Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

10 / 45
第9話 ラティオ西郡迎撃戦(後) -‘GALM’《鬼神の後裔》-

《先輩、後方機影1!》

「食いついたな。編隊解除、左から回り込め!」

 

 操縦桿の傾きに機体が呼応し、『クフィルC7』の三角翼が航跡を曳いて右へと傾く。

 斜を取る空、千切れる雲、白と青の最中へと飛び込んでゆく視界。後方敵機1、顧みた先には葉巻型の小型機――MiG-21『フィッシュベッド』の姿。『ライオンの仔』を意味するその名よろしく、回転数を上げる『クフィル』のエンジン音は、まるで背後の獲物をつけ狙う唸りのようにも聞こえる。射程距離にはすでに近く、こちらににじりと忍び寄る『フィッシュベッド』の気配すら肌身に感じ取れそうな程だった。

 

《…!後方、さらに1機!》

「俺がカバーする。そのまま行け!」

 

 緊迫と緊張の中で、本能が研ぎ澄まされる。僚機――クリスの慌てた声にも、瞬時に彼我の位置を脳裏に描いたエリクは、挟撃の指示を崩さぬまま機体を僅かに上昇させた。

 迎えた角が抵抗を受け、『クフィル』の速度が一瞬落ちる。後背に迫っていた『フィッシュベッド』にとって、それは刀折れ矢尽きた好餌の最期のあがきにも見えたことだろう。それこそ、後方に迫るクリスの『クフィル』の存在を一瞬忘れさせる程の魅力を以て。

 

 上向いた視界に、雲が広がる。

 殺意。ロックオンアラート。けたたましい機械音が耳を苛む。

 フットペダル踏下、加速。

 視界を上げる。

 重力を払って上昇するこちらに、『フィッシュベッド』が迫る。

 その背に迫るは、カナード付き三角翼――『クフィル』。

 『クフィル』の機首が光り、まさにこちらを喰らおうとしていた『フィッシュベッド』を背後から噛み砕いてゆく。

 閃光、爆炎。

 操縦桿を引き、宙返りから素早く上下を返す。

 目の前、クリスを追っていた敵機の姿。やや斜め下方、距離700。二枚尾翼、中型――MiG-29。

 距離が500を割る。

 指に、力を籠める。

 

 言葉を交わす間すらない、一瞬の交叉。1秒に満たない機銃掃射の中で、『ファルクラム』は機体中央に30㎜弾を穿たれ、二つに割れて堕ちていった。

 

「上手くなったな、クリス。敵も相当減った筈だ」

《えへへ…先輩の機動のお蔭です》

 

 クリスが後方に就くのを待つ間、機体を傾けたエリクは、しばし戦域を見渡した。

 脅威だったラティオ軍爆撃機の姿は既に無く、大小さまざまな弧を描いているのは全て小型の戦闘機ばかりとなっている。遠目でそれぞれの機種は判然としないが、その機数は当初の半分近くにまで既に減っているように見受けられた。殊にラティオ軍機だろうか、灰色無地の機体の消耗は著しい。

 作戦参加戦闘機数、実に70機近く。現代空戦史稀に見る大空中戦は、既に佳境へと差し掛かりつつあった。

 

「燃料と残弾は?」

《燃料は帰路分も含め多少なら余裕があります。残弾は30㎜が約100発》

「了解した。こっちも残りは僅かだ、あんまり長居はできないな。隊長達に合流しよう」

 

 クリスの返答に応じ、エリクもちらりと残弾計へと目をやる。元来弾丸が大きく、それゆえに搭載弾数が限られる30㎜機関砲である。先ほどの爆撃機追撃戦で機銃弾を消耗したこともあり、エリクの『クフィル』には既に50発ほどしか残っていなかった。この量ではせいぜい1掃射しか持たず、到底捗々(はかばか)しい戦闘はできそうもない。隊長の下へ合流するという決断も、つまりは少ない手数を機数でカバーするという、弾数不足を補うための判断に他ならなかった。30㎜の高威力は魅力的だが、当てづらさと弾数の難を考えると、オーシア機等で主流となっている20㎜機関砲を羨ましく思う気持ちも無い訳ではない。

 

 ともあれ、合流しないことにはどうしようもない。飛び交い馳せ違う戦闘機の中から何とか隊長とヴィルさんの『クフィル』を見つけ出し、その方向へと操縦桿を倒しかけた刹那。通信回線を震わせたのは、空中管制機『イーグルアイ』からの甲高い声だった。

 

《『イーグルアイ』よりウスティオならびにレクタ戦闘機部隊へ、緊急連絡。ヴァーレ・トリッツァの東南東80㎞地点に、大型機を含む10機程度の編隊が確認された。同時に、方位060より敵増援を確認、機数16》

《な…!冗談だろ、このタイミングでかよ!もう残弾はほぼゼロだぞ!》

《図られたな…ユーク得意の囮戦術だ。敵の本命はおそらくこの爆撃機だろう。現在、迎撃機を急ぎ差し向けている。ウスティオ各機、敵増援を食い止めろ。レクタ各機はただちにラティオ爆撃機編隊を追撃し、1秒でも多く時間を稼げ》

《くそ…!分かったよ、やってやる!バハムート1よりレクタ戦闘機隊、後ろは任せたぞ!》

《スポーク1、了解した。レクタ各機、急ぎ参集せよ》

「……了解…!くそ、こんなのってアリかよ…!」

 

 急転直下の情報に、思わず呻きにも似た声が漏れる。

 『イーグルアイ』の言葉を借りるなら、先程の大規模な戦闘機隊もTu-95からなる爆撃機も、全ては囮だったという。つまりは大部隊をわざと正面から当たらせて機体と弾薬の消耗を強いて、その隙を狙って低空を忍び寄った本命の爆撃機が本拠を突く、という計画だったというのだ。まるで、いくら犠牲を出そうとも、ヴァーレ・トリッツァの陸軍さえ叩けられるなら手段は選ばないと言うかのように。

 事実、現在ヴァーレ・トリッツァに集結している陸軍連合部隊は、ラティオが頼みとする『テュールの剣』、そしてラティオ中郡を制圧するのに不可欠な頼みの綱である。これを失うことはラティオ早期制圧の道が断たれることと同義であり、戦争の泥沼化は避けられないだろう。そうなれば、『テュールの剣』を擁しユークトバニアの支援を背にしているラティオ相手では戦況の逆転すらもありうる。それを考えれば、ラティオの戦術は悔しくも妥当と言えるだろう。

 

 さらに悪い事には、ラティオに対してユークトバニアが機体や資材の支援のみならず、人的・技術的支援さえ始めたらしい形跡が感じられることである。

 その仮定の拠り所は、今回ラティオが採った戦法にある。真正面から大規模な囮部隊を進軍させ、その隙を低空侵入した少数機が突く――空の人海戦術とでも言うべき大規模なその戦法は、24年前にユークトバニアが実行した手法そのままなのだ。

 24年前――すなわち1986年。ユークトバニアと隣国カルガ共和国の間で、後にチュメニ紛争と呼ばれる戦争が勃発した。その最終局面であるジミトル上空戦において、ユークトバニアは今回と同じように、高高度から大規模な部隊を侵入。それに応じたカルガ空軍の迎撃機が高高度へと移行した頃合いを見計らい、低空から侵入した攻撃機がジミトルの街を灰燼に帰したのである。浮足立ったカルガ迎撃部隊が、ユークトバニア軍によって殲滅されたのは言うまでもない。結果、一連の戦闘で制空権を確保したユークトバニアは、チュメニ紛争における最終的な勝者となった。

 かつての戦争で目覚ましい成果を上げ、確立された戦術。目下、かくも見事に当てはまった状況を見るに、ユークトバニアの戦術士官がラティオへ直接指導を行ったと見ても何らおかしくはないだろう。言い換えれば、ユークトバニアもオーシア東方諸国の戦乱に本腰を入れ始めたということになる。

 

 戦争に道義も公平も意味をなさないことは分かっている。だが、これではまるで後出しジャンケンではないか。

 苦みの混じった愚痴一つ、口中の渇きに焦りを滲ませながら、エリクは編隊序列に随い機位を固定させた。

 

《スポーク1より各機、針路固定。巡航速度を10分維持》

《追いついた所でたったこれだけじゃ何もできん。増援に期待するしかないな》

 

 呟くような誰かの声が、晴れ渡る空に虚しく消えてゆく。

 ラティオの囮戦術は、確かに功を奏していたらしい。それを物語るように、当初は18機を数えていたレクタ軍機は、今や半数近くにまで機数を減らしていた。先頭を飛ぶスポーク隊の『タイガーⅢ』2機、エリクらハルヴ隊の4機は健在であるものの、他に2小隊が参加していた『クフィルC7』は3機しか残っていない。最新鋭機の『グリペンC』に至っては1機しか残っておらず、先の大空戦の壮絶さを如実に物語っていた。外見から判断する限りほとんどの機体はミサイルも使い果たしてしまった後らしく、戦闘能力はほぼ無いに等しいと言っても過言ではないだろう。

 

《バハムート2、ダイブしろ!後方にフランカー2機!》

《メイス3被弾!脱出する!》

《メイス5、メイス隊指揮を引き継げ!》

 

 後方の空域では、一時鳴りを潜めていた炎と煙が再び盛んに生じ始め、殿(しんがり)のウスティオ軍機とラティオの増援が交戦状態に入ったことを告げていた。

 既に距離が離れつつあり戦況を見定めるのは困難であるものの、虎の子の『イーグル』半数を失い、弾薬も消耗したウスティオ軍機では、いかに優れた技量でも不利は否めないだろう。敵の増援の数を踏まえると、戦力比は1:2、ないしそれ以上に不利な比率にもなる。背後で交わされる通信の声は、その戦況を反射して緊迫に満ちたものになっていた。

 

《遅れていた友軍機もじき到着する。それまで何としても持ち堪えるんだ》

《んなこと言っても限度が…ッ!レクタ機へ、4機抜けた!…クソッ、さらに2機!すまんが追いきれん!》

《こちらスポーク1。追撃する敵機種知らせ》

《全部『スターファイター』だ!悪いが追う余裕が無い!》

「…よりによって…!」

 

 機数で劣る状況では、やはり突破阻止にも隙ができる。爆撃機追撃の焦燥に加えて、後方から迫る新たな脅威に、レクタ編隊にもさっと緊張が奔った。

 悪いことに、ウスティオ機の阻止を抜けて迫るのはF-104S『スターファイター』が6機だという。機動性はこちらに分があるとはいえ、元々加速性能では同世代機の追随を許さない機種であり、殊今のような追撃においては旧式といえども十分すぎる脅威になる。おまけに、こちらは燃料を消費しており巡航速度で飛ぶ他無く、対する『スターファイター』は最高速度で迫って来るのだ、速度の領域ではそもそも勝負にすらならない。速度に雲泥の差がある以上、射程内に捕捉されるのは時間の問題だろう。

 

《まずいな…。カルクーンよりアウル、このままでは全滅します。何機か殿に残さなければ…》

《く…。やむを得ん。スポーク2、ただちに反転し追撃を阻止…》

《イーグルアイよりスポーク1、待て。間もなく友軍の増援が到着する。針路そのまま飛行されたし》

《…!?増援、って…》

《無茶だ、もう捕まるぞ!》

 

 カルクーン――スポーク1後席のフィンセント曹長とイーグルアイが通信の問答を繰り広げる間にも、後背からは『スターファイター』が瞬く間に距離を詰めて来る。ちらりと振り返った後方では、既に短く薄い主翼を持った特徴的な機影を判別できる程にまで、その距離を狭めて来つつあった。

 到底、逃れきれない。しかし一度でも回避運動に入ると、爆撃機編隊に追いつくことはもう叶わなくなる。ぎり、と歯を食いしばり、エリクは再びその眼を、絶望に染まった空へと向けた。いくらイーグルアイの言う『増援』が優速であれ、6機相手ではもはや――。

 

《二人とも、聞こえたな。第一目標、レクタ編隊を追う6機。第二目標、ラティオ軍爆撃機編隊。友軍の迎撃は間に合わない、諸君だけで目標を殲滅せよ》

《了解。目標を視認、交戦します》

 

 イーグルアイの甲高い声と、初めて聴く声。脳裏を通り過ぎたそれらを意識する余裕もなく、エリクの目は正面と計器盤を行き来する。

 速度、マッハ0.8。推力強化機構『コンバット・プラス』を使用し燃料を消費した以上、これ以上の速度は到底出せない。

 対する敵機は後方、亜音速。迫る殺気はレーダー照射を告げる機械音へと変わり、やがてロックオン警報を告げる耳鳴りのような音へと移ろってゆく。

 捕まった。

 距離、概ね900。外しようのない、有効射程距離。

 図らずも早まる鼓動に、エリクは思わず緊急脱出レバーに手をかけて備えた。一瞬後に来るであろう、背中を貫く衝撃に。

 

《交戦を許可する。頼んだぞ。――ガルム隊》

《ガルム1、FOX3》

 

 衝撃、爆発。

 背中に感じたそれは、しかし予期していたより遥かに軽い。

 『増援』。今更ながらにその言葉が脳裏に実感を持って浮かび、エリクは緊急脱出レバーから手を放して後方を振り返った。

 そして、驚愕した。

 

 後方に迫っていた筈の『スターファイター』のうち、4機が煙を噴いて脱落しつつあったのだ。残る2機の『スターファイター』も、後方から迫った別の2機からそれぞれ機銃掃射を受け、回避も叶わず被弾。爆発の炎とともに四散し、細切れの破片を地上へ向けて散らしていった。後方の優位を取っていたとはいえ、6機を一瞬で屠ったその技量は尋常ではない。

 

 追撃のため重ねた速度のまま、ウスティオの増援の2機はこちらの頭上を追い越してゆく。

 単発のエンジンに、傾斜を設けた1枚の垂直尾翼。端を切り欠いた三角翼は、機体そのものが小型なためか幾分大きい印象を与える。

 特徴的なのは、他に例を見ないその塗装パターンだろう。2機とも基調は一般的な灰色だが、先頭の機体は両主翼端と水平尾翼端を青く塗装し、後の機体は右翼の中ほどから先を赤く染め抜いている。機体形状こそ一般的なF-16『ファイティング・ファルコン』シリーズと見受けられるが、その色彩が、2機の印象を際立ったものへと変えていた。

 

「F-16…?変わった塗装だな」

《いや、F-16にしては主翼とエアインテークが大きい。たぶん攻撃機型のF-2Aだろう。にしても…。…………『ガルム』…?》

《…?どうしました、隊長?》

《……いや、何でもない。それにしてもいい腕だ、羨ましいね》

 

 耳に馴染みのないコールサインのためか、それともその技量ゆえか。いつになく感嘆した様子のロベルト隊長をよそに、2機のF-2Aは先頭の『タイガーⅢ』と並走し、何かしら通信を交わした後に編隊先頭へと機位を取った。無駄のないその機動からは、確かな技量も感じ取れる。

 

 背後に飛び交う戦火を振り切り、飛ぶこと数分。じわりじわりと精神を圧迫するような時間が過ぎ、地平の先にヴァーレ・トリッツァの平原が見え始めた頃になって、ようやく眼下にいくつかの機影が見え始めるようになった。その数、概ね10前後。高度1000に満たない低空を這うその様は、間違いなく求めるラティオ編隊に違いない。

 

《ガルム1、目標視認。Tu-22M『バックファイアC』6機、Su-30MK『フランカーF1』8機と推定されます。我々が先に仕掛けますので、レクタ軍の皆さんは散開した敵機を追撃して下さい。ガルム2、支援をよろしくお願いします》

《こちらガルム2、了解した。存分にやれ、ガルム1》

《スポーク1了解。レクタ各機、ガルム隊に続いて攻撃を仕掛ける》

 

 まだ相当の距離があるにも関わらず、いち早く機種と数を見定めたのだろう。敵編制を見取り戦術を定めた『ガルム1』の声は、まだ若い青年のそれを思わせた。『ガルム2』の声が年を重ねた壮年のものに聞こえることもあり、エリクにはどうにも、その様子がどこかアンバランスな印象だった。

 

 2機のF-2Aが機体を右へ傾け、機首を下げながら敵編隊へと向かってゆく。まずはガルムの2機が突破口を開き、その隙を後続のレクタ編隊が攻めるという戦術である以上、ガルム隊の直後にすぐ続いては敵の迎撃に遭ってしまう。レクタ編隊長のアルヴィン少佐が機体を傾けたのは、それから数秒を経てのことだった。パウラが、ロベルト大尉がそれに続き、エリクも機体を傾けて敵編隊へと舵を切っていく。

 

 こちらに気づいたのだろう、『バックファイアC』が左右に広く散開し、護衛の『フランカーF1』が4機1組となって左右へと反転してゆく。右の4機はやや内側へ、左の4機は大きく旋回してまっすぐにこちらへ。ガルムの2機は開いたその中央を突っ切る針路で、背を見せる『バックファイアC』へと殺到していく。敵の機動を見る限り、右はガルム隊の入れ違った後間髪入れず後ろを取るつもりなのだろう。Su-27『フランカー』シリーズの運動性に加え、機首にカナード翼を設けたSu-30の機動性は、並の戦闘機とは一線を画する格闘戦能力を有する。いくらF-2Aとはいえ、まともに格闘戦を構えられる相手ではない。

 

 だが。その読みを、眼前の2機はいとも簡単に打ち破った。

 

《ガルム1よりガルム2、左右散開(サイドオープン)

《ガルム2了解。FOX3》

 

 敵編隊との距離がおよそ1200を切ったその瞬間、2機のF-2Aは突然左右へ散開。ガルム1は右、ガルム2は左の4機へと一瞬で相対し、間髪入れずミサイルを放ったのだ。

 いち早く攻撃を加えたガルム2が放ったのは、FOX3のコードから判断する限り中距離高機能空対空ミサイル(XMAA)。本来は長い射程を活かして敵射程外から一方的に攻撃するのに用いる兵装だが、今回は敵の虚を誘うために敢えて至近距離で使用したのだろう。その読みは過たず、同時に放たれた4発はそれぞれの目標へ向けて直進。『フランカーF1』は泡を喰って回避に入るも叶わず、3機が胴体に直撃を受けて爆散。残る1機も尾部に被弾し、片方の尾翼とエンジンカウルを砕かれて空に散らした。

 爆炎を裂き右旋回に入る、赤い片羽のF-2A。その先では、両翼を青く染め抜いたガルム1が、真正面から敵編隊を突っ切る所だった。すれ違う直前に空対空ミサイル(AAM)を放ったのだろう、細い首にミサイルを受けた2機の『フランカーF1』が爆発に包まれ、巻き上がるそれがガルム1の背を覆い隠し、同時に残る2機の視界を塞ぐ。

 F-2A相手ならば、背を取るのは容易。そう判断したのだろう、黒煙の中で即座に旋回し、2機の『フランカーF1』がガルム1の背を指す。機体性能の優位と仲間を失った同様ゆえのその判断は、しかしこの時ばかりは命取りとなった。濛々と漂う爆煙のために、2機の『フランカーF1』からはガルム2が迫りくるのが見えず、その大柄な背を赤い片羽の前に晒してしまったのである。

 AAM1発、次いで機銃掃射。たったそれだけの攻撃で、全ては終わった。煙に包まれる2機の『フランカーF1』を追い越して、早くもガルム隊の2機は逃げ惑う『バックファイア』の背を捉え始めていた。

 

「何て奴らだ…。化け物じみてる」

 

 よろめく最後の『フランカーF1』が、スポーク1に喰われて断末魔の轟音を刻む。それすらも顧みず、2機のF-2Aは最右翼の『バックファイアC』を血祭りに上げ、敵編隊前方へと回って旋回に入った。

 最初の接敵から爆撃機撃墜まで、わずか1分にすら満たない一瞬。たったそれだけの間で、それも戦闘爆撃機たるF-2Aで、ガルムの2機は戦闘機7機と爆撃機1機を瞬く間に撃墜して見せたのだ。

 力を込めた手に、じわりと汗が滲むのを感じる。――化け物。これ以外に、どう形容する言葉があるというのか。

 

《いやはや…驚きました。15年前に噂は聞いたことがありますが、まさかこれほどとは》

《……いや、どうもありゃ違うな。スマート過ぎる》

《…?》

《ともあれだ。スポーク1、このままじゃあの2機に全部取られちまう。いっちょ我々も頑張りましょうや》

《……そうだな。ここまで来て全てウスティオ軍頼みでは、レクタの沽券にも関わる。各機、遊んでいる暇は無い。速やかに落とすぞ》

 

 呆気に取られる面々の中、辛うじて方針を示したアルヴィン少佐が、『タイガーⅢ』の機速を速めていく。それに引かれるようにエリクも速度を速めながら、心は奇妙な感慨に囚われていた。

 戦況をわずかな時間でひっくり返す存在――エース。心強いことは勿論だが、今の奇妙な感慨の中には、それ以上に得体の知れないものに対する恐れ――言うなれば畏怖のような感情が混じっているようにも感じられたのだ。彼らは、一体何者なのか。同じ軍人で、なぜこれほどまでに違うのか。

 

 森林の緑を眼下に、白みの強い『バックファイア』の塗装が映える。

 猟犬の狩場となったその空の下で、青い両翼に翼を噛み千切られた『バックファイア』が1機、その巨躯を緑に呑まれ、爆炎へと沈んでいった。

 

 

******

 

 同日、午後8時。空前の大空戦を終え、常の静謐さを取り戻したヘルメート基地居住区の中に位置するシャワー室。ざぶざぶと注ぐ水の音が止み、光漏れるドアを開けてタオルを引っ掴むエリクの姿が、その一室の中にあった。

 結局、あの後の爆撃機追撃戦は、ガルム隊の働きもありほぼ一方的な虐殺に終わった。戦闘機はもちろんのこと、『バックファイアC』も6機のうち4機をガルム隊が撃墜し、その全機の掃討を以て作戦は無事に終了したのだった。ヴァーレ・トリッツァの陸軍は敵弾の1発も撃ち込まれることなく、無事集結を終えてラティオ中郡へと進撃を開始していった。

 作戦参加機のうち、喪失は約半数。損害は大きかった一方で、ラティオ軍機も半数以上を撃墜し、かつ攻撃の阻止に成功した所から判断すれば、一応連合軍の勝利と言っていいのだろう。批評は数々出るだろうが、エリクにとっては、ハルヴ隊もスポーク隊も、1機も欠けずに生還できたことが何よりの成果だった。

 

 だが、その代償と言うべきか、今日はひどく疲れた。緊張に次ぐ緊張で、既に頭も体も重い。戦闘続きの日常である、これまでも疲労を覚えることは多々あったが、今日ほどの疲労は今までに無かっただろう。体が鉛のよう、とは今日にこそ相応しい表現に違いない。

 ともかく、今日は早く休みたい。その思いゆえ、作業はどうしても早くぞんざいになる。手早くタオルで水分を拭い、ドライヤーで髪を軽く乾かし、よれよれの肌着を纏うまでわずか数分。クリスからはもっと衣類に気を遣えと口うるさく言われてはいるが、どうせ人に見せる訳でもない以上、エリクは特に改善は考えていなかった。

 さっぱりとした気分で口ずさむ鼻歌は、オーシアの人気バンド『ROLLING THUNDER』が最近リリースした新曲である『フェイス・オブ・コイン』。激しさと切なさが入り混じる熱いメロディーが、エリクの琴線に触れたのだった。

 ひとりっきりの狭い空間ゆえの、だらりとした自由の空気。それに浸り油断しきっていた為だろう、鼻歌交じりにシャワー室のドアを開けたエリクは、そのすぐ前にいた小柄な人影に思わずぎょっと心臓を跳ねさせた。

 

「おわっ!?」

「………」

 

 暗い廊下で姿を見定め辛いが、色素の薄い銀髪に低い身長と細い体の線は、スポーク隊2番機のパウラの姿だった。無言でこちらを見上げるも一瞬、パウラは有無を言わさずこちらを押し進め、シャワー室に押し込めながら後ろ手に鍵をかける。その様をされるままに見過ごすしかできなかったのは、偏に予期せぬ遭遇で呆気に取られたためだったのだろう。

 

「おい、ちょ、ちょ、ちょっと待て。待て待て待て!お前な、一応デリカシーってもんが…」

「………」

「パウラさんちょっと、もしもしー?」

 

 常からよくわからない人間だとは思っていたが、今日こそエリクはパウラへの理解に窮した。あっさりと有無を言わさず押し込められた訳だが、これは階級差を抜きにしてもいろいろと大問題ではなかろうか。方や湯上り肌着の上官、片や軍服の士官である。外面的には、少なくとも健全なそれとは言い難い。

 方や、こちらの困惑もどこ吹く風、パウラはきょろきょろと屋内を見渡し、しきりに何かを探っているようにも見える。軟禁紛いの真似をして、一体何なのか。深くため息をつきかけた刹那、壁を背にしたエリクの方へ、パウラはずいと顔を寄せた。

 

「……どう思う」

「………………何が」

「ロベルト大尉」

「……は?」

 

 過程と前提を放り投げたパウラの質問に、思わず怪訝な声を返すエリク。量りかねる質問の真意にパウラへと向けた視線は、真正面から見据えるパウラの目に押さえられた。

 

「どう、って…。ウチの隊の隊長だし、普段は多少ちゃらんぽらんだけど頼れる人だなって…」

「違う。ウスティオの『ガルム隊』との、今日の事」

「……どういう意味だ?」

「…気になることがあって、来歴を照会した」

「……?」

 

 相変わらず要領を得ないまま話を進めるパウラ。文句の一つでもと開きかけた口は、しかし一際声を潜めたその様子と、尋常でないその気配で、再び噤まざるを得なかった。

 

「15年前のベルカ戦争当時、傭兵としてレクタ軍により雇用。当時中尉相当官。戦争終結後の1995年12月、ベルカ残党掃討戦のためアヴァロンへ出撃、行方不明になる。その後生存が確認され、1999年4月に再び雇用を希望。人材不足のレクタに、今度は正規兵として編入された」

「…それがどうかしたのか?俺も聞いてるし、別に変な所は無いだろ。まあタフな来歴だなとは思うけどな」

 

 パウラの口から語られた大尉の来歴は、エリクにとっては今更の情報だった。かつてのベルカ戦争で戦闘機パイロットとして参戦したことも、かの『円卓』の空を飛んだことも聞いているし、間を置いて正規兵となったことも本人の口から聞き知ったものに他ならない。ベルカ戦争の後はどこの国も人材が不足しており、敗戦国となって職を失ったベルカの軍人や傭兵を雇用するといったことは他国も行っていた事である。事実、これまで特に妙と思って聞いたことは無かった。

 

「今日の空戦で、大尉は『ガルム隊』を知っている様子だった。それも噂を聞いたのでなく、直に見たような口ぶりで」

「ガルム隊な…どこかで聞いたと思ったら、後で俺も思い当ったよ。都市伝説と思ってたけど、実在したんだな」

「黙って聞いて。肝心なのはそこじゃない」

「んな…!」

 

 平易な声音に一抹の苛立ちを含ませ、パウラが声を被せる。今更腹を立てるでもないが、やはりむっとすることには変わりはない。

 『ガルム隊』の由来に思い当ったのは、基地へと帰還し一息ついた頃の事だった。15年前のベルカ戦争で、鬼神のような戦果を上げて連合国を勝利へと導いたという、ウスティオの伝説の傭兵部隊『ガルム』。戦史を扱う雑誌でその記事を読んだ記憶はあるものの、その戦果があまりにも常識から外れており、大方戦意高揚のでっち上げの類と思って気にも留めていなかったのである。それが実在の部隊と知ったのは、その話題でヴィルさんと話しての事だった。曰く、当時は戦闘機乗りの誰もが憧れた英雄だった、と。

 

「公式記録では、ガルム隊はウスティオ奪還の後、ベルカ南郡の攻略に参戦。その後、ベルカ残党の掃討作戦にも従事し、常に最前線で戦闘に参加。そして、1995年末のアヴァロン攻略作戦を最後に、公式記録から消えた。一方で、レクタ軍は常に後方の維持や防空に従事して、最前線でウスティオ軍と共闘した事例は無い」

「ロベルト大尉はアヴァロン攻略に参加してたんだろ?その時なんじゃないか?」

「可能性は無い訳じゃない。でも、ガルム隊を除く護衛機は、『ガルム』が制空戦に入るまでに全滅してる。敵地で空戦を眺める余裕があったとは思えない」

「………何が言いたいんだ、パウラ」

「ロベルト大尉が、ガルム隊を見ている筈はない。少なくとも、その経歴が事実なら」

 

 乾いた額に、冷や汗が一筋流れる。

 ロベルト大尉の経歴が事実なら、大尉はガルム隊を見る機会は無い――裏返せば、ガルム隊を見たという今日の様子が真実ならば、その経歴に偽りがあるということになる。

 もしそうだとして、パウラは一体何の積りでそれを自分に伝えたのか。たった一筋の言葉の綾から確証の無い推論を引き出して、自分から何を引き出そうとしているのか。彼女の、パウラの真意は何なのか。

 

 感情を湛えないパウラの瞳。交わる事数秒、それはふ、と逸らされ、パウラは寄せていた顔を離した。ごくりと飲み下された生唾が、一体どのような感情の働きによるものだったのか。脳裏にも判然としないまま、パウラの体がドアの方へと向くのを、エリクは茫然と眺めていた。

 

「何も知らないなら、いい。それだけ」

「…!待てよ!………一体、何の積りなんだ。何で俺にそんなことを…!」

「ロベルト・ペーテルスには気を付けた方がいい」

「……!」

 

 ぴしゃりと宣告するようなその言葉に、エリクはまるで金縛りに遭ったように、体を動かすことを忘れた。

 ロベルト大尉に、気を付ける。何について、どうやって。何故。心が千々に乱れる間に、ドアを僅かに開けたパウラはするりと短躰を滑らせて、まるで何事も無かったかのようにシャワー室の外へと消えていった。

 

「…おい!」

 

 数秒の、刻。ようやく収まった鼓動を抱え、エリクはドアを叩き開けて廊下へと声を荒げる。

 薄暗い電灯が明滅する廊下には既に人影はなく、ただ蒙漠とした闇が広がっていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。