東方生還記録   作:エゾ末

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⑮話 意地の張り合い

 輝夜が待つ屋根上へと戻る紫。

 すぐ戻ると言った手前、予想以上に時間が掛かってしまった為、足取りも普段より重く感じている彼女は、遠目から大人しく観戦している輝夜を確認し安堵の息をつく。

 彼女が不安に駆られていたのも無理はない。拗ねて何処かに行かれでもすれば紫自身の責任に問われてしまうからだ。

 

 

「ごめんなさいね。ちょっといざこざに巻き込まれて遅くなってしまったわ」

 

「……別にいいわよ」

 

 

 輝夜の素っ気ない態度に、最初は拗ねているのだと思った紫であったが、彼女の憂いに満ちた表情を見て考えを改める。

 

 

「どうしたの。辛気臭い顔して」

 

「分かる……?」

 

 

 自身の微妙な変化に即座に気付いてもらえた事に、少しではあるが元気を取り戻す輝夜。

 

 

「紫、私が____________いえ、やっぱりなんでもないわ」

 

「何よ、言いたい事があるのならさっさと吐いてしまった方が良いわよ。言っておきたい事というのは大抵、時期を逃すとどんどん言い辛くなるものなんだから」

 

「いや、何でもないの。ほんとに大した事じゃないから」

 

 

 それであのような哀愁に満ちた表情になるものか、と心の中で呟く紫。

 

 

「あっそう」

 

 

 それでも本人が話す気が無いのなら、下手に言及する必要もないだろうと呆気なく引き下がる。

 

 

「……ありだとね」

 

 

 輝夜は紫の、必要以上に言及してこない、本人の意志を尊重した応対に感謝を述べる。

 

 

「礼は別に要らないわよ」

 

「今回の催し物も含めてもね。紫が私の我儘を聞いてくれなかったら来ることさえ叶わなかった」

 

「私が好きでやった事よ。輝夜が気にすることじゃないわ」

 

 

 本当は駄々をこねられたから仕方なく受けた事柄であるが、面と向かって礼を述べられたためつい見栄を張ってしまう。

 __________まだまだ私も甘い。そう己に戒める紫。

 そんな彼女の心中を察してか、輝夜は話題を変える。

 

 

「ねえ、こんなお伽噺って知ってる? とある国の貴族の娘が迷子になるお話なんだけど」

 

「……? いえ、聞いたことがないわ」

 

 

 紫が知らないのも同然。

 彼女の言うお伽噺とは、この時代の者にとって知る由もない内容なのだから。

 

 

「昔々、あらゆる文明が栄えた国がありました。それが故に古くから居着いていた土地では不都合があることが確認された為、その地に見切りをつけ新天地へと移住する事となったのです」

 

「文明が栄えた結果集団移住することになったって。中々にぶっ飛んだ設定ね」

 

「その地には穢れがあったの。それが移住するに至った不都合の原因ね」

 

「穢れ?」

 

「生物は生きる為に殺生を行うでしょう。その生きようとする行為自体が穢れに当たり、死ぬ事も穢れとなる。穢れとはつまり、永遠を奪う概念。とある国の人達はその穢れが浄化された土地を求めて集団移住を計画し、そして実行した」

 

「……なんだか、現実味のない話ね。その穢れを取り除くという事はつまり、人としての生命活動を止める事。呼吸をしないのと同義みたいなものよ」

 

 

 穢れの定義について疑問を抱く紫。

 生きる為に他の生物を糧とする。その行為を放棄しようというのならば、それはもう人どころか生物ですらない。

 

 

「まあ、この話をすると大分長くなってしまうから、穢れについての疑問は取り敢えず置いといて」

 

「少なくとも、この場で説明しきれるようなものではないわね」

 

「__________その国の人達は移住の為、方舟を造ったの。そして位の高い貴族を筆頭に新天地へと赴いていった」

 

「本当にお伽噺みたいね」

 

「そんなゴタゴタしている際にね、貴族の娘が家出をしたの。その子は生粋の箱入り娘で、外界の事なんて知る由もなかったが故の愚行。勿論その貴族の従者達は血相を変えてその娘を探したわ」

 

 

 どこか懐かしみを含んだその瞳には、微かに姿を現しつつある月へと向けられていた。

 

 

「結局従者達は彼女を見つけ出すことは叶わなかった。そしてさらに不運なことに、移住作業で手薄になった国へ他国が攻めてきたの」

 

「これはまた急展開ね」

 

「国の中には地位の低い者や半数以下の兵力しか残されていなかった。敵の軍勢はその倍以上、高精度の兵器の殆どは貴族の護衛である高官らが軒並み持ち出されていた為、満足のいく戦いもできない。そんな圧倒的な劣勢の中、ある一人の兵士が立ち上がった」

 

「兵士?」

 

「そう、たった一人の兵士に何ができるのかって話なんだけど、それが盲点だった。彼は実力を隠していたのか、まるで鬼神の如き活躍を見せていった」

 

 

 話がどれも現実味のない飛躍しすぎたものである為、思わず鼻で笑ってしまう紫。

 そんな彼女の姿を見て輝夜も苦笑いする。

 

 

「民を逃し、兵士を逃し、視界には見渡す限り敵しかいない状況で、彼は孤軍奮闘した」

 

「たった一人で殿を務めたというの? あまりにも無謀すぎない?」

 

「完璧とまではいかなくても、その兵士一人のおかげで大多数の命は救われたって話よ。中には討ち漏らした敵に殺された者もいたようだけど」

 

「ふーん……」

 

「疲弊しながらも皆が逃げるまで時間を稼いだ彼は、後は自分が国を脱出すれば終わりだと考えていた。けれども、それが叶う事はついぞなかったの」

 

「えっ、何で__________」

 

「国を出る間際、彼は家出した貴族の娘を見つけたの」

 

 

 まるで悔しがるように拳を握り締める輝夜。

 何故そのような行動を起こしたのかは、今の紫には検討もつかず、ただ疑問符を浮かべることしかできなかった。

 

 

「その娘を逃がす為に、彼はまた追手の殿を務めることになり、そして犠牲になった。一人なら恐らく逃げられていた筈なのに」

 

「……」

 

「それだけじゃない。彼は皆を救う為に動いただけなのに、上層部は彼を隊の指揮権を乱用し、戦場を混乱に陥らせたと宣い、反逆罪として罰そうとする始末! あいつ等は己の保身と厄介者を抑え込みたいだけの無能でしかないのよ。それが嫌で__________」

 

「輝夜、静かに。私達は一応お忍びで来ているのよ」

 

 

 段々と感情を荒げ始める輝夜を抑制する紫。

 輝夜自身、紫に咎められて初めて感情が昂ぶっている事を自覚し、宥める為に何度か深呼吸をして落ち着かせる。

 

 

「ごめんなさい、感情移入が過ぎてしまったわ」

 

「他人の不幸に憤りを感じられるのは悪いことではないわ。必ずしも良いって訳でもないけれどもね」

 

「……」

 

 

 蝉が鳴き、遠くを見渡せば陽炎が姿を表す程の暑さの中、珍しく心地の良いそよ風が二人の間を通り過ぎていく。

 

 

「ねえ、紫」

 

「なに?」

 

 

 微風により揺らいだ笠を抑えながら、紫の名を呼ぶ輝夜。

 

 

「我儘、もう一つだけお願いしてもいい?」

 

 

 彼女がその次に言い放った()()は、紫にとって、いや常人ならば誰もが耳を疑うような不可思議な内容であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

「まさか、この二人が勝ち残るとは思わなんだ。のう、車持皇子殿」

 

 

 縁側に腰を掛けた貴族の一人が、盃に注がれた酒を呑みながらそう呟く。

 そんな彼の横で同じく腰を掛けていた今宴会の主催者である貴公子__________藤原不比等が袖で口を隠しながら微笑む。

 

 

「妖忌が勝ち進むのは当然であろう。この私が選んだ実力者ぞ。それよりも対戦相手が陰の実力者であった方が驚きだ」

 

「車持皇子殿も大概ではあるが______造め、どうやってあの剣士を探し出したのだ。あの剣士を利用すればより高い地位へ登ることも容易いだろうに」

 

 

 彼らの見やるその先にある庭園の中央に、催し物で勝ち残った二人が既に相対していた。

 蓑笠を深く被った剣士__________妖忌の佇まいには一切の隙がなく、現に並の剣士であればどう攻め手を駆使しようとも彼に傷の一つもつける事は叶わない。

 相対する相手方___________生斗はいつも頭に掛けていたサングラスを眼まで下ろし、格好とはあまりにも不釣り合いな姿から、不気味な雰囲気をかもちだしている。

 

 一見すればまるで勝ち目のない戦い。

 だが、これまでの三戦。どれも明らかに格上と評された敵を圧倒してきた彼を見てきた貴族達は、微かながらに期待の眼差しを向け始める。

 

 

「大穴同士の戦い。お互い陰の実力者であるため実力の程は前までの三戦でしか測ることができないというのに、どれも圧勝に近い戦いぶりでそれも明らかになっておらぬ」

 

「この戦いでその実力とやらを測れるやも知れませぬな」

 

「実に楽しみだ」

 

 

 大穴同士の戦いということもあり、賭事で敗けた者も少なくない。

 しかし、そんな事どうでもいいと言わんばかりに、これから行われる彼ら二人の戦いに、誰もが固唾を飲んで待ちわびている。

 

 

「洞穴での借り、返させてもらうぞ」

 

「借りを作った覚えはないぞ。まあ、どうしてもってのなら今度菓子折りでも送ってくれるとありがたい」

 

「……そういう借りではない」

 

 

 緊張感のない生斗の返しに、困り果てる妖忌。

 冗談は相変わらず通じないのがこの男である事を再認識した生斗は霞の構えを取る。

 

 霊弾は出せない。出せば物の怪の類とみなされる危険性があるからだ。

 純粋な剣術、あるいは体術での戦いを強いられているこの状況の中、生斗はある一つの結論へと至っていた。

 

 

「!!?」

 

「な、なんだ。急に寒気が……」

 

 

 以前、紫が言っていたようにやりようは幾らでもあった。

 今、生斗が下した判断は明らかに不合理で正当性に欠けるものだと、彼を知る者は答えるであろう。

 それは本人も重々承知の上でもある。

 それでも、彼は全力で戦う事に執着した。

 

 何故ならば、妖忌に()()は敗けたくないという、泥臭く年に似合わない理由があったから。

 

 只でさえ、死にやすい生き方をしている彼にとって、貴重な五つの命のうち一つを犠牲にして己の力へと換えていく。

 

 

「それが、御主の本気ということか」

 

 

 構えは以前と同じく脇構え。

 妖忌にとっての基礎的な型なのだろう。

 その場と気分により型を変える生斗とは相容れないものがある。

 

 

「どうだ、びびったか」

 

「まさか」

 

 

 言葉とは裏腹に一切の油断を棄てる生斗。

 その眼を見ずとも、いつもの様な腑抜けた眼付きが獲物を見る狩人の眼へと変わっているのが分かる。

 

 

「___________燃える」

 

 

 妖忌の呟きを皮切りに、寸刻の静寂が訪れる。

 先程まで騒がしかった貴族達ですら、彼等の行く末をただ見守るだけの傍観者と化す。

 

 

 二人の間に立つ主審の額に、大量の汗が吹きだす。

 それは二人が放つ緊迫した空気に圧せられているものであり、これから起こる事柄に対しての好奇心からくるものでもある。

 

 手を振り下ろせば、闘いが始まる。

 この催し物において、圧勝を重ねた者同士の決闘。

 汗だけでなく、全身が鳥肌が立つ主審は、微かに笑みを溢す。

 

 結局は皆、強き者同士の戦いに興味をそそられるものなのだ。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 二人は構えたまま、静止する。

 まるでこの場だけ時が止まったかのように。

 

 

 主審が大きく息を吸う。

 

 貴族や、催し物で敗れていった者達__________そして、これから戦う二人にとって待ちわびた瞬間が遂に訪れた。

 

 

「始めぇぇぇええええ!!!」

 

 

 

 主審の怒号にも似た開始の合図とともに、二人の木刀は既に激突していた。

 

 遅れてやってくる鈍い衝突音。

 さらに遅れてやってくる衝撃波。

 

 主審の被っていた烏帽子は遠くへと吹き飛び、自身は尻餅をついて腰を抜かす。

 

 主審の烏帽子と同じく、妖忌の蓑笠も吹き飛んだせいで、視界が明るみに照らされ、妖忌は眼を細める。

 

 

「はっ!!」

 

 

 先に仕掛けたのは生斗。

 鍔迫り合いになる前に、木刀を滑らせるとともに更に一歩深く踏み込み妖忌の懐へと潜り込む。

 懐まで入ってしまえば剣術の間合いではない。

 その状態を利用して生斗は、踏み込んだ脚を軸に回転し、遠心力を加えた肘打ちを妖忌の心臓目掛けて放つ____________が、潜り込められた時の対処を妖忌がしていないはずもなく、回転の途中で生斗の背中を肩で押すことにより軸をずらし、肘打ちは虚しく空を切る。

 

 軸を崩され、攻撃を外したことにより転びかける生斗。

 誰もが妖忌が一転攻勢に出るものだと期待を寄せた。

 

 だが攻めない。

 生斗が数度脚をふらつかせつつも、距離を取りつつ態勢を立て直すまで妖忌は構えを取り直すのみに留まる。

 

 

「誘っていたな」

 

「ありゃ、そう見えた?」

 

 

 傍から見れば攻撃をすかされ、無様にふらついている様に見えていたのが、相対する当事者の見解は違う。

 ふらつく()()をしながらも、追撃をしてこようものならいつでも反撃を取れるような足取りであった事を、妖忌は誰よりも早く察知していたのだ。 

 現に生斗は彼から死角になるよう木刀に力を込めていた。

 手打ちでの反撃となる剣戟は腰の入った剣戟より遥かに劣る。

 それでも命を代償にした力はその差をも埋める事が出来る。

 木刀であれ、その者の力量によって棒切れになれば刃物を凌ぐ凶器にもなる。

 無意識に急所を狙い、かつ命を代償に力を得た今の生斗の木刀は、幾ら手打ちだとしても致命傷となるのは必至だ。

 それは半人半霊である妖忌でさえ例外ではない。

 

 

「くっ……」

 

「……!!」

 

 

 少しでも判断を誤れば、即座に決着が着くことを刃を交えた際に再認識し、一筋の汗が妖忌の頬を伝う。

 

 だがしかし、奥手になっていては勝ち得るものも逃げていく。

 そう判断した妖忌は意を決し、生斗に向け肉薄する。

 それに合わせ、生斗は改めて踵で削っていた砂利を蹴り飛ばしたが、妖忌は一切の砂利を避けることなく突き進んだ。

 予想外の行動に一瞬の動揺を見せた生斗は、妖忌の攻撃範囲内まで接近を許してしまう。

 

 流れを完全に妖忌に握られた。

 逆袈裟から始まる剣戟に、剣術で劣る生斗は防戦一方を強いられる。

 

 武術とは、豪の者と対等に戦う為の技術である。

 妖忌は今まさに、それを体現させていた。

 

 生斗がこれまで、豪の者を退けてきたのは、まさに剣術と、それを使いこなす経験があったからだ。

 

 剣術は磨けば磨くほど練度を増す。

 あらゆる流派がある事も然り、剣術といってもその中身は深く、どれが最強なのか等つけようもない。結局は技の練度が高い者がその時々の最強の流派なるからだ。

 

 生斗自身、流派はなくとも、基礎の剣術の練度は既に達人の域に達してはいる。

 だが、彼の剣術の才能はそれまであり、結局は凡人に毛が生えた才能しか彼には恵まれていなかった。

 本物の天才と相対した時、純粋な斬り合いでは勝つ事はできない。

 

 それを逸早く察していたからこそ、生斗は剣術にばかり頼るような戦いをしてこなかった。今自分にできることを実践し、剣術を補う戦い方を学んできた。

 

 生斗にとって剣術は戦いの中の一つの手段に過ぎない。

 

 そう言い聞かせて剣術の稽古をする事も無くなっていった。

 

 

「くぅっ!!」

 

 

 諦めが故の怠惰。

 結局は修行をしなければ、上達する訳もない。

 己の限界を悟ったと言えど、それは本人の尺度でしかない。

 常人より遥かに余る時間を有している生斗なら或いは、その限界を超えられていたのかもしれないというのに。

 

 命を代償にして、妖忌を凌駕する程の霊力を有したというのに、蓋を開ければ防戦一方を強いられる始末。

 

 

「(道義も、同じ気持ちだったんだろうな……)」

 

 

 遥か昔、剣を交えた大和の勇士を思い出す生斗。

 以前、彼は生斗とに剣術では勝てないと諦めをつけ、捨て身の攻撃を仕掛けてきたーー結局は剣士としての誇りを捨てきれず躊躇したところを突かれ、生斗に敗北を喫するのだが。

 

 

「後手は悪手だぞ熊口!!」

 

 

 四方八方から繰り出される剣戟をなんとか往なす生斗であるが、妖忌の振り戻りがあまりにも速いため、身体強化した生斗でさえ隙をつくことができない。

 無理に攻撃に転じれば返り討ちに遭う。

 

 だから待つしかない。

()()へ当たる瞬間を__________

 

 

「______っ!?」

 

 

 生斗の頬を木刀が掠める。

 それはつまり、捌きれず打ち損じ始めたということ。

 頬から垂れる血を拭き取る暇もなく、次々とくる剣戟に先程よりも押され始める。

 

 

「おお! これは決まったか!」

 

「ま、まだです! 熊口殿は諦めておりませぬぞ!」

 

 

 

 皆が妖忌の勝利を確信しつつある状況の中、貴族の中で唯一人、雇い主である造だけが声を出して生斗を応援する。

 

 だがその応援も虚しく、徐々に身体へ木刀が当たるようになっていく。

 

 

「(隙が……ない!)」

 

 

 攻撃に転じろうとすれば即座に致命傷を受ける。

 霊力を纏っているとはいえ、生身で受けられるほど甘い剣戟でないことは、木刀を通じて身に沁みている。

 

 四肢に当たればその箇所は使い物にならないだろう。

 頭部へ当たれば二度と眼を覚ますことはないだろう。

 胴体へ当たれば肋骨は砕け、内臓は破裂するだろう。

 

 判断を誤ればこの事がほぼ同時に訪れる事となる。

 

 妖忌の体力が切れるまで耐え続けるか______否、妖忌はここまで生斗を追い詰めても尚、息を切らしている様子はない。守りに徹している生斗は息を荒げ始めているというのに。

 

 

 相手のペースへと持っていかれればそのまま押し切られてしまうという事は、初めて邂逅した時には既に危惧していた。

 だというのにペースを握られてしまったのは、少なからず生斗自身の中で驕りがあったからだ。

 そう、命を代償にして得られる驚異的な力があればなんとかなるのではないかという驕りが。

 

 実際は代償により得た力を持っていたとしても、妖忌の剣術を退ける事は叶わず、現状として敗北を待つばかりの道化と化している。

 

 

「!!?」

 

「!」

 

 

 その道化にも、一矢を報いる術は持ち合わせていた。

 ファーストコンタクトで衝撃波をもたらす程の打ち合いにより、木刀の接触箇所には窪みが出来ていた。

 それに加え、幾度となく繰り出された剣戟。

 幾ら守るのが精一杯な状態でも、何度も剣を合わせられれば、いつかは窪み同士が重なる時が来るのは、ある意味必然であった。

 

 その時が来るのを待っていた生斗と、予知していなかった妖忌。

 

 その認知の差は勝敗を分ける。

 

 木刀を引こうとするも、突っかかりにより一瞬ではあるが硬直する妖忌。

 そのほんの僅かな隙を待っていた生斗は木刀を手から離し、又も妖忌の懐へと潜り込み、諸手刈りを見事に決め、すかさず妖忌胴体の上へとのし掛かる。

 

 

「ぐっ……」

 

「はぁ、はぁ……知ってるか、これ。マウントポジションって言うんだぜ」

 

 

 木刀は妖忌の手に握られている。

 生斗の木刀も妖忌の木刀に交差して挟まっているため、生斗は今素手の状態である。

 だが、その利き手も生斗の片手で封じられてしまっているため、動かすこともできない。

 

 

「ぐふっ!?」

 

 

 深く振りかぶれば拘束を解かれる可能性がある。

 腕同士で拘束をしているため、前傾姿勢となっており、そんな状態での殴打など高が知れている。

 

 なので生斗は、妖忌の顔面に向かって頭突きを繰り出した。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 鈍く低い音からやがて、妖忌の尾骨が折れると共に何かが潰れるような不快な音が庭園に響き渡る。

 

 吹き出す鮮血。

 生斗の額からは返り血により紅く染まり、垂れてくる紅い液体は顔面を覆っていく。

 

 それでも、生斗は頭突きを続行した。

 

 何故なら、妖忌の眼がまだ死んでいなかったから。

 まるで自身が敗ける事など微塵も考えていないかのような真っ直ぐな眼で、生斗を睨み付けていたのだ。

 

 

「ふんっ!!」

 

「(眼突きか!)___________なっ……」

 

 

 なんとか防御へ回そうとしていた片腕を遂に、生斗が頭を振り下ろすと同時に振り上げる。

 

 親指を立てていたことから、片眼を潰しに来たのかと判断した生斗は、寸でのところで顔を逸し回避する。

 

 

 ____________が、妖忌が狙っていたのは端から眼ではない。

 顔を逸したはいいが、生斗はそれ以上自身の頭部を動かす事ができなくなっていた。

 原因は他でもない、避けたはずの妖忌の指先には生斗の()が握られていたからだ。

 

 掴まれた耳はその状態から斜め下へ力を加えられ、千切れないよう加えられた力の方向へと生斗も移動してしまう。

 

 その行動が悪手である事を思い知るのは、次の瞬間であった。

 

 

「あっ!?」

 

 

 力の方向へと傾いたため、少しだけ腰を浮かした生斗は、己が愚かな事をしたのだと漸く理解する。

 

 

「ふんっ!」

 

 

 拘束が緩まった隙きを妖忌が逃す筈がなく、生斗の耳を更に斜め下へ引っ張りながら腰を突き上げ、見事生斗を跳ね除けることに成功する。

 

 

「ふーっ、ふーっ」

 

「……少し裂けたか」

 

 

 拘束を解かれると同時に離された耳を確認すると、ニ割ほど耳が千切れかけている事が判明する。

 跳ね飛ばされた際、妖忌は耳を千切る勢いで捻ったが、その捻る方へ受け身を取り、掴まれた耳を振り払った為、欠損にまで至ることはなかったが。

 

 

「よく、解き方、知っていたな」

 

 

 そう言いつつ、距離を取る生斗。

 否、妖忌は解き方など知り由もない。

 そもそも懐へと潜り込み、押し倒してくる者など、彼の生涯で一度たりともなかったからだ。

 だというのに解くことができたのは、それはもう妖忌自身の戦闘センスが尋常ではないからとしか言いようがないだろう。

 

 

「やはり、熊口よ。お主は……強いな」

 

 

 片眼の瞼は赤黒く腫れ上がり、視界を遮る。

 脳へのダメージも相当で、平衡感覚は狂い考えも覚束ない。

 腕に力が入らない。脚の震えを抑えることさえ出来ない。

 気を抜けば瞬く間に意識を手放してしまう。

 一度手放せば、もしかしたら二度と戻る事は叶わないかもしれない。

 

 

 血だらけになりながら、何の考えも纏まらなくとも、妖忌は挟まった木刀を抜き取り、生斗の元へと投げ渡し、戦いの意思を見せる。

 

 

「なんで、返してくるんだよ」

 

「本気で、打ち合いたいんだ」

 

 

 瀕死の攻撃を受けても尚、剣術に拘る妖忌。

 脳が上手く機能しなくとも、身体がどう戦うかを覚えている。

 

 ___________()()で打ち合いたい。

 

 妖忌はそう言い放った。

 それはまるで、先程までの生斗の剣戟が本気でなかったような口ぶりであった。

 

 そして生斗も、妖忌のその言葉の意味を理解する。

 

 

「(本気で、か。確かにさっきまで、お前に対して弱腰で挑んでいたかもしれない)」

 

 

 剣術では妖忌には勝てない。そう頭から決め付け、いざ打ち合いとなってもやられてしまう事ばかり考え、逃げに徹していた。

 それは勝つ為の戦術としては特段間違っているわけではない。

 己と相手の力量を見極め、下手に相手の土俵へ持ち込ませないようにするのは至って普通の思考だ。

 妖忌もそういう戦い方をする相手をこれまで幾度となく見てきた。そしてその度に実力で己の土俵へと持ち込み、勝利してきた。

 

 だが、生斗は違った。

 生斗とは、ただ純粋に立ち合いたかった。そもそも今の妖忌に、裏を含む言葉を考える程脳は回復していない。

 

 何故なら、一目惚れしたから。

 始めて剣を合わせたその時から、妖忌は生斗の剣術に、まるで初い乙女のように、恋い焦がれていたのだ。

 

 何度も抱きしめようとした。

 なのにするりするりと腕から抜けていく。

 

 それも戦術の一つだと我慢をしていたが、脳にダメージを負ったことにより思考力を低下させたからか、遂に本音が漏れ、行動に移してしまう。

 傍から見れば木刀を返す行為はデメリットしかない。

 だが、彼にとってこの行為は、ある意味求愛行動でもあるのだ。

 

 

「……来い」

 

 

 相手の土俵へ立つことはない。

 木刀でまともに打ち合うという事は、現状として有利な状況をひっくり返される可能性が極めて高い。

 早々に剣の間合いの内側へ潜り込むか、使えない状況へ持ち込むことを優先的に考えれば、恐らく勝てるだろう。

 

 

「……無意識だろうけど、それ完全に挑発してるからな」

 

 

 そんな事は生斗も分かりきっている。

 それでも彼は、同じ土俵へと脚を踏み入れた。

 

 驕りでもなんでもない。ただ生斗も、妖忌と同じ考えであったまでの事。だから妖忌を好敵手として見ていた。

 

 自制していた枷を解き放ち、ただ無心に剣を交わわせたい。

 そこに、勝利への拘りやしがらみなどない。

 

 後で確実に後悔し反省する事になるだろうが、今はもうそんな事はどうでもいい。

 

 アドレナリンが溢れ、お互いの思考力が低下している状況の中、己を突き動かすのはやはり、純粋な欲求に従う事であろう。

 

 

 

「妖忌いいぃ!!!」

 

「熊ああぁぁぁぁあ!!!!」

 

 

 

 お互いがお互いの名を叫び、ほぼ同時に肉薄する。

 距離は四丈、両者の間合いはおおよそ半径七尺。

 一秒も満たずに間合いに辿り着く。

 

 誰もが二人の剣戟に釘付けの中、振られた木刀は____________

 

 

「「!!!」」

 

 

 この戦いが始まった時の再来と言わんばかりの衝撃が庭園中を轟かせる。

 だが、これから起こる事柄は先程までのリピートとはならない。

 

 間髪入れず眼にも止まらぬ剣戟の嵐が二人の間で繰り広げられる。

 貴族達は、彼等の間で何が起きているのかを把握する事ができない。

 何故なら、止めどなく来る風圧でまともに前を見ること出来ない、かつ常人では目視することのできぬ程の速さで打ち合いをしているから。

 

 

 袈裟斬り、唐竹、斬り上げ、横薙、突き等の基礎的な振りは勿論、その技術を応用した剣技を惜しげもなく二人は繰り出し、それを尽く相殺させていく。

 流派によっては奥義に足り得るような代物。

 それを初見で見破る事はほぼ不可能に近い。だが、この場にいるのは達人の域を達した、或いは超えた存在の戦い。

 初見殺しをいとも容易く攻略し、攻撃に転じ合う。

 

 先程まで逃げ腰であった生斗も、極限の緊張と本気で打ち合う覚悟をした事により、長らく眠らせていた剣士としての意識が覚醒。以前に大和の兵士等との戦いで見せた極度の集中状態______所謂ゾーンの状態へと突入する事でまるで互角の戦いを繰り広げる。

 

 

「お、おお、おおおお!」

 

「なな、なんと凄まじい……!!」

 

 

 貴族からの歓声も、二人の耳には届かない。

 聴こえるのは二人だけの空間で織りなされる木刀の二重奏のみ。

 

 重なり合う度に軋み、ボロボロとなっていく木刀。

 霊力で補強しているため、なんとか折れずに済んでいる。

 

 

 いつまでも続けていたい。

 

 

 合わせているつもりはない。

 なのに自然と気持ちの良い打ち合いとなる。例えるならばテニスの本気のラリーを延々と続けている感覚に類似している。

 

 隙等ない。

 数分前の生斗は攻撃に転じることはできなかった。

 だが、集中状態であり、攻撃に転じる前にやられてしまうという恐怖を捨て去っている今の生斗ならば、妖忌の攻撃を往なしながら攻撃に転じる事は容易い。

 

 敗ける気等毛頭ない。

 肉体は悲鳴をあげ、腕からは鮮血が噴き出してくる。

 お互いがお互いの必殺級の剣技を繰り出し、往なし続けているのだ。限界はもう、とうに超えている。

 

 それでも打ち続ける。

 どちらかが倒れ伏すまで、己の勝利を確信するまで彼等の世界は終わらない。

 

 

「ああああ!!!」

 

「ぐうっ!!!!」

 

 

 そして遂に、長らく停滞していた均衡が崩れる瞬間が訪れた。

 

 妖忌の放った横薙、その軌道から避ける為にバックステップを踏もうとした生斗は、何度も踏み込まれていた事により抉られていた砂利に脚を取られてしまう。

 

 バランスを崩し、僅かに動きが鈍まる生斗。

 その時点で、勝敗は決した。

 

 

 スパアアアァァァン

 

 

 庭園から一際大きな、鞭で叩いたような高い音が響き渡る。

 

 腹斜筋からまるで斧で切られたような激痛。

 口からは吐血、脚の力を失い、膝から崩れ落ちる。

 

 

「あ……あがっ……」

 

 

 膝をついたまま、あまりの激痛に動く事ができない生斗。

 その姿を見て、妖忌はゆっくりと八相の構えを取る。

 

 

 勝敗は決した。

 最高の相手との戦いに勝利した妖忌は、動けなくなった生斗に止めを刺そうとする。

 それが本気で戦った者への敬意でもある。

 勿論殺す訳ではない。真剣であれば苦痛を長引かせないよう息の根を止めるのだが、この戦いは模擬戦の様なもの。気絶させる為の止めだ。

 

 

「……見事であった」

 

 

 振り下ろされた木刀。

 俯き、痛みに悶える生斗の意識を今にも刈取ろうとする。

 

 誰もが生斗の敗けを確信する。

 それは生斗自身にも言える事だ。

 

 先程まで、気力で動かしていた身体ももう動かない。

 腕すらも上がらない。まるで金縛りにでもあったかのように。

 

 

「(すまない、お爺さん)」

 

 

 一種の諦めの域に達した生斗は、やがて眼を閉じる。

 木刀がもう眼と鼻の先までに接近する。

 全てを諦めかけた、その時____________

 

 

「生斗、敗けないで!」

 

 

 誰かの叫びにも似た声が、生斗の耳に届く。

 その声の主は輝夜や造でも、ましてや紫でもない。

 以前、名前を呼んでほしいと約束をした、妹紅の声であった。

 

 

「なっ!」

 

 

 その声に呼応してなのか、それとも無意識なのか。

 生斗の身体は振り下ろされた木刀を躱していた。

 もう動かない筈の身体は既に、交わすと同時に型の姿勢へと移行していた。

 もう動かせない筈の腕は既に、自然と木刀に力を込めていた。

 

 

()()での勝敗は、妖忌が横薙を決めた時点で決していた。

 だが、催し物自体の勝敗はまだ、決してなどいない。

 

 

 あまりにも自然で滑らかな体勢移動に、妖忌は反応を遅らせてしまう。

 そして生斗が斬り上げを繰り出す時まで、遂には振り戻しが間に合う事は叶わず、防御もまともに取れずに顎へ木刀が直撃する。

 

 

「がふっ!!?」

 

 

 衝撃で空中に浮く妖忌。

 そのまま後方へと受け身も取れぬまま地面に叩きつけられる。

 そして生斗も、全てを出し尽くしたかのように、前方へ倒れ伏す。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 しばしば沈黙が庭園を支配する。どちらかが起き上がれば、勝敗が決する。そう誰もが感じ、固唾を飲んで見守っていたからだ。

 

 だが、どちらも立ち上がる気配はない。

 

 

「こ、これは……」

 

 

 離れていた主審が、二人の元へと駆け付ける。

 そして理解する。

 この二人が既に、気絶しているという事実を。

 

 

「両者とも戦闘再開不能により、引き分けとする!」

 

 

 そして遂に、長いようで短い、濃密な決勝戦に終止符が打たれた。

当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖

  • 八意永琳
  • 綿月依姫
  • 綿月豊姫
  • 洩矢諏訪子
  • 八坂神奈子
  • 息吹萃香
  • 星熊勇儀
  • 茨木華扇
  • 射命丸文
  • カワシロ?
  • 八雲紫
  • 魂魄妖忌
  • 蓬莱山輝夜
  • 藤原妹紅

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