Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第21話 月が沈む刻

 薄雲の灰色を背景に、機銃弾がまるで雨のように降り注ぐ。

 斜め上方、計8機。――識別照合、レクタ国籍。

 ヘッドマウントディスプレイ(HMD)上に映えたその表記に、エリクは思わず唇を噛んだ。目を配り、操縦桿を握る手に力を入れ、乗機『グリペンC』を左方向へ旋回させる。横合いのGと回転する視界に頭を撹拌されるその最中でも、胸をかき乱す焦燥と困惑、そして怒りは心を苛んで離さない。

 

 がん、がん。

 操縦桿越しに振動が伝わり、機体が数発被弾したことを無言の内に伝えて来る。直上から網の目のように機銃掃射をかけてくる攻撃法といい、炸薬でもって金属の板を強引に破砕する今の被弾音と言い、奴らは明らかに実弾装備、それも確実にこちらを殺しに来ている。回避行動に入ったこちらの背を追うでもなく、一航過で下方へと抜けて行ったその戦術にしても、まずは確実にこちらを消耗させんとする『敵』の意図が見て取れるようだった。一撃離脱でじわじわとこちらを啄み、消耗させた所で機数に物を言わせるというのが、この場合は最も確実な――そう、対象である俺達を間違いなく殺すのには確かに確実な方法に違いないだろう。

 

 なぜだ。どうして。そこまでして、俺達を殺したいのか。それほどまでにレクタを憎み、俺達を憎み、奴らの言う理想のベルカのための生贄にしたいのか。

 苦悶の問いかけとともに、エリクの目はその相手――アルヴィン少佐とパウラの『グリペン』を追った。先ほどの敵機の攻撃に紛れて、2機はこちらとほぼ同高度を保ったまま、旋回してこちらの背に就かんとしている。まるで、隙を見せたこちらの背を確実に撃ち落とすと言わんばかりに。

 

 ぎ、と食いしばる歯、そしてかっと激する胸。

 仲間として信じていた今までの姿は、全て嘘だったというのか。

 

「…くそっ!!」

《こちらハルヴ3、上より第二波来ます!》

 

 胸に収め兼ねた感情の奔流も、迫る殺気に応えるヴィルさんの声で掻き消される。

 見上げた先には、先程同様に残りの8機。しかし今度は4機ずつ左右に分かれ、それぞれ降下しつつ外側へ広がるように機首を向けているのが認められる。横方向への旋回で回避した先程の機動を見越し、今度はこちらの回避先を狙い撃つ積りなのだろう。

 

《今度は止まるな、加速して向うの射線を抜ける。その後は下にダイブ。雲海に逃げ込むぞ》

 

 定型が無いのが定型。そんな言葉を思わせるロベルト隊長の指揮の下、エリクはちらりと下方を見やる。夜の間に気温が下がった所に日の出が重なったためだろう、眼下の山間部には濃い雲がびっしりと立ち込め、立ち並ぶ山肌すらほとんど見えない程になっていた。雲は、言うなれば濃密な水蒸気の幕。視認はもとより、レーダーや赤外線誘導式空対空ミサイル(AAM)の誘導すら制限を受けることになる。隊長の言う通り雲の中へ逃げ込みさえできれば、圧倒的に戦力で劣るこの状態でも逃げおおせることは不可能ではなかった。

 

 機体が軽い『グリペンC』は、デルタ翼機の中で比べれば初速と運動性が他機種と比べて勝る優位がある。

 踏み込んだ脚に素早く機体は応え、4機はひと塊となって敵編隊の下方をすり抜けた。慌てた頭上の8機が降下の最中で旋回し機銃を放つも、加速したこちらの背を捉えきれなかったのは言うまでもない。

 射線を掴み損ねた8機を後方へ悠々といなしながら、隊長は機体を右へとロールさせ、そのまま右下方降下へと入って行く。エリクも同じ機動でそれに続き、その背をヴィルさんとクリスが追っていった。後方のスポーク隊はまだこちらを射程に捉えておらず、先の被弾もあってか加速の伸びはこちらより遅い。

 

 引き離せる。

 エリクの脳裏にその言葉が浮かんだとすれば、それはあまりにも甘い観測だっただろう。

 そう、かつて高い技量を以て知られたベルカ軍の技術と、『敵』の性能に対して。

 

《――後方、8!》

《ち…第一波の奴らか!》

 

 機体が後方警戒の電子音を発するのと、最後尾のクリスが悲鳴のような声を上げるのは同時だった。咄嗟に戦闘モードとしたレーダーを見やると、こちらの4機編隊の後方には2つの機影が映り込んでいる。

 ――いや、よく見るとさらにその前にも、ごく小さいながら反応が6つ。二つの鏃のような隊形を取り、後続の2機を引き離しながらみるみるこちらへ迫ってきている。

 

《エリク、敵、何だったか分かるか?確かデルタ翼っぽかったよな》

「く…!今は真後ろなんで、ここからじゃ機種までは何とも。ただ…はい、確かデルタ翼機だったような」

 

 本来であればHMD上に敵の機種や距離といった情報は表示される訳だが、『グリペン』はキャノピーの形状上真後ろの方向に死角があり、振り返ってみた所で敵の姿を捉えることすら叶わない。レーダー表示を確かめた所で、後方の2機はレクタの『グリペンC』との表示があるものの、先行する6機は反応自体が小さく、その様を探ることすらできなかった。

 だが。隊長の言葉に先程の第一波を思い返せば、頭上を見上げた一瞬に、確かに敵の姿は見た。お互いに高速だったのでその詳細な形状まで見て取ることはできなかったが、網膜に焼き付いたそのシルエットは、確か三角形の翼を持った無尾翼デルタの機体ではなかったか。

 つまり。

 

《よし…ならこっちにも手がある。ハルヴ全機、合図したら一斉に急制動で減速しろ。一旦こちらをオーバーシュート(追い越し)させちまえば、あとは『グリペン』の運動性で十分撒ける》

「なるほど…確かに!」

 

 もとより『グリペン』は先のように初速こそ優れるものの、その後の加速の伸びは他のデルタ翼機と比べてどうしても劣るという欠点がある。この点は、以前『円卓』で『赤色』のタイフーンと交戦した際のことを見ても明らかであった。軽量単発の『グリペン』では、どうしても双発大型の他のデルタ翼機と比べて出力で劣ってしまうのだ。

 つまり、勝負を仕掛けるならば向うの得意である加速性ではなく、対デルタ翼機では優位を取れる運動性。隊長の言う通り一度後方さえ取ることができれば、敵の攻撃を避けながら離脱を図れる筈だった。

 

 後方、微かな反応の6機が迫る。

 レーダー上の距離、概ね1200。こちらも相当加速が乗っている筈だが、その数値は見る見るうちに減っていく。

 1000。900。その時が近づく。

 850。

 一拍。

 今。

 

《制動っ!》

「お、おっ!!」

 

 フットペダル、急減速。

 めいっぱい跳ね上げたカナードの抵抗を受け、『グリペン』の速度ががくんと落ちる。

 前方へ弾き飛ばされそうな衝撃と胃の悪心を肚で堪えながら、エリクは操縦桿を左手手前へ引き、機体の進行方向を保ったまま左上方へ旋回――空戦機動に言うバレルロールで回避行動に入った。急減速下でちんたら飛んでいては、追いついた敵機に後ろから衝突される恐れがある。

 隊長はこちらの前方で左へ、ヴィルさんとクリスは右へ。左右それぞれへ広がったハルヴ隊の中央を、6つの機影が突っ切ってゆく。こちらの急制動に対応しきれず、こちらの狙い通りにオーバーシュートをしたらしい。

 

 引っかかった。

 そう脳裏に抱いた数秒後、エリクは予想だにしなかった展開に、思わず驚愕した。

 

 一つには、その機体の見慣れない形状ゆえだろう。

 機体は、灰色一色。水平尾翼どころか垂直尾翼すら持たない全翼機のような無尾翼デルタ翼機であり、主翼には角ばった前縁付け根延長部(LEX)が設けられている。背後から見る限りエンジンは双発、機体中央からエンジンカウルに至る流麗なラインはSu-27『フランカー』シリーズを連想させるが、流線形を基調としたシルエットはより洗練されているようにも見えた。HMD上の表示は『Unknown(該当なし)』。これまで見たどの機体とも、その姿は一線を画している。

 

 だが、エリクの驚愕の最大の要因は、その後だった。こちらを追い越したその瞬間、その機体に異変が生じたのだ。

 異変は、まず主翼から現れた。大型の三角だった主翼の後方部――すなわちエンジン部のすぐ外側に当たる部分が三角形に反り立ち、斜め外側に開く垂直尾翼を形成したのだ。同時に、残る主翼部も中ほどから折れ、ブーメランのように前進角を描いた特異な形状へと変化している。主翼前縁のLEX部もわずかながらせり上がり、大型のカナード翼を形成していた。その姿は先程までとは全く異なり、Su-47『ベールクト』に代表されるような前進翼機。それも曲線を主としたSu-47と異なり、方形を主として角ばった独特の前進翼を形作っている。

 F-14『トムキャット』シリーズやMiG-23『フロッガー』系列機のように、速度帯によって主翼の角度を変える可変翼機というものがあるが、これほどの変化は可変翼機の次元をも超えている。

 一瞬にして無尾翼デルタ機からカナード付き前進翼機へと姿を変えて見せたその様は、もはや『変形』と称するべきものだった。

 

《な…!?形が、変わった…!?》

《っ…!やべえ!全機、格闘戦に持ち込まれるな!ダイブで逃げるぞ!!》

 

 まずい。前進翼機といえば、安定性を代償に運動性に優れた、正真正銘の格闘戦機である。いくら『グリペン』が運動性に優れるとはいえ、それはデルタ翼機の中で比べればの話。純然たる格闘戦機に真っ向から対抗できるほどの運動性は持ち合わせていない。

 口中の呟きを一息に呑み込んで、エリクは丁度バレルロールの頂点に達した機体を急降下させた。横を見やれば、クリスも同様に急降下に入っている。既にバレルロールの下端に達していたロベルト隊長とヴィルさんは機体反転に一拍を挟む必要があり、一時的にこちらが先行した格好だった。

 

 そして、偶然とも言うべきその一瞬の差が、全てを分けた。

 前進翼へと変形した6機は減速するとともに、信じられないほどの小さな半径で旋回。S字機動と減速を駆使し、降下に入った隊長とヴィルさんの機体をあっという間にその照準内に捉えたのだ。

 ミサイル、そして機銃の網の目。

 減速して速度を失い、急降下で軌道も制限された『グリペン』に回避の術は無い。機体を捻り辛うじてミサイルを回避したロベルト隊長の傍らで、ヴィルさんの『グリペン』に2発のミサイルが命中。爆炎の中に、機体の尾翼や補助翼が飛び散った。

 

「ヴィルさん!!」

《く…!ご心配なく、体は無事です!伊達に今まで生き残っちゃいませんからね!…ともあれ、脱出します!》

 

 機体のキャノピーが飛び、座席が中空へと弾き出される。燃えたつ機体から尾を曳いて離れたそれは、数秒遅れて落下。ヴィルさんは開いた落下傘にぶら下がり、灰色の空を背景にふわりと宙に舞った。

 一安心する間も無く、エリクは降下する機体から空を見上げる。確か、あの6機の後ろに2機の『グリペン』が続いていた筈である。あの2機にこちらの機動の隙を突かれては元も子もない。

 

 ――いた。奔らせた目の先、先程までこちらがいたのとほぼ同高度に2機は留まっている。こちらを見失った訳ではあるまいに、急降下してこちらを追撃するような素振りは無い。その鼻先は、ただ真っすぐである。そう、先程隊長とヴィルさんが攻撃を受けた、今もヴィルさんが落下傘で漂うその先――。

 

 『ベルカ再生の夜明けだ。――諸君の死は、その先駆けの焔だ』。

 不意に脳裏に蘇ったアルヴィン少佐の声に、背筋がぞくりと冷える。

 『グリペン』の進路は変わらず、直進。落下傘と同高度、そのベクトルは自由落下の進路とまさに交叉している。

 まさか。

 止めろ。

 

「……っ!!止めろぉぉぉ!!」

 

 灰色に、閃光二筋。

 全てを察した瞬間、エリクは叫び、そして見てしまった。

 一筋が落下傘を貫き、その白色をずたずたに引き裂くのを。そして、残る一筋が落下傘に下がる人影に群がり、その姿を微塵に打ち砕いてゆくのを。曇った夜明けの空に、血と肉片の色を刻んでゆくのを――。

 

《そん、な…!ヴィルさぁぁぁんっ!!》

《…やりやがった…!あいつら、もう正気じゃねぇ…!!》

「悪魔め…!!」

 

 絶望、衝撃、そして怒り。

 噛み殺した感情が、それでも昂りを抑えかねて喉奥から迸る。言葉を震わせる隊長の声も、涙色混じるクリスの声音も、通信回線を揺らすその全てが、抑えかねた感情に満ちていた。

 そして、感情は人を強くするが、時として脆くもする。昂る怒りは、知っていた筈のその言葉を、エリクの脳裏から消し去ってしまっていた。

 

 そう、その急降下の先、軌道上に無数の銃痕が放たれるまで。

 

「…!?くっ!」

《…チッ、先回りされたか!》

 

 火線を避けるように、咄嗟に操縦桿を引き上げる。迫るそれらは水平となったこちらのわずか数m先を擦過し、その源なる機体ごと轟音と共に後方へ馳せ違っていった。

 回り込まれた。おそらく、先程いなした第二波の8機。敵の追撃とヴィルさんに気を取られ、周辺の警戒に意識が回らなかった事が、敵の搦め手を招いてしまったのだ。

 

 上空から、スポーク隊の『グリペン』がこちらを見下ろす。同高度、周囲には旋回する『グリペンC』1機と変形機3機による小隊が、合わせて4つ。うち2編隊はこちらの斜め下方を抑え、水平方向はおろか上下すらも完全に包囲されている。

 

《完全に加速を殺されたな…。敵は18機、こっちは3機きりか》

《た、隊長…》

「…くそっ!あいつら…!!」

 

 直上に位置した2機の『グリペン』が、こちらを指して降下を始める。完全に包囲され抵抗の術を失ったのを見定めたのだろう、2機で先行し、残る全機で集中攻撃を行う積りと見て取れた。被弾が重なってこちらは消耗しており、ミサイルもわずかに2基のみ。おまけに、敵には謎の変形機もいる。どう考えても勝ち目は無かった。

 

 仲間と信じていた相手に裏切られ、ヴィルさんという大切な仲間を殺され、自分たちまでこんな所でむざむざと殺されるのか。ベルカの再興という意味の分からない野望が、俺達と何の関わりがある。――俺達が、一体何をした。

 

《…二人とも、南へ飛べ。サピン勢力圏内なら追手はかからん》

「…え?」

《隊長?…隊長は!?》

《あいつらの一番の狙いは俺だ。俺まで一緒について行ったら、お前らまで危険になるだろ》

「そ…そんな!だ、大丈夫ですよ!俺達だって腕は上がって来てますし、何より隊長は元ベルカのエースなんでしょ!?力を合わせればきっと…!」

《はは…嬉しいけどな、買い被ってくれるな、俺は所詮ベルカ戦争の敗者だよ。…ただ、空の先輩として、最期に1個だけ言わせてくれ。今日の事は、運が悪かったと思って金輪際忘れろ。運よく生き残っても、また空に上がっても、戦争にもベルカにも関わるな。…怒りとか憎悪でな、空を飛んじゃいけねぇ。あいつらみたいになって欲しくはないんだ》

「…隊長…」

 

 いつも空いているのか閉じているのか分からない細い目で、冗談とともに笑っていたロベルト隊長。楽の感情と共に記憶に宿るその相貌が、その声は、今は憐れみを帯びている。その感情の向かう先が隊長自身の運命へなのか、自分やクリスへの心配なのか、それとも妄執に囚われたアルヴィン少佐へ向かったものなのか。

 全ての答えは霧の中、エリクは訥々と語る隊長の言葉に、温かな労わりと悲しみを感じていた。

 ロベルト隊長は、やっぱり俺にとって、唯一無二の隊長に他ならない。

 

《スポーク隊が攻撃する直前に、一斉に南の4機を突っ切る。その後は脇目も振らず一目散に逃げろ。俺のことはいい、二人とも生き残る事を最優先に考えるんだ。いいな》

「――はい」

《はいっ!!》

《いい返事だ。…15年前に出会ってりゃ、グリューン隊に招きたかったくらいだ。一緒に飛ぶには最高のパートナーだったぜ、お前らはよ》

 

 それきり、言葉は不要だった。隊長の息遣いは、かつてベルカに名を馳せたという『グリューン隊』から続くその戦術の骨法は、これまでの戦いで自分も十分に知っている。

 迫るは2機、直上。次いで周囲の16機も4機ずつに纏まり、同時に旋回してこちらに鼻先を向けている。まるで機械のようなその統制は、興覚めな程に寒々しい。

 

 上の2機はまだ遠い。周囲の機体の包囲も、もう少し狭まらなければ突破は難しい。

 予想は、南の編隊が距離1200まで迫った時。真上の2機がこちらを射程に収め、包囲網が攻撃を仕掛ける一拍前。

 距離1500。

 1400。真上の2機が機銃を放つ。

 被弾音、1。2。まだ致命傷ではない。

 1300。あと一歩。隊長の機体が左へ僅かに傾く。

 機体が警報を告げる。敵の接近と、隊長との離別の刻を。

 距離、1200。

 

《今だ!行けぇぇぇ!!》

 

 隊長の声。それを合図にぐん、と視界が転がり、回る視界の正面に4つの機影が捉えられる。

 先頭に『グリペンC』、後続に灰色の変形機。

 HMDのシーカーが敵を追う。

 銃火が遠景の白と灰色を裂く。

 正面、ミサイル4発。フレア散布。

 ミサイル、発射。

 

 ――瞬間、爆ぜる焔は四連。閃光と破片の雨に、エリクは思わず目を瞑った。

 何かが割れ、ひしゃげる音がする。隊長の声が何かを言っている。

 抜けた。爆炎の先の空。ひび割れたキャノピーが、灰色の空をパズルのように切り分けている。どうやら近接信管を敏感に設定していたらしく、ミサイルの破片に正面から突っ込んだ形になったらしい。破片もいくつかコクピット内を跳ね回ったらしく、肩と脚に痛みが走る。ざっと機体の様子に目を走らせると、主翼部は大小の傷を負い、内部構造もダメージを受けたのか機体から薄く煙を曳き始めていた。HMDはケーブルか端子が破損でもしたのか、先程の一瞬で表示が全て消えてしまっている。

 クリスは、と振り返れば、こちらの右後方。自分の機体が盾となって破片を防いだのか、比較的ぴんぴんとした姿で付き従っている。

 バイザーを上げ、ひたすらに向く先は隊長の最期の指示である南の方向。

 後方警戒ミラーの中、反転する三日月の『グリペン』の姿は、最早追うことはしなかった。

 

《グラオモント1、被弾!》

《ち…。スポーク1よりスポーク2、グラオドラッヘ1から3の指揮権を与える。逃走した2機を追撃せよ。その他はグリューン2を包囲し撃墜する》

《…了解》

 

 生じた無数の爆炎で混乱を来したのも一瞬、すぐさま追撃の体勢を整えたアルヴィン少佐は流石だった。その命令を受けたらしく、降下していた緑色の『グリペンC』が機首を引き上げ、その矛先をこちらへと向ける。コールサインを確認するまでもなく、塗装と機動の切れは、間違いなくパウラの機体。混乱で機動を鈍らせていた変形機のうち3機も、その後方へ従いこちらの背へと追い縋ってきている。

 よりによって。

 親しみか、憎しみか。今や複雑な感情なしで思い描けないその名を口内に噛み潰し、エリクはひたすらにフットペダルを押し込んだ。

ぐんぐんと一の位を巻き上げ、数値を刻む速度計と回転数。その伸びは、しかし常と比べてやや遅い。やはり、先のダメージが響いているのだろうか。

 

 速度が乗らないこちらを見かねたのか、クリスの機体が右側真横へと機位を向ける。ちらりと見やったレーダー上では、既に敵との距離は約2000。おそらく変形機はデルタ型に戻って追撃しているのだろう、このままでは二人とも共倒れになる。

 

《先輩!大丈夫ですか!?》

「俺はいい、お前だけでも先に行け!…すぐに追いつける!」

《で、でも…!》

「隊長の命令を忘れたのか!――行け!!」

《………!!》

 

 ぐっと声を呑み込んだ気配が、通信を介してエリクの耳にも届く。

 沈黙、間数秒。

 自分の意図を察してくれたのか、クリスの『グリペン』は徐々に速度を速め、エリクとの距離を開け始めた。最期の最後で駄々をこねてくれたが、ようやく聞き入れてくれたらしい。

 

 さて、残るは後方の4機である。加速性能はご覧の通り雲泥の差であり、レーダー上では先行した3機が瞬く間に距離を詰めているのが目に見えて判別できた。向うは変形機構まで備えた双発デルタ機、対してこちらは単発の上損傷している。前進翼形態での運動性でも『グリペン』とは比較にならない以上、勝敗はもはや火を見るより明らかだった。

 だが、かといってみすみす討たれるつもりは毛頭ない。せめて1機だけでも落としてやらなければ、ヴィルさんを喪い隊長を残したこの怒りと無念は、到底収まらない。何より、少しでも時間を稼げればクリスが逃げるのにも役立つ筈である。

後方を振り返り、タイミングを見計らう。

 狙うは、敵が加速に任せてこちらを射程に収める2歩手前。先ほどロベルト隊長がやったように、オーバーシュートを誘発して至近距離の格闘戦へと持ち込めば、1機くらいは何とかなるかもしれない。何より、今度は変形機構という敵の手札が分かっているのだ。不意を突かれた先ほどとは違う。

 

 後方、3機。遅れてパウラの『グリペン』。

 彼方の遠景、隊長が飛んでいるであろう空は、既に雲に隠れて見えない。

 ――墜としてやる。

 寄って来い。

 あと500。

 300。

 『灰色』が、機械のような冷たい翼が、徐々に迫って来る。

 あと、一歩。

 

 ――接近警報。

 

「っ!?」

 

 不意に鳴り響いた電子音に、エリクは思わず心臓を跳ね上げた。

 後方ではない。

 上。いない。

 前。

 ――まさか。

 思い至り、ぎょっとして振り向いた真正面。そこにはこちらの真正面から迫る機影が一つ、わずかに機首を上げて向かう姿があった。

 敵味方識別装置の反応は友軍。もとより、前方から出現しうる機影といえば他に無い。

 クリスの『グリペンC』。

 

《墜、ち、ろぉぉぉぉ!!》

「あ、のバカ…ッ!」

 

 咄嗟に操縦桿を傾け、その傍をクリスの機体が轟音とともにすれ違う。

 衝撃波でびし、とキャノピーのひび割れが深まるのを尻目に、クリスはそのまま敵編隊へ向けミサイル2発を同時に発射。機銃掃射で牽制を仕掛けた後、一気に背面の体勢で急上昇旋回に入った。旋回した機体から後方を見やれば、ミサイルは直撃こそしなかったものの、3機は大きく編隊を乱している。

 

「馬鹿野郎!何で戻って…!」

《私だって、隊長の命令は覚えています。『二人で』生き残るんです!それに…私は、先輩を置いて行けません!》

「っ…!止めろ、もういい!『灰色』が追って来るぞ!!」

 

 その姿を見、その声と意志を聞いて、エリクは思わず声を荒げた。

 もういい。その言葉に万感を籠めて、叫んだ。この機体では、いずれにせよ俺は生き残れない。だが、隊長と自分さえ囮になれば、損傷が少ないクリスはまだ逃げ延びられる。ラティオ西郡のサピン勢力圏内まではもう一息、眼前に立ち込める雲に紛れ込めば、もう逃げおおせられるのだ。

 それなのに。

 

 こちらよりもクリスを脅威と判断したのだろう、変形機は1機がクリス機の後について上昇し、2機は翼を折りながら横方向への旋回に入った。上へ向かった1機は機体の腹を下にした逆宙返りの機動だが、その凄まじいGにもかかわらず、旋回半径は驚くほど小さく、おまけに速度も鈍っていない。本当に、人間が乗っているのか。

 クリスも追跡する1機の姿を認めたらしい。宙返りの頂点から降下に入り、加速をつけて振り切る挙動を見せた。その鼻先には、ひと塊の雲。斜め上からは迫る1機、さらに横旋回の2機は大きく横へと回って別の雲へと入って行く。

 

 互いの機位を見、雲の状況を見て、エリクはクリスの戦法と敵の出方を同時に理解した。間違いない、『円卓』で『黒翼』相手に行った、フレアを目くらましに接近する戦法を応用し、クリスは雲を利用する積りだ。

 それは、今はまずい。

 

《目に見えない雲の中なら、こっちの動きは気づかれませんよね…っ!》

「クリス、止めろ!そのまま雲に逃げ込め!!横からも来るぞ!!」

 

 おそらく目の前――正しくは真後ろの敵の挙動に気を取られ、クリスは他の2機の機動に気づいていない。こちらの声も、おそらくその意識までは届いていないに違いなかった。

すぐ後ろにパウラがいるのも構わず、エリクは操縦桿を引き上げ、『グリペン』の機体を上昇加速に入らせる。鼻先は、クリスが狙っているであろう雲の出口。しかし、損傷した機体の加速は遅く、クリスが雲へ入るまでには間に合わない。

 

 目の前で、クリスが上から雲へと入る。その後を追ってデルタ型の1機が入り、束の間2機は視界からもレーダーからも消え去った。

 おそらくクリスの狙っている戦法は、雲の中で急減速してオーバーシュートを誘発し、雲の中で密かに敵の後方を占位。雲という不可視の幕の中で優位を確保し、雲から出ると同時に攻撃する積りなのだ。

 だが、フレアを利用して『黒翼』に仕掛けたあの時とは、今は状況が違う。性能も数も敵の方が勝り、クリスは1機きりなのだ。何より、こちらが『変形』という手の内を知っているように、パウラもまたあの時の戦術を見ている。

 もしパウラが、あの時の戦術を想起して対策をしているとすれば。

 

 間に合え。

 間に合え。

 必死の意志も、焦りも、しかし機体の加速に結びつかない。

 くそ、ポンコツめ。何でこの機体には『クフィル』の『コンバット・プラス』が無い。

 早くしないと。急がないと。クリスが――。

 

 雲から1機が抜ける。

 灰色の無尾翼デルタ。敵の変形機。

 間、1秒余り。続く機体は、左翼に三日月。クリスの『グリペン』。

 クリスは気づいていない。機体側面から1機、死角となる腹側から1機、前進翼の2機が旋回し近づいているのに。クリスが雲から出るのを見越し、大きく旋回していた2機が伏兵として迫っていたことに。

 

 クリスがミサイルレンジまで距離を詰める。

 2機が、機首をクリスへ向ける。

 遠い。届かない。

 止めろ。

 止めてくれ。

 止めて――。

 

「クリィィィス!!」

 

 思わず操縦桿から手を離し、伸ばした手。その先で、2方向から奔る光軸が三日月へと殺到してゆく。

 刻まれる黒い弾痕は、主翼、次いでコクピット。手が届くわずかに外の距離で、クリスの機体は瞬く間に蜂の巣と化した。

 

《か…はっ…》

「――!こいつら…っ!…こいつらぁぁぁぁ!!!」

 

 息よりもか細い、クリスの声。霧に消えそうな命の音を耳にして、エリクはもはや我を忘れた。

 正面、炎に包まれるクリスの機体。その先、腹側から射撃を浴びせた変形機。

 ヘッドオン。敵の火線の正面だろうと、最早構わなかった。

 殺す。殺してやる。

 歯を食いしばり、痛いほどに操縦桿を握り、エリクはその先を睨みつけた。

 狙うべきタイミングは一瞬。クリス機の黒煙に敵機が紛れ、一瞬であれ幻惑される瞬間。この『グリペン』の加速が乗りきる、その一瞬。

 

 正面、距離400。

 機体が、ロックオンを告げる。

 照準器が、キャノピーの中心へ十字の刻印を刻む。

 瞬間。

 

「ぐっ!!」

 

 割れるキャノピー。炸裂する焔。閃光と爆音の奔流の中、エリクは真正面から頭に受けた衝撃に、体を座席へ打ち付けられた。

 振り返った先、焔一つ。灰色の機体は、右翼を中ほどから斬り飛ばされて墜ちてゆく。

 目の前の計器類が、赤い。目に血が入ったのか、それにしては視界も狭く感じる。衝撃で視覚がダメージを受けたのか、もはやエリクにそれを理解する術も、その暇も無かった。

 黒煙を噴き始めた機体を下降させ、エリクは墜ちてゆくクリスの機体を懸命に追った。そのキャノピーは、まだ吹き飛んでいない。

 

「クリス…クリス、聞こえるか!脱出しろ!」

《せん、ぱい…》

「しっかりしろ、まだ間に合う!早く!」

 

 開きっぱなしの回線から聞こえるのは、警報音と燃え盛り爆ぜる機械の悲鳴、そしてか細いクリスの声。

 額や脚が朱に濡れ、口から血が零れてもなお、エリクは懸命に叫んだ。

 早く。急げ。お前まで死んだら、俺達は。――俺は。

 

《わた、し、…幸せでした。みんなと……せんぱいと、飛べ、て…》

「………っ!!」

 

 爆発、一つ。

 ぶつり、という残酷な音とともに声は途切れ、距離を隔てた眼下で、クリスの『グリペンC』はばらばらに爆散した。嘘のように鮮やかな赤と黒の焔で、辺りを覆う霧を照らし上げながら。

 慟哭。突き上げる感情は、まさにその形となって溢れ出た。

 エリクは、吠えた。吠えるようにして泣いた。喉から血が滲もうと、自らの機体が炎に包まれ始めようと、構わずに哭いた。

 

 ロックオン警報。

 冷たい電子音は、残酷な現実となって耳に届く。ノイズ混じりのレーダーを見る間でもなく、その源は簡単に察せられた。

 後方、3機。――パウラ。

 

「…これが、お前らの望んだ事か。今まで重ねて来た言葉は、全部嘘だったのか」

《………》

「答えろ!!」

《………もう、会うことは無い。共に、空に上がることも》

「――パウラッ!!」

《――さようなら》

 

 嗤えそうなほどの、あっけない断絶。

 その言葉は一筋の光軸に変わり、後方からエリクの『グリペン』に降り注いだ。満身創痍の『グリペン』になす術は無く、主翼からエンジンへと至る弾痕が、爆発の焔を空へと刻んでゆく。

 

 後方には焔。横には機体を覆う黒煙。空には灰色の雲。そして、目の前は山肌と、白い霧。

 鈍いモノトーンと鮮やかな赤色に包まれて、沈む三日月は、霧の中へと呑み込まれてゆく。

 

「パウラァァァァァッ!!!」

 

 無念、怒り、悲哀。負の感情の渦の中で、霧上に消えてゆくその姿へと、エリクは渦中の名を叫ぶ。

 まるで霧に遮られたかのように、何一つとして、そこへ帰って来る声は無かった。

 


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