Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《ヘルメート空軍基地所属の各員へ通達。0430時より、ラティオ首脳部が重大発表を行うとの情報が入った。不測の事態に備え、各員は戦闘配置にて待機せよ。各パイロットは全員邀撃待機とし、即応の体制を整えておけ》


第3話 Curtain-up

《……長い歴史を誇る我らがラティオ共和国が、これほどの脅威に晒されたことは、実に半世紀を遡るオーシア戦争以来の事である。力を以て現状を変えんとする隣国の脅威の前に、我らはひたすらに耐え、争いを回避すべく努力を重ねて来た。近年幾度となく領空侵犯を受けながらも、互いに死傷者を出していないことこそがその証拠である》

 

 煌々とした一室の外に、夜明け前の薄暗い闇が佇んでいる。

 時刻にして午前4時36分。蛍光灯の強い光は空の光をかき消して、東に面した窓の外には朧な星の光一つ見て取ることはできない。月はとっくに西の彼方へ傾いており、太陽を待つ朝際の空は、常以上に暗く静かに沈んでいるように見えた。窓にべたりと張り付く蛾の群れも、この暗闇よろしく朝日とともに消え失せてしまうことだろう。

 

 この時刻に起きていることは夜間の邀撃待機を除いて他になく、その場合もせいぜい2、3名で駄弁っているのが常である。ところが、今この場――搭乗員詰所に屯する面々の数はエリクを含め10人。司令部に出頭している中隊長と補佐を除けば、ここヘルメート空軍基地の全パイロットが揃っている勘定になる。

 まだ深夜に近いと言って良い早朝に、10人からのパイロットが集って頭を巡らし、1台のテレビを食い入るように見つめている。その様は、明らかに普段の姿と形を異にした光景だった。

 

 テレビの中には、眉が薄い禿頭の男が一人、カメラのフラッシュが明滅する中で正面を向いて言葉を紡ぐ様が映っている。その姿は、テレビや新聞でたびたび見た覚えがあった。つい先日事を構えたラティオの元首である、大統領その人である。

 不慮の交戦があった直後のタイミングで、大統領自らの『重大発表』。それが持つ意味は、誰の目にも明らかだった。

 

《しかるに、再三の警告にも関わらず隣国ウスティオは我が領土を侵犯し続け、我が軍と緊張状態を作り続けた。…そして去る21日。国境付近で勃発した戦闘において、ウスティオ軍機と、それに片務的に味方したレクタ軍機によって8名の尊い命が失われる結果となった。度重なる領空侵犯に加え、無警告のままに我が軍の航空機を一方的に撃墜したことは、重大な国際法違反である。我々は即日両政府に抗議したが、本日27日に至るまで納得のいく回答は得られていない。》

 

 ラティオ大統領の言葉が先日の交戦の件に触れた時、隣に座るクリスの顔が僅かに顰められた。エリクも表情にこそ出さないものの、胸の底には苦いような、名状しがたいもやもやしたような鬱屈が澱んでいる。ただの一戦闘ではない複雑で快からぬ思いが、その記憶には滲んでいた。

 もっとも、その内容に関してはラティオ大統領が言うそれと大分異なる。去る6日前――すなわち2010年9月21日、エリクら『ハルヴ隊』が、国境付近で対峙するウスティオ・ラティオ両軍に対応すべく邀撃に当たったのは確かに事実である。だが、警告に関してはエリク自身が両軍に行っており、一揉めしつつも両軍撤退の方向で纏まりつつあったのもまた確かだった。結果的に戦闘に入りラティオ軍機と交戦することになったのは、出所不明のミサイルがラティオ軍機を撃墜し、以降ラティオ側がこちらに聞く耳を持たなかったことに原因がある。

 その点『無警告』の指摘は当たらない上に、レクタ側からの領空侵犯など笑止と言う他ない。国境に近いヘルメート基地ですらそのような事態は把握しておらず、ウスティオと違い領土紛争を抱えていないレクタ側から領空侵犯をするメリットなど皆無に等しい。当日の悪天候で件のミサイルの出自はついぞ知れないままだったが、状況を踏まえるとウスティオ軍の別動機によるものと考えるのが最も自然だろう。軍の上層部もそのように考えているらしいことは、エリクも仄かに漏れ聞いている。つまりは、ウスティオに一杯食わされて片棒を担ぐ破目になったというのがその真相という所だろうか。

 とはいえ、たやすく看破できそうなウスティオの意図に、ラティオが気づきもせず踊らされているのが妙といえば妙ではあるが。ラティオ首脳部は、そこまで分析を行わなかったのだろうか。

 

「…妙だな」

「ですね。こんなにあっさりとラティオが乗せられるものでしょうか」

 

 同時に同じ疑問を感じていたのか、クリスと逆隣に座るロベルト大尉がぽつりと呟く。やはり、大尉も引っ掛かりを感じているのだろうか。そう判断し応じたエリクの潜め声は、しかし続く言葉に打ち消された。

 

「そうじゃない。いくらラティオが由緒正しき元大国だからって、何世紀前の話だよ。いくらユークの支援を受けているからって、2国同時に喧嘩を売るなんて無謀なことするかね?第一、ウスティオはオーシアと同盟を組んでいる。東方諸国(ここいら)からユークの勢力を駆逐したいオーシアも、この機会を存分に活かそうとするだろう。これじゃ、無謀どころの話じゃないぞ」

「あ…。……何か、裏があるってことですか?」

「うーん、分からん。2国同時に相手ができるようなトンデモない物でも持ってるんかね?」

 

 ロベルト大尉の言葉に、エリクの脳内の疑問が躓いた。言われてみれば、大尉の言う通りである。近年のラティオはユークトバニアから新鋭の兵器を取得しているものの、それでもレクタとウスティオの2国を同時に相手どるともなれば、不利は誰の目にも――おそらく当のラティオから見ても明らかだろう。ウスティオには15年前から培った精強な軍の伝統があり、そしてその背後にオーシアの姿もある。近年ユークトバニアとの関係が悪化しているオーシアとしては、できる限り周辺国からユークの影響力を消したい筈だ。つまり、ラティオは悪くすれば1対3の劣勢に陥る破目になる。

 だが、もしそれがエリクの考えた通り『引っかかった』のでなく、明確な意思として敢えて行われたとしたらどうか。しかし、それで誰が得をするというのか。ユークか、ラティオと同盟関係にある周辺諸国か、それとも別の誰かなのか。

 複雑怪奇な国際関係は、考えれば考えるほどに頭が痛くなってくる。ロベルト大尉の言葉でそこまで考えてみたが、エリクは頭をぶんぶんと振り、余計な思考を追い出すことにした。いずれにせよ、事態はもう動いているのだ。軍人ならば、とにかく目の前の事に全力で取り組められればそれでいい。

 

《事ここに至り、我らラティオ共和国はウスティオ、ならびにレクタ両国に対する安全保障協定を破棄。国際的慣例、ならびに国際緊急事態特別措置法に基づき、三軍に対する臨戦態勢を発令した。本日只今、午前4時40分を以て、ラティオ共和国は、ウスティオ共和国、ならびにレクタ共和国に対して――》

 

 ――そう、事態はもう動いている。おそらくここにいる全員が、この会見によって来る事態を予見している。エリクは、大尉は、ヴィルさんは、クリスは――皆が、文字通り固唾を飲んでその一言に耳を傾けた。

 

《宣戦を、布告…》

 

 ラティオ大統領の言葉は、そこでかき消された。

 耳をつんざくけたたましい警報と、壁に設けられた回転灯の赤色によって。

 

《警報!警報!方位170より国籍不明機多数接近!邀撃待機搭乗員は速やかに搭乗、離陸せよ!繰り返す、各員速やかに出撃せよ!!》

「な…空襲!?」

「馬鹿な、宣戦布告は今の今だぞ!?」

「言ってる場合か、とっとと離陸だ!中隊長は!?」

「司令部から直接向かった!俺たちも行くぞ!」

 

 精神をざらつかせるサイレンが、心と耳を苛み続ける。最早誰もテレビに見向きもせず、慌ただしい喧騒の中を、それぞれの装備品をロッカーから引っ張り出してゆく。

 

「いきなりとは…穏やかではありませんね」

「おーやだやだ。朝はのんびりしたいもんだがね…。エリク、ヴィルさん、クリス。乗ったらすぐに通信を入れっぱにしておけよ」

 

 急いでヘルメットを掴んだ自分やクリスとは対照的に、ロベルト大尉やヴィルさんは落ち着いている。これが、15年前の『ベルカ戦争』を経験した男たちの姿なのか。冗談めかした大尉の言葉にそんな思い一つ、そちらへと向けた自分の笑顔はきっと強張っていたに違いない。

 

 額の冷や汗一筋拭い、ロベルト大尉に続いてエリクは駆けだした。

 暖機運転を済ませていたのか、格納庫は既にエンジンの唸りと熱気、人の喧騒がひしめいている。エリクは扉から二番目の自身の愛機に取りつき、身を翻すようにコクピットへと納まって無線のスイッチを入れた。酸素マスクよし、計器類OK。今回は邀撃待機だったため、武装は短距離AAMが4基のみ。手早くチェックを済ませる最中にも、飛び交う通信が耳へと入り込んで来た。

 

《編制順だ、第7戦闘飛行隊より順次タキシングに入れ!》

《サテリトゥ1了解、タキシングに入る。敵の距離、数、機種知らせ》

《こちら管制塔。敵編隊距離、既に10kmを切った!数およそ10、機種不明!》

「10km…!?くそ、到底間に合わないぞ!」

《最初の一撃を支えられるかどうかだな。あー、こんな時に『スポーク隊』がいてくれりゃな》

 

 数10、距離10km以下。通信を聞いた時、エリクは思わず動揺とともに喚いた。おそらく超低空を接近しレーダー波を掻い潜って来ていたのだろうが、それでも10kmもないとなればあまりにも猶予が無い。陸上兵器ならいざ知らず、昨今のジェット機ならば数分とかからない距離である。こちらの状況を省みれば、2機離陸できるかどうかすらきわどい所と言わざるを得ない。

 そして悪いことに、この重要な時に限って教導隊の『スポーク隊』は不在であった。基地の収容能力や周辺各基地の航空部隊への教導の事も考えて、スポーク隊は司令部直轄の基地に駐屯し、そこから近隣基地へ赴くという形式を取っている。ヘルメート基地駐在ではないため、このような緊急時に必ずしもいてくれるとは限らないのであった。――だが、よりによってこんな時に。

 

《敵機視認!…ダメだ、間に合わん!サテリトゥ1離陸中止、狙い打たれるぞ!》

ネガティブ(拒否する)。今上がらんと一方的にやられる!サテリトゥ1、2、離陸する!》

《無茶だ、サテリトゥ1!》

《敵機接近!管制塔各員伏せろ!!》

 

 目の前の滑走路で、赤白い炎を噴いた『クフィルC7』が徐々に速度を上げてゆく。

 しかし、遅い。エンジンの立ち上がりこそ早いものの、『クフィル』のようなデルタ翼機は揚力を得にくいため、通常の機体より離陸に要する距離も長くなる。武装を搭載し、重量が増えていればそれは猶の事である。

 『クフィル』が脚を速める。

 轟音が近づく。

 サイレンが鳴り響き続ける。

 滑走路の先の空には、薄闇に浮かぶ暗いシルエット。見覚えのない姿。敵。

 『クフィル』が漸く揚力を得てふわりと舞い上がったその瞬間、その三角翼へと機銃弾が殺到する。

 蜂の巣となったそれは赤い炎に包まれて、滑走路の先で轟音と炎の花を咲かせた。

 

《サテリトゥ1、2、墜落!》

《くそ…!後続来るぞ!》

 

 基地内のそこかしこに居を構えた対空砲が、暗い空へ向けて曳光弾の網を刻み始める。

 重なる轟音、爆ぜる破片、空から降り注ぐ機銃弾とミサイル。阿鼻叫喚の光景の中で、建物がいくつか炎を上げ始める。

 やや大型の機影が最後に空を駆け抜けた直後、向かい側にあった格納庫の一つから、地を揺るがすような轟音とともに猛火が轟々と上がり始めた。

 

《第3格納庫に爆弾が直撃!》

《くそ、各員損害状況知らせ!》

《て、敵第一波通過!今だ、サテリトゥ3、4、離陸せよ!》

「くそ…!敵は山ほど、こっちは2機ずつしか上がれない。このままじゃモグラ叩きに…!」

《整備班!俺とエリクの機体からAAMを外せるか!?1発でもいい、軽くするんだ!》

 

 混乱の中に混じった大尉の声。数で勝る敵を相手に、虎の子のミサイルを外す――反射的に反論を口にしかけたエリクは、しかしいや、と思い直した。考えてみれば、いくら虎の子を抱えていようが離陸できなければ話にならない。そして『クフィル』における最大の弱点は、デルタ翼機ゆえの長大な滑走距離である。ならば、今は攻撃力を犠牲にしてでも離陸の成功率を上げることを第一にして、後続と基地の安全を確保するべし。隊長の意図は、きっとそれに違いない。

 目の前で、攻撃の間隙を縫った『クフィル』が2機、速度を速めて滑走路を走り抜けてゆく。その光景を前に、エリクとロベルト大尉の機体に取りついた整備員が、必死の形相でミサイルを外す作業に取り掛かり始めた。幾分機構は簡易になっているとはいえ、やはり多少の時間は要する。

 

《サテリトゥ3、4、離陸!ハルヴ隊は離陸を待て、敵編隊が反転し再接近中!》

《こちらサテリトゥ3、可能な限り持たせてみせる!下手に滑走路に出て狙い打たれるなよ!》

「分かってる!…頼むぞ…!」

 

 無事滑走路を飛び立った2機を尻目に、再び幾つもの轟音が迫り始める。こちらは格納庫の中でもあり、整備員が作業中でもあるため避けようがない。

 迫る。

 近い。

 掌が汗でぬるつく。

 

《来る!伏せろ!!》

 

 瞬間、エリクは祈った。

 

 機銃弾が、屋根を貫通して破片をまき散らす。滑走路を護っていた自走式対空砲が直撃を受けて爆散する。暗さゆえに敵も正確に狙いが付けられていないのだろう、降り注いだ数の割に、地上への被害はそこまで出ていないらしいのが救いだった。それでも破片で傷ついたらしく、格納庫の床には幾筋かの血がこびりついている。

 

《敵機通過!今だ、ハルヴ隊行け!行け行け行け!!》

《ミサイル解除よし!ロベルト大尉、エリク中尉、いつでも行けます!》

《よーし、各員機体から離れろ!ハルヴ1、タキシングに入る!》

「ハルヴ2、小隊長に続く!」

 

 フットペダルの操作とともに、機体がゆっくりと格納庫から滑走路へと侵入してゆく。既に滑走路も機銃弾で凹みだらけだが、爆弾による大穴は今の所見られない。

 東の空が白み、空の黒へ青と白が徐々に混じり始める。夜から朝へと移ろう空の下で、2機の『クフィル』が滑走路に並んだ。正面に、滑走を妨げるものは見当たらない。

 

《敵機再反転。ハルヴ隊急げ!!》

 

 左前方、隊長の『クフィル』に火が灯り、その速度を徐々に速めてゆく。ミサイルを外したこともあり、その速度は普段見慣れたものより速い。

 ふうぅぅぅ。深く息を吸い、エリクは正面を見定めながら、ゆっくりとフットペダルを踏みこんだ。落ち着け、いつもの離陸と同じだ。焦る必要はない。

 隊長の『クフィル』が舞い上がる。機体に徐々に速度が乗り、外を流れる光景が瞬く間に後方へと去ってゆく。速度90、100、110。遥か先には、赤い炎に包まれたままの中隊長機。

 

《ハルヴ2、2時方向!》

「っ!?…くそ、こんな時に!!」

 

 管制塔の通信に、右斜めを見上げたエリクは思わず舌を打った。

 こちらを指す機影が二つ、機首を下げて明らかに狙い撃つ体勢に入っている。こちらの速度は、離陸にはまだ足りない。

 胸にまで汗が滲む。

 速度計と敵を交互に見やる。

 速度、115、120、125。

 早く。

 フットペダルを幾度も踏み込む。

 速度130、135。

 早く。もっと早く早く。

 速度、140。

 敵機、有効射程内――。

 

「…くそっ!」

 

 轟く機銃の発砲音。それと同時に、機体は炎に包まれた。

 ――そう、エリクの『クフィル』ではなく、眼前の敵機の方が。

 

「…!?」

《無事か、ハルヴ2!早く上がれ!》

 

 残った敵機の後方に、『クフィル』がミサイルを放ちながら追い縋っている。その声音は、先に離陸した第1小隊――サテリトゥ3のものだった。被弾したのか既に炎を噴いているが、それでもこちらの離陸を支援すべく敵機を機銃掃射で妨害し続けている。

 

 速度、150。機体がふわりと浮き上がり、汗に濡れた体が一気に浮遊感に包まれる。

 滑走路を抜け高度を稼いだこちらの下方で、サテリトゥ3に追われていた敵機は速度を速めて離れていった。基地上空に差し掛かったサテリトゥ3の高度は概ね100、なんとか射出座席で脱出は可能な筈だ。

 

「サテリトゥ3、助かった!後は任せて脱出しろ!」

《…そうもいかなくなった。今ここで脱出すると、滑走路に落っこちる。俺が味方を妨害する訳にはいかんだろ?》

「な…。…おい!?サテリトゥ3!」

《そういう訳だ。……後、頼んだぜ》

 

 虎口を切り抜け火照った体が、心が、ぞっと一気に冷えてゆく。

 思わず操縦桿を握りしめたエリクの下で、サテリトゥ3の『クフィル』は力を振り絞るように右旋回し、ぐらりと機体を傾けさせた。

 脱出可能な高度とは言ったが、あくまでその進路を維持できたら、の話である。100に満たない高度で急旋回しバランスを失えば、それも基地の敷地を抜けるまでコクピットに留まり続ければ、脱出は確実に不可能になる。それでも、その『クフィル』は高度を失いながら、徐々に基地の敷地を抜けていった。まるで、全て承知とその背で語るように。

 爆発。基地の敷地の一歩外、明かりの無い暗闇に咲いた赤い花。その上に、落下傘の姿は見つからなかった。

 

「――……!」

《サテリトゥ3墜落!敵機反転、また来るぞ!しつこい奴らめ…!》

「……くそ、くそ!!ラティオめ、卑怯者どもめ…!!」

《ハルヴ1よりハルヴ2、敵はMiG-29Gが2機と、Su-22M4が7機だ。『ファルクラム』はこっちで何とか抑える。『フィッター』の方を頼む》

「了解!…もう遠慮はしない。叩き落としてやる…!」

 

 最早、先の宣戦布告演説を聞いた時の微妙な気分は消え失せていた。宣戦布告直後からの卑怯な先制攻撃、施設を執拗に狙った戦術、離陸中の戦闘機を狙い撃つ行為。そして、サテリトゥ3の身を賭した壮絶な最期。戦意――否、殺意とすら評していい激しい感情が、その心を浸してゆくのをエリクは知覚していた。

 空中で反転し、エリクは戦況を俯瞰する。敵編隊は、基地から見て西と北北西の2方向。葉巻状の胴体に切り立った機首、主翼の中ほどから可変翼を装備したその機影は、確かに隊長の言う通りSu-22M4『フィッターK』に見て取れた。積載能力に優れる単座戦闘攻撃機だが、空戦能力に限って言えば純粋な戦闘機である『クフィルC7』の敵ではない。

 蹂躙する。叩き潰す。その他に、サテリトゥ3の――犠牲となった皆の魂を慰める術はない。エリクは操縦桿を傾けて機体を翻し、基地上空へと機位を移行させた。高度250、方位270。西から侵入する敵編隊4機の、真正面から接敵する位置。

 

 薄暗い西空を背に、黒い闇のような機影が真正面から近づいてくる。淡い光で縁取られたガンレティクルに、中央の1機が捉えられる。だが、まだ遠い。『クフィルC7』の搭載機銃である30㎜機関砲は、一般的な20㎜『バルカン』と比べ威力に優れる反面初速に劣り、それゆえに命中精度もやや下がる。確実に命中させるには、より接近しなければ直撃を与えるに至らない。

 距離、目算で800。まだ射程には程遠い。

 600、500。『バルカン』なら必中を期せる距離だが、30㎜ではまだ欲しい。

 『フィッターK』が衝突を避けて左右に散らばる。大きな可変翼が特徴的なシルエットを背景に刻む。ガンレティクルの中で、葉巻型の機体が灰色の腹を見せる。

 距離、400。

 

 力を込めた引き金に応えるように、機体の下から響く唸り。『クフィル』から放たれた30㎜弾は照準器の中心目がけて軌跡を刻み、『フィッターK』の可変翼を中ほどから引き裂いた。

 爆炎を抜け、操縦桿を引いて縦へ旋回したのち、機体をロールさせ水平へと引き戻す。一連の機動――インメルマンターンで高度を稼いだエリクの眼下には、残った『フィッターK』3機が攻撃を断念し、散開する姿があった。

 

「逃がすか…!」

 

 機銃弾とはいえ、30㎜ともなれば『フィッター』相手にも十分な威力を示す。これならば、AAMを装備していなくとも敵を全滅させることだって不可能ではない。

 エリクの目は、既に次の獲物を見定めていた。こちらから見て左斜め下方、可変角を最大にして旋回に入っている『フィッターK』。距離はおおよそ1400、『クフィル』の加速力ならば難なく追いつける。

 フットペダルを踏み、旋回で失った機体の速度を上げてゆく。背を追うこちらに対し、可変翼を広げたまま『フィッターK』は旋回の機動を崩さず、こちらを格闘戦に持ち込もうとしているのが見て取れた。

 低高度域ならば『フィッター』の運動性はMiG-21『フィッシュベッド』シリーズにも匹敵すると聞くが、無理に相手の得意に合わせる必要はない。要は格闘戦に付き合わずに、一撃離脱で叩けばいいのだ。機体形状に加え、ミサイルすら装備しない機体は軽く、その加速は常以上にいい。相対距離は瞬く間に1200を、1000を、800を割っていった。

 照準器が、敵機の胴体を捉える。あと数秒、それで必中を期する射程内に収められる。距離750、700。

 

 高まってゆく敵の機動への集中力。それは、空から降って来た別の声にぷっつりと断たれた。

 

《待てエリク、深追いするな!ヴィルさんとクリスを支援してやれ!》

「…!しまった、そうだ!」

 

 敵機を落とすことに集中するあまり、頭から抜け落ちていた目的。それを今更ながら思い返らせた隊長の声に、エリクははっと息を呑んだ。そうだった、本来の任務は味方が上がるまでの時間稼ぎである。敵機の撃墜に集中して間隙を突かれては元も子もない。

 機体についた加速そのままに機銃を発射し、『フィッターK』の後方を駆け抜ける。命中を確認する暇もなく、エリクは薄闇の下に、滑走路の様子と敵機の姿を探った。

 

「…いた!…くそ、済まないヴィルさん、クリス!間に合うか…!?」

 

 燃える対空車輛が照らす滑走路には、既にヴィルさんとクリスの『クフィルC7』の姿が認められた。そして、その離陸を妨げようと企図しているのだろう、滑走路と直角に侵入すべく、3機の『フィッターK』は編隊を組んで高度を下げつつある所だった。すでに敵編隊と滑走路の距離は狭まっており、おそらく1200もない。

 

 思わず叩いた舌打ち。エリクは奥歯を食いしばりながら、先の一撃離脱で乗せた加速を止めることなく敵編隊の後方から距離を詰めていった。

 距離は、確かに狭まっている。しかし眼前の『フィッターK』はいずれも可変翼を畳んだ高速形態にあり、先の敵機ほど速やかに捉えることは叶わない。

 距離1000。

 900。

 くそっ。せめてミサイルがあれば。

 あと、せめて300。それだけ詰めれば、少なくとも弾は届く。

 速度計の数値が飛ぶ。

 エンジンの回転数が赤へと近づいてゆく。

 2機の『クフィル』が滑走を開始する。

 その位置、敵機の真正面。

 間に合うか。

 いや、間に合う。

 間に合え。

 

《ハルヴ2、チェックシックス(後方に敵だ)!》

「――くそったれぇぇぇ!!」

 

 焦燥の声。ロックオン警報。

 入り混じる使命感と焦りの中で、エリクは闇雲に引き金を引いた。

 30㎜機関砲が唸りを上げると同時に、その背からも衝撃が襲い掛かる。

 後方――敵機。おそらく、先程一撃離脱をかけたSu-22。コクピットに収まるエリクの身体にも、被弾の衝撃と思しき振動と金属同士が当たるような不愉快な音が一つ、二つと響いてくる。

 喰われる。

 もはや射撃の成否も、後方を確認する暇もない。急ぎ敵の射線から逃れるべく操縦桿を倒しかけた刹那、エリクの目に信じられないものが映った。

 破片をまき散らし、ぐらりと揺らいだ眼前の敵機。そのさらに正面から別の機影が現れ、こちらへ向けてミサイルを放ったのだ。

 

「ぬ、おあぁっ!?」

 

 反射的に操縦桿を倒し、機体を左へとロールさせる。

 真正面のミサイルは煙の尾を曳きながら、主翼を掠めるように通過。その後方――すなわちこちらを追っていた敵機へと真正面から突き刺さり、その機影を爆発とともに虚空へと散らせた。ミサイルを放ったその機体は、爆炎を裂いてこちらの上空をすれ違ってゆく。

 

 今更ながら心臓が早鐘を打つ。額に汗がどっと噴き出す。もう少しロールが遅れていれば、後ろの敵機ごとこちらが心中していたのではないか。

 離陸する2機の『クフィル』の上空で、汗を拭ったエリクはやっとのことで後方を振り返る。こちらの後方上空には、緑系統のダズル迷彩が施された単座の小型戦闘機――F-5E『タイガーⅢ』が1機、その小さな翼に朝日を反射させていた。

 見覚えのあるあの塗装は、まさか。

 

《スポーク2よりスポーク1、1キル》

《こちらスポーク1、『カルクーン』。こちらでも確認した。…間に合ったみたいだな。敵編隊は撤退へと移行中》

《スポーク隊…!救援要請が間に合ったか!こちらヘルメート基地、助かった。感謝する》

「………なんてこった、あいつか…」

 

 スポーク2――確かパウラとかいう准尉。以前、演習の際に酷評を食らった小柄な女パイロットである。以来苦手意識がくっついて離れないのだが、よりにもよってその相手に助けられる破目になるとは。そう思うと、先とは別の意味で冷や汗が流れそうだった。

 とはいえ、助けられたのは事実である。スポーク隊の増援を察知したらしく、ラティオの残存機は編隊を組み、南の方角へと離脱してゆく所だった。彼らの増援がなければ、この基地の被害はより大きくなっていたことだろう。

 

 編隊を組むスポーク隊と、ヘルメート基地残存機。ふと思い当り、エリクは機体をやや傾け、スポーク2――パウラの『タイガーⅢ』と並行した。年下で生意気な相手とはいえ、一応礼を言っておかねば決まりが悪い。

 

「ハルヴ2よりスポーク2。さっきは助かった。礼を…」

《5点》

「…は?」

《後方警戒が甘い。近接防御装備使用等の応用力欠如。敵の深追い。以上に私語で減点追加》

「……………」

 

 言うんじゃなかった。冷や水を浴びせられた気分とは、まさにこういうことを言うのだろう。他の機体へも通信は通じていたらしく、無線は誰かが噴き出す音も拾っていた。たぶん隊長だろう。

 

《スポーク1よりヘルメート基地へ、着陸許可求む。最前線で第二波に備える必要がある》

《了解した。現在滑走路上の残骸除去に取り掛かりつつある。しばし待機されたし》

 

 スポーク1――アルヴィン少佐の声に引かれるように、エリクもしばしその目を地上へと走らせた。

 漸く差し始めた朝日の下で、重機が数台、横転した車両の傍へと向かっている。滑走路の周辺にはいくつもの弾痕が刻まれており、まさに戦場そのもの、惨状と評していい有様となっていた。この様子では、あと少なくとも1時間は要することになるだろう。

 

 来るべきものがついに来た。印象としては意外というより、むしろ当然と感じる部分が大きかったと言えるだろう。先日の国境での戦闘しかり、事態がここまで入り組んでしまえば、あとは力を以て解決する他ないのは火を見るよりも明らかだった。

 だが、開戦直後からこれほどの打撃を受けて、自分たちは――レクタは耐えきれるのだろうか。戦火はどこまで拡大するのか。そこまではおそらく誰も、読み切ることはできていないに違いない。

 

 地上では中隊長機が、そしてサテリトゥ3の機体が今なお焔に包まれている。

 空から見下ろしたその炎は、開戦の犠牲となった兵士を悼む送り火のようにも見えた。

 




《諸君、よくこの基地を護ってくれた。諸君の働きもあり基地の壊滅は免れたが、被害は甚大である。今後の対応については司令部と協議の後決定・通達を行うが、それまで引き続き邀撃待機を継続せよ。
なおつい先程、本日12時を以てユークトバニアがオーシアに対し宣戦を布告。交戦状態に入った。未確認情報だが、オーシア国内の数か所で軍事基地が大規模な空爆を受けたとの情報もある。諸君においては事態の進展に心を乱すことなく、引き続き職務に当たって欲しい。以上だ》

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