妖怪の山にある鬼の集落にて、天狗禁制の会合が行われていた。
朝日が登っているにも関わらずその会合の会場となる部屋は薄暗く、真中に円形上に置かれた蝋燭で、なんとかお互いの行方を把握していた。
「遂に明日だね」
ある鬼がそう呟く。
その鬼の言う明日とは、百々のつまり妖怪の山に住まう全妖怪を巻き込んだ大宴会の事である。
「ああ、月日というものは余りにも早いものだね」
「明日の宴は過去最高のものにしようじゃないか」
不敵に笑う鬼達。
その姿を見れば、誰もがこの者らが陸でもない事は明確なのであるが、周到にも視線避けをしているため、この姿を目視する者はいない。
「そういえば、俺まだ生斗の野郎に再戦させてもらってないんだよな」
「あっ、実は俺も」
「あいつ絶対戦ってくれないよな」
そんな中、鬼の一人が生斗に向けて不満をぶつけると、次々と生斗に向けて不満の声が上がり出す。
「もうあいつもいなくなってしまうし、最後にもう一回頼みに行ってみようぜ」
「そうだな。最悪殴り合いでなくても、何かしらで勝負がしたい」
「追いかけっこぐらいならしてくれそうだよな」
「おっ、それいいな! 生斗の奴結構すばしっこいから面白くなるぞ!」
おお! と、鬼の皆が感心の声を上げ、早速とばかりに薄暗い部屋からぞろぞろと出ていく。
その姿を止めるでもなく、三人の鬼は呆れたように其々の持つ酒を喉へと通す。
「まったく、ウチの奴等はなんでこうも脱線したがるんだか」
「仕方ないんじゃないの? 私だって出来るのならまた生斗とやりあいたいし」
「あら、意外ね。萃香の事だから真っ先に出ていくと思ってたんだけど」
「あんな量の鬼に私まで混ざっちゃったら、流石の生斗でも過労死するでしょ」
「はは、萃香も成長したもんだ! こっそり行こうとした私の方が子供だったようだね!」
「私は今も昔も思考回路は変わってないよ。生斗が私に気を使わせるぐらいの存在ってだけさね」
これまた意外とばかりに萃香を見やる二人。
これまで、誰に対しても気を使わなかった彼女が気を使う相手。
萃香にとって生斗がどれだけの存在であるのかという事を鑑みた二人は顔を合わせ、同時に笑いが込み上げ、遂には吹き出してしまった。
「なに笑ってんの」
「にひひひ! いやぁ、萃香に気に入られるなんて、生斗もとんだ災難だなぁと思ってね」
「ぷぷっ、そういえば貴女、よく生斗の寝床に潜り込んでたわね。その角じゃお互い寝づらいでしょうに」
「馬鹿にしてるようだけど、結構寝心地良いんだよ、あれ。心臓の鼓動が良い睡眠効果を生むんだよ」
「そういう意味で言ったんじゃないわよ」
納得いかないような表情を浮かべる萃香であったが、そんな彼女を置いて二人の鬼は話を戻し始める。
「それで、
「ああ、もうド派手なのが
「私は意識を散らせるから、大っぴらに練習できてたけどね」
「そう、なら明日は問題なく行けるわけね」
一人は桃色の髪を弄りながら、一人は両指を鳴らしながら、そして萃香は伊吹瓢の酒を口に含めながら。
其々の鬼が明日の宴に思いを馳せる。
「本当は、私は
「折角の宴だ、『送別祝い』だけじゃ物足りないだろう?」
「____とにかく、明日の宴は生涯心に残るものになることは確かだね」
因みにこの後、萃香らを含めた鬼達と生斗の人類初の鬼ごっこが催されたのはまた別の話。
______________________
ーーー
______玄武の沢。
妖怪の山の麓にある、岩壁に囲まれたこの地には、透き通るように綺麗な河が流れている。
綺麗な河には綺麗な魚が釣れるーーそう読んだおれは、旅路に出る二日前であるにも関わらず、釣りを嗜んでいた。
「おっ、釣れた。今日は調子が良いな」
「私が知る限りじゃ一匹目だね」
「何言ってんだ、もう一匹釣れただろ、カワシロが」
「服に引っ掛かっただけだから!」
昼一から始めて、やっと一匹。もうそろそろ日が暮れそうになってきた。
釣りの途中で現れたカワシロと無駄話に花を咲かせて時間を忘れていたが、この時間で一匹は流石に少ないかもしれない。
「ていうかここ本当は釣り禁止だからね。この河は私らの住処なんだから」
「ならなんで今の今までやらせてくれてたんだよ」
「そりゃあ、明後日生斗はいなくなっちゃうんだから、今日ぐらいはと思って好きにさせてたんだよ。親切心ってやつさ。まっ、結果は身の殆どない小魚一匹だけだったけど」
それは言わないでくれ。
朝に十匹は余裕で釣ってくると翠に豪語した事を思い出して恥ずかしくなる。
「もういい、この小魚も河に還す。これじゃあ腹の足しにもならないし、恐らくだけどこの魚は成長しきってない幼魚だろうしな」
「そうなの? 折角の成果なのに少し勿体ない気がするけど」
そもそも食べ物にはそこまで困ってはいない。
鬼の捕虜みたいな立ち位置だからか、ある程度の支給は鬼達から受けているーー7:3の割合で生産と略奪だが。
略奪は鬼の存在意義として必要らしいので、おれ以外の捕虜を作るのと必要以上は盗らないことを条件に強くは止めていない。勿論、この時決闘で勝つことが条件だったため、死にかけたのは言うまでもない。
……と、そんな裏話はともかく、今回の釣りはいわば娯楽だ。
それなのに、まだ幼いこの小魚をとったところで、この河の生態系を乱すだけだ。
そう判断したおれは、小魚を籠から出してリリースする。
「それじゃ、おれは帰るけど。どうせカワシロも飯食べに来るだろ?」
「あたぼうよ! _____あっ、そうだ。先行っててよ。私も後で生斗の家行くからさ」
「ん、何かあるのか?」
「うん、ちょっと生斗に渡したいものがあってね」
「胡瓜か?」
「ま、それは夕飯を食べてからのお楽しみという事で」
渡したいもの、ね。
カワシロから渡されたものなんて、これまで胡瓜しか思い付かないんだよな。
食事の足しに使ってと胡瓜、頼み事を聞いてくれたからそのお礼として胡瓜、珍しい形をしたのが採れたからと胡瓜、盟友だからと胡瓜、私が好きだから胡瓜と、後半よく分からない理由だが、事あるごとに胡瓜を渡されていた。
今回もいつもと同様に胡瓜を渡されるんだろうなという気でいよう。
「夕飯時までには来いよ。遅れたら夕飯抜きだからな」
「い、一瞬で戻って参ります!」
ーーー
「それで、翠はどうだったんだ? 挨拶回りは」
「はい、親しい方は全員回りました。流石は文さんです」
食卓を囲む中、おれは翠の今日起きた出来事を聞いていた。
翠自身、おれとは別に挨拶回りをしたいとの事だったので、文に言って連れていって貰っていたのだーー効率的に考えて一緒に行った方が無駄がないとは思うが、同性同士積もる話もあるのだろう。
けれども、文一人に任せてしまったのは軽率だったかもしれない。大分文自身くたびれてしまっている。
「……萃香にも頼めばよかったな」
「良いんです……私が、行きたいと申し出たのですから。それに翠さんも庇ってくれましたし」
天魔達の処はともかく、 鬼の居住区は文には大分荷が重かっただろう。
文自身中々の実力者だから、鬼達に勝負を挑まれるだろうし。
「文さん今日は本当にありがとうございました。おかげさまで、明後日の旅路に後悔することなく出ることが出来ます」
「此方こそ、これまでありがとうございました。でも、一つだけ本音を言うと、翠さんの食事が今後食べれなくなるのが残念でなりません」
「一番残念なのは私だね。私の原動力は翠のご飯で出来てたんだ」
「カワシロ、その理屈だとおれらが来るまで廃人だったことになるぞ」
やはり、翠の料理は大好評であったようだ。
そういえばこの五十年間、絶対誰か食べに来てたしな。料亭でも開かせてれば、結構儲かってたのではないだろうか。
「大丈夫ですよ。文さんの料理だって今じゃとても美味しくなってるんですから」
「そ、そうですか? 」
翠の称賛の声に文は紅くなり、指をもじもじしだす。
そんな文の初々しい反応に、微笑ましい気持ちになる。
ほんと、初めて出くわした時とは雲泥の差だ。
「ていうか、いい加減食わないと冷めるぞ」
「ふっ、話に夢中で食事を忘れるなんて二流のやることだよ。この私はすでに完食しているのだ」
得意気に語るカワシロだが、お前ただ単に話が盛り上がる前に飯全部かきこんでたろ。早食い対決じゃないんだから、もっと味わって食べれば良いものを……
「私達も食べましょうか」
「そうですね。あっ、熊口さんお魚要らないなら貰いますね」
「おい待て翠、これはおれが楽しみにとっておいたメインディッシュだ!」
夕食を終え、何時もならばお茶を飲んで一息したら文達は帰る。
だが、今回は少し違い、皆もがこれから起きる事柄に興味を示し、この居間を離れようとはしなかった。
そう、カワシロの持ってきている打刀程の大きさがある細長い包みの正体が何なのかという興味に。
「ふふ、やっぱり皆気になるようだね」
「それがあれか? おれに渡すって言ってたやつか」
「ご名答! 良い頭持ってんじゃん」
いや、渡すものがあると言われて、いつもは持ってこないものを持ってこられたら普通そう考えるだろう。
「まさかとは思うが、胡瓜じゃないよな?」
「ち、違うよ!? なんで逆にこの長さで胡瓜と考えるのさ!」
「いや、それこそでっかい胡瓜とかで記念に渡してきそうなところあるだろ」
前に助平な胡瓜が取れたとかで見せびらかしにきた前科があるし。
……とりあえず、おれの心配は杞憂であったようだ。
胡瓜渡されても明日の朝食の足しで終わるだけだしな。
「____それ、河童だけでなく、天狗の妖気がありますね」
「ふふふふ、よくぞ見抜いてくれた射命丸氏。この一品、我が河童の技術員だけでなく天狗の鍛治屋の力を借りて
「業物?」
河童と天狗が共同作業をして作ったという点も然り、鍛冶屋という点も然り、何か製鉄でもしたのだろうか……ていうか、細長いもので製鉄となると、大分限られてくるよな。
おれの予想では______
「はいよ、これを生斗に授けよう!」
「これは……」
カワシロから受け取ったそれには、重量感があり、動かした際に鳴ったカチャッという音におれは確信する。
_____これは刀だ。
包みから露になる、丁寧に紫色の紐で縛られた柄がなんとも美しい。
その後見えるのはシンプルな四角形の鍔、そして刀身を収めた漆黒色の鞘。
「生斗がいつも使ってた霊力剣を模して作ってみたんだ。どう? 結構重いし、
思わず鯉口に手を掛け、刀身を露にする。
まるで鏡のように写す白銀の刀身が、おれの心を撃ち抜く。
なんという美しい……!!
これまで、霊力剣は腐るほど握ってきた。
だがそれは、ただ単におれが日本刀に憧れているからという理由であったから使ってきたのだ。
もし戦うのならば、剣がいい。
そんな理想は、男に産まれたからには誰もが思ったことはあるだろう。
そんな夢を捨てきれなかったおれは、この世界に来てまず霊力で剣を生成することに固執した。
そして剣術を学び研磨してきた。
それが幸いし、霊力剣ならば一瞬で生成することができ、接近戦ならば並大抵の妖怪になら勝てるほどにまでに成長する事ができた。
これも全て、格好いいからという、子供じみた理想があったからこそ。
その夢が今、おれの目の前にある。
本物の日本刀。おれの霊力剣を模倣したなんてとんでもない、おれの霊力剣こそが、この日本刀を模した物なのだ。
「この剣はね。実は私らの力が少しだけだけど込められてるんだよね。ほんと、偶然なんだけど」
「それだけ気持ちを込めて作られたのでしょう。
製作者の気持ちが込められたものには命が宿るともいいますし」
蝋燭の光を何乗にもして輝きを放つ刀身、刃先に触れようものならば持ち主だろうと骨身を裂かんとするその無慈悲さに惚れ惚れする。
この猛犬(剣)をどう手懐けるか、それはおれの技量に掛かっている。
くぅ! こんなの狡い! 何時までも見惚れてしまいそうだ。
「よし、お前の名は今日から剣助だ!」
「この人、全く人の話を聞いてませんよ」
「なに、そんなにその剣を貰えたのが嬉しかったの?」
「当たり前だ! 天下のカワシロ様! 剣助を授からせていただき、誠に感謝の極みでございます!」
カワシロ達は知らずのうちにおれの求めていた日本刀を作り上げてしまった。
それがどれだけの嬉しい誤算であるのか、今はそんなこと言い表せないほど、とにかく嬉しいということだ。
「でも使用には気を付けてね。さっきも言ったけど、その剣には欠陥があるんだ」
「欠陥なんて使い手の力量次第でどうにでもなる。つまりこの刀に欠点はない、以上だ」
おれがいつも生成している霊力剣であっても、脆いという欠陥があるが使い方次第では刃こぼれさせずに受ける事もできる。
「まあ聞いてよ。この剣ーー私らの力が込もっているから妖剣になるのかな。試用した結果、振ると力を吸いとられる事が確認されたんだよね」
力を吸いとられる……ということは霊力、妖怪で言うところの妖力を吸いとられるのか。
それがどれくらいの量にもよるが、おれも霊力量には少し自信がある。
実際霊力の多さを買われて訓練学校にぶちこまれた実績があるぐらいだしな。
「一丁振ってみるか!」
「おお、試し斬りしてみる?」
力を吸いとられるのがどれだけの量なのか確認する必要があるし、剣助の切れ味も知っておきたい。
「私がやったときは、床が湯豆腐のようにスパッと斬れたね」
「なんで床斬ってんだよ」
「長物はてんで素人だからしょうがないね」
「要はすかぶった拍子に地面に落としたと」
「ご明察!」
指をパンっと鳴らして格好つけているがカワシロよ。明察された内容がダサすぎるぞ。
「ちょっと暗いけど外に出るか」
「私は帰りますね。気にはなるんですけど、この後明日の宴会の準備をしておかないといけないので」
なんだ、文は見ていかないのか。
折角の剣助のお披露目だっていうのに。
でもまあ、仕方がないことではあるか。明後日行われるのは妖怪の山の住人が対象の大宴会、用意周到な天狗達は一昨日辺りから用意を始めている。
「おれも後で手伝いにいくから、大天狗の奴らに言っておいてくれよ」
「いや、大丈夫ですよ。あの人達熊口さんのこと嫌ってますし」
「だから行ってからかってやるんだよ」
「されはとても痛快ですが、作業が滞るのだ止めてくださいね。それでは、また明日」
くすっと微笑み、文は縁側から闇夜へと去っていく。
明日、か。明日でこいつらともお別れなんだよな。
次が何時になるかは分からない。
だが、永遠にする気は一切ない。
だからこそ、おれは特段別れの言葉は言わない。
あいつらが変に言おうとしてきたら止めてやるつもりでもいるぐらいにな。
「よっしゃ、善は急げだ! カワシロよ、このおれの剣捌きをとくと見ておくんだな!」
「まるで子供みたいにはしゃぎますね。百歳近くのお爺さんが」
うるせぇ、没前込みで八十近いお婆さんめ。
いつになっても探求心というものがないと廃人になるぞ。
こんなに永く生きているのなら尚更だ。
ーーー
「成る程、これなら大妖怪も簡単に一刀両断出来るな」
「うん、こんなに地面に亀裂が出来るなんて思いもしなかった。流石、熊口生斗様の剣捌きは一味違いますわ」
「止めてくれ、泣きたくなるから」
剣助は深々と地面に刺さり、落ちた際に刃先に触れた地面はプリンのように裂けており、その軌道の延長にある大木まで真っ二つにしていた。
この刀は、とてつもないほどに切れ味が凄い。
刃先に触れていない箇所すらも斬ってしまう程の代物。並大抵の剣士では扱うことも出来ないーー勿論、おれも含めて。
剣助は、えげつない量の霊力を吸いとってくる。
一度だけ、おれが素振りをしようと振りかぶった瞬間、通常時のおれから半分以上の霊力を吸いとられ、思わず力が抜けたおれは剣助を手放してしまい、カワシロと同じ結果になってしまったというのがこれまでの経緯。
カワシロに剣捌きを披露すると豪語した手前、この結果はとてつもなく顔を伏せたくなるほど恥ずかしい。
「これは秘密兵器だな。
「それが良いかもね。普段から使うには効率が悪すぎるし」
剣助を引き抜き、汚れた面を布で拭くと、輝きを取り戻した刀身がおれを映す。
……はあ~~、なんて惚れ惚れする輝きを放つんだ剣助は。
頬擦りしてやりたいぐらい愛らしいなお前は。
「またこの人見惚れてますよ」
「んっ、私を見て? やだなぁ、私を見たってなにも出やしないよ」
「恐らく、カワシロさんではないと思いますが……」
結局この日、就寝するときまでずっと剣助に見惚れてました。
勿論、布団には剣助を潜らせて寝ました。これが初夜というものなんですね。
______________________
遂に出発する日が訪れた。
つい昨日リアル鬼ごっこしたおかげで、全身筋肉痛だが、旅に出る前のウォーミングアップと捉えれば、案外悪くなかったかもしれない。
『まさか、天魔さんに頼まれるなんて思いもしませんでしたね』
「ああ、そうだな」
一応、日が出ている間に、おれと翠は天狗達に情報が漏洩しない程度に知り合いに会いに行っていたーー萃香達は性懲りもなく戦おうといってきたが丁寧にお断りしました。
そんな中天魔が、
『屑屑の件、他人頼みで申し訳ないが、宜しく頼む』
と、唇を噛み締めながらおれらに頼み事をしてきたのだ。
屑屑____元々は天魔の仲間であり、大妖怪であるあいつは、ある人間に魂を乗っ取られてしまっている。
そいつをおれらは倒そうとしている。
本当は友人である天魔本人が、その人間ーー屑屑に終止符を打ちたかった筈だ。
だが、天魔は天狗を束ねる長であるため、私情でこの場を離れるわけにはいかない。
ならばおれらは、天魔の苦渋も背負ってその人間に立ち向かうのみ。
そいつさえ倒せば、天魔に掛かった呪いも解ける筈だしな。
「それにしても、こんなところまで聞こえるなんて、相当騒ぎ立ててるようだな」
この調子なら、鬼達のアルハラにより硝戒天狗達の見張りも手薄になっている筈だ。
『もうすぐ麓ですよ』
現在、おれはもう必要最低限の荷造りを終え、五十年間お世話になった家から出発していた。
思えば、彼処は団欒の場として毎日誰かしら来ていたな。
萃香や文、カワシロを始め、勇儀もたまに来ており、その度に飯を集りに来るか酒盛りをしていた。あの家、飲酒禁止にしていたのに。
おかげで十回は建て直しました。
思えば、鬼や天狗達、他にも色んな妖怪と交流を深められた気がする。
以前までのおれは、妖怪=敵としか見ていなかった。
だが、実際は姿形、目的は違えど、それ以外は人間と一緒だ。
妖怪にも良い奴、悪い奴がいるし、話が通じる奴と通じない奴がいる。
そこに人間との差はない。
おれ自身、本当に萃香達の事を依姫達と同様の友人として見ている。
酒を交わし、共に笑い、同じ釜の飯を食べる。
そんな生活を何十年間も続けてきたのだ。
思い入れが無いわけがない。
本当に楽しかった。
心の底からそう言える。
何時になるかは分からないが、たまには帰って土産話を肴にまた酒を呑み交わしたいな。
想像するだけでも笑みがこぼれる。
「生斗~」
後少しで山を出るという中、遠くからおれの名を呼ぶ、萃香の声がおれの耳へと届く。
「はあ!?」
何用かと振り返ると、空一面に広がる特大の花火が上がっていた。
_____いや、あれは火薬ではなく……
「弾幕か!」
振り返るまで気付かなかったのは花火が拡散する際に起きる破裂音がなかったからだ。
『わぁ、綺麗……』
色とりどりの弾幕が入り乱れ、漆黒の空一面に、まるで四季折々の花々が咲き乱れているかのような、幻想的な景色を見事に作り上げられている。
「なんとか間に合ったようだね」
「萃香。凄いな、これは」
「私達から、あんたへの門出祝いだよ」
「おれの?」
ふわふわとおれの傍までくるチビ萃香。
普段よりも小さいということは、この萃香以外にも何体か分身させているということか。
「友人の旅の門出に、どうせならド派手なのが良いと思ってね。どう? 気に入ってくれた? 因みにこれは私の案だからね」
餓死寸前のところを萃香に拾われ、鬼達と戦わされ、なんやかんやでこの山へと移り住み、五十年の年月を過ごしてきた。
改めてみた弾幕の花火には、何故だかこれまで過ごしてきた皆の笑いあった顔が浮かび、感慨深い気持ちとなった。
「ありがとな。萃香、何度も言ったとは思うけど____また帰ってくるから、それまで元気でいろよ」
「私達の心配より、自分の心配をしな! あと、帰ってきたら次は生斗と翠を含めた大宴会をするから覚悟してなよ!」
お互いの拳を小突き合い、萃香はにっこりと笑った。
その姿を見て、おれは軽く手を振って改めて山の外へと足を踏み出す。
目的の途中でも、月に行った後だとしても、必ず帰ってくるから。
____その時はまた、皆で酒を交わそうな。
「あー、それと」
「んっ、なんだ?」
水を指すように、まるで思い出したように萃香が口を開く。
まだ言い残す事でもあるのだろうかと、おれは疑問符を浮かべながら再度振り向くと、萃香は先程とは打って変わって、悪人のようなニヤリ顔で口を押さえていた。
「もうそろそろ天狗達が血相を変えて生斗を追いかけてくると思うから、全力で逃げなよ」
「……はい?」
天狗が、此処に来る?
それは何の冗談だろうか。これまで天魔と文以外の天狗にはバレないよう立ち回ってきたんだぞ。
もしかして何処かで情報が漏洩してしまっていたのか?
「いやぁ、鬼達がさ。聞こえもしないのに生斗にじゃあな~って言ってるみたいでさ。その発言に察した天狗達が血眼になって生斗を探してるみたいだよ」
「萃香お前ら図ったな!!?」
萃香が会場の現状を知っているのは、分身体が情報を報せていたからだろう。
鬼達には勿論、口止めをしていた。
絶対におれがこの山を出ることを言うなと。
そう、『山に出ることを言うな』とおれは言ってしまっていたのだ。
「約束は破っていないよ。私らはただあんたに別れの挨拶をしただけなんだから」
その行為が、如何に危険かを萃香達が理解していない筈がない。
そして萃香の仕草と口ぶりからして、それがわざと行われていることは明らかであった。
「見つけたぞ! 彼処だ!!」
遠くからだが、そんな怒号のような声がおれの元まで聞こえてくる。
そうか、分かったぞ。
何故鬼達が最後の最後でおれを裏切ったのかを!
「おれを出しに使いやがったな」
「さあ、何のことだか?」
第二次天狗大戦を勃発させる気だ。この戦闘狂どもは。
「さあ、なんでか天狗達が生斗を追いかけてるようだから、仕方なーくこの萃香様が足止めしてあげようじゃないか」
「なーにが仕方なくだこのロリ鬼め。結局お前らは何時まで経っても変わらないよな」
指を鳴らし、準備運動を始める萃香。
戦うき満々の彼女は、腕をほぐしながらおれの呆れたと言わんばかりの発言に笑ってこう答えた。
「私らはいつまでも変わらないよ。だから、安心して帰ってきな」
萃香がそう言い放った瞬間、森の影より複数の天狗達が飛び出してきた。
変わらず、我を通すというほど難しいものはない。
時が立てば環境が変わり心境も変わる。
それでも萃香は何の躊躇いもなく、真っ直ぐな眼をしてそう言って見せた。
我を通し、自由気ままに生きることができるのも、鬼であるゆえの傲慢さがあるからだろうな。
だが、待ってもらっている身からすれば、これほど嬉しいものはない。
「さあ行きな!」
「______ああ! またな!」
萃香が変わらないのであれば、おれも傲慢に我を通そうじゃないか。
それが待ってもらう側の礼儀だ。
そしておれは、萃香の激励を胸に、振り返ることなくその場を走り去っていった。
ーーー
山の麓にはまだ天狗の手は行き渡っていないようだった。
ていうか、先程から天狗の断末魔が至るところで聞こえてくる辺り、鬼の対処でおれまで手を回せていない感じだ。
鬼達も中々策士な所もあるもんだ。
おれを出しに使って天狗との紛争のきっかけを作り出すとは。
内容は定かではないが、鬼と天狗の規定のグレーゾーンを上手く使って、おれの拘束期間が過ぎたから外に出すと大義名分を作っているのだろう。
鬼と天狗はお互いの社会情勢に不干渉ではあるが、おれはどちらの社会にも溶け込んでいたため、いわゆるグレーゾーンに位置している。
鬼は鬼の約束事を尊重しおれを外に出すと言い、天狗は天狗の規定を元におれをこの山から出さないと言う。
そこへ出た食い違いにより発生した混乱に乗じて、予め事態を想定していた鬼達が喧嘩を吹っ掛けてきているって所か。
______ガサッ
「!!」
現在起きている第二次天狗大戦について思料していると、近くの茂みから出てくる人影が眼に映ったため、慌てて身構える。
「生斗さん、私です」
慌てていたからか、構えが少し内股になってしまったがどうやら杞憂で済んだようだ。
「文、か? 宴会はどうしたんだ」
「勇儀さん達が暴れているのに乗じて抜け出してきました」
おれの前に現れたのは、五十年間おれの部下を勤めてきてくれた文であった。
「まだ追っ手はきてないようですね」
「足止めが強すぎるからな。もはやここで寝ても余裕で逃げ切れそうだよ」
「油断は禁物です。数だけで言えば鬼よりも圧倒的に天狗の方が多いんですから、漏れた天狗に寝首を掻かれますよ」
「その時は宜しく頼む」
「お断りです。ていうか本当に寝ようとしないでください」
なんだよ、おれは夜行性じゃないからもう眠いんだよ……という冗談はさておき。
「それで、何の用だ? 別れの挨拶は昼間済ませたと思ったんだけど」
「それは、ですね……」
なんだろうか。文にしては珍しく口ごもってるな。いつもはずけずけと物を言ってくるのに。
「そ、そうです! 生斗さんを風で飛ばそうと思いまして!」
「風で飛ばす?」
「そうです! 私の風を操る能力で、生斗さんをこの山から遠く離れた地に飛ばすんです!」
「それ、おれ身は持つのか……」
「私をなめないでください。生斗さんの周りを風で包んで衝撃を和らげます」
そうか、それなら態々自分の足で逃げることなく楽できる。
流石は文だな、ちゃんと上司のことを考えて行動してくれる。
「といっても、文の上司でいられるのもこれが最後だけどな」
「……!」
これからおれは天狗間でお尋ね者となる。
そんな男が文の上司でいられるわけもない。
「だ、大丈夫ですよ。私は、これまで生斗さんの事を心から自分の上司だとは思ったことはありませんから」
____えっ、泣いていいですか?
そんなフォローするような表情で言われてもそれ、全くフォローしてないよね? おれの心抉り散らかしてるよね?
「だって私にとって生斗さんは、初めて出来た友達ですから」
____えっ、泣いていいですか?
さっきとは別の意味で心を抉りとられたのですが。
急にそんな真剣な眼差しで見ないでくれ、眩しくて直視できない。
「でも、ほんとは…………」
「……ど、どうした?」
そして遂には俯いてしまう文。
こう感情豊かになったのも、前の文を知ってる身からしたら、とても喜ばしい事だ。
だが、文が何故俯いてしまったのだろう。
おれの反応が気持ち悪かったからか?
「_____いえ、なんでもないです」
「大丈夫か?」
「はい、ちょっと感慨深い気持ちになっちゃって」
「そ、そうか」
文達とも随分と長い時を共に過ごしてきた。
その時の記憶が蘇って懐かしく感じていたんだろうな。
「それじゃあ、追っ手が来る前に飛ばしますね」
「おう、優しく飛ばしてね」
「思いっきり飛ばすので、気を引き締めたくださいね!」
「話聞いてる?」
そんな話をしている最中にも、文は自らが持つ葉団扇を仰ぐ。
すると元からそよ風のような優しい風がおれを包んでいき、自然と地面から足が離れ、浮いていく。
「なんか楽しいな、これ」
「こんなことも出来るんですよ」
「あぶばばばばば!?」
急に逆さになったと思ったら、高速で何十回転もしたおれは、ただでさえ三半規管はあまり強くないこともあり一瞬で空中酔いによる吐き気が催しそうになる。
「ば、馬鹿野郎! うっぷ……」
「ふふ、そんなに怒らないでくださいよ。部下のちょっとしたお茶目じゃないですか」
そのお茶目で空中におれのキラキラが飛び散るところだったぞ。
まあいい、それよりも_____
「
「ええ、
「はは、文。そんなにおれの事気に入ったのなら帰ったときまた文の上司になるよう天魔に掛け合ってやるよ。何、遠慮すんなって」
文は優しく微笑み、左眼を軽く擦る。
こんな軽口も、また帰れば幾らでも出来るさ。
「そうだ、上司として最後の命令をして良いか?」
「……はい、なんでしょう」
風の勢いが増し、今にも吹き飛びそうになるときに言うのもなんだが、最後ぐらい上司らしいところを見せないとな。
「できる範囲で自由に生きろよ」
天狗社会にいる以上、完全な自由を享受する事はできないだろう。
だが、前の文みたいに自分を縛り過ぎないように自由でいてほしい。
文はもう、一人ではないのだから。
そんなおれの意図を汲み取ったのか、文はこれまでにない元気な声で、
「_____はい! 」
そう返事をし、勢いよく葉団扇を仰いだ。
______________________
「それで良かったの、文?」
茂みから私達を覗いていた友人、カワシロが顔を出して私に問いかける。
「いいのよ、焦らなくても。私達には無限に近い時間があるのだから」
生斗さん達は、今頃見知らぬ土地へ着陸し、また果てしない旅を再開させていることだろう。
私はそれを応援することしか出来ない。
……私の気持ちも、彼が旅を終えるまで留めておかないと、迷惑をかけてしまう。
「どうだか。私には諦めているように見えるけどね」
「何が言いたいの?」
「いんや? 別にー」
眼を逸らし、ひょっとこ顔になるカワシロ。
妙に腹が立つからその顔を直ちに止めてほしい。
「それよりも、そろそろ鬼達との抗争に加わった方がいいんじゃない? 組織的にも、一人だけなにもしてなかったら怪しまれるよ」
「……そうね」
この抗争も一日経てば丸く収まり、またいつもの日常が帰ってくる。
けれども、いつも当たり前のように存在した人達が、明日にはもういない。
覚悟はしていたが、やはり辛いものがある。
「ははーん、文って意外と泣き虫なんだね」
「その喧嘩、幾らで買える?」
「プライスレス、私の喧嘩は金じゃ買えないよ」
なら売るんじゃないわよ、と言い返したい衝動に刈られたが、言ったところで何もならないと判断した私は、沈みきった感情を変えるべく空を見上げる_____
______べきではなかった。
「やっと気付いたかい。突風が起きたと思って来てみれば、何辛気臭い顔してんだが」
「ゆ、勇儀さん!?」
黄金に輝く三日月を背後に、盃に入った酒で一杯している山の四天王である勇儀の姿が、私の眼に映し出されていた。
「あんたらの表情を見るに、生斗はもう行ってしまったようだね」
「はい……」
勇儀さんの質疑に答えると、彼女は何も言わず腰に携えていた瓢箪から酒を盃に移し、又も飲み干していく。
「ぷはあ~_____それじゃあ、準備万端って事だね」
「えっ、何、準備万端って何? 文、今あんたあの鬼の言っていた意味分かる?」
「二人同時にかかってきな!」
「なんで私も!?」
騒がしいカワシロの事はこの際放っておいて、勇儀さんが言わんとしていることは、今の私にも、いや今だからこそ分かる。
相手が勇儀さんだからこそ務められる。彼女になら遠慮なく
そう、勇儀さんは気を利かせて胸を貸してくれるようだ。
勿論、他にも理由はあるだろうが、この際前者のお言葉に甘えさせてもらおう。
「私非戦闘員なんだけど!?」
「勇儀さん、ありがとうございます」
「お礼を言われる筋合いはないよ。私は私で、全力で行かせてもらうだけだからね」
幾ら素早さで勝ったとしも、鬼との圧倒的な力量差を埋められるわけではない。
勝つことは絶望的、だから安心して全力を出せる。
天狗は己の実力を隠したがる習性がある_____
_____が、それがどうした。
今はもう、誰でも良いから本気をぶつけ合いたい気分なのだ。
「こんなこと、生まれてこの方、初めてかもしれません」
「私は生まれてこの方、いつも全力で臨んでるよ」
「私は生まれてこの方、初めて死の危険を感じているよ」
その生き方には尊敬する。
我が道を進むことがどれだけ大変かは、組織で潰れかけていた私には痛いほど分かる。
「と、そんな事はいいんだよ。無駄口を叩いて時間を稼ぎたいわけじゃないんだろ?」
「ええ、今すぐにでも始めたいです」
「私帰っても良いですか?」
「駄目だね」
「ひゅい!?」
周りに風を纏わせ、いつでも戦闘へ移行できる体勢をとる。
このばか騒ぎは、生斗さんの門出を祝うためと萃香さんは言っていた。
ならば、興じてあげようではないか。
闇夜とは思えぬほどの光彩を放つこの山で、誰よりも大きな、遥か遠くへ行った生斗さんをも魅了するド派手な弾幕をお見せしよう。
「さあ、天地を揺らす我が怪力乱心_____あんたの身一つで退けられるかな!」
「手加減しないので、本気でかかってきなさい!」
「河童の同志達、私の骨をどうか拾ってください!」
この日、妖怪の山で起きた抗争の中で、最も白熱した勇儀さんとの弾幕勝負は、途中から乱入してきた鬼と天狗達によって被害が拡大し、山の麓にあった森林が焼け野原になったことを此処に記しておく。
因みに、生斗さんは飛ばされた衝撃で気絶していたから弾幕を見ることができず、挙げ句には飛ばされた先が肥溜めだったと文句を言われたのは、再会して間もなく開催された宴会の席でのことであった。
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔