____________遠謀が敗けた。
優勝候補であるあの巨漢の遠謀が、成人にも満たないような若造に敗けたという事実が、貴族達のいる部屋にてどよめき立っていた。
「何ということだ! 私は遠謀を信じて賭けていたのだぞ。それがまさか一回戦で、しかもあんな若造に……!!」
そんな落胆の声が飛び交う中、一部の貴族達は感嘆の声を漏らしていた。
「あの体格差で実質三発で遠謀を倒してみせた。あまりにも信じ難いが、あれはどう見てもまぐれではない」
「うむ。少々造めの目利きを侮り過ぎていたようだ。にしてもあれだけの逸材、何処から見つけてきたのやら」
「まあ、兎にも角にも……」
戦いはごく数十秒での出来事であったが、その短時間の中でも、貴族達の中でも見る目は多種多様であった。
ある者は嫌悪し、ある者は警戒し、ある者は興味を持った。
完全にノーマークであった二人目のダークホースの登場。少なからず貴族達の間では興奮鳴り止まぬものとなりつつあるのは間違いない。
「この催し物。これまでとは、比較にならぬ程楽しめそうですな」
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ーーー
「きゃー! 熊口様かっこいい〜!」
「しーっ! 静かにしなさい!」
輝夜の黄色い声援を送るのをやめさせ、改めて息をつく。
ほんと、この子はお忍びで来ているという自覚はあるのかしら。
そんな事よりも今の戦い、首が吹き飛んだかと思って内心ヒヤヒヤしたわ。
幾ら人よりも丈夫とはいえ、あんなの諸に受けたら一溜りもないでしょうに。
あの尋常な程汗をかいている辺り、一か八かの賭けに出たのは間違いないーーこの時の私は、あの液体が汗ではなく大量の唾であることを知らない。
「ほらほら、見て紫。ブン! はっ!」
「だからやめなさいって」
興奮鳴り止まない輝夜が、先程の戦いを真似して顔を振り回しながら両腕を振っている。
おかげでその長く艷やかな髪が私の眼に直撃した。新手の眼潰しかしら。
「紫は嬉しくないの? 折角生斗が勝ったのに」
「別に。生斗が勝つ事は知っていたもの」
「何よー、その正妻みたいな落ち着きようは」
「それだけ、彼が強い事を知っているからよ」
このご時世、一人旅をするのはあまりにも危険で、現実的なものではない。
野盗や獣、果ては妖怪まで、汎ゆる危険を己のみの力でなんとかする他ないのだ。
生斗はそんな生活を何十、何百年と続け、日々生きるために戦闘技術を磨いてきた。
そこまでして何故旅を続けるのか。何度か彼に聞いたことがある。
月に行く方法と、死に別れた者ともう一度会う為と彼は言った。
その、生斗の回答を聞いたとき、私は______
『どちらも現実的じゃない。あまりにも狂気じみている』
______と、旅の目的を全面から否定した。
その時の生斗の苦笑いは、今でも覚えている。
まるでそんな事は分かりきってるように。
数分程経過した後、彼は少しだけ悲しい面持ちとなり、ただこう呟いた。
『約束しちまったからなぁ』
その日は結局、それ以上会話を交わすことはなかった。
結局、非現実的な目的の為に彼は旅を続けている。
今回、輝夜の屋敷に留まろうと提案したのも、そんな過酷な旅を止めさせるため。
生斗は輝夜が婚約を結ぶまで留まるつもりのようだが、そこをなんとか呼び止めて生涯用心棒として留まらせるつもりだ。
身内の身元が分かっていた方が、私も
「何ぼーっとしてるのよ。次の試合始まるわよ」
「! ……あら、ごめんなさい」
駄目ね。少しのきっかけが出来ると、すぐに思い耽る癖がある。
また改善すべき点が増えたわね。
「ちょっと生斗の所へ行ってくるわ。恐らく首を痛めてるだろうし」
「えっ、私も行きたい!」
「輝夜はここで静かにしてなさい。貴女はあまりにも目立ち過ぎる」
「む〜っ」
視線除けの羽織を着ているとはいえ、他者と接近すればする程発見される危険性が高まってしまう。
私であれば羽織に加え、もっと巧妙な隠密の術を心得ているため、見られる可能性は極めて低い。
「良いわね、絶対に此処を動かない事。約束できる?」
「それってフリ?」
「自分の貞操が大事ではないのならいいんじゃない」
「え”っ」
「貴女程の容姿の持ち主がその辺りを不用意に彷徨いてたら、人攫いにあって酷い目に遭わされるのは一目瞭然よ」
「そ、それは紫だって同じでしょ」
私を襲う、ねぇ。
確かに私も容姿端麗で性格も良いし襲われない方がおかしいのも確かね。
「そんな度胸のある人間がいたら、是非とも見てみたいわ」
妖怪である私を襲おうと考える命知らずがいれば、是非とも見てみたい。
まあ、妖力は隠しているから、可能性は無くはないのだけれど。
襲ってきた相手を下僕にするのも面白いかもしれないわね。
「それじゃあ私は行くから、そこで大人しくしてて頂戴ね」
「はーい、早く戻って来てね。でないと輝夜ちゃん泣いちゃうから」
ほんと、生斗といる時との態度が天と地ほど違うわねこの子。
あの御淑やかさは何処へ放り投げているのやら。
「これ。持っておきなさい」
「んっ? 何これ……笛?」
「すぐに戻っては来るけど、万が一の事態になったら吹いて。そしたら私がすぐにでも駆けつけるから」
「あーもう、心配性なんだから紫は。そんなに心配なら連れてってよね」
「私と輝夜にもう少し実力があれば連れていけたのだけれど……それに備えあれば憂いなしよ。これで貴女が行方不明にでもなられたらお爺さん達に合わせる顔がないもの」
無断で連れてきている手前、少なくとも無事に輝夜を帰さなければならない。
視線除けの羽織を着て、普段は誰も通らないし視線もいかない屋根の上にいれば此方から何かしらの行動を起こさない限りまず見つかることは無いだろう。
少しでも生斗の勝率を上げさせるため、首の痛みを最小限まで和らげさせる必要がある。貴族の宴の余興程度のもので、ちゃんとした薬師が配備されているとも思えないし。
ここで生斗を万全な状態にすることにより、結果的にはこの行動が輝夜の為にもなる。
「それにしてもこの笛、大分不格好ね。紫の手作り?」
「いいえ、これは生斗が私にくれたものよ」
私の身を案じて、旅を一緒に始めて間もない頃に作ってくれた代物。
彼も初めて作ったという事で、大分不格好だし音も甲高いとは程遠い微妙な音が鳴る。
結局今日まで、私がこの笛を使う事はなかったが、首に掛けることを習慣にしていた事もあり、思わぬ所で役に立つ日が来た。
「私の宝物が一つ増えたわ」
「あげたわけじゃないわよ」
「大切にするね!」
「あげたわけじゃないわよ!」
結局なんやかんやあって笛をあげることになってしまった。
あの顔で泣き顔になるのは卑怯でしょ……酷い喝上げをされた気分だわ。
ーーー
「せ___________」
「んで、なんで誘拐犯がここにいるんだ」
待機所で胡座をかき、首に濡れ布を当てていた生斗を発見した私は、他の者に気付かれないよう此方の木陰へと呼ぼうとしたが、その前に彼が突如発せられた声により掻き消される。
「それよりも、どうだった私の剣術は」
「どうもこうも、一撃で終わらせられたら打ち込みが早いなとしか感想はでねーよ」
生斗が声をかけた人物は、丁度二回戦を終えて待機所へと戻ってきた蓑笠侍であった。
どうやら二人は知り合いらしい。それに先程の生斗の発言……何か引っかかるわね。
「帝を倒そうとしてる逆賊が、こんな貴族達の催し物に出ていいのかよ。折角見逃したのに、これじゃあ見つかったらすぐ役所にぶち込まれるぞ」
「私の後ろには藤原家がいる。そう易易と捕まることはなかろう」
「げっ、お前もしかして車持皇子の代表者なのか」
「そうだが? 武者修行という名目で、不等人殿の用心棒を務めている。まあ、就いたのは御主に斬られてからだから、日は浅いがな」
この蓑笠侍が藤原家の代表である事は対戦表にかいてあったのに。
その表には代表者の名前もあったはず。確か___________妖忌と、そう書かれていた。
「てか、大分致命傷を与えた状態だったのに、よくその地位まで持っていけたな」
「致命傷とは。あの程度の傷、二日ほど安静にしていればすぐに治る」
「骨切れてたよね?」
先程からの二人の口振りから、大体の事は把握した。
恐らくこの蓑笠侍______妖忌は以前、輝夜を誘拐した犯人なのだろう。
私の知る限り、ここ最近で生斗が斬った人型は一人だけ、それにその者を逃したとも言っていた。
誘拐犯である可能性は十二分にある。
「この度はすまなかった。あの時は私も気が触れていたのだ」
「おれに謝られてもな……お前程の実力者が気を触れるなんて、触れさせた相手は余程命を持て余してるらしいな」
「……」
生斗の返答に、腕を組んで押黙る妖忌。
何か深い訳でもあるという事なのか、少しして眉間を揉み出す。
「気が触れた理由ってのに、帝さんが絡んでるんだろ」
「何故それを……!」
「帝忌むべし! とか初対面で暴露させてただろ。少し考えれば分かる」
帝といえばこの地の政治や祭祀を統べる、人間の絶対的権力者であった筈。
そのような人物を忌むということは、この地にいるほぼ全ての人間を敵に回すというのと同義。
よく生斗も、そんな危険因子を見逃したわね。
「私は、元は帝の近衛兵の長を努めていたのだ」
「近衛兵……」
__________近衛兵。
君主直属の警護を担う兵士達の事ね。
その長を務めていたということは、実力自体は帝にも認められていたのね。
「帝の警護の傍ら、身籠った妻と慎ましく暮らしていた。ややこの為にと貯蓄する為に贅沢も然程する事もなかった……」
「つ、妻いたんだ。いやまあ、そりゃいるよね」
変な所に驚く生斗だが、このご時世、妻を娶らないほうが世間的におかしいという事を、この人は知らないのかしら。
「なのにだ! 事もあろうに、帝は身重の妻を……!!」
「……______したのか」
「……ああ。私が屋敷に戻った時には、既に事後であった。結局それが原因で流産し、精神を病んでしまった妻は首を吊って私を置いて逝ってしまった」
妖忌が握り締めていた拳が、ミシミシと音を立て、隙間からは血が滲みでてきている。
背中しか見えないため、彼の顔を確認できないが、生斗が息を飲みこんで緊張している辺り、修羅とも呼べる形相になっているに違いない。
「それで帝が私に何と言ったと思う。
『私が態々出向いたというのに貴様が居らぬのが悪い。それにこの私に抱かれるのは、この地の女として名誉であり幸福なことであるぞ』
だそうだ。挙げ句には妻が首を吊った事に気分を害したと宣い、夫である私を内裏から永久追放したのだ」
帝には妻や愛人が複数人存在する。
それは帝に限った話ではなく、貴族ではよくある話である。
そして女性も、地位ある者に抱かれるという事は名誉でもある。その者にはそれだけの価値があるという証明になるから。
そんな名誉ある事を、無下にされて激怒するのは当たり前といえば当たり前の話ではある。
___________ただそれは、社会的な権力者の立場を考えた場合の話。
「……腐ってるな」
両手を絡め下げた額に当てた状態で、生斗はポツリと、そう呟いた。
それが誰に向けてなのかは定かではない。帝に対してなのか、それともこの狂った常識に対してなのか。
ただ一つ言えるのは、彼の霊力から沸々と静かに煮えたぎる霊力が溢れ出しているのを見る限り、完全にキレてるのは確かなようね。
地位や名誉に興味がないからこそ、純粋に妖忌の話に同情し、怒る事ができる。
そういう所、私は結構好きよ。
「同情等いらぬ。それに私は帝を殺めるつもりは毛頭ない」
「えっ、そうなのか?」
「あの方が居なければ回らぬ世もある。それに私が打ち首にならなかったのも、あの者なりの慈悲だったのだろう」
妖忌自身、客観視するぐらいの理性は残っていたようね。己が如何に愚かな事を成そうとしているのか、普通ならば考えられもしない事をしようとしているのかを。
「ただ、目に物を見せてやりたい。あの帝が、苦渋を味わう姿を見せてやらねば、妻も死んでも死にきれぬ」
「だから輝夜姫を誘拐して、利用しようとしたのか」
「ああ……だがあの時は私もどうかしていた。今はもうあんな事をする気は毛頭ない。言い方は悪いが、今は正攻法で藤原家を利用し、再度帝へ近付く方法を模索するつもりだ」
「そうか……」
生斗が悲しそうに返答をする。
妖忌がどれだけ我慢をし、苦渋を味わわせる程度の妥協まで己を律しているのを感じ取ったからであろう。
でなければ、自身の掌が血で滲むほど握り締めるはずが無いのだから。
このご時世、妖忌やその奥方、そして生斗の考えは異端と唱える者が殆どだ。
生斗が地位や名誉に興味が無いのも、そんな意見の食い違いがあるからなのかもしれない。悪く言えば社会不適合者、良く言えば正義感が無駄に強い浮浪者ってところかしら。
「ほら、生斗。もうすぐ御主の番だぞ」
「ああ」
結局、生斗を治療できず、妖忌の話を聞き入ってしまった。
ゆっくりと立ち上がり、妖忌の肩に手を置く生斗。
「おれはお前のやろうとしている事を止めるつもりはない。奥さんの仇、取ってやってくれ。あっ、だからってこの催し物の優勝は譲る気は無いけどな」
「……ああ! 望むところだ!」
そう言って貴族達のいる縁側へと歩を進めていく。
それを見送る妖忌は、自然と腰に携えた木刀に手を添え、力を込めていた。
はあ、仕方ないわね。次の試合までの隙間を見つけて、なんとか生斗と接触を図るしかないようね。
一旦輝夜の所へ戻って様子を見に行かないと__________
「して、そこの娘。先程から如何程にそこへ居るのだ」
輝夜の元へ戻ろうと、立ち上がろうとした時、私の首には真剣が添えられていた。
そこに居たのは、待機所にいる筈の、そして持っている筈のない真剣を構えている妖忌であった。
「時の次第によっては、娘____________斬るぞ」
まさか、私の存在が彼に気付かれていたとは。これは少し予想外の展開ね。
はてさて、これはどうしたものか。ただ、下手な回答をすれば、瞬時に首が飛ぶのは確かなようね。
当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖
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