辺りは漆黒の闇に包まれ、月明かりによりなんとか物体の外形が見える程度である。
夕暮れの日が落ちる頃、集落のど真ん中にある広場に、鬼によって作られたであろう四角形の土俵ができていた。
其処へ群がり既に呑み始めた鬼に、集められた人間。
いよいよ、鬼との腕試しが始まるようだ。
「さあ、始めよう。鬼の宴で最高の肴となる催し物、人間との腕試しを!」
一際盛り上がる鬼達。
それに比例して人間達は盛り下がっているので、温度差が灼熱と極寒並みに違う。
「この腕試しは、鬼と人間の一騎討ちだ。だが流石にそれでは公平ではない。なので俺らには土俵外にでたら負け、利き手の使用不可のハンデが設けられてる。それで人間が勝てば鬼に出来る範囲での願いを一つ叶える権利を得ることが出来るが、俺らが勝てば一生俺らの世話人だ」
無駄に大きい声で、土俵の真ん中でルール説明をする上半身裸の一つ目の鬼。
筋骨隆々の逞しい肉体が焚き火の光に照らされ、なんとも神々しい。
「まずは俺が相手だ。誰か勇敢な挑戦者はいないか。いない場合には俺が選んだ者が相手になるが」
そのままルール説明をしていた一つ目の鬼が相手のようだ。
特に順番があるわけではないのなら、先程皆に大口叩いた手前、おれから行かなければな。
そう考え、おれは人間側サイドから一歩踏み出そうとした。
「待て」
しかし、先程妻子の安否が心配だと危惧していたおじさんによって行く手を阻まれてしまった。
「君はまだ若い。それにあの鬼と体格差が違い過ぎる。今行ったとて無駄死にするだけだ。私が行こう」
「いや、でも……」
「はは、大丈夫さ。身体だけは頑丈に出来ているからね。君は体格差のあまりない鬼と戦ってくれ。その方が生存率も高くなるだろう。
後、君の言っていたことは正しいよ。鬼には絶対に勝てないと思い込んでずっとうじうじしていた。だが、君の熱弁のおかげで目が覚めた。私は生きて帰らなければならない。ならばその夢見事を実現するための努力をしなければならないのだと」
全員が全員ずっと負け犬のままであった訳ではないのか。
少なくてもこのおじさんの目は今死んでいない。
あの巨躯の鬼に対して物怖じせず、勝とうとする意思が見られる。
「勝つ見込みは?」
「わからない。だがやれるだけのことをやってみるさ」
「そうか……なら一つだけ。あいつらはおれらをえらくなめてかかってる。そこを突け」
「ああ、わかった」
あんな目をされたら退かざるを得ない。
あのおじさんの力がどれ程のものかは知らないが、体格はおれの倍はあるのではないかと錯覚してしまうほどの巨躯、つまりあの一つ目鬼並みに大きい。
リーチ差を考えればおじさんの言う通りおれよりも適任かもしれない。
「最初の相手はお前か。どうする、人間側は武器の使用は自由だ。お前の望む武器を用意するが」
「すまないが、私は得物での戦いには不慣れでな。己の全てを預けられるのは、やはりこの拳しかない」
「いいね、その心意気。気に入った、お前が負けたら一生俺の付き人だ」
「そうなるくらいなら舌を噛みきって死んでやるさ」
お互いが、土俵の上で向かい合う。
空気が張り詰め、先程まで騒いでいた鬼達も固唾を飲んで沈黙を貫いていた。
そんな緊迫感漂う状況の中、二人の間に颯爽と現れる萃香の姿が目に映る。
萃香の右手には小石が握られており、今にも投げるかのような体勢で二人に話しかける。
「それじゃあ、この石が落ちきったときが戦いの合図だよ。お互い悔いの残らぬよう頑張ってね」
そう言って萃香は小石を空高く放り投げた。
その小石は闇に消え、常人の視力では見ることは叶わない。
___しかし、この静寂の中での小石の落ちる音は、誰の耳にも鮮明に聞こえた。
「んっ!!」
その音にいち早く反応したのはおじさんだった。
鬼に目掛け一目散に肉薄する。
その速度は人間とは呼べぬほど速く、瞬く間に鬼の側に到達していた。
「おらぁっ!!」
その速さに少し驚いた顔をした鬼だったが、やはりというべきか当然の如く左手による攻撃を仕掛ける。
しかしその攻撃を読んでいたのか、難なくおじさんは右に逸れて避けることに成功。その後一瞬の隙をつき、おじさんは鬼の顔面に向かい、何かを投げつける。
…………あれは、砂か!
いつの間におじさんは砂を拳の中に隠し持っていたのか。
その砂により鬼の視界は一面砂嵐に見舞われる。
「はああぁ!!」
目潰しにより鬼の動きが止まったのを見逃さなかったおじさんは渾身の正拳突きを鬼の腹部へ放った。
ドゴンッ、と鈍い音とともに巨躯が宙に浮かぶ。
なんだあのおじさん。めっちゃくちゃ強いじゃないか!
霊力なしであの力……あれで霊力なんて身に付けようものなら第二のゴリラ(綿月隊長)が誕生するのではないだろうか。
「目潰しとは小癪な。だが、いい。浅知恵だが俺を一杯食わせるなんて益々気に入ったぞ」
だが、鬼の身体は外までは飛んでいかず、土俵際で着地する。
「まだだ!!」
これで終わるとはおじさんも端から分かっていたのだろう。
間髪入れずおじさんは鬼に向かいドロップキックをかます。
「効かんな」
「ぐあっ!?」
全体重を乗せた飛び蹴り。
その常人ならば軽く吹き飛ぶ威力を持つ技も鬼の前には無力。
左手、いやその人差し指のみで受け止められてしまう。
「お前なら耐えられるかも、な!!」
「!!?!?」
そのまま足の裏を掴み、ほぼ同じ体型のおじさんをまるで紐のように軽々しく振り回し、そして乱雑に放り投げた。
おじさんは目にも止まらぬ早さで家屋の壁を突き破り、奥の方で漸くドスンと落ちる音が聞こえてきた。
おいおい、死んでないよなあれ。
「おい、俺ん家に穴開けてんじゃねーよ」
「悪りぃ悪りぃ、今度直すから許してくれ」
鬼達が何か雑談をしている隙におじさんの様子を見に行こう。辺りどころが分からなくてもあんなの普通に死ぬぞ。
「まだ、まだ……だ」
おじさんの様子を見に行こうと、おれが家屋へと近づいていくと、奥からそんな声が絶え絶えで聞こえてくる。
「おい大丈夫か!」
「俺は、まだやれる……お、れは……」
「おい、おじさん脚が!」
突き破られた壁から顔を覗くと、立とうにも足の骨が無惨にも折れ、這いずって出てこようとするおじさんの姿があった。
頭からは血を流し、息も荒い。意識も今にも落ちかけているのを気合いだけでなんとか持ちこたえているのだろう。
「これはもう続行不可能だね。脚が折れて頭も打ってる」
「……萃香」
家屋へと入りおじさんを介護していると、突き破られた壁から萃香が入ってくる。
「おい、なんであの鬼達は笑ってんだよ。人をこんな悲惨な目にあわせてんのに」
家の外から聞こえる鬼達の笑い声。
おじさんがここでもがき苦しんでいるというのに、その原因を作った奴らが何故あんなにも高笑いが出来るんだ。
「さあ、勝ったからじゃない? 生斗も勝ったら楽しいでしょ」
「こんな悲惨な目にあわせて、勝って喜ぶ奴は人間じゃない。それこそ鬼の所業だ」
「そりゃそうだもん。私らは鬼だよ。鬼と人間の価値観を一緒にしてたら、身が持たないと思うよ」
そうか、分かった。
鬼は欲に従順で、人の思いやる心ってものが欠如している。
「うっ、うぅ」
「おじさん止めろ、動くな」
だから勝った負けたで一喜一憂し、負けた相手の事など気にも止めない。
こんなにもおじさんは苦しんでいるというのに。
「それで、萃香がここに来た理由はなんだ」
「生斗だけが一人おじさんを安否を心配してたからちょっとね。それにしてほんとあんた変わってるね。他の人間は自分のことばかりでそこのおっさんのことは眼中にない感じだったよ」
「余裕がないんだろ。人は皆余裕がないと周りの視野が狭くなる」
「ということは生斗は余裕があるってことだよね」
「おれだって余裕がある訳じゃない。ただおじさんのことが心配なだけだ」
おれは最悪死んだとしても生き返ることができる。
その分の余裕はあるだろうけどな。
「萃香、悪いけどこのおじさんに手当てをしてあげてくれないか」
「わかった、私の分身にやらせておくよ。それで、お優しい生斗はこれからどうするの」
「……こんな馬鹿げた催し物。さっさと終わらせてやる」
何が力試しだ。結局はただの一方的な苛めとなんら変わりないじゃないか。
こんな馬鹿げたことは直ぐに終わらせる。
例え命を使う結果となったとしてもだ。
覚悟を決め、グラサンを前に持っていく。
そっとおじさんを床に寝かせ、霊力剣を生成する。
「おじさん、ちょっくら行ってくる。さっさと終わらせてくるから、おじさんは安心して寝ててくれ」
「ま、まっ、てくれ。俺はまだ……」
「はい、怪我人は黙ってようね。この萃香様が手当てするんだから大人しくしてな」
ありがとう、と一言萃香に礼だけ言い、おれは家屋を後にする。
そのとき、萃香が満面の笑みで此方の様子を窺っていた事も気付かずに。
ーーー
「次の相手は誰だ! 誰かおらんのか?」
おじさんを壊した本人が土俵の真ん中で腕組みをしながらそう叫ぶ。
その声に対して人間達は萎縮し、誰も名乗りをあげる者は出ずにいた。
「出ないなら、俺が選ぶ____」
「おれだ。おれが相手になる」
良かった。逆に皆が萎縮してくれたおかげで間に合うことができた。
群がる鬼らを掻き分け、おれは一つ目鬼との勝負に名乗りをあげる。
『熊口さん、怒っていてはいつもの思考が出来ませんよ。深呼吸でもして冷静になってくださいね』
珍しく翠が普通のアドバイスをくれる。
こんなにも素直になるということは、翠も相当頭に来ているらしい。
普段からこれぐらい素直なら文句ないというのに。
「おお、今度はチビが相手か。ま、怪我しないことを祈ってるんだな」
「言ってろ。お前は自分の首を今からでも守っておくんだな」
霊力剣を中段に構え、戦闘体勢に入る。
それに対して鬼も何かを感じ取ったのか、拳を握りしめ此方に向かって構えをとる。
「……なんだお前、霊力使えるのか。萃香も中々骨のありそうな奴連れてきたじゃねーか」
おれの霊力は今、この前使った二十五年分の霊力量が水増しされてある。
これまで、寿命ブースト使ったときは決まって死んでいたのでわからなかったが、どうやら他の寿命でブーストされた命は死ぬまで水増しされるらしい。
なので霊力が枯渇してしまったとて、死ななければ体力回復とともに二十五年分の量分まで霊力が回復するという訳だ。
これはメリットとデメリットがある。
メリットはそのまま年単位の寿命の使用の場合常時その力が手に入るというところ。
逆にデメリットは命を二個単位以上で使用すると身体が持たず死んでしまうところだ。
以前五個の命を使ったとき身体がその霊力量に耐えきれず自滅しかけたことがあった。
まだ二~四個の単位で使用したことはないが、一個でも大分きついのに、二個以上はまず身体が持たないだろう。
つまり二個単位以上で使えば一個余計に命を使うことになるということになる。
「それじゃ、さっきと同じように小石が落ちたら開始ね」
先程は萃香だったが、次は一本角の女の鬼が小石を投げる。
無駄話もこれぐらいにするか。
とりあえず言えるのは、今のおれは萃香と戦ったときのおれのまま戦えるということだ。
「それじゃあ、頑張りなよ。萃香はあんたに期待してるみたいだし、私もあんたに期待でもしとくよ」
そう言って女の鬼は土俵から去っていく。
期待なんてかけられなくても、おれは自分で出来る限りのことをするだけだ。
そしてまたも、小石の落ちる音が会場に響き渡る。
その音とともに突進してきたのは一つ目の鬼であった。
「萃香だけでなく勇儀にまで期待されるなんて、贅沢だな!!」
____速い。
確かに速い。だが、霊力で強化した眼なら十分に対応できる。
脚に霊力を集中させ、おれも鬼に向かい脚を踏み出す。
「おいあいつ、突っ込んでいくぞ」
「馬鹿かあいつ、自殺志願者か」
鬼との距離が残り数メートルのところで、おれは脚に集中させていた霊力を一気に解き放ち、地面を抉りとるほどの踏み込みをして跳躍する。
「うおっ!」
己の頭上を飛んでくるとは思いもしなかったのだろう。
一つ目の鬼は飛んでくるおれに驚いたのか、突っ込んでくる脚を止めようとしていた。
それが命取りだとも知らずに。
「ほら、お前の身体だ。こうして自分の身体を客観的に見るのは初めてだろう」
「は、は、はぁ!? なんだこれ!? 俺の身体??!」
おれの片手には一つ目の鬼の首が握られており、絶賛元々一つになっていた身体と対面させている。
「どうせ切断面にくっつけたら元に戻るんだろ。ほら、取り行けよ」
一つ目の鬼の首を土俵外へ放り投げると、鬼の身体は慌てて首を追いかけるように土俵外へと退いていく。
「お前、隙を作りすぎだ。おじさんとの戦いの時もそうだけど、少し想定外の事が起きると直ぐに無防備になる。だから簡単に首を斬られるんだぞ」
それにしても驚いた。
おれでも鬼の首を斬ることはできたのか。
それもまあ、おじさんが戦ってくれたことによって一つ目の鬼の癖を見つけることができたからだけど。
思ったよりも上手くいって内心ほっとしている。
「流石は生斗だ。雑魚鬼程度じゃ歯が立たないか」
「おい萃香、雑魚は言い過ぎじゃないだろ。俺だって山一つを更地にするぐらいはできるぞ」
「首をくっつけてからそれをほざきな____それよりも生斗、鬼に勝ったんだ。何か望みはあるかい」
やはり、首を斬ったくらいじゃ死なないよな。
鬼ってやつはほんと何やったら死ぬんだろ。
それよりも望みか。
そのことは失念していたな。
ん~、望み。望みかぁ……一人だけ願いを叶えてもらうっていうのもな。
そういえばほかの奴らはどうしているのだろうか。
そう思い、人間サイドの方に目を向けると、皆怯えた表情のまま此方を傍観していた。
どうやら鬼を倒すことを実演して見せたというのに、勝つイメージが沸いていないらしい。
「どうだった。これが鬼と遭遇したときの対処法だ」
「「「「できるか!!」」」」
だよねぇ。おれもこれは無理だなと思ったよ。
ていうかおれがしたことはおじさんとした事と殆ど同じで、前者はそれでも負けてしまっている。
おれのやり方が他じゃ効果がないのはとうに立証されていたということだ。
はあ……これじゃあおれ一人で鬼に願い事叶えてもらったところで、胸のもやもやは消えないじゃないか。
それならば、叶えてもらう願いは一つ。
「おれら人間を元いた場所に還してくれ。それで終わりだ」
「無理だね」
「そこをなんとか」
「駄目だね」
「なんでだよ」
「まず前提として他の人間も対象としていることだね。私らは個人の願いを叶えるのであって皆の願いを叶えるわけではない。譲歩したとしても、生斗あんた一人を逃がすか、それとも他の人間を逃がすかのどちらかだよ。本当はこれも他の人間というのも一人に限定になるんだけど、生斗に免じて皆逃がしてあげる」
萃香の表情に違和感を感じる。
笑っているようだが、なんだか引きずっている。
確かにおれの願いはデ◯デがまだ地球の神でない場合の神龍に皆を生き返らせてくれと言っているようなものか。
だが、それを萃香の一言で、半分ねじ曲げて来る辺りに引っ掛かる部分がある。
その事について少し考察しようとしたが、ある視線に悪寒の走ったおれの思考は停止する。
「(なんだ、この寒気のするような視線は……)」
その視線の主を探すため、おれは辺りを見渡すと、主は直ぐに見つかった。
____その主とは、鬼すべて。
回りを囲んでいた鬼達からまるで獲物を狩るような獣のような眼光で此方を見つめていたのだ。
そして萃香のあの発言。
その二つの根拠を元におれはある仮説を導きだした。
「萃香、お前、おれがどっちを選ぶのか最初から分かっててその選択肢を提示してきたな」
「さあ、なんのことやら」
こいつら、おれと戦いたくて疼いてやがる。
他の人間の事なんかどうでもいいからそんな選択肢を提示してきた。
だから萃香もおれの性格を見抜いているからかどことなく自信ありげなところに少し癪に障る。
それもそうか、同胞を倒す人間が目の前にいるんだ。
これまで人間で鬼に勝つものなんて現れなかったのであれば、この態度も納得がいく。
あー、なんか自分で言っててむず痒くなる。
「……わかったよ。それじゃあ他の人間達を元の場所へ還してやってくれ」
「あんたならそう選ぶと思ったよ」
萃香が鬼の一人に指示し、人間達にこのことを伝達させている。
それを聞かされた人間サイドの皆は、胸を撫で下ろし、喜びの声をあげる。中には腰が抜け尻餅をつくものまでいた。
「お前らがおれと戦いたがっているのはよく分かった。だが、次戦っておれが勝ったら、次こそおれも還してもらうからな」
「さて、次の相手がさっきのように行くかね。いくら生斗でも次は苦労すると思うよ」
どうせすぐに連戦になるとは思ってたよ。
だが、次を乗り越えたら終わりだ。
先程のようにリサーチ無しでの戦いとなるから、確かに苦労するだろう。
だが、負ける訳にはいかない。もし負けたら鬼に何されるか分かったもんじゃないからな。
まあ、先程はダメージも皆無だしなんとかなるだろう。
___そんなポジティブ思考でいられたのはこの時までだったかな。
「萃香の言っていた通り、あんた強かったね。久し振りに身震いしたよ」
そう称賛の声をあげつつ土俵へと上がってくる鬼。
その瞬間、おれはゾッとするほどの嫌な予感と冷や汗が大量に吹き出してきた。
土俵へと上がってきた鬼は、先程試合の合図となる小石を投げていた女の鬼であった。
だがその時まではこれほどまでの
これは、おれの人生詰んだかもしれない。
「私は星熊勇儀て言うんだ。これからあんたと戦う鬼の名前だよ」
生還記録の中で一番立っているキャラ
-
熊口生斗
-
ツクヨミ
-
副総監
-
翠
-
天魔