Ace Combat side story of 5 -The chained war-   作:びわ之樹

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第1話 三日月の飛行隊

 雲を突き抜けた先で、太陽が刺すように目を打つ。

 

 速度域グリーン、失速の恐れなし。それだけを確かめ操縦桿を引くと、キャノピーの外で天地が転がり、しばし茶色い大地が『頭上に』広がった。

 南方に広がる、聳えた柱を(のみ)で削り取ったような山脈。徐々に低く平らとなり、北方へと連なってゆく広大な平野。そして、地面の暗色にコントラストを映えさせる、低空域にぽつぽつと浮かぶ白い雲。自然が織りなす雄大な光景の中で、その雲の周りを鳥のように飛び交う小さな影だけが、その自然の中に人の気配を紛れ込ませている。

 

「くそっ!もうこれだけか!」

 

 雲の合間に見える友軍の数は、4。離陸した時点では12機から上がっていた筈だが、自分たちを含めても今や半数ほどしか残っていない。驚きと苛立ちに、思わず出た舌打ちが零れる。

 機体も技量も、不足していたとは思わない。それなのに、最前線を護る主力部隊の自分たちが、たった2機に翻弄されるなんて。

 煮えくり返りそうな胸中に、雑音交じりの声が被さった。

 

《中尉、小隊長たちが孤立しています!》

「ハルヴ4、行くぞ!せめて奴らに一泡吹かせてやる!」

 

 僚機に言われるまでもなく、青年にもその様は見て取れた。『敵』の2機は1機ずつに分かれ、友軍の2機2組の連携を乱しながら距離を詰めている。その一方が、自分たちの小隊長を含む集団であろうこともはっきりと見て取れた。

 機体が一回転し、機首がまっすぐ地面へと向かう。軽量な機体に高出力のエンジンという組み合わせに加え、加速性能に優れた形状、そして何より重力を活かせる上空からの逆落とし。まるで地面に吸い込まれるように機体は加速し、その鋭い鼻先を目標へと向けてゆく。風を纏った翼は瞬く間に音速を越し、敵の死角となる斜め後上方から一気に距離を詰めた。

 眼前で、小隊長機含む2機の後ろに敵機が就く。敵のレーダーがその背を完全に捕捉し、ミサイルを放つまで約2秒。それだけあれば、何とか後方には喰らいつける。一瞬で追いつきミサイルと機銃を叩き込めば、撃墜は一瞬だ。

 攻撃範囲に捉えるべく、フットペダルをやや緩めて速度を調節する。ガラスにぼやりと浮かぶガンレティクルが、その背を捉え始める。

 もう少し。

 小隊長の僚機が翼を傾ける。

 もう少し。

 小隊長が『撃墜』され、ゆっくりと機首を翻す。

 あと、一歩。

 

 まるで絵に描いたような一撃離脱の接敵法そのままに、青年は引き金に指をかけ――。

 

《ハルヴ4、撃墜判定だ。離脱しろ》

《えっ…?ウソ、いつの間に!?》

「…なっ!?」

 

 唐突に飛び込んだ男の声に、青年は照準器に張り付けていた視線を咄嗟に引き離した。

 ハルヴ4、斜め後方。

 そちらを振り返ると、こちらの援護に就いていた僚機――ハルヴ4の後方に、別の友軍を抑えていた筈の敵1機がその背を捉えていた。

 速度を活かした高空からの奇襲。それすらも、あっさりと読まれていたというのか。ならば、せめて目の前の敵だけでも。

 舌打ち一つ、操縦桿を握る手に力を籠め、青年は視線を前に戻す。その先に、敵の姿は…ない。確かに背後を取っていたのに、忽然と消え失せている。

 

「…!?消えた!?」

《ハルヴ2、敵から眼を離すとそうなる》

「………っ!後ろ…!?」

《『撃墜』だ。演習各機、帰還せよ。1740より講評を行う》

 

 コクピットを満たす、無情な電子音。『2秒間のロックオンアラートで撃墜判定とする』――今回の演習のルールに則れば、これで自分も立派に戦死であった。

 くそっ。腹立ち紛れに、青年は右手の甲でヘッドレストを殴りつける。おそらくこちらが後方に気を取られた隙に、目の前にいた方の敵は急減速し、こちらのオーバーシュートを誘発して後方を捉えたのだろう。企図していた一撃離脱をあっさり見破られた所から考えるに、そもそもわざと隙を見せて罠を張っていたのではとも勘繰りたくなる。つまりは、見事にハメられたのだ。

 

《いやあぁ流石は教導隊、コテンパンにやられたなこりゃ。講評が怖いぜ。エリク、ヴィルさん、クリス、降りようか》

「はあぁ……。了解」

 

 演習結果、0対12の惨敗。それもさして意に介していないのか、あっけらかんとした小隊長の声が通信を揺らす。この結果では、講評は『怖い』どころでは済まないだろう。

雲間に覗く基地の滑走路目がけ、青年――エリク・ボルストはゆっくりと機体を旋回させた。重い気分を、せめて機体の軽やかな機動に紛れさせながら。

 

 時に、2010年8月30日。オーシア東方諸国のほぼ中心に位置するレクタ共和国の、ウスティオおよびラティオとの国境にほど近いヘルメート空軍基地。合して14の機影が、その空から舞い降り始めていた。

 

******

 

「ああああもう!教導隊だからって偉そうによー!」

 

 悪夢の講評が終わってしばし後。小隊に充てられた格納庫の脇に設けられた搭乗員詰所に、エリクの姿があった。詰所と言うものの実質は休憩スペースと言ってよく、コーヒーメーカーに雑誌や新聞を収めた棚、そして誰かが拾ってきたのであろう古びた雑貨や道具類が棚に詰め込まれ、概して乱雑とした様相を呈している。エリクはその中の雑貨の一つ、中身の覗いたソファに体を放り出し、赤みの強い金髪をぐしゃぐしゃとかき回した。酷評と評していい先の講評を腹に据えかね心を乱しているのは、その様からも明らかである。

 

「わぷっ、先輩、このソファに飛び込むの止めて下さいよー。埃が物凄く舞うんですから…」

 

 後をついて詰所に入る小柄な人影は、埃を避けるように顔の前で掌を扇ぎながら、空いたソファへちょこんと腰を下ろす。エリクと同じく先の講評が堪えているのか、表情こそやや暗いものの、これもこれで勉強だと落ち着きを取り戻している風情だった。額に張り付いた栗色の前髪は、先程流した冷や汗の名残なのだろう。

 『ハルヴ4』――クリスティナ・ファン・レイデン伍長。それが、彼女の名である。軍に入って日が浅く新米の部類に入るものの、国境に近いこの基地に配属され、しかも戦闘機隊の末席に収まる辺り、将来を嘱望させる資質が評価されたのだろう。実際、技術面では未熟さが目立つものの、最前線に収まり続ける度胸は人並み外れているとも言えた。

 

「気持ちがささくれ立った時は、甘いものが気持ちを落ち着けてくれます。ココアでもお淹れしましょうか」

「ヴィルさん…。すんません、ありがとうございます。俺コーヒー加えてカフェモカで」

「あ、私はミルクマシマシでっ」

 

 続いて入って来た『ハルヴ3』ことヴィルベルト・ブロック曹長が、3人分のマグカップを持って冷蔵庫の前へと歩いてゆく。190cmを越える筋肉質な巨体と色黒の肌、パンチパーマの黒髪、そして厚い唇と鋭い目。一見してボクサーかと見まがうほどの強面だが、その実思いやりは人一倍強く、エリク自身もメンタル面で何度も助けられた覚えがある。階級に関係なく、同僚から敬意を持って『ヴィルさん』と呼ばれ慕われているのも、その人柄あってこそだろう。

 ことん、と湯気を立たせたマグカップが前に置かれる。カカオの甘い香りにコーヒーの香ばしさが合わさったカフェモカは、エリクの好きな飲み物の一つだった。ちらりと他のマグカップを覗けば、クリスのそれは『ミルクマシマシ』の要望に違わず、うっすら褐色のついたミルクという様相である。もはやココアの味がするかどうかすら怪しい気もするが、それを飲んだクリスの目尻が満足そうに緩んでいる辺り、おそらくあれで正解だったのだろう。一方で、ヴィルさんの方はスタンダードなミルクココアに、さらに割った板チョコを入れていた。見た目とのギャップが著しいが、こう見えてヴィルさんは結構な甘党である。

 マグカップを口に運び、香りと甘さを確かめるように一口を含んでゆっくりと味わう。程よい甘味とそれを引き締める苦み、そして鼻孔をくすぐる芳醇な甘い香り。そのバランスは、まさにコーヒーとココアの黄金比が成せる業だろう。流石はヴィルさんである。

 

「ああ、空に上がった後のココアはまた格別ですね。エリク中尉、落ち着きましたか?」

「ええ、まあ多少は…。まだ呑み込みきってはいませんけれど」

 

 マグカップを置いて溜息一つ、エリクは黒い湯面に視線を落とした。

 内省に向かえば、記憶に蘇るのはつい先程の『講評』の様。多少の時間は経ったものの、思い返せば今でも腹立ちは募ってきそうだった。

 

******

 

『………』

『……………』

 

 講評を始める、と教導隊の隊長が言って十数秒。その間に、奇妙な沈黙が横たわっていた。ミーティングルームの座席側には演習に参加していた中隊の面々。そしてホワイトボードを背にした前の方には教導隊の3名。隊長の黒髪オールバックの男――アルヴィン・ヴィレムセン少佐は口元を一文字にしたまま一同を眺め回し、ホワイトボードの左右に位置する眼帯の男や背の低い銀髪の女も一言も口にしない。

 

 重苦しい空気を破ったのは、冷徹な男の声だった。

 

『諸君がこのレクタの国境を護っていることに対して、私は驚嘆している。諸君の力量があれば、いつウスティオやラティオの侵攻を受けようとも、この地は瞬く間にそれらの有となるだろう。中隊戦術の不備、小隊間連携の不足、戦術的観察眼の欠落。どれをとっても隙が無い』

 

 痛烈な皮肉だった。隣国の軍が我々を破るのは容易であり到底防げないこと、部隊として満足できる点が何一つ無いことを、勘を逆なでする言葉で批判したのだろう。それを分かっていながら、エリクは思わず拳に力を込めていた。

 ぎり、と誰かが奥歯を食いしばった音が聞こえた。もしかするとそれは、エリク自身だったのかもしれない。

 

『我々『スポーク隊』は、諸君の技術向上のため、しばらくこのヘルメート空軍基地に駐屯する。緊迫している国際情勢を鑑み、諸君が一日も早く国境を護るに足る兵となることを期待している。次、個評に移る。パウラ准尉』

 

 最後まで心をささくれ立たせる言葉を残し、アルヴィン少佐が後ろへ下がる。ホワイトボードとともに一歩前に出て来たのは、先程まで後ろに控えていた銀髪の方だった。よくよく見れば色素の薄い金髪らしく、わずかに黄金色が見て取れるが、極めて色が薄いために銀髪にしか思えない。正規兵にしては低身長、それどころか体のつくりもどこか華奢であり、一見すれば10代半ばそこらにすら見える姿だった。ショートの銀髪に癖があり、毛先が適当な方向に跳ねていることも相まって、見た目の印象はさしずめ猫といった所だろうか。

 パウラ、と呼ばれたその少女が引っ張り出して来たホワイトボードには、演習に参加した面々の編制図と顔写真が貼られていた。向かって左側から第3小隊、第1小隊、そしてエリク属する第2小隊の順に並んでいる。エリクは小隊内では最も右翼側に位置するため、中隊全体から見ても最も右側にその名前があった。

 

『30点。旋回の反応が鈍い』

 

 おもむろにペンを取った少女が、最左翼の機体の上に数字を書き落とした。30点、とはすなわち100点満点での各人の評価ということなのだろうか。抑揚のない声で端的に告げられる評価は、まるで首元に突き付けられた匕首を思わせるほどに鋭く辛辣である。

 10点、25点。予想を絶する低評価に、面々の表情が歪んでゆく。中隊長ですら40点であり、誰一人として50点以上を叩き出していない。うなだれる者、歯を食いしばる者。失望と屈辱のその波は、やがてエリク達ハルヴ隊へも波及していった。クリス10点、ウイングマンとしての役割が果たせていない。ヴィルベルト35点、後方警戒が不足。そんな中で、続いた小隊長は45点と相対的には高評価だった。曰く、戦況を見極め、自らを囮に立て直しを図ったのはまずまず、とのこと。

 

 ごくり。すっかり暗くなった空気の中で、唾を飲み込む音が響く。あとは最後の一人、エリクの評価を待つのみである。

 少女がペンの先をエリクの機体マークの上へと触れさせる。その先端は、しゃ、と丸を一つだけ描き………終わった。

 

『0点。だめ。』

 

 沈黙、数秒。その間、エリクの頭は考える機能を失っていた。

 え。0点、とは。だめ、とは。そもそも何がどうダメだったのか。

 エリクが椅子を蹴るように勃然と立ち上がるまで数秒を要したのは、その脳が衝撃から我を取り戻すのに、それだけの時間を要したためだったのだろう。

 

『ま…待った待った待った!0点って何がどう…!』

『小隊内連携が取れてない。直上からの急加速で機体を傷めかけた。機体性能を活かしきれていない。僚機の状況確認が疎か。戦術が見え見えだった。敵から眼を離した。以上失点100。追加で理解力不足と客観評価の欠落でマイナス20。』

『が、ぐ………!』

 

 言葉が突き刺さる、とはまさにこのことだろう。矢継ぎ早に放たれる低評価の弾幕に、エリクはもはやぐうの音も出なかった。しかも腹は立ちこそすれ、言われていることは確かに外れてはいない。隊長やヴィルさんと分断されてしまったこともそうであるし、急降下で機体フレームに負担をかけたのも事実。挙句、一撃離脱の奇襲戦術は早いうちから見破られてしまっていた。

 これまでのパイロット勤務で技術は磨いてきた積りであるし、他の部隊との演習では勝率は悪くない。今の今まで築き上げて来たそんな自信が、この一日で崩れ去った気分だった。それも、明らかに年下な小娘の言葉によって。

 

『明日の演習は0730時より、小隊ごとに実施する。詳細は各小隊長へ追って通知する。以上、解散』

 

 解放の一声は、しかし一同にとって暗く重たい。これから数か月間、今日のような思いをしなければならないのだから。拳を握りしめたままのエリクも、それは同様だった。

 

 詰所に至るまで、以上の経緯があった訳である。

 

******

 

「何なんだよホント0点って…ダメって…」

「おっす、皆お疲れ…って何だどうした落ち込んで。ヴィルさん、とりあえず俺にもココアちょーだいココア。」

「あ、隊長!明日の予定、どうでしたか?」

 

 どんよりと項垂れたままのエリクをよそに、開口一番に明るい声で現れたのは、『ハルヴ隊』小隊長の『ハルヴ1』ことロベルト・ペーテルス大尉だった。小太りの体格に刈り上げの金髪、常に笑ったような表情と、見た目は人当りの良い市井のおじさん、といった雰囲気の人物である。これでいて、かつての『ベルカ戦争』に参戦した履歴もあるベテランパイロットというのだから、ヴィルさんともども『外見は当てにならない』という格言を体現する存在と言えるだろう。

 

「明日は第3小隊の次だから、午前9時半から演習開始だな。それまでしっかり機体を調整しておいてくれ。俺たちの機体もいい加減旧式だ。労わって使ってやらなきゃな」

 

 ロベルト大尉が、親指を立てて窓の方を指差す。格納庫に面したその先には、『ハルヴ隊』の配備機たる4機の姿があった。

 

 鋭角的なシルエットに、機体を印象付ける無尾翼デルタ。機体の形状とコクピット横の丸いエアインテークは『ミラージュⅢ』や『ミラージュ2000』に代表されるミラージュファミリーを彷彿とさせるが、より鋭角的に細まってゆく機首や、エアインテーク上部に設けられたカナード翼が、その印象を一際違ったものにさせている。

 

 『クフィルC7』――それが、エリク達ハルヴ隊に与えられた機体だった。名機と謳われた軽戦闘機『ミラージュⅢ』をベースにエンジンの換装やカナード翼の増設が行われた発展機であり、特にこのC7型は電子機器や搭載量を増加させた強化仕様である。こう書くと『ミラージュⅢ』の正式な強化発展機のようだが、その実この機体は正式に『ミラージュ』の名を継いではいない。その背景には、20年以上前のベルカ連邦崩壊に端を発する複雑な事情があった。

 

 1980年代後半、軍事支出が増大し経済の悪化を招いたベルカ連邦は、その国土の一部を独立させ、負担の軽減を図った。この時に独立を果たしたのがゲベートとウスティオであり、ベルカ連邦時の設備を流用しつつ、それぞれが独自に軍備を整えることとなった。この際、ウスティオは調達数を抑える代わりに質を重視し、当時の新鋭機たるF-16『ファイティング・ファルコン』等を導入したのだが、ゲベートは数を重視して『ミラージュⅢ』や『ミラージュF1』等のやや旧式の機体を揃える方針を取った。

 ところが、独立後間もない両国は、軍備や体制を整えるのに資金を費やし、早くも経済危機に直面した。結果、独立から3年を経てウスティオは国土の東部を隣国のラティオに割譲し、ゲベートは南部を『レクタ共和国』として独立させるに至ったのである。

 当然、新興したレクタ空軍のためレクタは軍備を整えねばならず、当面はゲベート空軍時代の機体をそのまま流用することとなった。ところが、主力機たる『ミラージュⅢ』のエンジンや電子機器の生産工廠はゲベート側が持っており、レクタ国内での生産は不可能となっていた。ゲベートから輸入して調達するにしても、予備を含めれば調達数は膨大であり、おまけにゲベート側も価格を釣り上げたため、調達は遅々として進まない状況が続いていた。かくして、レクタ国内にはエンジンが整備できず飛べない、あるいはそもそもエンジンが無い『ミラージュⅢ』が溢れることとなったのである。

 

 この情勢に目を付けたのが、東方諸国に影響力を扶植したいオーシア連邦だった。レクタに安価な主力軽戦闘機F-5E/F『タイガーⅡ』等の機体を輸出するのみならず、『ミラージュⅢ』に搭載可能なエンジン等も提供し、レクタ国内で生産できるよう図ったのである。

 この結果、ゲベート由来の『ミラージュⅢ』にオーシアのエンジン技術を組み合わせて生まれたのが『クフィル』であった。このような背景を持つため、『クフィル』はゲベートには存在してない。

 

 以上の複雑な経緯を経て誕生した機体だが、配属当時から『クフィル』に搭乗しているエリクは、この機体を気に入っていた。かつて練習機として乗ったことのある『ミラージュⅢ』と比べれば、エンジンが強化されている分加速の伸びがよく、増設されたカナードのお蔭で低速域でも機体が安定しやすい。唯一の不満は、ゲベートが配備している『ミラージュⅢ』や『ミラージュ2000』と外見が紛らわしいことくらいだろうか。

 

「…お、噂をすれば教導隊の2機が上がるみたいだぜ。やれやれ、よく働く人達だ」

「見た目は普通の『タイガー』なのに…なんであんなに動きが違うんでしょう」

「さぁてね…。エースパイロットっていう奴かね」

 

 大尉の言葉に、ふと格納庫の向うへと視線を向けると、エリクの目にも滑走路を走る二つの機影が見て取れた。グレー系統の迷彩を主にしたレクタ空軍機とは異なり、エメラルドグリーンとオリーブグリーンを用いたダズル迷彩を纏った機体は遠目にも非常に目立つ。

 

 ナイフのようなスマートな機体に、小さな切り欠き三角翼。至ってポピュラーなその姿は、クリスの言う通り、一見何の変哲もないF-5E/Fだった。もっとも、後で聞いた所によると、彼らの機体はレーダーを換装し、火器管制系統や兵装搭載能力を強化した近代化改修機なのだという。アルヴィン少佐の方は複座のF-5F、パウラの方はF-5Eに乗っているようだが、いずれも近代化改修の結果、『タイガーⅢ』と呼称されているらしかった。

 いずれにせよ、機体性能そのものは『タイガーⅡ』と大差ない筈の機体で、機動性に優れる『クフィル』12機を返り討ちにする彼らの技量は、やはり尋常ではない。納得しかねることだが、この空には機体性能による不利を覆す『エースパイロット』は確かにいるのだろう。15年前のベルカ戦争を舞台に、そんな話はいくらでも聞いてきた。

 エリクに『エースパイロット』の語を口にさせていたのは、脳裏にひっかかったそんな思いだったのかもしれない。

 

「ま、何にせよああいう存在がいるっていうのは有難いことさね」

「ええ!?…中隊のみんなはもうウンザリって顔ですよ?それにエリク中尉も」

「まあそうだが…ああいう連中がいるからこそ、こっちとしても一層腕を磨こうって気にさせる。あれも一種のやり方なんだろうな。最近はここいらも海の向うもきな臭いし、練習積んどくに越したことは無い…ってことであいつらも派遣されたんだろうさ。あれも仕事だ、分かってやりな」

「………まぁ、そりゃ分かりますけどー」

「…たはは…流石に0点は手厳し過ぎるかもしれんがな」

 

 今度は胸に溜まった憤懣を飲み下すように、カフェモカをごくりと飲み下す。腕が足りないというのは今日いやというほど実感した。技量を早急に高めないといけないというのも分かる。それでも、毎日あの罵倒を受け続けねばならないことを思うと、やはり気が重くなってくるのは否めない。

 そして強行とも言えるそのやり方は、言い換えれば隊長の言う通り、彼らや上層部の焦りと見てもいいのかもしれない。それほどに、今の国際情勢は荒れていた。

 

 最も大きいのは、海の向うの大国、ユークトバニア連邦の先鋭化である。ユークトバニアはオーシア連邦と対を成す大国だが、1990年代初頭までは周辺諸国との紛争を抱え、オーシアとも冷戦状態にあった。それが、15年前のベルカ戦争においては一致協力することとなり、その時から両国の関係は劇的に改善したのだった。ベルカ戦争以降の15年は、ユークトバニアは国として穏やか相貌を纏っていたと言って良いだろう。オーシア領内のバセット国際宇宙基地の共同建設や大気機動宇宙機『アークバード』の共同開発は、両国の融和の象徴として大きく喧伝され、両者の間に友好ムードすら漂っていたのだ。

 ところがここ数年、その方針に変化の兆しが見え始めた。首脳部の人員刷新も然り、各軍の戦備増強も然り、そしてオーシア東方諸国への経済援助の働きかけも然り。いずれをとってもオーシアとの関係悪化は避けられず、まるで冷戦時代へと逆行するような方針を取り始めたのである。殊に、東方諸国のうち、隣国ラティオやベルカの東隣りに位置するファトなどには、既にユークトバニアの援助を受け入れたとの報道もある。いずれにせよ、オーシア・ユークトバニア間の関係には、暗雲が立ち込め始めたと言って良い。

 

 そして、その暗雲は今まさに、ここオーシア東方諸国をも包み始めていた。

 発端は、ウスティオとラティオの関係悪化である。先に述べた通り、ベルカ戦争以前のウスティオは経済的に困窮し、領土の一部をラティオに割譲することで糊口を凌いでいた訳だが、ベルカ戦争後は一転して先進国の仲間入りを果たした。俗に『円卓』とも言われる資源埋蔵地帯の開発は莫大な利益を生み、同時に航空機を始めとした産業も勃興。数は少ないながらも練度に優れた軍をも備え、ウスティオは瞬く間にベルカを追い抜き、東方諸国の雄たるサピン王国と並んだのである。

 戦争によって得た隆盛、そして経済発展。その進展とともに、ウスティオ国内では領土返還要求が口にされるようになった。すなわち、『ラティオはウスティオが経済的に困窮している時代に、金をちらつかせて領土を奪った。国が発展した今こそ、この失った領土を再び手にするべきだ』という論旨である。もちろん、ウスティオ側は割譲時と同額を提示しての金銭的な交渉を持ちかけているが、領土割譲を受けて20年近くが経過し、相応に投資を行ってきたラティオがそのまま呑める筈も無い。おまけに、ラティオは近年ユークトバニアと連携を深めている節もあり、ユークとしてもせっかく影響力を扶植したラティオの弱体化を見過ごすことはできない情勢である。

 各国の思惑、そしてその背後にある網の目のような国際情勢に押されて、二国間の感情は先鋭化した。今やウスティオ-ラティオ国境で両国の戦闘機が飛ばない日は無く、いつ戦端が開かれてもおかしくない情勢である。

 

 もしそうなった場合、レクタはどうするのか。『その時』にどのようにも動けるように、練度を高めておくに越したことはないというのは、分かる話ではあった。

 

「ともかく、今日は今日、明日は明日だ。しっかり晩飯食って英気を養おうや」

「まだ交代時刻まで1時間ほどありますよ、大尉」

「げ、マジか。…ひもじいなぁ畜生…」

「ココアなら浴びるほど飲めますよ、隊長?」

 

 どんよりとした空気を入れ替えるような隊長の言葉に、ヴィルさんの、次いでクリスの声が被せられる。よほど空腹らしく、隊長は萎れるようにうなだれて、恨めしそうに壁の時計を見上げた。その様がどこか子供を思わせて、エリクも、クリスも思わずつられて笑い声。ヴィルさんは、眩し気にその様を見て微笑んでいる。

 

 笑い声収まらぬ中、暗くなり始めた外を見渡すようにエリクはしばし視線を窓へと向けた。格納庫の中を照らす薄暗い電球の下で、『クフィルC7』の尾翼のエンブレムがぼんやりと浮かんで見える。

 ロベルト隊長が考案したという、4つ連なった三日月のエンブレム。4機の連携と団結を示すその図式は、隊の発足以来変わらず尾翼に刻まれ受け継がれている。

 願わくば、このまま欠けることなく在って欲しい。緊迫した、それでいて穏やかな時の中で、エリクはそう思わずにはいられなかった。

 

 遥か先、格納庫の外は一面の真っ暗闇。暗い夜空の只中には、三日月(ハルヴマーン)が顔を出し始めていた。

 


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