Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第37話 託す想い、宿る想い

 格子で区切られたガラス窓の外に、漆黒の闇が広がっている。

 黒を彩るものは、窓の枠に沿ってうっすら積もる白い雪と、一面を朧に覆う結露の靄。夕暮れ以降の気温の低下は著しく、日が沈んでから雪も降って来たらしい。この様子では、明日の離陸にも手間がかかることだろう。ただでさえ旧式であるYaK-38Mのエンジンは、低温下での立ち上がりがすこぶる悪い。

 

 来る明日に思いを馳せながら、エリクは湯気の立ち上るマグカップを傾ける。

 今宵の一杯はココアを加えたカフェモカ。とろりとした舌ざわりにココアの豊潤なコクと甘みが交わり、温かな感触が喉を伝って、冷えた心を癒してゆく。

 懐かしい、かつての日。スポーク隊がレクタのヘルメート空軍基地に着任した日に、ヴィルさんが淹れてくれた味だった。

 

 時に2010年の暮れ、12月29日午後10時。

 ウスティオ共和国空軍ヴァレー空軍基地を、穏やかな雪が包み始めていた。

 

「…あと一歩、だな」

 

 マグカップを置き、左手の指先で自らの眼帯を弄びながら、エリクは天を仰ぐ。カフェモカで温まった吐息は白い靄となり、ゆらりと揺れて上っていった。

 

 あと一歩――そう、ベルカ残党が画策した、不毛な戦争の終焉。事態は、まさにそのあと一歩まで迫っていた。

 先日のガルム隊と、ベルカ残党が化けた偽ガルム隊による空戦。先代ガルム1――サイファーのかつての乗機を駆り、圧倒的な技量で偽物を屠ったパスカルの姿に、ヴァレー空軍基地は熱狂した。青い双翼の機体が単機で圧倒的不利を覆すその様に、皆が『ガルム』の再来を見たのだろう。その出来事以降、パスカルたちの言葉に耳を傾ける傭兵の数はぐんと増え、今や基地の2/3に迫るほどとなっていた。『サイファー』という伝説の下地があったとはいえ、これもやはりエースの技量がもたらした結果なのだろう。

 

 もっとも、当の本人たちにエースらしさは微塵も漂っていない。本来ならば尉官である彼らは士官用の個室も使えるのだが、親交を深めるためと称して今夜も下士官用の4人部屋を宿とするのだという。15年前にこの基地に所属していたというパスカルの叔父も飾らない性格で愛されていたというが、あるいはパスカルにもその面影は宿っているのかもしれない。

 

 いずれにせよ、二人の活躍で停戦に向けた意識の醸成はなされつつある。準備が整い次第、オーシア首都オーレッドでオーシア大統領ハーリングとユークトバニア首相ニカノールの両者による停戦の会談がなされる予定にもなっているが、その発表の暁にはこうした地道な下積みが生きて来る筈である。両大国の停戦で動揺する東方諸国の首脳にとって、現場の兵士からも上がる停戦の声を無視することなどできはしない。また、必ずや反発も起こる筈であり、それを抑えるための力としてもウスティオ傭兵は活きて来る筈だった。

 

「………エース、か」

 

 比類ない力を発揮し、瞬く間に信望を勝ち得た二人に重なるのはその言葉。

 単に撃墜数を基準にしたエースパイロットという条件ならば、レクタからの通算記録で見れば自分とて立派なエースには違いない。些か自惚れが過ぎるかもしれないが、型落ちもいい所の『ダガーA』でグラオガイスト駆るF-35Aを退けるなど、腕前についての自負もある。

 

 しかし、同じエースという土俵でも、自分とガルム隊――特にパスカルとの在り方は大きく違う。これまでを省み、今一人になって俯瞰すると、やはりそう思わざるを得ない。

 どう言葉にするのが適当かは分からないが、言い表すならば…そう、『華』があるかどうかの違いと言うべきだろうか。あるいは、味方を引っ張り、敵を畏怖させうる見えない何かと言ってもいい。

 

 かつてレクタにいた頃、所属していたハルヴ隊は徐々に名を上げ、レクタを代表するエースパイロット部隊と称されるようになった。一時的にロベルト隊長が不在になり、代理として部隊を預かることになった時、自分はその責任の重さに慄いた――いや、有体に言ってしまえば辟易したのだ。自由に、思うままに空を舞いたいのに、他人の想いまで乗せては翼が重くなってしまう、と。今思えば、それは人の想いを託される『華』を持ったエースとしての責任から逃避したのだろう。

 ――復讐の念、そして『奴』の思い通りにはさせないという個人の信念に立つ自分では、今でもきっと同じ選択をするに違いない。

 

 だが、パスカルは違った。

 先に立つ者として。『華』を持つ者として。人の想いを背負い、翼も体も重くなることを厭わず戦う道を選んだ。もしかするとその背景には、かの伝説的パイロットである『サイファー』を継ぐ者として、先の戦争で死んだという叔父の意思を継ぐ者としての想いもあるのかもしれない。いずれにせよ、そこには眩いほどの、理想的な『エース』の姿があった。

 自らを第一とする者と、想いを背負う者。嫉妬などはさらに無く、ただただ尊敬の想いだけがその間に横たわっている。どちらが正しいというものではないが、自分にないものを持っている人間の姿はやはり眩しい。

 

 あれほどに徹したエースはそうはいないに違いない。

 身近な例を省みても、サピンのカルロスなどは確実に違うだろう。自らの生還を第一とするあの男の信念は華やかなエースとは真逆の姿であろうし、本人も求めてはいないに違いない。同じサピンならば、まだ『エスクード1』――ニコラスの方がその素質がありそうだった。

 ロベルト隊長も、きっとそれとは毛色が異なっているだろう。エースの名に振り回されるな、俺たちは一パイロットに過ぎないし、それでいい。そう語った隊長の声は今も耳に残っており、想いは胸に宿っている。おそらく、隊長の師匠――かつてのベルカ空軍の『グリューン1』も、同じ想いを抱いていたことだろう。

 

 脳裏には、これまで空で馳せ合った、聞き知ったパイロットの姿が過ぎってゆく。

 先代の『ガルム1』はどうだったのだろうか。カスパルは。『パンディエーラ・トリコローリ』の男達は。大陸戦争で名を馳せたという『メビウス1』は。そして、あの『ブレイズ』は。

 

「はは、ごちゃごちゃ考えすぎかな。俺らしくない」

 

 張り詰めた糸を切るように、エリクは一声呟く。

 知らず前屈みになっていた体を反らし、椅子の背もたれに預ける体。体重を一身に受けた椅子がぎしりと軋むのと、唐突にドアがこんこん、と鳴るのは同時だった。

 

「ん?」

「こんばんは、エリク様。お邪魔してもよろしいでしょうか?」

 

 ドアの向こうから届くのは、直属の上司であるサヤカの声。ちらりと目を奔らせた壁掛け時計は既に午後10時20分を回っており、夜も深まりつつある頃合いである。周囲が静まり返っているにも関わらず足音に気づかなかった辺り、よほどドアの防音に気が遣ってあるのだろうか。

 

「ああ、いいぞ。ドアは開けてある」

「それでは…お邪魔いたします」

「この椅子を使ってくれ。…にしても、こんな時間にどうしたんだ?」

 

 ドアを開けて入ってくるサヤカは、いつもながらの黒スーツ。あいにく一人用の個室は椅子も一つしかなく、エリクはベッドの方に腰を下ろし、先ほどまで自らが座っていた椅子へとサヤカを促した。

 にこりと微笑み、サヤカは後ろ手に扉をロックして、椅子へと腰を下ろす。ふわりと漂う香水の香りは、心なしかいつもより甘いように感じられた。

 

「いえ、大したことではございません。ちょっとした状況報告のついでにコーヒーでもと思ったのですが、もうお召し上がりになっていたのですね」

「半分ココアのカフェモカだけどな。何か進展があったのか?」

 

 こくり、とサヤカは首肯し、口紅に彩られたその口を開き始める。曰く、今日の夕方から日没ごろに動いていた、鮮度のいい情報なのだという。

 

 ――朗報だった。少なくとも、全てを聞き終えた時にエリクが抱いた感想はそれであった。

 

 情報の渦中は、かのラーズグリーズ隊を擁するオーシア空母『ケストレル』に関してである。

 12月23日に行われたユークトバニア元首ニカノール首相の救出作戦以降、『ケストレル』はユークトバニア軍やベルカ残党による追撃を撒くために迂回を繰り返しつつ、今日の夕刻ごろにはオーシア西方のセレス海に到達。しかし完全に監視の目をすり抜けること能わず、オーシアの内庭と言っていいその地点でユークトバニアの艦隊に捕捉され、攻撃を受けたのだという。ニカノール首相の存在にも関わらず撃沈を辞さないユーク艦隊に対し、『ケストレル』はすぐさまニカノール首相をオーレッドへ出立させるとともに、ラーズグリーズ隊による迎撃を試みた。

 

 結果、ラーズグリーズ隊は進路を阻んだユーク艦隊、ならびに『ケストレル』を離反部隊と見なし襲い掛かったオーシア艦隊をも殲滅し、『ケストレル』は包囲網を突破。薄暮の大艦隊戦は、第三勢力たる『ラーズグリーズ』の完勝に終わったのである。

 特筆すべきは、ニカノール首相の停戦の呼びかけに応え、交戦中にユーク艦隊の一部が離反し『ケストレル』側に就いたことだった。その数、ミサイル駆逐艦を主として3隻。『ケストレル』の護衛艦と情報収集艦『アンドロメダ』を加えてなお少ない数だが、それでも戦争を終わらせるという共通の目的のため、敵味方が国境を乗り越えて手を組んだことに大きな意義があると言っていいだろう。戦火を交えた国同士が手を取り合うその姿は、ここオーシア東方諸国でも目指すべき姿、その嚆矢である。

 

「そうか…流石は『ラーズグリーズ』。…そして、ニカノール首相がオーレッドに向かったということは」

「はい。予定を繰り上げ、明日の夜には両首脳による会談とメディア披露が行われます。『ケストレル』は今夜夜半から追跡を撒きつつセレス海をさらに東進。イーグリン海峡の西方70㎞に到達した時点でラーズグリーズ隊を発進させ、両首脳の会談を空から護衛する予定となっています」

「予定は、だな。この機会をカスパルの息のかかった連中がみすみす見逃す筈はない。両首脳による和平の場をぶち壊しにすれば、反動でヘイトは今まで以上に高まることになる」

 

 淡々と予定を語るサヤカに、マグカップを傾けてカフェモカを飲み干したエリクが読みを返す。

 これまでのベルカ残党のやり口を見返すまでもなく、策謀を弄して戦争を煽り立てて来た連中である。終戦へと直結するこの会談を見過ごす訳は無く、必ずや何かしら行動を起こしてくるに違いない。

 

「流石はエリク様、おっしゃる通りでございます。我々の得た情報と『アンドロメダ』の分析によりますと、レクタ、ゲベート、ラティオ等複数の前線基地に戦力が集結しつつあるとのことです。おそらくは多国籍の戦力をかき集め、オーレッドを強襲するものと思われます」

「いよいよなりふり構わなくなってきたな。奴らにとっても今が正念場か」

 

 サヤカの言葉を受け、エリクは壁に貼り付けてある周辺諸国の地図を見やる。

 サヤカが言及した三国は、東方諸国の概ね中央に縦に連なっている。その三国とオーシア首都オーレッドの間にはサピン王国とオーレッド湾が横たわっているが、距離にすればものの数ではない。――そして、肝心のウスティオはその三国のすぐ西側に位置する。敵対するであろう連合軍を横合いから食い止められる位置であり、ここヴァレー空軍基地はその最前線に当たるのだ。地理的に見ても戦力的に見ても、このヴァレー周辺の空域が決戦の舞台となると見て良かった。

 

「となれば、俺たちの役割は明白だな。ここで殺到する連中を食い止めて、オーレッドを護る。任務がシンプルなのは助かるな」

「はい。…ですが、今回ばかりはベルカ残党の皆様も相当な戦力を注いで来ることでしょう。各国のタカ派軍人も黙ってはいない筈です。それこそ、誰もが死んでもおかしくない戦場になるに違いありません。パスカル様然り、…エリク様然り」

 

 空になったマグカップをテーブルに置き、陶器と木が触れる固い音が響く。

 その中で、サヤカの言葉の尻は常の彼女らしくなく消えていった。

 口元にはいつもの微笑。笑みを湛えた目は、しかしどこか伏している。傍若無人、慇懃無礼。そんな四字熟語が似合うサヤカにしては珍しいしおらしい姿が、エリクには少しおかしかった。

 

「なんだ、心配してくれてるのか?」

「え?」

「大丈夫だ、俺は死なない。死んでも奴を殺す、なんて思い詰めた時もあったけど、俺はもう大丈夫だ。奴の策謀を挫くまでは。奴に打ち勝つまでは、死んでも死ぬもんか」

 

 呆気に取られたサヤカに、エリクは包み隠さない自らの思いを口にした。

 絶望も挫折も抱き、復讐に沈んだ過去。しかしそれを否定する気は無く、むしろそれを呑み込み、乗り越えなければ今の自分は無かった。胸に宿るその意思を言葉に託したのだった。

 

 ――くす。

 くすくすくす。

 

 ぽかんと開いていたサヤカの口は笑みに変わり、口元を覆って笑い出した。それもいつもの皮肉な姿ではなく、心底面白い――そう示すように朗らかな笑顔で。

 

「笑いすぎだおい!何か変な事言ったか、俺…?」

「いえ、いえいえいえ。最初にお会いした時と、今のエリク様と。その姿が全く違っていて、思わずおかしくなってしまいました」

「何だよそれ。人をバカにしてよ…」

「いえ、いえいえ。けっして貶める積りではありません。むしろ喜ばしいと申し上げますか…安心致しました」

「?」

「最初にお会いした時は、鬱々として、意思を研ぎ澄まして、まるで目的を一心に突き詰めた刀剣のようで。ああ、『三日月』の名前らしい方だと感じたものです。…でも、今は違います。過去を呑み込み未来を見つめて、静かに一歩ずつ歩んでいる。同じ月でも、満月へと向かってゆく十三夜月のようです。…うふふ、傷だらけになって、それでも茨を踏みしだき進んでいく以前のお姿も好みでしたが、今のお姿は、より好ましく思います」

 

 思わぬ話の流れに、今度はエリクの方がぽかんと口を開いた。

 何というか、面と向かってそう評されると恥ずかしいというか。ヴィルさんやクリスならばともかく、まさかサヤカとこんな話をするとは全く思っていなかった。

 三日月より一歩進んだ、十三夜月。希望の象徴である望月には一歩足りない、しかし近づいてゆく楕円の月。言われてみれば、今の自分にはふさわしい姿かもしれない。

 

「照れくさいな、なんか。見た目の雰囲気で言えば、あんたの方がよっぽど月らしいけどな。…いや、月にしては押し…もとい光が強すぎるか」

「まぁ、まぁまぁ。ということは、わたくしはさしずめ殿方を照らす太陽でございますね。いやですわもうエリク様ったらお上手なんですからぁ」

「………まあ、何でもいいが」

 

 頬に手を添え、照れたようにくねくねと身を捩じらせるサヤカ。一言も太陽とは言っていなかったが、拡大解釈とは恐ろしいものである。垣間見えたしおらしさから一転、結局いつものサヤカが戻って来た。年の頃三十ピー歳、押し来る光は男も枯らす。脳裏に浮かんだキャッチフレーズを、エリクは記憶の彼方に投げ捨てた。

 

「ともあれ、明日が正念場だ。明日に備えて、俺はそろそろ寝…」

「決めましたわ」

「へ?」

「わたくし、今宵はこちらで夜を共にいたします」

「…はい?」

 

 前触れない唐突なサヤカの発言。その意味が解せず言葉が頭上を通り過ぎる間エリクの体は硬直し、その分反応が遅れた。

 サヤカが椅子を立つ。一歩踏み、ベッドに手をついて上半身を押し出す。

 傍から見れば勢いに呑まれたエリクは思わず上半身を引き、上半身を乗り出したサヤカが肉薄する構図となっていた。

 

「先のような熱い告白のお言葉を頂いてしまいましたら、わたくしもお応えしなければなりません」

「おい、何を言って…」

「それに、イケメンの殿方をベッドの上で存分にコロコロするの、わたくしの夢だったのですよね」

「…もしもし?サヤカさん!?」

 

 煽情的に濡れた唇が、上目遣いなサヤカの瞳がエリクの目に流れる。

 僅かに襟元を開き、垣間見える膨らみがエリクの胸板に近づく。クリスよりわずかに大きい、豊かな肉感。少なくともパウラよりは格段にあるそれが、明らかな交戦の意図を持って近づいてくる。

 

 ――情欲を煽られる以上に、エリクは恐れた。

 どう表現すればいいのか分からないが、その心情はヘビを目の前にしたカエル、あるいはA-10を目の前にした歩兵ならば理解できるかもしれない。とりあえず過去の経験から抽出すれば、遠距離から『テュールの剣』に狙撃された際の心境に最も近かった。

 

「という訳でして、契約項目第3項。通常業務中は、いかなる場合においても指揮権管轄者の指示に従うこと…で、ございます」

 

 ウスティオ空軍管轄、ヴァレー空軍基地。この基地における士官用個室の防音は完璧である。

 男一人の悲鳴を、ものの見事に打ち消す程度には。

 

******

 

 日は明けて、翌12月30日16時。所はヴァレー空軍基地司令部棟の一角、通信機器やテレビ電話を有する作戦会議室の一つ。

 テレビ画面を前にして座り、表情を沈めるサヤカ。その傍らに腕を突き、食い入るように画面を見つめるエリクとパスカル。そしてその後方に立ち様子を伺う、レイモンドおよび同調する傭兵の面々。

 決戦を前にしたものとはまた違う、一室には絶望にも似た張り詰めた空気が漂っていた。

 

「…やられたな。ことごとく先手を打たれた」

 

 画面の中で口早に状況を伝えて来るのは、『ラーズグリーズ』を支える参謀役のピーター。常ならば『ケストレル』に座乗している筈だが、今は画面の表記を見る限り随伴する『アンドロメダ』からの通信のようである。その言葉に応じるサヤカも、傍らのパスカルも、表情には焦りが滲み出ていた。

 

 突然ピーターからの緊急通信が入ったのは三十分ほど前である。

 端的に言えば、状況が大きく動いたのだ。それも複数地点で、しかも最悪の形で。

 

 一つには、ベルカ残党の策謀の全容が判明したことである。

 戦争継続による荒廃化。それを成し遂げるための切り札の存在がついに掴めたのだ。その正体は、かつての戦争でベルカ公国が設計した大量破壊兵器『V2』。ベルカ残党は掌握したオーシアの戦略衛星軌道砲『SOLG』にV2を搭載し、直接オーシアおよびユークトバニアの主要都市を攻撃する積りなのである。

 衛星軌道上から放たれる砲撃を迎撃する術は無く、そのコントロールを奪取する他に防ぐ方法はない。ノースオーシア州スーデントールにそのコントロール施設があることを突き止めた『ケストレル』は、オーレッド護衛の任務を急遽変更し、スーデントール奇襲を行うべくセレス海を北上した。

 

 ――しかし、ここに最悪の不運が滑り込んだ。

 急遽予定にない航路変更を行ったことが仇となり、『ケストレル』は遊弋していたユークトバニア潜水艦に捕捉され、撃沈されてしまったのだ。不幸中の幸いに『ラーズグリーズ』は全機発艦に成功したものの、予定より遠い地点からの出撃となった以上、コントロール施設への攻撃は間に合うかどうか微妙となった。

 

 以上の状況から、スーデントールはベルカ残党にとっての最重要防衛拠点と化した。既にベルカ残党所属機の他、オーシア軍機やファト駐留のユークトバニア軍機の一部もここに合流し、防衛網を構築しつつあるのだという。おそらくは、各国に潜入した残党がタカ派を巧妙に引き込んだ結果なのだろう。

 厄介なのは、ここに東方諸国の残党軍も集結すべく動きつつあることだった。現状でもラーズグリーズ隊のみでは荷が重い戦力差がある上に、追加の増援が加わっては奇襲も覚束なくなるのは明白である。目下、この基地に集う諸軍の最重要目標はこの増援の阻止となった。

 

《…だが、『最重要』は一つではなくなってしまった。落ち着いて聞いて欲しいのだが、さらに二つ、『最重要』な任務が生じた》

 

 絶望の間もなく、ピーター参謀は畳みかける。

 一方の新たな任務とは――こちらは希望と言えるかもしれないが――、ユークトバニア内の協力者への支援である。

 現状ではスーデントール攻撃について、ラーズグリーズ隊がスーデントール南方から侵入し護衛部隊を叩いた後、スーデントール北方のバルトライヒ山脈に穿たれたトンネルへと突入。トンネル内部にあるSOLG制御施設の破壊を行うという流れとなっている。この際に、バルトライヒ山脈の北側――すなわち現ベルカ領となるトンネルの出口側からも支援機が突入し、ラーズグリーズを支援するのだという。

 協力者のコードネームは『ハートブレイク・ワン』。この協力者への支援のため、ヴァレーからは一部の部隊をバルトライヒ山脈北方へと回す必要がある。

 

 もう一方の任務は、つい先ほど『アンドロメダ』が得た情報である。

 何とサピンの秘匿基地にて、形式不明の超大型機が出撃準備段階に入ったというのだ。通信傍受によると、その機体はオーシア首都オーレッドへの航路を取るのだという。情報分析により明らかとなったその正体は、サピンのレーザー列車砲『カリヴルヌス』とセットで運用されていた超大型双胴機『アークトゥルス』。『カリヴルヌス』が機能不全となり、レーザー中継機としての装備が無用の長物と化したため、代わりにミサイルや機関砲を大量に搭載したガンシップへと改造されたのだという。

 考えるまでも無く、その目的はオーレッドの空爆。あわよくばハーリング、ニカノール両首脳を会談前に亡き者にする積りだろう。肝心の和平会談が始まる前に空爆が行われてしまえば、憎しみの連鎖は続き、終戦への努力も水泡に帰しかねない。よって、『アークトゥルス』追撃も必ずや成功させる必要がある。

 本件は情報を得てすぐさまサピン側へも一報を入れたが、十数分が経った今も返答はまだ届いていないのが現状だった。

 

 すなわち大詰めのこの段階になって、戦場はスーデントール北方、敵増援の阻止、そして『アークトゥルス』追撃へと三分されたのである。

 

《無理を言っているのは重々承知で、敢えてお願いする。可能な限り戦力を出し、力を貸して欲しい》

「…可能な限り、たって…」

「PJ、こっちの頭数は?」

「……今朝の時点で25名です。単純割りで、一目標につき8名」

「いや無理だろ…」

 

 絶望に満ちた誰かの言葉が、重石のように皆の腹に沈んでゆく。

 単純に言えばそれぞれ2飛行隊で向かう計算だが、まさか三国から出るスーデントール増援の飛行隊が最低でも4飛行隊より少ないことはあるまい。『アークトゥルス』追撃に関しても、サピン領空を横切らなければいけない以上、サピン軍とのゴタゴタも考慮しなければならず、確実性があるとは言い切れなかった。

 

「ピーター様、バルトライヒ山脈北の敵戦力はどの程度か、判明はしておられますか?」

《スーデントール方面と比べると少ないようだが、地対空ミサイル(SAM)を中心とした対空陣地の他、護衛機の存在も確認されている。友軍はバートレット…もとい『ハートブレイク・ワン』以外にもユーク軍機が数機合流する予定だ》

 

 画面の向こうでは、ノイズ交じりの画面の中に該当地域の地図が映し出されている。

 水路が走り大きく開けたスーデントールとは対照的に、こちらの平地は猫の額のように狭い。要所要所に設置された対空陣地は攻撃しがたい位置に巧妙に設けられているものの、これならばある程度機数を減らしても対応可能なようにエリクには見受けられた。問題は護衛機の種類と数だが、主戦場が南になることを踏まえると、そう多くは割いてくるとは思えない。

 

 頭の中で戦術を組み、武装を合わせてゆく。

 『クフィルC10』でないのが残念だが、状況を考えればYaK-38Mでもできないことはないと判断された。

 

「よし、トンネル出口の方には俺が行く。あと2人ほど連れて行かせてくれ」

「エリク様…!?しかし、たった3人では…」

「こっちには友軍もいるんだし、増援阻止に戦力を割いた方がいい。第一俺の『フォージャー』じゃ空戦に出ても足手まといだ」

「そういや三日月のは『テュールの剣』攻撃でも対空陣地攻撃の経験があったもんな。確かに適任か」

「となると、あとは2戦場に20人を割く訳だが。…それでも少ないな…」

 

 レイモンドの肯定の言葉に場が落ち着くも一瞬、続く傭兵の一言に再び空気が沈む。何せ目標は大編隊が予想される増援の阻止に加え、怪物機と評していい『アークトゥルス』の撃墜なのである。間近に巨体を見たことはあるが、護衛も就いているであろうあの巨人機を、わずかな機数で墜とせるとは到底思えない。

 

 動き始めた空気が再び停滞する。澱のように言葉が澱む。費やす余裕のない時を、沈黙は否応なく食い潰してゆく。

 廊下、走り寄る音。それはやがて扉を打ち、声となって空気を破った。

 

「失礼します。たった今、サピンの空軍基地より秘密裏に電文が入りました。サヤカ様宛てと、エリク様宛て1通ずつです」

「俺にも?」

「…!ありがとうございます。助かりました」

 

 ついと席を立ちあがり、サヤカは通信兵らしい若い兵士からもぎ取るように電文を受け取る。集った皆の前で開いたそれには、白地にさっぱりとした簡潔な文章一つ。

 

《発:サピン王国空軍第7航空師団第19戦闘飛行隊長 ニコラス・コンテスティ少佐

 

『さぴんノケツハさぴんデ拭ク。任サレタシ』

 

宛:ルーメン・メディエイショナル・エージェンシー サヤカ・タカシナ殿》

 

「これは…!」

「『アークトゥルス』はサピンで追撃するって事か?…このニコラスって奴、信用できるんだろうな?」

「多分大丈夫だろう。あれはこういう時に嘘を付ける人間じゃない」

「詳細は後程確認致しますが…いずれにせよ僥倖でございます。これならば、戦力を全てスーデントールへの増援阻止に投入できます」

 

 受け取った電報を手にしたまま、エリクもサヤカの言葉に首肯した。

 10ずつの分散から、20の一斉投入へ。足し算の上では答えは同じだが、戦場ではその結果は必ずしも同一ではない。一群が大きければ大きいのに越したことは無いのだ。

 

《サピンの協力が得られるとは。流石はサヤカ女史、御見それしたよ》

「うふふ。わたくし皆さまを希望で照らす太陽でございますので」

《?…ともかく、そちらの戦力配分は一任しよう。こちらは以降、ラーズグリーズへの支援に注力する。『アンドロメダ』の解析情報も逐次送るから、通信には注意してくれたまえ》

「了解しました。――では、整理致しましょう。まずバルトライヒ山脈北方、敵陣地への攻撃はエリク様を中心とした3機」

「おう!」

「スーデントールへの増援阻止に関しては、各基地の位置を考慮しますと――ここ。『円卓』上空が最適と判断されます。こちらはパスカル様を指揮官とした計22機。『円卓』上空に展開し、レクタ等三国からスーデントールへ至る敵増援を阻止します」

「了解しました」

「最後に、『アークトゥルス』追撃はサピン空軍のニコラス様ほか。念のため、ピーター様からオーシア首都防空部隊へもご連絡をお願いしたく」

《ああ、もとよりその積りだ。――ここが正念場だ。私は後方にいることしかできないが…皆、どうか、頼む》

 

 モニターの向こうで、頭を下げるピーター参謀。

 苦笑いする者、頭を掻く者、やれやれなどと口にする者。傭兵らしい斜に構えた反応の数々だが、その表情に先ほどまでの絶望に染まった影はもはや滲んでいない。

 今までは、一寸すら見えない暗闇だった。だが今は、細いがはっきりと一本の道が見える。ならば、その道を一心に目指す以外に無い――そう、皆が本能で知っているかのように。

 

 笑い合い、冗談を飛ばし合いながら、兵士たちは場を後にし自らの愛機の元へと向かってゆく。席順の関係で、後に残るのはサヤカとパスカル、そしてエリクの姿。

 

「パスカル大尉」

「はい?」

「必ず、お互い生きて還ろう。あんたみたいなエースが、ウスティオには…世界には必要だ」

「あはは、それほど私に大した価値があるとは思いませんが…でも、そうですね。この戦争が終わったら、やってみたいことも色々あります。叔父が好きだったというポロも、習ってみようかな…なんて。いずれにせよ、こんな所では死ねません。…エリクさんも、どうかお気を付けて」

「ああ。ありがとう」

 

 爽やかな笑顔を残し、パスカルは踵を返して部屋を後にする。本心を語ったエリクの言葉を、そのまま呑み込み背負ったような、エースらしい凛とした笑顔だった。

 脚を踏み出すエースを見送り、最後に顔を向けるのは、モニターの前に残ったサヤカの方。

 

「行ってくる」

「はい。お帰り、お待ちしております。エリク様」

 

 瞳と言葉を交わして、サヤカは笑顔で応じながら自身の下腹部を優しく撫でる。

 『…ばぁか』。

 その意を悟り、急にどぎまぎとした感情が胸に迫ったエリクは、その言葉を残して部屋を後にした。赤くなった頬を、廊下の寒気に漂わせながら。

 

 決戦、である。

 バルトライヒ山脈北方、スーデントール、円卓、そしてサピン。

 たとえ離れた戦場でも、これまでの縁が一つの理想へと向けて集い、戦いへと向かってゆく。分かたれた空は、今こうして、一つへと繋がってゆく。

 

 扉を開き、露天に駐機した自らの機体へと向かってゆく。

 空はあいにくの曇天、しかしながら、その道は明るい。

 

「エンジン回せ!『フォージャー』も出すぞ!」

 

 『信念ヲ胸ニ行ケ ヒトツナギノ空ヘ』。

 差出人の名すらない、朴訥とした電報の紙片を胸ポケットにしまって、エリクは声を張り上げた。


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