Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第33話 The shine in the dark

 北海の冷たい空気を纏った風が、轟々と渦巻きながら機体を絶えず揺さぶり続ける。

 

 バイザー越しに見図る限り、雲量はおおむね9。頭上を覆う曇天は、わずかに差し込む日の光すらも厚いベールで覆い隠してしまっている。

 片や眼下に目を向ければ、入り組んだ入江を持つ岩色の岸と、その足元を抉るように洗う激しい波。岩に打ち付け、弾けた傍から飛散していくその様を見る辺り、上空を吹き荒らす強風は海上でも変わらないらしい。12月も半ばを越したにしては珍しい、大荒れの天気と言って良かった。

 

「ったく、転職後の初仕事が、大時化(しけ)の海の上とは。幸先悪いったらないぜ」

《まぁまぁ、そう仰ってはいけませんよ、エリク二等特技官。禍福は糾える縄の如しと申します。何事もどう転ぶか分かりませんわ》

 

 思わず通信に漏らしたぼやきに、返されるは女の声。飄々と人を食ったような物腰で、さながら掌で人を弄ぶかのようなその口ぶりは、言うまでも無くルーメン・メディエイション・エージェンシー(L.M.A.)のサヤカ・タカシナのものだった。何か特別な発声法でも体得しているのだろうか、キャノピー越しに耳を苛む暴風の中でも、その声は残念なほど明瞭に耳へと届いてくる。

 とはいえ、彼女の言う通りだろう。これまでの経験を振り返るまでもなく、確かに何が自らの幸運に作用するかは分からない。サピンを離れ新たな門出を迎えた自身の運命と天候を結び付けること自体、もとよりナンセンスだと言えるだろう。

 

 ――さて。先日のサピンからの脱走劇以降、ここまでの足取りを補足しておく必要がある。

 

 自らの望む信念のため、サヤカの提案に従いサピンを脱走したのが4日前。ウスティオ軍とラティオ軍の交戦に紛れてラティオ領空を脱した後、エリクはL.M.A.が本拠を構えるオーシア領ルーメンへと降り立ち、正式にL.M.A.社員となる手続きを受けた。この際に肩書も改められ、中尉相当官となる二等特技官を名乗ることとなったのである。

 後に聞いた所によると、この『特技官』というのは社内でも護衛部門の航空機パイロットに宛がわれる職位らしいのだが、何せ立ち上げ間もないセクションということで、現状エリク以外には存在しないとのことだった。当然たった一人で活動する訳にもいかず、実際の護衛部門は輸送部門に付随する形で、整備設備などは共用となっている。立場も契約書に記された通り、サヤカの直属という形であった。

 

 L.M.A.の本拠に降り立ってまず驚いたのは、社の規模の割には広い敷地だったことだろう。業務内容上、輸送機を運用する滑走路や整備・搬入スペースが必要となるのは当然だが、それを差し引いてもその規模は地方の空軍基地と比べても何ら遜色ない。

 立地はルーメン市の郊外、丘一つを隔てた先であり、周囲にはルーメン市から延びる幹線道路の他には低木林が広がるのみ。オーシアにしては閑散とした環境だが、その由来を聞けば、15年前の戦争末期、ルーメン市が空爆を受けた後に急遽設けられた野戦飛行場を、閉鎖と同時に社が買い上げたのだという。迎撃目的の野戦飛行場ならば、速やかな迎撃のため滑走路となるスペースも1本や2本では済まない筈である。それを考えれば、これだけの広さも道理であった。

 唯一補助滑走路というべき施設が無く、離陸機が重なった際には渋滞のごとく列が連なってしまう辺りが玉に瑕だが、それ以外はエリクの目から見てもまずまず満足できる拠点だと言えるだろう。

 

《それに、今回は悪天候の方が都合がよろしいというものでございます。こんなお天気では、どこのパイロットでも飛びたくはないでしょうから》

「その悪天候の下で飛んでる俺の前で言うか、ソレ」

《まあまあ、私どもの場合はお仕事ですから。…ほら、噂をすれば見えて参りました。目標――『ケストレル』ですわ》

 

 サヤカの言葉を耳に、眼下に連なる沿岸を目で探るエリク。その中の一つ、一層深く抉られた入江に、明らかに自然物ではない違和感が現れたのはその時だった。

 中央には、暗灰色に白いラインが目立つ、平らな甲板の艦影。端にちょこんと艦橋が乗り、縦横に様々な線が描かれている様は、さながら航空基地の一角を切り取ってそのまま海に浮かべたかのような風情である。何より特筆すべきはその巨大さだろう。周囲にぽつぽつと見える護衛艦艇らしき姿より、それはゆうに二回りは大きいように見えた。

 

 オーシア国防海軍第3艦隊所属、ヒューバート級航空母艦7番艦『ケストレル』。

 入り江に姿を潜ませているその艦は、世界一の軍隊として押しも押されもせぬオーシア海軍において、その中核を担う原子力空母の一つであった。

 

 本来であれば機動艦隊の中核として活躍し、今なお激戦が繰り広げられるユークトバニア前線にいるべき『ケストレル』。それが、まるで忘れ去られたようにオーシア北方の島影に佇んでいるのは、開戦以来この艦が辿ってきた激しい戦歴に由来している。

 以下は新聞報道とサヤカの話を纏めた結果だが、『ケストレル』が最初に戦火に晒されたのは開戦当日、セント・ヒューレット軍港においてであった。『ケストレル』の本拠であったセント・ヒューレット軍港は戦線布告と同時に行われたユークトバニア軍による奇襲攻撃に晒され、その機能を喪失。『ケストレル』はその空爆の間を縫い、港湾封鎖を企図したユークトバニア艦隊をも突破して、辛くも脱出に成功したのである。その数日後、姉妹艦『バルチャー』『バザード』と合流した直後にユークトバニアの誇る戦闘潜水空母『シンファクシ』による攻撃を受けるも、姉妹艦がともに沈没する中、幸いにも無傷のまま切り抜けることに成功した。

 

 セント・ヒューレット軍港といい『シンファクシ』による攻撃といい、沈んでもおかしくなかった攻撃の下で『ケストレル』は常に無傷で生還している。歴史を紐解けば、正式配備前の1995年にも『ケストレル』は初陣を経験しており、その際には敵国ベルカ空軍の波状攻撃に晒されながらも、これまた無傷で戦域を潜り抜けることに成功している。度重なる激戦を無傷で切り抜けたことから、『ケストレル』は今に至るまで幸運艦の呼び名を冠されるようになっていった。

 

 ところが、先のサヤカではないが、俗に『禍福は糾える縄の如し』という。

 『シンファクシ』の散弾ミサイルによる攻撃、そしてその後の戦闘により、『ケストレル』の搭載機とパイロットは部隊維持すらままならないほどに消耗が進んでいった。損耗したのならば補充すればいい、というのが普通の発想ではあるが、機体はともかく、艦載機パイロットはそう簡単に育成できるものでは無い。あまつさえ『バルチャー』『バザード』の艦載機パイロットまで一度に失ったオーシア海軍にとって艦載機パイロットは貴重な存在であり、壊滅した『ケストレル』航空隊を再興するほどの余力は残っていなかったのである。

 結果、『ケストレル』は艦載戦闘機をほとんど持たない空母と化し、激化する戦場から置き去りにされた。言うなれば、幸運艦として生き残ったがゆえに、空母としての機能を喪失したという訳である。今は生き残った姉妹艦『バーベット』をはじめとした残存空母群が、対ユーク前線で奮闘している筈であった。

 

 そうして一度は歴史の表舞台を離れた『ケストレル』が、今こうして歴史の裏で活躍している。それを想い、自らの運命を省みると、エリクはどこか皮肉めいた複雑な感情を抱かずにはいられなかった。

 オーシアやユークトバニア、そしておそらくベルカ残党からも忘れられた船が、ベルカの策謀に気づいた『ラーズグリーズ』やハーリング大統領の拠点となり、単艦反撃を試みようとしている。その様はまるで、一度死んだ後に争いを納める英雄として蘇る、『ラーズグリーズ』そのままではないか。

 

「童話に出て来る悪魔、ね…。皮肉が効きすぎてて、胸焼けしそうだ」

 

 数奇な運命を今なお辿り続ける『ケストレル』。複雑な思いの宿った瞳でその艦を見下ろすエリクの傍らを、一つの機影がすり抜けて降下していった。L.M.A.のエンブレムが施された小柄な双発の機影は、識別を確認するまでもなく、サヤカが乗るC-1A『トレーダー』と見分けられる。

 

《ごきげんよう、『ケストレル』のみなさま。L.M.A.のサヤカ・タカシナでございます。定例の補給の品をお届けに上がりました》

《ああ、サヤカ女史か。待っていたよ、いつも世話になるね。着艦準備は既に整っている。すぐに下りてくれたまえ》

《かしこまりました、ピーター様。…そうそう、今回は先般のご依頼のため、護衛機を連れて参りました。以後、こちらもよろしくお願いいたします》

《ほう、そこの戦闘機だね。ありがたい。『クフィル』など、飛んでいる実機を見るのは何年ぶりかな》

 

 サヤカの通信に応え、『ケストレル』から聞こえてきたのはピーターと名乗る男の声だった。丸みのある落ち着いた口ぶりと老練な印象から察するに、50代後半から60代という所だろうか。通信兵という風情でもなく、おおかた艦の参謀役か副艦長辺りなのだろう。

 いずれにせよ、これは仕事始めの顔見せでもある。『ケストレル』の艦尾へ向け高度を下げていく『トレーダー』を眼下に、エリクは通信のスイッチを入れた。

 

「L.M.A.護衛部門のエリク・ボルスト二等特技官、TACネーム『ハルヴ』です。この度、貴艦の護衛を務めることとなりました。よろしくお願いします」

《ご丁寧にありがとう。私はピーター・N・ビーグルという。肩書は…ふむ、そうだな。本艦航空部隊の参謀、ということにしておいてくれたまえ。一から説明するには少々複雑でね》

「は?」

《まぁ、それは後にしよう。まずは、本艦の現在の状況を説明したい。今回のミッションとも密接に関係するのでね》

 

 落ち着いた口調、しかし裏腹にところどころに見える剽軽な印象と、それに紛れるように忍ばされた得体のしれない雰囲気。ピーターという男にどこかロベルト隊長の面影を重ねて、エリクは微かに胸の痛みを感じた。声音もまるっきり違うというのに、一体どういう気の迷いなのだろう。

 

 『お願いします』。予断を吹っ切るようにそう答え、エリクは雑音が混じる通信回線に耳を澄ませた。

 

 男――ピーターが語ったのは、今日に至るまでの『ラーズグリーズ』の足取りと、ベルカ残党の動向だった。

 彼らの前身が、かのオーシアのエース部隊である『サンド島中隊』であることは、以前サヤカが語った通りである。ベルカ残党の策謀で国を追われ、こうして『ケストレル』に拠るようになって数日。彼らはベルカ残党の策謀を暴き戦争を終わらせるべく、わずか4機の戦闘機で孤軍奮闘していた。

 その初手は、去る12月9日。旧ベルカ領内シュティーア城に拉致されていたオーシアの元首、ハーリング大統領を救出したことに始まる。戦争を終えるための重要なピースを得た彼らは、その後も各地を転戦。ベルカ北西部に居を置くベルカ残党の拠点へ強行偵察を敢行し、その後の反復攻撃で秘匿されていた旧大戦時の核兵器を封印することに成功していたのである。強行偵察の際にはオーシア・ユークトバニア両軍に潜伏するベルカ残党の姿も捉えられており、ベルカ残党の策謀を暴く上で貴重な証拠も入手できたのだった。

 

 だが、それら核兵器の一部は、既にベルカ国外へと搬出されていた。

 その片割れ――すなわちユークトバニアへ渡った核兵器を封印、もしくは破壊するため、現在ラーズグリーズ隊はユークトバニア内陸北部、核兵器が搬入されたパイヴリェーニヤ渓谷へ飛んでいるという。事前情報ではユークトバニア内のレジスタンスによる協力も得られるということらしいが、いずれにせよ敵中へ長躯せざるを得ない以上、困難な任務であることに変わりなはいだろう。

 

 その困難さゆえに、ラーズグリーズは保有する4機の戦闘機全てを本任務に投入した。言い換えれば、彼らが核兵器の解体に赴く間、この『ケストレル』は丸裸になるという訳である。

 そこで、日頃出入りし任務の情報を入手したL.M.A.が、ラーズグリーズが帰還するまでの間『ケストレル』の護衛を請け負った――以上が、今回エリクが護衛任務に駆り出された理由であった。当然ながらL.M.A.も民間企業である以上、この護衛任務も有料のオプションという扱いである。思うにサヤカのことである、法外とはいかないまでも、『ケストレル』の足元を見て結構な値を吹っ掛けたのではないだろうか。

 

 ともあれ、である。とにかくラーズグリーズの帰還まで『ケストレル』を護衛すればよい訳だが、ピーター参謀の話を聞く限りではそれも一筋縄ではいきそうにない。

 

《主要任務から外れていることもあり、『ケストレル』の所在を認知しているオーシアの人間もそう多くはないだろう。…ただし、裏でベルカ残党と繋がっていたハミルトンの例もある。油断はできないだろうね。最悪の場合、オーシア正規軍に偽装して接近し、攻撃してくる恐れもある。民間機やユーク軍機への偽装ももちろんだ》

「厄介だな…。民間機なら追い払いますが、オーシア軍機を名乗っていた場合はどうします?」

《機密任務中につき進路変更願う、で押し通すしかないだろうね。幸いここの周辺は沿岸警備隊の哨戒ルートからも外れている。そのような事態にならないとは思うが…。ともかく頼んだよ、『ハルヴ』》

「そう願いたいですが…。了解」

 

 やれやれ。口中に呟き一つ、エリクは通信を切って周囲を見渡した。雲は一層分厚く、空は先にも増して暗くなり、見通しの悪さは刻一刻と募っている。相手側から『ケストレル』が視認され難いのは大きなメリットだが、この暗さでは海上付近など到底監視しきれない。もし悪天候に紛れて低空侵入などされようものなら、一手の遅れが一瞬で致命傷になりかねないだろう。

 悪天候による視界不良、こちらは単機、おまけに敵はどの国籍を装っているかすら分からない。困難が積み重なった任務を前に、今度は口をついてやれやれ、の言葉が漏れてしまった。

 

 気を取り直し、巡らすは視界。

 荒れる水面には船の姿もなく、雲の下の同高度域にも他に飛行する物体は見当たらない。『クフィルC10』のレーダーも機影を捉えることはなく、未だ静寂を保っていた。分厚い雲の上は流石に索敵が行き届かないが、裏を返せば上空からも『ケストレル』の位置を見定めることは困難な以上、そちらからの接近の可能性は低いといっていいだろう。

 

 神経をすり減らしそうな、曇天下の艦隊直掩。些か疲労を覚え始めたエリクの耳に、不意に雑音が混じったのはその時だった。

 

《『ハルヴ』、追加情報が2点ある。まず一つだが、ユーク国内の作戦が成功した。レジスタンスの手で核兵器は解体され、迎撃に上がったベルカ残党も『ラーズグリーズ』が返り討ちにしたとのことだ。現在、彼らは帰途に就いている。もちろん4機とも無事だよ》

「…!本当か!?…凄い、なんて奴らだ。敵のど真ん中に侵入して、それも全員生還するなんて…」

 

 跳ねる胸、次いで満ちる驚嘆と歓喜。

 告げられたピーター参謀の言葉は、それほどに信じがたくも希望に満ちたものだった。現在本土でオーシア軍と交戦中のユークトバニアにおいて、その内陸に侵入することさえ本来ならば困難なことに違いない。それを成しえたばかりか、核兵器の無力化まで見事にやってのけ、あまつさえ敵航空部隊の撃退まで達成するとは、完全に常識の外と言っていいだろう。あるいはそれも、『ラーズグリーズの悪魔』と称される彼らの能力を示すものなのだろうか。

 

 ともかくも、これは朗報である。オーシアとユークの戦争を煽るのに核兵器の使用はこの上ない手段であり、ベルカ残党は必ずその手を狙ってくる。その手札の一つを抹消しえたというのは、こちらにとって大きな一歩と言えるだろう。何せ、いつ、どこを核攻撃してくるか分からない敵に応ずるのは極めて困難なのだから。

 

《それともう一つだが、現在低気圧が急速に発達し、北海上空を東進しつつある。まもなくこの上空も、激しい雷雨に見舞われるだろう。十分に気を付けてくれたまえ》

「了解。風に巻かれないよう十分に…うおっ!?」

《うん?大丈夫かね、『ハルヴ』》

「…くっ、ええ…なんとか。大時化どころか、まるで台風じゃないか」

 

 続く悲報がもたらされるその最中、ごう、と吹き抜けた強風が『クフィル』の機体を激しく叩く。ジェットエンジンの馬力を以てなお機体を翻弄する凄まじい風に、エリクはほとほと辟易する思いだった。そもそもが軽量・簡易構造が売りの軽戦闘攻撃機『ミラージュ5』を原型に持つ『クフィル』である。無尾翼デルタという翼面積の大きさとも相まって、風に対する安定性はけして高いとは言えないのだ。迂闊に旋回して風に対し翼を向ければ、木の葉のように吹き飛ばされること請け合いだろう。

 

 脳裏に過ぎる嫌な予感。

 それはまもなく、ばち、とキャノピーを叩く水滴によってもたらされた。

 

「ちっ、降って来たか」

 

 ばち、ばちばちばちばち。

 ガラスを打つ水音は瞬く間に花火のような轟音となり、水の嵐とでも言うべき豪雨が機体を打ち付け始める。ワイパーをもってしてなお除ききれない水量は、さながら空から降り注ぐ瀑布そのものだった。

 同時に、視界を一瞬圧する閃光。がらがらと雲間を奔る炸裂音は、雷となって周囲を切り裂いた。よもや戦闘機が落雷で墜落することはないだろうが、雨と合わさって視界が効きづらいことこの上ない。眼下にいるはずの『ケストレル』の姿など、雨に煙った今となってはほとんど見て取ることができなかった。雷が大気中の電位を乱しているのか、レーダーにもノイズが走り安定しない。

 

「ダメだ、何にも見えやしない。『ハルヴ』より『ケストレル』。そちらのレーダーはどうなってる、周囲に反応は認められるか?」

《…ちら『…ス…レル』。落雷………レー……精度…低下し……る。…し待………》

「何だって?こちら『ハルヴ』、雷で通信がうまく聞き取れない。悪いがもう一度頼む」

 

 ただでさえ悪い通信状態に、雷鳴と雨音が絶え間なく聴覚をかき乱す。無意識にヘルメットの外から耳を押さえながら、エリクはなおも雑音交じりの通信に声を送り続けた。

 

《本艦……ーダー機能…障害……じ……るため、『アン……メダ』が……索敵を…続……いる。現在、……、空中ともに反応………や、……。こ…は…》

「…あーくそ、これじゃ埒が明かない。こちら『ハルヴ』、有視界での警戒を継続する。変化があれば通信を…」

《…!…空……………反………!…………、……095……接近…!……、ジャ……グ…!『ハ…ヴ』、……え…か『………』!……6機、東………!》

「………!?」

 

 通信を諦め目を空に向かわせた矢先、違和感が脳裏に差し(はい)る。

 一際激しくなるノイズ。意味をなさない雑音の奔流。落雷の影響でノイズが入るのは当然であるが、それにしても先ほどより明らかに明瞭さは落ちている。

 何かを叫んだらしい声、方向を示したような単語。そして突然のノイズ増加。

 まさか。

 

 違和感は直感を呼び、直感は確信をもたらす。

 はっと悟ったエリクは、荒れ狂う嵐の下、必死に目を奔らせた。

 

「…あれか!」

 

 闇に包まれたように暗い海上。その上に稲妻が迸ると同時に、雷光に不自然な影が浮かび上がった。

 数は4…5、いや6。いずれも大型機、3機ずつで作られた鏃を模した隊形で、西を指して海面すれすれを飛んでいる。このままの進路では、『ケストレル』と接触する可能性も否定できない。おそらくは、あれらの機体がジャミングで通信を妨害しているのだろう。とすれば『ケストレル』攻撃を目論むオーシア内のベルカ残党か、それともファトに駐留するユークトバニア軍やサピン軍か。

 

「どっちにせよ、お引き取り願おうか!」

 

 操縦桿を斜め奥へと押し、傾けた機体を弧を描くように下降させる。横殴りの風に進路が乱されながらも、狙うは正面からの擦過。オーシア軍機の可能性もある以上、まずはその正体を探るのが最優先だった。

 敵編隊、斜め下前方。距離1600。常ならば機種の特定が可能な距離だが、視界が効かない今となっては形状の把握すら判然としない。正体を雨のベールに隠したまま、敵は距離1200を、1000を割っていく。

 絶好の機位、しかしまだ撃てない。

 エリクは敵編隊の寸前で機体を右ロールさせ、そのまま敵編隊の側面をすれ違った。

 

Su-24(フェンサー)!…か!?」

 

 敵編隊を後方に見送り、振り返りながらエリクは自らに叫んだ。敵もこちらに気づいたらしく、3機ずつひと塊のまま左右へと散開している。先ほどまでデルタ翼を思わせていた主翼形状は崩れ、今は大きく翼を広げたように後退翼へとその姿が変わっているのが辛うじて判別できた。

 大型の機影と可変翼らしい機構から判断するに、おそらく最も近いのはユークトバニア軍が正式採用しているSu-24『フェンサー』シリーズ。だとすれば同盟国であるファト連邦の機体か、ファトに駐留しているユークの機体ということになるだろう。

 ただし厄介なことに、『フェンサー』の形状はオーシアが採用しているF-111『アードヴァーク』とも酷似している。オーシア北方の辺境に大型戦闘爆撃機であるF-111が配備されているとは考えづらいが、それでも万が一ということもあった。

 

 操縦桿を引き、加速をつけて上方向へ旋回。インメルマンターンの要領で方向を180度転換し、二手に分かれた敵編隊の片割れを追尾に入る。

 翼を畳みデルタ翼形態に移行する敵機。こちらを振り切るつもりだろうが、機体重量と加速力を踏まえれば、鈍足な戦闘爆撃機よりも『クフィルC10』に分がある。引き離された距離は見る間に縮まり、相対距離は目測で1200を、1000を見る間に割っていった。

 

 鈍足機相手にはミサイルを当てるのに申し分のない距離。しかしエリクはそのまま加速を続け、逃げる敵のうち1機に側面から追いついた。

 正面を指す敵機、その左斜め上、接触しかねないすれすれの位置に陣取るエリクの『クフィル』。機体を傾け敵の姿を視界いっぱいに広げながら、エリクは何もない正面へと機銃を放った。

 

 発砲の閃光と曳光弾の光が、断続的に敵の機影を浮かび上がらせる。

 並列複座のコクピットからこちらを見上げるパイロット。

 淡い水色とグレーで塗装された機体。

 そして主翼に彩られた、赤と黄に塗り分けられた五角形の盾の意匠。

 ――ユークトバニアの国籍マーク。

 

「よし。警告不要、撃墜する!」

 

 減速、同時に操縦桿を引きわずかに上昇。いわゆるハイGヨーヨーの軌道で機体速度を殺し、エリクは敵機の後方へと機位を向けてゆく。当の『フェンサー』も加速で振り切るのは諦めたようで、主翼を最大位置まで広げて回避行動に入る素振りを見せていた。

 距離700、上昇を止め、間髪入れず操縦桿を押し倒す。

 敵機、左旋回。しかし動きは重く、かつ機影も大きい。主翼を展開したことで、その投影面積は著しく拡大している。

 覗き込んだ照準には大柄な胴体。外す筈のない距離。

 

 引き金とともに唸りを上げた機関砲は、30㎜弾の牙でもって、その巨躯を瞬く間に食いちぎっていった。

 

「『ハルヴ』、1キル!『ケストレル』、聞こえるか!敵はユーク軍機!引き続き迎撃する!」

《………『………レ…』。…………ラー………ーズ……帰……る。敵…………に……、同………に注意…………………》

「まだダメか…。とにかく、『ケストレル』の脅威を1機でも減らさないと!」

 

 四散五裂し墜ちてゆく『フェンサー』。残る5機はばらばらに散開し、あるいは雷雨に紛れて旋回し、あるいは海面近くに退いて、こちらの矛先を躱す手に出ていた。ふと目を西に向ければ、雲が切れ晴天が覗いているのも認められる。通過しつつある低気圧の端なのだろうが、それはすなわち、この雷雨のベールが間もなく晴れることを意味していた。そしてそれは取りも直さず、『ケストレル』の位置がその瞬間に露見することと同義である。

 つまり低気圧が通過する前に、残る5機を撃墜しなくてはならない。

 

「くそ…!少々ハードだな」

 

 愚痴のような呟き一つ、エリクは次の目標を見定め、『クフィルC10』を旋回させる。狙いは、北を指しこちらに背を向ける『フェンサー』。こちらも主翼を開いているため、加速はこちらと比べ物にならないほど鈍い。

 増速。機体正面、距離500。

 激しい雨でミサイルの赤外線誘導が役に立たない以上、今は機銃に頼る他ない。もどかしさを舌打ちとともに吐き捨てながら引いた引き金は、二筋の曳光弾と化して敵機の背へと吸い込まれていった。

 

 これで、あと4機。まだ4機。西の空に、晴れ間は一歩一歩と迫ってくる。

 2機目の墜落を見定める間すら惜しく、次の目標へと目を奔らせるエリク。いくら性能で勝っていようと、1対4では到底低気圧の通過に間に合わない。

 

 焦りは注意力を疎かにし、眼前以外への警戒を妨げる。

 3機目の頭上を捉えかけた刹那、頭上から突如落ちて来た接近警報に、エリクの心臓は跳ね上がった。

 

「うおっ!?」

 

 強風にも勝る轟、という圧力が、『クフィル』のすぐ傍を擦過して下方へと抜けていく。

 雲の上からの急降下。すなわち敵の新手。予期せぬ闖入者に唇を噛み締め、エリクは操縦桿を倒して降下するその背を追った。既に敵機は眼下で機首を持ち上げ、急降下から水平へと機位を戻している。鋭角を描いていた主翼は可変翼機らしく左右へと広がり、早くもこちらを迎え撃つ態勢を示していた。

 

「よりによってこのタイミングで…!邪魔だ!」

 

 敵機のベクトルを読み、進行方向に放った機銃。

 しかしそれを見越していたのか、敵機はひらりと身を躱し射線を回避。降下するこちらに対して右斜め上へと機首を上げ、背を狙うべく巴戦へと移行した。大柄な機体にも関わらず、その機動は先の2機とは比べ物にならない程鋭い。

 

「ちっ!」

 

 軽量小型の『クフィル』とはいえ、格闘戦は得意とする所ではない。敵がこちらの右側方から回り込むのを見計らい、エリクはフットペダルを踏んで一気に加速。敵が背を捉える前に有効射程外へ逃れる一手を打った。デルタ翼機の『クフィル』にとっては、加速を活かした一撃離脱戦法こそがその本領というものである。

 

 振り返る。

 こちらの後方、目測にして距離約2700。

 逃げるこちらを加速して追ってくるかと思ったが、敵機は進路そのままに、機首を上げて上昇。こちらに対し上方の優位を得るべく、その位置を変え始めている所だった。エリクはインメルマンターンで正面上方の優位を得た後、一撃離脱で斜め下方へ撃ち抜ける積りだったのだが、当てが外れたと言っていい。おそらく敵のパイロットはこちらの手を読み、咄嗟に高度を稼ぐ手に出たのだろう。

 

 その気なら、こちらはさらに一手上を行くまで。

 エリクは操縦桿を思いきり引き、機体を急上昇。旋回の頂点で機体の水平を戻し、正面から迫る敵機とほぼ同高度に機体を占位させた。

 

「よーし、そのまま直進して来い…!」

 

 正面の距離を見定め、直後の機動に備えるようにエリクは操縦桿に添えた手をわずかに引く。

 エリクが狙ったのは、かつて『テュールの剣』攻防戦で試みた山なり弾道による長距離射撃だった。すなわち弾丸が重く長距離では正確性に劣る30㎜機関砲の特性を逆手に取り、機首を上げて機関砲を発射。自重で山なり弾道を描く30㎜弾で以て間接狙撃を行うという戦法である。

 

 雨に煙る敵の位置を見定める。

 正面僅かに下方、進路変わらず。

 相対距離、1800。1600。狙い打つのに絶好の距離。

 ――今だ。

 エリクは操縦桿を引き、機首が上を向くと同時に発砲。機首下部の30㎜機関砲は唸りを上げ、放たれた曳光弾は弧を描いて敵の上方から降り注いだ。

 

 ――だが、それすらも読まれていたというのか。

 こちらが引き金を引いたその瞬間、敵機は機首を下げ急降下。重力加速度で瞬時に速度を上げ、『クフィル』の射線からいち早くすり抜けたのだ。それだけに留まらず、加速した敵機は速度を活かし急上昇。瞬く間にこちらの真下に陣取り、死角から機銃掃射を浴びせかけた。

 

「何っ!?…馬鹿な…!」

 

 悪態を紡ぐ間もなく、操縦桿を横に倒し、間髪入れずフットペダルを踏みこむ。

 右ロール、次いで増速。真下から迫る敵に対し横を向けて投影面積を減らし、かつ加速で射線を躱すことで、辛うじて敵の射撃を回避する。こちらと十字に直交した敵機は直上で旋回し、背面のままこちらを見下ろしていた。

 機敏な機動、一瞬の判断力、そして正確な射撃。先ほどまでの鈍重な『フェンサー』とも、ユークの一般的なパイロットとも、その敵機は一線を画している。一体、こいつは何なのか。

 

 西に、晴天が迫っている。

 足元から、雨のベールが晴れていく。

 もはや、猶予は1分たりとも無い。

 ――ならば。避けようのない至近距離からの射撃で勝負を決するより他にない。

 

 エンジンを吹かし、機首を直上へ向ける。

 軽量な機体、余りある出力。真上を向いてなお、『クフィルC10』の推進力は衰えない。

 こちらを見定めたのだろう、敵もまた背面飛行から急降下に入り、垂直にこちらとヘッドオンとなる構えを見せた。

 

 正面真上、距離1000。

 800。

 700。

 照準の中で敵機が広がる。

 頭上で、雲が晴れる。

 差し込む日光。映える黒。

 正面、あと一歩。有効射程――。

 

《待って『ブレイズ』!それは味方よ!》

《『ハルヴ』、待ちたまえ!撃つな!》

「っ!?…くっ!」

 

 味方。

 撃つな。

 それらが脳裏に意味を結ぶより前に、エリクは咄嗟に操縦桿を倒し機体をロール。正面の敵機も同様にロールし、2機は垂直に正面から馳せ違った。操縦桿を引いて機体を立て直す傍らで、こちらをすり抜けた『黒い機影』は主翼を広げて水平飛行に入っている。

 

《こちら『ソーズマン』、敵の電子戦機を撃墜。通信は回復したようだな》

「…これは…一体…?」

 

 新たに耳に届く、聞き覚えのない男の声。

 身を削る相対から我に返り、エリクは改めて下方に抜けた機体を見やった。

 ――てっきり増援のSu-24かと思っていたが、機体の形状はまるっきり異なっている。太い機首、より流麗なシルエットを醸し出す可変翼。そして何より、『フェンサー』とは異なる2枚の垂直尾翼。その姿は、オーシア海軍の主力機であるF-14『トムキャット』シリーズと断じて間違いなかった。機体の塗装は黒一色、尾翼端のみ赤く塗られており、よく見れば下方を同様の機体が3機、残存した『フェンサー』を駆逐すべく飛んでいる。

 

 まさか。彼らは。

 

《危うい所だったが、通信の回復が間に合って助かったな。改めて、生還を祝福するよ、ラーズグリーズ隊の諸君。『ハルヴ』も直掩任務の全う、感謝する。ありがとう》

「『ラーズグリーズ』…。じゃあ、あれが…!」

《まったく無茶するんですから…。さ、着艦して一息つきましょう、隊長》

 

 眼下の『トムキャット』が、その声に呼応するように翼を翻し、高度を下げてゆく。

 あれが、ベルカ残党に孤軍立ち向かう『ラーズグリーズ』。その隊長機だったのか。思い返しても、その凄まじい技量と判断力は、長駆ユークトバニアから帰還した直後とは到底思えない。

 『シンファクシ』『リムファクシ』の撃沈、そして名だたる戦歴。あれこそが、まさにエースの姿ということなのだろう。

 

「…『ブレイズ』、か」

 

 雲が晴れ、降り注ぐ陽光に、たゆたう水面がきらきらと光っている。

 嵐が去り、見通しの澄んだキャノピーの向こうには、威容を保つ『ケストレル』の巨体と、その尾部からアプローチに入る『トムキャット』の姿。

 

 陸上機である『クフィルC10』には着艦用装備が備わっていないのが、今はすこぶる残念だった。


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