Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第31話 The moon rises again

「久方ぶりです。ご機嫌麗しゅうでございます、エリク様」

 

 古タイヤに頭を預けて寝ころんだ体に、人を食ったように丁寧な言葉が落ちて来る。

 ぴっちりと着込んだ黒スーツ、艶のある黒い髪、そして笑みに弧を描きつつも真意の読み取れない黒い瞳。見事に黒一色の出で立ちとなったその女――サヤカ・タカシナに応じる気にもならず、エリクはわずかに一瞥した瞳を再び空へと向けた。

 これまで機体や武装の調達で世話にはなってきたが、今や乗るべき機体もなければ、飛ぶべき意味もない。今のエリクにとって、サヤカはもはや関わる意義の無い存在になったといっていいだろう。虚無に呑まれたからっぽの存在には、ただ話をするのも煩わしい。

 

「よい、しょ。お隣失礼いたしますね。…あらあらまあまあ、包帯をこんなに巻いて。負傷男子というのもこれまたニッチながら乙なものですね」

 

 こちらの返答を待つことなく、サヤカが無遠慮に左隣へと腰を下ろす。おそらく上着の裾から覗いた脇腹の包帯を指先ででもなぞっているのだろう、左脇腹の辺りに軽い感触があったが、エリクはそれを払うでもなく成すがままに放っておいた。もはや生きる意義も失った所で、人の繋がりなど何の意味もないのだから。

 

 何を言うでもなく、サヤカはひとしきり指先で脇腹をつついてくる。その感触は徐々に上り、腹の上の方へ。

 ぴきり。

 その指先がまだ癒えない傷を突いたのだろう、引きつるような痛みが腹部に走り、エリクは微かに顔を顰めた。

 

「っ…!」

「あらあら、申し訳ございません。ついつい包帯と筋肉にわたくしの好奇心が刺激されてしまいまして」

「……何しに来た。今あんたと話すことは何もない。…俺のことは放っておいてくれ」

 

 久々に発した声は、我ながら哀れなほどに小さく、喉が詰まったように淀んでいる。

 痰でも詰まっていたのだろうか、ごほん、と咳を二、三度鳴らし、エリクは目を閉じてその意思を言外にサヤカへと伝えた。こちらに話す気はない、もう関わってくれるな、と。

 

 互いに言葉無いまま、間に漂う数瞬。

 不意に聞こえたふふっ、という息遣いは、サヤカがほほ笑んだ気配だったのだろうか。

 

「いえいえ。わたくしも一度承ったご依頼は責任を持って達成するのがモットーでして。そういう訳でして、まずは以前のご依頼のお返事に伺った次第でございます」

「……依頼?」

「はい。現ウスティオ空軍が誇る精鋭飛行部隊『ガルム隊』。その素性と現在の動向についてでございます」

「……っ!」

 

 息を呑む。

 目を見開く。

 ――そうだ。先月末、山岳地帯上空での攻防戦の折。戦場に乱入したサヤカを護衛した際、直前に交戦した『ガルム隊』に違和感を感じて、思い付くままにサヤカに依頼していたのだった。

 かつてレクタ空軍に所属していた頃、同盟国ウスティオの『ガルム隊』とは度々共同戦線を張る機会があった。圧倒的な技量、比類ないチームワーク、そして味方を奮い立たせる名声。15年前のベルカ戦争で名を馳せた伝説の傭兵――彼らに恥じない力量を以て、『ガルム』の二人は戦線をひっくり返し、小国ウスティオを勝利に導いていたのは今も記憶に焼き付いている。

 

 ところが、エリクがカスパルらの謀略で国を追われ、サピンに属した後。件の山岳地帯で敵として見えることとなった『ガルム隊』は、どこか違ったのだ。機体はかつてのF-2AからF-35A『ライトニングⅡ』へと変わっていたが、それだけではない。塗装パターンもエンブレムもガルム隊そのままだが、技量も目に見えぬプレッシャーも、到底かつての様とは似ても似つかなかったのである。慣れない機体で本来の技量を発揮できなかったのか、それとも人事異動でかつてとはメンバーが異なっていたのか。いずれにせよ、過去のガルム隊とは別物だったと言っていい。

 

 何かが違う。

 当時は、その直感に従うままに、サヤカに依頼した――いわば思い付きに過ぎなかったのだ。それゆえに、今の今まで依頼したエリク本人も失念していた。

 

 見開いた目の先。横目にこちらを見下ろすサヤカの顔は、逆光の中にも微かに微笑んでいる。

 

「まずガルム隊の所属ですが、11月に入ってから配置転換があったらしく、ウスティオ中西部に位置するヴァロハス空軍基地へと変わっています。隣国オーシアとの国境近くですね。なんでも、『エースパイロット部隊』編成のため精鋭が召集されたとか、でございます。現在の乗機F-35Aへも、その際に機種転換したのでしょう」

 

 どくん。

 鼓動が、わずかに譜を進める。胸に淀んだ得体の知れない情念が、徐々に渦巻き流れを形作っていいく。

 11月に入ってからの配置転換。エースパイロット部隊編成の名のもとに行われた一般部隊との切り離し。そして最新鋭機F-35Aへの機種転換。

 記憶が推測を呼び、推測が疑念を炙り出す。まるで、自分たちハルヴ隊に起こった事とうり二つではないか。加えて、ウスティオもまたかつてのベルカ戦争に参戦し、勝利した連合国の一翼である。それらから、導き出される答えは。

 

 呑み込んだ唾が、ごくりと喉を鳴らす。

 胸に渦巻く情念に目を細めながら、エリクは絞るように紡いだ。

 

「…続けてくれ」

「かしこまりました。続いて現ガルム隊の素性ですが、かつてのお二人…パスカル・ジェイク・ベケット氏とレイモンド・レッドラップ氏とは別人のようです。それも、公式にはそれを隠したまま。つまり…ああ、なんということでしょう。ガルム隊は名前だけそのままに、別人がなりすましているという訳でございますね。素性は定かではありませんが、当該基地にはノースオーシア・グランダーI.G.社の重役が足繁く通っているようで、元ベルカ軍の関係者である可能性が高いようです」

「…!!」

 

 反射的にがば、と跳ね起きた瞬間、下がった血が一瞬視界を暗くする。

 眩む頭、その中に見える微かな光。胸の渦は激しく波打ち、鼓動が一層早まってゆく。

 あの時抱いた違和感は、やはり気のせいではなかったのだ。ベルカ残党――カスパルの同志たちはウスティオにも潜入し、自分たちハルヴ隊と同じようにガルム隊の名だけを利用しようとしているに違いない。つまり、カスパル達は潰えたものの、ベルカ残党の怨念と策謀だけは今なお生き続けているということになる。

 

「本来のガルム隊の二人はどうなった。殺されたのか?」

「いいえ。どうやら配置転換と同時に身柄を拘束され、別の場所で監禁されています。我々の得た情報では、監禁場所はオーシア連邦ノースオーシア州のグラティサント要塞跡地…かつて『エリア・ウォール』と呼称された一角のようですわ。秘匿された対空火器や垂直離着陸機発進基地も地下に整備され、さながら音に聞くエルジアの『タンゴ線』のようだとか」

 

 無意識に掌が握りしめられ、包帯がぎり、と鳴る。

 本来のガルム隊は、生きている。複数の防衛陣、遠く離れた幽閉場所と困難は多いが、それでも今だ生きているベルカの謀略を挫くための重要な要素に変わりはない。もし彼らを解放でき、ベルカ残党の策謀を公にできればどうなる。

 

 ――いや。いや、いや。

 胸に波打つ感情を、引き足の理性が押さえつける。

 なぜ俺がそこまでする必要がある。もう飛ぶ意義もなく、戻る所もなく、共に飛ぶ仲間もいないというのに。

 第一自ら飛ぶための翼も無い。唯一ベルカ残党の謀略を知るカルロスは、サピンに雇用された現状を意識して対ベルカに向かう気すらない。取れる手は今の俺にはもはや無いのだ。

 もう、いいではないか。復讐に燃え、燃え尽きて朽ちる。それで終わりで何が悪い。何せ、できることなど一つもないのだから。

 

 燃え立ちかけた瞳が、翳り瞼に伏せられていく。

 掌をわずかに緩め、エリクは今だ渦巻く胸裏と裏腹に、興味をなくしたかのようにサヤカへ一瞥を返した。

 

「…そうか。ありがとう、わざわざ悪かったな」

「いえいえ、お安い御用でございます。…そうそう、関連するお話になりますので、もう一つ」

「何だ、藪から棒に」

「実はガルム隊と同じように、つい最近までベルカ残党の手で監禁されていた方がいらっしゃるのですわ。それが何と、現オーシア大統領、ビンセント・ハーリング氏なのでございます」

「…な…んだって!?」

 

 衝撃――そう評するしかない、頭を鉄槌で叩かれるような意識を一新する言葉。

 閉じかけた目を再び見開き、エリクはサヤカの方を振り向いた。軋む包帯も悲鳴を上げる脇腹も、もはや意識の外にある。

 

「馬鹿な!だって、今オーシアはユークトバニアと戦争中だろう!?その最中に何で…!」

「はい。ですので、今は副大統領が裁可を行っているようですね。少々複雑ですので、順を追ってご説明いたします」

 

 サヤカはゆっくりと口を開き、この戦争の始まりから諄々と説き始めてゆく。その一言一言が、戦闘一辺倒だったエリクにとっては衝撃だった。

 

 そもそも、このオーシアとユークトバニアの戦争の発端は判然としない。これまでの融和路線から一変しユークが領空侵犯や挑発を繰り返したこと、それに対しオーシアの前線部隊も力で以て対抗したこと。そのどちらが直接の発端かは定かでないが、始まりすら曖昧なままに戦争は始まり、戦火はオーシアを犯した。

 ところがその戦火も、ユークトバニアの超兵器である潜水空母『シンファクシ』の撃沈と上陸作戦の失敗に伴って一旦は収まることになる。オーシアのハーリング大統領は膠着したそのタイミングを好機と見て、ユークトバニアに対し停戦を結ぶべく首都オーレッドを発った。

 

 ――そこで、ハーリング大統領の足跡は途絶えることになる。

 サヤカ曰く、停戦協定の地である中立国ノースポイントへと向かう飛行中、ハーリング大統領はオーシア内のベルカ残党に拉致され、ベルカ共和国領内のシュティーア城に幽閉されたのだという。この事実は公には伏せられ、副大統領以下閣僚は大統領の不在をひた隠しにしたまま対ユーク戦争を拡大していった。元々副大統領や軍人上がりの一部の閣僚は戦争継続を望む主戦派だったと言われており、この幽閉劇にも副大統領が一枚噛んだ形跡もあるらしい。オーシアがユークトバニア本土上陸作戦を行い、なし崩し的に同盟国のウスティオやレクタに最新鋭機F-35の輸出を決めたのも、慎重派であるハーリング大統領の不在がその根源にあったのだろう。

 

 いずれにせよ、オーシアが主戦論に傾くことは戦争の継続を意味し、それはベルカ残党の望む結果をもたらすことと同義と言っていい。そして現状はオーシア内の主戦派とベルカ残党が結んでいる状態であり、まさに彼らの望み通りに事が進んでいるという訳である。

 

 戦争の影で動く、人や国の無数の駆け引き。そして全てを滅ぼさんばかりの、執拗なまでのベルカ残党の怨念。名状しがたい重みが胸に蟠り、エリクは吐き出すようにため息を吐いた。

 

「オーシア首脳部とベルカ残党の結託…最悪の状況だな。相手が残党組織どころか国そのものな以上、完全に詰んでる。それに気づいている人間も、他にいない」

「左様でございますね。事の真相を知る方は、まだまだ少ない現状です」

「…それじゃあこの戦争はどうなる。ベルカ残党の怨念にいいように踊らされて、オーシア諸国は滅亡するのか」

「いいえ。真相を知る方々は少ないですが、『ゼロ』ではありません。真実を知り、意思と翼を持つ方々が、北辺の海にいらっしゃいます」

「…何?」

「――『ラーズグリーズ』」

 

 聞きなれない単語を以て、サヤカは一旦口を閉じる。

 ラーズグリーズ、ラーズグリーズ。そういえば、昔読み聞かされた童話でそんな名前が出て来た気がする。確か、災厄をもたらす悪魔だったか妖精だったかの名前ではなかったか。なんにせよ、今まで並んできた現実的な言葉とは一線を画する響きといっていい。何らかのコードネームなのか、それとも。

 こちらの怪訝な顔を見て取ったのか、サヤカは再び微笑みながら言葉を繋いでいった。

 

「『彼ら』はそう名乗っています。…そう、エリク様同様にベルカ残党の策謀に囚われ、無実の罪で国を追われ…それでも戦争を終わらせるという意思を持って飛び続ける人たち。かつて『サンド島部隊』と呼ばれた方々ですわ」

「――サンド島部隊だって!?」

「あらあら、ご存知でおいででしたか」

「昔新聞で読んだ程度だけどな。…だが、彼らまでベルカ残党の魔手にかかっていたとは知らなかった」

「左様でありましょう。彼らの逃避行も『ラーズグリーズ』の結成も、まだ数日も経っておりませんから」

 

 言葉が記憶を手繰り寄せ、記憶から一枚の画像を想起させる。

 いつだったか、レクタにいた頃に読んだ『サンド島部隊』の記事。わずか4機の部隊でユークトバニアが誇る大型潜水空母『シンファクシ』を撃沈し、オーシア西端のサンド島を守り抜いた英雄として、同盟国オーシアの勝利を湛える文章とともに写真が載っていたのを覚えている。大柄な男と、その男に首を腕巻かれたたらを踏む小柄な青年、そして華奢な黒髪の女性と、同僚の腕に被り顔が隠れてしまっている男。噂では対ユークでも常に前線にあり、味方を鼓舞してきたと聞いている。

 いわば、オーシアを牽引するエースの筆頭。ガルム隊やハルヴ隊の例を顧みれば、彼らもまたベルカ残党に狙われたとしても不思議は無かった。

 

 一拍置いて、サヤカの説明は続く。

 ベルカ残党の策謀に陥りサンド島を追われた彼らは、いち早くベルカ残党の動きを察知したオーシアの部隊に救われ窮地を脱したのだという。曰く、現在の拠点はオーシアの北東の端に位置するカーウィン島。オーシアが保有する航空母艦の一つ『ケストレル』に拠り、オーシア軍とは独立して対ベルカ残党の作戦を進めているということらしい。

 

 彼らが行った最初の作戦は、件のシュティーア城に囚われているハーリング大統領の救出だった。ベルカ残党による相当の抵抗があったものの、サンド島部隊の彼らは無事作戦を成功させ、大統領を救出。現在はハーリング大統領も空母『ケストレル』に座乗し、ベルカ残党の策謀を挫く――すなわち戦争を終わらせるために機を窺っているということだった。

 ハーリング大統領救出を機に、サンド島部隊は大統領直属の飛行隊『ラーズグリーズ』に改称されたという。以上は、全て3日前から昨日の間に起こった出来事だった。

 

 眩暈がしそうだった。

 あまりにも急な展開、あまりにも膨大な情報。これほどまでに事態が急転していたとは、サピンの片隅に閉じこもっていたエリクには知る由も無かったのである。

 

「…あんたは、いや、あんたたちは一体何なんだ。ただの民間調達業者の域を明らかに超えている。…なんでそんな重大な情報を、こうも素早く知っている?」

「あらあらあら、お褒めのお言葉光栄ですわ。…そうですね、我々はただの調達代行業ですが、軍需品も扱う特性上、『正規ルートでは兵器を購入できない方々』に需要がございます。おまけに、紛争が盛んな地域ならばまだしも、安定したオーシア国内では類する業者は多くありません。そんな中で、正規の軍務から外され独自に行動している『ケストレル』の方々とは、少し以前から関わらせて頂いていたのですよ。そういう訳で、情報もぴちぴちの鮮度で仕入れられる訳でございます」

「…危ない橋を渡るな。相手は編成外とはいえ正規軍、おまけにベルカ残党も敵に回す。第一、戦争が続いた方があんたたちにはメリットがあるんじゃないか?」

「おっしゃる通り。しかし、お互いが滅びてしまっては儲けを得ることはできません。今のベルカ残党のやり方ではどの国も疲弊して戦争どころではなくなってしまいますから、兵器も売れなくなってしまいます。わたくし達ゴハンが食べられなくなってしまいますわ」

「あー…」

「という訳でして。今回の戦争はこのあたりでいい感じに余力を残したまま終わって頂く方が、わたくし達にはありがたいのです。今回『ケストレル』の方々にバックアップをさせて頂いているのも、それがわたくしどもにとって一番の利益だからですわ」

 

 戦争商人らしく臆面も無く言い放つサヤカに、今度は別の意味で眩暈を覚えそうになった。確かに相手がおり、かつ戦争状態にあることで初めて成立する商売とはいえ、これではベルカ残党とどちらがマシか分かったものではない。唯一の救いは、『ラーズグリーズ』とサヤカ達の当面の目的が『ベルカ残党の策謀を打ち破る』ことで一致している点だろう。多少の齟齬はあるとはいえ、現時点ではお互いに不足を補える存在であると言っていい。

 

 ともあれ、ベルカ残党の企みを知り、それを破るべく活動する人々が海の向こうにいる。

 その事実に、エリクはいくらかの安堵と、なぜか名状しがたい疼きを覚えた。

 

 俺はカスパル達に裏切られ、仲間を殺され、国を追われ、全てを奪われた。その報復として全てを捨て、全てを犠牲にして復讐を果たし――そして今、何一つない空っぽの状態になった。

 片や、彼らはどうか。同じようにベルカ残党に国を追われ、居場所を失い、絶望の淵に沈んだ。それにも関わらず彼らはわずかな希望を頼りに、『ベルカ残党を挫き戦争を終わらせる』という明確な意思を持って、今もなお飛んでいる。そこに復讐の念が全くないとも思えないが、一体何が違うというのか。

 

 不意に、カルロスの言葉が蘇る。

 『復讐だけではない、もっと大きな信念が、確かにあるはずだ』。

 信念。戦うための力。戦いに臨み自らを支えるための力。

 それが、『ラーズグリーズ』と俺の違いだというのか。

 では、俺の信念とは何か。

 

 復讐は、俺の信念たりえなかった。戦いの原動力となったが、その炎は報復の達成とともに消えてしまった。

 『今のままでは、お前はあのカスパルと同じだ』。

 ――違う。その宣告への叫びは、しかし喉に張り付いて離れない。

 実際は、どうだ。カスパルは15年前の戦争に敗れ、レクタに潜入してからは策謀と裏切りの限りを尽くして…奴の言を借りるなら『裏切り者の誹り』も『非道に手を染める罪』も承知で、全てを投げうって復讐に邁進し、そして散っていった。

 対して俺は裏切りに全てを奪われ、サピンで再起してからはかつての同胞も、倫理も、心さえも捨てて――そう、全てを投げうって一心に復讐を果たした。

 

 ――愕然した。

 同じだ。同じではないか。

 一心で一徹な復讐心も、そのために自ら全てを捨てるその様も。俺と奴は、何一つ変わりないではないか。

 結局は俺も、復讐の連鎖に絡み取られた鎖の一つだった。連なる報復は、そのままベルカ残党の論理でもある。報復の連鎖を肯定し、それに自ら連なった時点で、俺は既にベルカの――カスパルの論理の前に敗北していたのではないか。たとえ戦闘でカスパルに勝利したところで、報復の連鎖を是とした以上、結局は今のベルカのやり口に返す言葉を持てなくなる。

 

 そんな思惑に乗ってたまるか。一緒になってたまるか。

 ――負けて、たまるか。

 

 拳を握る。

 熱が鼓動を鳴らし、肚の淀みを激しくかき回してゆく。

 胸にふつふつと滾る、この感情は何だろうか。それを突き動かす、言い知れない熱は何だろうか。

 信念。

 戦いを支える芯。これが、カルロスの言う所の信念なのか。

 

「さて」

 

 不意に落ちた女の声に、エリクははっと我に返る。

 いつの間に立ち上がったのだろう、サヤカは既に尻を払い、影にこちらを見下ろしていた。その目はいつもと違い、どこか満足そうに微笑んでいるようにも見える。

 

「それでは、ご報告は以上になります。お役に立てたのなら幸いですわ」

「ああ、ありがとう。…本当に助かった」

 

 にこり。

 一歩踏み出すサヤカの後で、エリクは再び思考を巡らせる。

 戦いへの意思はともかく、現実面ではどうか。仮に『ラーズグリーズ』と連携するにも連絡を取る手段はなく、そもそも乗るべき機体が無い。第一現在はサピンと契約した傭兵である以上、独自に行動などできる筈もない。

 うう、む。

 信念ではどうにもならない現実の問題に、呻きにも似た声が漏れる。

 思考が袋小路に陥りかけたその時、『あ、そうそう』という不意の声に、エリクは目をしばたかせることになった。気づいて仰げば、サヤカはまだ一歩目の位置で、こちらを振り返っている。

 

「忘れておりました。ここからはご依頼と関係の無い、わたくしの…いえ、わたくしどもからのご相談です」

「なんだよ、今度は」

「ここだけのお話。エリク様、わたくしどもに雇われる気はありませんか?」

「何?」

 

 藪から棒に、何を。本当に前段と全く脈絡のない話に、思わず怪訝な表情が顔に浮かぶ。

 にっこりと小首をかしげたサヤカの様は、既にいつもどおり真意の分からない姿へと戻っていた。

 

「いえ、わたくしどもは現在調達仲介業のみですが、仕事柄危険な空域を飛ぶことも多く、おまけにものによっては機材も余剰が出て無駄になってしまうことがございます。そこで、現在独自に護衛部隊を持とうと検討中なのでございます。ゆくゆくは規模も増やし、安全保障部門へも業務拡大したいなと検討している次第でございまして」

「それで、実戦経験のあるパイロットを引き抜こうって寸法か?」

「もちろん、ただ引く抜くだけではございません。必要な武装、燃料、弾薬は社から供給、昇給制度もございます。ご搭乗の機体も、今なら標準価格の1/3でご提供。実は既に格納庫にて組み立て済みでして」

「……」

 

 呆気にとられるも一瞬、腰を下ろしたままエリクはしばし考えこんだ。

 サピン所属という檻から解かれれば、対ベルカ残党の活動の幅は大幅に広がる上、ラーズグリーズとの連携も視野に入れられる。一番の懸念だった機体についても、既に用意されているとしたら大変都合がいい。所属の問題さえどうにかなれば、確かに悪い話ではなかった。

 話の表面をなぞれば、確かにそうではあるのだが。その決断を鈍らせる要素が一点だけ、エリクの心に引っかかった。

 

「あ、もちろん所属移動の件はお任せ下さい。軍と基地担当者の方にはわたくしどもの方でアレをアレでアレしていい感じに…」

「代償は何だ?」

「え?」

「話がうますぎる。格安の機体、装備弾薬の供給、待遇。新規部門のためにパイロットが欲しいのは分かるが、それにしても極端過ぎる。…俺が払う代償は何だ。どんな契約を結ばせようとしている?」

 

 一際眼を厳しく細め、エリクはサヤカを凝視する。

 そう、気になったのは、言うまでも無く話が出来過ぎていることであった。いくら人材確保が急務といえども、これでは赤字が出るのは目に見えている。よもや足が出た分は腎臓で払って頂きます、の部類ではないと信じたい所だが。…想像したサヤカの脳内イメージがしっくりと来すぎて、我ながら寒気がしそうだった。

 

「ええと、そうでございますね。細目を噛み砕きますと…一つ、給料の6割を生活関係費と維持費として社が徴収、ただし割合は10年かけ漸減とする。一つ、他企業への転職または負傷等による中途退職の際には違約金を徴収する。一つ、通常業務ならびに戦闘行動中は指揮権管轄者…平たく申し上げますとわたくしの指示にいかなる場合でも従う。一つ…」

「もういいもういい。つまり要約すると、最低10年間の奴隷契約…そういうことだな?」

 

 にっこり。

 無言でほほ笑むサヤカの様に、エリクは今度こそ本当に寒気を覚えた。堂々とブラック企業真っ青の契約条件を提示する辺り、紛争激戦地の傭兵コーディネーターより数倍タチが悪い。

 

「いかがですか?」

 

 静かに微笑んで、サヤカは引き起こすように右手を伸ばす。

 沈黙、数秒。

 契約内容自体はどう見ても人間の所業ではないが、考えればこれは千載一遇のチャンスではないのか。戦いへ向かうべき意思と信念を抱える今、何より必要なのは『国』を離れた立場と機体である。奴隷契約であろうと、この契約はそれらを両方手にできる少ない機会なのだ。

 

 迷いはない。月が再び昇るため、鎖は甘んじて受け入れよう。

 目を開く。

 脚に力を入れる。

 エリクは差し伸べられた手を掴み、サヤカに向けて立ち上がった。

 

「よろしく頼む、サヤカ」

「うふふ、歓迎いたしますわエリク様。これで晴れて…あら?」

 

 互いに目と目が交わった矢先、激しく金属の扉を開ける音が響く。どうやらすぐ隣の格納庫がその音の源らしく、続いて慌ただしく駆ける足音がエリクの耳に入って来た。

 右へ左へとさまよう音が、徐々に近づいてくる。格納庫の壁を回りこちらに走り寄って来たのは、司令部付きの通信兵の一人だった。

 

「エリク、ここにいたのか!待機任務なら詰所にいろ!」

「どうした、何かあったのか?」

「緊急出撃だ!出撃したニムロッド隊がウスティオ軍の待ち伏せに遭って包囲されている!場所は近いが敵の数も多く、苦戦中らしい!」

「なんだって…!今出られる機体は!?」

「予備機の『アルバトロス』だけだ。他は全て出払ってるか修理中で使えん!」

 

 予想外の出撃命令に、思わず唇を噛む。

 こちらの行動を読んで待ち伏せした以上、敵は相当の数だろう。出撃しようにも、直線翼機の『アルバトロス』ではむざむざ食われに行くようなものだった。

 『とにかく早く!』。焦りが通信兵の声を荒げさせ、決断を促す。舌打ちを打ちつつも応じかけたその刹那、間に入って押しとどめたのは他でもないサヤカの姿だった。

 

「お待ちください。エリク様、折角です。わたくしどもが用意した機体を使って下さいませ。先ほど申し上げた通り、組み立ても試運転も既に終わっております」

「無理言うな、慣れない機体でいきなり実戦は…」

「大丈夫。大丈夫です。エリク様のためだけに、わたくしがご用意した機体ですから。きっと、すぐに使いこなしていただけます」

「…『アルバトロス』よりはマシか。すぐに出る!発進準備、管制塔にも伝えてくれ!」

 

 引っかかるのは、サヤカの妙な自信。意図するところが分からぬまま、走り出す通信兵と別れたエリクはサヤカとともに格納庫へと駆けだした。

 意外にも、サヤカの脚は早い。こちらが航空装備を固めに足を止める間、殺到する整備兵に先んじてシートに覆われた機体に到着。エリクが遅ればせながら機体にたどり着いた所で、得意げに微笑みながら、サヤカはばさりと保護シートを外した。

 

「……!!これは…!この機体は!」

「ふふ、気に入って頂けましたか、エリク様?」

 

 喧騒に包まれる格納庫をよそに、エリクはその機体の前に立ち尽くす。

 脳裏に蘇るかつての日々、共にあった仲間、それを支えた翼。そしてそれらを礎に、今心に宿る信念。

 心に溢れる熱い感情が、意思を、体を突き動かす。

 一歩踏み出し、触れる機体。どくん、とエンジンが拍動し、新たな相棒が唸りを上げた。

 

******

 

《直上に2機!》

《高度は下げるな、対空砲の餌食になるぞ!》

 

 抜かった。

 降り注ぐ機銃の雨をかいくぐりながら、男――カルロス・グロバールは自らの油断に臍を噛んだ。レクタとウスティオの前線が想像以上の速度で進行し、予測会敵地点より大幅にせり出していたこと。そしてサピンの援軍が侵入するであろう地点をあらかじめ予測し、奇襲能力に長ける垂直離着陸機を配備していたこと。二つの予想外に退路を塞がれた時には、既にニムロッド隊の4機は3倍の機体と地上兵器によって包囲されていたのだ。流石に今まで生き残って来たウスティオ軍である、その追撃は執拗にして的確で、撤退の隙を容易には与えてくれない。

 

 操縦桿を引き、4機ひと塊となって高度を上げる。地上から上がる地対空ミサイル(SAM)を辛うじて回避し、正面を狙う『ハリアーⅡ』4機と対峙する。

 狙うは正面突破のヘッドオン。そう見せかけながら、射程に入る直前で左右に散開。矛先を逸らし、そのまま離脱を図る。

 

 ミサイルアラート。右上空。

 舌打ちとともに操縦桿を押し倒し、カルロスは迫るミサイルを右に受け流した。やはり多勢に無勢はいかんともしがたく、いなした隙を別の敵機が埋めて来る。予測しがたい『ハリアーⅡ』の軌道がカルロス得意の読みを一層困難にさせ、戦況は明らかにこちらに不利となっていた。

 

《ニムロッド4、後ろ!》

 

 背後を取られたアレックスを支援すべく、ブラッドの『ディビナス』が弧を描いて機銃を放つ。その側面を護るべく、フラヴィが相手取るのは3機。そのうちの1機が飛び出て、ブラッドの背後を狙うのをカルロスは見逃さなかった。

 

《させるか!》

 

 主翼下から放たれるは、23㎜2連装4連。連なる光軸は敵機の進路を塞ぎ、『ハリアーⅡ』は攻撃を諦め回避へ舵を切っていく。

 しかし、このままではいずれじり貧。打開のため巡らせた思惟はそのまま一瞬の隙となり、脇をすり抜けた1機がブラッド機目掛けて加速してゆく。当のブラッドはアレックスの支援に機を取られ、背に迫る敵機に気づいていない。

 

《ち…!ブラッド、後方上空だ!ダイブしろ!》

《な…!?そんな急に言われてもぉ!?》

 

 旋回で速度が落ちたブラッド機に対し、敵機はまっすぐ直進してゆく。こちらも加速しようにも、背を追う1機が行く手を阻んでくる。

 間に、合わない。

 

《ブラッド!!》

「――させるかあぁぁ!!」

 

 爆ぜる、声。否、気迫。

 反射的に空を見上げたその瞬間、ブラッドの背を追っていた『ハリアーⅡ』は曳光弾に貫かれて爆散。その爆炎を割くように、小柄な機影が行く手を遮り急降下していった。

 機体全長の半分ほどを占めるデルタ翼。後退角の強い垂直尾翼に単発のエンジン。そして主翼より高い位置に設けられたカナード翼と、『ミラージュⅢ』よろしく太い機首。いささか旧式の機体だが、隣国でいまだ現役のその姿は前線でも見覚えがある。

 あの姿は。そして何よりあの声は。

 

《『クフィルC10』…!エリクか!?》

「おう!」

 

 機首引き上げ、捻りながらの急速上昇。軽量な機体とエンジン出力に物を言わせた機動で、急上昇した『クフィルC10』は目の前の『ハリアーⅡ』を機銃掃射で食いちぎってゆく。その様は、クフィルの名の由来である若獅子そのものの姿だった。あるいは、かつてレクタにいた頃のエリクそのものと言うべきか。

 

《あいつ…!…ははっ、あいつ!》

 

 戦場に乱入した三角翼が、瞬く間に戦況をひっくり返してゆく。

 

 ベルカの思惑を止め、戦争を終わらせて、報復の連鎖を断ち切る。

 しかしそれは義憤でなく、カスパルと同じにならない、報復の連鎖を是としないという意地ゆえに。

 

 信念を載せた新たな翼が、刃のごとく空を舞う。

 30㎜の二筋の牙は、早くも次の目標を噛み千切り、空に爆炎を刻んでいった。


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