Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第17話 争覇の地(後) - Red and Black Ⅱ-

 半ばまで沈んだ夕日が、『円卓』の空を暗く紅い残照で覆っている。

 

 空を彩るのは、紅色に染まった雲と、東の空に顔を覗かせる真珠色の三日月。翻って眼下に見えるのは、南を指して飛ぶ輸送機の群れと陰鬱な影を地表へ落とす山脈、そして夕日のような朱に翼を染め抜いたサピンの『タイフーン』が4機。崩された統制を回復すべく旋回を繰り返しているが、そのうちの1機には先程からクリスの『グリペンC』が子犬のように噛みついて離さず、その連携を大きく乱していた。日中からの激戦で戦力が底をついたのか、周辺には他にサピンの機影は見当たらない。

 

「クリス、後方に1機!俺が掩護する、そのままそいつを追い回せ!」

《了解です!…こいつ、当たれ!このこのこの!》

 

 『タイフーン』のうちの1機が機首のカナードを傾け、鋭角の急旋回を描きながらクリスの後方をつけ狙う。高速性能を追求した分、本来運動性は低い筈のデルタ翼機でありながら、その機動は機体特性を思わせないほどに鋭い。

 以前『グリペン』を受領した際にロベルト隊長が言っていたことには、いわゆる第4世代に当たるデルタ翼機では設計段階で意図的に安定性を低下させ、その分運動性と機動性の向上を図っているのだという。必然的に操縦難度は上がることになるが、安定性と機動性に寄与する可動式カナード翼の装備、そしてフライ・バイ・ワイヤ式の機体制御を始めとした電子機器の能力向上が、その難度を大幅に緩和した。結果、『グリペン』においてはデルタ翼機でありながら、加速能力と運動性が高いレベルで両立されることとなった、という訳である。この点は、類似の形状を持つ『タイフーン』や、ゲベートで採用されている『ラファール』シリーズでも変わりない。

 もっとも、先程までのような高速戦闘では双発の『タイフーン』が勝るものの、近距離でのドッグファイトでは軽量小型な『グリペン』に分がある。敵機の機動を見定めながら、エリクは操縦桿を傾けて機体をロールさせ、横倒しの状態のまま機体を旋回。ヘッドマウントディスプレイ(HMD)上のガンレティクルに敵機の予測進路を捉え、その軌跡の上へと30㎜弾の爪痕を刻んでいった。

 

 発砲の振動が機首を揺らし、照準が僅かに乱れる。

 軌跡上に赤い主翼、収まる事コンマ数秒。曳光弾の光軸を避けるように、『タイフーン』が身を捩って右下方へと弧を描いて抜けてゆく。

 わずか数秒、まるで馬に乗り馳せ違うような一瞬の攻防。

 その主翼、赤地に刻んだ黄色い十字に命中を示す弾痕が爆ぜたのを、エリクは確かに見届けた。

 

《くそっ…!しつこい奴め、背中に喰いついて離れない》

《ニコラス少佐、南と西から敵機が接近中!このままでは包囲されます!》

《分かってる!…くそ、こちとら嫁と可愛い子供が待ってんだ。このまま死ねるかよ!多少の被弾は我慢して、方位270に全速で抜けろ!編隊組んで突破するぞ!》

「あいつら…!?…させるか!」

 

 敵の隊長らしい声が、混線を通じてこちらの耳にも届く。少佐という階級の割に、その声音は存外に若い。

 全速、再集結、突破。

 ――まずい。

 先の敵機を追う手を緩め、エリクは慌てて機体を左へと旋回させ、敵機の予測針路である方位270――すなわち真西へと鼻先を向ける。HMD上には、先程の敵機と、支援に寄り添うもう1機。そのさらに先には、クリスが追っていた別の1機。フットペダルを踏みこんだエリクは、照準がぶれるのも構わず、それらの鼻先へと機銃弾をばら撒いた。

 しかし、その機動は一手遅れを取った。いち早く加速に入った『タイフーン』は、先の命令通り主翼に被弾痕を刻まれるのも構わず、一直線に追撃を突破。見る見る距離を開き、あっという間に真西に4機が集ったのだ。4機は再びひと塊となり、旋回してこちらへと鼻先を向けつつある。やはり危惧していた通り、隊長達が到着する前に集中攻撃を仕掛けてこちらを突破する積りだろう。油断を突けた先程ならばいざ知らず、こちらの手を見せてしまった今となっては、先の手が奴らに再び通じるかは分からない。

 

《イーグルアイより各機、方位195よりサピン機接近。機数4》

「くそ、こっちはそれどころじゃ…!クリス、高機能空対空ミサイル(XMAA)使えるか!?」

《は…はいっ!待って下さい、今切り替えを…!》

 

 戦況の変化に必死で追いつこうとしているのだろう、クリスの焦りに満ちた声が鼓膜に響く。やはり慣れない新型機、それもこの切迫した状況下とあっては、普段の訓練通りに体が動かないのは当然といえば当然だろうが、それにしても遅い。クリスが火器管制にもたつく間に、眼前の4機はこちらへ向けて旋回を追え、まさに加速をかけて突撃体制に入った所だった。

 

 4機が加速の飛焔を灯す。

 XMAA、Empty(残弾なし)

 近距離空対空ミサイル(AAM)、射程外。

 くそっ。

 HMD上の相対距離が見る見る縮まってゆく。

 方位、真正面。こちらに全ての火線が集中する位置取り。次の目標は輸送機ではなくこちらなのだ、今から旋回してももう間に合わない。

 

 焦りを帯びた光景の中、エリクはなす術無くその様を捉えていた。

 正面に迫る4つの深紅。やっとのことで『準備よし!』の声を上げるクリス。

 そして――ふと気が付いた。正面の『タイフーン』の後方に、HMD越しでやっと気づくほどの小さな点が接近しているのを。その数、4。速度にしてマッハ3以上。当然、雲でも鳥でもない。

 あれは――。

 

《…!エスクード4よりエスクード1!後方、ミサイル接近中!!》

《な…!くそ、散開(ブレイク)!散開!》

 

 敵の射程に入る3歩前、飛来したミサイルの矛先を避けるべく、纏まっていた4つの機影がばらりと散る。上下左右の各方向に1機ずつ、それぞれが大きく旋回の弧を描き、その中央に開いた空隙の中を、エリクとクリスは突っ切って行った。その先、真西に浮かんでいるのは、レクタの識別信号を発する4つの機体。

 カナード付きデルタ翼という『タイフーン』に似た姿ながら、一回り小さなあの姿は。

 

《待たせたな、エリク!クリス!》

「…隊長!!…はは…、遅い!もう、本当に遅いですよ!」

《強敵に寡数で当たらせて申し訳なかった、ハルヴ2、ハルヴ4。残る脅威はその4機だけだ。包囲殲滅し、作戦を完遂する》

《こちらガルム1、遅くなりました!これより合流します!》

 

 上方旋回、頂点での右ロール。いわゆるインメルマンターンで4機の後方に就く傍ら、エリクはレーダーを一瞬広域レンジに広げ、互いの位置を俯瞰する。今の位置にはアルヴィン少佐の『グリペンD』を先頭にした6機、その正面下方に散開した『タイフーン』が4機。やや南に離れて輸送機編隊が飛行し、それと入れ違うようにガルム隊のF-2Aが2機、こちらへ向けて飛んでいる。西と南では数機単位で依然戦闘が行われているが、いずれも少数であり、輸送機への脅威にはならないだろう。つまりアルヴィン少佐の言う通り、この『タイフーン』4機さえ落とせば、円卓(ここ)での戦闘はレクタ・ウスティオ連合の勝利に終わる。

 

《に…ニコラス少佐!完全に包囲されました。西と南へは逃れられません!》

《『三日月』に『円卓の鬼神』か…。泣けるぜ。…全機参集!奴らだって燃料もミサイルも無限じゃない、耐えきるぞ!》

《ほー、一目散に逃げると思ったが、案外冷静じゃねえか。各機、2セルで連携を乱すぞ。…んなトコでいいですよね、スポーク1》

《ああ。ハルヴ1、先行を任せる》

 

 隊長とヴィルさんが2機編隊となり、続いてアルヴィン少佐とパウラの2機が並列となって続いてゆく。エリクもちらりと後を振り返り、クリスの機位を確かめてから、その機首を『タイフーン』の方へと向けていった。

 

 三国に跨る『円卓』とはいっても、今回の空戦域はその殆どがウスティオ領内であり、敵対するサピン軍としては逃走経路にも気を遣う必要がある。

 現空域から見ると南東方向にかけた広範囲はウスティオ領空であり、真東はレクタなのでまず撤退には使えない。西はオーシア領に接するためその進路に制限がかかり、真北は中立を保つベルカなので、国際情勢上そちらへ逃げる訳にもいかないだろう。残るは南西方向に当たるオーシア-ウスティオ国境線上空を経由したサピンへの道だが、そちらではウスティオのスパロー隊が残敵の掃討に当たっている。戦闘機と国境と言う二つの網で、眼前の4機は既に逃げ道を塞がれているのだ。

 

 だがその中で、敵機は一目散に逃げる道を選ばず、旋回してこちらに対抗する気配を見せていた。一つには、このままサピン方向へ逃走を図った所でこちらの8機を突破しなければならず、おまけに後方からXMAAで狙撃される危険を恐れたこともあるのだろう。当然こちらの――と言うより隊長の狙いはそこにあったのだろうが、敢えてミサイルを消費させる方策を採った敵の隊長機は、ロベルト隊長の言う通り冷静だったと言っていい。

 

 ロベルト隊長とヴィルさんが敵編隊の中央目がけて突っ込み、集いかけたその連携を乱してゆく。スポーク隊、次いでガルム隊。機銃とミサイルが飛び交い、ウスティオとレクタの翼が空を裂くごとに、『タイフーン』の編隊もまた断ち切られ、塊は二つに、そして孤立した『点』へと刻まれてゆく。既にそれらの間は大きく開き、飛行隊としての力を喪失しつつあった。

 次は、こちらの番。

 ガルム隊に掠められた際に機体の安定を失った1機を見定め、エリクは操縦桿を右奥へと倒す。

 まるで猛禽が地上を窺い舞い降りるように、地を指した一瞬の一瞥とともに『グリペンC』の三角翼が斜め右下へと下降してゆく。

 

 東の空の三日月のように、勝利が意識に昇り始めた戦場。その予感を消し去ったのは、甲高い管制官の声だった。

 

《何だ…?スパロー3、4、レーダーよりロスト。スパロー隊、どうなっている》

《…こ…らスパ……1!サピ……の強襲…!数4、黒い翼端…機体!こ……ももう持た》

《…!スパロー全機、レーダーよりロスト!各機警戒せよ、方位200よりサピン機4、高速接近中!》

「方位200…さっきの通信にあった4機か!クリス、攻撃中止!その4機に応じよう。XMAA、今度はいいな」

《だ、大丈夫です!こんなこともあろうかともう切り替え済みですから!》

「上等だ。…行くぞ!」

《はいっ!》

 

 南南西、機数4。通信に挟まったサピン機接近の報を記憶に蘇らせ、エリクは提げていた機首を引き上げてから、右旋回でその鼻先を来たる敵の方位へと向けた。既に空は夜色がほとんどを占め、彼方の敵影を見定めることも叶わない。しかし、その中でも『グリペン』の電子の眼は、迫る4機の姿を確かに捉えていた。遠方ゆえ機種まではまだ分からないが、反応はやや小さい。隊形はオーソドックスな雁行、先頭の1機はやや突出している。

 

 方位、真正面。距離、2500。目視では未だ発見敵わないが、現代戦では至近と言っていい距離。自己誘導機能を持つ、XMAAの鏃が届く必中の距離。

 

《…ロックオン!ハルヴ4、FOX3!》

 

 必中を期したのだろう、こちらの指示を待たずして、クリスが翼下からミサイルを発射する。早々に撃ちきってしまったこちらと違い、いざという時のために4発全てを温存していたのだろう、放たれた煙の筋は4つ。それぞれが別個の目標へ向けて、自身の『眼』で敵を探りながら殺到してゆく。

 相対速度、マッハ4以上。近距離、それも暗中かつヘッドオンでの同時攻撃である。それはまさに、致命を外さない一撃。

 

 その筈、だった。

 

 レーダーの中で、敵編隊が一瞬左右外側に向けて開いた。

 たったそれだけの、本来ならば急速旋回や加速を必要とすることを考えれば、回避行動とすら呼べないささやかな動き。それにも関わらず、クリスが放った4発のミサイルは、全て敵機の傍をすり抜けて彼方へと飛び去って行ったのだ。まるで、目標の位置を見失ったかのように。

 

《えっ!?う、嘘…!外れた!?》

「…!来るぞ!迎撃用意!」

 

 なぜ必中するはずの1発が、ろくに回避行動を取っていない敵機に。

 理由を考える余裕も無く、エリクはレーダーレンジをドッグファイトモードに変更し、闇の中迫る敵機の姿をひたすらに探った。針路はほぼ変わらず正面、ヘッドオンのまま。高度もほぼ同程度に位置している。

 距離、2000。HMD越しに緑色のシーカーが敵の姿を追って、やがて闇の中に4つの反応を探り当てる。先の『タイフーン』をコードAからDとし、こちらへの割り当てはEからH。 国籍反応はサピン、機種――MiG-21、サブタイプ不明。

 

 汗が滲む。

 火器選択、AAM。先のような距離ならともかく、距離1000を割った至近ならば流石に回避はできない筈。

 数秒、息が詰まる。

 開戦時、ラティオ軍に基地を空爆された時も夜中だったが、あの時とは緊張は比べものにならない。

 距離が1000を割る。

 シーカーが目標を捉えて赤く染まる。

 高い電子音、一つ。

 ロックオン――。

 

 エリクが発射ボタンに力を込めた、その瞬間。正面に朧に見え始めた機影から、まばゆい光球が放たれたのはほぼ同時だった。

 

「しまっ…!」

 

 フレア・ディスペンサー。

 敵が発する熱を頼りに誘導する赤外線誘導式AAMに対し、その矛先を逸らす防御装備。思いがそこに至った時には既に遅く、放たれたミサイルは炎に吸い寄せられるようにあらぬ方向へと飛び去っていった。目標へはおろか、後続の機体にすら掠りもしなかったことは言うまでもない。

 その炎すら振り切るように、敵機が真正面から迫る。相対するのは、先頭の機体――おそらく隊長機。舌打ちをする暇すらなく、エリクは咄嗟に操縦桿とフットペダルを操作し、機体を左へ大きく倒す。真正面の敵も同様にロールし、互いのキャノピーを向け合うような横転姿勢で、2機は正面からすれ違った。

 

 コンマ数秒にしかならないであろう一瞬。

 見上げるように敵機を睨んだその瞬間、エリクはそのパイロットと、確かに目が合った。

 

「蝙蝠のエンブレム…!」

《レクタの『三日月』か!》

「…!ハルヴ2より各機へ、サピン軍機4、空域に侵入!いずれもMiG-21!気を付けて下さい。どんな手を使ったか分からないが…XMAAが当たらない!」

 

 クリスの位置を確かめ、衝突しないように左横へと大回りに旋回してから、エリクは飛び去ってゆく4機の後へと機首を向ける。だが、既に加速が乗っているらしく、その速度は速い。旋回の間にこちらを引き離した敵機はそのまま戦域に突入し、『タイフーン』の追撃に入るスポーク隊を機銃掃射で撃ち散らしていった。4機はひとまとまりのまま、隊長とヴィルさんの分隊へも牽制を加えている。

 

《…!黒い翼端の…『MiG』だと!?》

《サピンにMiG-21が…?スポーク2よりスポーク1、射線を外されました。赤色の4機が合流します》

《おいおいおい、旧式でよくまあ…。エリク、クリス、こっちに合流してくれ。『タイフーン』がまた纏まっちまった》

 

 くっ。

 奥歯を噛みしめてもなお、口端から呻きが漏れる。真正面から接近されたにも関わらず、こちらの手を読みつくされ、みすみす突破を許してしまうとは。それも、『グリペン』より遥か昔に作られた旧式機相手に。

 こうなれば、最早意地である。燃料残数が半分を割るのも構わず、エリクは再び空域へと機体を突入させ、ロベルト隊長の元へと機体を馳せた。後方には、クリスも遅れじと付いて来る。

 

 方向、こちらの正面やや下方。散らされていた4機の『タイフーン』はダイヤモンド隊形を取り、その周囲に散開したMiG-21が付随している。こちらが迫っていることはとっくに察知しているのだろうが、それでもなおその旋回は緩く、まるでこちらを誘っているようにすら見える。『ガルム隊』は依然攻撃を加えているが、ミサイルを既に使い果たしたゆえか、その矛先は些か鈍いようにも感じられた。

 ガルム隊とレクタ軍、そして赤と黒の翼の機体。動と静の膠着の中で、空の三日月は徐々に昇り始めている。

 

《ニムロッド1よりエスクード1。ニコラス、無事だったか。撤退支援に来た、さっさと逃げよう》

《そうしたいのは山々だけどな、逃げる所をミサイルで狙い撃たれちゃ堪らない。どう見るねカルロス、傭兵の勘的に》

《…F-2A2機と『グリペン』C型5機、D型1機。交戦した限り、F-2とグリペンの半分に長距離ミサイルは残ってないと見た。『グリペン』のXMAA搭載数は最大4。残りも積極的に撃って来ない所から見て、多く見積もっても4機合わせて4~5発程度だろう》

《つまり?》

《適度にちょっかいかけてミサイル浪費させてから逃げる》

《乗った!》

 

 ぞく、り。

 不意に、エリクの背筋が凍った。

 理由は分からない。先程のように、赤色の4機と相対した時のような『見られた』感覚…いや、それよりもさらに鋭い、殺気のようなものを感じたためだろうか。少なくとも、これまで回避一辺倒だった敵が、確かに今こちらへと槍先を向けた。

 

 静寂、一瞬。

 

 ガルム隊が、敵編隊の斜め上へと回り込み、さらに追撃を加えようと旋回する。それらが射線に達しない一瞬の隙を見計らい、敵編隊は縦旋回の後に加速。インメルマンターンで高度を稼ぎ、こちらへと一直線に突っ込んで来た。4機ひと塊の『タイフーン』を中心に、黒翼のMiG-21が前後斜めにそれぞれ付随するという変わった隊形。その針路は、こちらの中央――アルヴィン少佐とパウラの方向に向いていた。

 

《敢えてヘッドオンで挑むとは…。いいだろう。スポーク2、正面からXMAAを見舞う。もはや『タイフーン』に高機能長距離空対空ミサイル(XLAA)は残っていまい。発射後にフレアとチャフでの妨害を併用する》

《スポーク2了解。目標を捕捉》

《…何かやばいな。エリク、敵が突っ切る前に斜めからかかるぞ。スポーク隊の発射と同時だ》

「…了解。…今度は何を企んでる、『蝙蝠』め…!」

 

 ヘッドオンから仕留める姿勢のスポーク隊とは対照的に、ロベルト隊長は左側から斜めに敵編隊を突っ切る積りらしい。必然的に、こちらは対称となる右側から突っ込むことになる。

 戦術を考えると、こちらが採るそれは理に叶ったものだろう。最初の交戦と護衛機との戦闘で敵はXLAAを使い果たした筈だし、スポーク隊は攻撃とチャフ・フレアでの妨害も行う以上、ミサイルの脅威に晒される可能性は低い。万一ミサイルでの攻撃が外れても、ハルヴ隊4機の機銃掃射で連携を乱すことができる。今の条件で取りうる手としては、考えられる限り最適解ではないだろうか。

 

 だが、不審なのは敵が敢えて戦術を変えていないことである。周辺の4機はともかくとして、『タイフーン』は相も変わらない高速・一点集中隊形での一撃離脱。攻撃力が高い反面、咄嗟の回避能力に劣る隊形でもあり、戦闘機によるヘッドオンで崩せることは先ほど証明した通りである。僚機が加わったとはいえ、それを敢えて取る理由は何なのか。

 

 巡らせる思考に結論が得られるまま、互いの距離が詰まってゆく。先頭のスポーク1が敵機をXMAAの射程に収めるまで、あと…2秒。

 

《FOX3》

《今だ、ハルヴ隊突っ込むぞ!》

 

 少佐とパウラの機体に火が灯り、ミサイルが2本ずつ翼の下から放たれる。

 同時に、尾部から放たれる火球と金属片。異なる二種の光を横目に、エリクは操縦桿を傾け、同時にフットペダルを押し込んで、機体を斜めに急旋回させた。狙うは、中央の『タイフーン』。

 

 だが、フレアの火球はミサイルのみならず、暗夜の場合は人の目をも幻惑する。進路上に放たれたそれに一瞬目を晦まされ、エリクは気づくのに一拍遅れてしまった。

 先頭にいた2機のMiG-21が、スポーク隊の発射に合わせて何もない空間へと機銃を放ち、そのまま『タイフーン』の前で交叉したのを。そして、その機銃の軌跡に、きらきらと反射する金属片が舞っていたのを。

 

 4本の白炎が敵編隊へ殺到し、その全てが爆炎を刻まぬまま、彼方へと飛び去ってゆく。

 外れた。

 馬鹿な、しかしやはり。

 追いつかぬ理解、追いすがる機体。『タイフーン』がスポーク隊と交差するその直前を狙い、エリクは斜めから強襲を仕掛ける。暗黒の中でもHMD上に浮かぶダイヤモンド、狙うはその頂点。5つのマーカーが示す、敵の穂先――。

 

 マーカー、5つ?

 思考に挟まった違和感が、エリクの焦点を一段下げる。

 いや、正面のマーカーは確かに5つ。うち4つはスポーク隊へと向かうコードAからD。一方、残る一つは猛スピードでこちらへと直進してきている。

 機種、MiG-21。コードE――『蝙蝠』の隊長機。

 

「何っ!?」

 

 ヘッドオン。

 そう気づいた時には既に遅く、衝突警報と曳光弾が同時にエリクへと襲い掛かった。

 振動、警報、モニターを彩るエラーノイズ。着弾の弾痕が機体を穿ち、『黒翼』が轟、という音と共に傍を過って入れ違う。

 だが、まだ。

 まだ終わっていない。

 操縦桿左方、機体左90度ロール。次いで急旋回。自動制御のカナードが上げ角を取り、『グリペン』を三日月のような鋭角で急旋回させる。狙いは、スポーク隊を通過した直後の『タイフーン』。

 体が痛み、機体が軋み、Gが下腹を搾り上げる。クリスが追随できないのも構わず、エリクは旋回の先に逃げる敵機を捉え、迷うことなくミサイルを発射した。

 

 ――だが、それすらも読まれていたのだろうか。

 最後尾の『タイフーン』を狙ったAAMの先で、炎がいくつも爆ぜる。命中の爆炎にしては小さく、急速に輝きを失って落ちてゆくその姿は明らかにフレアのそれだった。おそらく、編隊後方に就いていた別の『黒翼』だろう。AAMが火球に吸い寄せられるように落ちて行ったのは言うまでもない。

 

()って…!くそ、こちらスポーク1『カルクーン』、敵弾で小破した。何が(エスクード)狩人(ニムロッド)だよ、役割逆じゃねぇか》

《とはいえ、敵の手の内も読めて来たな。『黒翼』は多分チャフ弾装填したガンポッドを提げてるんだろう。攻撃を『赤色』が一点に担って、『黒翼』はその隙を埋めるフォロー役って所か。機体もどうもbis型じゃねえ、近代化改修型のUPG型だな》

《こちらガルム1。すみません、敵機に振り切られて射線を外しました。残弾、20㎜50発…少々厳しいです》

 

 ようやく引き離されていたガルム隊が追いつき、8機連なって距離を取った敵機と相対する。

 改めて機体を確認すると、見える限り主翼と胴体に被弾痕が3つ、キャノピーの右側にもヒビが入っている。真正面からミサイルを撃たれなかったのがせめてもの救いだった。周辺を見渡すと、クリスは無事だったようだが、スポーク1の『グリペンD』は正面から攻撃をもろに受けたらしく、小破し白煙を噴いている。これほどまでダメージを受けたアルヴィン少佐の機体を、エリクは初めて見た。

 

 今までの戦闘を振り返ると、フィンセント曹長の言う通り、あれはそれぞれの小隊で役割分担を明確に行っているらしい。つまり、機動性と兵装搭載力に長けた『タイフーン』が攻撃の主軸を担い、攻撃力が低いものの、小型で小回りが利く『黒翼』が正面や回避後の隙をそれぞれ埋めるという訳である。

 かつて相対した『パンディエーラ・トリコローリ』と比べると、あれほど機動は鋭くない。機体性能も技量も、こちらといい勝負という所である。だが今は、長期戦ゆえの弾薬欠乏と疲労が、連合軍の戦力を大きく削いでしまっていた。せめて、最初のサピン軍機との戦闘がなければ。せめて、ガルム隊の残弾数が万全だったならば。

 

 睨み上げた空の上で、敵機は大きく弧を描き、こちらを見下ろし探っている。まるで、こちらの全てを読み切ると言わんばかりに。

 

《このまま逃がしては如何でしょう?もう輸送機には追い付けますまい》

《いーやヴィルさん、そうもいかん。連中、こっちのミサイルが本当に尽きたかどうか、最低でもあと一回は探りに来る筈だ。それを何とかしないと、俺達は生還も覚束ん。…スポーク1、そちらの機体、損傷で戦力を失ったと見ました。ちょっと指揮権拝借しても?》

《…あ、ああ。構わんが、何をする積りだ、大尉?》

《いえね、ちょっと向うの手を逆手に取ってやろうと思いまして。そんな訳で、ミサイル残ってる人は手ー上げて》

「…?隊長?」

《まーまー、ここは任せなエリク。ちょいと血が騒いじまってね。………『円卓』を飛ぶエースの力ってヤツ、見せてやろうじゃないの》

「――え?」

 

 戦況にそぐわない、いつも通りの隊長の声。その最後に混じった、今までに聞いたことのない低く重いドスの効いたような気迫に、エリクは思わず聞き返した。その疑問符に対する返答は無く、隊長は状況を踏まえて、ガルム隊を含めたメンバーそれぞれに指示を与えてゆく。

 

 多分、聞き間違いだったのだろう。

 そう結論付けることにして、エリクは聞き取った作戦を胸に、再び上空の敵の姿を見上げた。

 

******

 

《…エスクード2より1。連中、仕掛けてきません。後退しては?》

《いや、まだミサイルがある可能性が否定できん。カルロス、あといっちょ仕掛けるか》

 

 空を照らす三日月の下、黒翼が蝙蝠のような陰影を、真珠色の月を背景に浮かべている。

 見下ろした先には、ウスティオとレクタの識別信号を有する8つの機影。うち2機は、かつての英雄を模した塗装のF-2Aだが、その機動は先代のそれと比べるべくもない。残る6機はレクタの『グリペン』だが、これもミサイルをほとんど使い果たしたらしく、満身創痍の様相となっていた。しかしそれにしては、逃げるでもなく立ち向かうでもなく、こちらをただ見上げ続けている。

 

 しばし通信へと向かう口を離し、ニムロッド1――カルロス・グロバールは戦況を俯瞰し、敵の状態と意図を探る。死なない、死なせない。その信念の為には、まず戦う敵を探るための洞察力が()る。15年の戦歴で培ったその観察眼は、時として自身をも救う助けとなってきた。

 

 おそらく最初の読み通り、ガルムもどきの2機と最初に接敵したグリペンには長距離ミサイルは残っていない。残りについても、先程4発を浪費させ、AAM使用も誘発させるのに成功した。以上から、残っていてもせいぜい長距離ミサイルは1、2発。短距離AAMも片手程しか残っていまい。

 

 しかし気になるのは、敵が撤退の様子を見せないことである。手をこまねいているのに過ぎないのか、それとも何か策があるのか。

 ――そして、敵編隊の中のあの『グリペン』。あの機動は、どこかで見たことがある。確か――。

 

《…おい!カルロス!》

《…ああ、すまん。そうだな…念のため、あと一航過仕掛けて逃げよう。ただし、危なくなったらすぐ回避行動に入れよ》

 

 脳裏にもやもやとかかった雲を振り払うように、カルロスはエスクード隊に先行して機首を翻す。ニムロッド2、エスクード隊、ニムロッド3、4。統制立った順序で、機影が順々に月光の下を斜め下方へと馳せてゆく。

 

 正面、8機。やはり逃げない。それどころか、『グリペンC』を先頭に真正面から相対して来る。

 何かを隠し持っている。予感めいたものが、カルロスの脳裏に奔った。

 

 正面、針路そのまま。距離2900、2700、2500。XMAAの射程距離に入った筈だが、発射炎はおろか、ロックオン警報すら鳴り響く気配はない。やはり使い果たしたのか、それとも何かあるのか。

 

 依然正面、距離は見る間に縮まってゆく。

 左右内側、23㎜連装ガンポッド。左右外側、ディスペンサーポッド、いずれも準備よし。レーダー誘導、赤外線誘導、いずれも妨害し得る。

 正面の敵はまだ動かない。針路そのまま。

 距離1500。1400。1300。

 ――至近距離からのAAM狙い。

 

《各機引き上げろ!》

 

 敵に長距離ミサイルの残数なし。

 そう結論付けるのと、通信回線に声を吹き込んだのは同時だった。こうなれば、下手にヘッドオンを続けるのは却って危うい。

 操縦桿を左へ倒し、エスクード隊の前に割って入るように機体を斜めへ旋回させる。すなわち位置取りとしては、水平へ機首を引き上げた『タイフーン』の下方を斜めに横切る針路。万一のミサイルに備え、カルロスは引き金を引き、チャフ弾を、続いてフレアを放出。束の間、眼下をフレアの火球が赤い波のように照らしあげた。高温で信管が反応したのか、放たれたミサイルが爆発の火球を咲かせている。

 

 夜空の黒と、燃え盛る赤。その光景は、まるで15年前のあの時のようである。

 脳裏に過るのは、夜半を越したオステア基地への奇襲作戦。そして、燃え盛るホフヌング近郊の避難キャンプと、炎に巻かれて焼け落ちてゆく人の姿。戦場で絶えず付きまとう、血と命の色――。

 

 それは、『円卓』という戦場に宿った魔に魅入られた瞬間だったのか。

 カルロスの脳裏に過った光景は、眼下の炎を切り裂く無数の光軸によって、ずたずたに切り裂かれた。

 

《――なっ!?》

 

 警報が鳴り響き、曳光弾の光で視界が幻惑される。

 ――しまった。

 フレアの使用を誘発し、それに紛れた至近からの機銃掃射。すなわち、最初から狙いはエスクード隊ではなく、フレアをばら撒くために必ず敵に最接近する自分。今更ながら思い当った敵の策に、そして主翼に開いたいくつもの弾痕に、カルロスは己の読みの甘さを呪った。

 

《こ、こちらニムロッド2!レーダーがやられました、機体中破!》

《お…おい、大丈夫かカルロス!?》

《…く…!問題無い、先に行け!》

 

 同時に攻撃を受けたらしく、煙を噴いたニムロッド2へカルロスは声を荒げる。後続の3番機と4番機は幸いにも健在で、エスクード隊の背について速度を上げている所だった。針路は連中の虚を突いた北東方面――すなわちベルカ-レクタ国境を経たゲベート領内。表立って参戦こそしていないものの、ゲベートがサピンと結んでいることはもはや暗黙の了解である。

 

《…!》

 

 焔の残滓を纏ったフレアを突っ切り、機影が3つ、こちらの後ろ上方で背面旋回に入る。機種はいずれも『グリペンC』、まともに戦えば勝ち目はない。

 ならば、打つべき手は逃げ。

 デルタ翼機ならではの加速を活かし、3機が背面のままこちらへと迫る。

 スロットル、回転数抑制。機首上げ、減速。高速で迫る敵機の前で敢えて速度を落とし、カルロスは『ディビナス』の機体を急旋回。敵機に腹を見せる姿勢となりながら、両主翼のポッドからフレアを幕のようにばら撒いた。

 先程自分が受けたように、フレアは目くらましに使うこともできる。一瞬の閃光で攻撃位置を見失った敵機を見届け、カルロスは機体を水平へと引き戻した。

 

 その直後であった。すぐ近くで鳴った接近警報に、カルロスは思わず泡を喰ったのは。

 

《…!あれは…さっきの『三日月』か》

「…コードEの『蝙蝠』…!」

 

 機位を失った瞬間、咄嗟に機首を上げたのだろう。カルロスの『ディビナス』のすぐ左隣には、機体を右へ倒したままの『グリペンC』が位置していたのだ。その機動からするに、おそらくは最初に接敵した『三日月』と同じ機体に違いない。

 

 黒地の左翼に、染め抜いた4本の三日月。そして視線を逸らさず、こちらを見据えるパイロット。それらを全て見届けて、カルロスは残ったフレアを全て放出してから、フットペダルを踏んで機体を加速させた。『グリペン』ならば追いつくことは可能だろうが、深追いするほど向うも迂闊ではあるまい。

 胴体には相当数の被弾があり、冗長性の高いMiG-21系列でなければとっくに飛行能力を失っていただろう。所属する安全保障会社の貧乏さに、今だけは感謝したい思いだった。

 

******

 

「……終わった、か」

《サピン編隊、方位045へ遁走していきます。ゲベート領を目指している模様》

《もう追う気力もねえ。今回は痛み分けってことで手を打って貰うとしようや。…燃料残り30%。『グリペン』も腹が減ったとさ》

 

 フレアの閃光が残像として残り、ちかちかする視界で、エリクは北東の空を見上げる。

 企図せずして、並行する形になった最後の一瞬。穴だらけになった『蝙蝠』は、それでもなおフレアでこちらの追撃を遮り、自身も脇目もふらずに逃げ去っていった。まるで、どうなろうと死なない、生き残る。『円卓』の交戦規定(セオリー)通りだと、そう言わんばかりに。

 

《ともあれ、だ。輸送機の全滅は防げた訳だし、我々みんな五体満足。とりあえずは勝利、ってことでいいんじゃないかね。さ、帰ろうぜ。今日は疲れた》

 

 ロベルト隊長の言葉を聞きながら、エリクは今一度彼方の空へと目を奔らせる。闇一色に沈んだ空は、もはや山脈の輪郭すら朧になり、まして小さな機影など探り当てることもできない。

 

 勝利、か。…言われてみれば、そうなのかもしれない。『円卓』の空で、欠けることなく生き残ったのだから。

 

 故郷の方角、レクタの大地が広がる東へ、エリクは機体の舵を切る。

 三日月昇る『円卓』の下で、翼に刻んだ(かたち)のように、『グリペン』は丸く弧を描いた。

 




《諸君、厳しい戦いだったが、よくやってくれた。流石に戦力の消費は激しかったものの、輸送機のうち三分の二は『円卓』を突破し、無事補給を行うことができた。諸君の奮闘なくしては、けして成し得なかった成果である。数多の将兵を代表して、諸君らに感謝したい。
諸君がいる限り、レクタの空は安泰である。引き続き、戦線にてレクタを導いて欲しい。以上だ、今晩はゆっくり休んでくれ》

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