Ace Combat side story of 5 -The chained war- 作:びわ之樹
淡く朧な色調の空と雲が、朝焼けの朱に染まっている。
高度3000、雲量2。レクタ東部まで出張った高気圧のせいか同高度に雲の数は少なく、わずかに視界を遮る雲も、6つの翼に切り裂かれて瞬く間に後方の彼方へと千切り飛ばされてゆく。乗機『グリペンC』のエンジンは咆哮のような唸りを上げ、雲を、音を、あらゆるものを引き離しながら、遥か東へとひた駆けていた。
現在速度、優に1400。燃料消費も構わずに離陸直後からアフターバーナーを使用しているためでもあるが、速度計が指すその数値は、常の巡航ではけしてあり得ない速度である。その証左であろう、航跡記録の距離が見る見る伸びているのと引き換えに、出撃後20分と経っていないにも関わらず、燃料の残量は既に半分を切りつつあった。今地上からこの『グリペン』を見上げれば、機体尾部には陽炎を纏った噴射炎が、朝空を遠景に輝く様が見て取れるに違いない。
常に無い、超音速の巡航。それは偏にレクタ軍部の、そして編隊を先導するアルヴィン少佐の焦りの様でもあったのだろう。
《各機、速度を維持。間もなくコール防空司令部管制空域へ差し掛かる》
《首都は…コールはどうなっているんでしょう?…まさか、無防備なコールを攻撃するなんて…》
《ま、追い詰められた国ってのはそういうもんだ。民間人への被害とか味方の損害なんてのにもなりふり構わず、効率的な戦果を求めるようになる。どえらい爆弾を使うなり首都強襲で首脳暗殺を狙うなり、犠牲と比べて成果が多くなるやり方でな》
「……」
心配そうに言葉を詰まらせるクリスに、ロベルト隊長の言葉が重ねられる。口調こそ砕けたいつもの様であるものの、その声音はどこか普段よりも暗い。
隊長の言う通り、劣勢の国に限らず、民間人へ被害が生じるというのは戦争の常である。近代戦の歴史を辿れば、古くは第二次オーシア戦争で劣勢のウェローがベルカの都市へ長躯爆撃を敢行した際に民間人の犠牲が出たと言うし、15年前のベルカ戦争でもウスティオ首都ディレクタス解放戦の際や、ベルカの産業都市ホフヌングへの戦略爆撃でも多数の死者が出たという。今回の戦争だって、ユークトバニア軍によるセント・ヒューレット港空爆では官民問わず死傷者が出たとも聞いており、直近ではユークトバニアの工科大学がオーシア機によって銃撃されたという噂すらあった。
いずれにせよ戦争である以上、多かれ少なかれ民間人への被害は出る。まして、その国土が戦地となっていれば尚更のこと。国際法で禁止されてはいるものの、悲しいかなそこは人間の性なのか、状況は半世紀以上前の戦争から何ら変わっていない。それは、知識としてはエリクも十分に知っていた。
だが、それならば。首都コールが狙われているという情報を耳にした時、胸にこみ上げたこの気持ちは何なのだろう。
胸をかき乱し、暗く燃え立たせるこの感情。これまでの戦争でも感じて来た怒りや焦りがあることは勿論だが、民間人への攻撃を敢えてせんとするラティオに対し、今まで抱いていなかった感情が萌芽し始めるのを自覚せずにはいられなかった。
それは言葉にするならば、なりふり構わないラティオの姿勢に対する侮蔑感。そして、より単純でどす黒い憎悪とでも言うべきもの。戦意や怒りの中では小さく微かなものではあるが、それらは確かに、心の片隅で小さな塊のように重く澱んでいる。
エリクは前を見据え、肚の中の感情を吐き出すように、大きく吸った息を肚の底から吐き出した。
重たい感情を肚に抱えたままでは、機体まで重くなってしまう。そんな錯覚が、無意識にさせた反応だった。
《こちら第5航空師団第99教導飛行隊『スポーク1』。コール防空司令部、聞こえるか。状況はどうなっている》
《こちらコール防空司令部。スポーク隊へ、急行感謝する。コール上空に侵入したラティオ機は攻撃機9、戦闘機5。コール中心部にあるレクタ大統領府を目標としていると推定され、敵攻撃機は現在市街地を無差別に銃撃しながら侵攻を続けつつある》
「たった14機にいいように…!首都防空大隊は!?」
《現在は混乱が生じ、状況が錯綜している。首都防空大隊は現在全力で迎撃に当たっているが、有力な敵護衛機に阻まれ、迎撃体制構築に遅れが生じている状況にある。貴隊は速やかに戦域へ急行し、敵攻撃機を優先して叩け》
《やれやれ、なかなかヘビーだな。敵機は街の上で墜としてもいいのか?》
《市民の避難が概ね進んでいるコール南部に限り許可する。追加情報だが、現在
《……やれやれ、なかなかヘビーだな》
敵機数14、友軍展開中、有力な敵護衛機。隊長のボヤキをよそに必要な情報を頭に叩き込みながら、エリクはレーダーレンジを広域索敵モードから戦闘モードへと切り替えた。コール上空に民間機も多くいる以上、早めに精密探査を行っておいた方がとっさの変に慌てずに済む。
奔らせた目とレーダー電波が、地平線の彼方にコールの姿を捉え始める。ウスティオ首都ディレクタス程ではないものの高層の建物を有し、曲がりなりにも一国の首都たる姿を横たえたその街並みからは、既に幾筋もの煙が立ち上っている。
減速、有視界戦闘用意。
先導するアルヴィン少佐の機体が通信で合図したのに合わせ、アフターバーナーを切り、同時に空になった増槽を捨てる。音速でしばらく飛ばしたため、燃料計は既に残量4割以下。敵機数が少ないのは幸いだが、早く埒を開けなければこちらが持たない。
惜しいのは、何より時間。接敵後のロスを少しでも縮めるべく、エリクは一足早く安全装置を解除し、機銃とミサイルを戦闘モードへと切り替えた。今回は緊急出撃のため
《市民のみなさま、避難を急いで下さい!間もなく空軍機が防空に当たるとのことです!慌てずに…ああっ!みなさま、視聴者のみなさま、見えますでしょうか!ラティオの航空機がまた市街地を銃撃しています!》
《こちらコール防空司令部!上空を飛行中の
民間の放送や防空無線が交錯しているためか、コール上空の混線状況は『円卓』や『テュールの剣』周辺にも増してひどい。アナウンサーの声や怒声が飛び交う中で、エリクはレーダーと目を駆使して、銃撃を加えているという敵機の姿を懸命に探した。上空では首都防空部隊が円弧の軌跡をいくつも刻んでいるが、あの渦の中に攻撃機がいるとは到底思えない。
街中のビルを掠めて飛ぶ、白地に緑線のヘリ――違う。遥か上空を通過する、双発の大型ジェット――違う。いずれも報道局や民間の航空便に過ぎない。どこだ、敵は。どこに。
混乱の巷と化した都市、黒煙と通信に紛れた空。視線を走らせたその瞬間、エリクの目は黒煙を裂いた一筋の閃光を確かに捉えた。カメラのフラッシュとも爆炎とも違う、まばゆく連続するその光は、確かに機関砲の発射炎。じっと目を詰めたその先では、眼下に融け込んだ暗色の機体が確かに空を舞っている。よく見ればばらばらに分散しているが、その数は一つではない。
時代錯誤な直線翼。胴体の両端に備わるエンジンの膨らみ。そして、上半分を濃暗褐色に、下面を淡い水色に染めた塗装パターン。かつて一度見た覚えのある、あの形状は間違いない。
「ハルヴ2、敵機捕捉!機種はSu-25『フロッグフット』、機数9…いずれも単機編制で分散しています!」
《了解した。スポーク1より各機、分散し各個撃破する。誤射に気を付けろ》
「了解!」
各々の目標を見定めたらしく、アルヴィン少佐が、パウラが、ロベルト隊長がそれぞれの方向へと機体を旋回させてゆく。エリクもまた、最初に捉えた『フロッグフット』へと目標を定めて、引き絞った矢のようにまっすぐ機体を猛進させた。
高い耐久力と搭載能力を誇るSu-25は、A-10『サンダーボルトⅡ』と並ぶ純然たる対地攻撃機として知られているが、その反面鈍足で機動性に劣るという欠点もまた変わらない。同じ現代の軍用ジェット機とはいえ、戦闘機と攻撃機ではその運用思想から異なっており、まして超音速で飛行し格闘戦能力に長けた『グリペンC』には抗する術もないだろう。
堅牢さを誇る『フロッグフット』とはいえ、全身を装甲で固めている訳ではない。道路へ向けて機銃掃射を続ける敵機の斜め後方から接近し、エリクは右へとロールしながらカナードを動かして、敵機の左真横へと回りこんだ。狙いは、航空機で唯一装甲板が搭載できない箇所――すなわち、コクピット。
右へと傾いたコールの街並みを眼下に、正面にSu-25が捉えられる。
照準器の中心には、胴体横のラティオ国籍マーク。速度差も相まって、眼前の敵はもはや静止目標とほとんど変わらない。
敵機の機首から、いくつもの機銃弾が迸る。
距離が1000を、800を、600を切る。
電子音、接近警報。
敵のパイロットが、驚いたようにこちらを見やる。
照準器の中心。
パイロットの額。
「こいつらぁぁぁ!!」
躊躇なく引かれた引き金が、機体から30㎜弾を引き放つ。
機体に響く振動、そして殺到する曳光弾。
照準器の中心へと吸い寄せられたそれは、パイロットの額を首ごと撃ち飛ばし、そのまま『フロッグフット』の機首を蜂の巣へと変えて、銃身に残った残響を後方へと振り切っていった。
操縦桿を左へ戻し、右ロールから機体を復帰させる。エリクの『グリペン』は、そのまま目の前への黒煙へと突入し――その瞬間に鳴り響いた衝突警報に、エリクは心臓を跳ね上げた。
「うわっ!?」
咄嗟に操縦桿を左へと倒し、傾いたコクピットを掠めるように褐色の翼が傍を抜け去る。横倒しの機体からその背を見上げると、
こちらを掠めたその翼は、振り返ることもなく一心に加速し、その鼻先へと歩を進めてゆく。向かうその方向は真北――すなわち、レクタ大統領府の方向。
「させるか!!」
大統領府強襲――。その意図を察したエリクは、叫びざまに操縦桿を左手前へと引いた。
左旋回、次いで背面急上昇。強烈なGで血液が頭から下り、暗みを帯びた目の前でコールの街並みが頭上に映える。背面飛行から懸命に見上げるは、そのさらに前方。斜め上後方の無防備な姿を晒す、逃げおおせんとする『フロッグフット』の暗色。
操縦桿を引き、機首がその胴体を指す。急旋回が機体の安定を乱し、余りある速度差が精密照準をさらに困難にさせる。元より極至近距離である、精密に狙いをつける余裕も、ミサイルを撃つ暇もない。――ままよ。ぶれる照準の最中へ目がけ、口中に吐き捨てたエリクは、迷わず機銃の引き金を引き搾った。
30㎜の軌跡が濃褐色の敵を追い、弾痕が確かにその背を削る。暗い弾痕が穿たれ、金属片が飛散する。それでも、流石に頑丈さで知られる『フロッグフット』と言うべきか、そこから炎を吐く気配はない。
1秒にも満たない交叉、そして擦過。敵機が咄嗟に左へ舵を切るのとほぼ同時に、エリクはその後方を斜め下へ抜けた。
「チッ、浅かったか!」
《狙いが甘い》
「…!パウラ!」
歯を食いしばり見上げた敵機。不意に声が落ちるとともに、そのコクピットを曳光弾が貫いたのは一瞬だった。
パイロットを直撃したのだろう、徐々に堕ち行く姿をよそに、上空からこちらの真横へと並んだのは緑系統のダズル迷彩が施された『グリペンC』――パウラの機体。おそらく敵機が抜けるのを捉え、こちらの追撃直後の隙を狙い撃ったのだろう。
言葉は相変わらず辛辣だが、それに見合った腕前を持つ辺りぐうの音も出ない。せめてもの応戦に親指を立ててハンドサインを送ってみるも、返って来たのはぷい、と視線を逸らすそっけない反応だけだった。
《いいぞ!こちら『カルクーン』、敵機6機の撃墜を確認!》
《あ…!テレビの前のみなさま、ご覧になりましたでしょうか!今、たった今、空軍の戦闘機が到着しました。…三日月、翼に三日月の機体です!瞬く間にラティオの機体を撃墜しています!》
《く…!こちらオルコ隊、レクタの戦闘機に攻撃を受けている!例の『
あらゆる声と感情が交錯し、混線が思考と耳をかき乱す。くそ、どれが必要な情報なんだ。どれが味方の声あんだ。最新鋭の機械を駆使した近代戦ながら、わずか数百メートル半径の戦況さえ掴み取れないのは何とも歯がゆい。エリクの口内に、思わず舌打ちが跳ねた。
《『三日月』…!待っていろ、今行く。チェーリオ中尉、後を頼む》
《了解。命に代えて、背中は防いで見せます。…愛するラティオに栄光を》
《ああ》
《…くっ!こちら首都防空大隊ヴェガ1!下層域の『三日月』、聞こえるか!敵機2機がそちらへ抜けた!こちらは残る3機の相手で手いっぱいだ、そちらは頼む!》
「上…!…情報にあった戦闘機か!」
混迷の戦場と化した、コールの空。降って来た通信の先を見上げると、相変わらず飛行機雲が渦を巻く上空から、2つの機影が地を指してまっすぐに降下してくる。
その姿に、エリクは思わず目を奪われた。流星のような鮮やかな軌跡もその一因だったが、何より、その機体が纏った色に見覚えがあったのだ。
流線形を主とした、まるで生き物のように流麗としたシルエット。首を伸ばした鶴のような長い機首と、その機首を飾るカナードの突起。そして、機体上面を赤、白、緑の順で機首から放射状に染め上げた、ラティオの国旗そのもののトリコロールカラー。
あの塗装は、そしてあの機動は、間違いなく。
《仲間たちの仇…今日討たせて貰う!『三日月』!!》
《…ラティオの『三色旗(パンディエーラ・トリコローリ)』か!》
「あの時の生き残りの2機…!」
螺旋を描いて降下する2機の、殺気と闘気を帯びた声。冷と熱を兼ねたその声音、そして蘇るかつての空戦の記憶に、エリクは武者震いに似た肌の粟立ちを覚えた。『
パンディエーラ・トリコローリとは、ラティオを代表する曲技飛行隊の名である。ラティオ国旗の異名をそのまま冠した彼らは極めて優れた技量を備える曲技飛行隊として名声を欲しいままにし、トリコロールカラーのG.91を駆るその姿は世界に知られていた。この度の戦争では機体下部に鏡を搭載した特殊仕様機で参戦しており、レーザー兵器『テュールの剣』の狙撃を中継することで、連合軍の侵攻を長期に渡って食い止めていたのである。『テュールの剣』を巡る攻防戦の終盤において、エリクらハルヴ隊と交戦した彼らが、奇策の下に敗れて3機を失ったのも半月と経っていない。彼らの言う『仇』とは、すなわちハルヴ隊に起因する仲間の犠牲と見て間違いなかった。
もっとも、技量で言えば彼らの方がけた外れに勝っており、前回の勝因も戦況を利用した奇策と機体性能の差に他ならない。前回の彼らの機体と言えば非武装のG.91だった訳だが、今回目の前に現れた機体はレーダーでの判別によるとSu-37『フランカーE2』。格闘戦能力はもちろんのこと、速度性能や運動性でも『グリペン』に勝る、有力な機体である。頼みの綱の奇策を取ろうにも、前回と違い今は快晴、しかも低空域であり、利用できる条件も少ない。
唯一、期待できることといえば――。
手札の少ないこちらを見越しているのか、2機の『フランカーE2』は螺旋を描きながらこちらと同高度まで降下し、その下端で大きく左右へと別れた。左右ほとんど対称の大半径旋回から、2機は急激に旋回を縮めてゆく。機首を引き上げ、加速を重ね、左右から向かう方向は――こちら。
「――狙いは俺か!」
瞬く間に距離を詰める敵機に対し、AAMでは射程に入ってからのロックオンが間に合わない。舌打ち一つ、エリクは操縦桿を思い切り手前へ引き、数拍置いてそれを右へと倒した。
上昇した機体が右へと傾き、機体側面で敵の攻撃を受けるように、その投影面積を減らす。その間にも敵機を示すマーカーは接近し続け、その距離は瞬く間にAAMの射程を、機銃の有効限界を、命の距離までも切ってゆく。
空を裂く曳光弾、機体の上下を掠める衝撃、そして遠ざかる機影。まるで過ぎ去った嵐を見送る心持ちで、エリクはインメルマンターンの要領で機体を水平へと戻した。
どっと噴き出る汗、矛先に捉われ早まる鼓動。それでもエリクは、先の一航過の攻防に手応えを感じていた。流石に被弾ゼロとはいかないまでも、真正面から強襲を受けたにしては、被弾は最小限に抑えられている。
コンピューターでの制御を受ける現代の戦闘機は、かつてとは比べものにならない程に操縦への負担は減った訳だが、それにしても機種転換には一定の期間を要する。先代の機体と世代差があればあるほどそのギャップは大きく、第3世代機である『クフィル』から今の『グリペン』へ乗り換える際にも、その操縦系統の違いに混乱したものである。
それは何も、レクタのみに限った話ではない。性能でも技量でも勝る相手に期待した一縷の望みとは、この一点であった。
その推測を示すかのように、こちらと擦過した2機は振り返らず、次のSu-25を探していたヴィルさんとクリスへと攻撃を仕掛けている。機銃掃射を軸とした攻撃だが、高速の火線はヴィルさんはおろかクリスの機体にも幾筋当たったばかりで、その多くは彼方へと逸れていた。
間違いない。彼らは、Su-37という機体に――いや、それどころかおそらく機銃を用いた戦闘に慣れていない。元々その出自ゆえに機銃を用いる機会は無かったのであろうし、新たな機体に慣れていないこともその要因の一つだろう。まして優れた運動性は、機体の不安定性の裏返しでもある。運動性に優れた格闘戦機である『フランカーE2』であれば、不慣れな状態での機銃掃射は一層困難であることは想像に難くない。
――ならば。操縦技術に勝るものの機体に不慣れな者と、性能で劣るものの機体を知った者。その正と負の差し引きは、五分と見てもいいのではないか。
「隊長!あいつら、もしかして…!」
《ああ。正直ヤバいと思ったが、こりゃ工夫次第じゃ分からんな。ヴェガ隊、何機か敵攻撃機相手に回して貰っていいかね?こっちもあの2機にゃ手を焼きそうだ》
《こちらヴェガ1、了解した。追撃に1小隊を回す。あいつらには俺達じゃ到底敵わない。頼むぞ!》
《へへ、あいよ。ハルヴ1よりスポーク1、今回は小隊で独自に動きましょう。6機ひと塊だと多分あいつらには読まれます》
《…分かった。確かな君の戦術眼に賭けよう》
《そりゃ責任重大だ。エリク、まずはヴィルさんとクリスから射線を外す。1セルで奇襲しようか》
「了解!」
ロベルト隊長も同じ事に気づいたらしく、先と違い声音に明るさが戻っている。スポーク隊の2機がひと塊となって隊長の後ろに就く中、エリクは機体を翻し、ロベルト機の右翼側へと布陣。隊長の加速に合わせて、こちらも機速を速めてゆく。狙うは、回避行動を取るヴィルさんとクリスを執拗に狙う、『三色旗』の2機。
《く…!流石は名高い『三色旗』、容易には引き離せませんか…!》
《こ…こっちもダメです!旋回しても加速しても、振りきれません!》
空戦そのものに不慣れとはいえ、操縦技術の優位がもたらすアドバンテージは計り知れない。まして近接戦闘で右に出る機体は無い『フランカー』タイプを相手にして、さしものヴィルさんとクリスの機体にも、少しずつ被弾痕が目立ち始めていた。
だが、人は逃げ惑う獲物にはどうしても引き寄せられるもの。幸か不幸か、『三色旗』は攻撃に気を取られ、こちらに後方を取られてもなお、機動が些か鈍って来たように思われた。距離にして1500、AAMの射程のわずかに外。追撃に夢中になっているだけなのか、それとも敢えてこちらを誘っているのか。
ならば、お望み通り。エリクは手元のボタンで兵装を選択し、主翼下ハードポイントのAAM2基を発射準備に切り替えた。HMDにダイヤモンドシーカーが映り、距離の狭まりとともに『フランカー』の尾部を追っていく。
距離、1200、1100、1000。
『尻尾』そのもののような、『フランカー』のテイルコーンにシーカーが重なるまで、あと僅か。
《FOX2!》
《
だが、その読みはやはり甘かった。
AAMの発射と同時に通信に入った敵の声。それに寸分の遅れも無く、2機の『フランカー』は左右に急旋回し、背を追うミサイルを引き離しに入ったのだ。S字蛇行、急上昇。まるで後ろに目が付いているような信じがたい挙動に、並みの誘導性能しか持たないAAMが追随できる筈も無い。瞬く間に推進力を失い慣性の虜となったミサイルは、『三色旗』の尾部に喰いつくこともままならず、そのまま地へと堕ち行く命運を辿って行った。
とはいえ、奇襲でヴィルさんとクリスへの攻撃を阻み、敵編隊を散開させることには成功した。スポーク隊の2機は片方の機体へ追撃を仕掛け始め、その間にヴィルさんとクリスはロベルト隊長の左翼に集っている。
《よし、こっからが本番だな。隊形は1-3。エリク、先行してフリーの1機のケツ蹴り上げてくれ。避けた所を俺達が集中砲火で叩く》
「了解です。間違って俺のケツ蹴らないで下さいよ」
1-3隊形――すなわち、単機で先行する1機が囮や奇襲を仕掛けて攻撃の起点となり、隙を見せた敵機を残る3機が討つ攻撃型の編成。演習で繰り返し学んだその中身を反芻しながら、エリクは一足先に翼を翻し、こちらに背を向ける『三色旗』の1機へと狙いを定めた。スポーク隊に追われる1機に合流しようと、その『フランカー』は左旋回に入りながら、その鼻先を僚機へ向けている。
ならば、先行役の自分が採るべきは、その鼻先を挫くこと。目標の斜め後方から、エリクはフットペダルを押し込んで、その予測針路上へと『グリペン』をひた走らせた。
双発の『フランカーE2』の方がエンジン出力の点では勝るが、低空での加速力ならばデルタ翼機の『グリペン』の方が初速の伸びはいい。おまけにこちらの方が高度は高く、降下の重力加速度も加算できる勘定である。ダイヤモンドシーカーや各種の数字が並ぶHMDの中で、眼前の1機はゆっくりと、しかし確実にその距離を狭めていった。
緑枠のシーカーがその背を追いかけ、尻尾のように長く伸びた『フランカー』のテイルコーンへと重なる。距離にして850、AAMの有効射程ぎりぎりであり、必中はまだ望めない距離。
だが、今はその機動を阻むのが第一。シーカーがロックオンを示す赤色に染まったのと同時に、エリクは迷わず搭載火器の発射ボタンを押し込んだ。
一拍。機体下部のごとりという音。
翼下の拘束から解放されたAAMは、尾に火を灯して『フランカーE2』へとその鏃を向けていく。
『三色旗』、フレア、ついでチャフ散布。赤と銀と光がその尾部に閃き、AAMがそちらへと吸い寄せられていく。左旋回を断念した機体は右へと傾き、その速度が僅かに衰えるのが見て取れた。加速が乗った『グリペン』は、その隙を突いて瞬く間に距離を詰めていく。いくら回避技術が優れていても、距離350を割ったこの近距離では外すことはない。
貰っ――。
「――っ!?」
殺気。
他所を向いていたそれが、一瞬にしてこちらへと向かった――そう感じた刹那。エリクは己の不注意を悟り、そして畏れた。『パンディエーラ・トリコローリ』を張るそのパイロットの技量を。類まれな運動性を誇る『フランカーE2』の性能を。そして、報復の意志に燃えた、人の力が成せる業を。
「うわっ!?」
目の前の『フランカー』が、突然大きくなった。
そんな錯覚を覚えるほどに、眼前の敵機は急減速。同時に真上を指すように機首を引き上げ、空中に静止して見せたのだ。衝突を避けるために急旋回したエリクの『グリペン』が、その右脇を抜けて追い越してしまったのは言うまでもない。
『フランカー』の代名詞、コブラ機動。――しまった。後悔を口にする間もなく、後方警戒ミラーの中で『フランカー』はその機首を水平へと戻してゆく。目算での距離は、およそ130。機銃ですら、必中を狙える距離。
《かかったな…!死ね、『三日月』!!》
《ヴィジリオ、後ろだ!》
《…!?くそっ!》
生死を分かつその一瞬、『フランカー』の後方から、幾筋もの火線が襲い掛かった。
ロベルト隊長のグリペンを始めとした3機。至近から一束となって放たれたそれらは、さながら投げ網を被せるかのよう。コブラ機動で速度を落とした『三色旗』へと、『グリペン』が、機銃が、ミサイルが殺到してゆく。先行の1機が作り出した隙を3機の集中砲火が突く様は、まさに1-3隊形の真骨頂とも言える光景だった。
だが、それを以て必中とするには、『三色旗』の技量はあまりにも隔絶していた。
『フランカーE2』はフレアを散布するや、左へと急旋回。一瞬下げた機首を一気に左上へと持ち上げ、瞬間のうちにロールを交えながら左上昇旋回へと移ったのだ。言うなれば、それは『G』の字を左右逆にしたような、大回りのバレルロールと言う所だろうか。
推力偏向機構に加え、カナード翼で機動性が増したSu-37の性能を最大限に生かした凄まじい機動。わずか数発の機銃を除いて、攻撃のほぼ全てが外れてしまったことは言うまでもない。
《ハァ、ハァ…はは、最高だこの機体は!油断したな、『三日月』め!レクタのミサイルごとき掠りも…》
《――!待て!ヴィジリオ、前から来るぞ!》
《…なっ!?》
だが、面火力を下げてまで隊を分散させた強みは、これからである。
確かにエリクは囮として最初の隙を作り出し、そこを本命のロベルト隊長達が突いた。その攻撃は無に帰した訳ではあるが、しかし攻撃に晒された『三色旗』は回避に気を取られ、一瞬警戒が疎かになったのだ。これも、言うなれば隊長達が生み出した隙である。
僚機からの通信に、ヴィジリオと呼ばれたパイロットは視線を前へと戻し、そして息を呑んだ。
彼の目には映った筈である。彼の駆る『フランカーE2』の真正面に、捌いた筈の敵機が背面で迫っているのを。そう、オーバーシュートした後も加速を続けていたエリクの『グリペン』が、遥か前方でインメルマンターンを行い、まさに機銃を向け合う距離まで近づいていたのを。
《何だと!?》
「『隙』ありぃっ!!」
数秒に満たない擦過、そして死神の羽音のような掃射音。
『三色旗』と真正面から入れ違った数秒の後、ラティオの色を染め抜いた『フランカーE2』は、ずたずたに引き裂かれた翼とともに地上目がけて墜ちていった。
掌に残った機銃の振動に、その命の感触を微かに残したまま。
《ヴィジリオォォォ!!…おのれ、よくも…よくも!!》
《こちらオルコ4、ダメだ、高度を保てない!》
《す、凄まじい爆音です!見えますでしょうか、今また1機、…あっ、いえ2機です!ラティオの飛行機がまた撃墜されました!…圧倒的、圧倒的です!見る見る敵の数が減っていきます!》
《く…食らいつかれた!こちらオルコ7!パンディエーラ・トリコローリ、た…助けてくれ!!》
《五月蝿い!!…貴様は、貴様らだけは、この手で…!》
《もはや脅威はこの敵機だけだ。スポーク2、連携で仕留める。フォーメーションI2、陽動に入れ》
《スポーク2了解》
激しい混線に、復讐心の塊となった男の声が入り混じる。もはや仲間の声すら届かず、炎に包まれるSu-25の姿も顧みないまま、三色旗に身を染めたSu-37は一心にこちらを指して吶喊した。
一筋。
その鼻先を遮るようにパウラの『グリペンC』が機銃を掃射し、その間にアルヴィン少佐の『グリペンD』が死角となる斜め下方から徐々に距離を詰めてゆく。おそらく、先程の自分たち同様に、パウラが囮となって本命のアルヴィン少佐が仕留める戦術なのだろう。市街地の混乱と混線、そして敵の逆上を見計らって忍び寄るその様は、まるで獲物を窺う蛇のようにも見えた。
パウラが敵の眼前を横切り、急降下から逆放物線を描いて上昇に入る。執拗に『三色旗』の眼前に入るようなその機動は、敵にしてみれば羽虫に絶えず集られているような不快感を覚えることだろう。そしてそれは取りも直さず、アルヴィン少佐の存在を隠すことにも繋がる。
その機動に耐えかねたのか、『三色旗』がカナードを動かし、背を見せて上昇するパウラを追尾し始める。明らかな陽動なのだが、それにも気づかない程逆上しているのだろうか、その機動はシンプルな直線機動。好機と見計らったアルヴィン少佐が、すかさず死角から追撃にかかり、徐々に距離を詰めてゆく。
《おのれ…!獲物は『三日月』のみだ、邪魔をするな!!》
パウラ機が上昇から水平飛行に移り、蛇行を重ねて右旋回に入る。『三色旗』はそれを好機と見たのか、速度を落としながらその背を追うべく横旋回に入った。既に、後方のアルヴィン少佐は斜め下方から距離1200程までに接近している。
敵機、発砲。曳光弾がパウラの主翼を捉える。
距離1100、1000。
死角からアルヴィン少佐が肉薄する。
パウラか、少佐か、通信から聞こえる息遣いは荒い。――いや、あるいは自分自身か。
火線を避けるようにパウラが旋回する。
その背を追って、『フランカー』も回る。
鈍い。遅い。まるで、誘うように。
目算距離、800。『グリペンD』が、『三色旗』の翼を捉える。
今――。
《…言った筈だ。――邪魔をするなと!!》
はっ、と息を呑む気配は、果たして誰のものだったのか。
それしか覚えない一瞬の間に、その勝負は決した。
アルヴィン機がAAMで攻撃を仕掛ける、まさにその瞬間。
『三色旗』のSu-37は不意に水平に戻るや、先程僚機が披露したように高度を上げないまま機首を振り上げたのだ。真上を向いた機体は、そのまま上下を反転して背面となり――『真正面』に捉えたアルヴィン少佐の『グリペンD』へミサイルを発射。まるで生き物のように推力偏向ノズルとカナード翼を動かして、そのまま水平位置へと機体を戻したのだった。
不意に真正面から放たれたミサイルに、咄嗟に反応し得たのはアルヴィン少佐の技量あってのことだっただろう。それでも完全な回避は叶わず、『三色旗』の放ったミサイルは『グリペンD』のエンジンカウル付近に命中。爆炎でその尾部をもぎ取り、黒煙とともに緑色の破片が宙を舞った。
《少佐!!》
《く…!クルビット、とは…化け物め!》
「…くそ!パウラ、逃げろ!こっちに来い!!」
攻め手を失ったパウラの『グリペン』が、まるで追い立てられた羊のようにこちらへと急降下するのが映る。アルヴィン少佐を返り討ちにし、今また逃げるパウラの背目がけて追撃するSu-37は、まさにその異名である『
急降下に速度を乗せて、敵の機銃弾は徐々にパウラの機体を、命を、削り取ってゆく。
《く…!》
《嬢ちゃんいいぞ、そのまま来い!ハルヴ各機、残ったミサイル全部使うぞ!エリク!確かミサイルはもう無かったな、先行して引っ掻き回せ!》
「了解!――待ってろ、パウラ!」
ロベルト隊長の指示を受け、エリクは機首をもたげて『グリペン』を上昇させる。その眼の先には、降下するパウラの『グリペンC』、そして肉薄するSu-37。既に被弾が重なり、パウラの機体は黒煙を噴き始めている。
《
こちらの翼を掠めるように、後方からAAMが幾筋も放たれる。
その数、しめて6。ヘッドオンという極めて回避の困難な、それも加速の乗った急降下での位置取り。
照準が『三色旗』を捉える。
回る。敵機が回る。炎を放ち、極めて小さなバレルロールでその矛先を一つ、また一つと躱してゆく。
すれ違う。パウラ。怪我はないらしい。
正面。
無傷の『三色旗』。
距離300。
馳せ違う短剣での突き合いは、しかし虚しく空を切る。
撃ち放った30㎜の弾道は、目にも止まらぬ速度で急旋回した敵を掠めて、彼方の虚空に虚しく散った。
《きゃあっ!》
《ぐっ…!な、なんという…!ハルヴ3、機体小破。…あれでは、とても敵いません》
「っ!クリス!ヴィルさん!」
急降下しすれ違ったその先で、銃声と通信の声が入り混じる。背面旋回し見下ろしたその先では、敵の射線に捉われたらしいヴィルさんの機体が、片方のカナードを失ってよろめいているのが見えた。クリスの機体も、機首付近に弾痕が刻まれている。
そして。そのさらに後方、高度にしてわずか1000程度の低空で、『三色旗』のSu-37は1機の戦闘機と横旋回の巴戦を繰り広げていた。言うまでも無く、相手は残ったロベルト隊長の『グリペンC』。急降下の強襲を躱してその背を取り、そのまま格闘戦に持ち込んだのだろう。
しかし、Su-37は『フランカー』タイプの流れを汲んだ、最強の格闘戦機として知られた機体である。小型軽量で運動性に優れる『グリペン』とはいえ、Su-37相手では到底格闘戦で叶う訳はない。事実、慌てて降下するエリクの目の前で、ロベルト隊長の『グリペン』は徐々に敵との距離を詰められていた。このままでは、1分と猶予は無いに違いない。
もうミサイルは残っていないが、迷っている暇は無い。残る僅かな燃料も惜しまず、エリクは機体を吶喊させ、狙いもそこそこに機銃弾を敵の鼻先へばら撒いた。
火線が奔り、機体が走る。思わぬ妨害で旋回を妨げられた『三色旗』は、旋回の逆方向へと機体を捻って巴の輪から逃れてゆく。死角の奇襲ですら弾一つ受けないその機動は、最早神技の感すらあった。
そして、隊長の支援とはいえ、不用意に接近したことへのツケは早々に現れた。
旋回の輪を抜けたSu-37は、そのまま減速と蛇行を繰り返してこちらの後方で旋回。数少ない高層ビルを避けてエリクが旋回したその瞬間を突いて、ビルの影からエリクの後方へ躍り出たのだ。数十メートルとはいえ後方の高位を維持し、わずか数秒の応酬で逃げ場を完全に塞がれてしまっている。
「しまった…!」
《捉えたぞ…『三日月』。仲間たちの無念、ここで晴らしてくれる…!!》
《おう、悪いなエリク!ナイスフォローだったぜ》
「言ってる場合じゃないでしょ!隊長、どこですか!?…くっ、振りきれない!」
背を追う怨念に、冷や汗が全身を濡らす。
上昇の隙は確実に狙い撃たれる。左右へ旋回するにしても、旋回性能は向うの方が上。高度は既に1000を切り、急降下で逃れる手も使えない。加速で逃げるにしても、初速を除けば速度性能は向うが上であり、到底逃げおおせる術は無い。
つまり、チェック・メイト。
心を浸した、死を伴うその実感。そんな折にかけられた隊長の声がいつもの能天気な声音であれば、エリクでなくとも声を荒げたくなるところだろう。事実、エリクも常になく声を上げ、ひたすらにその姿を探した。まったくもって、この人は未だに良く分からない。なんでこの場で、そんなに能天気な声が出せるのか。
焦燥に幾分の憤懣が入り混じったその内省に、被さった隊長の声は、しかし予想外のものだった。
《落ち着け、エリク。こうなればもうこっちの勝ちだ。針路0に変針しな》
「は!?勝ちって…一体どうやって!第一、針路0って…!」
《まーまー。エリク、ちょっとばかし復習の時間だ。前に言ったよな、空戦のツーポイントアドバイス》
「こんな時に何言って…!敵の弱点を見出すことと、仲間を意識することでしょ!?でも性能も技量も奴が上だし、仲間も隊長以外いないじゃないですか!」
《いやいやいや、弱点ってのは何も機体の特性や腕だけじゃねえ。…あいつは、もうお前と俺の首しか見えちゃいねえ。俺達がどこに逃げても、それを追うことしかできないのさ。言い換えれば、こっちにとって有利なフィールドを選べる。これが今の奴の弱点だ》
「…!弱点は、奴の、心…」
ビルの隙間を抜けて、朝の光がコクピットに差す。その瞬間、その光がまるで自分の心にまで差し込んだかのように、思わずエリクは錯覚した。
言われてみれば、確かにそうである。機体性能も技術も奴が上だし、もはや機体への不慣れさも感じることはできない。だが、ここはレクタの首都上空、すなわち味方のど真ん中。有利な場所を選ぼうと思えば、いくらでも選べる。そして奴は、何が合ってもそこに飛び込まざるを得ないのだ。
――では、その肝心の『有利な場所』とは。
《そう。そして、仲間ってのは何もハルヴ隊やスポーク隊だけじゃねえ。よーく思い返してみな、最初の戦況を。こっちの手札には何がある?》
「こっちの、手札…」
後方に絶えぬ殺気と怨讐を受けながら、それでもエリクは考える。手札といえば、ハルヴ隊、スポーク隊。首都警備のヴェガ隊は上空と攻撃機掃討に付きっ切りであり、他の空軍は今の所いない。他には空の民間機、報道ヘリ。あとは――。
「…!なるほど…それで方位0に!」
《オーケイ?》
「OK!!」
隊長の手で、示された答え。それに向けて、エリクは操縦桿を取り、弾痕目立つ『グリペン』の機体を旋回させた。目指す先は、方位0、すなわち真北。防衛すべき、レクタ大統領府が座する場所。
《血迷ったか?お望みならば、貴様らの大統領の膝元で墜としてくれよう。――貴様らの大統領ごとな》
「…く、まだ…墜ちるか!!」
旋回の拍子に速度が落ち、その隙にSu-37がさらに距離を詰める。もはや燃料も少なく、機体の余力はより少ない。飛来する機銃弾を回避する余裕も無く、エリクは迫る弾雨の中、機体を直進させた。コールの街並みは瞬く間に眼下を抜け、中央エリアへ達し、やがてその中央に聳える大統領府の麓へと近づいてゆく。
「ぐっ!?」
衝撃、そして振動。掠めた至近弾がカナードをもぎ取り、キャノピーにもヒビが入る。爆ぜたガラスの破片はヘルメットのバイザーで弾け、その表面に無数の傷を刻んだ。既に後方、敵機との距離は500もない。
《ついに、捉えた。ヴィジリオ、ドメニコ、ピエトロ、シモーネ…今、仇を取る》
「はぁ、はぁ…。……『射程』…『内』…!」
怨嗟の声、迫る警報。それらに構わず、大統領府の敷地上で、エリクは求める『それ』を探し、そして見つけた。緑の地面に茶色の軌跡を刻む、あの姿。そして黒色の箱を空へと向けた、あの形状は。
《――貴様の血で!!》
「撃てぇぇぇ!!」
《……っ!?なっ…!!》
怨念と意志、二つの声が空に爆ぜる。
その片方――エリクの背中を捉えた一筋の機銃は、しかしか細く潰えて空へと消えた。
それを圧する幾筋もの白煙が、すなわち空を指すミサイルが地上から放たれ、低高度に誘い込まれた格好の獲物目がけて襲い掛かったのだから。
一つ、二つ。後方に爆ぜる衝撃。
機速を速め、旋回して振り返ると、そこには主翼の一部とテイルコーンを失い、炎に包まれるSu-37の機体があった。
ロベルトが教授し、エリクが思い当った『勝機』。それこそが、最初の通信にあった『大統領府に配置中のSAM』だった。高高度や格闘戦中にはそうそう当たるものではないが、追撃のため速度を落とし、かつ低空ならば新鋭機にも命中させられる可能性はある。まして、目の前の敵に気を取られ、地上への警戒が疎かになった機体ならば。
『三色旗』が抱いた心の隙は、そのまま致命の間隙となって、幾筋もの矢に穿たれたのである。
《……ぐ、あ…!………卑怯者、め…!》
《都市攻撃したお前らには言われたくねえわな。…エリク、止めだ。前後から行くぞ》
「…了解」
煤と破片で汚れた三色旗が、Su-37の翼の上で鮮やかに翻る。もはや尾翼も損傷し、旋回も回避もままならなくなったその機体へと、エリクは照準を向けた。機体後方からは、ロベルト大尉の『グリペン』も迫っている。
痛々しいその姿の中で、敵のパイロットはヘルメットを外し、こちらを睨み上げた。未だに強い意志を宿し、怨念と敵意に彩られた、血走った瞳で。
《呪われろ、
前と後ろ、2筋の閃光が『三色旗』を切り刻み、そのパイロットすらも朱に染めてゆく。
主翼を断たれたその機体は急激に揚力を失い、炎に包まれて墜落。大統領府の庭に当たる芝生の上に数度転がり、やがて爆発とともに炎に包まれた。
千切れ飛んだ、三色の翼。地面に突き立ったそれが、恨みを帯びたような灰色に煤けてしまっているのが、どこか痛ましかった。
《こちらヴェガ1。上空の掃討を完了。攻撃機も全機撃墜した》
《凄い…!み、皆さま!コール市民の皆さま、ご安心下さい!ラティオの機体は、たった今空軍機によって全機撃墜されました!三色旗のエースを撃墜したのは、あの『三日月』の飛行機です!…ほらカメラ!あれあれ!よく撮って!!俺達の英雄だ!》
《ったく、こっちの気も知らねえでよー…。もうこんなハードな空戦は御免だぜ。ハルヴ1より防空司令部、もう燃料がねえ。そこら辺のハイウェイに下りてもいいかい?》
《こちら防空司令部。すぐに17号線に燃料車と誘導員を向かわせる。もう少々待機してくれ。…ありがとう。君たちは、首都の守護神だ》
《よせやい照れくさい。…ほらほら、エリク行こうぜ》
「はは…はい。そうですね。皆もきっと待ってます」
飛び交う、数多の声。賞賛、感謝、そして喜び。どこかくすぐったく、同時にどこか苦いような甘いような複雑な気持ちに囚われて、エリクは逃げるように機体を翻した。隊長ではないが、自分も流石にこっ恥ずかしい。それに何より、また『エース』の名に囚われてしまいそうにも感じてしまったゆえだった。
向かう先には、4つの機影。いずれも満身創痍だが、太陽に照らされたその姿は、何にも増して頼もしい姿に見える。
《隊長!先輩!!…良かった、皆無事で…》
《…まさか、な…。君たちが、よもやここまで成長するとは…》
「はは…やめて下さいよ、機体より先に顔から火が出そうだ」
真ん中を抜けるロベルト大尉、そして自分。それに続くように、4つの機影も旋回し、その両翼の位置に就いた。左翼側はヴィルさんとクリスの定位置、そして右側は自分とアルヴィン少佐、そしてパウラ。2機は本来の位置へ就くべく、ゆっくりとこちらを追いこしてゆく。
峻厳な表情を崩さないアルヴィン少佐、ひらひらと手を振る後席のフィンセント曹長。次々と目で応じたその最後に、エリクは通過してゆくパウラと目が合った。いつもながら、その眼は無遠慮にまっすぐこちらに向いている。
《……。少し、見直した》
「珍しい。雨が降るかな?今日は」
ぷい、と顔を背けて飛んでゆくパウラへ親指を立てて、エリクは空を見上げる。
雨どころか雲一つないその空は、今日の快晴を予感させた。
《ハルヴ隊、スポーク隊、ご苦労だった。諸君の奮闘のお蔭で、首都コールの空は護られた。改めて、感謝する。
現在、コールの被害状況は集計中だ。首都機能の回復と同時に、防空体制の改善が今後の課題となるだろう。喫緊の対策を講じるため、当面対ラティオ・サピンに対する動きは控えることになる。諸君も、ゆっくり体を休めてくれ。
…で、だ。代わりと言っては何だが、30分ほどでいい、緊急で任務を受けて欲しい。…いや、何、上空で撮影していたRCBのクルーが、是非インタビューをしたいとうるさくてな。後で時間外勤務手当を充てるので、悪いが応じてやってくれ。以上だ》