現実とは時に非情だ。
どんなに対策をし、万全な態勢を取っていたとしても、巨大な暴力の前には全てが無力。
蟻を踏み潰す無邪気な子供のように、彼らの尊厳は完膚なきまでに粉々となった。
「ここまで一方的になるもんかね……」
妖怪の山の至る所から悲鳴や鈍い音、時には爆発音等が飛び交い、麓には倒れ伏した天狗らの山が積み重なっていく。
「お、顔見知りがいると思えば、確か文って言ったよな?」
「な、なんで、私の名前を、知ってるのよ」
勇儀に目を付けられ、真っ先にリタイアし、天狗の山の下の方にいた文を棒でつつきつつ話しかける。
おっ、意識が戻ったのか。勇儀に顔パンされて気絶で済むなんて文も意外と頑丈なんだな。
「それよりも、助けて。下敷きになって辛いの……」
「ほらよ」
文の手を引っ張り、天狗の山から引き摺り出す。
だが、外に脱出することは出来たが、ダメージは残っているようで、まだ立つことが出来ていない様子。
「鬼がここまで強いのかって身に染みるほど実感出来ただろ」
「あんなの、反則よ……どんなに攻撃を与えても、何もなかったように、反撃してきて、実際与えた傷も瞬く間に、完治、するんだもの」
それも嬉々として迫ってくるから、此方からしたら不安を掻き立てられる。
本当にこの鬼に勝てるのか、と。一撃が必殺となる鬼の攻撃を避けながらそんな疑問を持ってしまったらもうアウト。その綻びを鬼は見逃さない。
勇儀との戦闘を見ていて、文はそれが顕著に現れていたな。
もっと慎重に戦っていたらもう少し善戦していたかもしれない。勝てはしないだろうけど。
「ほら、水飲んで寝てろ。下手に動くと傷に響くぞ」
竹製の水筒を文の口に当てて水を注ぐ。
だが、文は元々飲む気はなかったようで、ごふっ、と咳をして水を吐き出した。
そのまま無言で睨み付ける文。
「も、もうお休み」
文の目蓋を手のひらで閉じさせ、眠るように促す。
だが、文は眠る気はなかったようで、閉じさせた目蓋を瞬時に開け、おれを睨み付ける。
「ああ、寒かったのか。おれのドテラを貸してやろう」
ドテラを上から掛けてあげようとしたが、文は要らないらしくドテラを放り投げおれを睨み付ける。
…………。
「おれの親切受け取れよ!?!」
「ありがた迷惑って知ってますか!?」
ーーー
夕暮れ___悲鳴が鳴り響いていた妖怪の山では今、一時の静寂が訪れていた。
天狗は罠を張り、陣形を取り、奇襲も掛けていた。
だが、その全てを悉く踏み潰し、鬼達は見事妖怪の山の乗っ取りを遂に成し遂げたのだ。
今はボロボロになった天狗達を従え、宴の準備をさせている。
「いやぁ、楽しかった! こんなに騒げるとは思いもしなかったよ!」
「ああ、そうだね。どの相手も意外と歯応えがあった」
萃香と勇儀が談笑しながら、おれのいる荷物置き場まで歩いてきていた。
おれは鬼と天狗の戦闘中、特に参加することなく、ただ少し離れた鬼達の荷物置き場で傍観者に徹していたのだが、特にそれを咎めることもなく勇儀がおれに話しかける。
「あっ、生斗。こんな所にいたのかい。あんたが強いって言ってたあの文っていう天狗、ほんとに強くて火が点いちゃってさ。ちょっとやり過ぎちゃったよ」
「あっ……」
「……」
おれの足元で仰向けで倒れている文に睨み付けられる。
「馬鹿、本人の前でそれ言うな!」
「ん? ___って、なんだ、文あんたこんなところで寝てたのかい」
「ひっ!」
どうやら勇儀は文に苦手意識を植え付けてしまったらしい。
負傷でまともに動けなくなっているのにも関わらず、転がっておれの後ろに隠れて怯えている。
「あんたねぇ、強いのにそんな臆病に振る舞ってんじゃないよ。ビシッと構えなビシッと!」
「は、はいすい、すいません!」
ポーカーフェイスの文をここまで怯えさせる辺り、相当勇儀との戦いが怖かったようだ。
うん、迂闊に文強いよって教えたおれ、絶対憎まれてるだろうなぁ。
『強い相手を鬼が放っておくわけがないじゃないですか。そんな事も分からないなんて、ひょっとして熊口さん、相当な間抜けなのでは……!』
く、口が滑っただけだから。
強い奴いたかい? って聞かれて特に何も考えず素直に答えてしまっただけだ。
いや、ほんとだって。
だから文さん、怯えながらも睨み付けるの止めてくれませんか。おれの良心が痛い痛いと叫んでるんです。
「生斗も留守番ご苦労さん。おかげで私達の荷物も無事で済んだよ」
「いや萃香、おれはただお前らの戦いを此処で観戦していただけだぞ」
「いるだけでも抑止力になるのさ。狡い奴は勝てないと分かったら嫌がらせに荷物を燃やしたりする輩もいるからね」
萃香の労いの言葉をもらうが、おれは本当になにもしていない。強いて言えば文で遊んでたぐらいだ。
定期的に鬼達が来て倒した天狗を置いていってたし。
「そういえばこの山の長だった……確か天魔って言ったっけ? あいつは別格に強かったよ。流石の私も倒すのに骨が折れたね。それにあいつ、この山に被害がでないよう私の攻撃全部受け止めてたし、あんまり勝った気がしなかったんだよね」
「おいおい、萃香の攻撃を受けきるなんて正気の沙汰じゃないだろ。天魔は生きてるのか?」
「うん、大分弱ってたけど、歩いて天狗達に指示するぐらいには動けてたよ」
流石は大妖怪であり、幾千万と生きた最古の妖怪なだけはある。
おれなんて一撃受けただけで天に召される自信があるぞ。
とりあえず、宴会の時にでも様子を見に行くか。
あいつには、
『よろしくお願いします。妖力の気から天魔さんが洩矢の国を襲った妖怪と同一人物ではないことはわかりますが、その妖怪と接点がある筈、是が非でも情報を引き出してくださいね』
ああ、別に翠のためとかではないが、諏訪子の国に消えない傷を与えた下衆の行動には腹を据えかねている。
以前翠におれは関わらないと勢いで言ってしまったことがある。
実際は大妖怪との戦いが避けられない道であるから、その時のおれの心境も分からないでもないが、ある親子を執拗に襲い、国を乗っ取ろうとした野郎だ。今後他の村でも同じような行為を繰り返していることは目に見えている。そんな奴を知ってしまったからには、見過ごすことはできない。
ほんとはおれだって極力自分から戦いたい訳ではない___だが、身内に実害が起きてしまっている現状として、けじめはきっちりとつけねばならないだろう。
それにいつまでも翠に居座られるのも厄介だしな。
「よし、んじゃおれも宴会の準備を手伝ってやるか。手負いの天狗達だけじゃ準備に手間取るだろ」
「それもそうだね。皆でやった方が早く酒が呑めるし!」
「もう既に呑んでる奴が言えることなのだろうか」
「これは準備運動さ。いきなり大量の酒が入ったら胃が驚いちゃうでしょ?」
「瓢箪の中の酒をがぶ飲みするぐらいじゃ胃は驚かないのね」
おれからすれば一斗樽分の酒を一気したとしても鬼の胃は一切動じないと思うのよね。
てか萃香達戦闘中でも呑んでたよな。何人かの天狗、鬼の嘔吐物食らって戦意喪失してたし。
どんだけ酒好きなんだよ。もう少し待てよ、敵陣の中なんだからもっと自重しろよ!
それでも天狗を完封するあたり、ほんと鬼は妖怪の中でも別格なのが窺えるよ……
ーーー
「よお、天魔。身体は大丈夫か」
「……熊口か。見ての通りじゃ、これからのこの山の支配者に挨拶もできぬ」
祝勝の宴会が催される最中、おれは天魔のいる屋敷へと訪れていた。
この間、又も結構な時間迷ってしまったのはご愛嬌ということで。
「部下の命令中に倒れたって? 萃香の攻撃を諸に受け続けたのに無理をするからだ」
「それも天狗の長としての役目じゃ。根を上げることを子供らに見せられん」
無駄に広い部屋の中央に、ぽつりと布団にくるまる天魔。
余程敗けたことに応えているらしい。
「腹は減ってるか? 宴会場から幾つか持ってきたんだけど」
「……少し減ってるようじゃが」
「すまん、この屋敷回ってるとき摘まみ食いした」
バレないようにちゃんと飾り付け直したのに、あっさりと見破られてしまった。
流石は天狗の長……!!
『明らかに皿の大きさに対して量が少な過ぎるでしょう。そんなの誰にだって分かりますよ』
まあ、元々少し多めに持ってきていたからな。これじゃあ怪我人の天魔も食が通らないだろうとした配慮の結果だから。
決して迷っている中小腹が空いて摘まみ過ぎた訳じゃないから、ほんとだよ。
「よいよい、今はわしも食が通らん。熊口が全部食べてくれ」
「おっ、いいのか。それじゃあ遠慮なく貰うぞ」
最近マイブームが到来している乾物を口の水分でふやけさせるという遊びにハマっている。
特に椎茸は良い具合に味が染みてきて美味いんだよな。
「うん、思ったよりも元気そうだな。てっきり全く身動き取れなくなるぐらい疲弊しているものだと思ってた」
「わしも伊達に長生きしておらんのでな。御主が此処に来た理由も大体分かる。
____この眼の事じゃろ」
「……何でそれを」
「此処に来てからの熊口の視線とそれに対する疑心感での」
あれ、おれそんなに天魔の眼帯視ていただろうか。
知らずのうちにということもある。
おれの無意識の動作で何を考えているか読むあたり、天魔も諏訪子並の観察眼を持ち合わせているようだ。
「話しても良いが、理由を聞かせてくれぬか? わしもこの眼の事はあまり口外するのは嫌なんじゃ。単に気になった程度の事じゃ話したくはない」
あまり口外させたくはない話か。
____それならば、おれよりも因縁のある奴に話させた方がいいな。
『……はい。私も天魔さんには挨拶をしたいと思ってましたし。折角なので私が話しますよ』
「これはおれだけの話じゃないんだ」
そうおれが言うと、おれの背中辺りの違和感が消え、隣に淡い靄が浮き出てくる。
そこから、実体化した翠が正座の状態で姿を現した。
「ほう___熊口、御主取り憑かれていることを知っておったのか」
「ああ、その眼の妖力の主がこの怨霊に用があってな。おかげでおれはそいつが死ぬまでこの怨霊に取り憑かれてるって訳」
「お初に御目にかかります。私、隣にいる熊口さんの“守護霊”を務めさせて頂いております、翠と申します」
「守護霊じゃないだろ。嘘をつくな嘘を!」
「嘘じゃないですぅ! 私だって熊口さんが寝ているとき悪い霊が取り憑かないよう頑張ってるんですよ!」
「そりゃお前のような毒舌怪力怨霊とシェアハウスなんて真っ平御免だろうよ」
「天魔さん、熊口さんというのはこういう人なんです。人の行った善行を認めようとしない屑人間なんです。どうかご容赦ください」
「何がご容赦!? 天魔がおれにご容赦するようなことなんてないだろ! 翠お前言葉使い間違ってるぞ阿呆!」
「熊口さんこそ間違ってますよ。阿呆というのは熊口さんのような人の事を言うんです」
「ははは、仲が良いようじゃの」
「「心外にも程がある(ります)」!」
天魔は何をとち狂った事言い出すのやら。
こんな脳みそ小学校低学年レベルの怨霊と一緒にされても困る。
「(熊口さんのような脳みそ粟粒以下と一緒にされても困ります)
___とりあえず、天魔さんの言う、理由をお聞かせします。先程のようなふざけた話では決してないので」
おれとの口論を中断させ、翠は自分の身に起きた出来事を要点だけを丁寧に話していった。
その話は何度聞いても凄惨な内容であり、思わず息を呑み、同時に怒りが込み上げてくる。
だが、天魔はただただ、その話を悲しそうな表情で耳を傾けていた。
「____これが私と、洩矢の国での出来事となります」
「……そうか」
翠の話を聞き終え、天魔は腕組みをして俯く。
「
少しの沈黙の後、天魔はぽつりと呟き、俯いていた顔をおれらに向け、決心したように又も口を開いた。
そしてその内容は、一瞬おれの脳内では理解し難いものであった。
「この眼の傷はの。熊口、御主がわしとともに逃がした大妖怪___『
「おれが逃がした、もう一人の大妖怪?」
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔