「この眼の傷はの。熊口、御主がわしとともに逃がした大妖怪___『屑屑』に負わされた傷なんじゃ」
「おれが逃がした、もう一人の大妖怪?」
おれが逃したもう一人の大妖怪____あの角妖怪のことか!
どういうことだ。あいつと天魔は仲間だったんじゃないのか。仲違いかなにかでも起きたのだろうか。
「___わしと屑屑は、あの国から何人かの人間を捕虜にして存在を維持させていた」
「いつの間に捕まえていたんだ」
「あの国に攻めいる前に少しの」
天魔は事の顛末を大分細かく教えてくれるようだ。
ていうかいつの間にあの国の人間を連れ去ってたんだ。
……いや、そういえば月移住計画が発表されてから、しばしば失踪者が続出した事件がニュースで取り上げられていたな。
もしかして、いやもしかしなくても天魔達の仕業だったということか。
「そんな生活を数年と過ごしたぐらいか、ある男が我々の前に現れたのじゃ」
ある男とは……あの時ワープゲートに乗り遅れた者がいたのか。あの乱戦ならあり得なくもない事だから、別に驚くようなことではないな。
その数年間をどう生きてたのかは気になるところではあるが。
「その人間はの。元々別で生きておったらしくてな。全然土汚れの一つもついておらず、無駄に着飾った服装をしておった。何処から来たのか聞いてもそいつは何も応えず、ただ薄ら笑いを浮かべていた。今でも思い出しただけでも気味が悪い」
「無駄に着飾った、ね。あの国の重鎮が乗り遅れたってのは考えにくいが」
お偉いさんは皆初日に月へ移住をさせている。
家出少女でもない限り、基本はあり得ない筈だ。
それに服が一切汚れていなかったのも違和感がある。
一体そいつは何処から来たのか。あの国の者ではない、のか?
「そこで屑屑は奴を排除しようとしたのじゃ。我々からしても不気味じゃったからな。わしも同意して屑屑に奴を排除することを任せたのじゃ」
「……排除するのか」
「危険因子を村に置くこともできぬし、下手に断って逆恨みをされても面倒じゃったからの____屑屑は、敵の精神に干渉し、身体を乗っ取るのが得意な妖怪じゃった。その時も同じように奴の精神を犯すため、屑屑自身の核となる精神を乗り移らせていた」
「……その結果がどうなったんだ」
何となく分かってきた。
恐らく屑屑は____
「逆に奴の精神に核を乗っ取られ、屑屑の意識は二度と戻ることはなかった」
「屑屑って奴、馬鹿なのか」
「馬鹿なんじゃろうな。いつものように舐めてかかってまんまと力の全てを奪い取られてしまいおった」
妖怪の精神を乗っ取る程の人間がこの世にいるのだろうか。
どれだけの強靭な精神力を持っているんだ、そいつは。
「それでその屑屑自身の身体はどうなったんだよ」
「それはもう、数日の間に腐敗しおったよ。あの日は今のように蒸し暑い時期じゃったからの」
「そうか……」
精神の抜けた肉体は文字通りもぬけの殻となり、生きる行為すら手放してしまったのだろうな。
そんな危険を伴う精神干渉をしてしまったのは、屑屑にとって最大の過ちだろう。
そしておれも、屑屑を生かしたせいで洩矢の国と翠は___
「そして屑屑の精神と力を手にした奴は、次に私を殺そうとした。私は必死に抵抗し、左眼を引き換えに奴を追い払うことに成功し、それ以降奴と会うことは一度もなかった」
「その左眼は治らないのか」
妖怪ならばそれぐらいの傷すぐに治る筈だ。
それでも尚傷が癒えていないのはまたなにか不思議な力でも働いているのだろうか。
「とてつもない怨みの念が込められた妖力であってな。幾らわしの妖力でもどうにもできんのじゃよ」
大妖怪でも解けない怨みの妖力……本当に、そいつは何者なんだ? そもそも人間なのか?
妖怪に勝る精神力に、とてつもない怨みを持つ正体不明の男。
謎が深まるばかりだ。どうしても誰なのか突き止めたいが、あの国では人が多すぎて誰なのかが特定ができない。
「…………」
そう、おれが誰の犯行なのか思考を巡らせていると、ふと翠の様子が目に映った。
そうだ、おれはまず、翠に謝らなければならないんだった。
「____翠「最初は」……んっ?」
「熊口さんが逃がしたせいで起きた事だと思って衝撃でした。同時になんで生かしたんだと怒りも込み上げてました」
その事はぐうの音もでない。
おれがしたことで結果翠を死なせる結果を作ってしまったのだから。殴り殺されても文句のつけようがない。
この後、おれが何をされても罪を償うつもりだ。
「だけど、天魔さんの話を聞き終えて安心しました。
熊口さん行ったことはほんのきっかけに過ぎない事だって分かりましたもん」
「翠?」
「一番悪いのは、屑屑さんの力を奪った塵屑陰湿犬の糞野郎が悪いんだって」
翠の眼からは一粒の滴が流れる。
それを事切りに、洪水の如く大量の涙が溢れだしていった。
「熊口さんは、悪くないです。どうせ熊口さんの事だから自分が全部悪いと勝手に考えてますよね。それで私に謝ったらそれこそ殴ります。ぼこぼこのタコ殴りで撲殺しますから」
「……」
おれの中にいない筈なのになんでおれの心を読んだ。
そしてなんで泣く。
……いや、因縁の相手の手掛かりを初めて掴んだのだ。これまで溜め込んでたものが溢れてしまったのだろう。
___翠はおれの事を許してくれるらしい。
おれのせいではない。
だが、きっかけを作ったのもまた事実だ。
それなのに、今のような言い方をしたのは、翠がおれに罪の意識を持って欲しくないという意思の表れだと分かる。
それならば、おれはその行為を無下にしてはいけない。
おれは翠の意思を尊重する。
だが、これだけは一つ言っておきたいことがある。
「……なあ翠」
「……なんですか」
「犬の糞野郎って、犬の糞に失礼だろ。あいつはただの下衆野郎だよ」
「___ふふ、それじゃあ下衆野郎さんに失礼ですよ」
「くく、確かにな」
「やっぱり二人、めっちゃ仲良いじゃろ」
「「反吐がでるから止めてくれ(ください)」」
屑屑の事は分かった。
その乗っ取った下衆野郎が誰なのかが気掛かりだが、次会ったとき、始末する寸前に聞いてやれば良いさ。
どうせ、ろくな野郎じゃないし。そこに思考を巡らせるだけでも不快感が押し寄せてくる。
「なあ熊口、そのつまみやっぱりくれぬか?
話したらちと腹が空いての」
「おう、存分に食べ…………」
「……ないんじゃが」
「熊口さん、さては真剣な話をしている最中に食べてましたね」
皿にはつまみの残りカスのみがあり、おれの胃袋は妙な満腹感があった。
うん、これ味わう事もなく無意識に食べてるわ。
「人が話してるのにそっちは食べるなんて……」
「非常識じゃのう」
「そうですよね。人としてどうかしてますよ」
「熊口は年齢的にもはや人間じゃなかろう」
「おっ、それじゃあ妖怪ですね! 妖怪糸目爺なんかどうです?」
「そこまで言わなくても良いじゃない!?」
仕方ないじゃない、おれもお腹空いていたんだもの。
いつの間にかつまんでしまってたっておれのせいじゃない! おれのこの右手が悪いんだ! めっ! 、と左手で右手を叩いて叱って見せる。
「愚痴を言われるのが嫌ならさっさと食材を取りに行ってください」
「頼んでもよいか」
「分かったよ。てか愚痴を言われなくても行ってたからな。後で愚痴を言ったこと後悔させてやるからな」
「はて翠、わしはただ事実を言ったまでなんじゃが」
「私は悪意を持って悪口言いました」
「よし、翠こっちにおいで。熊さんがとっておきのアイアンクローしてあげる」
このあとなんやかんやで時間を食ったが、天魔と翠を置いて宴会場へ食料確保に行くことになった。
天魔のやつ、全然元気じゃねーか。これなら宴会も参加できたんじゃないだろうか。
とりあえず、また天魔の屋敷で迷う事も含めて多めに食料を持っていってやろう。
なーに、天狗の一人に天魔用の飯を用意してくれと言えばすぐに出来上がるだろう。
ーーー
鬼と天狗の宴会。
おれは最初の方でしかここにはいなかったから分からなかったが、時間も大分過ぎた今も尚、どんちゃん騒ぎが収まる気配が一向に見えない。
「はい俺の勝ち!」
「も、もう勘弁してくれ」
といっても、騒いでいるのは殆どが鬼の方だ。
天狗達は傍目から見ても楽しんでいる様子はなく、嫌々付き合わされていると言った感じだ。
……もしかして天魔、この状況が分かってたから逃げたのか。
なんて策士……いや狡い奴なんだ!
「おっ、生斗~! 何処行ってたんだい? 探したんだよ」
「萃香か」
辺りを見渡しながら食料を探していると、おれの肩の上に酒瓶を片手に持った萃香が乗っかかってきた。
「ちょっと天魔のとこへな。そして話したついでに食料調達を任されたからその任務遂行中であるわけで」
「へえ……そういえば生斗、天魔と知り合いだったんだっけ? 私もあいつとはそんなに話してないから、じっくりと話してみたいと思ってたんだよね。また天魔のとこ行くなら私も行っていい?」
「やめとけ。萃香が来たら天魔の身体に障るだろ」
「なんで?」
「近くにいるだけで酔いそうなぐらい酒臭いから」
「女性に対してそれ酷くない?!」
いやだって、おれも肩車の密着状態になったときあまりのアルコール臭に一瞬ふらついたからな。
どうせ萃香の事だから天狗が貯蔵している分の酒なんて既に飲み干してるだろうし。
「恐らく生斗が思っているであろう事が、大体あってるから何も言えないね」
「まあ、一旦水浴びして食料探し手伝ってくれるっていうのならついてきても良いけど」
「そんなこと言ってぇ、ほんとは私の水浴び姿見たいんでしょ? 正直に言ってごらん。大丈夫大丈夫、引かないからさ」
「萃香、自身の身体を改めて見るんだ。そして感じろ、私の身体に欲情する奴はとんでもない児童愛好家(変態)だけだって」
「ははは、生斗……ちょっと表、でようか」
あっ、やってしまった。
萃香の声がワントーン下がり、太股に挟まれたおれの首が締まっていくのを感じる。
「萃香様。私め、本当は萃香様の裸体が見とうございます。今のはほんの照れ隠しに過ぎないという事を、どうか御了承していただきたく存じます」
「それはそれでなんか嫌だから表でて」
「がああ!」
首が! 首が折れる!?
翠助け___そうだいなかった! くそう、肝心な時に役立たずなんだからあいつはーー居たとしても助けてくれないだろうけど!
「悪かった! 子供だって馬鹿にしたこと謝るから締めるの緩めてくれ!」
「あれ、ちょっと軽く力入れた程度なんだけど」
「鬼の力なめるな!」
おれの必死の懇願が効いたのか、太股の力を緩めてくれた萃香。
危ない、あと少しで本当に折れるところだった。
ある一部の人間は幼女の太股に挟まれるのなんてご褒美だとか言いそうだが、されてるこっちは普通に辛いし喜びを感じる暇なんて一切ない。
特に萃香の太股、力いれると鋼鉄のように硬____
「生斗、なんだか今無性に殴りたくなったけど、良い?」
「駄目です」
いかん、萃香の奴ついにおれの心の中まで直感で読んでくるようになりおった。
「はあ、とりあえずさっきの事は水に流してあげる。それじゃあ私は身体にこびりついた酒の臭い落としてくるから、あんたは引き続き食料探ししといてね」
「酒の臭い、落ちるのか?」
「んー、どんなに身体を洗っても落ちたことないから分からないけど、たぶん大丈夫でしょ」
「駄目じゃねーか!」
落ちたことないってどんだけ身体に酒染み付いてんだよ。
「あれか、萃香お前酒風呂でも入ってるんじゃないのか」
「そんなのがあったら是非とも入りたいねぇ。全部飲み干してしまいそう」
「萃香が言うと洒落になってないのが怖いよな」
「洒落で言ってないもん」
だろうね。本心で言ってるだろうなと心の隅で思ってたおれがいるよ。
この後、結局酒の臭いが取れなかった萃香と共に、天魔の屋敷へ戻った。
まあ、その後の展開はご想像通り、萃香が我慢出来ずに酒盛りを始め、翠がそれに便乗、我慢ができなくなった天魔も酒を呑み始める始末となった。
そしてついには酔った萃香と天魔が日中の戦いの再現VTRを開始したため、屋敷は倒壊寸前のボロ屋敷となってしまったとさ。
天魔はきっと明日は後悔の海に打ち拉がれるだろう。
うん、意図せぬところでおれがつまみの件で愚痴られたときに言っていた後悔することが実現してしまったな。
おれ? おれは一向に反省はしてないよ。おれが止めても結局は萃香は来ていたと思うし。
まあ、これ以上の不幸が天魔を襲わないよう切に願っとくよ。
「わ、わしの屋敷が…………!!」
「こういう細かいことは気にしないことだよ。私はそうやって生きてる!」
「住む家がないのは気にすることじゃろが!」
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔