Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第14話 深層海流

「クリス」

「お代わりですね。砂糖は?」

「1個で」

 

 窓から朝日が差し込み、ブラインドでも遮りきれない白い光が室内を照らしている。

 正面にホワイトボード、壁面には時計と放送機器、そして広くは無いその間取りの中に簡易デスク付きの椅子がいくつか。国こそ違えど、出撃前のパイロット待機室というのはどこの国でもそう変わりはない。

 ラティオ軍の高層化学レーザー兵器『テュールの剣』破壊のため、ウスティオ南部のモリスツェフ空軍基地へと赴いてからはや半月以上。当初は余所者の感が強かったこの基地での生活も、今となってはそんな感慨すら抱けるほどに馴染み始めていた。

 

 名前を呼んだだけで意を察したらしく、クリスは空になったエリクのマグカップを持ってコーヒーメーカーの方へと向かっていく。途中、ヴィルさんが『すみませんクリス伍長、私の分もお願いします』とマグカップを手渡しているのも、エリクは横目に見流した。『ヴィルさん、お砂糖は?』というクリスの問いかけに『そうですね、7つで』と応じたヴィルさんの言葉は聞き間違いだと思いたい。

 

 待機室には、他にもロベルト隊長やアルヴィン少佐、パウラなどレクタ空軍の主だった面々が揃っており、食い入るように壁面に備えられたテレビを見つめている。ウスティオのパイロットの数がレクタのそれより少ないのは、おそらく自室や施設内の談話室でテレビを眺めているのだろう。何も基地内のテレビはこの待機室だけにある訳では無い。

 

「お待たせしました、先輩。どうぞ」

「ああ、悪いな」

 

 コーヒーを淹れて来たクリスが、エリクのデスクへマグカップを置く。その顔がどこか強張っており常の明るさがないのは、今も放映されているテレビの内容によほどの衝撃を受けているためだろう。屋内に集っている他のパイロットの顔も同様で、一様に強張り活気のない様相を呈している。

 黒い水面から立ち上る、コーヒーの芳しい香り。それを一口啜りながら、エリクもまた、そのテレビ画面へと視線を戻していった。早朝から繰り返し放送されているその番組――ウスティオの臨時ニュースの中で、アナウンサーが絶えず緊迫した声で文字を読み上げている。

 心労は感覚を鈍らせる。コーヒーの苦みも微かな甘みも、エリクは束の間忘れていた。

 

《…繰り返しお伝えします。本日…11月2日午前6時、サピン王国はオーシア東方諸国における交戦行為に対し、武力介入する旨を正式に発表。ラティオ領内に駐留するウスティオ・レクタ連合軍に対し攻撃を開始することを宣言しました。サピンの報道によれば、既に大規模な戦闘機部隊が発進したとの情報がある他、空母『プリンシペ・デ・アルルニア』を旗艦とする機動部隊も出港したという報道もされています。7時現在ではラティオ領内の我が軍に被害の情報はありませんが、予断を許さない状況です》

 

 原稿を読み上げるアナウンサーの姿が一瞬ノイズに消え、続いてデルタ翼の戦闘機が滑走路から発進する映像に切り替わる。どうやらサピン側の録画映像を編集してそのまま使っているらしく、画面右下に表示されたサピン国旗が字幕で潰れているのが見て取れた。デルタ翼に機首のカナード、双発のエンジンから察するに、映像に映っているのはサピン空軍の『タイフーン』と見ていいだろう。そのほとんどは録画の資料映像のようだが、一部明らかに画質が違うものも混じっている。

 

《サピン側の宣戦布告とも取れるこの宣言は、先日の武力介入を仄めかす非公式発表に応じたものとされており、既に賛同を表明しているゲベートの動向も注目されます。また、サピンとラティオ間における同盟締結の状況は不明のままですが、これまで我が国を仲立ちにオーシアと密接な関係を築いてきたサピンが突如オーシア側を離れたことにより、国内外に動揺が広がっているようです。これを受け、大統領は6時20分に緊急戦略会議を招集し、現在対応を協議しているものと見られます》

 

 再び画面が切り替わり、広大な甲板を持つ艦船を写した記録映像が流される。右舷側後方寄りに艦橋を備え、艦首側が跳ね上がったスキージャンプ台のような全通甲板を持ったその姿は、一般的な軽空母の姿――おそらくは先ほどの内容にあった『プリンシペ・デ・アルルニア』と窺い知れた。オーシア東方諸国で空母を保有する国は限られており、その姿は偏にサピンの軍事力を物語るものと言えるだろう。

 

「…もう少しで戦争が終わる所だったのに、どうして…」

 

 クリスが組んだ拳を額に当て、うなだれながら絞り出す。――勝利は、戦争終結は目前だったのに。言葉にこそ出さないものの、それは今この場にいる皆に共通する思いだった。

 ラティオによる宣戦布告から、わずかに1か月余り。たったそれだけの間に、母国レクタが受けた被害は甚大なものだった。初期の防衛戦、その後に続くラティオ侵攻。その中であまりにも多くの命が失われ、資源もまた費やされ続け、レクタは確実に疲弊を重ねていた。5日前に行われた第二次ラグナロク作戦による『テュールの剣』破壊は窮乏したレクタにとっての希望と言ってよく、ウスティオとともにラティオ首都セントラムを陥落させることで戦争を早期に終わらせることも、けして不可能ではない状態にあったのだ。

 ところが、サピンの参戦はその予断を全て狂わせた。余力のあるサピンに対し、疲労困憊の連合軍は苦戦を強いられることは想像に難くない。一たび戦線を下げることになれば再びセントラムを狙うことは不可能に近く、幕引きの契機を失った戦争は泥沼の一途を辿ることになるだろう。

 もし、そうなったとしたら。終わりの見えない泥沼の戦争の中で、レクタは無事であることができるのだろうか。

 

「サピンにしてみりゃ勢力拡大の絶好の機会だからな。ラティオは降伏寸前、レクタもウスティオも弱ってる。おまけにオーシアもユークもこっちに手出しする余裕は無いに等しい。そのタイミングを躊躇なく狙ってきたんだ、(したた)かなもんだ」

「全くです。かつての大国の意地、未だ衰えず…といった所でしょうか」

 

 どっかりと深く椅子に腰かけたロベルト隊長が、テレビを仰ぎ見ながら分析を口にする。約1週間の遭難を余儀なくされながら、その体つきは以前とさほど変わらない小太りのままで、とても生死の境をさ迷ったようには見えない。多少の衰弱はあったらしいが、その生命力は流石だった。

 ともあれ、大尉の分析は状況を考えるに頷けるものがある。ここ数日の情勢を踏まえると、サピンの声明の背景には東方諸国の動向だけでなく、オーシアで起こった大きな出来事もまた影響していることは確実と見ていいためである。

 発端はつい昨日、すなわち11月1日。以前から噂されていたユークトバニア本土上陸作戦を、オーシアがついに開始したのである。発動当日のうちにオーシア軍はユーク沿岸部のトーチカ群を制圧して橋頭保の確保に成功し、目下オーシア本国から次々と侵攻部隊が発進しているのだという。

 重要なのは、オーシアがユーク攻略に全力を割き始めたことである。ユークトバニアはオーシアと肩を並べる大国であり、オーシアとしては当然戦力の多くを割かねば作戦の成功は覚束ない。当然の帰結としてオーシア本土は手薄になり、まして東方諸国へ手入れを行う余裕など皆無となった。この点は、ラティオやファトに援助を行っていたユークについても同様である。すなわち、一時的とはいえ、東方諸国は二大勢力が手薄な空白地帯とでもいうべき状態となった。オーシアの動向といい諸国の窮乏といい、オーシアとの関係をかなぐり捨ててでもサピンが動くべき条件は整ったという訳である。

 

「ま、後はそうだな。今ラティオが潰れると――戦争が終わると困る奴がサピンを唆したのかも…って所かね?」

「困る奴?」

「いろいろ可能性はあるぜ。ユークの勢力が無くなると困るユークシンパの政治屋、儲けのツテが減る軍需企業。隣のウスティオに警戒感を抱いてるゲベートの働きかけもあったかもしれん」

「あー…。ややこしい話ですね。俺にはそんな細かい所は面倒過ぎて分かりません」

 

 不意に口調を変え、ロベルト大尉が別の可能性を指摘する。

 戦争や各国の国力を考えた分析はエリクでもできるが、事が政治や国際情勢の裏話にまで入ると、エリクには理解がとんと追いつかない。元々政治分野には興味が薄いためでもあるのだろう、エリクのそちらに対する理解力や情報量は多いとは言えず、場合によっては時々クリスから教えてもらう程だった。無関心は、かように知識や理解を削ぐものである。

 その時、不意にパウラがロベルト大尉の方をちらりと見やるのが目に入った。これまで無関心を装っておきながら、しっかり話は聞いていたのだろうが、その視線はいつになく鋭い。一瞬ではあるが、それはまるで大尉を探るような――。

『ロベルト・ペーテルスには気を付けた方がいい』。エリクの脳裏に、不意にいつぞやのパウラの言葉が想起された。…馬鹿な。あれは何の証拠も無い、ただのパウラの世迷言だ。気にする必要なんて何一つない。

 

「あるいは…」

 

 別の可能性でも思いついたのか、大尉が尻に言葉を継ぐ。しかしそれは皆まで語らず、唐突に鳴り響いたブザーに掻き消された。

 

《待機中のパイロットへ、発進準備かかれ。繰り返す、各機発進準備。詳細は追って指示を与える》

「…!とうとうか…!」

「やれやれ、しんどいね全く。お呼びだ、行くか」

 

 通信の声が終わるや否や、パイロットたちが次々と腰を上げて各々の機体が収まる格納庫へと駆けてゆく。エリクもロベルト隊長やクリス、ヴィルさんと目を合わせて頷き、自らの機体へ向かうべく踵を返した。

 国際情勢、他国の動向。それらを語るテレビへはもはや誰も見向きもせず、ただ眼前に広がる戦いの空へと意識を向けていった。

 

******

 

《こちらスポーク1。モリスツェフ司令部、状況知らせ》

 

 東の空にある太陽の光を、三角の主翼が照り返す。

 時既に11月、晩秋の寒気は上空では一層強い。キャノピーの凍結を防ぐべく雲を避けながら、アルヴィン少佐の『グリペンD』を先頭にした6機は、一路南東へと翼を進めていた。同時に発進したウスティオ軍機とは基地上空で早々に分かれ、同方向へ向かう機影は他には見られない。目の前の空はあくまで静謐で遠く、戦争が繰り広げられる空とはまるで思えなかった。

 

《モリスツェフ空軍基地よりスポーク1、状況を伝達する。今朝のサピンの声明を受け、我が軍はベレッツィアより撤退し、ラティオ西郡に防衛線を構築する方針となった。しかし、既にサピン空軍がラティオ西郡の友軍へ攻撃を開始しており、ラティオ軍も撤退する友軍へ追撃を仕掛ける可能性が高い。そこでラティオ中郡駐留部隊から、将官および作戦参謀を先行して空路で脱出させることとなった。諸君は現行針路を維持し、友軍輸送機の護衛に就け》

「やれやれ、お偉いさんだけ一足先にトンズラか」

《スポーク1『カルクーン』よりモリスツェフ基地へ。了解だが、サピン軍機の動向は?》

《サピン軍機に対しては、現在ウスティオ空軍が対応を行っている。諸君は側面を気にすることなく任務を全うせよ》

《…そう願いたいな…》

 

 フィンセント曹長と基地の通信に耳を傾けながら、操縦桿のボタンを操作し、レーダーレンジを広域へと変更する。空中管制機がいない今は全方位のカバーこそできないが、『グリペン』のレーダーならば輸送機が来るであろう方向さえ向いていれば、相当に早い段階からその位置を把握できる。ラティオ軍も『テュールの剣』攻防戦で疲弊している筈だが、送り狼が来ないとも限らない以上、早期にその位置を特定できるに越したことはない。

 

 巡航を続けて数十分。速度を速めながら進む6機のレーダーレンジに、不意に機影が二つ映り込んだ。反応は大型、識別は友軍。ベレッツィア方面からゆっくりと直進している辺りからも、護衛目標の輸送機と見ていいだろう。空軍機が常駐している訳ではないため、周囲に護衛機の反応は見られない。相対の状態では接近する速度も相応に早く、その姿が空の彼方に見え始めるのに、そう時間はかからなかった。

 

《友軍輸送機へ、聞こえるか。こちらレクタ空軍第5航空師団、スポーク隊ならびにハルヴ隊。これより掩護に就く》

《こちらウスティオ空軍、『グレイダック』および『フライトダック』。噂は聞いているよ。レクタのエースパイロット部隊が護衛なんて、心強い限りだな。今日はよろしく頼む》

《了解した。…万一に備え、敵の追撃機を早期に捕捉する必要がある。ハルヴ2、20分現空域に待機せよ。敵機を捕捉した場合は状況に応じ、追って指示する。スポーク2、護衛に就け》

「俺、ですか?…了解、現空域に留まります」

《なっ、何でパウ…スポーク2が先輩の護衛なんですか!?同じ隊ですし、私が…》

《ハルヴ4、私語で減点30。私情進言でさらに50。スポーク2、護衛に就きます》

《う…》

 

 きょとんと一瞬、指名で命令を受け、エリクはアルヴィン少佐へ応答の旨を返した。なぜ別部隊同士で、という思いも無いではなかったが、実際の所は同時に任務に就くことが多く、配備機も同じ『グリペン』になった辺りから、スポーク・ハルヴという小隊の垣根はほとんどあって無いようなものとなっている。違和感が無い訳では無いが、見ようによっては柔軟な対応が可能になったと前向きに捉えてもいいのだろう。

 

 将官を乗せたらしいC-130と入れ違い、ロベルト隊長たちが翼を翻す中で、エリクとパウラの2機だけがぽつんと空域に舞う。輸送機は後方に遠く見えなくなり、眼下に友軍機甲部隊はまだ至っておらず、まさに辺りには誰一人いない。会話をしようにも先のクリス同様にべもない返事が返って来るに違いなく、レーダーと前方を交互に見やるだけの何とも気まずい時間だけが流れ続けた。

 そんな予断があったためだろう。沈黙を破った声が、突っぱねると思っていた相手のものだったことに、エリクは些か驚く破目になった。

 

《ハルヴ2》

「っ!?…な、何だよ急に。雑談は減点じゃなかったのか?」

《聞いて》

「…はいはい」

 

 毎度のことながら、強引な所のあるパウラに今更文句を言った所で始まらない。レーダーレンジ内に敵影が無いことを見定めて、エリクは僅かに機体を減速させてパウラの横に並んだ。パウラはバイザーを上げ、こちらのまっすぐ見つめている。

 パウラと二人きりの話題といえば、脳裏に過るのはロベルト大尉に関する話題――有体にいえば、大尉がどこぞのスパイではないかという疑惑である。何ら証拠のない話であり、当然ながらパウラからそんな話があったことを大尉には一切告げていない。エリク本人も信じてはいなかったが、つい先程の待機時にも想起した話題であり、そのタイムリーさに動揺しなかったかといえば嘘にはなる。

 

《ロベルト大尉救出の件、不審に思わなかった?》

「別に。『証拠品』も持ってたんだ、多少衰弱もしてたんだし、嘘だとは思ってないさ」

 

 パウラが不審を露わにしたのは、ロベルト大尉救出の一件だった。確かに通常で考えれば、積載した食糧のみで、しかも敵地のど真ん中で約1週間も生き延びることは常識に外れている。それにも関わらず、たいした怪我も障害も無く生還したロベルト大尉にエリクも当初は不思議に思ったものだが、その説明を聞いて納得していた所だった。

 生還後に大尉が語った所によると、最初の2日は機体に積んでいた非常食で賄い、残りは付近で小屋を営んでいた猟師の家に上がり込んで世話になっていたのだという。人里離れたラティオの山奥に住み、他国との戦争など生活の外だった猟師にとっては外国のパイロットも単なる珍しい客に過ぎず、豪快で拘泥しない性格の大尉はその猟師と意気投合した。狩りや罠作りを手伝う悠々自適の生活を送るうち、数日経った頃に『テュールの剣』の方から交戦の音を聞き、戦場へと向かううちにレクタ軍の機甲部隊に発見された…というのが、大尉の口による5日間の次第である。それを証明するかのように、発見時の大尉は猟師から土産にと持たされたという鹿の干し肉をどっさりと携えていた。後に酒のつまみにと貰ったが、若干臭みこそあったものの、案外悪くない味であった。

 

《能天気。鹿肉、それも保存用の乾燥品なら調達はそんなに難しくない。衰弱にしたって、健康でも一日飲まず食わずにしてたら多少は衰弱する。第一、敵軍機の墜落を見ていたラティオ軍が捜索をしなかった筈はない。5日間も逃げ延びれたことも怪しい》

「またかよ…。全部お前の推測だろ。俺は信じてない」

《その通り、全部推測でしかない。でも、それだけで疑惑を否定はできない》

 

 半ば聞き流す積りで、エリクは適当に応答を返す。それを気に掛けることもなく、相変わらずロベルト大尉に対する疑惑を口にし続ける様に、エリクは流石にむっとした思いを抱いていた。

 ロベルト大尉は直接の上官でもあり、これまで幾度も教えを受けた恩師である。あまつさえ、先日の『パンディエーラ・トリコローリ(三色旗)』との対峙の際には、大尉からのアドバイスに着想を受けて撃退に成功したのだ。エリクはロベルト大尉に尊敬の思いを抱いていると言っても言い過ぎではない。それを、憶測ばかりで怪しいと言われれば、エリクならずとも怒るのは無理ないことであろう。

 

「いい加減にしてくれ。悪魔の証明で大尉を悪者にされちゃ堪ったもんじゃない。第一、どこのスパイだって言うんだよ。ラティオか?サピンか?」

《……》

「…無いならもういい。この話はここまでだ」

 

 キャノピー越しの『グリペンC』の中で、パウラが目を伏せるのが見える。その様は答えに窮しているようにも、何かを逡巡しているようにも見えた。

 溜息、一つ。最後に言葉を残し、視線を前に戻そうとしたその瞬間。不意に上がったパウラの目線に、エリクは思わず胸をどきりと跳ね上げた。一つにはその瞳に、先の迷った様子でなく、何かを決意したような色が見えた為であった。

 

《さっき、大尉が言ってたのを覚えてる?サピンに参戦を(そそのか)した存在の可能性について》

「…?ああ。ユーク派の政治家、どこぞの企業、あとは…何だったか。途中まで言いかけてたよな」

《そう。ユークトバニアの勢力漸減を防ぎたい親ユーク派、利潤を上げる為戦争継続を望む軍需企業、隆盛するウスティオに嫉妬し、レクタとも仲の悪いゲベート。いずれもありうると思う。…だけど、あと一つ可能性がある。ウスティオとレクタに…いえ、周辺国全てに復讐したいと思う者が》

「……復讐?」

《ベルカ公国》

 

 予想だにしなかった単語がパウラの口から告げられ、エリクの思考が混乱する。サピン、ベルカ、復讐。今まで思考の外にあったそれらが、点となって頭の周りをぐるぐると回り、なかなか理解が追いつかない。ようやくのことで呑み込んで、それらがやがて頭の中で線を結ぶのに、しばしの時間を要した。

 

 ベルカ公国――現ベルカ共和国。それは、かつてオーシアと並ぶ大国の一つであった国の、成れの果てである。

 遡る事15年。経済的に困窮し、国土の一部の割譲や独立承認で延命を図ってきたベルカ公国が、自存のために周辺諸国へ戦争を仕掛けたのがその凋落の発端であった。

 優れた技術力を持ち、長い歴史に裏打ちされた伝統と練度を誇るベルカ軍は、その当初こそ諸国を席巻したものの、オーシアの本格参戦に伴い徐々に戦線を縮小。オーシア・ウスティオ・サピンの連合軍に加え、戦争終盤ではレクタを始めとした周辺国からの侵攻も受け、ベルカは無惨な敗戦を喫したのだった。国体は瓦解して共和制となり、資源を失い、領土を半分にされ、軍事力さえ制限された今のベルカにかつての威勢は無く、せいぜい二流国程度の国力に成り下がっているというのがその現状である。その歴史背景を踏まえれば、ベルカが周辺国に恨みを研いでいるというのは、あながち無い話ではない。

 

 そういえば、ロベルト大尉はレクタの生まれだが、育ちはベルカだと言っていた。それが本当だとしたら、少なくとも育ちの上では、ベルカとは縁があったことになる。

 どくん。

 心臓が一際大きく打つ。

 まさか。

 だが、そうだとしたらこれまでパウラが言っていた疑惑は確かに辻褄が合う。もし大尉が当時パイロットとしてベルカにいたのだとしたら、『円卓』を飛ぶ機会はいくらでもあった筈である。それこそ『円卓の鬼神』と同じ空で飛んだ可能性だって、少なくともレクタにいた場合の仮定よりはずっと高い。

 

 動揺が、疑惑が、エリクの意志を鈍らせる。

 『…バカバカしい。週刊誌のゴシップ記事か何かかよ』。辛うじて絞り出したその言葉すら、エリク自身にはどこか空虚に感じられた。

 

《もちろん証拠は無い。だけど、大尉が時々ベルカ…いえ、ノースオーシアのスーデントールへ電話をしているのは確認している。その時、『大尉』『隊長』と発言していることも》

「何…!?」

《事実、大尉がベルカの…ベルカ残党の意を受けていると仮定すれば、全部が繋がる。もし大尉がサピンや周辺国内の同志に情報を漏らしているなら、これからの戦いは一層辛くなる。獅子身中の虫を飼って勝てるほど、戦争は甘くない》

「……………黙れ」

《ハルヴ2、知っていることがあれば教えて欲しい。大尉の素性、日常、交友関係。レクタは、この戦争に負ける訳には――》

「黙れ!!」

《ッ………》

 

 今まで築いてきた思い出、信頼、尊敬。それらが土台から崩れ去りそうな錯覚に囚われ、エリクは思わず叫んでいだ。

 違う。大尉がスパイなんかである筈はない。大尉がスパイなのだとしたら、何度も自分を助けてくれる筈もないではないか。でも、それならパウラの言う電話の件は何なのか。昔からレクタ軍に籍を置いていたならば、生じるはずのないその発言は。

 まるで踏ん張った傍から、地面が崩れていくような感覚。渦巻く胸、早まる呼吸を懸命に堪え、エリクは汗に濡れた顔をパウラの方へと向けた。

 

「…大尉は俺の恩人なんだ。何度も、大尉に助けて貰った。……それ以上憶測で大尉を貶めるなら、いくらお前だって許さない」

《………分かった。黙る》

 

 言うべきことは言ったのだろう。それ以上はパウラも語らず、機体の足をやや速めてこちらの斜め前に占位した。

 

 不意に、耳元で電子音が響く。音に引かれて目線を下げると、正面に投影された広域レーダーの南東端に4つの反応が示されていた。識別はいずれもラティオのF-104S『スターファイター』。おそらくこちらの高官の脱出を追撃するための送り狼だろう。追撃のために速度性能に優れた機体を差し向けたようだが、いかんせん輸送機とは距離がありすぎる。今から逃げの一手を打てば、振り切るのは十分に可能な距離だった。

 

《スポーク2よりスポーク1、方位150より機影4》

《こちらスポーク1『カルクーン』。了解した。こちらはもう十分に離れた、今から追ってきた所で輸送機には追い付けないだろう。2機とも交戦は不許可、すぐに反転し合流せよ》

「…こちらハルヴ2、了解」

《どうした、元気ないなエリク!帰ったら鹿ジャーキー食うか?まだしこたまあるからな、消費してスタミナ付けてくれよ》

 

 ロベルト大尉の明るい声を聴きながら、エリクは操縦桿を倒して『グリペン』を旋回させる。新品のエンジンは軽やかな音を立て、回転数の高まりとともに風を孕む機体は、上々の仕上がりを示していた。

 少し前までならば――いや、ほんの数十分前ならば、何の葛藤も(わだかま)りもなく聞いていた大尉の声。荒波のように波立つ今の心を考えると、切ないような、苦しいような名状しがたい感情が胸にこみ上げて来た。

 

 太陽の光は、変わらず三角の主翼を照り返している。

 増槽の一つが空になり、電子音が短く鳴った。それはまるで『おなか空いた』と、グリペンが呑気に文句を言ったかのようだった。

 

******

 

 深海の底のような、夜の帳。赤色灯が薄暗く陰影を照らしあげ、月の光すら届かない施設の奥に、こつり、こつりと足音が響いている。よく目を瞠れば、その方向にはゆっくりと人影が動いているのが見えるだろう。その闇に紛れて蠢く小太りの影は、遠目には深層海流に漂う深海魚のようでもあった。

 所は、モリスツェフ空軍基地内、公衆電話が置かれた一角。仕切りがある他は防音壁もない至って簡便な作りだが、携帯電話やメール全盛のこの時代ではそもそも使う人間も稀なのだろう、人が使用したらしい形跡は殆ど見当たらない。それゆえに人もこの周辺には寄り付かず、時間帯も相まって周辺は閑散としていた。

 

 人影は小銭を手に、そのうちの一つに手をかけた。受話器を取ってダイヤルを回し、通じたらしい相手に気さくな様子で男は話しかけている。

 その影が笑った拍子に、赤色灯の照り返しが一瞬影の姿を浮かび上がらせる。小太りな体型、切れ長の目、刈り上げの金髪――それはまさにハルヴ隊隊長、ロベルト・ペーテルスのものではないか。

 

「やー、昔大尉に学んだ事が生きましたよ。まさか『エクスキャリバー』もどきと本当に対峙することになるなんてねぇ。…え、新聞で読みました?やだなーもう、お祝いなら今度の『新作』タダで下さいよ…なんつって、なははは。…ええ、……えーえー、おかげさまで。そうそう、今は何と俺『グリペン』乗りなんですよ、びっくりでしょー。まさか15年越しに『インディゴ』隊の真似事とはねー…」

 

 指に電話線を絡ませながら、ロベルトは相手と談笑を続ける。その所々にレクタでは馴染みの少ない響きの単語が混ざるのも、聞く者によっては奇異に映るかもしれない。

昔の思い出話か、冗談に一際大きな笑い声をあげた後、一転してロベルトは声を潜め、受話器に手を寄せた。

 

「やーもう隊長には敵いませんわ…。あ、それと最後に。なんだか最近、ちょいと身辺を嗅ぎ回られて気配がするんですわ。…ええ、…いやいや、だからってすぐどうこうなる訳じゃないとは思いますけどね。なんだかんだでここでの生活は俺も気に入ってるんで、腰を落ち着けていたいんですよ。……へへっ、そういう訳で。そうそう、体同様性格も丸く…ってコラ。なはははは。――ええ、そんな訳で電話はこれっきりってことで、今後は手紙ででも連絡取り合いましょう。…ええ、ええ、すんません。それじゃまた」

 

 声を潜め、鋭くなった目。まるで猛禽を思わせるその表情を最後に、ロベルトは受話器を置いた。直後に廊下から響く足音の方を振り返った時には、既に表情は閉じたような目の、いつもの温和なものとなっている。

 

「…あれ、ロベルト隊長?お友達に電話ですか?」

「おーヴィルさん。どしたんこんな所まで」

「いえ、ここの自販機でないと置いてないものがありまして。…ああ、あったあった、ありました。寝る前にはやはりこの一本ですよ」

「…………くれぐれも糖尿には気を付けてな」

 

 ごろん、と自販機から出て来た、ミルクと砂糖マシマシのコーヒーを目にして、ロベルトが呆れ半分にヴィルベルトへと応じる。遠のく足音にヴィルベルトの低い声、交わされる二人分の談笑。ハルヴ隊を担う大の大人二人は、そのまま夜の闇の中へと消えて行った。

 

 全ての後、柱の影から現れた小柄な影に、ついぞ気づくことはないまま。

 


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