Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《迎撃待機の各員に告ぐ。国境付近に展開中の偵察機より、ウスティオおよびレクタから多数の戦闘機が発進し、ピレニア山脈へ進路を取っているとの情報が入った。どうやら先日の失敗を反省し、航空戦力でもって集中的に『アークトゥルス』を叩く積りらしい。
懲りない連中だ。諸君は直ちに出撃し、高高度域に展開中の『アークトゥルス』の護衛に就け。『カリヴルヌス』照射の余波にはくれぐれも注意し、射線警告の通信を常に意識せよ。》


第28話 聖剣の立つ地(前) ‐尖鋭なる短剣‐

 巨大な影が頭上を覆い、荒々しい山肌へと陰影を落としている。

 平行に並んだ2つの胴体、両翼に4つと尾部に2つを備えたエンジン、そして機体各所から空を睨む機銃。ベルカ公国の忘れ形見たる大型爆撃機『リンドヴルム』の血を引く機体らしく、その威容は原型機完成から半世紀を経た今となっても些かも劣らず空を圧している。

 さながら、神話の世界から飛び出してきたかのような、巨大な双頭竜――。いっそ禍々しさすら覚えさせるその巨体の下方で、エリクは乗機『ダガーA』から、しばし周囲を見渡した。

 

 大型双胴機にして、サピンのレーザー兵器『カリヴルヌス』中継機たる役割を帯びた『アークトゥルス』。それを中心に、周囲を多数の戦闘機が遊弋する様は、もはや航空編隊と言うよりも空に浮かぶ砦と評する方がいっそ近い。

 事前情報通りであれば、こちらの展開機数はこれまでにも増して多い。戦闘機隊の総指揮は、これまでの空戦で顔なじみにもなった『エスクード隊』に属する深紅の『タイフーン』4機。これにF/A-18C/D『ホーネット』の3小隊12機が『アークトゥルス』の左右および後方を護るというのが、サピン正規軍の編成である。これに、サピン傭兵航空隊である『ニムロッド隊』のMiG-21UPG『ディビナス』4機と『グレイブ隊』のJ-10A『ファイヤーバード』4機、それにエリクの『ダガーA』が続く。合計25機という圧巻の護衛体制に加え、今回は後方に空中管制機『デル・タウロ』が、低空域にはハリアーⅡのサピン仕様であるEAV-8B『マタドールⅡ』からなる編隊がそれぞれ配置されており、まさに鉄壁の防御陣というべき様相を呈していた。

 もっとも、第4世代機や同時代相応のアップグレードを施した機体、空中管制機といった現代戦に相応しい編成の中で、唯一エリクの乗機『ダガーA』だけは旧式機の域を出ていない。アップグレードを経ていてもその性能は原型機『ミラージュ5』同様に第3世代機級がせいぜいいい所であり、おまけに対空能力に至っては、そもそもが戦闘攻撃機ということもあり不足と言わざるを得ないだろう。対空レーダーを装備せず、せいぜい赤外線誘導式短距離空対空ミサイル(AAM)での自己防衛が関の山という辺りからも、その苦衷は垣間見える。本来であれば前回の迎撃戦同様、基地で留守番しているべき機体なのだ。何せ、先の迎撃戦ではウスティオの一般的な配備機であるF-16シリーズにすら苦戦したほどであったのだから。

 

 それでもなお、エリクが性能差を押してまで出撃してきたのには理由があった。

 兵器や機体を購入するため、資金が必要というのは当然一つ。しかしそれ以上に、エリクには実際に出撃して、何としても確かめなければならない事があったのである。

 ステルス。現代の航空戦において、勝利をもたらす重要な要素の一つ。旧式の『ダガーA』で、それをいかにして破るか――。一見無茶としか思えないこの命題に対する『答え合わせ』を試すというのが、今回エリクが無理を押して出撃してきた理由だった。

 

 そもそもの発端は、カルロスからもたらされた裏切り者『グラオガイスト隊』に関する情報だった。

 あの宿敵たる奴らが、最新鋭ステルス戦闘機であるF-35A『ライトニングⅡ』を駆っている。

 その情報を得た時から、エリクはひたすら打ち勝つ方法を考え続けた。手っ取り早いのは金を稼ぎ新たな機体を購入することだが、そのためには資金が到底足りない。しかし技量はともかくとして性能差はいかんともしがたく、ましてステルス能力を持つ『ライトニングⅡ』と対空レーダーすら持たない『ダガーA』では話にもならない。

 考え、迷い、狂騒するまで考え続けること数日。対ステルス機の経験があるカルロスの意見やサヤカから提示された対応兵装性能諸元を加味して、考え抜いた末の対『グラオガイスト』装備こそが、今『ダガーA』に備わっている姿であった。

 もっとも、その装備もほとんどは元々と変わっていない。5か所のハードポイントのうち胴体下のものには増槽を下げ、主翼内側には自衛用の赤外線誘導式短距離AAMを各1基搭載している点も従来のままである。

 唯一変わっているのは、主翼外側のハードポイントに無誘導ロケットランチャーを装備していることだった。それも、通常の『ミラージュ』に対応した先端が円錐形に近い形状のものではなく、大きな円筒状のランチャーの中にロケット弾が複数装填されている別規格のものであり、外見上の違和感を醸し出している。互換性の点で些か無理をしたものの、ミラージュ5譲りの搭載能力をフルに活かした結果であった。

 

 ステルス機には、当然誘導兵器が通用しない。にもかかわらず、かつてステルス機と対峙したカルロスは、旧式機でそれを仕留めて見せた。つまりは対ステルスにおいても空戦の本質は変わらず、いかに攻撃が当たる環境を作り、どの兵装を選択するか、という訳である。そのために機体性能を今一度見つめなおし、戦術を練り直して、通常のロケット弾とは違う信管と弾頭も調達した。

 『ダガーA』の強み、適切な兵装の選択、そして自らの技量。全てを活かし練り上げた戦術は、こうして用意できた。あとは、実戦でその有効性を試すのみである。その点で、多くの戦力が集うこの戦闘は絶好の機会だった。

 

《空中管制機『デル・タウロ』より『カリヴルヌス』および『アークトゥルス』へ。方位010よりウスティオ機接近中。機数約30、距離9500》

《こちら『カリヴルヌス』管制室、敵編隊へ向け先制照射を開始する。『アークトゥルス』、位置座標リンクを開始せよ。上空の戦闘機隊は射線上から退避されたし》

《ニムロッド隊、退避する。エリク、ニムロッド4に続け》

「言われなくても分かってる。レーザーに巻き込まれるのは御免だ」

 

 敵襲。しかし予想しえた事態であることに加えの友軍の規模もあり、心は落ち着いている。

 回転する『アークトゥルス』下部の収束器、右へと翼を翻すカルロスの『ディビナス』。黒翼の機体に従って旋回する中、護衛を下げて照射体制に入った双胴の巨体を横目に、エリクの心に疑念が兆したのはその時だった。

 

 妙だ。

 ウスティオ軍は先日の戦闘の中で『カリヴルヌス』相手に痛手を負っており、その脅威はつぶさに感じていた筈だ。しかし無防備に接敵する今の飛び方は、まるで狙ってくれと言わんばかりではないか。

 疑念をよそに、通信に発射シークエンスのカウントダウンが刻まれる。山肌の横穴がかすかに光を帯び、屹立する砲身がまっすぐにこちらを指す。

 閃光、5秒。放たれた光軸は『アークトゥルス』の収束器に集い、圧縮された5秒分のレーザーが前方へと飛来してゆく。開口部の動きに沿って、それはわずかに右から左へと、薙ぎ払うように動いて、彼方の空に爆炎を刻んでいった。

 

 だが。

 

《…なんだ?爆発が妙に少なくないか…?》

《『アークトゥルス』より『デル・タウロ』、どうなっている。こちらからは着弾が明確に判別できない》

《…これは…。ウスティオ編隊健在。残存機、高度を上げつつ引き続き接近しています。同時に、レーダー上に微弱なノイズを確認。同行する電子戦機により、敵編隊の位置および数が欺瞞されていたと考えられます。…レーダー上の反応、依然30。高度4000》

《何だと!?…ちっ、急ぎ第二射を行う!各部準備!》

《こ、こちら『アークトゥルス』!ダメです、敵編隊、こちらより高高度に占位!照射できません!》

《やるな…!こちらエスクード1、ウスティオ連中はこちらで引き受ける!今のうちに『アークトゥルス』は高度を上げろ!》

《……図られたか…!レーダー手は何をしていた!『アークトゥルス』はサピン防衛の要だ、戦闘機は死んでも『アークトゥルス』を護り抜け!!》

 

 満を持したレーザー照射を最小限に抑えられ、動揺がサピン軍に走る。二度目の実戦投入で早くも弱点を見破られたことに対する焦りは、そのまま『カリヴルヌス』指揮官の怒声となって耳障りに通信を苛んだ。怒鳴り声に混じるノイズ、そして通信に混じる各所の雑多な声。対応に右往左往する地上を尻目に、いち早く反応した深紅の『タイフーン』は、例によって4機ひと塊となって迫る敵に対し北上していく。

 

 ジェネレーターの出力不足を、中継機の収束器で圧縮することで補う『カリヴルヌス』の機構。ラティオが運用していた『テュールの剣』を上回る性能を誇りながら、唯一抱える最大の弱点がこれであった。すなわち、収束器を『アークトゥルス』の下部に備える関係上、『アークトゥルス』と同高度以上の目標に対して照射が不可能となるのである。高度を上げて対応するにも、重い自重とエンジン出力の関係から上昇力は鈍重の一言であり、ラティオの『パンディエーラ・トリコローリ』のような素早い対応が可能とは言い難い。

 ウスティオ軍は先日の戦闘でその特性を見切り、『アークトゥルス』の高度と位置を見破るため敢えて身を晒して接近し、初撃をこちらに撃たせたのだ。初撃の被害を抑えるべく、電子戦機で位置を欺瞞したのもその一環だろう。

 

「連中も馬鹿じゃないって事か。どうするカルロス、あいつらに加勢するか?」

《そうです隊長!いくらエスクード隊でも、30機からが相手では…!》

《現位置を維持、待機だ》

《し、しかし…!》

《落ち着け。敵のジャミングが数を誤魔化している以上、機数はせいぜい1/3程度と見ていい。あの敵編隊の目的がこちらに手を出させるための囮である以上、初手から数を割くとは考えられん。――それに、あのバカなら大丈夫だ》

《はぁ…》

「そんなとこだろうな。必ず、どこかに本命がいる筈だ。迂闊に動くと穴ができる」

《エリク、あんたよくそんな根拠なく断言を…》

 

 ニムロッド4――アレックスを制するカルロスの言葉に、フォローするようにエリクも同意を示す。カルロスの言う通り、あの第一波はあくまで『アークトゥルス』の高度を確かめ、隙を作るための囮と言うべきだろう。あくまで攪乱が第一目的である以上、実際の攻撃を担う本命は必ずどこかにいる筈である。

 こちらに不快感を露にするニムロッド2――フラヴィの言う通り、別に根拠がある訳ではない。ジャミング下の30機が実際は本物で、こちらに殺到してくる可能性だってゼロではないのだ。それでも、エリクは必ず搦め手からも敵が迫ってくると読んだ。こればかりは理屈ではなく、ラティオやサピン、ウスティオと戦ってきた自分自身の勘という他無かった。

 

 そして、それが証明されるのに、そう時間はかからなかった。

 

《こちらエスクード1、敵編隊のレイヴン(EF-111A)を撃墜した!デル・タウロ、どうだ。ノイズは晴れたか!?》

《こちらデル・タウロ、ジャミングの解除を確認。…!方位340、ならびに050より接近中の第二波を捕捉。機数、いずれも約12》

「……!方位050、…か!」

《ちっ、正規軍の半分は340の新手に回れ!カルロス!北東の編隊は頼めるか!?》

《任せろ、早く戻れよ。ニムロッド、グレイブ各隊変針せよ。…エリク、お前は残れ》

「なんだ、心配してくれてるのか?……大丈夫だ。俺も、今はサピンの傭兵だ」

《………。……各機、行くぞ!》

 

 じわり、と肚に重なる重みは、おそらく旋回のGだけではないのだろう。

 カルロスの言葉に心の底を見透かされる苦みを感じながら、エリクは操縦桿を傾け、機体を北東の方角へと向けていった。

 北東――すなわち、先の2編隊と異なる侵入方向。そして、サピンという国から見た各国の位置関係。それらを顧みれば、その侵入方向が意味することは自ずと察せられる。サピンはその国土の東側全域をラティオと接しているが、そのラティオ北部は現在、レクタの勢力圏内なのだ。ウスティオ機が迂回してきた可能性も無くはないが、自身の勘はそれを否と告げている。つまり、帰結する答えは一つしかない。

 

 敵は、母国レクタの機体。

 それが、エリクの勘が導いた結論だった。

 

《初手で数を減らす。各機、高機能中距離空対空ミサイル(XMAA)用意。射程に捉え次第発射しろ》

《グレイブ1了解。各機ターゲット捕捉、目標指定よし》

《――全機斉射!》

「……」

 

 眼前で雁行状に広がる8機のうち、カルロスの『ディビナス』を除く7機の翼に一斉に噴射炎が煌めく。一拍後、白い噴煙とともにそれらは飛翔し、まだ姿すら朧な彼方の獲物目掛けてその鏃を向かわせていった。

 願わくば、この一撃で全滅してくれ。

 罰当たりなその願いを喉と心に呑み込んで、エリクは感覚を研ぎ澄ました。耳を通信に、目を正面の空に。やがて来るであろう、レクタ機の息遣いを読み取るかのように。

 

 光。

 蒼穹を背にした彼方の爆炎は、3つ、4つ、複数。

 同時に警報。今更確かめるまでもない、入れ違いの敵からの長距離ミサイル。

 

 前方8機の挙動を待つまでもなく、操縦桿を引く。同時に増槽を投棄、燃料経路を機内タンクへと切り替える。

 加速、3秒。次いで右ロール、ひねり上げからの背面水平飛行。

 『ミラージュ』のような運動性が低い機体では、やや大袈裟に機動するくらいが回避運動には丁度よい。飛来するミサイルに対し斜め上方へと占位したエリクの眼下では、カルロスらの編隊が左右に分かれてそれぞれの方向へと回避行動を取っている。

 ミサイルが迫る。いくつかが近接信管を作動させて炸裂する。しかし先制を受けて混乱したのか、その設定は些か甘い。正面から飛来したミサイルの多くはその矛先を外され、炸裂したものもさしたる損害を与えないまま、初戦の矢戦は幕を下ろした。

 正面には、すでにいくつもの機影。矢の打ち合いから、交戦は槍での突き合いへ。すなわち有視界距離での格闘戦へと移行することになる。

 

《敵機残数8、距離2000》

《各隊自由戦闘に入れ。周辺への警戒も怠るな》

《サピン編隊、脱落なし!接近してきます!》

《怯むな!敵は旧式ばかり、こちらも8機。望む所だ!》

 

 『カリヴルヌス』のレーザー照射が何らかの影響を及ぼしたのだろう、『テュールの剣』の時と同様に、ノイズを増した通信から時折敵の声が混線して来る。聞きなれたレクタの響きに懐かしさと一抹の苦みを覚えながら、エリクは唯一頼りとなる右目で、接敵する両軍の様を俯瞰した。

 

 上空から見下ろす状況としては、カルロス率いるニムロッド隊は右側から、グレイブ隊は左側から敵編隊側面へ迂回にかかっている。一方のレクタ編隊はニムロッド隊に2機、グレイブ隊に4機が分かれ、それぞれに対応しつつある所だった。灰色の塗装に上翼配置の後退翼、そして胴体側面の丸いエアインテークは、デルタ翼が多い『ミラージュ』シリーズの中で通常翼を持つ異端児――レクタの主力量産機の一つ、『ミラージュF1』だろう。グレイブ隊へ4機を割いたのは、性能面でニムロッド隊のMiG-21に勝るグレイブ隊のJ-10Aを警戒してのことに違いない。そしてあろうことか、残る2機は機首を上げ、明らかにこちらへと向かって来ている。

 

《あの1機、前線管制機か…?先んじて潰すぞ!》

「『ミラージュ5』がそんな真似するかよ!……くそっ!」

 

 思わず悪態が口から洩れる。確かにMiG-31『フォックスハウンド』等の戦闘機が航空管制機の代わりに前線管制を行う例はあるが、レーダーを持たない『ミラージュ5』――『ダガーA』ができるはずが無いではないか。

 敵機はこちらの斜め下方。水平方向に直進するこちらにミサイルは撃てないだろうが、機銃で狙い打たれれば厄介なことになる。

 フットペダル、踏下。デルタ翼が速度を孕み、下方から撃ちあげる射線を辛うじて振り切ってゆく。

 こちらの尾部を掠めて急上昇する2機に対し、こちらはロール、次いで背面降下。機体の速度に降下の重力加速度を加算しながら、『ダガーA』は空戦機動に言うスプリットSの軌跡を描いて下方へのUターン反転に入っていった。後方上空では2機の『ミラージュF1』が宙返りに入り、下降の加速を加えてこちらへの追撃に入っている。

 

《『ハルヴ隊』の猿真似塗装の癖に、不愉快な奴め…!》

「…ちっ!」

 

 鼓膜に響く、信頼に裏打ちされた憎悪。当の本人たるエリクに抗弁の余地も意思も無いまま、エリクは操縦桿を思いきり引き、乗機を急上昇。今度は先ほどとは逆の反転上昇――インメルマンターンで以て急速反転を行い、引き離した『ミラージュF1』に対して相対した。流石に旋回性能で『ダガーA』の分は悪く、1800ほど引き離していた筈の距離も、相対する今となっては1000に近い。敵は2機、背面飛行で反転したこちらのやや下方真正面。極近接戦闘というべきこの距離では、もはやレーダーの有無は何ら影響を及ぼさない。

 

 だが、撃てるのか。

 撃っていいのか。

 正面に2機が迫る。照準器がそのキャノピーを捉える。

 その中にいるレクタの人間の姿を。

 主翼に刻まれたレクタの国籍マークを。

 そしてその背にある、遠く離れたレクタの地を。『ダガーA』は確実に捉えている。

 しかし、最後に守るべきその一線を。割り切るべきではない母国を。

 撃っていいのか。

 

《ちょこまか逃げやがって…。ここまでだ、偽『三日月』!》

 

 『ミラージュF1』が正面に迫る。

 脳裏が記憶を呼び起こす。

 敵襲の中の発進劇。

 『テュールの剣』を巡る攻防。

 『パンディエーラ・トリコローリ』の雄姿と最期。

 隊長の、クリスの、ヴィルさんの声。

 嬲り殺しにされたクリスとヴィルさんの最期の姿。

 

「う、あ…」

 

 その先にある、あの男の顔。

 全てを捨ててでも、悪魔に魂を売ってでも報復を果たすべき、あの男の顔。

 

「あ…!」

 

 全てを。

 そう、同胞も、国も、全てを捨ててでも――。

 

「あ、あ、…ああああああああ!!!」

 

 指に込めた力は、全てを断ち切る報復の決意。体に伝わる30㎜機関砲の振動は、割り切れなかった全てを断ち切る宣告の音。

 正面から飛来したAAMをすり抜けて、『ダガーA』から放たれた曳光弾は正面の1機へと殺到し、そのコクピットをパイロットごと粉々に打ち砕いた。

 

《…!?馬鹿な!?旧式の『ミラージュ』ごときに…!》

 

 擦過と同時に操縦桿を右へと倒し、横の巴戦に入る愚を犯さず左旋回に入った敵機と相対する姿勢に入る。格闘戦では、『ミラージュF1』と比べ旋回半径が大きいデルタ翼機の『ダガーA』に勝ち目はない。

 相対する数拍前、機体を水平に戻し機首を上げる。

 旋回半径の小さい敵機が、いち早くこちらへ鼻先を向ける。

 機銃、ミサイル。こちらの右斜め下方からの撃ち上げ。ほぼ直交するベクトルでは当たること叶わず、再びこちらの後方を敵機が掠めて上昇に入る。

 敵機の速度が落ちる。

 『ダガーA』が宙返りとともに速度を落とし、失速から強引に機体を下降させる。

 落ちてゆくその鼻先には、翼をいっぱいに広げた『ミラージュF1』の姿。そして、目を見開いているであろう敵パイロットの顔。

 

《何だ、あの機動は!?…まるで、本物の…『三日月』…――》

 

 30㎜の弾頭は、並みの機体の装甲を容易に砕いて余りある。右主翼を貫かれた敵機はそのまま翼をもぎ取られ、炎に包まれながら木の葉のように落ちていった。遥か下方、雲に呑まれて爆ぜた炎を、エリクの目に焼き付けながら。

 

 心臓が早鐘を打つ。胸が詰まる。息が乱れ、汗が滲む。

 そうだ。全てを捨て、隊長たちのために復讐を果たすと決めたのだ。今更、――敵国に所属し、同盟国ウスティオの機体を落としておきながら、今更何だ。今更母国を捨てることに、レクタの機体を落とすことに、何を迷うことがある。

 撃墜してしまった今、迷ってどうなる。

 もう、迷わない。迷えない。――止まることは、できない。

 

「………今更。………止まれるかよ」

 

 噛み締めた奥歯が軋む。最後の綱をも断ち切った心が、純粋な憎悪だけを燃え立たせる。

 

 落ちた機速を補い、機体を水平に保って戦場を見上げる。既に敵のうち2機は落ち、残る4機もグレイブ隊に包囲され逃げ場を失っているようだった。

 

《『デル・タウロ』よりエスクード1、方位0より敵増援接近。おそらくそちらの方位が敵の本命です、引き続き迎撃戦を継続してください》

《自称歴戦の撃墜王は辛いねぇ…。エスクード1了解。ちょっと手が足りん、『マタドール』の増援が欲しいな》

《了解しました。『デル・タウロ』より低空域警戒中のトルペード、バーラ各隊へ。エスクード隊の支援に回って下さい。方位320、060よりも新たな増援を確認。前者は機数8、後者は4です。各隊警戒してください》

《こっちにも増援?なんとまあ、レクタも剛毅っすねぇ》

《向こうにとっても正念場ということだろう。新手はこっちで相手をする。ニムロッド隊参集せよ》

 

 北東より、新たに機影4。状況を踏まえるまでもなく、レクタの機体であることはもはや疑いようがない。操縦桿を斜め手前に引き、ニムロッド隊の4機の後方に就くべく機体を上昇させる中で、エリクは横目に急速接近するその機影を捉えていた。

 

 ――驚愕した。いや、それは驚愕でもあり、憎悪でもあり、ある意味で歓喜でもあったと言えるだろう。

 

 単発のエンジン。デルタ翼の小柄な機体に不釣り合いな大型のカナード。そして、左翼を染める黒地に連なる4つの三日月。ロベルト隊長の手で考案され、『三日月(メッザ・ルーナ)』と名を冠し、4人の絆を象徴する慣れ親しんだ塗装パターン。右翼のレクタの国籍マークと相まって、見慣れたその姿は間違えようもない。

 『ハルヴ隊(・・・・)』の『グリペンC』。

 

「……!!あれは!!」

《助かった、『三日月』が増援に来たぞ!全員踏ん張れ!》

《レクタの『三日月』…!?…ちっ。エリク、お前は『アークトゥルス』の護衛に戻れ!》

 

 カルロスの通信が切れるが早いか、『グリペンC』から幾筋ものミサイルが放たれる。狙いは、全て正面から相対したニムロッド隊の『ディビナス』。搭載能力とレーダー性能を活かしたXMAAによる先制射に対し、4機の『ディビナス』は左右2機ずつに分かれて交差し、広範囲にフレアをまき散らしている。先頭のカルロス機からいくつも光が閃いているのは、念入りにチャフ弾を装填したガンポッドを放っているためだろう。

 ミサイルと突撃する敵編隊を斜めにいなし、ニムロッド隊が左右上方へ急速旋回へと入ってゆく。その背を狙うべく旋回する『グリペン』に向け、エリクは『ダガーA』を一気に加速させた。

 

《…!?エリク、戻れ!命令だ!》

「はは、はははは!馬鹿言うなよ。俺たち(ハルヴ隊)に偽装している以上、こいつらは確実にベルカ残党の片割れ、つまり俺の仇だ。アルヴィン本人じゃないが、復讐を逃せるかよ!」

《エリク!!》

《くそっ!とうとう壊れたか、あいつ…!》

「それにな…その塗装は、姿は、俺たちだけのものだ。俺が最後の『三日月』である以上…あいつらの存在を、許すわけにはいかないんだよ!!」

 

 狂っている。そうカルロス達に思われても無理もないだろう。だが、心を殺して生き延び続け、報復の機会を待っていた自分にとって、期せずしてベルカ残党と会敵できたのは幸運という他無かった。アルヴィン本人でないのは残念だが、これが笑わずにいられようか。憎悪と、全てを捨てた不退転の憤怒でもって、噛み砕かずにいられようか――。

 眼前を上昇する三日月の塗装。その進路方向へ狙いをつけ、エリクは機関砲の引き金を引いた。30㎜の特性を生かした曲射による遠距離射撃で、まずは牽制を意図したものである。致命弾は狙えないだろうが、こちらへ意識を向けさせることくらいはできるだろう。

 弧を描く曳光弾が、『グリペン』の翼を掠める。先頭の1機がわずかに機首を傾けたのは、明らかに振り返ってこちらを確かめる挙動だった。

 

《旧式の『ミラージュ』?何の真似だ》

《牽制の積りか、煩わしい。ハルヴ2、速やかに叩き落してやれ。カスパル少佐曰く、あのMiG-21は訳ありだ。残りの全機は『黒翼』に当たり、念入りに殺す。いいな》

 

 通信が切れると同時に、敵編隊のうち1機がカナードを傾けて、宙返りからこちらに相対する。流石にカナード翼を持つ上に軽量小型な『グリペンC』というべきか、旋回性能は非常に高い。距離にしてわずか900、あと一歩でAAMの射程に入ることになる。わずか2発しか積めないこちらと違い、『グリペンC』ならば最低でもおそらく4発程度。おまけにレクタ仕様機ならば機銃も30㎜機関砲に換装されている筈であり、正面火力でもこちらに勝ち目はない。

 

「あいにく、そこまで馬鹿じゃないんでね!」

 

 操縦桿を手元へ引き、同時にフットペダルを踏みこむ。正面から撃ち合う愚を犯さず、敵の進路に対してベクトルを直交させ、その射線を外す肚だった。あとは『グリペン』の突っ込み速度に、『ダガーA』の初速が勝るかどうかの勝負になる。

 加速と上昇で急激にGが増加する。

 警報。ミサイルと接近の両方。

 上天の太陽が目を射る。

 下から迫るミサイルが死を告げる。

 デルタ翼が風を受ける。

 ミサイルが尾部を辛うじて抜ける。

 衝撃。主翼に弾痕。そして轟、と響く衝撃音。

 

 息を吐きだして見上げた先で、『グリペン』はこちらの後方を擦過し、早くも急上昇から縦旋回に入る所だった。ミサイルが外れると見るや間髪入れず機銃掃射に切り替えた辺り、偽物とはいえ先ほどの『ミラージュF1』より技量は上らしい。

 

 まずい。頭上を抑えられれば、確実に狙い撃ちになる。

 操縦桿を引き、ほぼ真上を指すエリクの『ダガーA』。その背を、早くもインメルマンターンで機体を水平に戻した『グリペン』が狙い打つべく迫ってくる。さながら直上するエリクに対し、螺旋状の機動で追随する『グリペン』という所か。

 放たれた銃撃は短く、しかし先ほどより至近弾も多い。エンジン出力差も機体性能もいかんともしがたく、このままでは確実に削りきられて撃墜される羽目になる。

 ――ならば。ここは対グラオガイストの戦術を試す他ない。ただし装備したロケットランチャーを用いるのではなく、『いかに攻撃が当たる環境を作るか』――その考え方の実践として。

 利用するのは、互いの機位と晴れた空――太陽の存在。そして乗ずるべきは、こちらを旧式機と見くびり、じわじわ嬲り殺す戦術を取っている敵の油断。

 

「こんなところで、負ける訳にはいかないんだよ…!」

 

 狙うは、敵機が再びインメルマンターンに入り上昇する、真上を向く一瞬。敵機の方向へ機体をロールさせたエリクは、敵機の位置を、そして直上の太陽の位置を確かめ、操縦桿を引いて背面飛行に入った。

 上昇する敵に対し、こちらは南に傾く太陽を背にした位置。バイザー越しでなお莫大な光量に、一瞬とはいえ目が幻惑される瞬間。

 兵装選択、虎の子のAAM1基。狙うは、上昇する『グリペン』の鼻先。

 迷いが介在する余地もない、明確な憎悪と決意の引き金。押したボタンの力そのままに、AAMは敵機の鼻先へと直進し、その頭上で近接信管を作動させた。

 

《っ!?至近弾…!?くそ、油断を!どこだ、敵は!》

 

 背部からの炸裂と異なり、相対するベクトルで破片の衝撃をもろに受ける正面からの炸裂は、そのまま致命に繋がりうる。キャノピーがひび割れ、至る所に穴が穿たれた『グリペン』はよろめきながら、明らかにこちらを見失った挙動を示していた。おそらく破片で機首のレーダーも損傷したのだろう。

 そうでなければ、この位置を――擦過とともに大きく上へと回り込み、直上から迫るこちらの位置に気づかない筈はないのだから。

 

 視界いっぱいに、『グリペン』の姿が迫る。

 隊長の思いを宿した三日月の塗装が、報復を果たすべきベルカの意思が照準器に捉えられる。

 見上げる、敵のパイロット。その目は、おそらくこちらの塗装を捉えただろう。仲間を宿す左翼の月と、報復を誓う右翼の星を。

 

《な…!……まさか、こいつは…!!》

「墜ちろ、ベルカの亡霊め!!」

 

 コクピットを貫く曳光弾の筋。一瞬ガラスの格子を朱に染めたのち、『グリペン』は爆炎に包まれて四散した。その左翼に帯びた三日月までも、粉々に砕きながら。

 

《ハルヴ2!?》

《ば…馬鹿な!?『三日月』が1機やられたぞ!》

《あいつ…やるじゃないさ。ニムロッド2よりエリク!いつまで油売ってるんだい、とっとと降りて来な!》

「うるさいな、そっちこそ『三日月』はまだ残ってるんだろうな。そいつらは全員落とさないと気が済まな…」

 

 眼下の戦場で、動揺したレクタ機の挙動が乱れる。囲まれた『ミラージュF1』が炎に包まれるのを見送ったその矢先、不意に通信に雑音が混じった。やや距離があるためか、声を張るフラヴィと比べてその声は聴きとりづらい。

 機体を下降させながら、エリクはそちらへと耳を澄ませた。その行く末を左右する、運命の通信とは知らぬまま。

 

《第11監視所より『カリヴルヌス』、峡谷内B-11地点を国籍不明機が通過。友軍の増援か?》

《何…!?こちら『カリヴルヌス』管制室、増援の情報は聞いていないぞ!機種と進路はどうなっている!?》

《機数3、機種はF-35と推定。主翼に灰色の帯の塗装あり。南東側の峡谷から北上しつつあり》

「…!!」

 

 ぞくり。

 一つ一つ入ってくる情報に、頭が沸き、肌が粟立つ。

 レクタ勢力圏方向からの侵入。F-35『ライトニングⅡ』という機種。『テュールの剣』攻略作戦を彷彿とさせる隠密行動。そして何より、主翼に灰色の帯という塗装パターン。

 

 もはや、逡巡はない。交戦するカルロス達の脇を抜け、エリクは『カリヴルヌス』東側の峡谷へ向けて、減速することなく機体を降下させて行った。

 

《…!?おい、エリク!どこへ行く、戻れ!!》

「見つけた…!とうとう見つけたぞ、アルヴィン・ヴィレムセン!!――殺してやる、必ず、この手で…!!」

 

 迷いなき報復の意思を宿す機体が、主を体現するかのように一直線に降下してゆく。

 復讐を誓う右翼の星が、太陽の照り返しで一際強く煌めいた。


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