Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第12話 獅子たちの休日

 (ひさし)越しに見上げた空に、羊雲が物憂げに漂っている。

 

 航空基地らしいけたたましいエンジン音が遠く感じるのは、出撃の中心が距離を隔てた隣の滑走路となっているためだろう。日陰の下で目を細めれば、滑走路にはウスティオ軍のF-16『ファイティング・ファルコン』が並び、出撃の時を待っているのが遠望できる。爆弾を満載した戦闘機、それらを導く誘導灯、見送りに出る整備員達の姿。全ては数百mの先である。

 

 機体のある連中は、羨ましいことだ。

 緊急出撃用に設けられた、モリスツェフ空軍基地の端に当たる第3滑走路。その脇に駐機された『ミラージュⅢ』の翼の下で、エリクはごろんと体を投げ出し、頭を固いタイヤに預けながら呟いた。

 時に、2010年10月25日。秋深く、涼風抜ける陸の上は、空気が籠もる施設内よりもいっそ気持ちいい。

 

「あ、いたいた!先輩、こんな所でサボって!」

「サボってない。事務も終わって、やることも無いだけだ」

 

 機体の下で寝転ぶエリクを目ざとく見つけたらしく、クリスが走りざま、翼の下に身をかがめる。当のクリス本人も、フライトジャケットの前を大きく開いて最低限の待機装備しか整えていない辺り、邀撃待機という埒の明かない任務に暇を持て余しているのが窺い知れた。手には何やら紙片を携え、一体何を気にしているものやら、ちらりと周囲に目を配っている。

 

「隊長がいれば、せめてもう少し身動きが取れたかもしれないけどな」

「…そうですね。味方は出撃の真っただ中、国際情勢は緊迫の真っただ中…そんな時に、私たちは飛ぶこともできないなんて。…隊長、無事だといいんですけれど」

「ロベルト大尉のことだ、どうせけろっとした顔でふらっと帰って来るさ。お土産でも抱えてな」

「……そうです、よね。きっと……」

 

 傍らにクリスが腰を下ろし、その拍子にふわりと揺れた栗色の髪から甘い芳香が漂う。女を意識させるその香りに我ながら整理しがたい感覚を抱きつつも、話は今の彼らの身の上へと移っていた。エリクの冗談に応じるクリスの笑顔も、状況が状況のためか些か硬い。

 事実、彼らを取り巻く環境には、いくつかの大きな変化が生じていた。一つには部隊について、そして一つには国際情勢に関してである。

 

 それらを語る前に、まずは先の大規模作戦である『ラグナロク』作戦――ラティオ軍多塔式高層化学レーザー兵器『テュールの剣』破壊作戦の顛末について説明せねばなるまい。

 結論から言うと、『ラグナロク』作戦は完遂されず、その目標達成率は7割に留まった。

 本来の作戦目標としては、絡め手の侵攻ルートから潜入したウスティオ空軍エース部隊の『ガルム隊』が『テュールの剣』へ先制攻撃を仕掛けてその戦力を減らし、その隙を突いて空軍主力が侵攻しジェネレーターと制御設備を破壊。その後に陸軍機甲部隊が進軍し、『テュールの剣』を占拠するというものだった。これが成功すればラティオ中郡の守りは最早無いも同然であり、眼前にラティオ共和国首都セントラムを望む状況になっていた筈である。

 

 ところが、事前情報よりラティオ軍の防衛体制が強化されていたこと、ならびに『テュールの剣』を護る曲技飛行隊『バンディエーラ・トリコローリ』を始めとした防衛部隊の奮戦により、友軍への被害も予想を上回るものとなった。結果、『テュールの剣』のレーザー砲塔5本のうち4本を破壊したものの、ジェネレーター本体と1塔は残存することとなったのである。周辺の敵陣地もいくつかは戦力を維持し、実質的に陸軍による早期占領は不可能となった。

 この状況を受け、連合軍はラグナロク作戦の継続を決定。攻撃から4日を経た今となっても空陸の戦力を展開し続け、本土中郡を死守せんとするラティオ軍と血みどろの戦いを繰り広げていた。消耗した戦力を補うため、両国が総力を振り絞って人員や資材を捻出し続けていることは言うまでもない。依然戦況は埒が明かず、さながら血と資源を無限に飲み込む底なし沼のような状況を呈していた。

 

 さて、当のハルヴ隊である。

 先の作戦において、エリクらハルヴ隊は部隊全滅の憂き目にこそ遭ったものの、その身を賭して『ガルム隊』の侵入ルートを切り拓き勝利に貢献した。その塗装パターンからラティオ軍からは『斧持ち(メッザ・ルーナ)』の異名を頂戴し、友軍からは勇気ある先兵と讃えられ、帰隊した時はさながら英雄のような扱いを受けたものである。

 そんな彼らに現在与えられた任務――それは、敵軍による基地への攻撃に対応する『邀撃待機』であった。つまり、敵が来たら迎え撃って撃退する、と言う程度のものである。こちらが攻勢をかけている今は機材に余裕がなく、予備機の『ミラージュⅢ』を充てている辺りからも、連合軍がその任務にさして重きを置いていない様子が垣間見える。

 最前線部隊たる彼らが、今敢えてこの後方任務に充てられている理由は大きく分けて二つ。一つには機体配備の遅延、そしてもう一つは指揮官の不在である。

 前者については言を()たない。先の作戦で小隊の『クフィルC7』は全て失われ、元のヘルメート空軍基地でも「クフィル」は払底していたことから、一時的に彼らの搭乗すべき機体が無い状態となったためである。これに関しては、一応レクタ本国から補充機材を輸送する旨の通達があったため、さほど心配することではない。

 

 問題は後者である。

 先に述べた通り、先日の作戦でエリク達に与えられたのは『ガルム隊』の侵入ルートを確保する対空・対地任務だった訳だが、ロベルト隊長だけは『テュールの剣』に付随する野戦航空基地への爆撃任務も与えられていた。エリクの撃墜後に空域に到達し爆撃に向かったロベルト隊長は、そのまま消息を絶ったのである。

 この野戦航空基地は空域の制空権を担う重要な拠点であり、『テュールの剣』の後方――すなわち首都セントラム方面に近い東側に建設されたものだった。そこへの爆撃を行った以上、たとえ脱出できていたとしても、そこは敵軍のど真ん中。友軍陣地への脱出が、果たしてできていたかどうか。あまつさえ、周辺では今も敵味方の陸軍が戦闘中なのである。

 以来4日間、隊長の行方は(よう)として知れない。勢い、エリクら部隊員の焦りと不安は募らざるを得なかった。あの人に限って死ぬなんてことはない。きっと、いつかひょっこり帰って来る。――でも、まさか、万一。口にこそしないが、不意に頭をもたげるそんな不安を、エリクは冗談で紛らわすことしかできなかった。

 ともあれ、上層部としては指揮官不在の小隊を作戦に向かわせるのは不安と判断したのだろう。ハルヴ隊が主力を外された理由は、以上2点に尽きる。

 

 一方で、『ラグナロク』作戦以降の国際情勢は、緊迫の一途を辿っていた。

 その中で最たるものは、第一等の大国、オーシア連邦の方針転換である。

 ユークトバニアとの戦端が開かれてから約1か月、オーシアは劣勢に立たされ続けて来た。一時は自国領の打ち上げ基地や内海にまで攻撃を受け、国力の衰退すら囁かれた程である。それでも、10月上旬に行われたユークトバニア軍による上陸作戦では、オーシア西端サンド島の防衛に成功し、ユークトバニアの戦力の一翼を担っていた潜水空母『シンファクシ』をも撃沈せしめたことから、以降両国の間での交戦は膠着化しつつあった。殊に、オーシアのハーリング大統領は融和派として知られており、戦況が膠着した機を逃さず、中立国ノースポイントを仲介してユークトバニアに和平を呼びかけていたという。

 ところが、この10月下旬に入り、そのオーシアが急遽方針を転換した。埒の明かない和平交渉に業を煮やしたのか、突如ユークトバニア本土侵攻作戦の発動を発表したのである。これまでの融和政策をかなぐり捨てたようなその豹変は、周辺諸国を驚かせた。何と言っても、このオーシア東方諸国で繰り広げられている戦争は、一枚めくればオーシアとユークトバニアの代理戦争という側面を持っているのである。オーシアとユークトバニアの戦力の変化は、そのままこちらの戦況にも繋がりかねない。

 

 この状況の変化に早速反応したのが、東方諸国最大の戦力を有するサピン王国だった。先のオーシアの発表の翌日――すなわち今日になって、『地域の平和と安定のためにウスティオ・レクタとラティオの停戦を呼び掛ける。異議ある場合は武力介入も辞さず』との声明を発表したのである。オーシアがユークトバニア本土侵攻作戦に乗り出すということは、当然東方諸国へ手をかける余力も減る。そのタイミングを狙い、オーシアともユークトバニアとも異なる、第3勢力として影響力を拡大するための声明であることは誰の目にも明らかだった。

 ここまで犠牲を出しながら勝利を重ねている連合軍にとって、今更振り出しに戻れという声明が呑める訳はない。サピンの声明に反発するように『テュールの剣』への出撃を続けているのも、連合国とすれば当然の対応だった。一つには、オーシアの勢力を背にしている連合軍には、サピンといえども迂闊に手は出せまいという首脳部の観測もあるのだろう。

 

 厄介なのは、このサピンの声明に、レクタの隣国であるゲベートが協調路線を示していることである。

 地図を俯瞰すると、その厄介さが見て取れる。各国の地理的な繋がりを整理すると、ベルカ共和国から見て東にファト連邦が接し、そこからゲベート、レクタ、ウスティオと南にかけて数珠繋ぎに連なっていく。ラティオはレクタの南とウスティオの東に接し、その南西にサピンが連なるという形である。もしサピンが宣言通りに武力介入を開始し、ゲベートがそれに同調した場合、レクタは北のゲベートと南のラティオから挟撃を受けることになる。ウスティオも南のサピンと東のラティオから同時に圧力を受けるため、形勢は2国にとって一気に不利となるのだ。親ユークトバニア路線を取るファト連邦の向背も懸念の一つであり、緊張の度合いは一挙に高まったと言っていい。

 加えて、レクタはゲベートから分離独立した国であるという背景上、レクタとゲベートの仲はお世辞にも良いとは言えない。仮にサピンが武力行使に慎重な姿勢を見せても、同調したゲベートが意図的に戦端を開けば、それに引きずられる可能性も無いとは言えないだろう。そこに付けここに付け、クリスらの心が落ち着かないのも当然と言えば当然だった。

 

「どこと戦うにしたって、決めるのはお偉いさんだ。俺たちがじたばたしたって仕方がない」

「それはそうですけど…。今朝の新聞で読んだら世論も真っ二つみたいですし、どうなっちゃうんでしょうね…」

 

 相変わらず寝そべったまま『さあな』と返したエリクに、クリスは不安げに目を俯ける。下から見上げる形になっているためか、線の細いクリスの輪郭も、伏せられた睫毛も、エリクからは明瞭に見て取れた。存外に、睫毛は長かったんだな。そんな、場に不相応なほど今更な感慨を抱きながら。

 

 クリスの言う通り、レクタは国の方針としてサピンに反発を示しているものの、報道や市民の反応は硬軟様々である。

 開戦からわずか1か月ではあるが、初期に猛攻を受け、以降もウスティオとともに攻撃を重ねていることから、レクタの国力の消耗は凄まじい勢いで進んでいる。このままラティオへの首都制圧まで進むことになれば、それは一層進むであろうことは想像に難くない。幸い要衝『テュールの剣』はそのほとんどを破壊し、曲がりなりにもラティオ中郡まで制圧し終えた今、停戦を促すサピンの声明は渡りに船である。形勢が有利な今停戦条約を結べば、有利な条件を含めることができるだろう。

 報道で見た限り、以上が和平派の論調と言えるだろう。その要旨は、確かに頷けるものがある。

 

 一方で、継戦派の論調は感情的であるが、それゆえに人の心に迫るものがある。曰く、この戦争で先制攻撃と侵略を受け、軍民の死者や被害は計り知れない。卑怯な先制攻撃と市民に対する被害の報復を徹底し、正義を示すべきである。さらに、今サピンの仲介で停戦条約を締結すれば、サピンは武力を背景に占領地の放棄や条件の緩和を強いて来るだろう。和平派の言う有利な条件が得られるとは到底思えない。第一、ウスティオとサピンはベルカ戦争以来の同盟国であり、その背にはオーシアもいる。たとえ声明に反発しようと、サピンがウスティオやレクタへ武力介入することはありえない。――内容は報道機関によって多少の違いこそあれ、共通する内容は概ね以上の通りだった。クリスは世論が真っ二つと言っていたが、今朝の新聞やニュースを見た限り、エリクは和平4に対し継戦6という所と感じた。戦場から離れた内地では、往々にして主戦論が高まるものである。

 

「………あの。ところで、先輩」

「ん?」

 

 ふと拍子を改めたクリスの声に、その顔へと頭を向ける。まっすぐ交わった視線にクリスは狼狽えたようにきょろきょろと目を泳がせるも一瞬、意を決したように2枚の紙片をエリクへと向けた。先ほど背に隠していたのはこれらしい。書類には『休暇申請書』と書かれており、エリクとクリス、それぞれの名前が記されている。違う所といえば、クリスの項には既に判が押され、エリクの部分はまだ空欄である所だろうか。

 

「あの、えっと、もし良かったら…いえっ、あの本当に良かったらでいいので!…一緒に、近くまで出かけませんか…?」

「休暇、申請…って、お前いつの間に。しかも俺の分まで」

「あ、一応管理部に申請したら、今は主要任務からも外れてるから、ってOK貰いましたし、ヴィルさんも了承して頂きました!…いえ、でも、先輩の都合が悪かったら、その、大丈夫で…」

 

 思わず上半身をもたげたエリクに、クリスはまるで弁解のような言葉を紡ぎ始める。最初こそ声を張っていたものの、その声は徐々に小さく途切れ途切れになり、最後にはまるで蚊の羽音のようになっていった。視線も、所在無げに再び伏せられている。

 驚き顔も一瞬、にっ、と笑みを刷いたエリクは脚を踏ん張り、ゆっくりと体を立ち上げた。驚いてこちらを見上げるクリスをよそに、エリクは砂粒のついた尻を掌で叩き払っている。

 

「行くか!どうせ暇なんだし、たまには羽根伸ばしに行ったっていいだろうしな」

「…!はい!じゃあ早速準備し…あ痛!」

 

 クリスの独断には驚いたものの、つまりはこれも後輩の優しい気づかい。書類も公式なものだし、ヴィルさんの了承も取り付けてある。こうなれば、断る方が却ってバチが当たるだろう。何より、そんなクリスの気づかいを無下にすることはエリクとしてもしたくはなかった。

 嬉しそうな笑顔を浮かべ、思い切り立ち上がった拍子に、クリスが『ミラージュⅢ』の主翼へしたたかに頭をぶつける。ごっ、という鈍い音、衝撃に思わず声を上げるクリス。 一瞬間が空いたのちに、若者二人分の笑い声が重なった。

 

******

 

 青年は、困惑していた。

 

 所は変わり、ウスティオ首都ディレクタスから南東50㎞ほどに位置するオルヴァ市。エリクとクリスは、モリスツェフ空軍基地から車を借用し、基地から最も近い都市であるそこへと目的地を定めた。特に観光や買い物といった目的は定めず、街並みをぶらぶら見歩き気に入ったものがあれば買う、その程度の計画である。

 ハンドルを握るエリクの隣で、クリスは打って変わって黙りこくっている。その相貌には不満の色がありありと浮かんでおり、出発前の楽し気な雰囲気は既に薄れつつあるようだった。

 その原因は、自ずと明らかである。

 

「人気の多い所は、警戒しても目が行き届かない。歩き回るにも場所は選ぶべき」

「はいよ…。仰せのままに、『スポーク2』」

 

 後席にちょこんと座る『原因』が、無感情に声を刺す。よほどに体幹を鍛えているのだろう、シートベルトをしていないにも関わらず、カーブの際にもその体はまったくぶれていない。

 『スポーク隊』2番機、パウラ・ヘンドリクス。彼女が二人に同行する破目になったのは、出発の最中にひと悶着あっての事である。

 

 出発に際し、エリクらは念のため、レクタ側の前線指揮官であるアルヴィン少佐の元に赴きその旨を伝えた。その際に、万一の安全の事を考えてパウラに同行が命じられたのである。先の出撃でエリクらは『斧持ち』の異名を受け、レクタ軍内のエース部隊と――実態はともかく――認識されることとなった。ラティオ側としては敵たるレクタの戦力を減らすのは至上命題であり、頽勢である今となっては考えられる手は全て取って来るだろう。それを踏まえれば、ウスティオ首都に近いとはいえ、暗殺という万一の可能性も無い訳では無い。その危険を踏まえて、護衛にパウラを選んだという訳であった。

 年齢こそ近いとはいえ、性格も感覚も異なるパウラである。エリクもクリスも、その同行は渋った。それならまだノリが近いフィンセント曹長の方がいくらかマシである。

 だが、結局はそんな必死の抗弁も、アルヴィン少佐の『後席がいなければ私も飛べないだろう』の一言で打ち消されてしまった。アルヴィン少佐のF-5F改修型『タイガーⅢ』は複座である以上、確かに道理である。

 その結果が、今の状況と言う訳である。後席でパウラが目を光らせていれば、クリスと打ち解けた話をする訳にもいかない。クリスがへそを曲げるのも致し方ないことであった。

 

 …嗚呼。

 声にならないそんな溜息を口の中で呑み込みながら、エリクは適当な駐車場を見繕い車を止めた。商店街にほど近く、付近には飲食店やカフェもあり、歩き回る分には困らない位置である。

 

「さて、適当にぶらつくか。…静かで、いい街だな」

「本当ですね。ウスティオの都市って初めてですけど、本当に落ち着いてて、歴史もあって…。いつか、ゆっくり観光もしたいなぁ」

「そこの能天気二人。周囲にはしっかり目を配ること」

「…あいよ」

 

 こうなれば慣れが物を言う。パウラと口を利こうともしないクリスの隣で、エリクは軽くパウラに応じながら、軒を連ねる建物を見上げた。

 立ち並ぶのは、石造りや煉瓦造りを主とした建物が大半を占めている。遠目にはいくつか尖塔が立ち、街中にも時折古びた煉瓦造りの教会や旧建築の跡が見られ、そこここに都市の長い歴史を感じさせた。

 そもそも、今のウスティオ共和国の起こりは古く、6~7世紀ごろにその元が成立したと言われている。国としては長らくベルカ連邦の中にあったものの、隣国オーシアとベルカの文化が流入する位置にあったことから、旧ベルカ諸国の中でも一際異なる文化を醸成していったのだ。殊に現首都ディレクタスは古くから工業都市として栄え、街中には中世の面影を色濃く残した塔が屹立し、俗に『百塔のディレクタス』と称されるように文化と歴史を湛えた古都として世界的にも有名な観光地となっている。ウスティオという国が持つその空気は、ここオルヴァの地でも感じることができた。

 

 不意に、ごう、と遠雷のような音が空から響く。

 耳聡く真っ先にその方向を向いたのはパウラ。それにつられたように、エリクとクリスも、その源たる彼方の空を見やった。聳え立つ尖塔の先は、方位としては南。オルヴァに間近い国境を越えた先、サピンの空と窺い知れる。

 

「…?ウスティオの哨戒機、でしょうか?」

「0点」

「んぐ…!あなたはどうしてそういつも尖った言葉で…!」

「落ち着けクリス、カリカリするなって。…あのエンジン音はジェット、それも複数だ。距離も相当に遠い。今朝の声明に応えたサピン軍機…だな?」

 

 落ち着けるようにクリスの頭へぽすん、と掌を被せながら、エリクは推理を口にする。無言でこくん、とパウラは首肯し、その読みが正解だと告げていた。

 

 ウスティオは南のサピンと国境を接しており、中でもここオルヴァは国境まで30kmも無い位置にある。航空機にとってみればまさに目と鼻の先であり、国境警備の機体を見るのは本来ならば日常茶飯事なのであろう。

 ただ、今はサピンが武力介入を仄めかした時期であり、それゆえに人々の気配もどこか張り詰めている。それゆえか、音に気付いた市民が空を見上げる表情も、眉を顰めた気を張ったものに感じられた。一つには、その機数が常より多いことも影響しているのかもしれない。機種こそ判別できないが、遠目で見る限りその数は8。国境警備には些か多いと言えるだろう。

 

「ま、ともかく。今はもろもろの事は忘れて羽根を伸ばそう。どうせ嫌でもいずれは戦場行きだ」

「…気を付けろと言った矢先に。能天気」

「もう!どうしてそう水を差すことしか言えないんですか!だいたい無理やりついて来たのにそんな…!」

「そーこーまーで。変に目を引いたらマズいだろうが。行こうぜ」

 

 ともあれ、今日は羽根を伸ばしに来たのである。いずれ直面する課題とはいえ、気にしては楽しむものも楽しめまい。空気を変えるべく言った傍から角突き合わせる二人に割って入り、エリクは二人の背をぽんと押した。

 傍目には両手に花と見える光景かもしれないが、実際の所仲立ちに入るエリクはそう思う余裕すらない。街並みを見て無邪気にはしゃぐクリス、それに水を差すパウラ、そしてぶつかる二人の視線。その度に(あいだ)に入り()を保つエリクに至っては、ただただ心労が増すばかりであった。胃に感じ始めた痛みは気のせいだと思いたい。

 

 流石にディレクタスの近郊で発達した都市である、幸いにして、そぞろ歩きに見るべき場所には事欠かない。

 古びた教会を見上げる。赤レンガ並ぶ倉庫街に感嘆する。ガラスケースの伝統工芸品に目を楽しませる。流石に20代3人の脚力は若く、気の赴くままに所々へと渡り歩いていく。

 

 ふらりと入った小物店では、目にした拍子に気に入った『月』の装飾入りのブレスレットを購入。それを見てか、クリスもおそろいのブレスレットを手に取り、いそいそとレジの方へ向かっていった。パウラはといえば、小鳥と花という存外にかわいらしい意匠を施したペン立てを前に悩んでいる様子。それに気を取られた為か、パウラもこっそり同様のブレスレットを購入カゴに入れていたのを、エリクはすっかり見過ごしていた。

 

「お、クリス、パウラ。見てみろコレ。ウスティオの名物かね、美味(うま)そう」

「クリームロール…?本当だ、いい匂ーい」

 

 店を出た矢先、ふわりと香る甘い匂いにふらふらと引き寄せられるエリク。その先には、看板に『クリームロール』と書かれた出店が商店街の中に並んでいた。庇の下を覗き込んでみれば、台の底で炭が焼かれ、その上で鉄製の棒がゆっくりと回っている。棒にはクリーム色の生地が巻き付けられ、こんがりと焦げ目がついているものもあった。

 

「いらっしゃい。お客さん、観光かい?」

「ま、そんな所かな。これは?」

「おお、これはクリームロールって言って、ウスティオのスイーツって言ったらまずはコレさ。ドーナッツ生地を炭火で焼いて、こんがり焼けた所でバニラアイスを入れれば完成。アイスがとろっと融けて最っ高にクリーミーだよ。丁度2個焼き上がるから、彼女さんと一緒におひとついかが?」

「やだもぅ、彼女さんだなんてー」

「そこの能天気、くねくね目立つ挙動は控えて」

 

 店主と思しき男性が、手早く焼き型から焦げ目のついた生地を外し、包装紙を巻いて行く。冷凍庫の機能があるらしい傍らのボックスにはバニラアイスとチョコアイスの箱が収まっており、好きな方を選べる仕組みのようだ。見た目としては、コーンの部分をドーナッツ生地で作ったアイスクリームと言う所だろうか。

 

「それじゃ、ひとまず2個貰おうかな。……」

「私はいい」

 

 丁度2個焼き上がった所ということで、とりあえず今ある2個を注文する。2歩ほど距離を置いて立つパウラを振り返ると、にべもない答えが返って来た。警戒を務めなければならない責任故なのかもしれないが、その答えとは裏腹に、パウラの瞳は屋台の下から離れていない。

 代金を置く傍ら、店主の手で焼き上がったドーナッツ生地の中にバニラアイスが詰められる。上からチョコレートソースをかければ、余熱で溶けたアイスと触れて、それらは白黒の綺麗なマーブル模様を描いていた。最後にアイスの脇にプラスチックのスプーンを挿して完成である。焼きたて熱々のそれを、一つはクリスが、一つはエリクが受け取った。

 『おいしー♪』と満面の笑みを湛えるクリスを傍らに、エリクはもう一度パウラの方を振り返る。交わるは、じいぃ、とクリスを凝視するパウラの瞳。はぁ、とため息一つ、エリクはパウラの方へと、手にしたクリームロールを差し出した。

 

「ほれ」

「…いらない」

「いーから。こういう時くらい厚意に甘えろって」

「………」

「……」

「いただく」

「よし」

 

 沈黙を挟むこと数瞬。まっすぐに向けていた目を伏せながら、パウラは差し出したクリームロールを手に取った。伏し目がちにアイスを掬うその様だけ見れば、佇まいは確かに少女らしい。

 いくら本人がいらないと言い張っても、パウラを放っておいたまま二人だけ味わうのは些か気が引ける。エリクとしては最も後腐れない方法を選んだ積りだが、その背に注がれるクリスのじとっとした視線には、ついぞ気づくことは無かった。

 

「…美味しい」

「おし。俺は次のが焼き上がるまで気長に待…うん?」

 

 その時、不意にエリクは左足の付け根に振動を感じた。

 緊急連絡用に持っていた公用の携帯電話。思いそこに至り、エリクは急いでポケットから携帯電話を取り出す。耳に当てたそこから聞こえたのは、よく聞き知った声だった。

 

「はい、エリク・ボルスト中尉です」

《エリク中尉、お休みの所すみません。ヴィルベルトです》

「ヴィルさん?何か基地に緊急事態でも!?」

《いえいえ、緊急というほどではないのですが…。折が良ければ、基地に戻って来て頂けますか?我々の新たな乗機が、たった今到着しました。戻り次第慣熟訓練の打合せをしたいとのことです》

「…!分かりました、すぐに戻ります。すみませんが、基地側への伝達はお願いします」

《分かりました。それではお待ちしています》

「よし、二人ともすぐに戻…」

 

 自分たちの乗る、新たな機体。どくんと高鳴る高揚を抑え、エリクは電話を切って二人を振り返った。

 どうやら電話口の内容を聞いていたらしい。クリスは眉尻を下げ、『えー』と言わんばかりに不満そうな表情をしている。意外だったのは、パウラまでもどこか不承不承な気配を見せていることだった。いつもなら真っ先に戻ると言いそうな彼女が、一体どうゆう風の吹き回しなのやら。

 

「……戻るぞ」

 

 後ろ髪引かれる思いの二人を引きずるように、エリクは先を切って駐車場へと歩き出す。何のための休暇だったのやら、結局最後まで胃の痛みは付きまとったままだった。

 

******

 

「これは…」

 

 基地へと戻り、配備機が収まる格納庫へと直行した3人。シャッターをくぐり、その姿を目にした時、エリクは思わず絶句した。

 新配備機とは言ったものの、懐具合の厳しいレクタのお国事情もあり、正直に言ってエリクはそこまで期待していなかった。良くてミラージュF1かクフィルC7の改修型であるクフィルC10、場合によっては旧式のC7型すらありえると覚悟していた程である。

 だが、今こうして目の前にある機体は、そのいずれの予想も裏切ったものであった。

 

 クフィルC7と比べてより大きい、中翼位置のデルタ翼。コクピット横のエアインテークは方形をしており、『ミラージュⅢ』の意匠を残す丸い形状だったクフィルとは雰囲気の異なる姿をしている。胴体は機首や尾部へ向け細まるように形成されており、クフィルと比べスマートな印象を与えていた。何より目を引くのは、エアインテーク側面に設けられた大型のカナード翼である。着陸姿勢の今は大きく下へと下げられており、その広大な稼働範囲を物語っていた。

 JAS39C『グリペンC』。現代戦闘機に必要な能力をコンパクトに纏めた、優れた汎用性とコストパフォーマンスを持つ第4世代の『スマートファイター』。

 予想だにしなかった高性能機の配備に、エリクは感嘆の吐息を漏らした。

 

「『グリペン』………。凄い、凄いですよ先輩!新型機じゃないですか!」

「ああ、戻られましたか皆さん。お寛ぎの所、呼び戻してしまい済みませんでした」

「いいえ。それより、何故6機も?」

 

 機体の様子を見ていたのか、エンジンの影から姿を見せたヴィルさんにパウラが言葉を向ける。

 思わぬ新型機配備の衝撃に気づかなかったが、言われてみれば格納庫に並ぶ機数は確かに6機。そのほとんどは単座のC型だが、最も奥にある機体だけはキャノピーが大きく、複座型のD型だと窺い知れる。

 

「あ、最も端の2機は、パウラ准尉たち『スポーク隊』の機体だそうです。聞いておられませんでしたか?なんでも、前線部隊の整理と機種改編だそうで」

「!?」

 

 目を見開き、初めて見る驚いた表情を見せるパウラ。その様子を見る限り、どうやらアルヴィン少佐からも聞いていなかったらしい。乏しい表情ながらも、目一杯に背伸びして端の『グリペンD』を見渡す様から、驚きと喜びを感じているらしいことは窺い知ることができた。

 確かにエリクにとっても、この新たな配備機は望外のことであった。この喜びを、せめてロベルト隊長とも一緒に共有出来たらどんなに良かったことだろう。10月25日の日は既に大きく傾き、それでも未だに帰還の報はない。

 機体は届いたものの、隊長は不在。それでも、戦場へは赴かねばならない。隊長の帰還まで、自分がこの隊を支えなければならないという現実が、今更ながらエリクの胸に堪えた。

 

 エリクは、自らの乗機となる機体へと歩を進め、その胴体へ手を当てた。新型機を任された感慨、そして臨時とはいえ隊を率いる責任。それらを背負い、命を預けるその翼は、主の目の前で静かに佇んでいる。

 

 よろしくな、相棒。

 エリクは心の中で、灰色の有翼獅子(グリフォン)へと言葉を紡いだ。

 


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