「ほら、着いたわよ」
紫の肩を借りてなんとか屋敷を抜け出したおれ達は、門から少しだけ離れた位置にある荷馬車の前まで来ていた。
「私は少しお爺さんに用があるから先に帰っておいて」
「足はあるのか?」
「幾らでも」
「……くれぐれも都で噂にならないようにしろよ」
空を飛んだりしてもしバレたりしたら面倒なことになるからな。
普通の人間で空飛ぶ奴なんて、この都の住人からすれば普通ではないのだから。
いや、一般的には、だからね。別に飛ぶ人間は妖怪だってわけじゃないから。その定義だとおれまで妖怪になってしまう。
空飛ぶ奴ぐらい、世界中探せば幾らでもいるだろう。
「それじゃ、お姫様との密談でも楽しんでらっしゃい」
「話せるだけの体力がおれに残っていればだけどな」
輝夜姫には悪いが同乗中に気を失うかもしれない。
屋敷から出るまでの短い距離ですら激痛で何度も意識が飛びそうになったのに、ある程度は舗装されているとはいえ少しの凹凸で大袈裟に揺れる荷馬車の中は今のおれには拷問以外の何物でもない。
「じゃあね」
「ああ」
そう言い交わすと、紫は薄暗くも賑やかな談笑鳴り止まない会場へと戻っていく。
辺りはもう闇夜に包まれ、肉眼では目の前にある物以外は見ることができない。霊弾を出せば大分見えるようになるが、別に目の前さえ見えていれば大丈夫だし、必要性はないな。
そう思いながらおれは荷馬車の中へと入るため、足掛けを用いて上がろうとする___________が、途中で立上りがある事に気付かず引っ掛かり、中にある藁へと意図せずしてダイブしてしまう。
うん、霊弾で足元照らしてたほうが良かったね。下手すら頭打って命一つ無駄にするところだった。
「だ、大丈夫ですか! 熊口様!」
「……大丈夫、とは言い辛いな。はっきり言ってもう身体が動かない」
中には既に乗っていた輝夜姫が、ダイナミック乗車を決めたおれを心配かけてくれる。下が藁で敷き詰められていたから、案外なんともない。
だが、仰向けに一番楽な体勢へと移したところで身体を動かす気力がなくなってしまったのも事実。輝夜姫には悪いが、寝ながら話をさせてもらうことにしよう。
「悪いが、この体勢でいさせてくれ。この前の戦いで身体がボロボロなんだ」
「大丈夫ですか? よろしければ手当てを……」
「いらないよ。この場で痛みを消せるほどの軽傷ではないからな」
「申し訳ございません……私が無理を言ったばかりに、お疲れの熊口様に気を使わせるなんて」
そう言って、落ち込んだように俯く輝夜姫。
おれの今の状態を見て、紫について来たことでおれに迷惑を掛けたと思っているのだろう。今の輝夜姫の口ぶりからして。
「うんや、別に構わないけどな。輝夜姫がいてもいなくてもこの屋敷からはすぐに出るつもりだったし。荷馬車で一人黙々としているより、誰かと話している方が気が紛れる」
「そう言って頂けると……助かります」
「あと、敬語はやめろって。おれは子供が無理して敬語使ってるのを見ると申し訳なく感じてしまうんだ」
「そういうものなんですか?」
「んだんだ」
「そうなんですか……」
なんか無理させているようで背中がむず痒くなる。
おれは身上だろうが子供だろうが、変に気を使うような関係は真っ平御免だ。
「その理屈であれば、私は貴方に敬語を使っても何も問題はありませんね。私はもう子供ではありませんから」
「あー……」
紫も前はよく強がりでそう突っかかってきてたな。
一人で出来るって言って結局失敗して、おれの手間が増えたのも今では良い思い出だ。
懐かしい……ほんの数年前の話である筈なのに、もう遥か昔のように感じる。あの時のような可愛らしい紫はもう帰ってこないのだ。今はもう、あまりにも独り立ちし過ぎている。
「ハッタリではありませんよ」
「……ん?」
おれが強がりだと思っている事を察知してか、輝夜姫は静かな声音で否定する。
強がりではない。
一見するとそれすらも強がりに見えるのだが、輝夜姫の今の態度が妙に引っかかる。
「……」
強がって怒っているわけでもなく、それが真実であるかのような、神妙な顔付き。
彼女が真剣な態度を取ってるのに、それをあしらう様な態度を取っては失礼だろう。
輝夜姫にはおかしなな点が三つある。
一つは出生が竹からということ、二つは成長速度、そして三つ目は輝夜姫が現れてから急にお爺さん達が黄金を大量に手に入れたこと。
妖気は感じられないが、明らかに普通の人間ではない。
もしかしたら、輝夜姫が否定している事と、何かしら関係しているのかもしれない。
ならば問う他あるまい。
元々、彼女に聞くつもりであったが、あちらから話題を持ってきてくれたのなら話は早い。
「輝夜姫、なら聞かせてもらうが____________ほんとは何者なんだ。あんたの言い分じゃ、見た目相応の歳じゃないんだろ」
おれの質問すると、ゆっくりと眼を瞑り、頭を下げる輝夜姫。
一瞬、黙秘をするのかと考えたが、様子が違う。
何か大切な事を言う前の覚悟を決めているような……
「熊口様は、『八意永琳』を、御存知でしょうか」
「……はっ?」
おれが考えていた予想の返答と、あまりにもかけ離れた返答が輝夜姫の口から飛び出してきた。
あまりにも予想外で、それでいてあまりにも懐かしい。
恩人であり、半ば母親のような存在である忘れるはずの無い名前。
「なんで、輝夜姫がその名を知っているんだ……?」
「やはり、覚えてはいませんか」
なにが、言っている意味がいまいちわからない。
止めどなく溢れてくる質疑の波がおれの脳内で渦を巻いている。
何を、何で、輝夜姫が月の民の名を、正体は、関係性は、月の皆は。
何から聞けばいいのか纏める事が出来ず、言葉に詰まる。
そんなおれの状況を察してか、輝夜姫は憂いに満ちた表情で、おれの求めていた回答の一端を示してくれた。
「私の本当の性は蓬莱山。月の民であり、八意永琳は私の従者です」
月の民……月の民……月の民!
「おぉ、おっ、おおぉ!」
遂に、何百年と旅をして遂に! 月へ行ったあいつらの関係者に巡り会うことが出来た!
何という偶然なんだ。
これも紫が輝夜姫を一目見たいと言ってくれたからだ。おれが一人旅していたら興味を示すこともなく絶対にスルーしていた。何たる幸運、僥倖! 神様仏様ツクヨミ様! これを運命以外の何と呼べるというのか!
「永琳さんは! ツクヨミ様や他の皆は元気してるのか! 体調悪くしたりとかしてないか? 腹下したりとか! いや、皆どうせ元気してんだろ! 寿命も穢れのない土地だから無限に近い年月生きられるって言ってたしな!! 月の住心地はどんな感じか? またこの地上のときみたいに未来都市みたいに空飛ぶ車とか走ってんのかな? そうそう、そういえばおれがワープゲートへ吹き飛ばした令嬢と女兵士は? 結構な速度で吹き飛ばしたからなぁ。変なとこに頭ぶつけてなければいいんだけど……って輝夜姫に聞いても仕方ないか。それよりも永琳さんだ永琳さん。あの人今でも性懲りもなく薬とか作ってんのかな。昔から休みの日もず〜っと研究ばかりしていたからなぁ。気を利かせておれが何度家に通ってあげたことか……それなのに永琳さんと来たら、何故だかおれを出禁にしたからね。あまりにも酷くない!? それに何故かついでの如くツクヨミ様にも____________」
先程まで全身に走っていた痛みが吹き飛んだかのように、おれは無我夢中で月に行った皆の事を話していた。
最初は質問していた筈なのに、話題はいつしか昔の思い出話へ。
月の皆の事を知っている人物、話の分かる人間がいる事により興奮を抑えきれないおれは支離滅裂に言葉を輝夜姫に投げ掛けてしまう。
「____________ごほん。すまん、取り乱した」
一頻り話し終えたおれは、漸く落ち着きを取り戻し、輝夜姫に謝罪する。
落ち着かねば、本当に聞きたい事も聞けやしない。
「ふふっ、やはり熊口様は本物であられたのですね」
「本物?」
「私の英雄、熊口部隊長。貴方が先程心配なされていた令嬢とは、私の事なんですよ」
「ええっ!? ま、マジなのかそれ?」
「はい。あの愚かな家出娘です。ほら、永琳が仕えていた貴族の名は聞いたことがありますでしょう」
「た、確か……蓬莱山……あああ!」
そういえば輝夜姫、本当の性は蓬莱山と先程言っていた。それに聞き流していたが永琳さんが従者とも。
「ああ、そうか。何処かで会ったことがあるように感じていたのは、あの時の令嬢が輝夜姫だったからなのか」
「やっと、思い出してくださいましたか」
「に、に、にしてはあまりにも成長してなくないか? 月に行って穢れを無くしても、一応寿命はあるんだろう?」
あの時、あまりにも昔のことだから、顔はもう殆ど覚えていないが、背格好は今と然程変わりない。
諏訪子からの情報いわく、月へ行ったのはもう万年の年月が過ぎているという事から、今の輝夜姫の背格好には違和感が生まれる。
というか、お爺さんが竹から輝夜姫を拾い出したときは手のひらサイズしかなかったといい、それから数年の間で今の状態まで成長したらしい。
月にいるときはもう姿形殆ど変わらなくて、この地上に降りたから急成長したのか? それともまた別の何かか。
「私専用の身体が縮む薬を永琳に作ってもらったんです。今は元の姿に戻っていってます。後三、四年ぐらいでしょうか? 私の
「あー、うん……輝夜姫は今も充分を突き抜けるぐらいには美人だよ」
「えっ」
そうか、まあ永琳さんが関わっているのなら、不可能な話ではないよな。
輝夜姫が自分専用と言っている辺り、何かとんでもない副作用が隠されているのかもしれないが。そうなってくると、輝夜姫の身にも危険がーーって、令嬢の身に危険が及ぶようなことを永琳さんがするわけ無いか。
「そ、そんな。わわ私の今の姿なんて年端もいかない鼻垂れた童同然ですので! 紫の方が余程……」
「なあ輝夜姫。今あんたが言った刑期ってなんだ。この地上に降りてきた事と何か関係があったりとかするんだろ」
「えっ、あ、は、はい……」
態々穢れがある地上に降りてくるなんて、何か用事がない限り来るとは思えない。
となると降ろされた? 副総監と同じように拭いきれない罪を犯して月を追放されたのだろうか。
いや、お爺さん達に大金が舞い込んで来たのも十中八九月の連中が関与しているだろう。
咎人だというのに、輝夜姫に衣食住に関しては何一つ不自由のない生活を送らせている。副総監との対応の差は雲泥の差だ。
罪の重さの違いか、はたまた違う刑罰なのか。
「私はある罪を犯し、月から一時的に追放されたんです」
「……やっぱり」
輝夜姫が何かしらをやらかしたのは刑期がどうとかと発言した時点で分かっていた。
おれが知りたいのは“どんな罪を犯した”かだ。
「森羅万象全ての生命の理を脱し、否定する禁薬______蓬莱の薬を服用した罪です」
「蓬莱の、薬?」
「つまり、不老不死になる薬です」
「え、えぇ……ええええ!!?!」
一瞬、何のことかと疑問符を浮かべたが、発言の最中にことの重大さを理解したおれは変な音調で驚きの声を上げてしまう。
不老不死の薬なんて、どこでそんなおれの能力の完全上位互換のような薬があるというんだ。
幾らでも命使い放題なんて、そんなのチー……いや、違う。不老不死ということはつまり__________
「その薬は私と永琳の力により作り出された代物。
それを使用した者はその名の通り不老不死となり永劫の生を享受し続けなければなりません」
「つまり、生き続けなければならない」
「……はい。焼かれようが頸を刎ねられようが精神的に病もうが、一度死に値する負傷をしても瞬く間に蘇生し、負傷前の正常な身体に戻ってしまう。
そこに眼を付けられるのは流石です。熊口様」
「おれも、似た能力だからな」
「悠久の刻を生きる者であれば、不老不死という概念の本当の恐ろしさをまず考えない。目先の利益に眩み、過ちを犯してまうものです」
「輝夜姫は違うのか」
不老不死の恐ろしさを知っているのであれば、普通はまずその薬を飲むなんて事はしないだろう。
それでも飲む必要があった。だから輝夜姫は前置きにこんな話を持ち出した。
「あの時の私は退屈、だったのでしょうね」
「た、退屈?」
想像より遥かに安直な回答。
退屈、退屈、退屈……月にいる事に飽き飽きしていたという事なのだろうか。
「何億年という歳月が、波も大して立たずに過ぎていく。現状を維持する時給自足の術を得てからはずっとそうでした」
「でも、娯楽の類はあったんだろ。おれがいた時は普通にテレビゲームとかあっただろ」
テレビゲームだけとは言わず、賭け事の類以外はおれが前いた世界と同じぐらいには娯楽に溢れていた筈だ。
それすらもやり尽くして飽きてしまったということなのだろうか。それだとこの地上に来てもそんなに変わらないと思うが。
そんな疑問を抱いていると、輝夜姫はゆっくりと首を横に振り、苦虫を噛んだかのような表情をする。
「月の民として相応しくないとされるものは徹底的に廃止されてしまいました。特に電気機器系の類は壊滅でした。月の娯楽のレベルは、今やこの地上と張るかそれ以下ですよ」
「な、何だよそれ」
娯楽もなく、何億年と変わらない日常を過ごしてきたのか……そんなの精神がおかしくな____________とちょっと待てよ。
「今、輝夜姫。何億年って言った?」
「えっ? はい、言いましたが」
「あのー、一つ聞きたいんだけど、月に行ったのって何年前だっけ」
「覚えていらっしゃらないのですか? 正確には私も覚えてはいませんが、ざっと五億年前ですよ。私達以外の人類がまだ人の形ですらない時代ですね」
ごごご、五億年前て。
諏訪子の奴桁を間違えてたのか。というか桁が一つ違いだとしても、恐ろしくとんでもない時代におれはいたんだなーーそりゃ神も再転生させるとき時代を変えるわけだわ。そのまま転生させられたら、おれは人間をやめてる自信しかない。
「______っはあ……五億年、ねぇ」
ていうか、聞きたいことが本当に湯水の如く次々に溢れ出てくる。
こんなの、一日のこんな荷馬車にいる間では到底話しきれるものではない。
「輝夜姫、話を整理したいから話はまた二人になれる時でもいいか。幸い、お互い時間はあるんだ。二人だけになれる時間なら幾らでもあるだろ」
「そう……ですね。頭が混乱していては話し続けても情報を処理出来ずに聞き流してしまいますし」
話自体はそんなに多くもないし理解できる。だが、それがどれも衝撃的過ぎて脳が疲れ切ってしまった。例えるならば高カロリー高タンパクな料理を食べて胃が受け付けなくなる感じだ。
「取り敢えず、この話は一旦お開きにしましょう。ただ最後に、私が態々この荷馬車を紫に用意させた目的をお伝えせねばなりません」
「……なんだ? 輝夜姫が月の民であることじゃないのか」
「それはこれからお伝えする内容の前提条件に過ぎません。そしてその内容は今、熊口様が本当は最も知りたがっている事でしょう」
「ぜん、定条件?」
月の民であることが前提条件。そしておれがまだ輝夜姫に聞いていない本当に知りたがっている事……そんなのなんかあったっけ。
「……月へと行く方法、ですよね。熊口様が知りたがっているのは」
「あっ、あ〜」
何のことかと疑問符を浮かべていたおれを見て、呆れ気味に輝夜姫が答えを教えてくれる。
そ、そうだった。そもそもおれがこれまで何百年も旅してきたのは月へと行く方法を探すためだったな。
月の民の一人と会って興奮していたからか、旅の目的すら頭から抜けてしまっていた。
「しかし、それを知ったところでなんの意味も為しませんよ」
「はっ?」
知ったところで無駄?
おい、それってどういうことなんだ。輝夜姫が今言った発言は、おれのこれまでの旅路を否定しているのと同義だぞ。
そんな事立場が上だからって言って良いものと悪いものがあるんじゃないか。
流石の熊さんも今ので堪忍袋パンパンだよ。ちょっと触れられただけでも破裂するぐらいにはな。
……ここは心を落ち着かせるために一度深呼吸をせねば。感情に任せて物を言うのは半人前の典型的な過ちだ。ここはクールに落ち着かせるのが立派な____________
「熊口様は」
そう息を吸おうとした瞬間、輝夜姫が間髪入れずに言い放った発言により、おれは今行おうとしていた全ての行為を頭から抜け落ちてしまった。
「月の民から拒絶されているのですから」
当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖
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八意永琳
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綿月依姫
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綿月豊姫
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洩矢諏訪子
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八坂神奈子
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息吹萃香
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星熊勇儀
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茨木華扇
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射命丸文
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カワシロ?
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蓬莱山輝夜
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藤原妹紅