Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第19話 仲間、7騎

「レクタは、今まさに存亡の危機に瀕しています」

 

 かつり、かつり。

 規則正しく脈を刻む時計の秒針を、初手から切り込む声音が切り裂く。口火に衝撃的な単語を使って揺さぶりをかけるのは、いわば交渉事における常套手段。自ずと、それに対する反応から、相手の真贋も見いだせるというものである。

 向かう相手は、3人の男。中央、人のよさそうな小太りの男はその言葉に顔を顰め、右側の痩せた制服男は困ったように頭に手をやり、視線を落として合わせようとしない。左側の髭の中年に至っては、そもそも少数の会議に出た経験も少ないのか、落ち着かず目を泳がせる始末である。今やレクタの国防を担う重要拠点の一つとなったヘルメート空軍基地の司令連としては、些か物足りないと言わざるを得ないだろう。

 

 ふぅ。

 口内に吐き出したため息を呑み込んで、少女――パウラ・ヘンドリクスは、しばし横目で周囲を探る。部屋は窓一つなく、殺風景な白い壁紙で囲まれた、せいぜい10人程度しか収まらない極めて小さなもの。ヘルメート基地司令棟の奥に設けられたその隔離空間は、機密や重要案件に係る会議のみに用いられるもので、一般の兵士がおいそれと入れるものではない。当然他の要員が触れる機会も限られており、外界を隔てた見えざる箱庭と評するに相応しいものだった。

 木製のテーブルを隔て、こちら側も頭数は3つ。一番右に座るこちらから見て、すぐ隣はスポーク隊隊長を担うアルヴィン少佐、そのさらに向うはフィンセントとなる。先ほど口火を開いたのは、言うまでも無くアルヴィン少佐だった。

 基地司令側とスポーク隊、3対3の秘密の会合。その議題が何であるかは、両者の間に置かれた、上半身写真入りの4つの報告書で自ずと察せられる。

 

「超兵器を擁したラティオとの攻防、突如参戦したサピンへの応戦、さらに旗色を左右させるゲベートへの対応。連鎖する戦いの中で、レクタは確実に疲弊を重ね、防衛力を落としています。ウスティオもサピン参戦以降防戦を余儀なくされ、今も戦線で一進一退を繰り返している状況です」

「…まあ、そうだな」

「このような戦況下で、優秀なパイロットの存在は何よりも貴重です。我々教導隊としても、それは十分承知の上。周辺基地の部隊を含めいくつものパイロットを見てきました。…その中でも、彼らは特筆に値します」

 

 そこで少佐は言葉を区切り、代わってフィンセントが幾重にも重なった報告書を基地司令の方へ押し出す。この基地へ来て以降、幾度となく共にミッションに赴くようになった、あの4人――それぞれに対する所感と評価を纏めた、人事部報告の為の書類の写しである。作成は主にアルヴィン少佐が行ったが、内部の記載にはパウラも一枚噛んでおり、その内容は隅まで熟知していた。

 そのうち1枚を手に取った司令は、その記述を舐め回すように読み進め、目を左右させている。その脳内では、おそらく思考を巡らせているに違いない。彼らに対する評価と、それの先に少佐が何を考えているのかを。

 

「…ハルヴ隊、か。いやはや、彼らも有名になったものだな。先日のコール防空戦からこのかた、一躍時の人だ」

「まったくです。一時は基地にまでテレビ局や新聞記者が押し寄せて、大変な騒ぎでしたからな」

 

 苦笑いする基地司令に、制服姿の副官が強張った笑顔で応じる。固まった空気を取り持つように笑いの一つでも加えようと思ったのだろうが、表情一つ崩さないアルヴィン少佐の前に、その笑いも徐々に消え行って霧散した。ばつが悪そうに副官が目を伏せたのは言うまでもない。

 

 とはいえ彼らの言う通り、ハルヴ隊の名がこの数日で一気に世間へも知れ渡ったのは事実である。

 開戦の奇襲を生き延びた幸運な小隊、『テュールの剣』攻略の突破口を開いた特攻部隊。そんな他愛もない評判が、一躍レクタを背負うエース部隊へと変貌したのは、先日の首都防衛戦に端を発する。

 卑劣にも無抵抗の都市を無差別攻撃したラティオ。そしてそれを救うべく颯爽と現れ、名の知れたラティオのエースもろとも敵機を瞬く間に撃墜した三日月の小隊。あつらえたようなそのストーリーに加え、上空で一部始終を実況したテレビ局の報道ヘリがいたものだから堪らない。

 レクタは敗けない。エースパイロットの活躍とともに、依然レクタは健在なり。そんなメッセージと共に生中継で放映された彼らの活躍は、厭戦気分と劣勢で鬱屈していたレクタの空気を一挙に吹き飛ばした。意図せずして反撃の旗手となり、負けざるレクタの恰好の象徴となった彼らに、翌日から取材が殺到したのは当然の帰結と言うべきだろう。

 

 もっともパウラに言わせれば、今回のコール上空における活躍は、かねてよりその片鱗を見せて来たハルヴ隊の成長を表す一端に過ぎない。

 そもそもロベルト・ペーテルスの技量こそ際立っていたものの、開戦当初の彼らは、確かに一般部隊の域を出るもので無かった。それが開戦後の劣勢を生き延び、数多の戦闘を経るにつれて着実に技量を高めていき、結果として戦闘そのものを左右する存在たるに至った。『テュールの剣』制圧における突破力、円卓上空の戦闘における空戦技術、そして『三色旗(パンディエーラ・トリコローリ)』との戦いで見せた咄嗟の機転。それらを思い返す度に、パウラは彼らの日進月歩の進歩に思わず舌を巻く思いを抱いていた。この点口調こそ辛辣ながら、その実パウラこそが、彼らの成長を間近で評価してきたと言っていい。

 

 エリク・ボルスト。

 中でも、彼の成長は目覚ましかった。当初は技術にも指揮にも不足の目立つ一般的な士官だった彼が、今や小隊を支える2番機としての地位も確立している。殊に空戦時の戦術的な発想や着眼点は目を瞠るものがあり、時としてその着想は、絶望的な危機さえも突破してきた。天性のものが開花した、というだけではない。おそらく彼を助け支える仲間の存在、そして何より隊長たるロベルトの薫陶と指導があってこそ、今のあの姿があるのだろう。それを考えれば、エース部隊として周囲から祭り上げられたハルヴ隊同様、エリクは周囲の助けあって形作られたエースパイロットと言っていい。

 だが、それを思うと同時に、心に渦巻くこの複雑な気持ちは何なのだろう。エリク個人へ向かう、何やら熱を帯びたような、それでいて大樹に添うような不思議な思い。そして同時に、彼らの公としての立場であるハルヴ隊に対する思いとこれからの処遇。さまざまな理性と感情が織り交ざったモザイク模様の心の内は、当の本人のパウラでさえ一刀両断に説明はつかなかった。

 

「ともあれ、彼らだけではレクタの空全ては護れません。彼らがその力を余すところなく発揮するには、相応しい環境が必要です。戦力の分散は各個撃破の結果を招く――それは、数多の過去の戦いが証明しています」

「それは分かっている。しかし、同盟の盟主であるオーシアは破竹の快進撃と言うではないか。オーシアがユークトバニアを圧倒すれば、ユーク同盟側のラティオはもはや手も足も出まい。サピンとゲベートにしたところで、オーシアの戦力に余裕ができれば、敢えてオーシアと事を構えようとはしないだろう。徒に現状を変えずとも、しばらく耐えれば戦局は再びこちらに傾いて来る」

「聞けば、オーシア軍はユークトバニアの虎の子である潜水空母の2番艦をも撃沈したという話。この調子ならば、オーシアの勝利も時間の問題では?」

「推測と仮定に基づく結論は無意味です。ユークトバニアは広く、首都シーニグラードに至るにはジラーチ砂漠の航空基地やクルイーク要塞といった要衝も控えています。長期戦の可能性も否めない以上、レクタはレクタで対策を講じる必要があります」

 

 意見を真正面から否定され、司令と副官が同様に苦虫を噛み潰す。もっとも、これはアルヴィン少佐の発言が正論だろう。事実に基づいておりこそすれ、二人の観測は楽観的に過ぎる。

 

 目下、確かに同盟国オーシアのユークトバニア本土侵攻は破竹の快進撃である。

 11月1日にユークトバニア東端のバストーク半島へ上陸したオーシア軍は、航空部隊と連携した電撃作戦でユーク東部の防衛線を次々と突破。長距離ミサイルでオーシア軍の足止めを行っていた戦闘潜水空母『リムファクシ』もユーク北方アネア大陸のラーズグリーズ海峡に沈み、積極攻勢に入ったオーシア軍はユーク中部に迫る勢いを見せていた。

 聞けば、件の『リムファクシ』を撃沈したのは、かつて同型艦『シンファクシ』を撃沈したのと同じ、オーシア西端サンド島の航空部隊だという。犬のエンブレムを施した4機のF-14D『スーパートムキャット』の雄姿は、母国オーシアのみならず同盟国のメディアでも連日取り上げられ、オーシアを牽引するエース部隊の名を欲しいままにしていた。

 

 だが、たかだか一つの兵器だけで戦況は動かないのもまた事実である。少佐の言う通りユークトバニアは世界一の領土面積を誇る大国であり、首都シーニグラードに至るまでには森林や砂漠など、多様な環境が待ち構えている。いくら軍事的な強国であるオーシアとはいえ、同じ強国のユークトバニア本土内での交戦は、予想以上にその物資も人員も消耗させる。いくらエースパイロット部隊であるサンド島部隊といえども、その大きな流れには抗えないに違いない。たとえその活躍が、母国を潰し合いへと進ませることを知っていたとしても。

 

 彼らもまた、周囲に祭り上げられ、戦いに向かう母国の象徴となった者たちなのだろうか。そして、その素顔は、思いはどのようなものなのだろうか。パウラの心の中で、その姿は一瞬ハルヴ隊と重なり、消えた。

 

「…アルヴィン少佐、回りくどい話は止めて頂きたい。先に結論を伺おうではないか」

「かねてより幕僚本部より打診があった、新防衛体系の件です。新設される航空部隊の要員に、我々教導隊としてはハルヴ隊の4名を推薦したく考えています。つきましては、その了解を頂きたく」

「……各地より優れたパイロットを選抜し、一拠点に戦力を集中する…例のエースパイロット部隊構想か。歴史上にも例がない訳では無い。その方針には大いに賛同するが…我が基地として不安なのは、その後だ。優秀な戦力を引き抜かれた後、我が基地に限らず戦力的な空隙ができはしないかね?」

 

 話としては先刻承知だったのだろう、基地司令は賛同の意を示しつつ、今度は露骨に顔を顰めて見せた。言葉とは裏腹に、その態度は明らかに納得していない様子である。

 新防衛体系――すなわち、レクタ全土からエースパイロットを選抜し、機材人員を集中的に投入して、一大精鋭部隊を創設する計画である。戦力を集中的に投入して効果的な戦果を上げるという着想は何もレクタ独自のものではなく、半世紀前の第二次オーシア戦争の際には複数の国が実際にそのような部隊を整備し、大きな戦果を上げた。いち早くジェット戦闘機を導入しエースパイロットに優先配備したベルカや、集中配備した最新鋭機とレーダーや偵察機の組み合わせで有機的な迎撃戦闘を行ったノースポイントのような事例は、その先蹤を成すものと言えるだろう。

 

 当然ながら戦力集中の代償として、他の地域の防衛力は低下することにもなる。それを踏まえれば、基地司令の心配も頷ける事ではあった。

 

「ご心配の事、お察しします。その点も考慮し、幕僚本部は一時的に教導隊の任を解除、戦闘部隊として全て当該部隊へ編入することを決定しました。そのため、各航空基地からの戦力抽出は必要最低限に留めることになります。また、戦力抽出を行った各基地に対しても、担当空域の戦況を考慮し相応の補充部隊を回すこととしています。どうかご安心下さい」

「むぅ…」

「既に他の基地司令からは了解を頂いております。どうかご勘案頂きますよう」

 

 言葉こそ丁寧だが、その実アルヴィン少佐の発言は、『つべこべ言わず幕僚本部の言う事を聞け』と言うに等しい。その口ぶりに加え、ゆるゆると袋の口を絞っていくような論理の進め方に、基地司令の眉間の皺は見る見る深くなってゆく。

 もっとも、今回の協議にしても、実際は形式的なそれの枠を出るものではない。既に機材調達を含めて部隊創設へと事態は動いている段階であり、今更地方基地司令の一中佐の意向で方針が左右されることなどありはしないのである。それを知ってか知らずか、未だに渋面を見せる基地司令は滑稽という他ない。

 

 事実、創設部隊の配備機となるF-35『ライトニングⅡ』――その空軍型である所のA型の調達に向けたオーシアとの交渉は、既に大詰めを迎えつつある。次期主力機『グリペン』の調達直後で戦費捻出に窮乏するレクタの国情もあり、機数はさほど確保はできないだろうが、それでも周辺諸国に先んじて第5世代機を装備できることのメリットは極めて大きい。おそらく、今頃同盟国ウスティオにおいても同様の交渉が進んでいる所だろう。折も良くオーシア国内ではF-35シリーズの量産が進んでいる所であり、時期としても背景としても、今がまさに絶好のタイミングと言う訳である。

 

「………分かった、少佐。我がヘルメート空軍基地としても、レクタの危機は認識している。…ハルヴ隊の戦力抽出の件、了解しよう」

「ご配慮、痛み入ります。早速幕僚本部へ打診致しますので、数日の内には正式な辞令が届くでしょう。ハルヴ隊の各員には、私共から口頭で伝達します」

「ああ…頼む、少佐。…全く、戦時特例の昇任に、今度は部隊の配置換えか。彼らも慌ただしいことだな」

 

 最後の言葉は、基地司令の精一杯の嫌味だったのだろう。辞令に次ぐ辞令続きで、彼らの事務仕事は煩雑を重ねたに違いない。

 そんなささやかな抗弁すら意に介さず、少佐は言葉を継いだ。その渦中である、祭り上げられた『エースパイロット』の面々へと、その思いを絡めて。

 

「…時に、ハルヴ隊は今どこに?」

 

******

 

「……転属?新設されるエースパイロット部隊に。……俺達が?」

 

 まったくもって想像しなかった言葉が、頭の上を通り過ぎていく。

 あまりにも突然のその内容に、口はぽかんと開くも言葉は何一つ出ず。格納庫の喧騒も鼻を突く油の匂いも今や意識の外に消え、エリクは唐突にそう告げた相手――アルヴィン少佐の顔を見上げた。格納庫の外、庇を背にしたその姿は降り注ぐ光の逆光が激しく、その表情を窺い知ることはできない。

 

「そうだ、エリク大尉(・・)。この度新設されるエースパイロット部隊に、君たちを推薦させて貰った。正式な辞令は数日後になるかと思うが、ほぼ確定と思ってくれていい」

「流石だぜお前ら!人選に関しちゃ、誰一人異論は出なかったよ。…そうそう、部隊再編で、今度は俺達も戦闘部隊…つまり、お前らと同じ部隊になる。そんな訳で、これからもよろしくな!」

「………」

 

 事態を呑み込めないこちらを顧みず、淡々と続けるアルヴィン少佐。そして喧騒を押しのけるような大声を出して喜色を浮かべるフィンセント曹長と、鉄面皮を崩さないパウラ。矢継ぎ早に降りかかるいくつもの情報に、エリクの脳裏はぐるぐる渦を巻いた。

 

 落ち着け、整理しよう。

 口内にそんな呟き一つ。エリクはぶるんぶるんと頭を振るい、しばしこの数日を内省した。

 

 先日のコール防空戦の後、しばらくメディアからの取材責めに遭ったのが以降数日。意図せずして名が売れると同時に、軍部から戦時特例の昇任が言い渡されたのはつい一昨日のことだった。これを受けて自分は晴れて大尉となり、ロベルト隊長は少佐、ヴィルさんは准尉、クリスは軍曹と、それぞれ一段階級が昇ったことになる。この関係で隊長は慌ただしく佐官任官研修に赴いており今は不在で、短縮された日程下でもあと2日は帰って来る見込みはないとのこと。そして隊長不在では仕方がないと、傷ついた乗機『グリペンC』の整備の手伝いに勤しんでいたのが、つい今の今という状況であった。

 そう。つまりは整備が終わり隊長さえ戻ってくれば、この基地から出撃する気満々だったのである。そんな中で、まさか部隊ごと転属という事態になろうとは、完全に想像の外にあったと言っていい。

 

 そもそもからして、エースパイロット部隊なる仰々しい煽り文句がエリクにとって重々しい。

 精鋭を集めたエースパイロット部隊を創設するというが、ロベルト隊長ならともかく、俺がそれに相応しい存在だろうか。確かにこれまで生き延び戦果を挙げては来たものの、それはロベルト隊長あっての話、それも大抵は機体も仲間もボロボロとなった末での戦果である。第一、エースパイロット部隊と名を高々と上げた部隊に入った所で、またいらないプレッシャーを抱え込むだけではないのか。

 正面から『エース』と称され嬉しくないといえば嘘になるが、事態に直面したエリクの正直な思いは、以上を簡潔に纏めれば『面倒くさい』――その一言だった。ついでに言えば、ウスティオのモリスツェフ基地から戻ったばかりだというのに、また引っ越しの荷造りをせねばならないという点で言っても面倒くさい。

 

「エース、パイロット、部隊…!私たちが、エースパイロットだなんて…!」

「なんと…!我々がそのような部隊に招聘されるとは。隊長もこの場にいたら、さぞ驚かれたでしょうね」

「ね!ね!そうですよね!凄いことですよ!隊長が戻って来たらお祝いしないと!」

 

 そんなこちらのものぐさな内省もどこ吹く風、クリスは無邪気に喜んで満面の笑みを浮かべている。肩書が軍曹に変わったものの、これだけ落ち着きなく階級が似合わない軍曹も珍しいだろう。尉官の最上級たる大尉となった自分も、見た目からどう見ても尉官と言う風ではないヴィルさんを見ても、どこかちぐはぐな感じは否めなかった。

 

 ともあれ、ようやく事態は呑み込んだ。どちらにせよ軍の辞令であれば、一兵士である自分ごときが異議を唱えた所で変わる訳もないだろう。もうこうなれば、『そういうこと』だと肚をくくるしかあるまい。…それに、二人は特に異存も無い様子。それならば、自分としても否やは無かった。

 

「とりあえず、了解しました。…で、転属はいつ?」

「明後日だ。戦況は今日明日を知れず、とにかく急ぐ。エリク大尉、ヴィルベルト准尉、クリスティナ軍曹。急いで引き継ぎ書の作成と荷物の取りまとめを行ってくれ」

「………え」

「……し、少佐。今…なんて?」

「引き継ぎ書の作成と荷物の取りまとめを…」

「違います、その前ですその前!」

「…?明後日には転属、のくだりか?」

「……あ……さ、って…」

 

 間、二拍。

 これまでも無茶な命令や指示は数多くあったが、今度こそ文字通り、ハルヴ隊の3人は絶句した。

 幸い隊長不在につき出撃の割り当ては無いものの、それを差し引いても煩雑な事務や荷造りは2日で足りるか怪しい所である。何よりモリスツェフ引き払いの時と違い、今回はゴミ部屋の主たるロベルト隊長の荷物まで整理しなければならない以上、間に合うかどうかは極めて微妙――いや、もうこの際明言してしまえば無理と言わざるを得ない。基地職員から『魔窟』とも称される隊長の居室から必要なものだけ選別しようとすれば、2日どころか1週間仕事になること請け合いだろう。

 

「無理は承知だが、レクタの情勢も厳しく、融通が利きにくい状況なのだ。悪いが、2日でなんとか準備を整えてくれ。予定では明後日の夜半より準備を始め、翌3時ごろに出発、夜陰に乗じて移動する。ロベルト少佐には、こちらから伝達しておく」

「は…あ…。…了解、です」

「………あー…無理そうだったら声かけてくれな。片付けくらいなら手ェ貸せるから」

「伝達は以上だ。3人とも、遅れず準備をしておくよう」

 

 エリクとクリス、若人二人はこれから訪れるであろう苦難――魔窟探索に思いを馳せ、肩を落としてがっくりと項垂れる。引継ぎの苦労やエースという呼び名以上に、今一番辛い事といえば片付け作業に他ならない。それを思うと、今から既に疲労を覚えそうだった。

 用事を全て言い終えたらしく、アルヴィン少佐は一瞥をくれたのち、司令棟の方へと踵を返していく、フィンセント曹長も心配そうにこちらを伺いながらその後に続いて行った。残るのは、溜息を吐き出すエリクとクリス、全てを察して肩をぽんと叩くヴィルさん。…そして、その様を見下ろす、パウラ一人。

 

「…何だよ」

「……」

 

 何か文句の一つでも言うかと思ったが、その唇は結ばれたまま。僅かに口を開けたかと思えば、それも言葉にならず閉じていく。一体何の積りなのか、首をひねったエリクは理解に窮した。今に始まった事ではないのだが、その仕草は今まで見たことがない。まさか罵倒の言葉が今日に限って思いつかない訳でもあるまいに。

 

「…用が無いなら放っておいてくれよ。俺達急に忙しく…」

「…私は、反対した」

「へ?」

「件の精鋭部隊に、ハルヴ隊全員を推薦することに。ロベルト少佐だけで十分だと。…貴方たちに、エースパイロットの名は背負えない」

「な…!そ、そんな事言う為だけにわざわざ残ったんですか!?……!最低!最低よ、あなたは!」

「…パウラ」

 

 ようやく口を開くパウラ、そしてそれに噛みつくクリス。いつもの光景だが、今回はクリスの反応が当然だろう。わざわざ一人残って、罵倒にも近い言葉を浴びせたのだから。案外口を開かなかったのも、先の読みが当たっていたのかもしれない。

 クリスの頭にぽふん、と掌を被せながら、エリクはパウラに目を向けた。パウラの真意は分からないが――あるいはただ単に釘を刺しただけかもしれないが――、それに対するエリクの答えを、真正面から伝えるために。

 

「俺にとって、エースパイロットっていう肩書なんて、正直重荷でしかない。いろんな期待だけじゃなく国さえも背負って、翼を重たくしたまま飛ばなけりゃならないしな。できることならここにずっといたいくらいだ」

「……」

「けど、そうなると皆とは離れ離れになっちまう。それだけは、俺は嫌なんだ。…だから、俺は行く。エースになりたいからでも、エースになったからでもない。ロベルト隊長やクリス、ヴィルさん…アルヴィン少佐に、フィンセント曹長。…それに、お前も。皆が行くから、俺も行く」

 

 交わった視線が不意に揺れ、パウラの唇が僅かに開く。それは何かを紡ぎかけ、言葉を探しあぐねたかのように惑い…それきり、ぷい、と視線は外された。ヴィルさんともクリスとも視線を合わせず、パウラはそのまま踵を返し、アルヴィン少佐らが向かった方向へ踵を返している。

 

「…………。………言いたい事は言った」

「…ならいい。今度は一緒の部隊だ、またよろしく頼むな」

「って、私は言いたい事言ってません!ほんとにまたパウラ准尉と同じ部隊なんですか!?もうー…」

「部下の教育はしっかりしておくこと」

「あ、あなたに言われたくないですよ!この不愛想!ドS!貧乳!無表情!あとえっと…貧乳!」

 

 結局、その後もこちらに視線を合わせること無いまま、パウラは背を向け離れて行った。

 パウラの言葉に真っ向から向かう形になった訳だが、機嫌を損ねてしまっただろうか。…それでも、エリクは思いの丈を、彼なりの言葉で伝えた積りだった。正直な所ではエースの名も重荷に過ぎず、正直面倒でもあるが、それでも行く理由とは…単純に、皆と離れたくないから、というものに過ぎない。そりゃいずれは異動もあるだろうし、間違えれば死ぬことだってあるかもしれない。それでも、その時までは一緒にいたい。我ながら単純なものだが、それが偽らざる本心だった。

 

 エリクに首根っこを掴まれたクリスは、依然パウラの背中へ思いつく限りの悪口を飛ばしている。その内容が中学生レベルなのが、何とも悲しい限りではあるが。

 栗色の髪を揺らして吠えかけるその様は、まるで茶色い子犬のようにも見えた。

 

******

 

 それから2日後、夕刻。朱に染まる滑走路の傍ら、着陸した輸送機の脇に、いくつかの人影を認められる。

 小太りの身体を揺らして何事か喚きたてるのは、佐官研修より帰ったばかりのロベルト。そしてそれに応じるのはエリクとフィンセント、ヴィルベルトと言う面々である。

 

「…ハァ!?転属!?しかもこの深夜に!?…き、聞いてねえぞ俺ァ!!」

「どうも情報がどっかで行き違ったみてえだな…。まあ聞いてたら聞いてたで、部屋の荷物整理に向うからいろいろ口出してたろうし、スムーズに収まった分却ってよかったじゃねえか」

「全くです…はぁ。とっても言われる通り選別してたらキリがないですから、適当に俺達で整理整頓しておきましたから。感謝して下さいよ?」

 

 荷物類を積み込む列を背景に、男達のやりとりは続く。どうも転属の話は初耳だったようで、ロベルト隊長にしてみれば驚きも無理ないことだろう。首都コールが復旧の真っただ中であり混乱の坩堝にある以上、情報の錯綜も致し方ない世情と言ってしまえばそうだった。

 

 幸い…と言うべきか、隊長の不在をいいことに荷物類はことごとく仕事人クリスの手によってざっくりと整理。見た感じ必要そうなもの以外は全部処分という、大鉈どころか死神の鎌で断ち切るような大胆な処断で、その整理を終えることに成功したのだった。こう言うと酷だが、隊長の指示の下やっていれば、今頃半分も終わっていなかったに違いない。

 吶喊で行った『グリペン』の整備も何とか終わり、今や出発の時を待つばかり。整備班の腕前に加え、『グリペン』の整備性の高さの賜物だろう。予定通りいけば日が変わる前に輸送機は出発し、深夜になってからエリク達も各々の搭乗機で移動することになる。

 

「いやいやいや冗談だろ!こちとら整理しておくもんとか先立つモンとかあるんだよ!知り合いに挨拶だってしときたいし…!そうだ、今からでも司令にかけあって、挨拶回りと引き継ぎ書作りに2日ほど貰ってくる!持ち物の整理もしたいしな!」

「今更無茶ですよ、ロベルト隊長。今度の休暇に来ればいいではありませんか」

「第一、整理する荷物ももう積み込んでますよ。あ、引き継ぎ書は可能な限り俺が作っておいたので、後でチェックお願いします」

「積み込んだ、って…おいちょっと待て。積荷に俺のお気に入りのビンテージソファあったか!?あと『ROLLING THUNDER』のポスターとピンバッジコレクションと秘蔵のエロDVDは!?」

 

 ショックで顔を覆うも一瞬、がば、と顔を跳ね上げた隊長は、縋るように3人を見やる。心持ち声が潤んでいるのは、多分気のせいではないだろう。

 3人、顔を見合わせること一瞬。同時に息を付き、口を開いたのはエリクだった。

 

「綿のはみ出たソファと、セロハンテープの補修だらけのポスターと、飲料のおまけのバッジと、ベッドの下のアレでしたら…」

 

 親指を立て、エリクはくい、と後方を指す。

 ロベルト隊長の、縋るような目の先。そこには埃まみれのクリスの背中と、手を擦らせながら周りに集う複数の人影。そしてその中央で炎を上げる、積み上がった雑多な品々の姿があった。どうやら基地の不用品の処分にかこつけて引き取り手が無かったものを全部放り込んだらしく、よくよく見ると火の脇の方にはアルミホイルに包まれたジャガイモらしきものも転がっている。多分、じゃがバターとして夕食のおかずのおまけに供されるものであろう。

 

 色々とないまぜになった感情を吐き出すように、隊長は太陽に吠えた。

 吠えた。

 そう、その気迫に炎が押され、陽炎さながら揺らぐほどに。あるいは『D・V・Dィィィィ!!』という男の魂の叫びが、風をも揺らすほどに。

 

 笑い声、燃え立つ炎の熱。

 肌でそれらを感じながら、エリクは東の空を振り返る。

 既に夜色が迫る東の山の端。そこには『グリペン』の翼に刻んだものと同じ、真珠色の月が顔を出し始めていた。

 


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