Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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《各パイロットへ緊急連絡。先ほど、サピン空軍機が国境付近に展開し、ソーリス・オルトゥス方面へ侵攻しつつあるとの情報が入った。邀撃各員はただちに出撃し、サピン軍機の迎撃に当たれ。敵は宣戦布告から榴弾砲による攻撃を続けており、被害が甚大なことから当該地域の陸軍は迎撃の当てにはできない。ウスティオの空を護るのは、諸君らをおいて他に無い。健闘を祈る》


第15話 逆風の中で

 晴れた空に大音量のサイレンが鳴り響き、それに引きずられるように人々が慌ただしく駆けている。

 本能へと刺さる、心を逆撫でするような機械音の警報は、人を無意識に焦燥させる。エリクは段ボール箱を運ぶ脚を意味も無く速めながら、滑走路を隔てた向うの格納庫で右往左往する人影を横目に眺めた。

 

 格納庫の中では、ウスティオ軍の機体にミサイルが取り付けられ、コクピットに取りついた整備員がパイロットと何事かを話している様が見える。2枚の垂直羽根を持ち、角ばった胴体と機首に向けて鋭角なシルエットを持ったその機体は、ウスティオの主力であるF-15『イーグル』シリーズだろう。キャノピーの大きさを見る限りは、おそらく単座型のC型というところか。2機並んだそれらから整備兵がぱっと離れるや、鋼鉄の大鷲は尾部に陽炎を従えて、ゆっくりと格納庫の外へと進み始めて行った。

 

 まるで、腹を減らした猛禽が、巣を離れて餌を狩りに行くかのような。

 らしくもなく、些か叙情的な印象を抱きながら、エリクはタキシング・ウェイへ進んでゆくその機影を目で見送る。滑走路には既にF-16C『ファイティング・ファルコン』が3機並んでおり、それらはタキシングを続けるF-15の姿を遮りながら、アスファルトを滑走して空の最中へと羽ばたいていった。

 

「よい、っしょっと。俺の分の荷物はこれで全部だ。部品類は?」

「あらかた積み終えました。あとは細々した物を積んでいくだけですね」

 

 レクタの識別マークを付けたC-130『ハーキュリーズ』の前に段ボール箱を下ろし、丁度数量の点検をしていた整備兵と声を交わす。既に機体の交換部品の類は積んでしまったのだろう、彼の目の前に積んであるのは、私物や小型の機材類を詰めたらしい小型の箱がほとんどである。目の前に停まっているのが4発のプロペラ輸送機でなければ、その様は市井の引っ越し業者と何ら変わりない。

 それもその筈である。事実、エリク達レクタ空軍の面々は、ここウスティオ空軍モリスツェフ空軍基地から、古巣であるレクタ空軍ヘルメート空軍基地へと引っ越しの真っ最中なのであった。

 

 ウスティオ空軍が邀撃でてんやわんやの中、何故レクタ軍が本国へ戻ることとなったのか。その背景には、先日のサピンの動きが密接に関係している。

 

 先日――すなわち11月2日に突如として発表された、サピン王国による武力介入宣言。戦争介入を謳いつつラティオを攻撃対象にしていない辺り、実質的にはレクタ・ウスティオ両国への宣戦布告と何ら変わりない訳だが、ともかくもサピンはその方針に従って当日中からラティオ領内に駐留するレクタ・ウスティオ連合軍へと攻撃を開始した。『テュールの剣』を巡る戦いで疲弊していた連合軍にこれを防ぎきる力はなく、折角制圧した『テュールの剣』を放棄しながら連合軍は撤退。サピンの側面攻撃に敗走を重ねながら、何とかラティオ西郡で踏みとどまる形となっていた。すなわち、『テュールの剣』占領によるラティオ中郡の制圧、および首都攻略による戦争の早期終結は、もはや不可能になったのである。

 

 そもそも、エリク達レクタ軍がウスティオの基地へと集められたのは、『テュールの剣』攻略を始めとする対ラティオ戦に向けて戦力を一元管理し集中投入するためであった。それがサピンの参戦によって潰えた以上、戦力を一点に集中させる意義は無くなったと言っていい。あまつさえ、エリク達の本国であるレクタは敵国ラティオと隣接している上、サピンと協調路線を示しているゲベートとも接している。幸いゲベートは未だ宣戦布告までは至っていないものの、情勢を考えればいつレクタへ侵攻を開始してもおかしくはなかった。

 

 このままでは、手薄となっている本国レクタが危ない。

 逼迫した情勢を受けて、エリク達に本国への帰還命令が出されたのは、つい昨日のことだった。一応ウスティオ側へは事前に伝えられていたらしいが、昨日に発令し今日にでも帰還しろというのは、日程的にも相当に無理がある。そこを何とか間に合わせるため、エリク達は昨日から出撃そっちのけで撤収に向けた準備を始め、突貫作業でようやく間に合わせたのだった。そのせいもあってか、今日は朝から体が重い。

 

「…にしても、整備機材がコンパクトで済む『グリペン』で助かりました。『クフィル』のままだったら倍の輸送機が必要でしたよ」

「まあ、その辺が強みでもあるからな。あ、この辺の箱は俺の私物だから、適当な所に積んどいてくれ」

 

 よっこらせ、と箱を抱え上げた整備兵が、愚痴をこぼすように苦笑いで語る。流石は常に機械相手の整備兵と言う所か、性能面に囚われがちな戦闘機の側面をよく掴んでいるその口ぶりに、エリクは同じく苦笑を以て応じた。別にエリク本人が何をしたでもないのだが、真新しい乗機を褒められると何故だか少しくすぐったい。

 

 二人が語るように、現代の戦闘機では空戦性能に加えて、整備性も重視されるべき要素の一つである。かつての航空機の黎明期やレシプロ機全盛期には機体や部品にもある程度の冗長性があったが、機体の高性能化・機材の高精度化に伴い、その整備性は複雑化の一途を辿っていた。精密機器の塊とでも評すべき現代の戦闘機はその極致であり、分解整備の手間はおろか、日々の点検や武装類の交換にまで多大な時間と手間を要する状況になっていたのである。こればかりは、高性能化の代償として、現代の第4世代機が抱える共通の問題でもあった。

 

 そのような状況下で、同じく第4世代機のJAS39『グリペン』シリーズは、他機種と一線を画する特徴を持っていた。端的に言えば整備性が非常に高く、整備に要する時間や人員、点検の機会が少なく済むのである。

 そもそも『グリペン』の設計メーカーは、過去にもJ35『ドラケン』やJA37『ビゲン』シリーズといったように、コンパクトに纏まり整備性に優れた機体を作成してきた。これらは旧式機にも関わらず整備性では最新鋭機に先進しており、傭兵の中では今でも好んで使う者がいるのだという。

 それらの機種で培われてきた技術は『グリペン』でも健在であり、稼働時間と整備に要する時間を踏まえた運用効率は他機種の実に1.5倍と、際立って優れている。作業効率の良さは作戦行動中にも如実に発揮され、空対空装備の場合では着陸から燃料弾薬の補給までに要する時間はわずかに10分、しかもエンジンを稼働させたままでの補給が可能となっている。

 この特性は、同盟国オーシアに拠点を置くグランダーIG社製の機体となってから、一層の磨きがかかっているということだった。後に整備兵に聞いた所、グランダーIG社製の機体は同一機種でも他社のものと比べて部品数が少なく、整備性が高いともっぱらの評判らしい。これまで『クフィル』の整備で苦慮してきた背景もあるのだろう、レクタの次世代機が『グリペン』に、それもオーシア経由で手に入るグランダー社製のものに決まった時、整備員は皆一様に喜んでいたのが脳裏に過った。

 

「おう、エリク。荷物の整理は済んだか?」

「あ、隊長。ええ、元々間借りでしたし、大したものは持ち込んでいませんでしたから。隊長は?」

「いや、それが色んなもん貰って来たせいか思いの外多くてな。今クリスに押し付け…おほん、手伝って貰ってる所だ」

 

 談笑するエリクの元へ、手をひらひらと振り近づくのはロベルト隊長の姿だった。手には何やら字がびっしりと書かれた紙を携えている辺り、離任報告に司令部にでも行っていたのだろう。そういえば、荷物を整理する間に隊長の姿は見えなかった気がする。荷物の整理をクリスに押し付けたという隠す気のないその様に、エリクも苦笑せざるを得なかった。

 空戦技能や指揮能力では非常に優れた力を持っているロベルト隊長の、一大欠点がこれ――すなわち、片付けができないことである。そもそも整理整頓が苦手なタイプである上に、気に入ったものをどこかから拾っては部屋に置いているらしく、それはここモリスツェフに来ても変わりがない。ヘルメート基地の隊長の居室に至っては、評するならばまさに『魔窟』の一言。一説には、隊長の居室に忘れ物をした暁には、それが見つかるまで2年はかかると言われる程だった。

 そんな隊長の荷物整理である。クリスが現在進行形で悪戦苦闘していることは容易に想像がついた。

 

「んじゃ、俺のは済んだので、クリスの増援にでも行ってきます。まだしばらくかかりそうですし」

「いや、それがそうもいかなくなってな。俺達だけでも荷物より先に帰って来いとお達しだ、本国からな」

「え?荷物より先に、って…今すぐってことですか?」

「そうなるな。スポーク隊に輸送機の護衛は任せて、俺達4機だけでも戻れ、だと」

「…今に始まったことじゃないですけど、えらくまた急な…」

「まーそう言うな。本国にしてみれば、一分一秒でも早く本土防衛の戦力が欲しいんだろう。なんてったって首都『コール』はラティオ国境と近い訳だしな」

 

 兵舎へ足を運びかけた矢先に声が被さり、その内容にエリクは怪訝に口元を曲げる。曰く、撤収命令自体が相当に急だったにも関わらず、それが上にも急いで『ハルヴ隊』は帰還せよとのこと。わずか4機が、それも急いで戻した所でせいぜい数時間の差でしかないことはレクタの軍部も分かっているのだろうが、それでもなお命令しなければならない程に焦っているのだろうか。それとも、結果的にエースとして名を上げた自分たちをいち早く防衛に充てることで、軍全体の士気を高めたいのか。少なくとも、人をまるで駒のようにぽんぽんと移せると言わんばかりのその命令に、エリクが一切辟易しなかったかと言えば嘘になる。

 

 はぁ、とため息一つ。

 戦争である。命令が急なのは今に始まったことではなく、当然軍人の自分たちに拒否権も無い。一たび指示が下れば、それに応じて動くしかないのが今の立場であった。

 

「行くしかないってことですね…。分かりました。ヴィルさんとクリスは俺が呼んできます」

「悪いな、頼む。俺は整備の連中に、『グリペン』の準備を頼みに行ってくる。準備が終わり次第来てくれ」

 

 こくん、と頷き、エリクは踵を返して兵舎の方へと脚を向ける。多分、クリスはまだ隊長の荷物に悪戦苦闘している所だろう。ヴィルさんももしかすると合流しているかもしれない。

 アスファルトに落ちる雲の影に、エリクはふと空を見上げた。上空はよほどに強風なのだろう、雲は所々千切れ、飛ぶように彼方へと流れている。それはまるで、風雲急を告げるレクタの有様を思わせた。

 

 雲を裂くように轟音が響き、滑走路から二つの機影が新たに空へと舞い上がる。

 青い両翼端と、赤い片羽のF-2A。それらは南の空へ翼を向け、速度を速めていき、やがて雲の彼方に見えなくなっていった。

 

******

 

《ンッン~。やっぱり母国の空はいいねぇ。気張らずのびのび飛べるぜ。どーだい諸君、鼻歌の一つでも》

《何言ってるんですか、ロベルト隊長。もうすぐヘルメート基地の管制圏内ですよ》

《ちぇー。俺の美声を轟かせるいい機会だったのにな。…にしても、何だ今日の空は。えらく騒がしいじゃねえか》

 

 モリスツェフ基地に名残を惜しむ暇も無く、ウスティオを飛び立って数十分。まだ制空権を確保しているラティオ西郡を通過し、エリク達ハルヴ隊は久方ぶりにレクタの空を舞っていた。地上から仰ぎ見た通り上空は強風が吹いているが、『グリペン』の飛行に支障を来す程ではなく、操縦はある程度機体任せでも何とかなる。計器類のチェックもそこそこに、エリクは隊長の言に引かれるように、北から東にかけての空を見やった。

 

 隊長の言う通り、今日の空は機影が多い。相当遠いため黒い点にしか見えないが、目に見えるだけでも真北に4、東北東に6。試しにレーダーレンジを拡大すると、レクタ中東部から東部にかけて、ゲベート国境に友軍機が多数展開している様が見て取れた。機種は電子戦機の他、邀撃機である『クフィル』や主力機『ミラージュF1』が大半を占めている。ゲベートの動きが分からない以上警戒機を配置するのは当然といえばそうだが、この数は尋常ではない。

 

《ハルヴ1よりヘルメート基地、聞こえるか。大エース様のお帰りだぜぃ》

《こちらヘルメート基地管制室。ハルヴ隊、噂は聞いていた。帰還を歓迎する。現在当基地は邀撃機の発進中である。着陸までしばし待機せよ》

《それよ。今日は一体どうしたってんだ、レクタ総出で俺達の出迎えか?》

《いや、残念だが違う。本日に入ってから、ゲベートが国境付近に部隊を展開しており、その警戒だ。現在ウスティオ軍は南部から侵攻して来たサピン軍と交戦中であり、それと呼応した動きとも考えられる》

「ゲベートめ、とうとう本腰入れて来たか…!」

《それを受け、現在は当基地からも戦力を東部へ派遣している。着陸はしばらく待て》

 

 ゲベートが、とうとう動いた。

 予想されていたとはいえ、いざ目の前に現れたその現実に、エリクは思わず奥歯を噛んだ。まだ交戦にこそ至っていないが、国境線を挟んで対峙している以上、均衡はいつ破れてもおかしくはない。だが、南にラティオ、その向うにサピンを抱えながら、さらに北のゲベートまで相手取るとなれば、レクタの戦力は限界を迎えてしまうだろう。

 勝ちの見えない戦争を、どう戦い抜けばいいのか。勝つ方策はあるのか、そして仮に勝った所でレクタはどうなるのか。もはや後戻りはできず、かといって先の道はまだ見えない。まるで闇夜の暗中を彷徨うような、捉えどころのない暗澹たる思いが胸に立ち込める思いだった。

 

 飛行すること数十分、やがて眼下にヘルメート基地を望むに至り、上空からも基地の様子が垣間見える。

 ハルヴ隊が基地を離れてから部隊は補充されたのだろうが、今はそのほとんどが北と東の警備に出払ったのか、その姿は殆ど見られない。格納庫の脇に辛うじて『ミラージュⅢ』が2機駐機しているのが認められるが、これはおそらく万一のための迎撃機なのだろう。眼下では主力機たる『ミラージュF1』2機が滑走路を奔り、地を蹴って舞い上がる所だった。

 

《サテリトゥ3、4へ。離陸後は方位075を取り、サテリトゥ1、2へと合流せよ。…待たせた、ハルヴ隊。あと5分で着陸準備が完了する》

《了解。コーヒー温めといてくれ。ヴィルさん、クリス、先に下りな》

《了解しました。ハルヴ3、お先に》

 

 4機編隊を2×2機編隊に分ける行動は、殊ハルヴ隊においては基本戦術と言っていい。編隊左翼に位置するヴィルさんの『グリペン』は慣れた機動で翼を翻し、左へと旋回しながら滑走路の方へと高度を下げていった。クリスもその背について、『グリペン』らしい小半径旋回で目指す方向へと向かっている。機体が違うこともあるのだろうが、その機動は戦争開始の前よりも、幾分鋭くなったような気がした。

 

 管制官から二人に指示が飛び、2機のグリペンが滑走路へと進入してその脚をアスファルトへと着ける。カナード翼を下げて空気抵抗を強め、滑走しながら速度を緩めて駐機位置へと向かっていく2機。その様を見届け、エリクも滑走路の進入方向へと機体を向けようと操縦桿を倒した、まさにその瞬間だった。

 

《き、緊急警報!緊急警報!西部の幹線道路160号線が国籍不明機に爆撃された!同時にウスティオ北部でも爆撃の情報あり!!》

《な…レクタ西部だと!?どういうこった!》

「そんな馬鹿な…!?管制室、爆撃の位置は、敵の機種と数は、現在位置は!?情報知らせ!」

《ま、待て!現在情報を整理中である!》

 

 管制官の怒鳴り声に、慌てて操縦桿を引いて旋回に入った機体を立て直す。思わぬ方向、思わぬタイミングの攻撃に泡を喰っているのだろう、地上の混乱は通信を介して時折こちらにも伝わってきた。怒声と雑音の奔流に通信回線と鼓膜はパンク寸前、必要な情報を整理しようにも、通信ノイズが集中をかき乱していく。

 

 まるで時間が倍以上にも感じる焦りの中、じりじりとした心地でエリクは時計とレーダーを眺めた所で、ようやく纏まった通信が耳元に響き始める。数十分は経過したと感じていたが、実際には5分程度しか長針は進んでいなかった。

 

《管制室よりハルヴ1、ハルヴ2。状況を伝える。今から15分ほど前、レクタ-ベルカ間を繋ぐ幹線道路160号線が国籍不明機により爆撃を受け、通行不能となった。それとほぼ同時刻に、ウスティオとノースオーシア州を繋ぐ幹線道路144号線も爆撃を受け、トンネルが崩壊し通行が遮断されたとのことだ。情報によると、爆撃を行ったのは合わせて10機前後。現在は合流し、160号線第2中継点の北方60㎞地点を航行中と推定される》

「レクタ西部から北方…。やっぱりゲベート機か!」

《空軍基地としてはここが最も近い。直ちに追撃し、必ず全機撃墜せよ!東方で警戒中の他の部隊は間に合わない。ハルヴ隊、君たちしかいない。奴らを必ず叩き落とすんだ!》

《やってくれるぜ畜生…。エリク、燃料は?》

「あと増槽2本分…レクタ西部までなら十分です」

《よし。管制室へ、俺達が先行して尻尾を捕まえる。ハルヴ3と4は空対空装備を補給して、準備でき次第発進させてくれ。エリク、行くぞ!》

「了解!」

 

 隊長の声に応え、エリクは操縦桿のボタンを操作して表示を巡航モードへと切り替える。燃料計を確かめ、フットペダルとスロットルレバーを押し込んで、2機の『グリペン』はエンジンの回転数を高めながら北西の方向へと舵を切った。

 

 流石に超音速機の『グリペン』とはいえ、逃走する敵機を捉えるのには時間を要する。まだ見ぬ敵の方向へと目を奔らせる中、視線は自ずと左斜め前を飛ぶロベルト隊長の機体を追っていた。

 思えば、隊長と2人きりで飛ぶのは久しぶりである。戦闘の際には一時的に2機で編制されることこそあったが、それでも基本的にはヴィルさんやクリスが近くにいた。それを考えると、今の状況は希だと言っていい。

 ――今ここにいるのは、俺と隊長のみ。

 それを考えて、真っ先に意識に上がるのは先日のパウラの言葉だった。…確かに、隊長には謎が多い。考えれば考える程、パウラが言うように隊長がどこぞのスパイではないかという疑いは、いよいよもって信憑性を帯びて来てしまう。だが、いつまでも疑っていてはキリがない。自分自身が納得するためには直接問いたださぬまでも、せめて何かしらカマをかけて確かめておくべきではないだろうか。たった一言でも疑いを拭いされるような確証が持てれば、それだけで俺はかつてと同じく、何ら大尉を信じて飛び続けられる。二人きりで飛ぶ今は、まさにその絶好の機会ではないか。

 

 だがその一方で、核心に触れて今の状態を崩したくない思いもまた存在する。疑いが真だった場合はもちろん、もし無実であれ自分が疑惑を持ったことを大尉が知れば、大尉だって口にしないものの気にするだろう。それが原因で、大尉との間に隙間風が流れるような状況は絶対に避けたかった。ロベルト大尉は紛れもなく自分の恩人であり、何より好きなのだから。

 

 信じたい。しかし、確かめられない。どっちつかずのその思いが、エリクの口を鈍らせた。確かめないことには進展はない。しかし、今の仲を壊したくはない。

 だが、軽くカマをかけるくらいなら、少しは。何より今はチャンスなのである。言え、エリク。言え。言え。

 

 ごくり。生唾を飲み込んで、エリクは意を決して口を開いた。

 

「…あの、大尉」

《ん?どーした、エリク。便所か?》

 

 口を開いた矢先の声は、疑惑など露知らない、冗談めかしたあっけらかんとしたもの。その声音に機先を削がれて、エリクは意味も無く目線を右往左往させた。

 …言えない。たとえ疑惑であれ、この人にそれを質すなんてできない。たとえ不安定であれ、いまの関係をやはり壊したくない。

 

 揺れる心が結論を伸ばし、エリクの言葉がそこで詰まる。『なんだ急に、どした?』と怪訝な声を返す大尉に、ようやく向けられた言葉は、情けなくも逃げの一手だった。

 

「あーその…。そ、そうだ。連中、何でわざわざ道路なんかを爆撃したんですかね?ここまで気づかれず近づいたなら、もっと大都市を狙えばいいのに」

《ああ…そのことだが、俺も考えてた。こりゃ、予想以上にやばいかもしれん》

「…やばい?」

 

 何とか間を繋ぐために紡いだ言葉が、思わぬ反響を以て耳に届いた。先ほどから心の隅で確かに疑問には思っていたことだが、大尉もこうして考えていたとなるとよほどに重要な意味を持つものだったのかもしれない。

 脳裏に靄をかけていた疑惑を片隅にしまい込んで、エリクは大尉の言葉に耳を傾けた。

 

《爆撃されたのは160号と、ウスティオの144号だったな?》

「ええ、確か」

《これは、両方ともノースオーシアのスーデントールに直通した道だ。俺達の『グリペン』もウスティオの『イーグル』や『ファルコン』も、元を正せばスーデントールのグランダーIG社製…その部品の殆どは、これらの道や線路を使って陸路で運ばれて来ている。迂回ルートはあるだろうが、『円卓』の山岳地帯を迂回しなけりゃならないんだ。整備も時間も相当かかるだろうな》

「…まさか…オーシアからの補給路を断つために!?」

《可能性はある。ウスティオはともかく、レクタはせいぜい『クフィル』の工場と輸入機の組み立て工場しかない。手っ取り早くレクタを干物にするには一番の手って訳だ…!》

「…くそっ!」

 

 大尉の口から語られる推測に、エリクは呻きながら舌を打った。こちらの補給線を断つ遠大な作戦を交えて、レクタを徐々に弱らせる戦略――これが本当だとしたら、南からウスティオへ侵攻したサピン軍や国境に集結したゲベート軍すら囮ではなかったかという疑惑までこみ上げてくる。目下ただでさえ守勢に回っているのに加え、ラティオの反撃とゲベートの圧力でレクタは青息吐息なのだ。これに加えて補給線まで断たれてしまっては、最早なす術はなくなってしまう。

 酸素マスクの下、エリクは大きく息を吸い、腹の底から思い切り吐き出した。怒りか、絶望か、それとも純粋な闘志か。吐息とともに溢れた思いがどれだったのか、混然となった塊の正体はエリクにも分からなかった。今はただひたすらに、胸だけが熱い。

 

《ま、次善策を考えるのはお偉いさんの役目。俺たちはただ、『あいつら』にツケを払って貰うだけだ。エリク、レーダー見てみろ》

「…!そう、ですね。ハルヴ2よりヘルメート管制室、目標を捕捉!サピン国籍のEAV-8B、ハリアーⅡ…いや、『マタドール』10機!進行ベクトル方位025、ゲベート方面へ航行中!あと数分でゲベート領空に到達します!」

《サピン軍機だと!?何故サピンと逆方向へ逃げる…?…まあいい。既にハルヴ3とハルヴ4はそちらへ向かっている。もう時間が無い。ただちに攻撃にかかれ。ただし、ゲベート軍機への攻撃、ならびにゲベート国境を越境しての追撃は禁じる》

《ハルヴ1了解。落とし前はきっちり付けてやらないとな。…増槽投棄!飛ばすぞ、エリク!》

「了解!…逃がすか、コソ泥どもめ!」

 

 機体が電子音の声を発し、掴んだ敵の位置をディスプレイに映し出す。

 まだ肉眼では敵の姿が捉えられないものの、『グリペン』の眼はそれを確かに捉えていた。隊形は先頭に2機、残る8機は編隊左右に梯形で4機ずつ。機種はAV-8B『ハリアーⅡ』のサピン仕様機である『マタドール』と記されている。その背を射程に収めるまで、最大速度であと2分。敵の国境突破まで、ぎりぎりの所で間に合う計算になる。

 

 ハードポイント選択、両翼内側のステーション3。操作選択、投棄。

 操縦桿のボタンを押した数瞬後に、機械音とともに増槽2基が落下して空へと呑まれてゆく。重量と空気抵抗を減らした『グリペン』はその本来の能力を以て一気に加速し、まだ見ぬ敵の姿を指して空を駆けていった。

 

 ――いた。彼方の空、徐々に大きくなってゆく黒点。高度はこちらよりやや低く、概ね2300。距離は瞬く間に4000、3000、2500と数値を下げてゆく。

 今回はやむを得ないことながら、本来空対空装備で携行するはずの高機能中距離空対空ミサイル(XMAA)を装備していないことが悔やまれた。何せ元々がヘルメート基地へ帰るための飛行だったのである。今の装備といえば、機銃の他は翼端のミサイルランチャーに搭載した短距離空対空ミサイル(AAM)2発しかないのが現状だった。速度差があるとはいえ、AAMでは距離800程度まで近づかなければ命中は覚束ない。

 

 距離、2000、1800、1500。眼前の黒点にやがて翼が見て取れるようになり、尾翼、丸みのある胴体、キャノピーと、その姿を徐々に『ハリアー』のそれへと変えてゆく。

 距離の狭まりを確かめたのだろう、眼前の編隊から2機が反転し、こちらへと鼻先を向けた。別の2機も縦方向に旋回し、背面飛行に入りながらこちらを指しつつある。速度差から逃げきれないと判断し、残り6機を逃がすための捨て身の反撃とエリクには映った。

 上空の2機を押さえるべく、隊長の『グリペン』が機首を上へと上げる。ならば、俺の相手は正面の2機。敵の全滅を狙うなら、ここで手間取る訳にはいかない。そしていくら遷音速機相手とはいえ、卑怯なコソ泥に手加減する積りも無い。

 

 兵装選択、右翼AAM1基。同時に30㎜機銃の安全装置を解除。

 左右にわずかに開いて、正面に2機が迫る。

 針路はやや内向き、叉交。

 両翼から同時に挟み討つ体勢。

 奥歯を噛みしめる。

 自分の目が、機体の眼が、その機体の真ん中を捉える。

 距離、800。

 

「邪魔だ…!どけえぇぇぇ!!」

 

 ミサイルと機銃が飛び交い、コンマ数秒の間に弾丸の応酬が交わされる。

 ぴしりと機体に衝撃を響かせながら、エリクの『グリペンC』は正面からAAMを受けた『マタドール』の脇を抜け、すれ違いざまに残るもう1機へ機銃を浴びせた。

 

 擦過、轟音。後方からの爆炎の照り返し。

 正確に狙いをつけにくい高速戦闘の最中では、少ない命中弾で致命傷を与えられる30㎜弾に分がある。後方警戒ミラーの中には、残った方の『マタドール』が左翼を真っ二つに引き裂かれ、炎に巻かれて墜ちていく様が映っていた。上空を見上げれば、ロベルト隊長も2機を血祭りに上げている。

 

「あと6機!」

《もうゲベート国境まで時間がねえ!俺はこのまま鼻先を…ッ!?何だ!?》

「隊長?…なっ!?」

 

 電子音――ロックオン警報。

 同時に視界が急激に右へと傾き、胃袋を押し付けるGが一瞬にして強まる。上げ角を取るカナード、一瞬地を指す機首、みしみしと軋むキャノピー。一瞬の間に、『グリペン』が意志を持ったかのように旋回し、目まぐるしく景色を入れ替えていく。

 反射は、時として人間の意識すらも置いて行く。

 自身の機体がロックオンを外して安定を取り戻した時、エリクは初めて、それが咄嗟に取っていた自分自身の回避行動だと気付いた。

 

 だが、馬鹿な。最新鋭機ならいざ知らず、『ハリアー』系統の機体が真後ろの敵をロックオンできる筈はない。『グリペン』のレーダーにも、周囲に他のサピン軍機の反応は無かった筈である。サピンがステルス機を導入したという情報も無い。ならば、一体誰が。

 

 その答えは、直後にエリクの目にも捉えられることとなった。

回避行動で速度を落としたこちらを引き離すように、一目散に逃げ去る6機の『マタドール』。その先、ゲベート領空に浮かぶ無数の影となって。

 

「あれは…」

 

『タイフーン』や『グリペン』に似た、無尾翼デルタとカナード翼の構成。角ばった印象の『タイフーン』と違い、丸みを帯びたフォルム。そして何より特徴的な、機首に設けられた鈎状の空中給油口。レーダーに捉えられた表示からも、その機種は間違いない。

 

《ゲベートの『ラファールC』か…!》

「…くそ、邪魔する気か!?こちらレクタ空軍ハルヴ隊、ハルヴ2!ゲベート機へ、こちらは国籍不明機の追撃中だ、領空侵犯の意図はない!ロックオンを止めてくれ!」

《無駄だエリク、奴ら通信を切ってやがる。これ以上追撃して、ゲベートを刺激する訳にもいかんだろうしな。…残念だが、ここまでだ》

「………!」

 

 隊長の声に、無念の響きが滲む。

 先程の管制官の指示を想起するまでもなく、まだゲベートとは交戦状態にない以上、こちらからの手出しは厳禁である。加えて、仮に無理やり追撃を行った所で、眼前のゲベート軍機はレーダーで把握できる限り十数機。弾薬すら乏しいこちらに勝つ術は無いだろう。もはや、幕は下りたのだ。

 

《すみません隊長、エリク中尉、遅れました!》

《XMAAも積んできました!今ならまだ射程内です!》

「……二人とも、やめとけ。俺達だけでドンパチする訳にもいかないだろ」

 

 後方から音速で迫る、ヴィルさんとクリスの『グリペンC』。その姿と声に向けて、エリクは静かに呟いた。既に6機の『マタドール』は国境を通過し、その姿を徐々に雲の中へと消してゆく。

 追撃の意図を挫いたのを確かめたのだろう、展開していたゲベート機は国境の向う側を旋回し、逃げていく『マタドール』の背を追うように翼を翻した。おそらく、見せかけの追撃戦でも行う積りなのだろう。何につけて舐められたものだった。

 

 腕は、確かに上がった。戦争の初期、ラティオのSu-22にさえ手こずったことを思えば、一瞬の銃撃で『マタドール』を仕留められるほどに技術は上達したのを感じる。幾度となく死線を越えて、その度にパイロットとして強くなってきたのも実感している。

 だが。それでも。たとえ自分が仮に世に言われる『エース』だとしても、今回のような戦略という網の中では、きっと小さな――そう、小魚のような1パイロットに過ぎないのだろう。前線の戦闘でこうして半数近い敵を落としても、戦略としてレクタは敗北したのだ。主要な補給線を失い、防空能力の脆弱さを露呈したレクタは、これからの戦闘でも窮地に立たされることになる。

 

《…やれやれ。しんどくなるね、これから》

 

 上空を旋回し、ヘルメートを指しながら隊長が呟く。

 右翼に三日月を描いたロベルト隊長のさらに上、遥か高い青空では、相変わらず強風が荒巻き、雲が千切れて飛んでいた。

 




《……諸君、ご苦労だった。分析の結果、今回爆撃を行った『マタドール』は、サピン空母『プリンシペ・デ・アルルニア』の艦載機と判明した。どうやらファト連邦沖からファト、ゲベート領空を経由して接近したらしい。国境付近のゲベート軍は間もなく後退したことから、ゲベート軍、ならびにウスティオへ侵攻したサピン軍はいずれも陽動だったのだろう。
幹線道路160号線は完全に寸断され、復旧まで数か月はかかる見込みである。ウスティオの144号線も同様だ。我々は、スーデントールからの陸路補給ルートを失ったことになる。
…だが、このままみすみす敗れる訳にはいかん。現在ウスティオ軍およびグランダー社と協議し、『円卓』を経由する空路での補給を計画中である。諸君にも、いずれ護衛命令が下るだろう。その時まで、十分に英気を養ってもらいたい。
なお、今回追撃を妨害したゲベート軍機だが、状況が錯綜していたため、レクタとしては不問とするとのことだ。…以上だ》

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