぼ真後ろ、2機のX-02は先ほどと全く変わらない位置で、ぴったりと張り付いている。

 馬鹿な、そんなはずはない。いくら機動戦に長けたエスパーダ隊とはいえ、闇夜で急に生じた閃光と爆炎に、目が眩まない筈はないのである。たとえこちらの機動を読んで旋回したにしても、目が慣れないまま正確にこちらを捕捉などできる訳はない。

 この正確さは、ぞっとするような精度は、もはや往時のアルベルト大尉ではない。人間の息遣いの無い、まるで機械そのものではないか。

 

 絶望の代償は、曳光弾二筋。速度を失った『ディビナス』になすすべはなく、黒翼の蝙蝠は破片を散らし、炎に包まれた。

 

《カルロスっ!!…馬鹿な、ありえねえだろ今の!…くそっ、大丈夫か!?》

「く…!」

 

 左足に痛みが走り、額にどろりと濡れた感触が伝わる。鳴り響く警報はエンジン出力の低下を告げ、もはや『ディビナス』はその主同様に満身創痍となっていた。

 ――違う。機動こそアルベルト大尉と似ているが、断じて大尉ではない。あまりにも正確な統制、あまりにも無温な機動。冷徹に目標を叩き落すためだけの、大尉のような『遊び』のない、機械のような在り様ではないか。

 そう、目標だけを落とす、機械の…。

 

「…!ニコラス、最後の旋回でそっちに誘導する。ヘッドオンで当たれ。――俺を撃て!」

《は!?馬鹿なことは止めろ!死ぬ気か!?》

「いいから撃て!俺もまだ死ねない。正確に狙えよ!」

《…わぁったよ、信じてやる!15年前もそうして戦ってきたんだからな!》

 

 閃きはなんの確証も無い、か細い光。しかし、手繰り寄せた確かな光。

 カルロスは操縦桿を横に倒し、悲鳴を上げる機体に鞭打つように『ディビナス』を旋回させた。

 向かう先は、先の攻撃を終え降下するニコラスの方向。

 後方には、離れない2機。殺到するミサイルになけなしのフレアをばら撒き、残弾無しを告げる音が警報に入り混じる。爆炎を割く機銃弾は、その間も機体を削り、命を一刻一刻と奪っていく。

 

 来た。

 正面、ヘッドオン。流石に双発の『タイフーン』は速く、瞬く間に距離は2000を、1500を、1000を割っていく。こちらが攻撃を引き受け、正面からニコラスが迫る。彼我の位置は運命的にも、15年前にグラオガイスト隊と対峙した際そのままの姿。

 

「撃て!!」 

 

 時。

 眼に機を計ったその瞬間、カルロスはスロットルを絞ると同時に、緊急脱出レバーを引いた。

 

 煙に包まれる視界、身を包む浮遊感。中空に投げ出された視界の中、煙の隙間からは、炎に包まれた『ディビナス』と、それらを追い越すべく並走するX-02の姿が見える。そう、目標の戦力消滅と判断し、その残骸に気を払わず、機械的に目標を次へと移したかのように。

 

 その瞬間、ニコラスの『タイフーン』から放たれたミサイルは、『ディビナス』に直撃。すれ違うその瞬間に黒翼の『ディビナス』は爆発し、ガンポッドに満載した弾薬に誘爆して、空に爆炎の花を咲かせた。

 

 焔から、片翼をもぎ取られ落ちてゆく1機。爆炎から抜けた残る1機も、ガンポッドの銃身らしい破片がコクピット付近に突き刺さり、機体表面に無数の傷が生じているのが見て取れる。その機動は明らかに精彩を欠き、致命傷を負ったであろうことが外目からも判断できた。

 鋭角を描くカナード、鋭く機動する『タイフーン』。あっさりと後方を取られたX-02はもはや糸を失った操り人形のごとく、煙の筋を引いて微動だにしない。必中の距離まで詰めた『タイフーン』は正確に機銃をエンジンへ突き刺し、紅の残滓を引いた機体を焔の中へと沈め、あっけない幕切れを仄かに彩った。

 

 パラシュートで空を漂うこちらに、ニコラスのエスクードが旋回して横切っていく。得意そうに親指を立てるニコラスに対し、カルロスは『さっさと『アークトゥルス』を落とせ』と言わんばかりにそちらへ指を差してやった。

 

 指の先には、主翼のエンジンを奪われ速度を落とした『アークトゥルス』。尾部に増設したエンジンだけでは到底オーレッドへの接近はままならず、肺を失ったくろがねの双頭竜は意を決したように反転して、巨体を以てニコラスと対峙した。

 

 機体下部に光が煌めき、大型のミサイルが二筋、ニコラスへと向かってゆく。

 『アロンダイト』――。なけなしの切り札は、しかし手の内を知ったニコラスを掠めることすらままならない。『タイフーン』はバレルロールで矛先を躱しながらなおも接近し、正面から機銃掃射を加えたのち反転。大鯨を仕留める漁師のように、XLAAの銛をその尾へと突き刺して、微かに残った双頭竜の息の根すらも完全に断ち切った。

 

 揚力を失い、力なく水面へと吸い込まれてゆく『アークトゥルス』。

 三日月が照る夜空の下、『タイフーン』は紅の翼を真珠色に染めて、誇らしげに獲物の上を舞っている。

 

「…やれやれ。わが社は一層、火の車かな」

 

 水面に沈む、『ディビナス』の破片が生んだ炎の輪。

 凍えそうな海上の風の中、呟きを落としたカルロスは、北の戦況へと意識を馳せた。今頃は『円卓』やスーデントールで、ベルカ残党と有志の軍勢が激戦を繰り広げている頃だろう。オーレッドでの両首脳の会談も、間もなく始まるに違いない。終戦への道は、一歩、確かに近づいている。

 

 三日月の下、カルロスは北の空へと目を向ける。

 その彼方、戦空滾る北へと飛んだ『アロンダイト』。それがもたらすものを、まだ知らぬまま。


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