諏訪子と神奈子の戦いから十日が過ぎた。
おれは諏訪子の看病と託つけて暇潰しをしていた。
「なあ諏訪子、翠の奴酒癖とんでもなく悪いの知ってたか? この前お隣さんから貰った酒呑んでたら翠が私も呑みたいって言うもんだから呑ませてみたんだけどさ。そしたらあいつ二、三杯ぐらい呑んだあたりからすっごい絡んできて、挙げ句には関節極められて危うく骨折られる所だった」
「ねえ生斗、毎日お見舞いに来てくれるのは良いんだけど、明日大和の尖兵がウチに来るんだよ。ちょっと明日に向けて集中したいから帰ってくれない?」
「緊張のしすぎは良くない。
おれという存在が緊張を解すのであればおれはここにいる」
「生斗はただ此処に居たいだけでしょ。自分の家でぐーたらしてたら仕事押し付けられるからね」
「そそそそんなわけないだろ? お、おれは純粋に諏訪子を心配して来てるだけだ」
心配とサボりの半々の理由で見舞いに来ていたことを、諏訪子はお見通しだったようだ。
この国は貧困ではないが特に栄えているわけでもない。この国の民一人一人が確りと役割を持ちそれを為している。
そんな中、余所者とはいえ長期滞在しているおれにも労働の魔の手が近付いていたのだ。
何度か家に押し入られたこともあるが、どれも家に近付いている段階で察知して裏口から逃げることにより回避していたけど___
『ほんと、ろくに仕事をしない者を食わす飯は無いんですからね。その人が例え権力者とて例外ではないんです。ましては熊口さんなんかがサボれば、諏訪子様の盾がなければ即刻追放されるんですよ』
んー、流石に畑仕事しないとだよな。
いい加減この国の人達の嫌な目線されるのも疲れたし。
「はあ、また翠と話してるようだけど、私の話聞いてくれる?」
「おっ、なんだ? おれでよければなんでも聞くぞ」
「そのために来たんでしょ___私は、今回の会談で神奈子をたらしこめるよ」
「お、お?」
諏訪子が神奈子をたらしこむ……?
あの神奈子を、か。おれの考えを二手三手読んで必ず自分の都合の良い結果に持っていくような神を、果たして上手く騙すことができるのだろうか。
「あ、ごめん。言い方が違ったね。別に神奈子を騙そうって訳じゃないよ。私の存在を薄めず神奈子を納得させられるかもしれない妙案を思い付いたってことさ」
「そうなのか? んー、でも神奈子を納得させるってのも中々難易度高いんじゃないか? それこそ少しでもあっちの不利益になるようなことじゃ神奈子どころかその民も納得しないと思うぞ」
「そう、そこなんだよ。難航したのは。でもね、この前の皆の本心を聞いて突破口が開けたんだよね」
皆の本心…………ああ、諏訪子が民衆の前で泣いたあのときか。
『その思い出し方止めてもらえません? 諏訪子様の威厳が全く無くなってしまうじゃないですか』
あってないようなもの、だと言おうものなら瞬時に翠に関節極められそうなので心の中で留めておくことにする。
『聞こえてるの分かってて言ってますよね。 首の骨を折ることはとりあえず確定したので覚悟しておいてください』
あかん、関節どころの話ではなかった。悪霊に直接的に殺される。
「まあ聞いてよ。これ、普通はここの神職者以外は口外できないような内容だから人に言いふらしたりはしないでね」
普通は口外できないようなことをおれにも教えてくれる。
ということは、諏訪子の中でおれは『信用できる人物』として認識されているということになる。
洩矢の国に来た当時とは雲泥の差過ぎて泣きそう。
そうだな、信用されたからには熊さん頑張っちゃうぞ。
「任せとけ、おれの口物凄く口固いから。ほら、熊さんに打ち明けてみ? 」
『そう言う人って大抵口軽いですよね』
「凄く不安なんだけど。言うの止めようかな」
んな馬鹿な!?
この後渋る諏訪子をなんとか説得して、神奈子との会談で話す概要を教えてもらった。
……なるほど、そう言う手口があったのか。
確かに口外したら破綻してしまうようなものだ。
だけど、それだと諏訪子は____
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夜が明け、陽が天高く上り詰めた頃、神奈子の軍勢が洩矢の国へと足を踏み入れていた。
「これは、どういった了見か」
「諏訪子様のところへは行かせん!」
「ここを通りたくば我らを殺してから行け!!」
洩矢の国の出入口、そこには桑等の農作業用の道具を持った農夫達が神奈子の軍勢の行く手を阻んでいた。
「我らを相手にするとは愚かな」
「剣の錆となるのは明らかだぞ」
一触即発な雰囲気に包まれた状況の中、ため息をついた神奈子は駕籠から顔を出し、口を開く。
「この件は、洩矢の神の差し金か?」
「いや違う! これは我らの意思で此処にいる!」
「ほう」
興味深く目を細めると神奈子は続けて農夫達に質疑をする。
「洩矢の神に逆らえば祟り殺されるから、怯えてこんな凶行にでているのだろう。案ずるな、私がそんなことさせはしない」
「そんな薄っぺらい信仰で我等は動いてなどおらぬ!!」
農夫達はより一層怒りを露にする。
そんな彼らの姿を見て神奈子は感心し、顎に手を当てる。
「それでは、何故こんな凶行にでたのだ。そこに待つのは死しかないのだぞ」
「慈悲深い諏訪子様の為とあらば、我らの命等幾らでも差し出す覚悟はある」
「(諏訪子はあんた達を護ろうとして一騎討ちを挑んできたっていうのにね……)そうか。それでは仕方ない、通してもらえないとならば強行手段に出ざるを得ない」
駕籠から顔を出した先の近くにいた道義に神奈子は耳打ちする。
「殺すな。気絶させな」
「御意」
農夫達の前に道義が立つ。
その瞬間農夫達は実感する。彼らと道義との圧倒的な力量の差を。
戦闘経験の浅い者達しかいないにも関わらず、その圧倒的威圧感の前に農夫達の足は震え、身体中から脂汗をかく。
しかし、後退する者は皆無であった。
確実にやってくる死を前に農夫達は一人として逃げ出す者はいなかったのだ。
「(それまでなのか、諏訪子の信仰は。少々甘く見ていたね)」
「うおおおお!!!!」
農夫の一人が雄叫びをあげ、続けて他の者達も大声をあげる。
その雄叫びが戦いの合図となった。
農夫達が次々と道義に向かって特攻していく。
道義もそれに応じて剣に手をかけようとした___が、その前に突如として両者の前に降り立つ巫女により遮られてしまう。
「皆さん、落ち着いてください。この大和の軍勢は何も戦争をしに来たわけではありません。それなのにこのような火種をたてるような行為、諏訪子様が悲しまれますよ」
降り立ったのは早恵とその後輩巫女であった。
農夫達を制し、この場を抑えるためにやって来たのだ。
「そんな!?」
「わ、我々はただ、諏訪子様の為に……」
「諏訪子様を想う気持ちは痛いほど分かります。しかし、むやみやたらに暴力で解決しようとしたとて愚策に過ぎません。ここは今回の会談を諏訪子様にお任せするしか我々にできることはないんですよ」
「くっ……!」
「我々は何もできんのか!」
農夫達が農作業具を下ろし、落胆したように膝を地についていく。
その姿をみて、早恵は申し訳ない気持ちになりながらも、神奈子の前へと歩を進める。
「我が国の者が無礼を払ってしまい、誠に申し訳御座いません。この埋め合わせはいずれ必ずやさせて頂きます故、何卒どうか今はご容赦頂けませんか」
「いいよ、そんなの。それに良いものが見れたしね。今回のは不問とするよ」
神奈子は早恵の頭を上げさせ、優しい笑みを溢す。
その笑みをみて早恵は若干頬を赤らめたが、それを払うように頭を横に振る。
「それでは、諏訪子様のいる神域まで案内をさせていただきます。着いてこられる方は私まで、待機される方はこの巫女までご同行願います」
そう言って道義の前を通り、道案内を始める早恵。
以前は目の敵にしていた間柄であったため、道義は気まずそうに目を背けるが、早恵は軽く会釈をし、
「以前はすいませんでした。あのときはつい頭に血が上っちゃって……」
___謝罪を述べた。
道案内中の身であるため、決して大きな声量ではなかったが、道義が聞き取るには十分な大きさであった。
「……!? い、いや、いきなり国を譲れと言われたのだ。あれが当然の反応だ。御主が謝ることではない」
思わぬ出来事に驚きつつ、道義は返答する。
その姿をみて早恵は本当に申し訳ない表情をしつつ改めて頭を下げる。
「それでも殺そうとしたのは事実です。今度謝罪の意を込めて食事を振る舞わせてください。腕によりをかけて作りますので」
「……気にしなくてもいいというのに。まあ、食事を頂けるのであれば是非とも頂こう」
仲直りができた___道義の心情は緩やかとなり、次にくる早恵の手料理に心踊った。
しかし、道義はまだ知らない。早恵の手料理は生斗を窒息死させるほどの劇物であるということを____
ーーー
「長旅ご苦労様怪我の具合はどうだい?」
「おかげさまで、未だに腕の節々が痛いよ」
諏訪子のいる神社の最奥にある座敷に、胡座をかいて話し始める二柱。以前は敵対する仲であったが、戦後はその蟠りもなく、実に友好的な会話が続いていく。
回りには何名かの代表が頭を下げ待機をしているが、二柱はそのことを気にする様子はない。
「それじゃあ、お互いまだ療養の身であることだし、早速今後の話をしようじゃないか」
「それもそうだね___それで、国譲りの件だけど、私としてははっきりといってここの祭神になれる気がしない」
「……ほう」
大和の代表らは目を見開き、驚愕する。しかし彼らは頭をあげる行為は許されておらず、ましては発言も控えさせられている。喉にでかかった言葉を飲み込む他ない彼らは歯噛みをする。
「まさかあんたからその言葉が出るとは思わなかったよ」
「それはね。私の思っていた以上にあんたに対する信仰が根強すぎなんだよ。まさかこれから祭神となろうとする相手に刃を突き立ててくるなんてね」
「それは悪かったね。農夫達が勝手な行動をとっちゃって。私もそこまでするとは想像つかなかったよ」
言葉とは裏腹に悪びれる様子がない諏訪子。その様子を見て神奈子は諏訪子が嘘をついていることを察する。
神奈子の察する通り、諏訪子は元々、農夫達があのような凶行に走ることを想定していた。
だから早恵達が現場に到着するのが早く、大事に至ることもなかった。
だが何故、農夫達が騒ぐことが分かっていて諏訪子は事前に手を打たなかったのか。神奈子はそれが疑問でならなかった。
「……諏訪子、あんたは私にあんな催し物を見せて何が言いたいんだい」
「流石は軍神、もうバレてしまったんだね。おっとこの件はほんとに悪かったと思ってるよ。でも私の口より、直接神奈子が見ておいたほうが納得すると思ってね。あえて止めなかったんだよ」
「納得? ……ああ、そういうことかい」
諏訪子の発言により漸く納得する神奈子。
「今のこの国の現状を私に見させて、国譲りを諦めさせようとする魂胆かい?」
「半分正解。別に国譲りを反故にしようなんて思ってないよ。私はあんたに敗けたんだ、約束は守るよ」
「それじゃあなんでこんなまどろっこしい真似を?」
「提案するためさ。このまま神奈子が私の座を奪って祭神となっても信仰は得られず、お互い消滅の一途を辿る羽目になる。それを回避するための一手をね」
「(最初からこれが目当てだったてことかい。諏訪子も中々交渉術に長けているね)いいだろう、聞いてあげようじゃないの。諏訪子の言う改心の一手とやらを」
生斗に話した提案を何の交渉材料もなく神奈子に話したところで、了承を得られる可能性は極めて低い。その可能性を限りなく十割まで持っていくための交渉術。ある意味賭けに出ている部分もあるが、諏訪子は見事提案を了承させやすい土台作りに成功したのだ。
「この国じゃ神奈子は祭神にはなれない。ならば、私がそのままここの祭神であり続ければ良い」
「……ほう」
諏訪子の言い様に若干眉間に皺を寄せる神奈子。確かに今の話だと何の解決にもなっていないため、神奈子が納得する筈がない。それを重々承知していた諏訪子は続けて話す。
「ただ、そのままの私がこの座に居続けられるわけにはいかない。だから大和の国にいる適当な神と融合し、新たな神になる。まあ、表向きはそういうことにして、実際には融合なんかしないけどね。
そうすれば大和に国譲りをした証明になる」
「偽装工作かい?」
「そう。
それで神奈子は私の力で、この国の山の神として祀る。私の力でしたことであれば、ここの民にも信仰されるだろうし、神奈子の率いる軍勢がうちに来れば自然と信仰も集まるでしょ」
神奈子は諏訪子の話を聞き、顎に手を当て目を瞑る。
暫しの間沈黙が続いたが、神奈子がゆっくりと目を開け、沈黙は破られる。
「つまり要約すると、洩矢の神と大和の一柱が融合しこの国を統一、その力で私を山の神として祭神の一柱として祀らせる。それに加え私の軍勢がこの国で布教活動を行えば私へのさらなる信仰も見込める____そんなとこかい」
神奈子はこの時、神社へ案内されたときのことを思い出していた。
新たな神が来るというときに、洩矢の民衆は特に集まりもせず、その場に偶然居合わせた者は、農夫達のような凶行には走らなかったものの、だれもが拒絶の眼差しで神奈子の軍勢を見ていた。
「(その時私は確信した。私一人ではこの国の祭神にはなれないと。なんとかして諏訪子を取り込めないかと思案していたけど……これも悪くはない、かもね。それが分かってて私だけでなく諏訪子も都合の良い提案した。ったく、見た目のわりにとんだ策士だね)」
諏訪子の誘導に上手く吊られていることを理解し、口の端を吊り上げる神奈子。
現在大和の国からの刺客から身を護るため、下手な手をうち、この国に混乱を招くわけにはいかない。
それを加味したうえでも諏訪子の提案は的を射ていた。
もしかしたら、諏訪子は神奈子の今おかれている状況を知っていたからこそ、農夫達の暴走を無視する等のリスクを犯してきたのかもしれない。それで怒り、この国の民を根絶やしにするようなことがあれば結局は自滅の一途を辿ることは明確であったからだ。
「……はあ、これで私が拒否すれば、それこそここの連中と全面戦争しなきゃいけなくなりそうだね」
「そこまでは私がさせないけど……それじゃあ___」
諏訪子は次の言葉を濁した。その先は己ではなく、相手側に言わせなければならない台詞であったからだ。
その意図を察した神奈子は頷き、
「そうだね、私も諏訪子の案で行った方が都合が良さそうだ。我が軍勢、是非とも乗らせてもらおう」
そう神奈子が発言すると、諏訪子は心の中でガッツポーズをした。
神奈子からでる圧倒的プレッシャーにより、同じ神である諏訪子ですら内心、一言一句に唾を呑む勢いで話していたのだ。
「さあ、方針が決まったのならこんな堅苦しい会談なんてさっさと終わらせて、宴でもしようじゃないか。私はそもそも、そっちが本命できたんでね」
「本命が宴って……これだって一応大切なことなんだよ?」
「酒の席じゃないと言えないことだってあるだろ? 私は本音で話したいんだ。あっ、別に今のあんたのが嘘っぱち言ってるなんて微塵も思ってないからね」
「嘘っぱちなんて一言も言ってないから……ま、神奈子の言ってることも確かだね。私も神奈子に聞きたいことが沢山あるから、覚悟しておいて。特に翠と生斗の件でね」
「ああそうだ。あの生斗って男、中々面白い奴だから、私達と一緒の席で呑ませてもいいかい?」
「別にいいけど、生斗ってお酒呑めたっけ?」
「この前私と呑み比べしたとき五分と立たずに酔い潰れてたよ」
「駄目じゃん! 絶対私達の酒盛りについていけやしないよ!」
「なあに、生斗なら大丈夫さね。だって複数も命持ってるんだから、一回や二回大したことないって」
神奈子と諏訪子の間で、自然と笑みが溢れる。
二柱の中で親交が少しではあるが深まったようではあるが、内容はアルハラ以外の何物でもない。
「はあ、それじゃあ早速席とお酒を沢山用意させるよ。この国一大の大宴会をしてあげる」
「おお、賑やかなのは良いことだ。皆が笑って酒を呑み交わすのを見るのは、上に立つものとしてこの上ない喜びだからね」
そう言って神奈子と諏訪子の二柱は若干痺れ始めていた足で立ち上がり、その場に居合わせていた代表達にそれぞれ宴会の準備の指示を出していく。
「___神奈子」
「ん、なんだい?」
指示を出し終え、代表らが部屋を後にした部屋で、諏訪子の声が響く。
「今回の件、本当にありがとね。これから永い付き合いになると思うけど、よろしく」
「何を言ってんだい。私は元々あんたと共存できる道を模索していたとこなんだよ。それを今回の会談で話し合おうとしていたところで、あんたが至上の提案をしてくれた。礼を言うのは此方の方だよ」
そう言って神奈子は、諏訪子の前に手を差し出す。
神奈子が言っていたことは本心であることは、諏訪子にはわかった。
以前にミシャグジから聞いた終戦後に神奈子が諏訪子に言い放った言葉を思い出す。
『あんたらを悪いようには決してしないよ』
きっと、この事であったのだろう。
そう納得し、諏訪子は差し出された手を握る。
すると神奈子は満面の笑みでその手を握り返し___
「此方こそ、これからよろしく。お互い良い関係が続くよう祈るよ」
___この拍手が、交渉締結の瞬間となった。
ーーー
~別室~
「ぶぇっくしょん!!!」
「うわっ!? 汚い!!」
「ぐっ、誰かに殺害予告された気がする」
「何言ってるんですか熊口さん。自意識過剰にも程がありますよ」
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
-
天魔