熊の住処であったであろう洞穴に、真紅の雫が滴る音が響き渡る。
「痛ってぇな。だけど、身が引き締まった」
住処の主は洞穴の前で蝿の餌となっていた。
首を落とされていたが、切り口の具合から苦しまずに死ねた事が、熊にとっての不幸中の幸いであったろう。
「斬り合いってのは生と死の駆け引きだって事を思い出した」
傷口は浅い。これなら放っておいても直に血も止まる。
「なんでお前のような剣豪が誘拐をするような下衆の真似をしている?」
「これから斬る相手に話す義理などない」
相手は珍しく、おれの剣助と同じ打刀。脇構えの状態で躙りよってくる。
「娘は何処だ」
「ふん、お喋りな奴だ。そんなに知りたくば私に一太刀浴びせてみよ。さすれば教えてやろう」
背格好からして、歳は二十を超えているな。
だが髪は一本残らず白髪______いや、どちらかというと白銀だ。
服装は緑を基調とした旅装束であり、腰には打刀と脇差の二刀が掛けられている。
顔は所謂強面風だが、ごつごつしている訳ではなくスリムに整っており、その勇ましさと華麗さを兼ね備えた容姿は男のおれでも少し惚れてしまいそうになる。一体これまでその顔でどれだけの女子が手玉に取られてきたのだろう。
考えただけでもむかっ腹が立ってきた。
そして何よりも気になるのが、あの剣士の周りを漂う白玉の霊体。気質はあの剣士と全く同じであり、生きた人間と死んでいる幽霊の気質をハイブリットしたようなものとなっている。
恐らく人間______だが、半分は違う。どういう原理でそうなったかは知らんが、あの剣士は半人半霊と言ったところになるだろう。
まあ、ざっと外見と霊力の気質を目の当たりにしての考察と疑問だが、はっきりと言って疑問に関してはどうでもいい。
こいつがなんで半人半霊なのかとか、なんで竹人間を攫ったのかなんて、勝ってから吐かせればいいんだ。ここで悩みでもしてたら、戦いに支障が出る。
それにあの剣士は恐らく、おれがこれまでに遭ったどの剣士よりも強い。悩む暇なんて微塵もない。
「分かった。それじゃあ、そのいかした面をさらにいかしてやるよ」
「ぬっ、それはどういう____________ぐっ!」
背後に生成させておいた霊弾を剣士に向け放つ。
相手が会話に集中させたことにより、攻撃又は防御に転じるまでの隙を作り出すことができた。
思惑通り剣士は防御に転じるのがコンマ数秒遅れ、顔面間近で受けることとなり、ただの霊弾が視界を遮る遮蔽物となってくれた。
ここまでは上々____________おれはその隙に剣士の間合いを詰め、剣士の死角から霊力剣で斬り上げる。
「ふっ!」
斬撃は惜しくも剣士の瞼を軽く斬る程度で収まる。
だが、おれはこれだけで終わる程甘ったれた考えは持ち合わせていない。
剣士は今、急激なフラッシュライトを間近で受けたように眼が眩んでいる。
おれの霊弾は光彩を放つ。そんな霊弾を意識の外から突如眼の前まで急接近させてしまったのだ。一分ほどは眼がチカチカして碌におれの姿を認知することも出来ないだろう。
そんな絶好の好機、逃す手はない。
「(……って、そんなに上手くはいかないか)」
けれども、視覚の有利が通じるのは二流まで。
結局、一流とも呼べる剣士は、相手が出す音や風の動き、気配を感じる事で視覚を持ち得なくても立合う事ができる。
現におれが放つ斬撃は悉く剣士により弾き返されている。
剣術の熟達度で言えば、紛う事無くこの剣士がおれの一枚上をいっているのは間違いないだろう。
だからおれは何でも使う。
視界が無いのなら、それを利用する手を使えばいい。
「なっ!?」
剣の動きは分かっても、おれが霊力剣を持っていない事は予想外だろう。
防御の構えを取っていた剣士の虚をつくおれの素振りは、思ったよりも効果があったらしく、次の手を警戒した剣士はバックステップの要領で距離を取ろうとする。
____________かかった。
「(巣にしては大きいが、所詮は洞穴。距離感覚を見間違えば簡単に壁に当る!)はっ!」
視界の有利を取った二手。
完全に勝利を確信した。
ここから負ける術は無いと高を括ったおれであったが、一つ、唯一つ見落としていた事があった。
「っ!!?」
渾身の突きを剣士に向けて放ち、視覚では完全に剣士の脇腹を貫いていた。
……だが、刺した感覚が無い。
瞬間、おれは全身が凍りついたように震え上がった。
刺した筈の剣士の姿がぼやけ、途中から見当たらなくなっていた白玉の霊体が、おれの霊力剣に絡み付いていたのだ。
「貰った!!」
凍りついたような感覚なのに、全身からはぶわっと汗が噴き出してくる。
____________背後から気配。恐らく、この霊体の本体である剣士。
振り向く間に斬られる。突き終わりを狙われた。防御に回れない。片腕で受けられるか。相手は剣術の達人。腕ごと一刀両断される。前へ転がれない。霊弾を飛ばす。斬られる。捨て身で斬りかかる。死ぬ。グラサンで受ける。降参する。間に合わない。殺られる。
思考が纏まらない。どう動けば最適解を出す事ができる。
考えろ、考えろ! どうすればこの状況を__________!
「ぐっうぉおお!」
頭の中で思考を巡らせてる間に、おれの身体は最適解を導き出していた。
最近鍛錬をサボって衰え気味の膂力をフル活用して、絡みついた霊体ごと、霊力剣を肩に担いだ。
「ち"っ!」
剣筋には己の霊体、感触的に当たり判定はある。
剣士は唐竹のモーションを崩し、横薙ぎに切り換える。
その隙さえ貰えれば、おれも構え直すことが出来る。
先程まで維持していた霊力剣を解除し、受けの構えを取るとともに新たに霊力剣を生成する。
霊力剣越しからくる渾身の横薙ぎの衝撃。
おれは真っ向から受けず、その衝撃を利用して後ろへ退いた。
「御主、名はなんという」
「なんだ、おれに興味でも持ってくれたか。生憎おれにそんな趣味はないんだけど」
「御主の立ち回り、何十、いや何百と場数を踏んでなければ出来ぬものだ。初めてだ、死を覚悟せねばならぬと感じたのは」
「あっそ。なんともまあ温い世界で生きてたもんだ」
これまでしてきいた旅は常に死と隣合わせだ。野獣や盗賊、夜には妖怪、果てには食糧難で数日食べれなくて死にかけたりもした。
とっくに死の覚悟はできてんだよ、こっちは。
あっ、死んでも生き返るだろ、ってツッコミは無しね。
幾ら生き返るとはいえ、死ぬっていうのはとてつもなく不快で苦しくて気分が最悪になるから。
「名を名乗るなら自分からって義務教育で習わなかったか?」
「ぎむきょういく?」
「ああもういいよ___________おれは熊口生斗。お前は?」
「熊口、生斗か。うむ、覚えたぞ____________
______私の名は魂魄妖忌。帝を忌む半人半霊だ」
あっ、やっぱり半人半霊っていう種族みたいなもんなんだね。初めて見るなぁ。
「ていうか狡いだろそれ。なんだよ帝を忌むって少し格好つけやがって。おれ別にそこまで聞いてなかったじゃん」
帝って言えば確かこの地を統べる王様的な人の事だよな。
そんな尊い人を憎むって。この地の全国民を敵に回すと言ってるのと同義だぞ、それ。
もしかして竹人間を攫ったのはそれが目的で……?
「まあいいや、妖忌。なんで帝さんを憎んでるのかは知らないが、今は闘いに集中しようぜ。でないと簡単にとぶぞ」
「無論だ。悪いが容赦はせぬぞ」
妖忌は重心を低くし、居合の構えを取る。
____________次で決める気だ。
距離はある、だからこそ不自然。あいつならおれとの距離を一瞬で詰められるのではないか。
後手に回ってくれるのなら此方はやりようが幾らでもある。それは妖忌も先程の攻防で見に染みている筈。
ならば先手を取ってくると考えるのが妥当だ。
この距離からの攻撃、つまり____________
「真空波はもう効かないぞ」
おれが不意をつかれ、胴体に受けた技。
斬撃を飛ばす事はおれも出来なくはないが、常人の皮膚を斬るぐらいしか出来ないため、威嚇ぐらいにしか使えない。
「その考えでは、御主の半身を無くすぞ」
つまり、真空波ではないと。
さて、こういうどの攻撃がくるか分からない状況の時、どう行動を取ればいいのか。
答えは簡単。
そんなもん、炙り出しちまえ。
「おらあ!!」
十数発の弾幕を展開し、妖忌を追い詰める。
爆散霊弾は洞穴の崩壊を招く要因となるかもしれないので封印しているが、こんな狭い洞穴なら十数発でもかなりの密度となる。
カチャッ
妖忌が鯉口に手を掛ける音が聞こえてくる。
____________来る。
「!!! ぐっ!?」
瞬間、風斬り音と共に妖忌はおれの背後へと通り過ぎていた。
「……また浅い。まさか、見えていたのか」
眼を霊力で強化していなければぼやけて何も見えやしなかった。
なんとか回避することができたが、左肩を斬られてしまった。
まだ腕は動く。だが無理に動かせば後遺症となるだろう。
「久々にあんなに速いの見たな。瞬間速度なら文を超えてるんじゃないか」
スピード自慢な文をこれまで見てきたからこそ、なんとか反応できた。目を幾ら強化しても動けなければ意味がないからな。
「何を言ってるのか分からないが、左腕は封じたぞ。御主の勝ち筋は絶望的に見えるが」
「勝手に決めつけるなよ。腕の一本や二本使えなくたって、知恵を振り絞れば闘える」
先程の技は、人間離れした脚力と抜刀の速さを利用した剣技だろう。おれの弾幕ごと見事に斬りやがった。
その技を身につけるまで幾年を費やしたのか。
今のおれでは斬り合っても弾き返され、その勢いのまま斬られる。
「……こいよ」
おれの姿を見て、驚愕の表情に染まる妖忌。
それもそうだろう。おれは今、打ち負かされたばかりの居合の型で相対しているのだから。
「____________遺言はあるか」
意図を汲み間違えた発言をしているが、別におれは諦めの境地に至った訳ではない。
勝算のない勝負はしない。
この型を選んだのは、今この状況で一番、勝率のあると判断したからだ。
「行くぞ」
鯉口に手を掛ける音が聞こえてくる。
先程と同じ動作。
そして奴は、一度だけ地面を踏みしめ____________突っ込んでくる!!
「「!!!!」」
霊力で眼を強化し、来るであろう剣撃に合わせ、おれも抜刀する。
勝機は、妖忌の刀とおれの『剣助』が迫り合いになること。
「(当たれ!)」
それは緩やかに、静止した世界でおれと妖忌の二人だけが、スローモーションにお互いが抜刀し合う姿が眼に映る。
妖忌の刀の軌道はさっきので確認済み。
だからといって避けられるような代物ではない。ならば避けるよりもモーションかつリスクが少なく、最速で放つことができる居合いで迎え撃つ。
そして妖忌の剣撃は予想通りの軌道を描いていき、おれが放った『剣助』と激突した。
河童と天狗が共同して作られたこの刀は、使用者の力を糧とする。
それから放たれる剣撃は____________
「ぐはあっ!?!」
____________防御不能の一撃となる。
剣助と迫り合った妖忌の刀は無惨にも折れ、そのまま妖忌の身体を切り裂いた。
「はあ、はあ……骨まで斬ったが内臓は傷つけていない。早く止血しろ」
やはり、一振りだけでもかなりの霊力を持っていかれた。
常用は現実的ではないな。
「ぐふっ……何故だ。何故殺らなかった」
傷口を抑え、苦痛の顔を浮かべながら、おれに対して疑問を問う妖忌。
「お前、盗賊の癖に情けをかけてただろ。襲った連中が皆生きていたのが何よりの証拠だ」
「……」
「お前は根っからの屑じゃない」
だから生かした。なんて格好いい事は言えない。殺るつもりで実際には斬ろうとしたのだから。
「その程度では示しがつかぬ。一度命を賭して挑んだ闘いだ。敗けたのに生き残るのはもののふとして恥でしかない」
もののふとはまた馬鹿な思想を持った奴だ。
「そのもののふとやらが盗賊まがいの事をしてるのは恥じゃないのか」
「うぐっ」
「それより止血しろ。布は貸してやる」
懐に入れておいた応急用の布を妖忌に投げ渡す。
「死ぬ事がケジメって、おれには理解できない思想だな。しようとも思わない。おれの前で二度とその事を口にするなよ」
「御主は良くても私には……」
「それにその傷はわざとじゃない。本気で斬ったつもりだ。それでもお前が生きてたのは偶然の産物だよ」
いや、偶然ではないな。
妖忌は刀が折れるとともに身体を捩り、脇腹を斬られる程度で済ませている。
だからといって、重症であるのは間違いないのだから、これ以上やっても勝負は見えている。
「んじゃな。二度とこんなことするなよ」
「お、おい! 何処へ行く!」
「この奥。どうせこの先に娘はいるんだろ」
先程は何処にいるのか妖忌に聞いたが、よくよく観察すれば奥に微弱だが霊力を感じる。
おれがこの洞穴を襲撃する事を予知していなかっただろうし、隠す暇もなかったんじゃないだろうか。
「帝に復讐するのかは知らんが、目的はあるんならここで死ぬのは本望じゃないだろ」
そう言っておれは構わず脚を洞穴の奥へと運んでいく。
その歩数が十歩を超えた辺りで、背後から立ち上がる音が聞こえてくる。
「待て、まだ終わってないぞ」
振り向くとそこには、身体を震わせながら刀を突きつける妖忌の姿が眼に映った。
そんなに死にたいのか、こいつ……
「はぁ……____________!!」
呆れたおれは深呼吸し、脚に今ある全ての霊力を込め、妖忌の懐まで一気に距離を詰め___________
「ぐうぅっ!」
立つのが精一杯の妖忌を洞穴の外まで蹴り飛ばした。あいつが万全な状態であったら、おれの脚は独立していただろうな。
「死ぬならおれのいないところで勝手に野垂れ死んでくれ」
妖忌は強かった。
純粋な剣術で言えば間違いなくおれの上位互換。だが戦闘経験の差でおれがぎりぎり上回ることが出来た。ていうか最後は実力というよりも刀の性能の差だったけど。
次また戦うことになれば、次は立場は逆かもしれないな。
ああ、怖い怖い。もうちょっと優しく接して上げればよかったかな。いやでもあいつイケメンだし……
「おれも少し止血してから行くか」
肩と胴体からは割と洒落にならない量の血が今になって出始めている。
怪我しているのに無理に身体を動かしたツケだろうな。
「あれ、あれ、あれ?」
止血用の布がないぞ。あれ、確かドテラの内ポケットに一巻あった筈なんだけど……
「あっ」
そういえば妖忌の奴に渡してしまっていた。どうしよう、おれも洞穴から出て妖忌から布を取り返そうかな……いや、あんな格好つけて後で返してってのもな……
仕方無い。服を破って止血だけでも済まそう。
後は紫達のところまで戻れば今よりマシな処置ができる。
取り敢えず、竹人間だけでも無事に連れ戻すとするか。
洞穴の奥には、藁が敷き詰められ、そこには縄で縛られた少女が一人、身を埋めながら眠りについていた。
そしておれは、霊弾により照らされた彼女を見て言葉を失った。
どう梳けばそこまで出るのか分からないほど艶やかな髪が、鏡のようにおれの姿を映す。
透き通るような白い肌、全ての顔のパーツの最適解を敷き詰めたかのような整った容姿。
まさに人間の黄金比を体現したような存在だ。
だが、その存在を前にして見惚れたから言葉を失った訳ではない。
____________おれはこの少女を見た事がある。
「……んっ」
どうやら、眼を覚ましたようだ。
いかんいかん、とにかく今は救助が最優先だ。
「______お、起きたか。あんたのお爺さんから依頼を受けて助けに来た。今縄を解いてやるからな」
「んー!?!」
猿轡越しから少女は絶叫し、そのままぐったりとしてまた藁へ身体を埋める。
なんでか知らないが、おれを見て気絶したらしい。なんともまあ失礼な子なのだろう。親の顔が見てみたい。
おれのどこに気絶する要素が…………あっ。
今おれの姿、血塗れの蛮族みたいな格好になってるの忘れてた。
当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖
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