Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第10話 英雄の面影

 白みの強い朝の陽射しが、東の空を淡く彩っている。

 秋深み、冷たさも増す朝空は、光の加減も相まってか大層寒い。高く抜けた空は夜の間に地表の温度までも彼方へ飛ばしてしまったらしく、着陸直後の愛機『クフィルC7』から濛々と立ち上る水蒸気がその寒さを物語っている。

 電子機器の管理や機体の冷却を顧みると、戦闘機にとっての適度な低温環境は必ずしも悪いことではないのだが、生身の身体はそうとも言ってはいられない。酸素マスクをはぎ取ったばかりの呼気で濡れた皮膚に、朝の冷気が滲みるような冷たさに感じられた。

 

 2010年10月20日、ウスティオ共和国南端に位置するモリスツェフ空軍基地――ウスティオ軍内通信コード『グリパヘリル』とも称される、森と冷気の中にぽつりと浮かんだ人工物。朝冷えに包まれた広大な滑走路の傍らに、ハルヴ隊をはじめとしたレクタ航空機部隊の姿があった。

 それは、まさに壮観だった。

 ずらりと並ぶ灰色の機体群は、大型機も含めれば20機以上。滑走路の逆側に佇んでいるウスティオ軍機も含めれば、その総数は何十機に達するであろうか。勿論基地防衛戦力も踏まえれば、その全てが次の『作戦』に参加する訳では無いだろうが、地を覆うほどの航空機を動員していることはまさに驚嘆に値する。同時に、先のラティオ爆撃機迎撃戦で大損害を受けたとは思えない膨大な戦力の裏には、レクタ、ウスティオが限界まで振り絞った死力と、必ずや勝利を掴むという意気込みも感じられた。

 

 決戦である。

 負けられない。負けるはずがない。高まった意気と熱を吐き出すように、エリクは一際大きく息を吐き出した。

 冷気に触れ、雲のように立ち上る水蒸気。追って見上げた青空は、レクタのそれと変わらなかった。

 

「エリク、見ろよ」

「え?」

「上上。こないだの2機だ」

 

 レクタ軍の最後の機体が着陸のブレーキ音を響かせる傍らで、ロベルト隊長が顎をしゃくって上空を示す。釣られて見上げたそこには、上空警護に当たっていたらしい2機の戦闘機の姿が見えた。

 小さな胴体と切り欠いた主翼形状、スマートな軽戦闘機らしいシルエットは、ウスティオ軍で主力とされるF-16『ファイティング・ファルコン』シリーズと認められる。灰色ベースのウスティオ軍らしい機体色ながら、先の機体は両翼端と尾翼端を青く染め、後ろの機体は右翼の中ほどを赤く塗り欠いており、その存在感を際立ったものにさせていた。塗装パターンから判断するに、先日の戦闘で(まみ)えた『ガルム隊』のF-2Aに違いない。

 旋回の航跡が空に見えない線を引き、翼が滑走路へと向いてゆく。速度を抑え、主脚を展開し、地上を目がけて降り立つ姿はまさに着地する際の鳥そのもの。タッチダウン・ラインに寸分違わず着地した2機は、滑走速度を徐々に緩めて、本来の駐機位置であろう場所にその機体を収めていった。

 

「鮮やかな手並みだことだ。戦闘の技といい、先代ほどじゃないがいい腕してるぜ」

「本当ですよね!私、この間の空戦でびっくりしましたもん!」

 

 先日の戦闘を想起したらしく、クリスがはしゃいだように声を上げる。エリクも、その技量が凄まじいものであることは確かにこの目で見た。瞬く間に追撃機を撃墜し、隠密行動していた爆撃機も護衛機もろともそのほとんどを撃墜せしめたその腕前は、自分など足元にも及ばないだろう。

 だが、『ガルム隊』を見、ロベルト大尉の反応を聞いて、エリクが想起したのは別のことだった。

 

『ロベルト・ペーテルスには気を付けた方がいい』

 

 脳裏に蘇るのは、先日の戦闘後、唐突にそう告げたパウラの声だった。

 ロベルト大尉の経歴の矛盾を指摘し、15年前のベルカ戦争で『ガルム隊』を見ている筈はないと論断して、暗にその経歴が偽りであることを仄めかしたパウラ。だが、それを以て何をどう具体的に『気を付け』ればいいのかを、何一つ言わぬまま彼女はその場を去ったのである。

 

 以来数日、エリクの心は悩みに回った。

 もし大尉の経歴詐称が真だとして、最も疑わしいのは他国の――この場合当面の交戦国であるラティオのスパイということである。相手国の懐に、それも前線で戦う分情報も入りやすい戦闘部隊にスパイを忍び込ませることの利益は極めて大きく、想像が真っ先にそこへと行きつくのはいわば当然であった。

 しかし、ロベルト大尉がベルカ戦争で一時消息不明になった後、再びレクタ軍に所属してから既に10年以上が経過している。果たしてラティオが、10年以上も前からウスティオ・レクタ侵攻の野望を研いでいたものだろうか。近年のユークトバニア接近・対外強硬派路線は確かにその意識が滲んでいたにせよ、それはここ数年の話であり、時期的に考えても矛盾があると思わざるを得ない。第一、ロベルト大尉はこれまで最前線でラティオ軍と戦い、少なくない戦果を上げているのだ。信頼を勝ち取るためというには度を越えており、到底スパイが行う行動ではない。

 

 結局、考えても悩んでも、答えが出るものではなかった。そもそもが些細な綻びの上に立った、パウラの推測なのである。内容が内容であり、まさかロベルト大尉本人に聞く訳にもいかない。

 こうなってくると、恨めしいのは漠然極まりないパウラの話し方である。確証も無い話で心を乱し、不信感を煽っておいて、一体何の積りなのか。お蔭でエリクの中では話が尾を曳き、ロベルト大尉に対してどこか奥歯にものが挟まったような対応になってしまっているのだ。

 

 ガルム隊を遠目に見やり、無邪気に騒ぐクリスの傍らで、エリクは人知れず溜息をついた。

 

「あっ!先輩見て下さいあれ!ガルム隊の1番機ですよ!凄い、生ですよ生!」

「落ち着けクリス、ウスティオの連中が変な目で見るだろ。ミーハーかお前は」

「いやほら、だって見るの初めてですから…。えー、でもあれ、私とそんなに年が変わらない感じですよ。凄いなあ…」

 

 コクピットから降りた『ガルム』の姿に、一際声を大きくするクリス。その頭をがっしと掴み、パウラの件を頭の外に追い出しながら、エリクもその声が指す方を見やった。

 遠目で些か不明瞭だが、青い翼端のF-2Aから降りたのは、整えた短い金髪に白い肌、華奢な四肢と、到底ウスティオを代表する戦果を上げたエースとは思えない、まるで少年のような姿の男だった。クリスの言う通り、年代はおそらく20前後、下手をすると10代になるだろうか。むしろ赤い片翼の方が、がっしりした体に顎鬚、角張って意志の強そうな輪郭と、いかにも歴戦の兵士然とした雰囲気を醸し出している。風采と身のこなしを見る限り、そちらは40前後といった所だろう。

 二人は整備員や基地スタッフに囲まれながら、司令塔の方へと脚を進めて、人の中にその姿を消していった。

 

「賑やかですね。クリス、ガルム隊は見られましたか?」

「あ、ヴィルさん!見ました見ました、生ガルム!ヴィルさんももう少し早かったら見られたのにー」

「おうヴィルさん。頼まれごと、首尾はどうだった?」

「ええ、それくらいならお安い御用と、快く引き受けて頂きました。整備の方々には、後でワインをお持ちしましょう」

「頼まれごと…?何のことですか?」

 

 着陸後、一時姿を消していたヴィルさんの姿に、クリスと隊長が声を交わす。隊長とヴィルさんとの会話の中に意味ありげに混ざった『頼まれごと』の言葉に、エリクは怪訝な顔を見せるも、それに帰って来たのは二人の意味ありげな笑みだった。

 

「なーに、ちょっとしたい~い事だよ」

「はぁ?」

「え、何なに、何ですか?」

「いーい事、いーい事さ。後はお楽しみ、な?」

「はい、いーい事ということで。二人ともきっと喜びますよ」

「えー、ちょっと気になるじゃないですかヴィルさん。教えて下さいよー」

「そうですよ!二人だけ楽しそうにしてー!」

 

 先までの深刻な悩みも何のその、楽し気に顔を見合わせる大人げない40代二人に、若人二人も思わず笑みが零れる。

 空は青く、高く広く、そしてそれを覆うように戦禍は広がってゆく。

 迫る決戦の時を前に、それは兵士たちにとって、ささやかなひと時の安らぎだった。

 

******

 時間にして1時間ほど後。エリクらハルヴ隊の姿は、モリスツェフ空軍基地の敷地東に位置する司令塔、その1階に設けられたブリーフィングルームにあった。正面の大型スクリーンを映し出すためか部屋はやや薄暗く、そこに数十人には達しようというパイロットが所狭しとひしめいていた。人いきれのためか室内の熱気は10月と思えないほどとなっており、今日ばかりは冷房も稼働する有様となっている。

 

 わざわざエリク達レクタ軍が、前線から隔たったウスティオ領内くんだりまで来ることになったのも、この基地での作戦会議に出るのがその主たる目的だった。これまでにもウスティオとの共同作戦で事に当たることが多かったレクタ軍だが、次の作戦は規模から見てその最たるものになる。事前の打ち合わせや補給の便宜を考えれば拠点を一所に集中するのが良く、そうなると国力の関係上レクタ側がウスティオへと赴く形になる。国際関係上、こればかりはどうしようもない。

 流石にウスティオのパイロットの中でも一目置かれているらしく、『ガルム』の二人はモニターが見えやすい最前列にいるようだった。列にして6つを隔てたこちらからは、その後姿を拝むのも難しい。まして、その周囲に人が集っていてはなおさらの事である。

 

 その正面に、基地司令らしき人物と作戦士官が入ってくるのと、『ガルム』の周りに集った人壁が散じるのはわずか数秒の間。どさくさに背伸びしてちらりと後姿を拝もうとした算段は、すぐさま張り上げられた司令の声に遮られた。

 

「ウスティオ空軍モリスツェフ空軍基地司令、ボフミール大佐である。親愛なるレクタ空軍の諸君に、ここモリスツェフの地で見えられたこと。ならびに今世紀始まって以来の作戦に共に臨めることを光栄に思う」

 

 太った体の基地司令は、体格そのままの大きく響く濁声で声を張り上げる。やや短い手足と綺麗に剃ったスキンヘッドから、エリクは思わずカエルの姿を連想した。

 

「開戦以来破竹の進撃を続けた我ら連合軍だったが、ラティオが建造した超兵器『テュールの剣』の前に、我らは幾度となく辛酸を舐めさせられてきた。しかし、地道な破壊工作によりその防衛網は着実に剥がされ続け、今やその本体を残すのみに至ったのである。さらに、先日の大航空戦では、諸君らの奮闘により、ラティオの航空戦力をことごとく壊滅せしめた。我らも疲弊したが、それ以上にラティオは弱っている。この機会を逃す手はない。我らはここに力を合わせ、『テュールの剣』破壊作戦を実行に移す!渾身の死力を振り絞り、ラティオの最後の要をへし折るのだ!!」

 

 カエルの独唱――もとい演説に、万雷のような拍手が巻き起こる。腹に響くその振動の中に、エリクは来るべきものの到来を感じていた。

 ユークトバニアの支援によってラティオが作り上げたレーザー兵器『テュールの剣』は、その絶大な威力と射程によって劣勢のラティオを支え続けて来た。差し向けた爆撃機部隊は幾度となく壊滅し、死角となる地上も反射鏡装備の航空機を中継した狙撃によってカバーされ、地上からの侵攻も覚束ない状況が続いていたのである。結果、連合軍はその射程外を遠巻きに包囲し、一進一退を繰り返すという停滞の中にあった。

 だが、停滞の中にあっても戦局は絶えず動く。ウスティオ軍を主として、連合軍は少数の戦闘機による破壊工作を敢行。『テュールの剣』の目となる観測用気球を少しずつ破壊し続け、やがてその観測範囲に大きな穴を穿つことに成功したのである。噂によると、この破壊工作では『ガルム隊』も相当に戦果を上げたらしい。

 これに加え、基地司令の言う通りに、先日の大航空戦の戦果が後押しをかけたことは想像に難くない。逆転を賭けてラティオ軍が敢行した拠点攻撃は失敗し、その戦力のほとんどを消耗したのだ。参加機数を考えるとラティオ中郡の戦力を総動員したに違いなく、その消耗はすなわち『テュールの剣』を護るべき戦力の低下にも直結するという訳である。逆を言えば、この機会に『テュールの剣』を落としてしまわなければ、ラティオに劣らず戦力を失った連合軍の挽回は困難になるとも言える。

 

 敵戦力の低下、そして速攻をせざるを得ない連合軍の事情。それを踏まえれば、この機会を活かした攻略作戦というのは当然の帰結だったと言えるだろう。

 

 正面では基地司令が退き、説明の場を作戦士官へと譲っている。眼鏡に整った制服姿と、いかにも作戦士官といった風情の男が、一同を舐めるように見渡した後に口を開いた。

 

「それでは、作戦を説明する。知っての通り、ラティオ軍が建造した『テュールの剣』はその長射程もさることながら、周辺に幾重にも設置された観測用気球と対空陣地により、これまで我が軍を寄せ付けて来なかった。しかし、我が軍の決死の作戦行動により徐々に観測用気球と対空陣地を排除。結果、『テュールの剣』北西方向に、防空網の穴を生じせしめたのである」

 

 正面のモニターにラティオ中郡の地形がワイヤーフレームで示され、その中央に位置する『テュールの剣』を囲ういくつもの同心円が続いて描かれる。射程範囲を示すらしい同心円の中や外縁には小さな円がいくつも描かれ、それが対空陣地の防衛範囲や観測気球の索敵範囲を示すことを物語っていた。右上に表示された日付が進むごとにその円は数を減らしていき、同心円も左上が徐々に凹み始めてゆく。2010年10月20日――今日の日付を指すころには、北西方向の円はそのほとんどが消え去り、同心円も北西だけが大きく凹んだ歪な形状と成り果てていた。

 

「この方位に限れば、『テュールの剣』はその威力を十分に発揮できない。たとえ照射できたにしても、その制度は著しく低下している筈である。我が軍はこの方位に全力を傾けて攻略に当たる。…少なくとも、ラティオはそう考えるだろう」

 

 そこまで解説した所で、不意ににやり、と作戦士官の口角が上がった。才子らしい、あまり人好きのする笑顔ではない。

 

「誤解なきように言っておくと、我が軍の陸空の主力は北西方向の侵入ルートを取って攻略作戦を行う。本作戦ではそれとは別に小規模の攻撃部隊を編成し、警戒の手薄な方位から低空侵入。『テュールの剣』への直接攻撃を敢行するものである。本体の攻撃能力が低下した頃を見計らい、総攻撃を行う」

 

 そこまで言葉が紡がれた時、にわかにざわめきが広がった。

 搦手を用いた側面攻撃――それ自体は歴史上しばしば使われてきた手であり、そこまで斬新な作戦と言う訳ではない。問題は、この戦術をレーザーやミサイル飛び交う現代の戦場で使うことである。作戦上、別動隊は対空陣地が生きており精密射撃の射程内にもなる敵の真っただ中を進むことになる。仮に攻撃に成功したとして、本隊の総攻撃が始まるまでは『テュールの剣』以外の戦力が健在なのだ。袋叩きに遭う可能性は極めて高く、決死行は免れないのは目に見えている。そもそも、少数の機体で『テュールの剣』まで到達できるのか。

 

 ざわめきは専らそのまだ見ぬ決死隊への茶化、そして作戦に対する疑念。それらの裏には、別動隊指名からは逃れたいという思いが滲み出ているようにも思えた。

 

「質問。別動隊とはいえ、『テュールの剣』へ打撃を与える必要があるならば相当な戦力が必要となります。その編成は?」

「意見の通り、『テュールの剣』に打撃を与えるには相当な戦力を要するだろう。一方で、多数で行動すればそれだけ捕捉の危険も高まる。そこで、別動隊には量ではなく質を以て任命することとなった。…別動隊の機数は、6機だ」

 

 あまりにも少ないその編成に、ざわめきは一層大きくなる。たった6機でラティオの対空陣地を突破し、『テュールの剣』本体へ肉薄するなど自殺行為でしかない――それは誰の目に明らかだった。

 願わくば、その指名からは逃れたい。いくら国の名を背負っての戦争とはいえ、あの世への片道切符など元より御免である。

隣ではクリスが両掌を組み、懸命に祈っている。いつの間にか自分も拳を握っていたことに、エリクは今更ながら気づいた。

 

「まず、攻撃の主力だが…ウスティオ空軍『ガルム隊』を指名する。対地装備で武装を固め、『テュールの剣』攻撃に専念してもらいたい」

「はい。必ずや攻撃を成功させて見せます」

 

 気負いを帯びた若い声――おそらく『ガルム』の一番機――が、作戦士官の指名に応える。隣の男は二番機だろう、一つ頷いて、異存の無いことを告げていた。

 ウスティオきってのエース部隊による拠点攻撃である。直後に上がったどよめきは、いわば当然ともいうような納得の響きを帯びていた。

 

「残る4機は『ガルム隊』に先行し、敵対空陣地および空中の脅威を排除して貰う。相応の技量、そして何より運が求められる任務である。この役割は、レクタ空軍『ハルヴ隊』にお願いしたい」

「え」

「!?」

 

 前触れなく、唐突に呼ばれた自身の部隊名に、エリクは思わず目を見開いた。傍らのクリスは屈めていた上半身をがば、と跳ね上げ、ロベルト隊長はぽかんと口を開けている。

 硬直、数秒。何かの聞き間違いではないのか。何かに縋るような希望も、構わず続く作戦士官の解説に打ち消され、エリクはロベルト隊長と顔を寄せて声を潜めた。

 

「(な、ななな何でこの流れで俺たちが『ガルム隊』のお供なんですか!どう考えたってウスティオ空軍の出番でしょ!?)」

「(おおお俺が知るか!冗談だろ、控えめに言ってもダイナマイト抱えて飛び込む鉄砲玉役だぞコレ!)」

「ハルヴ隊の諸君は、『ガルム隊』に先んじて規定ルートを侵攻。対空陣地に打撃を与え、『ガルム隊』のルートを切り開け。対空陣地突破後は対空戦闘に移行し、可能な限り『ガルム隊』への脅威を排除せよ」

「(何度聞いても無茶ですよね、旧式『クフィル』がやる仕事じゃないですよねコレ!)」

「(落ち着けエリク、クールになれクールに。何とか言い逃れる術を考えるんだ。ひとまずお前かクリスに仮病になって貰ってだな…)」

「………えええええええ!?」

「!?ちょ…クリス!?」

 

 顔付き合わせるダメ元の作戦会議は、突拍子もないクリスの叫び声であっさり断ち切られた。指名の衝撃からやっと我を取り戻したのだろう、その表情は現実を把握した絶望と混乱に満ちていた。

 

「な、何で私たちがそんな大役なんですか!?私なんて、隊長や先輩に比べたら全然下手くそなのに…!」

「く、クリス落ち着け!すみません今大人しくさせますんで…」

「私が推薦したのだ」

「!?」

 

 椅子を立ち後ろからクリスを羽交い絞めにするエリク。もはやセクハラも何も気にする余裕はなく、沸き上がった騒ぎに周囲の視線は否応なしに突き刺さってくる。ああ、できるならば色んな意味ですぐにでも倒れたい。

 そんな喧騒の中で告げられた落ち着いた声は、『スポーク1』アルヴィン少佐のものだった。その声は、その瞬間は騒動を鎮める救いの声として、そして直後に絶望を突き付ける匕首として、エリクの耳に響くことになった。

 

「我がレクタ軍は開戦から多くの消耗を強いられてきたが、この『ハルヴ隊』は一人たりとも欠けることなく困難な任務を達成してきた。ロベルト大尉以下、優秀な人材と幸運があってこその結果だ。その実績は、今次作戦にも参加に堪え得ると判断し、私から推薦させて貰った次第である。何より、ウスティオ軍に頼りっぱなしでは、我が軍も立つ瀬がないのでな。…そういう訳だ、エリク中尉、クリスティナ伍長。よろしいな?」

「………は……」

「…はい………」

 

 言外に込められた拒否を許さない威圧感に、二人はそう答える他無かった。

 少佐の発言と、先の作戦の際の様子から察するに、少佐は先日の空戦でほとんどの戦果をウスティオ側に持って行かれたことを相当気にしているのだろう。今次戦争でも基本的にウスティオの補佐とでも言うべきポジションにあるレクタ軍は、それだけ立場も弱い。その上で今度の作戦まで戦果をウスティオに取られては、発言力の低下はもはや避けられないと判断したゆえの進言であろうことは、エリクにも想像がつく。

 …ならば、少佐が自分で志願すればよかったのでは。そうは口が裂けても言えないエリクであった。

 

「続いて本体の編成に移る。第一次攻撃部隊はウスティオ軍20機、レクタ軍12機で…」

 

 定まってしまった絶望への既定路線を前に、もはやその後のブリーフィングは上の空だった。部隊編成への悲喜こもごも、眼前にある『テュールの剣』への脅威。説明されるそれらの言葉も頭の上を行きかうばかりで、ブリーフィングが終わってみれば頭に残っているのは絶望の二文字しかない。ふと気づけば、既にモニターの電源は切られ、人が散じ始めている頃だった。

 

「終わった…私の人生…終わった…」

「こいつ、柄に無く死んだようなツラしやがって。ヴィルさん、悪いが先にクリスを格納庫に連れて行ってやってくれ」

「分かりましたが…隊長は?」

「俺はエリクとちょっと挨拶に行ってくる。後で俺らも向かうよ」

「挨拶?」

「おう。折角先陣切ることになったんだ。『本命』に一言繋いでおかなくちゃな」

 

 なにやらぶつぶつと口走り、ぐったりとしたクリスがヴィルさんに担ぎ上げられ席を立ってゆく。二人に踵を返し、くい、とロベルト隊長が顎で指したその先には、最前列の席から腰を上げる二人の男の姿があった。

 『ガルム隊』の二人。ロベルト大尉とガルムの組み合わせに、思わずパウラの言葉を再び想起しながら、エリクは歩を進めるロベルト大尉の後についていった。

 

「どーも、レクタ空軍第2航空師団第8戦闘飛行隊、『ハルヴ隊』のロベルト・ペーテルスっす。今回水先案内人を務めることになったもんで、一言挨拶をと思いましてね」

「同じく、『ハルヴ隊』2番機のエリク・ボルストです。よろしく願います」

 

 あ、と声を上げるも一瞬、姿勢を正してこちらに向いたのは、まだ少年の面影すらある若い男だった。先ほど遠目に姿を見たものの、間近で見るとその雰囲気はやはりエースらしさとは無縁のものと言って良い。色白な肌や甘いマスクと相まって、どちらかというとテレビの中の方が似合っていそうな姿だった。

 一方、傍らを固めるのは2番機の男だろう。こちらは遠目の印象と変わらず、灼けた肌と(のみ)で削ったような武骨な体がいかにも豪傑らしい。所々に見える古傷も、却って歴戦の戦士らしい威厳を加えているように感じられた。

 

「ご挨拶が遅れました。ウスティオ空軍第6航空師団第66戦闘飛行隊、『ガルム1』パスカル・ジェイク・ベケット大尉です。この度はお世話になります、お互いに頑張りましょう」

「PJ、固くなり過ぎだ。天国の叔父さんが笑ってるぞ?…おほん、同じく『ガルム2』、レイモンド・レッドラップ中尉だ。R2とでも呼んでくれ。『テュールの剣』をへし折れるかはあんたらにかかってるんだ、頼んだぞ」

「そりゃもう。折角の『ガルム隊』との共闘なんです、露払いは任せて下さいな。…そういやパスカル大尉、先代の『ガルム』は…」

「取り込み中すみません!パスカル大尉、レイモンド中尉、機体の調整が終わりました。すぐにでも上がれます」

「了解しました、ありがとうございます。…それではすみません、ロベルト大尉、エリク中尉。我々はこれにて失礼します。明日は、どうかよろしくお願いします」

「期待してるかんな!レクタ人!」

 

 割り込んだ基地スタッフに呼ばれ、ぺこりと挨拶を返した『ガルム1』――パスカル大尉はその場を後にしてゆく。激励の積りだったのだろう、去り際に拳を突き出した『ガルム2』――レイモンド中尉に胸を突かれ、エリクは思わず咳き込む羽目になった。

 不思議な二人である。相棒のようでもあり、どこか家族のようでもある。年齢も性格も全く違う二人ながら、そこには確かに目に見えない絆が感じられた。

 

「…そういえば、大尉は『ガルム隊』を知っている感じでしたよね。どこで会ったんですか?」

「ん?ああ、ベルカ戦争の時の『円卓』だ。もちろん面識なんてありゃしない、機体をちらっと見ただけさ。あんときは緊急任務で後方から前線に出ることなんて日常茶飯事だったからな、見るチャンスもあったって訳さ」

「なるほど…」

「もっとも、15年も前だ。パイロットはとっくに変わってるだろうな。そんなことより、早く格納庫行くぞ格納庫。お楽しみはこれからだ」

 

 それとなく話題に上げた『ガルム隊』に対し、大尉が返した答えは矛盾のないものだった。

 そういうことならば、後方にいることが多かったレクタ軍でも、当時の『ガルム隊』に会っていたという説明はつく。パウラが疑っていたような、経歴との矛盾は起きないという訳である。疑惑にひとまずの解決を見出し、エリクはそれ以上の口を噤んだ。話題を逸らすような早口の言葉に、一抹の違和感だけを抱いたまま。

 

 隊長の導きに随うまま、エリクは司令塔を出て、割り当てられた格納庫へと脚を進めてゆく。晴れた空からは日が注ぎ、ようやく気温も上がり始めていた。滑走路では上空警戒の部隊だろう、ウスティオのF-16が2機、まさに滑走に入る所も見える。

 格納庫の裏手の扉を開き、エリクの目に『クフィル』のエンジン部が飛び込む。そのすぐ傍、主翼の横に立てられた脚立から機体を見下ろしていたクリスと目が合った時、クリスは脚立から飛び降りてこちらへ駆け寄って来た。

 

「先輩!見て、見て下さい!凄いですよ!」

「た、立ち直りの早い奴め…。落ち着け、一体何なんだよ」

「いいからいいから。かっこいいですよー」

 

 先の落ち込んだ様子もどこかへ吹き飛んだのか、いつもの明るさそのままにクリスはエリクの背中を押して脚立の方へと体を押しやる。言われるままにエリクも脚立を上り、『クフィル』の姿を上から捉えた時、目に入った『それ』に思わずあっと声を上げた。

 灰色地の主翼に、先程まで無かった筈の塗装パターンが加わっていたのである。左翼の三分の二ほどが黒く染められ、そこに並ぶは短い間隔で連なった黄金色の三日月が4つ。翼端方向へ向かうにつれて少しずつ位置を下にずらす4つの月は、概して見ればひと繋がりの大きな三日月にも見える。機体尾翼のエンブレムにも倣ったその様は、まさに夜空を背にした月そのものだった。

 

「おおお!ど、どうしたんですかコレ!?」

「なーに、ブリーフィング前に整備班にお願いしといたのさ。大作戦前のゲン担ぎにな。言ったろ、い~い事だって」

 

 見上げるロベルト大尉の顔に、悪戯小僧のような満面の笑みが浮かぶ。エンブレムと部隊名をそのまま身に移した愛機の姿は、否応なしにエリクの心を熱くさせる力があった。

 『ね!ね!凄いでしょ!』と脚立の下から届くクリスの声に、エリクも思わず笑みが零れる。

 

 夜空を背に、翼を彩る三日月(ハルヴマーン)の姿を、エリクは飽かずその眼に焼き付けていた。

 


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