Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第36話 Return of the Demon

 鈍色の薄雲が太陽を覆い、周囲に聳える連峰を陰鬱なモノクロに染めている。

 

 気温、わずかに4℃。靴裏のアスファルトから体まで冷気が昇ってきたかのような寒さだが、これでも12月下旬にしては暖かい方なのだという。レクタの平地に育ち、真冬でさえ積雪はごくまれにしか見たことのないエリクには、到底信じがたい話だった。フライトジャケットの上にコートを羽織り、さらにマフラーまで巻いているにも関わらず、衣服の隙間から忍び込む冷気によって早くも体は音を上げ始めている。

 

 ああ、ヴィルさんの淹れてくれたココアが飲みたい。今日ばかりはミルク多めに、ストーブの効いた部屋で温まっていたい。

 不意に去来した叶わぬ願いを胸に押し込め、エリクは襟をかき合わせながら、冷たい空気を吸い込んで大きく吐き出す。立ち上る白い吐息は凍空に昇り、やがて鈍色の空に消えていった。

 

 時に、2010年12月27日。ウスティオ共和国東部の山岳地帯に位置する、ヴァレー空軍基地。対ラティオの最前線たるこの地に、エリクの姿はあった。

 

「レイモンド!何だよ久しぶりだな、10年ぶりくらいか?クロウ隊の頃以来じゃないか!」

「おう!あんたも生きてたか。…おおダニエル、元気そうじゃないか!フェンリル隊は健在か?」

 

 声へと視界を巡らせれば、集った人々の姿。大きく見渡せば、それは2人の人物を中心に、それぞれ二つの輪を描いているようにも見える。

 一方の人の群れの中心にいるのは、ガルム隊の2番機であるレイモンド・レッドラップ。かつて『クロウ2』を名乗っていた頃にこの基地に所属していた彼には知己も多いのだろう、人だかりの中でも親しげに言葉を交わしている。

 

「へー、あんたが今の『ガルム1』ね。エースパイロット部隊に異動になったって噂で聞いたけど。…えっ?あのPJの甥っ子!?マジかよ!」

「もしかして趣味ポロ?」

「基地に彼女いるとか?」

「この戦争が終わったらプロポーズ予定?」

「あの…ええと、皆さまのことは叔父パトリックからかねがね…」

 

 片や、ガルム1ことパスカル・ジェイク・ベケットは、怒涛の質問攻めに遭いしどろもどろ。少しずつあとずさりしながらも、変わらぬ実直な態度でそれぞれの質問に答えていた。

 レイモンド中尉に聞いた所、パスカル自身はこの地は初めてだというが、その叔父に当たる人物が15年前の戦争の際に所属していたのがこの基地なのだという。当時パスカルの叔父はムードメーカーとして親しまれていたらしく、現在でも当時の旧知が未だに多く残っていたのだろう。到着早々にパスカルがどやどやと囲まれる羽目になったのも、いわばその叔父の面影が成したものに違いなかった。

 

 多くの人々に囲まれる二人、時折上がる笑い声。

 その向こうに覗く影――ルーメン・メディエイション・エージェンシー(L.M.A.)のサヤカにちらりと目くばせし、エリクは密かに身を翻して人いきれからそっと離れた。意を察し、同じように輪を外れたサヤカと身を寄せたのは、駐機したL.M.A.の輸送機――C-1A『トレーダー』の陰。

 

「掴みは上々、という所でしょうか。ガルム1の再来として有名なパスカル様に、かねてからお知り合いも多いレイモンド様。信頼を勝ち取るには十分でございましょう」

「だが、肝心なのはこれからって話だろう。連中をさっさと説得して味方に引き入れないと、こっちが袋の鼠になる。俺も、今はほとんど戦力にならないしな」

「またまた、ご謙遜を」

 

 雑談もいいが、のんびりしている暇は無い。

 そう暗に伝えたかったエリクだったが、くすくすと微笑み冗談を返すサヤカは、さして不安を抱いているようには見えなかった。

 エリクも、自身が――正確には乗機が普段通りの状態ならば、サヤカと同じく楽観していた所だろう。今回のエリクの危惧の源は、まさにその点。すなわちC-1Aの傍らに駐機する、今回の乗機にあった。

 

 L.M.A.の所属コードを記した他は、灰色一色の無個性な塗装パターン。『ミラージュⅢ』よろしく半円のエアインテークと、寸胴な胴体の割に小さな主翼。そして小鳥の嘴を思わせる小ぶりな機首と、帽子の鍔を下げたようにやや前傾したキャノピー。

 YaK-38M『フォージャー』。ここヴァレー空軍基地へ赴くに当たり、エリクが搭乗してきたのは、本来の乗機『クフィルC10』ではなく、この機体であった。

 原因は、言うまでもなく先日のガルム隊救出作戦である。作戦上の齟齬で単機ベルカ残党の拠点を襲撃する羽目になったエリクは、無事作戦を成功させた代償に、機体に予想以上の損傷を被る結果となってしまったのだ。大きな怪我を負わなかった事が奇跡的なほどに『クフィル』が受けたダメージは大きく、しばらくの間作戦行動はままならない状態となっていた。

 

 しかし、当面対ベルカ残党戦は続く以上、戦力の空白を開ける訳にはいかない。

 その点を考慮したL.M.A.が用意した機体こそが、このYaK-38Mであった。出自はといえば何ということはない、先のグラティサント要塞跡地強襲に際し、中央部『エリア・ウォール』に駐機されていた1機を海兵隊『シーゴブリン』が奪取したものである。

 幸い、L.M.A.は傭兵やラティオ向けに同機の部品調達を請け負うことも多く、それ相応に余剰も蓄えている。若干の出費さえ惜しまなければ、飛行可能な状態に回復させることはけして不可能ではなかった。

 

 だが、限られた時間で慣熟すべくエリクは飛行演習を繰り返したものの、乗れば乗るほどにエリクは不足を感じずにはいられなかった。一言で言えば、機体が『重い』のだ。

 

 原因は、垂直離着陸(VTOL)機黎明期に開発されたがゆえの、『フォージャー』特有の構造にある。

 と言うのも、外見や機能が似たAV-8『ハリアー』シリーズは同一のエンジンが離着陸と飛行時の推進力を賄うのだが、『フォージャー』の場合は垂直離着陸に用いるエンジンと飛行に用いるエンジンがそれぞれ別々なのである。言い換えればメイン出力を担うエンジンの他に『垂直離着陸にしか使わない余分なエンジン』も抱えているということであり、これが原因となって機体重量の増加、ひいては運動性や搭載能力の低下をもたらしているのであった。

 結果、最高速度は遷音速がせいぜい、旋回性能も良いとは言い難く、制空戦闘は極めて困難。高速戦闘を得意とするエリクにとって最重要項目である加速性能に至っては、その自重と非力なエンジンの影響で悲惨の一言に尽きる。肝心の兵装も、火器管制システム(FCS)を持たないため短距離用の赤外線誘導式空対空ミサイル(AAM)しか運用できず、高速・軽快なデルタ翼機に慣れたエリクにとっては極めて扱いの難しい機体であった。『クフィル』が修復されるまでの間に合わせの機体とはいえ、これではエリクならずとも不安を覚えるのは道理であろう。

 

「ともかく。急ぐ必要があることには変わりない。例の作戦(・・・・)のためにここで素早く味方をかき集める必要がある。ここでしくじれば、全部なし崩しだ。…そうだろ?」

「はい。そのために、私たちは彼らをここまで送り届けたのですから。あの円卓の鬼神の再来、PJ…パスカル様にこの地で()を振って頂き、本物の『鬼神』になって頂くために」

「なら、そろそろ切り上げさせた方が良くないか?このままじゃ埒が…」

「大丈夫、大丈夫でございます。…ほら、噂をすれば。パスカル様が始められるみたいですよ?」

 

 サヤカの言葉に応えるように、機を見計らったレイモンドが大きく手を打ち鳴らして、一同の注目を集める。翼の陰から身を屈めてそちらを見やると、どこから持ち出したのだろうか、空きコンテナを台代わりに、一段高い所から周囲の傭兵を見下ろすパスカルの姿が目に入った。緊張した面持ちだが、その目の奥は落ち着いている。

 来歴、エースとしての立場、そして己に集う信望。そのすべてを呑み込んで、成すべきことを宿した瞳が、そこにはあった。

 

「皆さん、しばし聞いて下さい。お伝えしたいことがあります。この戦争の真実。そして、愛する祖国や、周辺諸国の未来について。…私は――」

 

 さながら演台に立つ俳優のように、静まった舞台を前にしたパスカルが口を開き始める。作戦の第一段階は、彼の口によって今口火を切られたのだ。

 エリクはその声に耳を傾けながら、目を閉じてしばし脳裏に反芻した。

 オーシアとユークトバニアの致命的な対立。それのみならず、周辺諸国で煽られた戦火。それらを鎮め、ベルカの策謀を打ち砕くための作戦。その全貌を――。

 

******

 

「という訳でして。パスカル様には、アイドルになって頂きます」

「…は?」

 

 突拍子もないサヤカの言葉に、3人の男が素っ頓狂な声を上げる。

 

 時をしばし遡り、2日前に当たる12月25日。世間がクリスマスで賑わうこの日、L.M.A.社屋の小会議室にはサヤカとエリク、そして無事救出されL.M.A.に保護されていたパスカルとレイモンドが集っていた。

 ベルカ残党の策謀を阻止するべく、今後はどう動いていくべきか。その協議の真っ先に飛び出たのが、先のサヤカの言であった。

 

「……あの、すみません。理解が追いつかないのですが…」

「…なあ三日月の。このねーちゃん意味が分からないんだが」

「じき慣れますよ、だいたいいつもこんな感じですから」

 

 きょとん、と困惑気味に目を丸くするパスカル、不審者を見る目を隠そうともしないレイモンド。そして諦め…もとい悟ったように目を細めるエリク。三者三様の反応ながら、それらからは共通して目の前の女を理解できないという思いが滲み出ている。

 

 にっこり。

 まずは掴みはばっちり、そう言わんばかりに笑んだサヤカは、一同を巡り回してから口を開いた。

 

「失礼いたしました。アイドルと言うのは、その本来の意味である『偶像』になって頂くという意味。言い換えれば、手っ取り早く反ベルカの戦力をかき集めるべく、パスカル様には名実ともに『ガルム』になって頂きます」

「…どういう意味ですか?」

「順を追ってご説明いたしましょう。まずは、この数日、水面下で起こっている出来事から」

 

 くすくす。目を細め、口元を隠すように微笑むサヤカの様に、エリクは思わず蠱惑的な印象を受けた。知る者が知らざる者に知を与える優越感、それだけでなく、男の命運を掌にして楽しむような微笑み。年齢差による余裕もあるのだろうが、殊年少であるパスカルとの会話の際には、そのような印象が時折透けて見えて来る。

 

 口を開いたサヤカは、まず今に至る背景――12月19日のガルム隊救出以降の経緯から説明を始めた。

 最も大きな動きは、空母『ケストレル』に拠っていたオーシアのハーリング大統領が、満を持して海兵隊とともに首都オーレッドへ帰還したことである。目的は、言うまでもなく終戦に向けた大統領としての権限の回復。すなわち主戦派の副大統領や議員、ベルカ残党の意を受けた関係者を拘束し、行政府としての足場を固めることであった。ハーリング大統領の首都帰還は12月22日の夜陰に乗じて行われ、25日現在では若干の混乱を来たしつつも、概ね主導権の奪還は成されつつある現状にあるという。

 

 もう一つの動きとして言及されたのは、ユークトバニアの元首であるニカノール首相の救出に成功したことである。オーシア同様、ユークトバニアでも穏健派のニカノール首相が監禁され権限を奪われていたのだが、これを察知したユーク穏健派将校はレジスタンスや協力者と連携して解放を画策。ラーズグリーズ隊にも協力を仰ぎ、12月23日の払暁にはニカノール首相の救出に成功したという。

 現在ニカノール首相は空母『ケストレル』にあり、ハーリング大統領の足場固めが終わり次第首都オーレッドに向かう予定となっている。オーシア首都のオーレッドで両首脳が会談するとともにベルカ残党の策謀を暴露し、一気に終戦まで持ち込もうというのが、『ケストレル』に拠る一同が描いた絵図であった。

 

 当然、東方諸国で起こっている三つ巴の代理戦争も抑えなければ、本来の意味での終戦とはなりえない。それに向けても事態は既に動いており、ユークトバニアは前述の穏健派将校らの手でいち早く首都を制圧。同時に東方諸国の同盟国であるラティオおよびファトへと連絡将校を派遣し、水面下で停戦に向けた合意形成を行っているという。またサピンに対してはL.M.A.からサピン傭兵のカルロスへ、カルロスから正規軍のニコラスへ、ニコラスから軍上層部へと徐々に情報が伝達され、事態を静観しているとのことだった。ベルカ残党の動きが鈍いのが些か不安ではあるが、ともかくも事態は収束へ向けて急速に動いていると言っていい。

 

「ところが、オーシア同盟のウスティオとレクタに対する働きかけは、現状あまり進んでおりません」

 

 論調をそう一変させながら、サヤカは続ける。

 理由は単純、ハーリング派がオーレッドの制圧に手間取ったため、同盟国に働きかけを行う時間的余裕が無かったのである。25日時点ではコンタクトを取り始めているようだが、現場の部隊まで終戦の意思が下りるのは当分先になると判断せざるを得ない。一方の勢力でのみ終戦に向けた意思形成ができていないというのは、一歩間違えれば全てが台無しになる危険すらも孕んでいる以上、呑気に待つのは得策ではないと判断された。

 

「そこで、『ケストレル』のピーター様の案を元に、この作戦が考案されました。カギは15年前の英雄、ガルム1こと『サイファー』の伝説。そしてパスカル様の存在です」

「私の…?一体どういうことですか?」

「エリク様。『サイファー』…ガルム1はご存知ですね?」

「?…ああ、まあ人並みには。15年前の戦争で敗色濃厚だったウスティオを立て直し、ベルカを押し返して勝利に貢献した伝説の傭兵、だろ?なんで今更…」

 

 話の矛先が向きどきりとした様子のパスカルをよそに、サヤカは唐突にエリクへと話を振る。

 『サイファー』という名では今いちピンと来ないが、ガルム隊としてならばエリクも一般常識やロベルト隊長からの話の中で聞き知っていた。もっとも当時のガルム隊はいずれも消息知れずであり、今のガルム隊が当時の人間と違うことは周知の筈である。感慨としては何を今更、というのが正直な所であった。

 

「そう、言わずと知れた対ベルカ戦争を勝利に導いた伝説の傭兵。それが『ガルム1』であることは、レクタ人であるエリク様もご存知です。まして、ウスティオの人々にとっては近しい記憶であり、その印象はより鮮烈なはず。それならば」

 

 そこで言葉を一旦切り、サヤカは一同を見渡した。

 不信感も消え、食い入るようにサヤカを見つめるレイモンド。熱を帯び、頬を紅潮させるパスカル。エリクもまたサヤカの狙いに思い至り、掌に汗が滲むのを禁じえなかった。

 サヤカの、ピーター参謀の狙いは、つまり。

 

「――それならば、パスカル様がヴァレー空軍基地に降り立ち、直接ウスティオ軍の前でベルカ残党の策謀を暴いて、対ベルカ残党戦の協力と諸国との停戦を呼びかければ。それは人々に15年前の伝説を想起させ、意思を一つにする強力な力となりうるのではないでしょうか」

「……つまり、私が名実ともに『ガルム』になる、というのは…」

「そう。パスカル様は『ガルム1』の名そのままに、ウスティオを支えるエースパイロットと言う存在から、伝説を再現し、人々の力を結集させるための『象徴』になって頂きます」

 

 『いかがですか?』

 そう続けたサヤカに、パスカルは息を呑んで俯いた。

 

 ――あまりにも、酷だ。

 エリクはそう不安を覚えざるを得ない。自身にも覚えのあることだが、名声を背負うエースという立場は、ただでさえ重圧がかかるものである。その戦果が大きくなるほど、その信望が大きく膨らむほどに、その重みは加速度的に増えてゆく。レクタという小国の一エースでさえそうだったのだ。あまつさえ伝説の名を継ぎ、精強を以て知られるウスティオを牽引するパスカルが、さらに『象徴』という重圧を背負ってしまえば、そのまま潰れてしまうのではないだろうか。ようやく20を越したばかりのパスカルには、あまりにも残酷な役割である。

 

「サヤカ、いくらなんでもそれは…」

「いえ。やらせてください、サヤカさん」

「…パスカル大尉!?」

 

 抗弁しかけたその矢先、続いたのは芯のあるまっすぐな声。

 顔を上げ、サヤカを見据えるパスカルの目は痛々しいほどに真摯さを宿し、迷いの陰すら纏ってはいない。

 

「『ガルム1』を名乗って戦ってきた以上、これは私にしかできない役割です。私にはその責任がある。…叔父は先代『ガルム1』を敬愛し、最期には身を挺して彼を護り、散っていったと言います。その『ガルム1』という存在に私がなれるのです。…光栄なことだと思います」

「PJ…。ったく、馬鹿だお前は。そんな馬鹿正直な所まで叔父さんに似やがってよ。――馬鹿だぜ、本当…」

 

 言葉とは裏腹に鼻をすすり、涙を拭うレイモンド。パスカルの言葉に先代や叔父の面影を見たのだろうか、そのまま言葉を詰まらせ、しばらく声にはならなかった。15年前のガルム隊を知り、そして今も僚機の血縁を知る数少ない存在のレイモンドには、思う所もきっと大きいのだろう。覚悟を決めたパスカル、面影に胸を詰まらせるレイモンドを前にすれば、エリクにはもう語る言葉は無かった。

 

「では、決まりですね」

「ぐす…。あ、ちょっと待ったねーちゃん。何でヴァレー空軍基地なんだ?俺たちの元の所属はモリスツェフ空軍基地だ。知り合いが多いし、そっちの方が糾合するのも簡単だろ?」

 

 言葉の合間に勢いよく鼻をかみながら、レイモンドが疑問を口にする。言われてみれば、確かに二人はヴァレーと縁は無い。地理的にベルカに近いのは確かにヴァレーだが、その他にも理由があるのだろうか。

 

「いいご質問です。理由は大きく分けて3点でございます」

「3つ?」

「はい。一つには、モリスツェフと異なり、ヴァレーは傭兵を中心とした空軍基地でございます。指揮系統に絡まれる正規軍と違い、傭兵でしたらある程度の裁量で独自行動が可能ですから、いち早く戦力を集めるには妥当な拠点だと判断されたためでございます。二点目には、ヴァレーは先代『ガルム隊』の本拠地であり、その伝説の始まりの地でもあります。ここでパスカル様が旗を揚げることは、折しもガルムの伝説をなぞる結果にもなり、皆さまの思い立ちもきっと違ってくることになりますゆえ」

「なるほど…。最後の一つは?」

「はい。それは、ガルム隊の伝説を飾るとある機体が、ヴァレー空軍基地に眠っているためでございます。先代が去ってからも、丹念に整備と維持が続けられ、ガルムの再来を待つ機体。パスカル様には、ガルムを『ガルム』たらしめる、その錦の御旗を振って頂く必要があります」

 

 サヤカによって説かれる、ヴァレーに眠るという機体の来歴。さながら王者を選定する剣のような、伝説の中の逸話にも似たものだが、それでもエリクは名状しがたい胸の高鳴りを覚えた。まるでそれは、パスカルの――ガルムのためにしつらえられた舞台のようではないか。

 

 汗が滲み、喉が渇く。

 暖房の効き過ぎだろうか。ふと、エリクはそう思った。

 

******

 

 日を跨ぎ、12月28日朝。

 前日から一転し、快晴の清々しい天候となったが、そこここで傭兵たちと話し合うパスカルやレイモンドの顔は明るくない。真冬にも関わらず汗を流し、焦りが滲むその相貌は、計画が予定通りに動いていないことを如実に物語っていた。

 

 率直に言って、状況は思わしくない。

 ベルカ残党の策謀を暴露し協力を募ったのだが、協力を申し出たパイロットはヴァレー基地の1/3にも満たないのである。

 それとなくエリクも聞きまわってみたものの、理由は様々だった。

 曰く、そもそもベルカ残党とかいう陰謀論が信じられない。曰く、仮に本当だった所で、何で契約外の仕事までやる義理がある。曰く、先代のガルムはあんな奴らよりもっと凄かった。俺は連中を認めていない、等々。俄かには信じられないという理由こそ多いものの、その原因が様々なのが厄介だった。

 結果、全体に対する演説では効果は薄いことを二人も実感。昨日夕刻以降は個別への説得に切り替え、今日も朝から話し合いを続けているという状態であった。

 

 アスファルトを踏み、滑走路の端を歩いて、エリクは駐機したC-1Aへと向かう。

 積み荷を降ろしがらんどうとなった機体。そのコクピットへ続く扉を開くと、通信機を前に、レシーバーに耳を傾けるサヤカの姿があった。思わしくない状況であるにも関わらず、不思議にもサヤカの顔には焦りは見られない。

 

「どうだ?」

「変わりなし、でございますね。うんともすんとも、お返事はございません」

 

 今は、ただ時間がない。

 ガルム隊二人の説得がなかなか進まない状況を見て取り、サヤカは今朝から、通信機を介した周辺基地への呼びかけも始めていた。エリクは止めたのだが、サヤカは『大丈夫です』と言い張り強行してしまったのだ。表には表れないながらも、サヤカも内実焦っていたのだろうか。

 結果はこの通りである。何の説明も根回しも無しにベルカの陰謀を説いた所で、風説として処理されるのがオチだった。

 何よりエリクが危惧したのは、この通信を受けたベルカ残党が、こちらを襲撃に現れることだった。味方が集まっていない以上、数で押されれば戦力の少ないこちらは一たまりもない。その理屈はサヤカとて重々分かっているのだろうが、それにも関わらず、呼びかけを止める素振りは見られなかった。

 

「もうその辺にしておけ。これ以上やると、こっちが危ない」

「いえいえ、ご心配なく。全てうまくいく筈でございます」

「お前な、一体何の確証が…」

「…!お静かに」

 

 業を煮やし、サヤカのレシーバーに手をかけようとしたその矢先、エリクの眼前にサヤカの人差し指が立てられた。一転して意志の強さを感じさせる一文字に閉まった唇に、エリクもぐ、と言葉を飲み込む。

 雑音が強まってしばし、通信を震わせたのは男の声。

 ――それも招かれざる、最悪の声だった。

 

《ヴァレー空軍基地に告ぐ。こちらは第8494部隊所属、『ガルム1』。貴基地にガルム隊を名乗る偽物が降り立ち、盛んに風説を流布しているとの情報を受けている。即刻当該集団を拘束し、当方に引き渡されたし。対応なき場合ヴァレー空軍基地は反乱を企図したとみなし、空域到達とともに攻撃を開始する。繰り返す…》

「お…おい!これ…!」

 

 通信の内容に、エリクは思わず絶句する。

 ガルム1――正しくはガルムを名乗るベルカ残党の偽物。間違いない、サヤカの通信を傍受し、こちらを芽のうちに潰すべく速攻を仕掛けて来たのだ。その言から察するに、じきにこの基地まで到達するのに違いない。

 

 言わんこっちゃない。

 言外のその思いが体を動かし、言葉一つ発しないサヤカの肩を掴むエリク。しかし、それに応じるようにこちらを振り向いたサヤカの顔には、ぞっとするような微笑が浮かんでいた。――全て、織り込み済み。そう、口にするように。

 

「エリク様、『フォージャー』のエンジンに火を入れて下さいませ。彼らは、じきにこちらへ到達します」

「……お前、まさか。連中をおびき寄せるために、わざと…」

「説得が効果を得られない以上、あとはヴァレーの方々に、現実を見て頂く必要がありますから。私は司令部に赴き、通信を拡声器に繋いで頂くようお願いして参ります。エリク様にはパスカル様が『例の機体』で出撃されるまで、上空護衛をお願いしたく」

 

 淡々と、そして冷静にやるべきことを口にするサヤカの様に、今度こそエリクはぞっとした。

 つまり、全てはサヤカの策。ガルム隊復帰の情報を受けて真っ先に飛んでくるのは偽ガルム隊と読み、それをヴァレー空軍基地の上空で『本物の』ガルム隊が叩き潰す――そのためのお膳立てだったのだ。上空で繰り広げられる『現実』は、パスカルらが語る真実の信憑性を確かに高めるに違いない。

 

「全く、怖い女だな。あんたは」

「お褒めのお言葉光栄でございます。それでは、委細よろしくお願い致します」

 

 呆れたように、感心したようにふっと笑い、エリクはC-1Aのコクピットを後にする。基地のオペレーターが拡声器で緊急事態を告げる中、エリクがいち早く向かうのは、傍らのYaK-38Mの操縦席。

 機器類、電源オン。エンジン、暖気を開始。間に合うかどうかは正直ギリギリという所である。

 武装は胴体下の外付け式23㎜ガンポッド、他にはAAMが2発のみ。偽ガルム隊の機体がF-35A『ライトニングⅡ』であったことを踏まえると、もとより撃墜は望めない。やはりパスカルが上がるまで、時間を稼ぐのが唯一の手という所だろう。

 

「エリクさん!」

 

 機外に響く、蒼い声。コクピットから見下ろしたそこには、フライトジャケットを身に着けたパスカルの姿があった。遠巻きにはこちらに何事かを叫ぶウスティオのパイロットが数名と、その前に立ちはだかり宥めるレイモンドの姿も見える。ウスティオのパイロット同士が何やら言い合いをしている様も捉えられ、ヴァレー基地としての対応が固まり切っていないことを如実に物語っていた。

 

「敵が来る!パスカル大尉、急いで例の機体の所へ!俺もこんな有様だ。連中を落とせるのは、あんたしかいない!」

「…10分、いえ5分下さい!すぐに駆け付けます!」

「了解!――今から上がる、機体から離れて!」

 

 キャノピーを閉じ、パスカルが機体から離れるのを見計らって、エリクは機体を滑走路へ侵入させる。基地のオペレーターに確認するまでもなく、他にタキシングに入っているウスティオ機は見当たらない。

 

「こちら『ハルヴ』、離陸する!」

《あ、おい、ちょっと待…!》

「上がるぞ!」

 

 オペレーターの声を振り切るように、『フォージャー』が重い機体を徐々に加速させてゆく。回転計が数字を刻み、左右の遠景が後方へと飛んでゆく。

 

 浮遊感。

 主脚収納、加速と急上昇。遥か後方、眼下ではレイモンド達が建物の影へと走り去り、パスカルの小さな体が一番端の格納庫へと駆けていくのが見える。

 基地上空で旋回し、鼻先を向けるのは西。すでに6つの機影が見える、白い山脈を超えた空。

 

《ヴァレー空軍基地を離陸した民間籍のYaK-38に告ぐ。ただちに武装を解除し針路090へ変針せよ。指示に従わない場合ただちに撃墜する。これは警告である。ただちに…》

「さて、何とか5分持たせなきゃな。どうしたもんか…」

 

 迫る6機を前に、エリクは一人ごちる。普段の『クフィル』ならまだしも、『フォージャー』で6機相手に5分も持たせるのはいくらエリクでも至難である。かといって逃げ回ってばかりでは、サヤカやパスカルらに攻撃が及ぶことになる。パスカルの存在が作戦の要である以上、それだけは避けなければならない。

 

 エリクは通信機のダイアルを操作し、先の通信へと周波数を合わせた。

 応用するのは、かつてカルロスとニコラスが用いていた戦法。まっとうに組み合っては勝てない以上、敵を挑発し引き付け、弾と時間を浪費させるに尽きる。

 

「久しぶりだな、偽ガルム隊。…いや、この際ベルカの亡霊殿とでも呼ぼうか?」

《何…!?》

「だが、もう手遅れだ。本物のガルム隊があんたらを打ち倒し、この馬鹿げた戦争を終わらせる。下らない逆恨みもここまでだ」

《――投降の意思無しと判断。各機、交戦を許可する。奴を殺せ!》

 

 放たれた殺意は、そのままミサイルアラートへと変わり殺到する。

 正面、6発。距離から判断しておそらくセミアクティブ空対空ミサイル(SAAM)。母機のレーダー誘導を利用した誘導性能の高さが売りのミサイルであり、生半可な回避機動では振り切ることは叶わない。

 

 しっ。

 舌打ちするように短く空気を吐き出し、操縦桿を前へと押し倒す。同時にフットペダルを深く踏み込み、エリクの『フォージャー』は出せる限りの速度で緩降下へと入った。進路は変わらず正面からの相対。速度を伸ばし、かつ山肌に衝突しないぎりぎりの角度でもって、ミサイルの下方をすり抜ける紙一重の針路。

 

 ミサイルアラートの間隔が詰まる。頭上から降り注ぐようにSAAMが近づく。

 上より弧を描き、迫るは6連。

 片や機体は重い。

 加速は遅い。

 伸びろ。もっと、伸びろ。

 

 山肌を抉るように降下した機体が、衝突寸前に機首を上げる。

 こちらの尾を捉えるように曲線を描いたミサイルは、『フォージャー』の尾部を掠めて次々と擦過。近接信管による爆炎を後方に刻み、無数の破片を『フォージャー』の尾部に刻み込んでいった。

 

《躱した!?》

「くそっ…!遅い!」

 

 頭上を入れ違う敵編隊の下方で、操縦桿を手前に引いて旋回する。

 やはり、遅い。自重の重さから来る初速の遅さは致命的ですらある。旋回もやはり鈍く、ようやく180°を回った頃には、既に敵は3手に分かれて反復攻撃の針路に入りつつある所だった。扱い慣れた『ミラージュ』シリーズと同じ機動をしていては、確実に5分も持たないに違いない。

 

「とは言っても、どうすれば…くっ!」

 

 迫る敵は、右、左斜め上、真上大回り、各2機ずつ。第一波の右の2機に対し、エリクは機体を傾けて山の稜線に隠れ、その射線を遮断。ミサイルの射界に捉えられる前に、その矛先を危うく躱した。

 間髪入れず、迫る第二波は直上、F-16XLが2機。旋回すれば横腹を晒し、上昇すれば速度が落ちる以上、直進のまま加速してやりおおせる他無い。

 上、左右。目を走らせ、フットペダルを緩めることなく踏み続けて、機銃の雨を回避する。二筋の光条はそれでも躱しきれるものでは無く、右翼に数発、弾痕が爆ぜた。

 

《同じ手は食うか!愚か者め!》

「――ちっ!」

 

 そして、その機動は完全に読まれていた。こちらの加速を見越し、第3波の2機が、左斜め上からこちらの予測進路目掛けて降下して来たのだ。

 探るまでもなく、その機影は間違いなくF-35A。それも片や両主翼端を蒼く、片や左翼端を赤く切り欠いた、ガルム隊の塗装で身を彩った2機である。その機首方向はこちらの直進方向と明らかに直交している所からするに、射程に入ると同時にこちらの上面を狙い打つ積りに違いない。

 

 旋回は自殺行為。垂直推進機構は、咄嗟に使うには不安がある。

 くそったれ。

 エリクは口内に叫びながら、逆側のフットペダルを踏んで機体を減速。同時に機体を左にロールさせ、上に対する投影面積を抑えながら進路を維持した。

 

 殺到するミサイルが、機銃が、『フォージャー』の鼻先を掠めて爆発とともに山肌を抉る。

 直撃は避けた。しかしながら直近で爆発を受けた機体は無事では済まず、無数の破片がエリクの機体に襲い掛かった。金属と岩石が混ざった礫の嵐は、機体表面を引っかき、キャノピーに食い込み、機体を容赦なく傷つけてゆく。

 

「くっそおぉぉぉ!!」

 

 爆炎を抜け、動揺する機体をなんとか立て直す。

 まだ、何とか飛んでいる。しかし、キャノピーに生じた亀裂や土塊で傷だらけとなったその姿は、如何ともしがたい性能差を如実に物語っていた。上昇を封じられ、あらゆる性能で後れを取る以上、挽回の手は無いと言っていい。

 

 正面、2機。第一波を仕掛けたF-16XL。ヘッドオンからのAAMで、確実にこちらを仕留める位置取りである。

 ――挽回の手は無い。しかしそれなら、せめて1機だけでも減らしてやる。同じ短距離用AAMならば、正面から迫る敵機を落とすことはこの『フォージャー』でも不可能ではない。

 

 火器選択、AAM2基。正面、距離1300。

 来る。

 迫る。スマートな胴体に、二段階の角度を設けたダブルデルタの機影が迫る。

 正面から撃たれて、回避できるかどうかは分からない。だが少なくとも、せめて1機は落としてみせる。

 距離1100。

 もう少し。

 1000。

 あと一歩。

 950。

 あと、一瞬――。

 

「…っ!?」

 

 爆発。

 正面に唐突に割いた黒い花に、エリクは引き金にかけていた指を離して、咄嗟に操縦桿を左へと倒した。降り注ぐ破片が機体に爆ぜ、その下を『フォージャー』は潜るように抜けていく。

 

 AAMは――残弾2。やはり、俺は撃っていない。

 振り返った先には、翼を翻して回避行動を取るF-16XLの姿。そしてその背を追う、F-15C『イーグル』とF-104G『スターファイター』。識別反応、――ウスティオ機。

 

「…ウスティオ軍!」

《L.M.A.の『フォージャー』、生きてるか!?》

《基地の奴ら、尻ごんで機体に乗りすらしねえ。レイモンドの奴に昔ポーカーでの借りもあるしな、手貸してやるよ!》

「悪い、恩に着る!」

 

 灰色と銀色の2機が、左右に分かれて2編隊を牽制する。

 間違いない、数少ないパスカルらへの賛同者。おそらく基地側の制止を振り切って離陸したのだろう、増槽はおろかミサイルすら最小限しか積んでいないのが見て取れる。

 エリクは、それでも心から感謝の言葉を述べた。それは、ベルカ残党との戦いを胸にしてから初めて得られた、数少ない『友軍』だったのだから。

 

《傭兵風情が、血迷ったか!『ガルム2』、先にヴァレーの滑走路を潰せ!空は旧式ばかりだ、じきに叩き潰せる!》

《まずいな…!今は『ガルム1』が発進準備中だ!『フォージャー』のパイロット、奴を止められるか!?》

「止めるさ!」

 

 上空で互いに弧を描く両軍の中から、機影が一つ抜け出てヴァレーの方向へと向かってゆく。

 単発、尖ったエアインテークに菱形翼。そして、左翼を赤く切り欠いた塗装。間違いなく、偽ガルム2の『ライトニングⅡ』。

 ――行かせるか。

 

 エリクは空を見上げ、彼我の距離を確かめながら、再度深くフットペダルを踏みこんだ。

 高度差は概ね200。基地までの距離は同程度ではあるが、加速性能と速度差から、敵との距離は徐々に開き始めている。

 しかし、今は落とすことより、時間を稼ぐことが第一である。

 

 兵装は、引き続きAAM。

 F-35のステルス性能に妨げられ、ミサイルのロックオンが安定しない。しかしそれに安心しているのか、それともヴァレーを急いで叩くためか、敵は何ら回避行動を取っていなかった。

 それなら。

 エリクは敵機の斜め後方に位置取りながら、照準の端にF-35の姿を捉え、機首をわずかに上昇。

 ミサイルシーカーが敵機をロックオンするのを待たず、目視照準のままボタンを押した。

 

 放つは1発、やや間をおいてもう1発。

 ノーロックのまま放たれたミサイルに敵も気づいたらしく、敵は機体を左に傾け、最小限の機動で初発を回避。しかしその安堵ゆえか、それともステルスへの過信ゆえか。その回避先を見計らって放たれた第二射への対応が遅れ、それはより近い位置を擦過。近接信管の作動を引き起こし、F-35は爆炎と破片の中に包まれた。

 

《ぐ…!子供騙しを!》

「何とでも言え!とにかく、もう少しで…!」

 

 当然至近弾は至近弾であり、致命傷ではない。それでも爆炎と回避機動の誘発は相応の効果をもたらしたようで、F-35は直進を止め大きく左へと旋回。その間にエリクは加速を重ね、ヴァレー空軍基地を望む位置まで至りつつあった。

 

 滑走路には、既に滑走準備に入る1機の姿がある。

 ガルムの伝説を再現すべく、わざわざヴァレーまで来た目的の一つ。パスカルが駆っているであろうその機体を、エリクは目を細めて俯瞰した。

 すらりとした機首と、コクピット両側に設けられたエアインテーク。機体中ほどの切り欠きデルタ翼に、流線型を描いて尾部に至る小柄なシルエット。そして1枚の垂直尾翼を飾るガルムのエンブレムと、両主翼端を斜めに青く切り裂く塗装パターン。

 あの、機体は――。

 

『で、何だよそのガルムいわくの機体ってのは。相当な高性能機なのか?』

『うふふ、そう焦らないでくださいませエリク様。パスカル様、かの『サイファー』の乗機は何か、ご存知ですか?』

 

 脳裏に想起されるのは、2日前の協議での最後の話題。思わせぶりな発言を繰り返すサヤカに質問したところ、サヤカは勿体ぶりながらそう言ったのだ。

 

『え?ええと、記録によるところでは、『ガルム1』は一貫してF-15C『イーグル』に搭乗したと聞いています。かの『円卓』での戦闘、終戦後のテロ組織の制圧戦、そのいずれでも翼端を青く染めたF-15Cを駆っていた、と』

『その通り。…ですが、彼はベルカ戦争の初頭から、ずっと『イーグル』に乗っていた訳ではありません。お高い機体でございますからね。資料を紐解くと、どうやら彼はヴァレー空軍基地着任直後に爆撃機迎撃任務へ出撃。爆撃機6を含む多大な戦功を上げ、相当額の報酬を手にしたようです。戦場に青い翼端のF-15Cが見られるようになったタイミングを踏まえますと、着任前の貯蓄にその報酬を合算して、『イーグル』を購入したようでございますね。そう、最初に乗っていた機体(・・・・・・・・・・)から乗り換える形で』

『…まさか、その錦の御旗っていうのは…』

『その通りでございます。ヴァレー空軍基地に今も眠っているのは、『サイファー』の最初の愛機。ガルムの伝説を再現するのに、これ以上の機体はございません。そう――』

 

《F-5E『タイガーⅡ』、ガルム1、離陸します!》

 

 機体後方に生じる焔。

 青年の声とともにエンジンは咆哮を上げ、翼単を青く染めた『タイガーⅡ』はアスファルトの大地を徐々に進んでゆく。15年前と同じ凍空の下、15年前と同じく迫るベルカの機体を迎え撃つために。

 

《邪魔を!》

「――させるか!」

 

 旋回を終え、赤羽根のF-35が大きく弧を描いて滑走路の正面から『タイガーⅡ』へと狙いを定める。

 機体下部の弾倉庫を開き、ミサイルを放つその瞬間を見定めて、エリクは機体を旋回。正確な23㎜機銃の曳光弾をその鼻先に叩きこみ、敵の視界をしばし幻惑した。

 

 F-35からミサイルが放たれる。

 焔を帯び、直進する鏃。しかし曳光弾の幻惑によってそれはわずかに上を向き、ほんの数°、狙いを外れる。

 鋭く飛翔するその下を、青翼の虎は這うように潜り抜け、滑走。滑走路上の後方に爆ぜた炎を振り切るように、『タイガーⅡ』は15年ぶりのウスティオの空へと舞い上がった。

 

《外した…!?》

「こっちはもう限界だ。ガルム1、あとは頼む」

《了解!――後は、お任せを!》

 

 F-5Eが機体を捻りながら急上昇し、揚力を帯びながら直上で旋回する。対する赤羽根は、斜め下方。直上から仕掛けるガルム1をやり過ごし、高度を失った所を仕留める積りと伺い知れた。

 

 性能差は歴然。それにも構わず、ガルム1は直上から背面のまま降下。それに対し、赤羽根は進路を維持したまま加速し、F-5Eの射程に入るより早く射界を超えるべく滑走路上を抜けていく。

 ――逃げられる。エリクがそう感じたその瞬間、ガルム1は急降下のまま機体を右ロール。逃れる赤羽根を追い詰めるように姿勢を変え、機体を引き起こして一瞬でその後方に就いたのだ。

 

《な…!?馬鹿な、これがタイガーⅡの機動か…!?》

 

 男の言葉は最後まで紡がれることなく、20㎜の掃射音にかき消される。時間にしてわずかコンマ数秒。高速機動中ではわずか一瞬と言っていいその間に、F-35はコクピットだけを正確に貫かれ、そのまま力尽きたように岩肌へと吸い込まれていった。

 

《が、ガルム2撃墜!》

《何をやっている、たかが旧式のF-5風情に!…黴臭い伝説も、ここで終いだ!》

 

 殺気と化した、声。ウスティオ傭兵の機体を突破したF-35から男の声が響くのと、その下部の弾倉庫からミサイルが放たれたのは同時だった。彼我の距離は目算で3000前後。おそらくは先ほどと同じSAAMと見て間違いない。

 狙いは、全てがパスカルのF-5E。実に3発を数えるそれに対し、パスカルは真正面に応じるや機体を急降下させ、ぽっかりと口を広げた谷底へと機体を向けた。

 矛先を逸らされ上空を抜けた3発は、母機のレーダー波に乗って反転しながらF-5Eの尾部を追尾し始める。先ほどのエリクのように下方を高速で抜けるのならばともかく、真後ろから追うSAAMはこの程度では回避しきれない。

 

 タイガーⅡ、ミサイル発射。何を思ったか、F-5Eは搭載していたAAMを2発、自身の下方を流れる雪原へと打ち放った。二つの炸裂は雪煙となり、小柄な機体を白い闇に覆い隠してゆく。入り組んだ山岳地帯で自ら目を閉ざすなど、元より自殺行為でしかない。

 『ライトニングⅡ』のパイロットは迂闊なその様を嘲笑し、哀れな雪煙の中にSAAMが次々と突入して炸裂する様を見下ろしていた。

 

 ――そしてその目は、直後に驚愕で見開かれることとなった。

 雪煙を矢のように抜けた機影が1機、谷を抜けて急上昇し向かってきたのだ。識別は、ウスティオ国籍のF-5E。視界に映える青い両翼端は、自らの機体とうり二つの塗装。

 ――円卓の鬼神の色。

 

《…なっ!?》

 

 真正面からの銃撃に火花を散らし、片方の尾翼を吹き飛ばされたF-35がぐらりと揺らぐ。

 衝撃でぐらぐらと揺れる視界の中で、彼は遅ればせながら、先のF-5Eの機動の意味を理解した。

 機動性ではSAAMを回避できないと見越し、『タイガーⅡ』はSAAMの誘導母機であるこちらの目を眩ます手を打ったのだ。すなわちAAMで雪煙を生み出して自身の姿を消し、その間に機体を加速。雪煙の下で密かに母機のSAAM誘導範囲を抜け、そのまま位置を晦ましてこちらを強襲したのに違いない。

 

 咄嗟の判断力、そして比類ない操縦技能。これほどの腕を持つパイロットが、何人もいるだろうか。

 

《だが…まだだ!我らの理想は、まだ…!》

 

 喉の奥から男は声を絞り出し、辛うじて安定させた機体を敵に向ける。

 ヘッドオン。距離にして1000、AAMはほぼ必中を期せる距離。

 機体下部から放たれた短距離AAMは、しかし目標を捉えることなく、敵機のバレルロールによって後方へと逸らされてゆく。

 

 真正面から迫る曳光弾の筋の中で、F-35のパイロットは確かに感じた。

 明らかにこれは只のF-5E、只のパイロットではない。この技量も、機体性能を感じさせない飛行も、15年前の空で感じた脅威そのままである。

 そう、まるで。

 

《――馬鹿、な。…まるで円卓の、鬼神、そのもの…――》

 

 機体両側のエアインテーク、そして中央のコクピット。正面から機体の急所を貫かれ、青翼のF-35は炎に巻かれながら、モノクロの大地へと堕ちていった。

 

 空気を揺らすのは、爆発の残響。撤退してゆくF-16XLの搭乗員の狼狽。地から空を見上げる者に声は無く、固唾を飲んで鬼神の再来を、青い双翼の『タイガーⅡ』を見守っている。

 

「鬼神、か」

 

 ひび割れたキャノピーの中から、エリクは地を見下ろして一人ごちた。

 地には、未だに濛々と煙る雪。そしてちりちりと燃え、横たわるF-35の残骸。曲りなりにもエースを模した最新鋭機を、パスカルはかすり傷一つ負わず仕留めて見せた。鮮烈なその戦績は、鬼神の再来と言っても何ら遜色は無い。

 

《――ウスティオの皆さん。勇敢なる諸国の皆さん。卑劣な策謀を打ち破るべく、悲惨な戦争を終わらせるべく、共に戦いましょう。――円卓の鬼神とともに!!》

「…確かに、こういうのを鬼神って言うんだな」

 

 空を見上げる人々は、拳を突き上げ口々に何かを叫んでいる。

 

 地表に対し、こちらの相対高度は300ほど。

 耳を済ませば、人々の熱狂が空にまで轟いて来そうな距離だった。


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