Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《スクランブル発令。スクランブル発令。ウスティオ-ラティオ国境にて、両軍の戦闘機が対峙中との情報あり。両軍は牽制を繰り返しながら徐々に北上し、我が国の領空に接近しつつある。邀撃待機中の第2小隊は速やかに出撃し、領空侵犯の阻止に当たれ。ただし、許可あるまで火器の使用を禁じる。
なお、周辺空域で演習中の『スポーク隊』にも協力を要請してある。空域にて合流でき次第、小隊各機はスポーク1の指揮下に入り行動せよ。以上だ》



第2話 雷雲の足音

 深緑の絨毯が、銀翼の下を流れてゆく。

 雲量7、今日はレクタの空にしてはやや雲が多い。雲を隔てて穏やかになった太陽の光を受けて、穏やかな色を映えさせる樹々の姿は、高度3000フィートの上空から見ても心を落ち着かせてくれる。

 緯度が高く、一年を通して冷涼なレクタ北部では、森林の多くは針葉樹林で構成されている。緑の平原は、レクタからさらに南へと広がって、やがてウスティオやラティオの地にまで至るのだろう。オーシア東方諸国の中心に当たるレクタやゲベートは豊かな針葉樹林や山脈に恵まれ、とかく自然が多い。

 地に国境の線は引かれていても、樹々はそれを越えて彼方へと繋がっている。それに引き換え、人はその国境の上で、幾度となく小競り合いを繰り返す――それを思うと、これから自らが向かう任務に対しては、何やら皮肉な思いさえ浮かんできそうだった。

 

 2010年9月21日、レクタ西部南端、ウスティオおよびラティオとの国境付近。鈍色に映える4つの三角翼が、地を隔てる線の上へとひた駆けていた。

 

《ヘルメート基地管制室よりハルヴ隊各機へ、方位190に変針せよ。ウスティオならびにラティオ軍機は対峙を続けながら依然北上中。間もなくレクタ国境に差し掛かる》

《ハルヴ1了解。方位190に向かう》

《改めて令達するが、明確に攻撃を受けるまでこちらからの一切の発砲は禁じる。只でさえ今はデリケートな時期だ。機銃弾の1発でも掠めさせたら国際問題になると思え》

《分かってる、心配しなさんな》

 

 軽口一つ、『ハルヴ1』――ロベルト大尉の機体が右に傾き、指定された方位へと鼻先を向けてゆく。ゆっくりと舵を返すその様を見やりながら、編隊最右翼に位置するエリクも操縦桿を倒して、その位置を維持しながら愛機『クフィルC7』を旋回させた。後方警戒ミラーの中で、左翼側のヴィルさんやクリスも同様に旋回しているのが確認できる。

 旋回の利きが悪く小回りに劣ると言われがちなデルタ翼機であるが、戦闘速度で飛ばしでもしない限り、その旋回半径は通常機と大差ない。『クフィル』は安定性を高めるため機首にカナード翼も持っており、むしろ旋回性能は同世代機の中でもまずまずの部類と言えた。

 小隊構成を維持したままの旋回機動は着任当初から叩き込まれた技術である上、4年以上も乗り続けた『クフィル』の操縦特性は熟知している。おまけに教導隊『スポーク隊』が着任してからの演習で幾度となく繰り返したこともあり、旋回の最中から後にかけても、ハルヴ隊の雁行隊形に乱れは無かった。一見なんでもない技術のようだが、編隊行動の維持はいざという時にも役に立つのだ。

 

 続く管制官の声に、エリクは耳を傾ける。期せずして、その操縦桿を握る力が僅かに強まった。

 一切の先制攻撃の禁止――それは機銃や誘導性能の悪いAAM(空対空ミサイル)が主流だった半世紀も前ならいざ知らず、現代では極めて大きな制約と言っていいだろう。視認範囲に至るまで先制攻撃ができないという事は、相手がその気ならば視界外からの一方的な攻撃で殲滅することだって容易だからである。殊に、現代のレーダーやミサイルの技術発展は著しく、一度撃たれれば回避が困難となる場合すらある。フレア等、一通りの防御兵装を搭載している『クフィルC7』といえども、その点の事情に大きな違いは無い。

 いざという時、最初の一撃は甘受せよ。言外のその言葉に、エリクは知らず奥歯を噛みしめた。

 

《ハルヴ隊へ、その他追加情報あり。当該空域に確認される航空機は両軍合わせて10機前後、いずれも反応は小さいことから、戦闘機が主と考えられる》

「戦闘機か…。ハルヴ2より管制室、向うの機種は分かるか?」

《すまない、両軍の機種はいずれも不明だ。接触の際に確認されたし》

 

 機数10機前後、いずれもおそらく戦闘機。新たな情報を頭に叩き込みながら、エリクは浮かんだ疑問を口にする。機種は流石にレーダーサイトからは判別できないとのことだったが、こればかりはやむを得ない事情もあった。

 ウスティオやサピン等、軍事へ向ける予算に余裕のある先進国とは異なり、オーシア東方諸国の多くでは前線での監視や指揮を担う空中管制機の導入が進んでいない。ただでさえ調達予算に余裕がない上、精密機器の塊と言って良い機体の維持管理に多大なコストを要することがその理由であり、さして国土の広くないレクタでは地上のレーダーサイトで十分という認識もそれに拍車をかけていたのである。非常時にはレーダー性能に長ける機体が前線空中管制を行うという体制は取られていたが、どうしても前線の状況を速やかに把握するという観点では、今回のような場面では正確性に欠ける部分は否めなかった。

 

《加えて、現在ウスティオ中部から東部にかけて低気圧が発達しており、国境付近では今後雷雲の発生も予想される。天候にも十分に注意せよ》

《了解した。何とか雷雲に巻き込まれる前に終わらせよう。ハルヴ1より各機、増速せよ》

「了解、追従します」

 

 左前方を飛ぶロベルト大尉の『クフィル』と、徐々に距離が開き始める。先の指示と同時に速度を上げたのだろうが、軽量なうえ加速性能に優れる『クフィル』だけに、速度の伸びは早い。エリクはロベルト機の位置を見定めながらフットペダルを踏み、その機位を本来の部分へと位置させた。

 嵐は、航空機乗りにとって大敵である。風雨と暗さで位置を見失いやすく、雷でレーダーやミサイルの誘導にも悪影響を受ける。そうそうあることではないが、直接機体に落雷すれば、精密機器の故障だって起こらないとは限らない。そのリスクを考慮してのことだろう、大尉が選んだ巡航速度は、通常より幾分速いものだった。

 

 単発のエンジンが軽快な唸りを上げる。邀撃任務に当たる際には増槽と一般的なIR誘導型AAMの装備に留めるため、戦闘装備の時と比べれば加速の伸びは格段に良い。背に風を受けて飛ぶ足取りも軽やかに、加速を始めて15分とかからず、ハルヴ隊の4機は目指す国境付近へと到達した。

 雲量、先程より増えて9。空は一層灰色を増し、南西方向には空高くまで発達した積乱雲の姿も見て取れる。まだ幾分遠いのか、風のままに流れる雲の動きは緩慢であり、直視しただけでは空になんら動きは見えない。

 

 ――いや。

 いる。幾つもの黒い影が、濃灰の背景を泳ぐように動き回っている。その数、10…いや、12。位置にして、レクタ国境のわずか数百メートル向う側。ほとんど国境上と言って良い場所で、それらは複雑な幾何学模様を描いている。位置や数から見て、情報にあったウスティオとラティオの戦闘機だろう。

 

「よし、目標を視認」

《……隊長、あれって…!》

《ああ…予想以上にのっぴきならない状態らしいな。こりゃドンパチが起こりかねんぞ》

 

 両軍機の動きを観察したらしいクリスが、焦りを帯びた声を漏らす。大尉の通信を待つまでもなく、エリクにもその意味合いを察することはできた。

 『対峙』している。当初の情報では、確かにそんな表現だった。国境侵犯とその対応のセオリーからして、おそらくは両軍の機体が面と向かって牽制しあっているか、あるいは平行して変針を促しているのだろう。そんな当初の予想を遥かに上回るほど、今目の前で繰り広げられている光景は緊迫していた。

 

 鋭角的な小型の機体が、鋭く旋回して相手の後ろを取る。それを牽制するように切り欠きデルタの機体が真横から突っ込み、衝突ぎりぎりの所で翼を掠めて抜けてゆく。急旋回、ドッグファイト、そして斬り合うような至近までのヘッドオン。機銃弾やミサイルこそまだ飛び交っていないものの、それらの動きは空中戦と何ら変わりがない。大尉の言う通り、まかり間違えばこのまま戦闘にまで発展しかねないだろう。

 

《ハルヴ2、国際周波数であいつらに呼び掛けてくれ。ハルヴ3、4、念のため対空戦用意》

《りょ、了解!》

「分かりました。聞く耳持ってくれてるといいんですが…。ハルヴ2先行します」

 

 懸念こそあるものの、ひとまずは彼らの交戦を止めないとこちらまで巻き込まれる。ロベルト大尉の指示を受け、エリクはその横をすり抜けるように機体を加速させ、編隊からやや距離を取った。後方では自分が抜けた穴を埋めるべく、ヴィルさんの『クフィルC7』が編隊右翼へと位置を変えている所だろう。

 計器盤を操作し、ダイヤルを捻って通信の周波数を国際周波数へと合せる。基本的に、事故等の緊急時にしか用いない周波数ではあるが、今は間違いなく緊急時である。何より各国が独自に周波数を設定している以上、両軍同時に通信を送るにはこれ以外に方法も持ち合わせてはいない。

 

 かちり、とダイヤルが合わさる。同時に、雑音に入り混じった言葉の奔流が一挙に耳へと飛び込んで来た。

 

《………の、…郎…!いい加減に帰れよ、ウスティオのコソ泥どもが!》

《こっちの弱みにつけ込んで領土を奪っておきながら、どっちがコソ泥だ!お前たちこそ俺達の土地を返せ!ここは元々ラティオじゃない、ウスティオ東郡だ!》

《ふざけんな!んなこと言ったらお前ら元々ベルカだろうが!国丸ごとベルカに返還したら話くらいは聞いてやるよ!》

「あーあー、通信でもやってるな…。」

 

 ラティオとウスティオ、それぞれの訛りを帯びた言葉の奔流は、ある意味で目の前のドッグファイト以上に白熱した様相すら呈していた。事の起こりが領土を巡るデリケートな問題とはいえ、両国がこれほどまで感情的に先鋭化したことは近年に例がない。通信の内容を吟味するまでもなく、そこには互いへの不信…否、憎悪とさえ言って良い感情も芽生えているように感じられる。

 溜息、一つ。こちらにすら気づかないほどに白熱した空を前に、エリクは通信回線へ向けて口を開いた。

 

「こほん。空域展開中のラティオ、ならびにウスティオ軍機に告ぐ。こちらはレクタ空軍第2航空師団第8戦闘飛行隊『ハルヴ』。貴軍らは現在レクタ国境に接近しつつある。速やかに引き返されたし。繰り返す、貴軍はレクタ国境へ接近中。ただちに変針せよ」

《何…!?》

《レクタ国境!?なんてこった、いつの間に…》

 

 通信に響いた、驚いたような声。空戦の緊迫は一旦途切れ、暗さを増す空に一瞬の虚が訪れた。よほどに空戦に熱中するあまり、現在の機位に意識を向けていなかったのだろう。互いの位置を見定めるように、切り欠きデルタの後方に就いていた灰色の機体が旋回してその背を離れたのも、その証左と言えるかもしれない。

 

 このまま進めば、こちらもレクタ国境を越えてしまう。エリクは一旦機体を旋回させ、両軍の反応を見守った。常に互いの位置と国境線を意識しなければならないほど、国境を挟んでの対峙は距離が近い。ここに至りようやく、エリクは両軍の編成を見定めることができた。

 角ばった主翼を持つ小柄な機体は、おそらくウスティオ所属のF-16『ファイティング・ファルコン』だろう。数は4、サブタイプ記号までは分からない。一方、葉巻型の胴体に切り欠いたデルタ翼を持った機体は7機。こちらもサブタイプ記号は判然としないが、ラティオ所属のMiG-21『フィッシュベッド』と思われた。残る1機は2枚の垂直尾翼に翼端を欠いたデルタ翼を持った機体だが、空が暗い上に戦闘機動中ということもあり、機種が判然としない。絶えずウスティオのF-16を牽制する動きを見せている辺り、ラティオ側の機体だろうか。

 

 出方を伺うように、ウスティオのF-16は2機ずつの小編成に分かれ、ラティオ側は機動を緩めつつ散開隊形を立て直し始めている。

じりじりと焦りを覚えそうな、長い時間。実際には数秒ほどの時間に過ぎなかったのだろうが、その沈黙はいやに長く感じられた。

 

《…おい、退けってよ》

《……あんたらが退いたらこっちも帰るさ。ここでドンパチはしたくないもんな》

《いや待て、退くのはそっちが先だろう。あくまでウチは侵犯された側なんだからな》

《まだ言うか!人の土地を分捕っておいて…!》

「……。両軍、とにかくレクタ国境から離れられたし。これ以上接近を継続する場合、国際法に従って対応する」

 

 そっちでドンパチするのは構わんから、頼むからレクタ(ウチ)を巻き込まないでくれ。

 言外にそう付け加えながら、再び通信で火花を散らし始めた両軍に対し、エリクは嘆息を禁じ得なかった。

 国際法に則った対応とは、言わずもがな一般的な領空侵犯機への対応――すなわち警告後の撃墜処分だが、実際には『こちらから先制するな』と重々釘を刺されている以上、まずそこまでは発展しない。相手が燃料切れで撤退するまで粘るか、警告射撃が精々だろう。そもそもそこまで至らずとも、彼らが相互の争いを脇にどけてひとまずレクタ国境から離れてくれれば、それでこちらの役目は終了なのである。それを、論争を再燃させて空域に居座られ続ければ、こちらも警告を続けない訳にはいかなくなる。

 気分としては、まさに馬耳東風。心から湧き起こる徒労感に、エリクは思わず後方を振り返り、やや離れて飛ぶロベルト大尉の方を見やった。もう俺じゃ無理です、代わって下さい。そんな意志を無言の目に滲ませながら。

 

 その瞬間だった。

 

「…ん?」

 

 上空に立ち込める厚い雲。その中で、何かがきらりと光った。

 強烈な光も音もなく、落雷ではない。よくよく目を凝らすと、コントラストの低い灰色の背景に、辛うじて赤い炎の尾らしきものが見て取れる。ジェット機。いや、小さい。ミサイル。

 たった1筋のそれは、雲間を割き、真下を指して進み――その先を飛んでいたMiG-21に突き刺さり、小さなその機影を赤黒い火球へと変えた。

 

《パパヴェロ7!?》

《馬鹿な…!レクタ軍機め、本当に撃ちやがった!俺たちはまだレクタには入ってないぞ!》

「な…!?ま、待て!今のは俺達じゃない!誤解だ!」

《言っておくが、ウスティオ(こっち)でもないぞ。あんたらの自作自演じゃないのか?》

《………!越境前の撃墜、ならびに国境侵犯後の示威行動。レクタおよびウスティオの国際法違反は明確だ。パパヴェロ各機、安全装置解除!これは正当な防衛である、ラティオ国境を防衛する!》

 

 粉々になり、血のような赤い炎に包まれて墜ちてゆくMiG-21。薄暗い曇天を背に堕ちてゆくそれは、まるで落とされた戦いの火蓋そのものだった。

 散開していたラティオ機が左右両翼に分かれる。中央にはウスティオの4機。それを、まるで掌を合わせるように、7機が挟撃して逃げ場を塞いでゆく。

 ミサイル、7筋。左右からの攻撃を突破すべく加速したF-16にそれらは襲い掛かり、最後尾にいた1機に2本が刺さって爆発した。ラティオ機は残る3機を追わず、まっすぐこちらに向かってくる。

 

「くそっ…!大尉!」

《訳が分からんが、この状況だ…聞き入れちゃくれないか。かといってここはレクタ領内だ、引き下がる訳にもいかん。エリク、周波数を通常に戻せ。ハルヴ各機、2セル編制。向うの加速は速い、まず上にいなすぞ》

「了解…!クリス、ついて来い!」

《はっ…はい!支援位置に就きます!》

 

 正面、機影7。周波数を切り替え、小隊に合流したエリクはフットペダルを押し込むとともに、思い切り操縦桿を引いた。

 エンジンが唸りを上げる。大地と曇天の半々に分かれていた視界が、一気に灰色一色に染まる。

 機銃掃射とともに、正面から迫るラティオ機。その光の網に捕えられるより一瞬早く、4機の『クフィルC7』は鉛直方向へと急上昇して難を逃れた。一度加速さえついてしまえば、『ミラージュⅢ』譲りの『クフィル』の上昇力は折り紙付きである。

 左手側に見える、ロベルト大尉とヴィルさんの機体。それが上昇から宙返りに転じるのに合わせ、エリクも操縦桿を引き、宙返りへと移行した。おそらく、後方のクリスも同様の機動を行っているだろう。

 逆さまになった天地。頭上となった大地の方で、ラティオ編隊は二手に分かれ、こちらを指して上昇しつつある所だった。

 

《こちらヘルメート基地管制室。ハルヴ1、ロベルト大尉!一体どうなっている、状況知らせ!》

《こちらハルヴ1。今取り込み中なんだが、後じゃダメかね?》

《たった今レーダーから数機のロストを確認した。一体何があった》

《んあー…。簡潔に言うとラティオ軍機から攻撃を受けた。正当防衛として現在交戦中。どの道レクタ領内にも侵入されている、とても切り上げられない》

《な…!?こ、交戦中だと!?ロベルト大尉、貴様国際問題を引き起こす気か!何故早く報告しなかった!》

《んー…国際周波数にしてて通信遅れなかったとか、緊急事態が起こってそれどころじゃなかったとかいろいろあるけども、正当防衛なんでここは一つ。取り込み中なんでちょっち切りますね。ハルヴ各機、回線変え》

《おい、待てロベ》

 

 ぶつん、と断ち切るような音が鼓膜を揺らし、管制官の声が途絶える。こんなこともあろうかと…とは語弊があるかもしれないが、混線や傍受対策のため、ハルヴ隊では小隊固有の周波数もまた独自に設定してある。管制室や他部隊との連携を阻害するためめったに使うものではないのだが、今は戦略よりも、目の前の戦闘に意識を払わねばならない時である。その点、隊長の選択が今は有難かった。

 ダイヤルを捻り、小隊員のみが知る周波数へと数値を合わせる。管制官の声はもとより、先程まで聞こえていたラティオ・ウスティオ両軍の罵倒合戦も断ち切って、エンジン音の音以外は静寂に包まれた空。それは、エリクにとって初めての『戦場』だった。

 

《さて…こうなったらやるしかないかね。ラティオの指揮官機は…『ファルクラム』、あれだな。絶えず隊の中心で僚機の位置を確かめてる》

《厄介ですね…。『フィッシュベッド』はともかく、我々の機体では荷が重い》

《任せときなヴィルさん、『円卓』を生き残った俺が断言する。空戦は機体性能じゃない、戦術次第ってな。――んな訳でハルヴ各機、聞け!》

 

 演習の時もそうだが、ロベルト隊長の観察眼は相変わらず鋭い。自分が判別できなかった敵機の機種を一発で見抜いたばかりか、その挙動と位置取りから指揮官機を見破り、敵の戦術を考慮して瞬時に作戦を構築したのは、やはり15年前の『ベルカ戦争』から積んだ経験の成せる業だろうか。

 続く隊長の指示に耳を傾け、その『作戦』を飲み込んでから、エリクは操縦桿を握る力を強めた。

 

 宙返りの頂点で機体をロールさせ、遥か先にラティオ機を見据えながら斜めに降下へと入ってゆく。その先、二手に分かれたラティオ機の挙動は、先程同様に左右へと大きく描かれた弧。おそらくは、先程ウスティオ軍機へ仕掛けたように、広げた掌を閉じるように左右から同時にかかる戦術だろう。左右上下、いずれかへ回避するには距離的に余裕がない。中央を突破するにしても、タイミングを誤れば両側から襲われ逃げ場を失う。よほどに演習と試行錯誤を積んだのか、よく練られた戦法だった。

 方や、ハルヴ隊は二手に分かれたまま、それぞれに迫る編隊へと正面から向かってゆく。ロベルト隊長とヴィルさんの方へはMiG-21が4機、そして自分とクリスの方へはMiG-29『ファルクラム』1機とMiG-21が2機。すなわち、それぞれで見れば2対4と2対3と、正面きった数としてはこちらが不利である。武装数で手数を補うにしても、こちらはAAMを2発しか装備していない。

 どの条件を取っても不利しか見いだせない戦場。それでも、隊長が示した明確な一手を信じ、エリクはラティオ機の真正面から接近を続けた。

 

 距離が3000を、2000を、1500を切る。

 天候、そしてミサイルの性能を考えれば、有効射程は概ね1000。まだ遠い。

 大きく息を吐く。落ち着け、演習と同じだ。演習でもヘッドオンは何度も繰り返してきた。

 生唾を飲み込む。

 掌に汗が滲む。

 落ち着け、迷うな。改めて自分に言い聞かせる。

 信じろ。『クフィル』を、隊長を。

 電子音が耳に響く。

 HUD(ヘッドアップディスプレイ)に四角形のミサイルシーカーが表示される。

 機体の眼が、エリクの目が、正面の『ファルクラム』を捉える。

 距離、1200。射程の一歩外。

 

《ハルヴ各機、1セル》

 

 隊長の声。

 瞬間、目の前で『ファルクラム』を中心とした編隊が揺らいだ。異常を察知したのか、機動が弱まった一瞬の虚を経て、『ファルクラム』は眼前で急旋回し、こちらの左側を抜ける進路へ機首を向ける。追従していた2機も慌てるように機首を翻し、こちらへと無防備な腹を向けた。

 

「クリス、今だ!」

《はいっ!》

 

 はじき出した声とともに、エリクは指に力をかけた。

 煙の尾を曳くAAM、そして機銃弾。殺到するそれらが、ラティオ機の腹へと向かってゆく。同時にエリクの横目には、その3機の『斜め前方』から、別のミサイルと機銃が襲い掛かる様も写っていた。

 ごう、という擦過音を残してラティオ機と馳せ違い、機位を立て直した先には、2つの機影。三日月のエンブレムを刻んだデルタ翼の機体は、紛れもない『クフィルC7』――そう、隊長達の姿があった。後方を振り返れば、クリスの機体にも目立った損傷はなく、健在な三角翼を風に舞わせている。そしてその先――馳せ違ったばかりのラティオ編隊の方には、黒煙に包まれた機影が2つ、破片をばらまきながら地上へと墜ちてゆく様も見えた。

 

 ロベルト隊長が立てた戦術は、つまりはこれ――挟撃を挟撃で返すことだった。

 すなわち、2機2組に分かれたハルヴ隊は、それぞれの正面から迫るラティオ編隊へ直進。互いが有効射程に入る直前に、隊長とヴィルさんの2機は急旋回し、エリク達の正面にいた3機へと鼻先を向けたのである。正面のエリクらに加え斜め前方の隊長からの圧力を受けて、『ファルクラム』は思わず攻撃を断念して回避に入ったというのが、先のラティオ機が採った機動の理由だった。

 『ファルクラム』には性能面で勝ち目がない。『フィッシュベッド』相手ならば加速性能は五分だが、旋回半径では『クフィル』が小さいため、こちらの急旋回にはついて来られない。互いの機体性能を熟知した隊長のアイデアが無ければ、到底できなかった戦術だっただろう。挟撃を受けてなお健在な『ファルクラム』は、やはり流石と言うべきか。

 

「ラティオ機2機、撃墜を確認!」

《指揮官機は回避したか…いい腕をしてる。…さて、これで帰ってくれりゃ万々歳なんだがね》

《…残念ですが、そうもいかないようですね。5機ひとまとまりで反転してきます》

 

 相手の出方を伺うべく、4機編隊が左へと旋回する。先の交戦で高度を失った今、機位はラティオ側の方が上空の優位を確保しており、まだ機数としては向うの方が多い。加えて、ラティオ側にしてみれば僚機を3機も失ったことも大きいのだろう。『ファルクラム』を中心として一塊となった5機は、明らかにラティオとの国境ではなくこちらを指向していた。すなわち、撤退する気は皆無ということなのだろう。

 他国の領内で敵機に囲まれ、援軍の見込みも無い。それはとうに承知しているのだろう、恐れを知らない正面からの接敵を目論むその機動は、悲壮感すら滲んでいる。

 

《…なんで、そこまでして…!》

《連中、まだやる気か。…仕方ない。ハルヴ各機、1セル維持。せめてすっぱり終わらせてやろう。連中の下を抜けてから、一気に高度を稼ぐ》

 

 覚悟を固めた相手に、正面から向かうのは愚策。鋭い敵の尖峰はいなすに限る。隊長の言葉からその意識を読み取りながら、エリクはロベルト機について加速した。互いの位置と『クフィル』の加速性能を考えれば、一気に下を抜ければ攻撃を受けるリスクは少ない。

 ――だが、これをいつまで続ければいいのか。敵が全滅するまで、ひたすら切っ先を突き付け合うような戦いが続くのだろうか。怖れと狼狽を孕んだクリスの呻きに、エリクはなぜかそんな感慨を抱いていた。

 

 そして。

 その感慨すらも、戦場は一瞬で裏切った。

 

《スポーク1、セミアクティブ空対空ミサイル発射(FOX1)

 

 ラティオ機よりもさらに上空、雲を割いて急降下してくる二つの機影。その片方の翼下に炎が閃くや、鋭い矢のような一閃は『ファルクラム』の背目がけて直進。回避運動を取るその尾を正確に捉え、胴体中央からその機影を引き裂いた。

 一体、何が。唐突な出来事に混乱するエリクをよそに、『ファルクラム』の破片がゆっくりと地面へ向けて堕ちてゆく。予想だにしなかった直上からの一撃に、脳裏は束の間思考を忘れた。

 

《こちらスポーク1、『カルクーン』!遅くなってすまない、低気圧に巻き込まれて迂回に時間がかかってしまった!》

《スポーク1よりハルヴ隊へ、ラティオ部隊は撤退を開始。深追いの必要はない、当機へ集結せよ》

 

 狷介なアルヴィン少佐――『スポーク1』の声に、やっとのことで脳裏が回転を始める。一層暗くなった空の下で、生き残った4機の『フィッシュベッド』は確かに国境方向へと機首を向け始めていた。編制が崩れ算を乱しているように感じられるのは、それだけあの指揮官機を失った衝撃が大きかったのだろう。

 どっと力が抜ける感覚を覚えながら、エリクは『クフィル』の機首をアルヴィン少佐の『タイガーⅢ』へと向けてゆく。その間も、アルヴィン機の後席に座る『カルクーン』――フィンセント・デ・フロート曹長は何度も遅参の詫びを述べ、凝り固まった空気を幾分軽いものにしてくれていた。人を寄せ付けない峻厳さを持つアルヴィン少佐や、口を開けば厳しい言葉を繰り出すスポーク2――パウラのことを思えば、精神衛生的にこの人にどれだけ救われているか分からない。

 

《のっぴきならない状況になったな。情報にあったウスティオ機は?》

《さて…どうもレクタ領空への侵入を避けて退避してたみたいですな。あるいはこっちの出方を探っていたか》

《…いずれにせよ、明日からは気が抜けないだろう。最悪、行きつく所まで行く可能性もある。…全機、帰投する》

 

 『タイガーⅢ』が翼を翻し、その背に『クフィル』が続いてゆく。自身も基地への進路を取るべく操縦桿を握った所で、エリクはその手が小刻みに震えていることに気が付いた。慣れない機動に一気に疲労が溜まったのか、それとも遅ればせに心身に襲い掛かる恐怖だったのか。あるいは、アルヴィン少佐の言う『行きつく所』――すなわち戦争の訪れに、言い知れない不安を抱いたためだったのだろうか。今は心に渦巻くものが多すぎて、冷静な分析は到底できそうにない。

 

 ふう、ぅ。

 腹の底から大きく息を吐き、エリクは国境が横たわる南の空を見やった。ぱっ、ぱっと彼方に爆ぜた幾つかの光は、落雷か、それとも待ち構えていたウスティオ軍機に喰われるラティオ機の断末魔だったのか。国境は、そして戦場は遥か彼方で、その様は全く窺い知れない。

 空に刻まれた幾つもの光を飲み込んで、南からは積乱雲が迫っている。

 

 雷雲が、レクタにも訪れようとしていた。

 




《よく帰った。今回の案件について、参加各員の一切の他言を禁じる。また、当面各員の外出は遠慮してもらいたい。アルヴィン少佐、ロベルト大尉ならびにエリク中尉は速やかに司令部まで出頭せよ》

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