Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第24話 過去の残影

「結論を聞かせて欲しいな。例の件、どうなった」

「………」

 

 傾いた太陽が差し込む暗い空間。機体の残骸やジャンクパーツが山のように積まれ、さながら機械仕立ての剣山の様相を呈する倉庫の中に、静かに音が響いている。一つは、先ほど発したエリクの残響。そしてもう一つはそのガラクタの山を前にうずくまった人影が、部品を物色するように拾っては放り投げる音。がちゃん、と離れた所で音がするたび、それは山肌を崩して、がらがらと小さく連鎖崩落を引き起こしている。

 

 ヴェスパーテ空軍基地の主要格納庫の端に連なる、第4格納庫。それが、ここの正式な呼び名である。

 尤も、他3つの格納庫で十分な広さが確保されていることもあり、実質的にこの倉庫は『格納庫』たる体を成しているとは到底言い難い。墜落機と思しき前半分しか残っていないMiG-19『ファーマー』に、翼が殆どもぎ取れた『ミラージュⅢ』。床に転がる電子基板に無数のビス、果ては薬莢に血の付いたゴーグル。かつて上司だったロベルト隊長の居室もゴミ屋敷同然だったが、今のこの様を顧みれば隊長の居室など可愛いものだっただろう。そう思わせる程に、今の眼前の状況は無秩序なこと甚だしい。

 暗がりの中、よくよく目を凝らせば奥の方に五体満足な機体もいくつか見られるが、今の所エリクはさして興味を示さなかった。先にカルロスから聞いた所によると、パイロットが死亡し乗り手を失った機体がここに突っ込まれるのだという。多くは旧式機であるのは勿論、新米の整備兵が整備の実習代わりに多々弄り回しているため、飛ぶことすら保障できない。『目的』を達するために、『兵器を積載し飛べる事』が最低条件である以上、それらの機体は今のエリクにとって無用の長物だった。

 

 奥へ向けていた目をうずくまる背中――作業着を着たカルロスの背へ戻し、待つこと数秒。放り投げられた防弾板ががらん、と地に跳ねた瞬間、不意に聞こえたふぅ、という音は溜息だったのだろうか。片膝を付いたまま振り返ったカルロスの顔は、埃と油で汚れていた。

 

「少し待て。今取り込み中だ」

「待てない。俺には時間が無いんだ。決まっている所まででいい、聞かせろ」

「時間なら腐るほどあるだろう。お前はまだ若いんだ」

「俺の年齢の問題じゃない、戦争の話だ。…俺は、必ず奴らに復讐する。その為には、奴らが戦場に出る今を狙うしかないんだ。戦争が終わっちゃ、そのチャンスも無くなることになる」

「……」

「俺は、すぐに戦場に戻りたい。…戻らなきゃ、ならない」

 

 開いた扉の外で、斜陽が徐々に赤みを帯びてゆく。

 傾く陽射しに目が眩んだのか、逸るようにまくしたてるこちらの言葉を不快に思ったのか、一瞬陰るカルロスの顔。その様にも構わず、エリクは一息にその偽らざる思いを言い募った。

 燃え堕ちていくクリスの機体。隊長の最期の言葉。皆の、笑顔。言葉の最後に過った光景に、拳を震えるほどに握りしめる。太陽のわずかばかりの暖かさも、冬の寒気と復讐の一心で冷えた拳を暖めることは叶わない。

 迷うように泳ぐカルロスの瞳。しばしそれが床に流れ、瞼で遮られる。

 断ち切るように再び開かれた鳶色は、まっすぐにこちらを向いていた。

 

「結論から言う。捕虜移送の件は無しだ。傭兵への志願は好きにしろ」

「そうか…!ありがとう。悪いな、手間取らせて」

「何、捕虜収容の申告は未提出だったからな。俺より基地の事務方に礼でも言ってやれ」

「ああ。…あんたの所は雇う気は無いのか?」

「あいにくレオナルド&ルーカス安全保障(ウチ)の経営は火の車だ。新しく人間を雇う余裕は無い。よその民間軍事会社を見つけるなり、個人経営するなり、自分で当てを探してくれ」

 

 また、空に上がれる。戦う為の――奴を殺す為の力を持つことができる。傭兵としての道が拓けたことを実感し、エリクの頬にぱ、と笑みが刷かれた。

 方針さえ固まれば、あとは自分の手で準備ができる。半ばカルロスの会社を当てにしていなくもなかったが、にべもなく断られれば、個人で傭兵稼業を考える他ないだろう。今から民間軍事会社を見つけて手続きを行うには、いかんせん時間が惜しい。

 それにしても、案の定と言うべきかカルロスの会社は相当厳しいらしい。そもそも今どき第3世代機を使うなど、緊急で戦力を整備したい中小国か相当に貧乏な所くらいである。オーシアを始めとした大国でもF-5E『タイガーⅡ』やF-4E『ファントムⅡ』といった第3世代機を保有してはいるものの、それらは往々にして近代化改修を施されており、多くは第一線から既に退いている。

 そんな世界の情勢を顧みれば、原型機の就役から優に半世紀は経過しているMiG-21を未だに騙し騙し使わざるを得ない辺りに、その事情は滲み出ていた。

 

 …もっとも、この点に関してはエリクも人の事は言えない。本来の搭乗員である傭兵が死亡したことで、先日の迎撃戦で使った『ダガーA』を当面使用できるようになったのだが、この機体も元を正せば『ミラージュ5』――すなわち、MiG-21『フィッシュベッド』と同じ第3世代機なのである。

 

 その素性を辿れば、些か複雑である。

 素体である『ミラージュ5』の出自は、オーシア東方諸国の一つゲベートに由来する。80年台後半のベルカ連邦崩壊に伴い独立したゲベートでは、経済力やパイロットの練度も考慮し、生産が容易で導入実績も多い第3世代機の量産で戦力を補う方策を推進した。当時はレクタもゲベートの一部であり、当然レクタ領内でも多くの『ミラージュⅢ』や『ミラージュ5』が量産されることとなったのである。

 ところが、独立直後の経済状態悪化に伴い、独立3年にしてゲベートはその国土を維持できなくなっていく。国内における民族対立の状況も鑑みて、ゲベートはその南部をレクタ共和国として分離独立させるに至った。当然ながら、上記の経緯も相まって、レクタとゲベートの間柄はお世辞にも良いとは言い難いままである。

 レクタに最初の国難が降りかかったのは、独立直後のこの時だった。レクタは確かにゲベートの兵器生産を担う地域の一つであったのだが、基幹部品であるエンジンやレーダーの生産基盤は全てゲベート側が保有していたのである。機体は作られども飛ばせず、レクタにはエンジンやレーダーの無い機体が溢れた。この際に、オーシアから高性能のエンジンを輸入し、『ミラージュⅢ』をベースとして『クフィル』が作られたのはかつて述べた通りである。

 

 一方でエンジンの無い『ミラージュ5』に関しては、いささか薄ら暗い延命措置が取られた。すなわち新規生産された全ての『ミラージュⅢ』を『クフィル』仕様とし、その分余剰となるエンジンを『ミラージュ5』へ流用。事はそれにとどまらず、産業スパイを活用してゲベートから『ミラージュ』用エンジンの情報を盗み、オーシアが独自に入手した情報と併せて解析、レクタ国内で独自生産を行うに至ったのである。すなわち、ゲベートや開発メーカーの同意を得ないままの違法コピーであった。生産されたエンジンを積み、それゆえに『ミラージュ5』を名乗れないそれらの機体は、『ネシェル』と名付けられレクタで運用されることとなった。

 エリクが使用することになった『ダガーA』は、それと同一の機体である。旧式化に伴いレクタから中小国へ売却された際、『ネシェル』は『ダガー』と名を変えて取引されたのだ。その『ダガー』を入手した傭兵がサピンで戦死し、こうしてレクタ人たるエリクの手に渡ったというのは、数奇な運命としか言いようがない。

 

 ともあれ機体を手にしたはいいもの、元が『ミラージュ5』ということもありレーダーを持たない戦闘攻撃機、それもMiG-21と同様の第3世代機であり、カルロスのMiG-21UPGと違い満足な近代化改修も受けてはいない。こればかりは、少なくとも金が溜まるまでは腕でカバーする他無かった。

 

「まぁ、いいさ。どうせ頼れるのは自分だけだ。個人経営で頑張るよ」

「エリク」

「…?何だ」

「空に戻る積りなら、忠告させて貰う。…『復讐』を、一旦忘れろ。今のお前はそれに囚われ過ぎている」

「何…!?」

 

 復讐を、忘れろ。

 不意にかけられたカルロスの言葉に、エリクは思わず激した。

 馬鹿な。復讐を忘れるのは、今生きる意義を失う事と同義である。大切な仲間を無惨に殺した奴らに報復し、この手で殺す。その為に生き永らえ、かつての同盟国ウスティオの機体さえ撃墜したのだ。それを今更忘れろとは何だ。そんな、馬鹿なことがあるか。

 

 工具をしまい、立ち上がるカルロス。陰影の暗色混じるその姿に、エリクは憤激のままに詰め寄った。

 

「ふざけるな!何も知らない癖に、知った風な口を利くな!」

「誇り、意地、純粋な闘争心。15年前のベルカ戦争で俺が見て来たエース達は、曲がることのない思いを胸に、凄まじい強さを持っていた。…だが彼らはその『思い』のせいで他の可能性や退路を自ら断ち切り、結果、死んでいった。今のお前には、彼らと同じものを感じる。…むざむざ破滅に向かっていく姿を、俺は見ていられん」

「強さと引き換えに死んでいった、か。ああ上等だよ!奴らに復讐するだけの力と強さを手に入れられるなら、最後に死のうが構うもんか!俺の生きる目的はその一点だけだ!!」

「復讐を否定はしない。だが、せめて一歩退くんだ。今のままでは、目的を達する前にお前は死んでしまう。復讐に専一になり犬死になることは、お前の仲間だって望んじゃいない筈だ」

「……!お前に…お前に何が分かる!!復讐を想い続けて何が悪い!――金の為なら平然と裏切る傭兵様だ、裏切ることは想像できても、信じてた仲間に裏切られる痛みは分からないだろうけどな!!」

「……!!」

 

 さ、と朱を帯びるカルロスの相貌。その脚が一歩近づくや、喉下のあたりにがん、と鈍い痛みが走るのは同時だった。

 持ち上げられる視線、視界いっぱいに広がる奥歯を噛みしめたカルロスの表情。カルロスは右手でこちらの襟首を掴み上げ、鳶色の目を見開いて睨みつけている。

 怒りの表情。

 それが何だ。怒りなら、絶望なら、俺の方が何倍も上だ。胸にぶちまけ、血が上った頭の働きそのままに、エリクもカルロスの襟首を掴み上げる。

 所詮、傭兵には分からない思いに違いない。仲間の大切さも、それを失った復讐の重みも。

 今更、曲げてたまるか。――曲げられるか。

 

 言葉無く、ただ目と目が、男と男の思いがぶつかる数秒の鍔競り。

 それを終わらせたのは、場違いなほどに間の抜けたような、軽い女の声だった。

 

「あら、あらあらあら。カルロス様、こちらでしたか。…あらあら、お仲がよろしいようで」

「………あんたか。いつも大変な時を狙って来るな」

 

 弱まる力、離れる腕。

 脚が地面を踏みしめる感覚を再び抱く中、カルロスはこちらから体を逸らし、その女の方に向き直っている。斜光を背にしているためよくは分からないが、黒髪を後ろで纏め、黒いスーツをきっちりと纏った姿はキャリアウーマン風。しかし糸のように細い目と、笑っているのか分からないような、常時ふわりと上がった口端が、何を考えているのか分からない気味悪さをも醸し出している。年のころは20代半ばから後半という所だろうか。

 その声音か、雰囲気か。予期せぬ闖入者に、カルロスに向けた怒りはやり場を失い、急速に萎えていくのを感じていた。

 

「要件は」

「注文の品、お届けしました。『ニムロッド隊』のハンガーに置かせて頂いております」

「ああ、感謝する。最近は消耗が激しい。23㎜とフレアのカートリッジをまた注文したい。…あと、個人分でレサスの新聞雑誌も頼む。注文書は今日中に送る」

「かしこまりました、毎度御贔屓にありがとうございます。ご注文を頂き次第、すぐにでも手配いたしますので。…時に、そちらは?」

 

 女が、首を傾げてひょこ、とカルロス越しにこちらを見やる。相変わらず目は開いているのか分からないまま、それでもまっすぐにこちらを見ているらしい。

 ごほん、咳払い一つ。乱れた襟首を整えて、エリクは女の方へ数歩踏み出した。

 

「エリク・ボルスト。この基地でしばらく世話になることになった傭兵だ。よろしく頼むよ」

「あらあら、それはそれは。申し遅れました、わたくし調達代行業ルーメン・メディエイション・エージェンシーに所属しております、サヤカ・タカシナと申します。どうかお見知りおき下さいませ」

 

 にこー、という擬音そのままに表情の変わらない微笑を貼りつけながら、女――サヤカは名刺を手渡す。

 受け取ったそれには、名前の横に彼女と思しきデフォルメした黒スーツのキャラクター。そして名前の下の謳い文句には『スプーンから最新鋭機まで 調達ご依頼はL.M.A.におまかせ!』と堂々と記されている。

 正直に言って、胡散臭い。

 

 こちらの困惑を察した…訳ではないのだろうが、サヤカはぺこりと一礼し、『それではこれにて』と一言残して、扉をくぐって出て行った。去り際に、外からひらひらと手を振ってから。…なんとも、アクが強いというか、何と言うべきか。エリクは、わずか数秒の邂逅にして、どっと疲れたような思いを感じていた。

 

「……何なんだ、アレ」

「この基地に出入りしている仲介業者だ。注文一つで中古の機体や弾薬機材、大抵のものは調達して来てくれる。装備の整わない中小国や民間軍事会社には助かる存在という所だな。この基地以外に、周辺国にも出入りしているらしいが」

「ふーん…平たく言えば『死の商人』か」

「そんな所だ」

 

 まじまじと名刺を眺め、カルロスの説明を聞きながら、エリクはサヤカの仕事をそう解釈した。

 つまりは、戦火を交える両国に武器を売りさばく武器商人――俗にいう『死の商人』がその実態。戦争が熱すれば熱するほど儲けも上がる以上、どちらかといえば戦火を煽りたい側に当たるのだろう。目的こそ違えど、その過程はカスパルらベルカ残党と一致していることになる。

 

 ――まさか、な。

 脳裏に兆したその疑念を、エリクは頭を振って打ち消した。第一、カスパルが自分の生存を確信として知っている筈はない。用心に越したことは無いが、疑心暗鬼は程々にすべきだろう。

 

「…念のため忠告しておくが」

「今度は何だよ」

「美人だからって手は出そうとするなよ」

「は?いやちょっと待て誤解…」

「以前あいつに惚れて、強引に迫った奴がいた。はぐらかされ躱され続け、今日こそ無理やりでも頷かせて見せる、と意気込んで行ってな。…そいつは翌朝、ケツにスパナ突っ込まれた状態で気絶してるのを発見された。以来開眼したヤツは傭兵を辞め、今やグラン・ルギドのニューハーフバーのエースだ」

「………」

「まあ、役に立つ業者ではある。用事がある時だけ声かけて、それ以外では放っておけばいいさ」

 

 疑念を振り払うこちらの仕草を誤解しての忠告だったのだろうが、カルロスの言葉にエリクは思わず尻を押さえた。そもそも思いを向けようなどとは露思っていなかったが、それを聞いてしまえば、絶対に妙な気は起こすまい。脳裏にあの細長い目を思い出し、エリクは心にそう誓った。

 

 とはいえカルロスの言う通り、軍としての正式な補給体系外にある傭兵にとって、必要なものを随時調達してくれる業者は重要には違いないだろう。この基地で見た機体にした所で、カルロスのMiG-21を始めとしたMiG系列や『ミラージュ5』、先日出撃しているのを見たカナード付きデルタ翼機――J-10という機体らしいが――と、武装も部品もてんでバラバラの構成なのである。到底通常の補給では賄えない以上、オーダーメイドの補給体制は軽視できないものであろう。

 

 おおかた必要な部品を揃え終えたのだろう、カルロスは工具箱と革袋を持ち、立ち上がる。鉄屑の山から匂っているのか、それともカルロスの作業着のものか。空気が動いた瞬間、機械油の匂いがつんとエリクの鼻を打った。

 

「次の出撃は明朝だ、お前にも出て貰うから今日は早く休んでおけ。…忘れるな、一歩引いて考えろ。でないと命を落とすぞ」

「んな、アンタまだ言うか!だいたい…!」

「今日はここまでだ、俺は明日の作戦のミーティングに行かなきゃならない。また後でな」

 

 再燃した怒りも、逃げの一手を打つカルロスにあっさりと巻かれる。

 復讐を忘れろ、せめて一歩退いて見ろ。

 ――うるさい。何も知らない傭兵が、何だ。

 耳の奥に残った言葉に呟いて、腹立ち紛れに足元に転がったガラクタを蹴り飛ばす。

 倉庫の暗闇の中、遥か奥の深淵で、それは壊れた音を立てて転がった。

 

******

 

「ニムロッド隊、パイロットは全員参集しろ。明日の作戦のミーティングを行う」

 

 すっかり日が落ちて後、肌がひりつくような寒さに覆われたヴェスパーテ空軍基地。金属の喧騒が満ちる格納庫にカルロスの声が響き渡ったのは、既に時計が夜8時を回るような頃合いだった。

 召集の声に、汚れたツナギのまま顔を上げ、駆け足で駆けつける姿は3つ。早朝待機の当番であったこともあり、一人は大きなあくびを隠そうともしていない。

 無理もない。本来予定されていた作戦が突如変更され、そのために部隊長ミーティングが今の今まで長引いてしまったのだ。1時間以上も長引いた彼らの待機時間を顧みれば、眠気もいささか仕方のないことだろう。せめてもう1時間作戦変更の通達が早ければ、こうも混乱を来すことは無かったのだが。

 

 口中に愚痴一つ、カルロスは書類の束を小脇にしながら、格納庫脇のパイロット詰所へと脚を向けていく。眠たい目をこする3人に先んじて扉を開いた先からは、暖房の暖かい空気、コーヒーの香り、そして乱雑に並んだパイプ椅子に、誰かの飲みかけと思しきマグカップが一つ。準正規兵といういささか緩い立ち位置のためか、はたまた傭兵という自由さゆえか、生活面におけるラフさはこの際指摘した所で仕方があるまい。

 詰所内を物色し、いくらか椅子が整っている辺りを見つけ、カルロスは一足先に座を占める。続いていた二人は対面の位置に腰を下ろし、残る一人は気を利かせたのか、保温してあるコーヒーをカップに注ぎ、人数分を揃えてからカルロスの隣に座を占めた。

 

「隊長、どうぞ。ブラッド軍曹とフラヴィ曹長はブラックで?」

「ん」

「ありがとーアレックス君。気の利く後輩を持てて僕は嬉しいよ、うんうん」

「あたしのは砂糖ちょうだい。…たく、こんな時間にまでミーティングなんて、もう時間外勤務ですよ。さっさと終わらせましょうぜ隊長」

 

 三者三様の反応を見流しながら、カルロスはカップを傾ける。

 やや酸味が強く苦みがマイルドな味わいは、よく飲むオーシア産のものとはまた違う種類の豆らしい。保温が長引いて水分が飛び、いささか濃く仕上がっているのが、今は却ってありがたかった。早朝勤務にエリクとの口論、喧々囂々の会議と続いて疲れた頭には、とろりと濃いのど越しと鼻孔に突き抜ける香りがいっそ心地よい。

 

 隊長、か。

 思えば、15年前のベルカ戦争でここヴェスパーテに赴いた時には、自分がそう呼ばれることになるとは全く想像していなかった。あの時はアンドリュー隊長も、多くの仲間もいた。ずっとその編成のまま戦い続けていくものだと、安直に信じ切っていたのである。それを思うと、部隊編成こそ昔のままだが、人の顔ぶれは大きく変わっていた。

 

 例えば、目の前に座る女性――『ニムロッド3』フラヴィ・ゴール曹長は、7年前に端を発した『大陸戦争』にエルジア空軍として参加した経歴を持つ、生粋の戦闘機パイロット出身者である。エルジア空軍縮小の際に軍を辞めた所を社がスカウトし、慢性的に不足しているパイロットを補うために雇用されたのだった。黒い肌、癖の強い黒髪を幾つも三つ編みのように編み込んだブレイズヘアに整えた髪型、そして戦場慣れしたその佇まいは、おのずと空で生きて来た者の自信を醸し出している。『ニムロッド2』オズワルド曹長が療養中の今、戦力として最も頼りになるのが彼女だった。

 その隣でにこにこと微笑みながら、ゆっくりとカップを傾けているのは『ニムロッド4』に当たるブラッド・バンフィールド軍曹。就職前には空戦経験は無く、いささか天然のきらいもあるものの、視野が広く物事に拘泥しない柔軟さから、ニムロッド隊4番機として並んでいる青年だった。攻撃、支援と臨機応変な対応が求められるニムロッド隊の戦術においては、カルロスを除く小隊員の中で最も適した性質を持っていると言っていいだろう。拘りが無さすぎるのか、衣類の襟はよれ、金髪の髪もぼさぼさになっているのが玉に瑕ではあるが。

 一方カルロスの隣に座る青年――アレックス・ウルフ伍長は、まだ少年の面影を残すほどに、他の面々と比べて一回り若い。元々は小隊の構成員に不測の事態が生じた際に駆り出される予備パイロットであり、今はオズワルドに代わり小隊4番機である『ニムロッド5』として、小隊の端に翼を連ねていた。オズワルドと代わるまで空戦の経験は一切無かったものの、ここ数日の戦闘では未熟ながら物怖じしない機動と肝の太さを発揮し、少しずつ腕を上げている所だった。『ニムロッド5』はベルカ戦争初頭でカルロス本人が名乗っていたコールサインでもあり、その点思い入れも無いという訳ではない。未だ発展途上だが、これから伸びる余地はふんだんに持っているパイロットだろう。

 

 概して見れば、ニムロッド隊に限らず、傭兵は年齢層が若返っている印象がある。世界中で戦争が起こっている以上、フラヴィやエリクのような若くて経験豊富な人材はこれからも輩出されてくるに違いない。世界が、あるいは人類が変わらない限り、この傾向はこれからも続くと見ていいだろう。世界各地で戦争が続き、傭兵の需要が高まるからこそ若い人材も流入してくる。その傾向の加速を見ていれば、少なくとも人類はこの15年で何も変わってはいなかった。

 

『オーシアもサピンも、どこも変わらない。結局は、醜いパイの奪い合い。…やはりこれが、世界の現実か』

 

 15年前の記憶が、不意に脳裏を過る。

 『ウィザード1』…ジョシュア大尉。後に『国境なき世界』を創設し、世界の変革を試みた男。かつてオーシア国防軍に所属していた頃に出会ったジョシュア大尉は、世界の現実を嘆き、哀しそうにそう呟いていた。

 大尉の諦念にも似た嘆きは、15年の時を経た今でもなお、世界を刺すに余りある。

 牢という思索の中で、大尉は今、どんな気持ちで世界を見ているのだろう。

 

「…いや隊長。おいしそうにコーヒー味わってないで、早く進めて下さいよ」

「……ああ、すまない。ちょっと日中疲れたもんでな」

 

 ――人は、変わらない。おそらく、ヒトが『人』である限り。

 固い意志を持つゆえに、ぶつからざるを得なかった数多の面影。コーヒーの苦みごとそれらを飲み干して、カルロスは携えていた書類をテーブルの上に置いた。ヴェスパーテ周辺から、作戦区域となるサピン北東部の地図。予想される敵の位置および針路。そして、友軍の展開図と周辺地形。21世紀にもなって今更紙媒体での伝達とは恐れ入るが、哀しいかなハイテク化の波は、このサピンの山奥までは届いていない。

 

「まず、状況を整理する。我が軍の参戦により一時ウスティオおよびレクタの前線は縮小したものの、先日『円卓』経由の輸送ルートを潰し損ねたことで、両国はオーシアから直通の補給線を確保。戦力を徐々に回復し、我が国とラティオに対し攻勢を見せつつある。一方のラティオはユークトバニアからの補給が覚つかず、劣勢にあるのが現状だ」

「オーシアの方が圧倒的に近いし、今オーシアはユーク本土でイケイケですもんね」

「ウスティオやレクタにF-35が配備され始めたという噂は?」

「事実らしい。昨日友軍がラティオ西郡上空で、黒地に灰帯のF-35Aと交戦したという情報が入っている。また、ウスティオ南部には陸上部隊が集結し、アルロン地方へ侵攻する勢いを見せている。いずれにせよ一旦敵の攻勢を止めなければ、なし崩しに押されかねん」

「いっそがしくなりますねー…。もう1コ体が欲しいや」

 

 どこかズレたブラッドの発言に苦笑しながら、カルロスはその情報の中で、一つ確信を持っていた。

 エリクの話によると、レクタはエースパイロットを前線基地に招集し、最新鋭機を配備する構想を計画していたのだという。財政的に最新鋭機の導入は限定的にならざるを得ないレクタとしてはやむを得ない判断だったのだろうが、その点を加味すれば、F-35『ライトニングⅡ』を受領している部隊はまだ相当限られると考えていい。まして、エリクの言とラティオ西郡という位置、そしてその塗装パターンを考慮すれば、そのF-35の素性も自ずと明らかになってくる。

 忘れる筈も無い、黒地に灰色帯の塗装パターン。

 ラティオ上空に現れたというその機体は、間違いなくあの『グラオガイスト』――カスパルの部隊に違いなかった。すなわち『管理された戦争』を形作るべく、ベルカ残党の意志を体現して自ら前線へと出て来たという訳である。

 そして――フラヴィ達には隠したが、実は未確認情報として、その続きがある。接敵した友軍の報告によると、『左翼に三日月』の塗装パターンを施された機体が複数、『グラオガイスト』に付随していたというのである。もしそれが本当ならば、カスパルはエリク達が築いた名声までも余さず利用する積りなのだろう。その酷薄なまでの周到さは、驚くばかりだった。

 

 もっとも、レクタの戦力増強は確かに脅威だが、今は前面の敵はウスティオである。対ウスティオの拮抗状態を崩すためにもその攻勢の打破は最重要の課題だった。

 

「そこで本題だ。本日夜半より、友軍の機甲部隊はアルロン地方南部まで撤退を行っている。我々は明朝より出撃し、その撤退を支援。敵の機甲部隊や航空機の侵攻も考えられるため、状況に応じてそれらの掃討に当たる」

「撤退?アルロン地方を死守するんじゃなく?なんだい、ぶつかる前から逃げ腰とは、サピンも腰が引けたねぇ」

「…妙ですね。要害に籠もって攻勢を防ぐというのも手だとは思いますが、アルロン地方は広大な平原です。仮に敵機甲部隊の侵入を許した場合、瞬く間に展開されてしまうのでは…?」

 

 どっかりと椅子に腰を沈め笑い飛ばすフラヴィに、抱いた疑問を確かめるようなアレックスの言葉が重なる。事実、この命令に、カルロスもアレックスと同様の疑問を抱いていた。

 アレックスの言う通り、サピン北部に広がるアルロン地方は広大な穀倉地帯であり、当然ながら平野がその多くを占める。なだらかな地形や整備された幹線道路を有することから地上部隊の展開も容易という長所を持つが、裏を返せば、一旦敵の展開を許せば取り返しのつかない事態に陥るとも言い変えられるのだ。事実、15年前のベルカ戦争では開戦初頭にアルロン地方を占領され、あの『ガルム隊』の活躍によって解放されるまで、サピン軍は山脈以南に逼塞するという憂き目に遭った。

 サピン軍上層部は、その苦い記憶を十分に覚えている筈である。それならば、敢えてかつての失敗と同じ轍を踏むのは何故なのか。

 

「危惧はもっともだが、理由は分からん。元々はフラヴィの言う通り、アルロン地方で徹底抗戦という話だったんだが。…もう一点、今回の対ウスティオ戦では『秘密兵器』とやらを実戦投入するそうだ」

「『秘密兵器』?なんですそれ」

「機密らしく、詳細は開示されなかった。『カリヴルヌス』がそのコードネームらしいが、情報が無く何とも言えん」

「なんともねぇ。腰の引けた命令に、得体の知れない秘密兵器とは」

「まあそう言うなフラヴィ。その分報酬の上乗せは確約されている。以上だが、質問はあるか?」

 

 得体の知れない秘密兵器――フラヴィの表現は、まさに同感だった。

 名前以外一切知らされない『秘密兵器』、そして腑に落ちない作戦内容。全容はさっぱり見えてこないが、かつての『エクスキャリバー』よろしく、その『カリヴルヌス』とやらでウスティオ軍を一掃しようとでも考えているのだろうか。

 ともあれ、傭兵である以上提示された作戦には従う義務がある。撤退する友軍の支援と、追撃にかかる敵の排除。二本立ての命令を余さず伝え、カルロスは質問を促すように3人を見渡した。アレックスは顎に手を遣り考え込んだまま、フラヴィは頬杖をついて薄ら笑いを浮かべている。ブラッドは首をかくんと落とし、今にも眠ってしまいそうだった。

 

「よし、無ければここまでに…」

「あ、隊長」

 

 席を立ちかけた刹那、思いついたように上がった声。

 離した目を再び向ければ、頭を落とした瞬間に目を覚ましたのだろう、ブラッドが眠気眼のまま手を挙げている。一応話は聞いていたらしい。

 

「あのレクタの捕虜…エリクでしたっけ。あいつへの伝達は?」

「……あ、ああ。考えたが、今は格納庫に籠もりきりなんだそうだ。一応出撃予定時刻は伝えてある。内容はまた明日にでも伝えるさ。ああ見えて経験はそこそこある風だったからな」

「そりゃいいや。あたし達の留守中に大活躍だったというが、お手並み拝見と行こうじゃないか」

 

 ははは、と笑い飛ばすフラヴィの声が、狭い詰所に響く。それに続くはけっけっという、息が切れたようなブラッドの笑い声。横目で探れば、アレックスも興味を覚えた様子で目を輝かせていた。言葉に出さないまでも、その腕前を確かめたいという思いは皆共通らしい。

 実の所、エリクがあの『ハルヴ』の1機とは、皆にはまだ言っていない。直接矛を交え、オズワルドという負傷者も出した手前、のっぴきならない状態にならないとも限らない為だ。詳細が分からない、『三日月の塗装』のレクタ機の事も考慮に入れなければならない。あまつさえ今のエリクは、仲間を失うという痛みを引きずっているせいか、他人と心を交わすことをどこか拒んでいる節もある。エリクと皆がある程度慣れるまで、真相は隠しておいた方が賢明だった。

 

 夕方に別れて後、エリクはどうやら宛がわれた格納庫に籠もり、新たに乗機とした『ダガーA』と共にいるのだという。司令部でのミーティングの後に声をかけようかとも思ったが、『今忙しいから明日聞く』と整備兵越しに伝えられ、結局作戦内容も伝えないまま今に至ったという訳である。

 慣れない機体の点検とは思うが、わざわざ人を払ってまで一体何をしているというのか。一つ事に熱を入れ込んだ男の情熱など、傍からは図る由も無かった。

 

 純粋に目的へ向け進むあまり、エリクは意識していないのかもしれない。

 仲間を失った悲しみを背負い、純粋に復讐を誓うがゆえに、その行動は――信念は、当の仇であるカスパルに近づいていることに。報復の連鎖の中で、自らもまた、一方の鎖となってしまっていることに。

 いや、まさかあるいは――。

 

 ふと頭に兆したその思いを、カルロスは咄嗟に打ち消した。いくら純一に思い悩んだ所で、人は『そこ』まで達観できる筈はない。

 

 ミーティングも散じ、とうとう眠気で突っ伏したブラッドを叩き起こした後、カルロスは一人格納庫から外へ出た。空には月や星が煌めき、人工の光に遮られない冬空の下を、数多の輝きが照らしている。

 天に向けた目を地に奔らせ、目が追う先は唯一光が漏れる格納庫。エリクがまだ何か作業をしているのだろう、漏れる光の中から、時折スプレーを噴くような音が聞こえてくる。

 

 本当に、よく似ている。数多のエースにも、そしてどこかカスパルにも。

 呟き一つ、踵を返した後に、カルロスは今一度空を見上げる。

 琥珀色に浮かぶ月に、まっすぐなエリクの眼差しが重なって、暗い夜空を照らしていた。

 


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