Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第22話 終わりと始まり

 黒煙と炎に包まれた『グリペンC』が、その翼に刻み付けた三日月を焦がしながら、分厚い雲海の底へと沈んでゆく。

 西の空に既に月は無く、自らの背の方からは曙光を纏った朝日。夜半から夜明けに渡って人知れず交わされた航空戦は、皮肉な程に彼我の状況を示したその光景を以て終わりを告げた。

 

「……はあっ……!」

 

 先程言葉を紡いだきり、噤んでいた口。胸を苛む重石を吐き出すように、少女――パウラ・ヘンドリクスは思い切り息を吐き出した。

 

 見慣れた筈の『敵機』撃墜の瞬間。それなのに、この言いようのないほど重く苦しい感覚は何だ。

 胸の中で、得体の知れない真っ黒な蔦が、内奥を傷付けながらのたうち回る。肺腑が、見えない掌でもって握り潰される。息を吐き出しても、奥歯を食いしばっても、心を責めるその感覚は一向に消えることは無い。

 操縦桿を持つ手が震え、額に一筋汗が滲む。初陣ならばいざ知らず、レクタで飛ぶようになってこのかた、これほどまでの動揺は初めてのことだった。

 

 だが、何故だ。

 『仲間』としていたハルヴ隊を裏切り始末したことが原因では、おそらくない。そもそもレクタへ入ることになった時点で、祖国ベルカの為に全てを犠牲にすることは織り込み済みだったのだ。アルヴィン少佐の薫陶の下、ベルカ再興の為にあらゆる手を尽くす。そのためには、どれだけレクタ人が死のうが、どれだけ醜い行為をしようが、全て正義の為に止むを得ない。そう信じ、これまで彼らの隣でも飛んでいたのだ。

 まさか、今更私が、良心の呵責を感じているのだろうか。

 

 答えの出ない、自らへの問い。全てに蓋をし、パウラは後方に就き従う灰色の2機へ向けて通信回線を開いた。

 

「……。スポーク2よりグラオドラッヘ1および2へ。本隊へ戻る。本機に追従せよ」

《コード入力をお願いします》

「………。指揮コードT-01」

《了解しました。貴機に対する追従飛行に入ります》

 

 アルヴィン少佐の下へ戻るべく操縦桿を握り直した矢先、四角四面に返されて来た機械音声に、パウラは思わず舌を打ちたい思いに駆られた。

 改めて規定された命令コードを以て言い直すと、旋回したこちらに合わせて2機は弧を描いて旋回に入る。咄嗟に融通が利かない割に、殊飛行機動に関しては、その鋭さは人間の操縦では及ぶべくもない。

 ――せめて、『あれら』のように機械のような心になれたら、これほど得体の知れない苦しみを味わわずに済むのだろうか。

 道具を見るような冷徹な目に一抹の羨望を交えた心持ちで、パウラは後方の2機へと目を遣った。

 

 垂直尾翼を斜めに立たせ、角ばった前進翼と大型のカナード翼を持った大型の機体。直線を主とした主翼形状はF-15『イーグル』系列の武骨さを、機首から尾部へと至る流線形のシルエットはSu-27『フランカー』系列の流麗さを思わせるが、その独特の形状と機能は、既存のあらゆる機体の範疇に収まりきるものではない。

 

 X-02――通称『ワイバーン』。未だエックスナンバーを離れないその名が、表舞台に立つことのないこの機体の全てを物語っていた。

 この機体の出自を辿れば、海の向うはユージア大陸西岸、かつての軍事大国エルジア共和国に由来する。

 7年前――すなわち2003年。エルジアによる中立国サンサルバシオンへの侵攻を発端として『大陸戦争』が勃発し、ユージア大陸は戦火に見舞われた。序盤から優位を保ったエルジアは、占領した巨大地対空レールガン『ストーンヘンジ』と併せて防空体制を万全のものとすべく、陸空連携した防空網構築を構想。その空の要に当たる次期主力機として設計されたのが、エルジアの技術力の粋を結集させたこの機体だったのだ。

 ところが、エルジア国内での保守派・技術革新派による派閥間の反目、そしてそれに起因する予算確保の課題から、開発は予定より大幅に遅延。主力艦隊『エイギル艦隊』の壊滅を契機とした周辺諸国の反撃によってエルジアは次第に劣勢となり、X-02開発は再開されるも、その頽勢の進行はあまりにも急だった。結果、X-02は試作機の完成と同時に終戦を迎え、ついに大陸戦争で日の目を見ることは叶わなかったのである。終戦後、エルジア残党に当たる『自由エルジア』が本機を不完全ながらも無人機として完成し、ユージア諸国に対する反乱作戦へ投入したとも言われるが、その真偽はついぞ不明のままだった。

 

 だが、その出自を見るまでも無く、X-02の卓越した性能は注目を集めた。軍事大国エルジアらしい洗練された設計思想、状況の変化へ柔軟に対応できる変形機能、そして機体形状からは想像もできない高いステルス性能。

 一説には最強と謳われるF-22『ラプター』すら凌ぐとも言われるその能力に、真っ先に飛びついたのはユークトバニアだった。大陸戦争終結後、エルジアからの亡命者を積極的に受け入れ、オーシアに先んじて図面や機材を入手することに成功したのである。

 

 ここに、ベルカの幸運が重なった。

 一つには、ベルカ公国残党組織『灰色の男達』の息がかかった『ノースオーシア・グランダーI.G.社』へ、ユークトバニアが秘密裏に本機の生産を依頼してきた事。そしてもう一つは、大陸戦争終結後に『自由エルジア』のメンバーが、無人機として実戦投入したX-02の予備コクピットユニットを手土産にベルカへと亡命していた事である。つまり、ベルカ公国残党は、期せずして『X-02の図面』と『無人機の中枢部分』を手中に収めることになったのである。

 

 15年前の『ベルカ戦争』の復讐のため、当時敵対した連合国の衰退と転覆を図るべく諸国へ潜入したベルカ残党にとって、『無人戦闘機』という存在は必要不可欠だった。ただでさえ少ない頭数を各国に分散している状態で、満足に『作戦行動(・・・・)』を行うためには、戦力の確保がどうしても必要なためである。――戦力は欲しい、しかし人間は少ない。この二律背反の中で、操縦に人を必要としない無人機はうってつけの存在だったのだ。

 このようなベルカ残党の事情に、かねてより培われて来たベルカ伝統の生産技術が後押しをかけた。部品数を減らし生産効率を上げ、俗に『2機の予算で3機はいける』とまで言わしめる生産能力をフルに活用して、ノースオーシア・グランダーI.G.社は秘密裏に無人機仕様のX-02量産に取りかかったのである。もとより各国の兵器生産を一手に引き受けるグランダー社である、効率化により浮いた予算は莫大な額に上る。その潤沢な資金が、余さずX-02の量産につぎ込まれたことは言うまでもない。

 

 かくして量産された無人戦闘機X-02は、各国のベルカ残党の下に秘密裏のうちに、あるいは試作機の実戦テストとして大っぴらに配備されることとなった。レクタへの配備は早い部類だったが、その他の周辺諸国へも順次配備が進む予定となっている。『灰色の男達』が望む、『管理された戦争による、ベルカ以外への戦火の拡大と荒廃』のためには、敵味方となる両軍のベルカ同志の手にX-02がいた方が都合がいい。

 

 数奇な運命の下に母国を離れ、戦火を煽る厄災の飛竜となったX-02。悲嘆すべきその末路にも、機械の心臓は何も感じていないに違いなかった。

 

「スポーク2よりスポーク1、間もなく合流します」

《こちらスポーク1、了解した。こちらもじきに片が付く。ただちに合流せよ》

 

 雲を抜け、朝日が昇るその先に、いくつもの機影が入り乱れている。

 球状に展開する灰色の機影に囚われているのは、ロベルト・ペーテルス――『グリューン2』ファビアン・ロストが駆る『グリペンC』。既に数多の弾痕を穿たれた機体は黒煙と炎を噴き、その命運をまさに潰えさせようとしている。一方、周辺に展開しているのは隊長の『グリペンD』とグラオモント隊の『グリペンC』が4機、そしてX-02が8機。機数から見るに、この劣勢の中でありながらX-02を1機撃墜したのだろう。15年前の戦争で、激戦区である『円卓』を護ったエース部隊としての手腕は流石という所だった。

 

 風前の灯と化した、元エースの駆る機体。ちらりと視界に映ったその姿に憐憫の情一つ、パウラはアルヴィン少佐――カスパルの傍らへと機体を寄せた。攻撃の主をX-02に任せたのだろう、機体への損傷はハルヴ隊との交戦から目立って増えてはいない。

 

《スポーク2、首尾はどうだ》

「エリク・ボルストならびにクリスティナ・ファン・レイデン、いずれも撃墜。脱出は認められませんでした」

《………!!》

 

 ぜえぜえという荒い息の音に、絶望の吐息が混じったのは、おそらくロベルトのものだったのだろう。啄むように迫るX-02を紙一重で回避していた機動も、それきり精彩を欠き、回避行動すら取らないようになった。

 そもそもロベルトが孤軍で持ち堪えたのは、エリクとクリスを逃がす為だったのだ。護るべき彼らが死んでしまった以上、その奮闘は無に帰したということになる。座して死を待つその姿は、最早哀れですらあった。

 

《…はは…そうかい。あいつらも、逝っちまったかい。……俺の戦いは、全部、無駄だったのかね……》

《残念だったな、『グリューン2』。部下を失った苦衷、同情はするが…我らの素性を護るため、何よりベルカ再興の正義の為だ。君には、消えてもらうしかない》

 

 回線越しに滲む、無念の響き。

 それすらも磨り潰すかのように、カスパル少佐の『グリペンD』が増速し、旋回してロベルト機の正面へと位置取ってゆく。真正面のヘッドオンで確実にコクピットを潰し、完全に息の根を止める意図と見て取れた。

 

《――可哀想だねぇ》

《何?》

《『正義』として定めた肥大化した妄執で、連鎖する戦いを繰り返して…あんた自身、それに縛られてもう止まれなくなっている。死んでいったあいつらも、これから巻き込まれる奴らも、そしてあんたらも。…みんな、可哀想だ》

《……………世迷言は、それで終わりだな?》

 

 針路は、真正面。

 常になく冷たい言葉が、感情を押し殺したような意志がロベルトを指し、それでも三日月の『グリペンC』はたじろぐ気配も無い。悲劇と惨禍の渦に呑み込まれた自身を救う唯一の道は、自分の真正面にしかない。裏切りと死を経てそう悟ったかのように、機体の針路は揺るがない。

 カスパル少佐の機体から放たれるは、空対空ミサイル(AAM)一筋。それはまるでスローモーションのように、パウラの目の前でゆっくりと飛来し、ロベルト機の正面へと突き進んでゆく。

 

《また、飛びてえなぁ…。広い、あの空を》

 

 最期のそれは、果てない想いか、静かな慟哭か。

 真正面からコクピットへと突き刺さったミサイルは、一瞬の後に爆発。その声の残響すら爆音の下に切り裂いて、『グリペン』の小柄な機体を粉々に砕き尽くした。

 爆発の衝撃で脱落した主翼は、そこに記された『三日月』ごと真っ二つとなり、煙に巻かれて墜ちていく。まるで彼らの末路を描き、同時に滅びてゆくであろうレクタの命運をも暗示するかのような光景に、パウラは今一度、その主の顔を思い浮かべていた。

 

《………今更、戻れるものかよ》

《え?何か言いましたか、スポーク1》

《いや。スポーク1より各機、目的達成を確認した。針路変更、スヴォレフホイゼン基地へ向かう》

「了解」

 

 先頭は、カスパル少佐の『グリペンD』。北へ向け変針していくその機体へ付き従うように、パウラも操縦桿を倒し、乗機『グリペンC』を旋回させた。ハルヴ隊との戦闘で幾分傷ついたものの、通常の機動を行う程度ならば支障はない。

 向かう先であるスヴォレフホイゼンは、レクタ西郡寄りに位置する山間の空軍基地である。頽勢のレクタを救うべく、エースパイロットを招集した精鋭部隊の拠点として新設された小規模基地が、その表向きの肩書だった。

 ベルカ残党である我々がそこへ向かう点からして、その『裏』の顔は、自ずと明らかであろう。レクタに潜入したベルカ残党、そして『レクタを強国とするため』という名目に賛同したレクタ人のシンパで構成された、戦争を管理し戦火を広げるための飛竜(ワイバーン)の巣。それが、スヴォレフホイゼンの基地が担う真の役割であった。

 当然ながら、レクタの上層部は一部を除き、その本来の姿を知る者はいない。だからこそ精鋭部隊『ハルヴ隊』の招聘が可能となり、今こうして謀殺の機会を得ることができたのだ。全ては、綿密な策謀と嘘の上に成り立った既定路線である。

 

『…これが、お前らの望んだ事か。今まで重ねて来た言葉は、全部嘘だったのか』

「……………」

 

 不意に、脳裏に蘇ったエリクの言葉。今一度ずきりと傷んだ胸が、パウラを内省へと引きずり込んでゆく。

 

 嘘。

 そう言ってしまえば、エリクに対し――レクタに対し言ってきた言葉は、確かに嘘で塗り固めたものでしかない。私たちは、全ての真実を嘘で塗り固めて、今に至るまで生きて来た。

 例えばアルヴィン少佐の素性が、かつてベルカ公国空軍に所属していた『グラオガイスト1』ことカスパル・ゲスナー少佐であることもそうであるし、その後席を守るフィンセント・デ・フロートの素性が当時の少佐の部下である『グラオガイスト3』――オットー・ボルツマンであることもその一つである。同志が次々と命を落としていく中で、二人はベルカ戦争の後も生き延び、水面下で復讐の刃を研ぎ澄ましてきたのだ。

 

 それは、自分自身の出自もまた例外ではない。そもそも名や年齢からして、私もまた素性を偽ってきたのだ。

 私の本名は、パウラ・ニーダーハウゼン。その素性は、かつて少佐の部下だった『グラオガイスト2』テオ・ニーダーハウゼンの娘であり、年齢も20ではなく16歳である。当然ながら、少佐や父がベルカ空軍として活動していた頃は、まだ物心がつく前だった。

 以降は少佐から聞いた話ではあるが――。

 ベルカ戦争終結後も、少佐ら『グラオガイスト隊』は『国境なき世界』を名乗る反連合組織の一員として抗戦を継続。その本隊がベルカ内陸のアヴァロンダムに籠もるのと同時期に、今のノースオーシア州は五大湖沿岸に位置するフィルルテーゲン基地にて空域防衛に従事していた。しかし、数で圧倒的に勝る連合軍の攻勢に、基地は陥落。父テオは、その際に『翼端を黒く染めたMiG-27M』と『盾のエンブレムを施したF-5E』によって撃墜されたのだという。

 残存機を纏めて撤退した少佐は、その後も抗戦を継続するも、徐々に仲間を失ってゆく。父テオの復讐のため少佐に合流したという母も、フィンセント――オットーを除く隊のメンバーもその最中に落命し、窮地に陥った二人は私を連れ、ノースオーシア・グランダーI.G.社の元に逃れた。雌伏の時を過ごす中で、元々の繋がりもあったことから私はカスパル少佐によって扶育され、パイロットとして鍛えられたという訳である。

 

 以上を踏まえれば、『全部が嘘』とエリクに断じられても、自分には抗弁する術は無かった。本当に、悲しいほどに全ては嘘で塗り潰されている。

 だが。

 確かに、私は嘘をついた。エリクにも…そして、カスパル少佐にも。

 

 エリクは、確かに撃墜した。しかし、その脱出の有無までは、本当は確認していない。『確殺』という命令までは全うできなかった――否、しなかったのだ。

 自分でも、何故かは分からない。しかしエリクの後ろに就いたあの時、私は無意識にその照準をずらしてしまっていたのである。被弾し機動が鈍った機体相手に、狙おうと思えばいくらでもコクピットを貫けた。それにも関わらず、放った機銃弾はエンジンから主翼に至り、コクピットを直接撃つことは無かったのだ。機体は炎を纏ってこそいたものの、高度は十分にあった筈である。雲へ飲み込まれた先に山肌さえなければ、脱出は可能な筈だった。

 思い返せば、事はそれだけではない。エースパイロット部隊への招集をヘルメート基地の首脳らと協議した時、私は謀殺の策を知っていたにも関わらず、ハルヴ隊の派遣に反対の言葉を述べてしまったのだ。後にカスパル少佐に叱られたにも関わらず、あまつさえ少佐には内緒で、自分が反対したことをエリクやクリスにも話してしまっていた。思い返せば滑稽だが、まるで自分は殺したくなかったと暗に弁明するかのように。

 

 なぜ、『エリクだけ』殺せなかったのか。

 エリクに複雑な感情を抱いていなかったかと言えば、それは嘘になる。だからといって、それだけが原因ではないのではないか。事実それを言うなら、しばしば口論し、一回だけとはいえ共に外出したクリスに対しても、幾分の親しみのような感情は無い訳では無い。

 そもそもいつの頃から、自分がエリクを意識し始めたのかは分からない。未熟な点ばかり目立った彼に、教導隊の立場から容赦なく言葉を突き刺し、その度に言葉をぶつけて反目したのは一度や二度ではないのだ。傍目に見れば目の敵にしていると思われこそすれ、それを意識しているというと判断するのはあまりにも滑稽すぎるだろう。

 

 だが――そうだ、いつの頃からか、エリクは私の言葉を軽く受け流し、やんわりと受け止めるような対応をするようになっていた。それはあまりにも言葉をぶつけ合った果てでの諦めに似た適応反応か、あるいは場数を踏んでパイロットとして成長したことによる余裕なのかもしれない。いずれにせよエリクは、少なくとも最初の頃と比べて、余裕を持って私に接するようになったのだ。

 少し暖かいような、苛つくような、不思議な感覚。それは、父親代わりのカスパル少佐とも、同志であるオットーとも違う感覚だった。二人は――特にカスパル少佐は父親代わりとはいえ、指導でも日常でも、むしろ上司であり同志であるという意識が強い。少佐の前ではぴり、と糸が張り詰めたような感覚が多く、その峻厳さの中ではとても父親と共にいるような包まれる感覚があるとは言い難い。…いや、そもそも物心つく前に父親は他界している以上、私は父親というものを知らないのだ。受け入れ、抱擁するような温かさを、父親らしさだと漠然と思っているのに過ぎない。

 

 飛躍した思考がそこに至り、パウラは愕然とした思いに囚われた。

 

 峻厳たる上司であり同志でもある、父親代わりのカスパル少佐。そして、いつしか腕前で自分をも凌駕し始め、同時に余裕と包容力を持ち始めたエリク。その二人の間で、揺れる言葉は一つしかない。

 まさか、私は。

 彼に――エリクに、未だ知らぬ父性というものを見出していたのではないか。

 

「……馬鹿な」

 

 そうだ、馬鹿な。こんな馬鹿な話は無い。

 忘れよう。もう、何もかも忘れよう。そもそも、エリクが脱出したかどうか定かではない。全ては終わり、過去となったのだ。彼らは、ベルカの正義の為に死んでいった。

 

 一層激しくなった胸を刺す痛みを、パウラは息を詰めて堪えていた。

 

******

 

 暗闇に、三日月が浮かんでいる。

 真珠色で夜空を照らす、俺達の象徴。『ハルヴ』の名の由来。その下に、ロベルト隊長が、ヴィルさんが、クリスがいる。

 月は昇り、天頂に達し、そして見る見る傾いていく。

 昇るものは、いつかは沈む。仕方がないものなのかもな。

 胸に一抹の寂しさが宿ったその時、エリクは3人が、沈む月の方へと歩き始めていることに気が付いた。

 おい、俺を置いてどこに行くんだよ。

 口にしようとするも、声は出ない。踏み出す脚は一歩も前へ出て行かない。3人は、見る見る離れていく。

 待て、待って。くそ、何で脚が。

 一向に動かない脚に苛立ち、足元を見たエリクは、思わずぎょっと心臓を跳ね上げた。

 地面から湧き出る灰色の腕が、無数に脚に絡みついている。無限の闇を思わせる足元からそれはいくつも伸びて、腕を、体を、頭までも絡めとっていく。

 月が沈んでいく。視界が赤く染まっていく。3人が、地平の彼方へと去っていく。

 待って、待ってくれ。俺を置いて行かないでくれ。

 俺を、一人にしないで――。

 

******

 

「………?」

 

 最初に感じたのは、まばゆい光。

 体を苛む鈍い痛みと、上に被さるシーツの感触を感じながら、エリクはゆっくりと目を開いた。

 白く汚れの無い天井。消毒液の匂い。右側に立つ点滴用スタンド。そして、その先から聞こえる男の声。悪夢の残滓から覚め、未だぼんやりとした頭を整理するように、エリクはその方向へ頭を傾けていく。

 声の方向では、男がベッドに横たわり、椅子の背もたれを間に挟んで別の男が何やら会話をしているのが見える。座っている男の方は作業用の濃緑のツナギを着ているが、胸や肩の辺りに何らかのエンブレムが見て取れた。包帯を巻かれているせいか、視界が狭く細部までよく見えない。

 

「早いとこ復帰してくれよ。頭数一つの減は、ウチにとっちゃ大打撃なんだからな」

「これくらい掠り傷ですよ。っていうかむしろ同じ目に遭った隊長がピンピンしてるのがおかしいんですから」

「昔から重ねた悪運の量が違う、量が。お前も場数踏めばじき…ん?」

「どうしました?」

「悪い、ちょっと離れるな。ドクター、例のレクタのパイロット、目が覚めたみたいですよ」

 

 顔を傾けた矢先、椅子に座っていた方の男と目が合った。奥の方に別の人間がいたのか、そちらへ声をかけた後、男は席を立ってこちらへと歩んで来る。この設備、そしてドクターという呼び方から、ここはどこぞの医療室なのだろう。よく見れば壁面には薬品棚が並び、奥の方では白衣が見え隠れしている。

 様子を呑み込めないこちらを尻目に、男は脚の方からこちらを見下ろしている。年のころは30から40という所か、黒髪の褐色肌で、顔にはいくつも古傷が見える。

 

「あんたも悪運が強いみたいだな。墜落した友軍パイロットの捜索隊に偶然発見されるなんて、なかなか無い確率だぞ」

「誰だ、あんた。…いや、その前にここはどこなんだ。ラティオ領内の根拠地か…?」

「…まぁ、今は安静にしていろ。すぐにドクターが来る」

 

 記憶が、ぼんやりと呼び起こされていく。

 新たな基地へ向かうために飛び立って、その途中でスポーク隊と空戦になって、隊長の命令で南へ針路を取って。

 スポーク隊。謎の変形機。南という針路。クリスの最期。――パウラ。

 フラッシュバックする光景とともに、目の前の男のツナギに刻まれたエンブレムが目に入る。黄色と青で彩られた、盾を象った国旗。そして、ラティオ西郡から南という方向。

 まさか。ここは。

 

「…サピン領内…!?」

「……。おーい、ドクター。まだかー?」

 

 思わず口にした推測に対し、肯定も否定もしない男の反応がそれを的中と告げる。

 エリクは愕然とした。元々ロベルト隊長が亡命先にと志していた先ではあるが、それは堂々と申し入れての話である。撃墜され、機体から放り出されて、命からがら回収されたというならば、これは亡命ではなく単なる捕虜ではないか。

 目の前が真っ暗になり、体が脱力する。白衣の男が傍らの診断票を取り、自分の手を取って何事かを記録していても、それすら意識に上ることは無かった。

 

「……これからどうなるんだ、俺は」

「まずは体の完治が第一だ。その後は事情聴取、後は…捕虜収容所だな。…慰めにはならんかもしれんが、サピンの飯は一級品だ。収容所のも旨いぞ」

「………」

 

 一抹の望みを賭けた言葉も、にべも無く潰される。

 やはり、処遇は完全に捕虜のそれである。完治までの猶予はあるとはいえ、捕虜収容所に収容されてしまえば、終戦までは捕虜のままに違いない。それではレクタに戻ることも、ロベルト隊長達の仇を討つことも叶わないではないか。…いや、そもそも『戦争の継続による諸国の荒廃』を標榜するベルカ残党のような奴らが存在する以上、この戦争自体がそう易々と終わるとは思えない。7年前の大陸戦争を顧みるまでもなく、数年に及ぶ可能性すらあるのだ。

 馬鹿な。こんな馬鹿なことがあるか。

 相変わらず視界を塞ぎ続ける頭の包帯を、苛立ち紛れに掴むエリク。それを見て取った白衣は、外見から想像もつかない力で、その腕を無理やりに引き剥がした。…いや、そもそも自分の力が回復しきっていないのかもしれない。力任せに振りほどくことも叶わず、エリクは白衣の男の手で、再びベッドに押し戻される羽目になった。

 

「やめたまえ。…申しにくいが、君の左目は破片で完全に潰されている。もうしばらく、包帯を外させる訳にはいかんのだ」

「な…!?……俺の、左目が…!?……馬鹿な!これだぞ!俺のこの左目だぞ!!」

「……」

 

 言葉無く、首を振る白衣の男。エリクは今度こそ本当に、絶望の淵に叩き落とされた。

 仲間を殺されたのみならず、片目まで奴らに奪われたというのか。国へと帰る術を無くし、全てを奪われたまま、朽ち果てていくしかないというのか。

 検査を終えたのか、白衣がツナギの男へ何がしか言葉をかけ、場を離れていく。頭を抱えたエリクにとってはもはやそれすらもどうでもよく、依然として見下ろす男の存在が煩わしいばかりだった。

 転落と評することすら生温い絶望。どうして。俺が、何をしたというのか。

 絶望は憎悪へと変わり、やがて暗い熱を胸に帯びさせる。その全ての元凶である、『奴ら』へと向けて。

 

「………」

「とりあえず、安静にしていろ。傷の方はやがて塞がる」

「…………」

「…悪かった、邪魔したな」

「……許さん…。絶対に、許さない…。…『グラオガイスト』…!!」

 

 澱んだ憎悪が意図せぬままに口へと昇り、記憶に残ったその言葉を紡ぎ出す。

 アルヴィン…いや、確かカスパルと言ったか。ロベルト隊長曰く、奴がベルカ公国軍当時に名乗っていたという部隊名。混乱の中での会話だったが、その語は間違いなく耳に残っている。

 どうする。すぐに脱走するか、それとも完治を待って航空機を奪い、レクタへ帰って洗いざらいぶちまけてしまうか。

 復讐の為に戦ってくれるなと、忘れてくれと隊長は言った。しかし、今のエリクに、到底それは肯じられる事では無かった。大切な仲間を奪い、左目を奪い、故郷を奪ったスポーク隊。忘れることなど、到底できはしない。強い絆で結ばれた肉親同然の仲間の命を無惨にも奪った奴らを、許すことなどできない。一人残された自分にできることは、復讐の二文字以外には無かった。

 

 暗い情動が、怒りに沈むエリクを燃やす。

意識を巡らすその中で、先の言葉にツナギの男がぎょっとした顔を振り向かせるのに、エリクは全く気付かなかった。

 

「待て。今、何て言った」

「……五月蝿い。今は一人にしてくれ。何も話したくは…」

「今、確かに『グラオガイスト』と言ったな?」

「……?」

 

 踵を返した男が、しゃ、とベッド間の仕切りを閉じてこちらに顔を近づける。

 一体どういう風の吹き回しなのか、エリクには煩わしいばかりだった。いやに喰いついて来るが、『グラオガイスト』の部隊名が一体何だというのか。

 

「ああ、言ったさ。それがどうした。昔そう名乗ってた奴に裏切られて、仲間も全部失って、俺までこの有様だ。奴だけは、この手で殺さないと気が済まない。そのためには、何としてもレクタに戻らないといけないんだ。……もういいだろ、出て行けよ」

「…元ベルカ公国空軍の『グラオガイスト』か?」

「……?ああ、だから何だよ。カスパル何とかだそうだ」

「……!…『グラオガイスト1』、カスパル・‘ネーヴェル’・ゲスナー…!」

 

 苛ついた気分そのままにカスパルの名を出した瞬間、男の表情が明らかに変わった。いや、それだけではない。まるで自ら確かめるような口調で男はその名を、自分が姓を言っていないにも関わらず言い当てたのだ。あまつさえ、TACネームと思しき、エリクさえも初めて聞く単語まで付随させて。

 何なのだ、こいつは。サピンの人間が、何故カスパルを知っている?

 

「詳しく話を聞かせてくれないか。一体、何があった。奴らは何をしようとしている」

 

 男は背を伺いながら、声を詰めて言葉を重ねた。残った片目でもようやく焦点が合い、男の胸に黒を基調としたエンブレムや、LとSを二つずつ重ねたような紋章らしき意匠も刻まれているのが見える。褐色の肌に刻まれた古傷はぴくりと蠢き、男が緊張を抱いているのが見て取れた。

 

「あんた、一体…」

「カルロス・グロバール少尉相当官。民間軍事会社から派遣された、サピンに雇われている傭兵だ」

 

 男の名が、低い響きを帯びて脳裏に奔る。

 『カルロス』…どこかで聞いたような気がするが、思い出せない。記憶を辿るように泳がせた目は、その男顔から片口、胸元へと至り…やがて、ツナギの胸に施されたエンブレムを捉えた。

 

 盾型の枠を背に、翼を広げたような幅広の黒い鋭角。それが、月夜に羽ばたく蝙蝠の意匠であることに、エリクは今更ながら気が付いた。

 


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