Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第29話 聖剣の立つ地(後) ‐報復の末路‐

 上天の青空に無数の幾何学模様が描かれ、時折爆散の炎が彩を加えていく。

 前を見れば、両側に聳えるは頂点すら定かでない断崖絶壁。時に広く、時に張り出し、その無機的な質感とは裏腹に起伏に富んだ山肌は、峡谷を渡る者を威圧せずにはいられない。左右の視界を切り取られ、頭上だけが青くぽっかりと空いたその様は、まるで川の中から地上を見上げる鮒にでもなったかのような気分だった。

 

 サピン王国北東部、ピレニア山脈。その東側に空いた峡谷開口部が蛇行しつつ西進し、大きくぐるりと南へ回り込んでから、山脈の中央部へと北上する、その最中の地点。

 この狭い峡谷を、3機の戦闘機が地を這うように飛んでいるなど、気づく者はそうはいないに違いない。攻撃の主力を担っているウスティオやレクタの正規軍侵入ルートとは丁度真逆に位置するため、実質的にも心理的にも人の目が向かいにくいというのが一つ。峡谷という地形の関係上、こちらの位置は張り出した岸壁が覆い隠し、人目に触れにくくなっているというのがもう一つ。そして極め付きには、電子の目すらも欺くステルス能力の存在が、この機体の捕捉を一層困難にさせている。現にレクタ‐サピン国境を越境して以降も、小規模な観測所一か所を通過した他は何一つ遮られることなく、機体――F-35A『ライトニングⅡ』は『聖剣』の喉元近くへと着実に近づきつつあった。

 

《順調だ。サピンの連中、こっちのルートには警戒すらしちゃいませんぜ》

《傍受される危険がある。不要不急の通信は慎め、スポーク3》

 

 前と後ろ、連なる2人の会話を傍らに、スポーク2――パウラ・ニーダーハウゼンは改めて戦況を俯瞰する。

 『聖剣』――すなわちサピン軍擁するレーザー列車砲『カリヴルヌス』。山肌を穿った要害堅固な拠点に身を潜める超兵器は、今だ隆盛を誇るサピンを弱体化させる上で、排除が不可欠な存在であった。幸い、両大国オーシアとユークトバニアは同志の手によって大きく弱体化しつつあり、現在ユークトバニア本土で血みどろの決戦を続けている状況である。開戦から2か月半を経て、ウスティオ、レクタ、ラティオといった諸国は大きく国力を失っている今、ベルカ残党同志にとって残るべき障害はサピンの存在のみと言っていいだろう。サピンと歩調を合わせるゲベートや親ユークトバニア路線を取るファト連邦の存在もあるが、サピンと比べれば国力の上で物の数ではない。

 つまるところ、ここで『カリヴルヌス』の排除に成功するかどうかが、自分たちベルカ残党による目的――戦争の長期継続による周辺諸国の荒廃――が達成できるかどうかの分水嶺という訳であった。

 

 その真の目的を秘めつつ、同盟国のウスティオ軍も巻き込んで、作戦は大規模なものとなった。

 電子戦機を交えた第一波および第二波は、高高度域でレーザーを中継する大型機『アークトゥルス』を執拗に攻撃。攻撃目標が『アークトゥルス』だとサピン側に誤認させ、意識を上空に向けさせた隙を突いて、ごく少数のステルス機が拠点攻撃を行うという戦術が取られることとなったのだ。それを受けて、今回は空対空装備も必要最低限に留め、近距離用空対空ミサイル(AAM)が2基のみ。それ以外は『ライトニングⅡ』の搭載量ぎりぎりまで空対地装備を詰め込んだ、拠点攻撃特化装備が施されている。わずか3機とはいえ、最大搭載量8tを超える『ライトニングⅡ』の能力ならば、山岳拠点の開口部全てを破壊することなど容易といっていいだろう。

 

 こうしてウスティオ軍を囮として使えているのも、ウスティオ軍内に潜入した同志の活動の賜物だが、実際には『アークトゥルス』が攻撃目標だと信じ込まされているウスティオ兵も少なくないのだろう。敵を欺くにはまず味方から、の諺にもあるが、実際にウスティオやレクタの兵が何人死んだ所で関知する必要もない。そこまで非情になりきらねば、敵国内に巣食って裏切るという真似はできるものではないのだ。

 

 同じベルカ残党ではあるものの、おそらく自分ではそこまで徹しきることはできなかっただろう。

 ウスティオやレクタの兵の命など、今更知ったことではない。そう思う気持ちはあれど、その一方である面影が脳裏に滲んで離れないのも事実なのだ。

 絶望的なあの戦況の中でも、闊達な明るさを放っていた4人の飛行隊。…そして、その、2番機。

 …本当に、殺さなければならなかったのだろうか。

 残影と今更の後悔は、今だ心に沁みついて離れない。

 

 電子音。

 警報。

 

 はっと我に返り、パウラは内奥へ向けていた意識を呼び戻す。

 敵、ではない。

 自身のヘルメットに表示されたヘッドマウントディスプレイ(HMD)によると、『正面衝突注意』の文字。気づけば、距離200ほどのところに岩が大きく突き出ているのが見て取れる。

 フットペダル踏下、操縦桿わずかに左へ。

 灰帯を染め抜いた黒い機体は、風に乗って滑らかに空を滑り、岩の傍らを過ぎていく。どうやら内省の隙に、機体の進路が僅かに右にずれてしまっていたらしい。

 

 巡航速度維持、目標まで10分程度。空では相変わらず敵味方が飛行機雲の渦を描き、時折『カリヴルヌス』が直接照準でレーザー砲を放っている。光軸が閃くその位置は時を追うごとに近くなっており、その本拠がもはやすぐそばであることを告げていた。

 

《ハル……、散開…!後方、『黒…』…》

《…メで…!食い……て離れな…》

《ニム……ド2、FOX…!逃…さな…よ!》

 

 やや距離が遠いためか雑音が多いものの、上空から降ってくる通信は彼我が入り乱れ乱麻の様相を呈している。おそらく、連続したレーザー照射が空気中の分子に影響を及ぼしたゆえの混線なのだろう。確かかつてラティオのレーザー兵器『テュールの剣』攻略作戦の際にも、同様の現象が発生していた。すなわち裏を返せば、この劣悪な通信状況は敵にとっても同じ。隠密行動を行う上では、こちらにとってプラスとなりうる。

 

《こ…ら『…………ヌス』!上空…敵機…まだ掃………ん…か!?》

《見………ぞ、…………隊。…逃……か。……し………か…!》

 

 意味を成しえない雑多な混線を脳裏から追い出し、今度こそ眼前に集中する。

 距離にしてあとわずか、ここまで来れば流石に監視の目もあるだろうが、頼みの綱である護衛戦闘機は高度数千は上空、もはや間に合うこと叶わない。事実、飛び交う無線はいずれも雑音の彼方。相当の距離があることを物語っている。

 

《……ルス……を隠し……、俺……見え…。そ…呪わ…た灰色…が、『亡霊』のエ……レムが……限り…!》

 

 いや。

 雑多な無線の中で、一つだけ明瞭さを増すものがある。

 高度を下げているのか、急速に近づいているのか。雑音が減ってゆくその様子からは、猛追する『何か』の存在を確かに伺うことができる。

 

 警報。

 しかし、先ほどとは違い前方ではない。眼前に障害はなく、側方の岩壁にもそれらしき脅威はない。

 HMD表示は、後方。こちらの背後、斜め上。

 

《隊長…、ヴィ…さんの、クリスの無念……今、俺…晴らして……る》

 

 怨念と決意の籠った男の声。

 聞き知った、脳裏に浮かぶ記憶。

 馬鹿な。この声は、まさか。

 

《その首で償え。…『グラオガイスト』!!》

「……エリク…!?」

 

 予期せぬ再会に、胸に渦巻くは苦い歓喜と疼痛。

 思わず斜め後方を振り返ると、岩肌に切り取られた空の上に、無数の光弾が迫っていた。

 さながら、月夜から流れ落ちる流星のように。

 

******

 

 僥倖。

 それ以外に、表現すべき言葉は無かった。

 レクタの偽『ハルヴ隊』1機を返り討ちにし、レクタの攻勢に一瞬生じた隙。

 残る『ハルヴ』もニムロッド隊に気を取られ、それに応じたサピン軍と混戦模様となった空。

 レーザー砲の乱射が空気中の電位を不安定にすることで誘発された混線。

 混線が、『グラオガイスト』の手がかりとなる通信を拾うという偶然。

 そして、通信を頼りに急降下したその先、『カリヴルヌス』に至る渓谷で捉えた3つの機影。

 

 頬が自然と笑みを履く。

 噛み締めた奥歯がぎりりと鳴り、暗い歓喜と高揚が心を満たす。

 なんという、偶然。まるで神が――否、悪魔が導いたようではないか。

 空から注ぐ混線も考慮の外に、気づけばエリクは誰言うでもなく、言葉を紡いでいた。呪詛とも決意ともつかぬ、憤怒を纏ったその言葉を。

 

「ステルスで姿を隠しても、俺には見える。その呪われた灰色帯が、『亡霊』のエンブレムがある限り…!」

 

 怨念を宿す右の瞳は、確かに渓谷内の3機を捉える。

 時折岩肌に隠れて確かめ難いものの、やや外側に開いた垂直尾翼にずんぐりとした機首、菱形に近い前傾した主翼後縁は、間違いなくF-35『ライトニングⅡ』シリーズの姿である。塗装は黒地、主翼を貫く灰色の帯。エンブレムはまだ焦点の外だが、カルロスから聞いた情報と併せれば、その塗装は間違いない。

 

 あの忌まわしい『スポーク隊』。

 隊長達を亡き者にした、15年前の古ぼけた妄執を宿した『グラオガイスト(灰色の亡霊)』。

 

「隊長の、ヴィルさんの、クリスの無念を…今、俺が晴らしてやる》

 

 急降下の重力加速度にエンジンの出力、高速航行に適した『ダガーA』のデルタ翼が相まって、高度計はみるみる内に下がってゆく。まるで獲物を狙う猛禽が空高くから舞い降りるように、あるいは死神が地へと堕ちるように。矢のように洗練された『ダガーA』のシルエットは、目指す敵の首元目掛けて凄まじい勢いで駆け降りる。

 

 兵装選択、主翼外側ハードポイント。無誘導ロケットランチャー(RCL)、連装19発2基の過半を使用。

 照準の中で、谷間に隠れる3つの機影は急速に近づいてゆく。

 あと2000。

 1800。

 1500。

 左右に狭まる渓谷。背後頭上を押さえるという絶好の状況。

 目が奔る。コンソールに入力をする指に力が入る。

 あの時から、俺はこの瞬間を待っていた。

 一つずつ心を殺して、報復のためだけに研ぎ澄まして、祖国の機体さえ撃ち落として。ただただ復讐のために一心に、この時だけを待っていた。

 

 卑劣に命を奪われた皆の無念を。残された者の怒りを。

 

「その首で償え。…『グラオガイスト』!!」

 

 相対距離、1200。

 目がそれを捉えた瞬間、エリクは引き金を引いた。

 

 空気が爆ぜる音がコクピットを満たし、両翼からいくつもの白煙が渓谷内へ向けて放たれてゆく。回避を見越して照準をわずかに左へずらしたものの、それらは連なる編隊の先頭目掛け、速度を上げて猛進していった。

 

 こちらに気づいたのだろう、一瞬の虚を置いて、3機は回避のために上昇する。ステルス機能を持つF-35ならば、たとえ急上昇で高度を失っても誘導式ミサイルの直撃はないと踏んだのだろう。ましてこちらの装備がRCLだと見切ったとすれば、無誘導のまま当てずっぽうに放たれるロケット砲など物の数ではないと判断したとしてもおかしくはなかった。事実、本来空対地装備であるRCLで対空攻撃を行ったところで、直撃しなければさしたる損害は生じえないのだ。目標となる敵機の速度が遅かったジェット黎明期ならばまだしも、無誘導のロケット砲は空対空装備としての役割を終えている。それが、一般的な常識である。

 

 ――そう。一般的に用いられる、普通の弾頭と着発式信管ならば、だ。

 

《…何っ!?》

 

 炸裂。何もない中空で突如生じた衝撃は、通信に混じった男の声をかき消した。

 上昇を始めた3機のF-35。その背に500まで迫った所で、放たれたRCLが一斉に炸裂したのだ。当然、通常の炸薬では損傷を与えられる距離ではなく、平時ならば自爆か誤作動を疑う所だろう。

 

 誰かが息を呑む。

 F-35が急上昇から旋回へと移行する。

 『正体』を察したらしいその行動は、しかし既に遅きに失していた。回避に入るべくこちらに背を向け、投影面積を増大した『ライトニングⅡ』の機体。その回避の軌跡上に、無数の矢が――比喩ではなく、正真正銘の金属製の『矢』が、雨のように降り注いだのである。

 

 ロケット砲に内蔵された、拡散する無数の矢弾――いわゆる『フレシェット』弾頭。それこそが、対ステルスのためにエリクが考え抜き用意した装備だった。

 構造は至って単純であり、一般的にイメージされる散弾のように、ロケット弾の弾頭部に無数の子弾が充填されたものである。目標の手前で炸裂した母弾から子弾が放たれることで広範囲に被害を及ぼすものであり、専ら散兵や軽車両といった地上目標へ用いられることは多い武装である点も、一般的な散弾と変わりはない。

 異なるのは、フレシェット(ダーツ)の名に由来する子弾の形状である。すなわち子弾が球体である散弾と異なり、フレシェット弾の子弾は矢のように鋭利な形状となっているのだ。この形状と母弾炸裂時の衝撃で以て子弾は目標を貫通し、あるいは突き刺さって対象へダメージを与えるという訳である。

 

 炸裂し広範囲に効力範囲を及ぼすこの弾頭に、エリクは発射前に起爆時間を設定できるセレクタブル時限信管を組み合わせ、即席の空対空ロケットとして運用することとした。すなわち頭を悩ませていた『いかに誘導兵器を当てるか』から『必中を期すのではなく広範囲攻撃で命中率を上げる』、有体に言えば『数撃ちゃ当たる』戦法に発想をシフトしたのである。この発想に、カルロスがかつて用いた対ステルス戦術――敵機にチャフを纏わりつかせる――が構想を後押しした。チャフに代わる金属片となるフレシェット弾頭ならば、広範囲攻撃にステルス破りを両立できることとなる。電波誘導式ミサイルを持たない『ダガーA』にはレーダーで捕捉が可能となることの意味はさほどないものの、『カリヴルヌス』側からレーダー捕捉が可能となる点のメリットは計り知れない。

 

 ステルスを破る乾坤の一撃は、無数の矢弾となって殺到する。

 左旋回に入った2番機の手前で爆散したそれらは、『ライトニングⅡ』の主翼や胴体をことごとく貫通。瞬く間に灰色の帯を蜂の巣にし、その戦闘能力を瞬く間に奪い去っていった。背後から散弾を受ける形になった先頭の1機も同様で、主翼の後ろ端やエンジンカウルは穴を穿たれ半壊し、尾翼も片方の後端はちぎれかかっている。貫通しなかった矢弾も機体表面に槍衾のごとく突き刺さっており、そのステルス能力を著しく損なわせていた。

 

 必勝を期した、対ステルスの秘策にふさわしい効果。

 唯一の誤算は、より至近で炸裂させ高威力を期すあまり、時限信管の起爆設定を遅めにしてしまったことだろう。事実、同じ軌跡上に入った先頭の2機の中破には成功したものの、右旋回で回避した3番機は損傷を受けることなく回避しおおせていった。

 

「1機外したか!」

《…やっぱ聞き間違いじゃねえ。その声、それにその塗装…まさか、エリクか!?パウラに撃墜された筈じゃ…!》

「地を這って、ウスティオやレクタの血を啜って今まで生きながらえて来た。ロベルト隊長たちの無念を晴らして、あんたたちに復讐するためにな!!」

《化けて出てきたとでも言いてえのか…!狂ってやがる》

《………》

《ち…。よもや『亡霊』が、死に損ないの幽鬼に邪魔されるとはな。パウラ、お前はただちに帰投しろ》

《…!少佐、まだ私は…!》

《その損傷では無理だ。我らの戦いはまだ続く。…自愛しろ、パウラ》

《…………了解》

 

 憎悪の籠った言葉の応酬の合間に、再び『カリヴルヌス』のレーザーが天を焦がす。

 轟音の最中、沈黙を破ったパウラのはパウラの言葉。その意思に従うように、黒煙を吐いて傷ついたF-35は、翼を翻して東へと機首を向けていく。

 逃がすか。たとえパウラといえども、ベルカ残党を名乗る限り、その灰帯を身に着ける限りは報復の相手に他ならない。

 

 右目でその背を睨み、操縦桿を傾け背後を狙う。フレシェット弾頭が突き刺さったエンジンカウルは損傷して噴射炎が露わとなっており、『ダガーA』が装備する赤外線誘導式AAMでも捉えることは可能な筈だった。

 兵装切り替え、単距離AAM。

 その背を捉えかけたミサイルシーカーは、しかし直後に眼前を横切る黒い影に阻まれた。衝突警報とともに接近し急速に離れるその機体は、損傷のない灰帯。すなわち回避に成功したフィンセントのF-35に違いない。

 

「ち…!邪魔を!」

《ハン、レクタの英雄様は、逃げる損傷機の背中を狙い打つのか?》

「黙れ!!薄汚い裏切り者のあんたらに言われる筋合いは無い!」

《オットー、『カリヴルヌス』攻撃は私一人で行う。エリク・ボルストは任せる。ここで確実に、念入りに始末しろ》

《了解!ここまで来たんだ、今更邪魔はさせねぇ。ここで死んで貰うぜ、エリク》

「…邪魔するなら、あんたも殺すまでだ。フィンセント・デ・フロート!!」

 

 翼を翻し、『カリヴルヌス』が鎮座する北へと機首を向けるアルヴィン。片や、パウラのF-35は既に辛うじて姿が見えるほどにまで遠ざかってしまっている。逃げる2機に対しフィンセントの『ライトニングⅡ』はこちらの進路を妨げるように旋回し、あくまでこちらと相対する意思を明確に表していた。

 

 ちっ。思わず口角から洩れる舌打ちを空に消し、エリクは操縦桿を右手前へ引いて急速右旋回へと入った。狙うは、フィンセント機の進路上。誘導性に頼らない、フレシェット弾による広範囲飽和攻撃。

 『ダガーA』が大きく横旋回する『ライトニングⅡ』の後方に就き、こちらの鼻先と『ライトニングⅡ』の予測進路が交わる。

 距離、1100。射程圏内。致命は期せないが、広範囲から確実に損傷を与える距離。

 目と照準が合わさる。機械のように連動した指が引き金を引く。

 放たれたロケット弾は、残量のほとんどを消費する10発あまり。誘導性が無いゆえにそれらは放射状に広がり、一定の距離を進んだのちに炸裂してゆく。

 

 しかし、今度は読みが甘かった。

 フィンセント機は炸裂の距離を図るや、右横転旋回から一度機体を左へ捻って反転急降下。拡散する矢弾の散布範囲から強引に逃れ、そのダメージを最小限に防いだのだ。両側を岩壁に覆われ低空でもあった先ほどとは異なり、一定の高度があり逃げ場の多い今は、たとえ散弾といえどもF-35相手に必中は狙えない。

 

 低空へ逃れ加速するフィンセントを追うべく、エリクは操縦桿を左手前へ引き、反転降下へ入る。

 加速に長じる軽戦闘攻撃機『ダガーA』でありながら、しかし敵は自重も重なり降下が速い。彼我の距離は見る間に離れていき、あっという間にAAMの射程を振り切っていった。

 殊近距離の格闘戦となってしまえば、互いの性能差が顕著に表れて来る。F-35『ライトニングⅡ』は第5世代機の中では比較的格闘戦が苦手ではあるが、それでも第3世代の『ダガーA』と比べればその性能は圧倒的と言っていい。事実、加速を重ねたフィンセント機は機首を引き上げ、山頂を掠めて急上昇。対地兵装を満載しているとは思えない軽快な軌道で反転し、理想的なインメルマンターンの軌跡を描いてこちらへ肉薄してきたのだ。

 

 過去に実証した通り、『ダガーA』の30㎜機関砲は弾丸重量とサイズの関係で、正面からの打ち合いには向いていない。曲射で射程を伸ばすにも、ミサイルを撃たれかねない今は危険が増すばかりである。

 咄嗟に判断し、エリクは操縦桿に力を込めて右旋回。目が健在で視野の広い右側へと機体を捻り、敵に対し横向きに腹を晒した。

 ミサイルアラートとともに、鳴り響くのは接近警報。次いで機関砲が唸る轟音と、それらが金属を拉ぐ音。

 近距離では、25㎜機関砲の比類ない精度が威力を発揮する。危うくミサイルが空を切った一方で、放たれた一筋の光軸は『ダガーA』の右翼を正確に貫き、刻まれた星の塗装へいくつもの穴を穿っていった。

 しかし、幸いにしてまだ損傷は浅い。右旋回から急降下へと入り、今度は追われる立場となりながら速度を稼いでいく。後方上空、警戒ミラーに映るは太陽の光と、その中で旋回し急降下に入る『ライトニングⅡ』の姿。

 

《こ、こちら『カリヴルヌス』!敵機1、迎撃エリア内に侵入!護衛機は何をしている!》

《こちらデル・タウロ。敵第4波の襲来で、迎撃機を割くことは困難です》

《くそ…!『マタドール』部隊を早く呼び戻せ!》

《第3トンネル開口部より緊急連絡!敵機の対地ミサイルによりトンネルが崩壊、『カリヴルヌス』用線路が通行不能です!》

 

 通信回線がにわかに騒がしくなり、戦況の切迫を距離を隔ててなお物語る。おそらくはアルヴィンが『カリヴルヌス』の拠点に到達したのだろうが、今は『カリヴルヌス』の危機より眼前のフィンセントだった。サピンの決戦兵器がどうなろうと、元より知ったことではない。

 

 後方、距離おおむね1200。

 瞬く間に距離を詰めた『ライトニングⅡ』が、嬲るように背を捉えこちらを追い詰めつつある。山肌を掠め、狭隘な谷間を抜けて攪乱するも、その距離は容易に離れない。下方に逃れるという手も塞がれた以上、致命的な状態に至るのは時間の問題だった。忌々しくもさすがはベルカ残党ということだろう、頭上をしっかり押さえたまま、性能で劣り機位も拙いこちらはどんどんと追い詰められてゆく。

 

 右旋回。湾曲する稜線に沿って間髪入れず左。視界の利きにくい左へと舵を切り、地形追従レーダーに目を走らせた時、エリクは思わず絶句した。

 両側に稜線が迫る谷間。その先に、一際高い山が聳えていたのだ。標高にして4000m級に至るだろうか、それはさながら袋小路のように進路を遮ってしまっている。左右、上、いずれへ避けるにも上昇せねばならず、その隙に落ちる速度をフィンセントが逃す筈はない。

 

《行き止まりだな。どうするエリク、上も右も左も、逃げ場なんてもう無いぜ》

「く…!」

 

 胸を絶望感が浸し、広がる苦みが体を犯してゆく。

 どうする。どう逃れればいい。

 

《所詮、お前の復讐心はそこまでってことだ。容易に行き止まりに嵌って終わる。俺たちの、15年越しの報復に比べれば、ちっぽけで惨めなモンだ》

「なんだと…!!」

 

 絶望に灯る炎。

 報復を誓った、熱く暗い焔。フィンセントの言葉に、隊長たちへ向けられた侮辱に、胸の内奥のそれは再び滾り燃え盛る。

 ちっぽけで、惨め。その言葉を、侮辱を、許容する訳にはいかない。ここで諦める訳にはいかない。

 

「今、何て言った…!隊長やヴィルさん、クリスへの思いがちっぽけだと言ったな!?」

《ああちっぽけだ、取るに足らん!3人の戦友が何だ!こちとら戦友二人どころか、家族同胞を街ごと燃やされてんだよ!!あいつらの弔いのための復讐だ、お前にも誰にも、邪魔はさせねぇ!》

「………!」

 

 目前に絶壁が迫る。

 後背にフィンセントが迫る。

 もはや、迷うまでもない。道は一つ、天へと至る山の向こう、それ以外に無い。

 

「――知ったことかあぁぁぁぁ!!」

 

 咆哮。

 同時に、左手を添えて思いきり操縦桿を引き上げ、エリクは機首を強引に上へと持ち上げた。

 落ちる速度、距離を詰める『ライトニングⅡ』。そして正面、太陽煌めく照準器の中に映るは、雪に覆われた山頂。横方向へ機体がぶれるのも構わず、エリクは残ったAAMを選択し、その頂上目掛けて撃ち放った。

 

 白い肌に爆ぜる爆炎。そして直後に生じるは、雪と岩の崩落によるモノクロ色の雪崩。崩落は瞬く間に広範囲へと広がって、さながら白い波濤のように眼前を覆ってゆく。

 迫る雪の白波、閉ざされる視界。薄くも広いその最中へ向け、エリクは残る武装であるRCLを選択し、残弾全てを解き放った。

 炸裂、6連。ぽっかりと空いたわずかな隙間。白い膜に穿たれた空色の穴へ向け、エリクは迷わず直進してゆく。

 視界が白く覆われ、機体が雪に呑まれたかに見えたその一瞬。空隙が雪崩に再び閉ざされる一拍前に、彼が駆る『ダガーA』は雪崩を抜けて宙へと舞った。

 

《な、ん、だと…!!これしき、……これしきでェェェ!!》

 

 後方警戒ミラーの中で、フィンセントの『ライトニングⅡ』が断末魔の咆哮を上げる。

 頭上を覆う雪崩の中、狂ったように25㎜機関砲を撃ち放つ『ライトニングⅡ』。炸裂で生じた小さな穴は、しかし10m超となるF-35の全幅を満たすほどには至らない。ミサイルを使い果たしたのだろう、多彩な武装を抱えている筈の機体下部の弾倉庫が開く気配も見て取ることはできなかった。

 

《…嘘だ。こんな、こんな道半ばで、こんな――!!》

 

 機銃で穿たれた小孔が、連鎖する崩落の中に閉じてゆく。

 灰帯を染めた黒塗りの機体は、閉じ行く白い波に呑み込まれ――その姿を、空から完全に消し去った。

 

「ハァ、ハァ…!…思い、知れ…!」

 

 息があがり、動悸が胸を揺さぶる。

 待ちわびた筈の瞬間、それに反して苦い胸の味。その理由を確かめる暇もなく、エリクは周囲を見回した。当然ながら既にパウラの姿は無く、上空に描かれる空戦の様も落ち着いたように見受けられる。

 ならば、残るは。

 

《くそ、くそっ!対空砲急げ!敵はステルス機だ、❘地対空ミサイル《SAM》は使い物にならん!》

《第2、第4トンネル完全に崩落しました!残る第1トンネルも損傷大!このままでは…!》

《く、『カリヴルヌス』はトンネル内に退避しろ!ダメージコントロール要員以外は地下避難経路より退避!》

 

 焦燥に満ちた通信が、エリクの鼓膜を揺らす。

 本来の護衛目標である『カリヴルヌス』の危機。そこまで到達した敵機が他にいないことを合わせれば、先の通信が物語る結論は一つである。

 あの男は、アルヴィンは『カリヴルヌス』の下に今もいる。

 

 方角を確かめ、翼を翻してわずかに数分。指した空の先には、地より上がるいくつもの黒煙。

 エリクが聖剣の下へ到達するのと、1機のF-35がトンネル目掛けミサイルを放ち、土煙とともに崩落せしめるのは同時だった。

 

《だ…第1トンネル崩壊!すべての開口部を閉ざされました!》

《こちら『カリヴルヌス』格納庫、トンネル崩壊の衝撃で落盤が発生!『カリヴルヌス』車体に損傷!》

 

 立ち上る対空砲火の中を、アルヴィンの『ライトニングⅡ』が合間を縫うように飛んで行く。流石に単機での攻撃だったためだろう、その機体にはフレシェット弾頭以外にもいくつもの弾痕が穿たれ、損傷を先にも増して広げていた。

 上空を顧みれば、三々五々と高度を下げて来るサピン軍機の姿が認められる。『カリヴルヌス』封印を見届け、ウスティオ・レクタ連合軍が撤退に入ったのだろう。いくらアルヴィンとはいえ、ここから生還することは不可能に違いない。

 

 もはや、顧みるものは無い。エリクは操縦桿を押し、高度を下げながらアルヴィン機へ向け機首を向けた。

 

《その様子では、オットーを屠ったか。…だが一歩遅れたな、エリク・ボルスト。我々の計画通り、『カリヴルヌス』は沈黙した》

「関係ない。俺の狙いは、最初からあんただ」

《私は、止まる訳にはいかない。パウラのためにも、散っていった同胞のためにも、そして…。…皆のためにも、生きて還らなければならないのだ》

「虫のいいことを…。もう、あんたは終わりだ。せめて俺が引導を渡して、隊長たちへの償いをさせてやる」

《押し通らせてもらう。君の背の先にある、ベルカに向けて》

 

 こちらへ向けて機首を翻す、灰色帯の『ライトニングⅡ』。ぼろぼろとなった機体ながら、真正面から向かってくるその様からは、言葉に違わない『押し通る』という気迫が滲み出ている。

 もう、AAMもRCLも残っていない。

 残る唯一の武装である30㎜機関砲を備え、エリクは真正面からアルヴィンへと向かっていった。高度はこちらがやや高く、それだけに速度も乗ってゆく。

 ベクトル直交、進路は過たず真正面。照準器の中で、F-35の姿は徐々に大きく、相対速度を乗せて急速に近づいてゆく。この瞬間を、この手で報復を成し遂げる時を、どれだけ待ちわびたことか。

 

 敵機、発砲。

 F-35の機首の横がちかちかと爆ぜ、曳光弾が『ダガーA』を襲う。

 25㎜特有の正確な弾道にパイロットの技量が重なれば、機関砲ですら致命となりうる。25㎜の弾丸は機首を集中的に打ち据えて、弾丸がキャノピーを割り、飛び散った破片が皮膚を割いてゆく。

 びちり。

 右の二の腕。出血がガラスに飛び散り、高揚した脳裏にも痛みを刻む。

 引き金は、今だ指の中。30㎜機関砲では、近づかない限り必中は狙えない。

 

 500。

 400。

 フレームで跳ね返った弾丸の破片が正面コンソールを直撃し、速度計を抉り飛ばす。じわりとパイロットスーツに血が滲むのも感じるが、破片が刺さったのか、それとも皮膚を割いただけなのか、もはや正面しか見えないエリクには関知する合間もない。

 引き金を引き絞る。隻眼が、正面の敵を見据える。

 円形の中に捉える、男の相貌。

 唯一無二の仇であり、生きながらえた目的の顔。

 距離、300。

 

「墜ちろおぉぉぉぉ!!」

 

 コンマ、数秒。

 引き付けた機銃掃射は、徒弾一つなくF-35へ殺到。その機首を、側面インテークを、翼を打ち砕いて、灰帯のF-35は炎に包まれた。体を染め抜く塗装さながらの黒と、報復の意思を体現する赤に身を焦がしながら。

 

「はあっ、はあっ、…はあっ!終わり、だ…『グラオガイスト』!!」

《終わり…。…そうか、終わりか。これで、ようやく解放されるのだな。裏切り者の誹りからも、非道に手を染める罪からも、虚しい報復の連鎖からも。…ようやく、終わるのだな》

 

 耳を揺さぶるは、フィンセントとは対照的な、静かな独白。その言葉には怨念も呪詛もなく、ただ平穏の響きだけがある。自らの死を『解放』と評し、従容と運命を受け入れながら。

 

「…報復の、連鎖…」

《…還ろう、ベルカへ。……還ろう、去りし日の、ホフヌングへ――》

 

 寂しく謳うようなアルヴィンの声が、機体を包む閃光の中に消えてゆく。

 今わの際の、その瞬間。『ライトニングⅡ』の機首は、確かにベルカの方を向いていた。

 

「……ロベルト隊長。ヴィルさん。クリス。…やったぞ、俺は。見てて、くれたか。――見てて、くれた、よな……?」

 

 重みの増した体が、急速に意識を手放してゆく。閉じそうな瞼の奥には、確かに健在だったあのころの、皆の姿があった。

 

 ぶつり。

 体のどこかで、そんな音がした。

 どこかの筋か血管が切れたのか、意識が薄れたゆえの幻聴か、それとももっと何か、大切な何かが断ち切れた音だったのか。

 確かめる手段を失ったまま、エリクの意識は闇の中へと呑まれていった。




《…諸君、ご苦労だった。ウスティオ・レクタ連合軍の撃退には成功したものの、敵機の奇襲を受け、『カリヴルヌス』山岳基地はその機能を失った。おそらく復旧には数か月を要することになるだろう。
幸い航空戦力を損耗したウスティオ・レクタとは膠着状態に入るだろうが、オーシアおよびユークトバニア同盟下のファト連邦の動向は予断を許さない。諸君は引き続き警戒態勢を維持して貰いたい。以上だ》

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