月明かりに照らされた湖。
漆黒に包まれたその水域は、全てを呑み込まんと大きく口を開けた化け物のようで、はたまた
夜の深まりを感じさせる静けさは、稀に来る葉のせせらぎにより遮られるが、それすらもこの常闇の世界の静けさを更に増幅させるだけに過ぎない。
「ここにいたのか」
月明かりを頼りに長い時間探し歩いた。
外へと出て始めて口に出した声は、思った以上に響き、辺りの静寂に亀裂を与えた。
「お主か。こんな時間に何用だ」
おれが探していた人物___ミシャグジを漸く見つけることができた。
今は三柱で湖を眺めていたようだ。
「実はな、ミシャグジ達に折り入って頼みたいことがあってきたんだ」
ミシャグジ達にする頼み事。本当は自分でしなければならない事なのだが、確実に失敗するので事後報告という形で済ませる。
「我々に頼み事?」
「諏訪子を説得してほしいんだ」
「諏訪子様を説得? 何をいっておるのだ」
それもそうか。まだこいつらに何も事情を話してない。それからおれはミシャグジらの疑問を解くべくこれからする予定の話をした。
おれが大和の国へ行くこと。そこで神奈子を説得すること。そして、この行動は友人である諏訪子のための行動であること。
一通り話を終えると、ミシャグジのうち一柱が口を開く。
「無理だな」
「身内の諏訪子様を説得させられないのに、敵国の尖兵を説得させられるわけがない」
「そもそも、彼方がお主に会う筋合いもない。身の程を弁えろ」
当然だが、三柱ともに否定の意を見せた。
まあそれもそうだろうな。翠もほぼ不可能だと言っていたぐらいだ。おれだって無理承知だって分かっている。
だが、やらずの後悔よりやって後悔だ。勿論、後悔するつもりは微塵もない。
「確かに正当方おれが神相手に説得することは難しい。だが、相手の立場を利用すれば出来ないこともない」
「……それはどういう事だ」
「簡単だ。大和はこの国を下に見ている。上から目線で国を渡せと挑発ともとれる要求をしてくるぐらいにな。
___そんな相手に一杯食わされるような事態が起きたらどうなる?」
「面子が……」
「……潰れるな」
「そう、相手側の面子は丸潰れだ。それも敵は軍神ときた。逆鱗に触れられるかもしれない」
「それでは折角諏訪子様が身を呈して護ろうとしているこの国にも被害が及ぶではないか!」
ミシャグジの言い分は正しい。やり方を間違えればこの国にも被害が及ぶほどの厄災が訪れる。
「“やり方“を違えれば、な」
「やり方……?」
「簡単に言えば一杯食わせる方法についてだ……いや、一杯食わせる、という表現は少し語弊があるな。正確には不相応な取引だな」
「取引だと」
「そう、取引。そのやり方さえ間違えなければ上手くいく可能性がある」
「それでも可能性がある程度なのか」
可能性がある、としか言いようがない。こういう駆け引きに絶対なんてないのだから。
「取引とは、どんな要求をするつもりなのだ」
「要求か……」
これを言ってしまって良いのだろうか。このことを言って、ミシャグジ達の反感を買ってしまったら元も子もない。
だが、真実は伝えるべきだ。下手な嘘はすぐに見破られるだろうし、頼む側なのだから誠意を見せなければ。
「諏訪子と、大和の尖兵を一騎討ちさせる」
「「「!!?」」」
おれの発言に驚愕している様子のミシャグジ達。顔が完全に男の象徴なので驚いているかどうかは定かではないが。
「これが一番の方法だ。負けてもやらない時と結果は同じ、勝てば儲け物だ。この国に危険は及ばないし、なにもしないで諏訪子の弱る未来をかえられるかもしれない」
「ふざけるな! 諏訪子様を危険に晒すような真似ができるか!」
「お主、まさかその企てが本当に我らに通るとでもおもっていたのか!!」
「身の程を知れ!」
諏訪子が傷付くことに看過できないか。……はぁ。
「お前ら、それじゃあ諏訪子が弱って信仰されなくなってもいいのか?」
「信仰等諏訪子様ほどのお方なら幾らでも集められるわ!」
「言える根拠は? 呆気なく国を譲った神を信仰する意味は? 他の国の統制下に置かれたことによって信仰相手が移ったら? 本当に、絶対に、確実に、お前らは諏訪子が信仰されると信じているのか」
「絶対に……」
「ぐっ」
信仰を失うということは神にとっては死活問題だ。信仰されなければ人々から忘れら去られ、いずれ、消滅する。
「腹を括れよ。なにも犠牲を伴わずにやろうなんてただの理想論に過ぎないんだぞ。現実はそんなに甘くない」
諏訪子が傷付くのはおれだって辛い。代わってやりたいが、それでは駄目だ。これは国の問題、その国の
「……諏訪子様が傷付くぐらいなら、戦を起こした方がましだ」
「そうだ。その事を承認することは決してない。そして、諏訪子様に害を及ぼすお主を見過ごすこともな」
そう言ってミシャグジ達はおれを囲むように散らばり、戦闘体勢に入る。
まずい、これは人選を間違えたか。神といえど諏訪子の心酔しているミシャグジ達に今のはご法度だったようだ。
さて、どうするか。これは今も先も詰んでしまった。この危機を掻い潜っても、ミシャグジ以外に頼る手立てがない。
「悪く思うな。お主がこの国のことを思っての事だとは痛いほど分かる」
「少しの間牢に入ってもらうだけだ。大人しくしろ」
「身の程を弁えずでしゃばった罰だ。甘んじて受けよ」
じりじりと距離を詰めてくる男根達。傍から見たら卑猥な恐怖映像として映るだろうな。
と、悠長なこと考えている場合ではないか。
翠から聞いた話ではミシャグジは祟り神という、畏怖されるが祀り次第では強力な守護神となる存在だ。
そんな物騒な相手に此方に勝機があるとは思えない。
くっ、なぜ簡単に間合いを取らせてしまったのだろうか。完全に油断していた。
「霊気を高めているのがバレバレだぞ」
「抵抗はしない方がいい。痛い目を見るだけだ」
別に此方はやる気はない。ただ、向かってくるのなら歓迎するまでだ。
……なんて、ただ空へと避難するために身体を霊力で覆っていただけなんだけどな。
しかし、密かに企んでいた脱出計画は、ミシャグジ達が飛び掛かろうとした瞬間に打ち砕かれた。
「あんた達、そこでなにやってんの」
突然上がった声におれ含め全員が発声源へと振り向く。
今の声は___
「諏訪子!? ……と翠か」
「諏訪子様!!」
「何故ここに!? 屋敷にてお休みになられていたのでは!」
視線を向けた先には、茂みを割って来る諏訪子と翠がいた。
翠の奴、境内に入るなり手分けしてミシャグジ探すって言って離れたのに、なんでよりにもよって諏訪子に捕まってんだよ……
「そんなことはいいんだよ。私はそこで何をやってるのか聞いてるの」
「それは……」
「こ、この者が諏訪子様に害を為そうしていたため、捕らえようとしていました。我々はそれを阻止するため___」
諏訪子の登場により、明らかに動揺するミシャグジ達。見ていて少し無様に見えてにやけが止まらなくなる。
「大体の話は翠から聞いてる。それを踏まえても生斗を傷つける道理はないはずだよ」
「ど、道理なら! 道理ならあ___」
「後は私が話をする。ミシャグジは帰りな」
しかし、おれのにやけ顔は瞬時に焦りに変わる。
大体の話は……翠から聞いてる?
おいおいおいおい、翠の野郎なんて余計なこと言っちゃってるんだ。
道中に話した筈だ。この国を護るために自分が犠牲になろうとしている諏訪子に、その対象に被害が及ぶ可能性のあるおれの算段に乗るわけがないと。
それを踏まえてミシャグジ探索のために手分けしたというのに……
「しかし!」
「二度同じことを言わせないで。私は帰れと言った筈だよ」
有無を言わせぬその剣呑な雰囲気に、ミシャグジ達は後ずさりをする。
またあのときと同じだ。早恵ちゃんと使者の道義が争っていたのを止めたあのどす黒い、胸を締め付けられるような神力。
それは正しく、祟り神であり土着神であるミシャグジ達の頂点に君臨する神の姿であった。
「ぐぬぬっ」
「……わ、我が主の御言葉のままに」
圧倒的な力の前に、ミシャグジ達は不本意ながらも茂みの中へと姿を消していく。
ミシャグジも神であるはず。それを圧倒し、制する程の神力。
これなら大和にも……
「生斗」
「な、なん___」
諏訪子への返事をしようとしたその時、おれは腹部の衝撃とともに宙に浮いていた。
瞬時に起きた出来事に、激痛も相俟って全く理解が追い付けなかったおれは、空を飛ぶことを忘れそのまま湖の中へと着水してしまう。
「うべぼば!!?」
水に顔まで浸かったことにより息ができなくなり、ただでさえ腹部へ来た衝撃のせいで体内の酸素の大半を吐き出してしまっていたため、急激な酸素不足に陥る。
早く息をしなければならないという使命感とともに危機感を覚えたおれはたまらず強引に自分を霊弾で吹き飛ばした。
浮遊には一定の集中力が有する。呼吸困難な状況で、かつ激痛により正常な判断を欠いていたおれには自傷の他にこの危機を脱する手段を考えられなかった。
「がはっ」
自分を吹き飛ばしたことによりなんとか陸に着地することに成功したが、あらゆる傷害による激痛が全身に走る。
肩から着地したことによる打撲、おそらく殴られたであろう腹部の臓器圧迫、霊弾を受けた時に犠牲にした両腕の内出血。
特に真ん中の怪我を筆頭に全身に痛みが蝕む。
「一発殴っただけで瀕死になりましたね。情けない」
翠に心ない一言に憤りを感じつつも、おれは腹を押さえながら蹲ることしかできない。
くっ、神の一撃を生身で受けたらそりゃこうなるだろ! 逆に内臓飛び出してないだけでもましな方だ!
「生斗、私に黙って危険な賭けに出ようとしてたのは本当?」
「はぁ、はぁ、はぁ、ぐっ」
黙ってではない、ミシャグジに後で知らせるつもりだった。と言い訳じみたことを口走ろうとしたが、脳が酸素を取り込もうとちょっとした過呼吸に陥ったおれは、返事を返すことなく呼吸をゆっくりとすることに努めるしかできなかった。
「そんなに強くしたつもりはないんだけど」
馬鹿野郎! 強い弱いもない! 意識外からくる腹パンは誰に対しても効果覿面なんだよ! 殴るときはちゃんと言ってから殴れ! ……言われたら殴らせないけどな!!
「ちょ、ちょ、と待って、くれ」
まずは呼吸を、その次に霊力操作で治癒能力を水増ししなければ。そうすれば幾分か楽になる。
あの殴打は完全な不意を突かれた一撃だった。諏訪子的にはちょっと殴って怒りの気持ちを伝えようとしたようだが、当たりどころと威力がちょっとの域ではなかった。
あれ、あれだよ、普通の人なら軽く失神してんじゃないの? ていうか殴られたとき霊力で身体纏ってなかったからおれもそこらにいる常人となんら変わらない状態だったんだけど。
やはりおれの精神力と根性があるからこそ意識保っていられている節があるな。
「はぁ、はぁ……ふう」
そんな下らない事を考えていると、漸く息が整い、身体の痛みを和らげることができてきた。
だが寒い、寒気がする夜の湖にダイブしたのだ。当然と言えば当然だ。
「火、炊こうか?」
「そ、そうしてくれると、助かる」
おれが凍えているのを察知したのか、先程の怒りをどこかに置いていったように不安げに話しかけてくる諏訪子。流石にやり過ぎたと反省しているようだ。
ーーー
湖のさほど離れていない位置で焚き火をして数分、火の温もりが身体の芯まで暖めてくれる感覚に酔いしれていると、向かい側に座っていた諏訪子が話しかけてきた。
「さっきはごめん」
「いや、諏訪子が謝ることはないよ。元はおれが原因みたいなもんだしな」
ぱちぱちと炎が枝木を焼く音が妙に辺りに響く。
一時の沈黙。先程までの勢いとは打って変わって黙りこんだ諏訪子。さっきのことを引きずっているのだろう。
ここはおれから話すべきだろう。どうせ先に伸ばしても結果は変わらない。
そう決心したおれは、翠が燃え尽きた枝木の燃え屑を崩して遊んでいるのを横目に口を開いた。
「諏訪子がさっき言ってた質問……黙って危険な賭けに出ようとしていたのは事実だ」
「……」
おれの応答にやはりという顔をする諏訪子。
翠のやつ、おそらく全部諏訪子にちくっている可能性がある。
何が目的でした行動なのかはわからない。ただ一つ確定したのは後で翠にアイアンクローを食らわせるってことだ。
「私が、それを良しとしないのは分かってるよね」
「ああ、黙ってたのは本当にごめん」
黙る他なかった。このことを話して、諏訪子が了承するはずがない。
大和と話がついて、後に引けない状況にしてから話すつもりだったのに、その後に殴られようが追放されようが受け入れるつもりだったというのに。
「熊口さん、流石にやろうとしている規模が大きすぎます。諏訪子様を騙そうとしたって無駄なのはわかっていたはずですよ」
「第一に私を大和の国の連中と戦わせようなんて、ミシャグジじゃなくても激怒されるよ」
「熊口さんは諏訪子様がどれだけ信仰されてるのか理解できてない馬鹿野郎ですもんね」
「大がつくほどのね」
二人しておれの行いを咎めにかかってくる。その光景はさながら、子犬に群がるいじめっこ達の如く。
唯一の救いは二人とも本気で首を絞めにかかってきていないところか。なんだか、こう、小馬鹿にしてくる中学生みたいなノリだ。
あっ、一人は小学生だ___
「がっ!?」
「ごめん、手が滑った」
諏訪子の被っていた帽子のツバが鼻に直撃し、思わず涙目になって両手で鼻をおさえる。
確実に故意だ。前触れもなくヘンテコ帽子が超スピードで飛んでくるわけがない。
ていうか思いっきり投げ終わったモーションで固まってるし。
「翠から聞いたとき、あんたに対するこの上ない怒りが込み上げてきたよ」
「……」
鼻を押えたまま、言葉が見つからかいおれはただ押黙る他ない。
「なんで私に言わない。まず私に戦わせようとしているのになんで本人に報せないの。なに、仮にあんたの思惑が成功したとしても 、わけもわからないまま駆り出された私に何をしろって言うの。犬死にも良いところだよ」
「そ、それはミシャグジを通して___」
___報せるつもりだった。
その発言を言い切る前に、諏訪子が一瞬にしておれの前まで来て、そのまま体重をかけて張り倒す形で跨がってくる。
「言い訳は聞きたくないよ」
目と鼻の先まで近付いた距離で聞こえた声は、どこか悲しく、憂いを含んだ声音だった。
「どうして、あんたはこの国のためにそんな事をしようとしてるの?」
「えっ」
「私が怒ってるのは、私に黙っていたことだけじゃない。この国の皆に危険を及ぼす可能性があるからだよ_____とくに生斗、あんたのことをいってんの」
「おれ?」
「敵国に一人で乗り込んで一騎討ちしろなんて言ってみなよ。晒し首だけじゃ済まないかもしれないんだよ」
そこをなんとかして話をすれば……できる、のか? いや、しなければ。
「なんで私が友人の無駄死にする確率の高い行動に承諾しなきゃいけないの。嫌だよ、絶対に嫌」
「それはおれの台詞なんだけど」
諏訪子がまさかおれのために怒っていたとは思っても見なかった。
正直嬉しい。短い付き合いとはいえ、本気で自分のことを心配してくれるまでに友好関係が築けていることがわかったから。
だが、それで止まるわけにはいかない。
「他のために自分を犠牲にしようとしてるのはお前だって一緒だろ」
開き直りにも近い形でおれも反論する。
諏訪子が承諾してくれるまで歯向かってやる。
「国のために自分を犠牲にして誰が喜ぶんだよ。早恵ちゃんは戦を起こそうとして、翠は自分達が危険にさらされるかもしれないのにおれに協力し、ミシャグジは諏訪子が傷つくのを頑なに認めなかった。
なあ、誰が喜ぶのか教えてくれよ。諏訪子様が犠牲になったおかげで助かったーありがとうございますーって言うやつが果たしているのか?」
「……」
「諏訪子、翠から聞いたぞ。お前はこの国の母親みたいなもんなんだろ?」
「……っ!」
「おれのことを心配する必要なんてない。お前はお前が護りたい者のために行動してくれよ」
「……生斗だって、護りたいよ」
「余計なお世話だし傲慢だ。諏訪子に護られるほど弱くはない」
「諏訪子様の軽い殴打で撃沈してましたが」
翠、今は大事な話をしているから黙っててくれ。
「お願いだ。おれが大和の国へ交渉へ行くのを承諾してくれないか? 」
これで駄目ならもう、無理だ。他の手を考えるしかない。
その他の手も今の案より確実に劣るだろう。
「……なんでさ、なんでそこまでしてこの国を護ろうとするの?」
すっかりと意気消沈した諏訪子は、顔を落としたままおれの襟首をただただ握り締める。
「何か勘違いしているようだけど、おれは別にこの国を護ろうなんて考えてないぞ」
「___えっ?」
考えに食い違いが起きてるようだ。今おれが言った通り、別にこの国のために動くわけではない。
「おれがやる行動原理は一つ、諏訪子、お前を救いたいからだ」
「わ、私……?」
落としていた顔を此方に向け、心底驚いたように目を見開く諏訪子。
「ついに熊口さんも諏訪子様を崇拝するってことらしいですよ」
「そうなの?」
「違う、そうじゃない。翠シャラップ」
別に崇拝しているからではない。おれが諏訪子を救いたいのは___
「もうおれら、友達だろ? 理由なんてそれで充分だろ」
「……!」
友達の諏訪子のなにか役に立ちたい、相手の意思を汲み取った最善の策はどうかって考えた結果、ピンと今回の策が思い浮かんだ。かなりアバウトに出来てはいるが、筋を通らせるように考えればなんとでもなる。
「ちょっと待ってよ! そ、そんなことで自分の命を危険に晒そうとしてるの!? たったそれだけのことで!」
「あっ、そうそう、もう一つ勘違いがあったな。おれはそもそも死ぬつもりなんて更々ない」
「えっ!?」
「死ぬつもりは、な。たとえ死ぬような事態になってもおれは大丈夫だ。翠、お前なら分かるだろ。おれの記憶読んでたんなら」
「ん~、まあ、はい。確かにそうですけど。熊口さんの事の殆どは諏訪子様に話してますから知ってますよ。勿論能力のことも」
「おいこら翠このやろう」
おれのプライバシーの権利はないってか!
「だって、諏訪子様に隠し事なんて出来ませんよ。それに知られても困ることでもないし別にいいでしょう」
「それはおれが決めることであってお前が決めることじゃない!」
おれの言い分を軽く受け流し、諏訪子の方に顔を向ける翠。
確かに今は隠す意味はないかもしれない。だけどさ、そういうのはもうちょっと雰囲気作ってから言うべきものだろ。現におれは今、能力のことを話そうとしていた。
それをな、ほんと……くぅ、台無しじゃないか。
「それにいい加減この不毛な言い合いを終わりにしたいですし。ね、諏訪子様」
「……」
「はあ? 何が不毛なことなんだよ。今は大事な話をしてるんだ」
___お前は黙っていろ。そう言おうとしたおれの口は、次の翠の発言によって封じられた。
「最初から決まっている事を延々と続けることの何が大事な事なんですか」
「……はあ?」
最初から分かってる? なんだ、もしかして最初から無理だと分かっていたってことなのか。
「翠、別に私は延々と続けるつもりは無かったよ。不毛でもない。ただ、区切りをつけてくれたことには感謝するよ」
「おい、どういうことだよ」
「まあ、翠の言うとおり最初から決まっていたってことだよ」
そう言っておれの上から退いて立ち上がる諏訪子。
なんだよそれ、最初から決まっていたって……もしかして本当に断られるってことがか?
それをしたくないからこそおれは諏訪子に黙っておく選択をしたというのに___
「それじゃあ生斗、よろしく頼むよ」
「…………えっ?」
諏訪子のあまりにも先程との態度の温度の変化が起きた事より、今何を発せられた言葉が聞き取れなかった。
今、なんて言ったんだ?
「大和の国との交渉、あんたに任せるよ。まあ、話す内容は翠に従ってもらうけど」
「任せてください。胡麻と同等程度の脳の大きさの熊口さんをきちんと先導しますから」
___あんたに任せる。お次ははっきりとおれの耳にそう聞こえた。
おれが待望していた、そして困難だと半ば諦めていた言葉が、今聞かされたのだ。
どうして、なぜ急に、今の今まで否定的だったと言うのに。それを翠の糾弾により覆す発言はどういうことなのだ。
まさか、翠のやつが何か手回しをしたってことなのか?
わからない。おれがミシャグジ達と戯れている間の出来事なんて知るわけがない。
とりあえず後で問い詰める必要があるようだ。
「なんでいきなり意見を覆したんだよ。それにいいのか、この国の皆を危険に晒すことになるんだぞ」
「なにも危険を冒さずに良い結果を出そうなんて虫が良すぎるってさっきあんた言ってたでしょ」
「聞いてたのか……」
その話は諏訪子がくる前に話していた筈だ。それを知っていると言うことはあの時点でこの湖周辺にいたか、偶然聞こえたのかのどちらかだ。
「その通りだよ。私だってこの座を譲りたくはなかった。でも最初は自分一人の犠牲で皆を救うにはああするしかなかったんだ。
___あんたが出てくるまでは」
「おれが動いた事で話が変わったってことか?」
「ぷふっ」
おれの真剣な質疑に思わずといった感じに笑いを噴き出す翠。
この野郎、馬鹿にしてんのか。
「あっと、すいません。随分と自分を立てた言い分だと思いまして」
「自分を立てた?」
「諏訪子様は元から大和の国の尖兵と戦う気だったんですよ。熊口さんが今持っている書状にもそう書かれているそうですよ」
「はあ!? なんだよそれ!」
書状に書かれてるって……てことはおれがやろうとしてたことは無駄だってことなのか!?
「ただ、適任者がいなかった。大和へと赴き、もしものことがあっても生きて帰ってこられる人材が。一か八かで書状を出しては見たけど紙だけ寄越してもあっちが簡単に了承するわけもない。
そんな時に生斗が申し出てくれるって翠から聞いて驚いたよ。
まさか生斗と同じ考えだったなんてね」
「諏訪子は、そのときおれを行かせようなんて考えてなかったのか?」
「全然。この国の問題であって生斗とは関係ないし、こっちの勝手な都合でそんな重い負担を背負わせたくは無かった」
「でも、力や能力的にも熊口さんは適任でした。それが今回の申し出を了承した一番の理由です」
誰一人として死なせたくない。
大和へと赴き、生きて帰ってこられる人材。確かにおれは大妖怪を退けた実績もあるし、一度や二度の死傷を受けて死なないーーいや、実際は死ぬけど。
行かせたくないとしても傲慢に考えていては埒があかない。それが今回の結論に至ったのだろう。
なら、尚更疑問に思う事がある。
「ならなんで、さっきまでずっと否定的だったんだよ」
そう、先程まで怒りを見せておれを糾弾していた。
翠の指摘によっていきなり冷静になった辺りからずっと疑問だった。
「……あれは、本心だよ」
「本心……?」
「生斗、あんたの本心を知りたかった。だから私もあんたに本心を晒け出したの」
おれの本心を知りたいから、か。
……翠に聞けば一発なんじゃないか?
いや、そう言うことではないのか。本人の口から聞きたいってことなのだろう。
「それがまさか友達だからってだけで動いてたなんてね。素で驚いちゃったよ」
「そんなに驚くことか?」
「熊口さんの思考回路は少々あれなんで仕方ないんですよ。これでも本人は本気ですからね」
「あれってなんだよ。おれがちょっと頭おかしいやつみたいな言い方して。友達が困ってるのに手を差し伸べないで何が友達なんだよ」
「だ~か~ら~! 諏訪子様にそんな馴れ馴れしくしないでくださいって」
馴れ馴れしくていいだろ。元々は諏訪子から友好を築きたいといってきたんだ。おれはそれに応えてるだけだ。
「いいんだよ翠。私は逆に嬉しいよ、これまでにそんな砕けた感じに話してくれる相手なんていなかったからさ」
「そんな無礼者はこの国にはいませんから」
無礼者って。おれだって人を見て敬語を使うかどうか決めてから話してるぞ。
あっ、これいったら二人から批判を受けそうだから口にはしないでおこうーーもしかしたら翠はそれを知ってて無礼者といってるのかもしれないが。
「んまあ、とりあえず大和の件はおれに任せてくれるってことでいいんだろ?」
「うん、翠の指示をちゃんと聞いてくれればね」
「先程諏訪子様から御指導を受けたので完璧です!」
おれがミシャグジ達と戯れている間に交渉の算段も決められていたというのか。
仕事が早くて何より……ほんとおれ、ミシャグジなんかに頼まなければよかった。
「さっ、生斗はもう寝な。明日からあの使者と山を幾つも越えなきゃいけないんだから」
「おれだけ? 諏訪子と翠はここに残るのか?」
「ちょっと打ち合わせをね。なに、私と翠は一日寝ないぐらいでへばらないから平気だよ」
打ち合わせ……おそらく大和での行動や行き帰りの道中についてだろう。
算段を決めたとはいえ、おれと翠が別れたのは一時間程度、翠が諏訪子のところへ行って事情を説明するのも含めたらあまり話せてはいないだろう。
「なんだ翠、完璧じゃないじゃないか」
「言葉の綾です。私の中では完璧ですもん」
「慢心は失敗を生むんだよ。しっかりと覚えてこい。分からないならおれも手伝うから」
「言われなくても分かってます。あと手伝わないで結構ですから。熊口さんはさっさと寝てください。まだ病み上がりで身体は鈍ってるんです。しっかり休んで明日に備えないと道中で倒れますよ」
そういえばおれ、今日復帰したばかりだったな。あまりにも身体がいつも通り過ぎて忘れていた。
……ていうかそんな病み上がりな状態なのに諏訪子のやつ、おれをぶん殴って来たのか。
「んじゃあ、おれは帰って寝るか。そういえば道義のやつも家に誰も居なくて慌ててるだろうしな」
「あの使者に何も言わずに出ていってたの?」
「なんか素振りしだして言い出す機を逃しちゃってな」
「脳筋でしたね、あの人」
今頃道義の奴は何をしているのだろうか。流石にもう丑三つ時に入るぐらいに夜は更けている。寝ている可能性の方が高いだろう。
「なら早くいってあげな。もしかしたら心配して外に出ているかもしれないよ」
「そうか? 諏訪子がそういうのなら行くけど」
まだ話し足りないこともあるが、おれも眠気が出てきた。これ以上起きていたら明日に支障がでるかもしれない。いや、もう時間的にも支障をきたす域ではあるのだけど。
「よし、じゃあ帰るか。諏訪子と翠も無理はするなよ」
「あんたもね」
「お休みなさい」
そう言葉を交わし、おれは湖を後にした。
うぅ、まだ少し服が湿っぽくて寒いな。
_______________________________
焚き火の勢いも衰え、紅蓮色に染まっていた枝木も漆黒の色へと変貌している。
「友達だから、か」
己の神域である湖を眺め、呟く諏訪子。
何処か嬉しげな声質に翠は口を開く。
「諏訪子様、なににやけてるんですか」
「ん? 今私にやけてた?」
「はい、まるで自分の策が思い通りに事が運んで笑みをこらえるかのような表情ですよ」
まさか、と諏訪子は思わず口を覆う。
「諏訪子様の演技力には頭が上がりませんよ。熊口さんと友達だなんて、そう思わせて行かせざるをえない状況にする算段だったのでしょう」
「はあ? 何いってんのさ。そんなわけないでしょ。確かに生斗が行ってくれるだろうとは思っていたよ。だからって偽って友達と語るわけがないじゃん」
やっぱり、といった感じに溜め息を吐く翠。どうやら鎌をかけただけのようだ。
「私としてはあの人と諏訪子様が対等であることに不服なのですが」
「まあいいじゃん。これから生斗はこの国の救世主になるかもしれないんだよ?」
「それはそうですけど……」
森に囲まれた湖に冷気の含んだ風が吹く。
湖は波紋を作り出し、諏訪子の帽子もあやうく何処かに飛んでいきそうなところを慌てて鍔を掴んで安全を確保する。
「はあ、もういいです。諏訪子様が良いとおっしゃるのなら私はこれ以上何も言いません」
「あっ、結構簡単に折れるんだね。いつもは頑なに粘ってくるのに」
「私が何を言っても無駄でしょう。それに別にあの人の事が嫌いってわけでもないですし」
「へぇ」
翠自身、生斗が大和の国へと使いにいってくれる事に感謝している。だから簡単に引いてきたーーそう諏訪子は推察し、この事に関して言及することをやめた。
「さーて、それじゃあ早速始めるよ。翠には朝までに憶えてもらわなきゃいけないことが山ほどあるんだから」
「大丈夫です。暗記は得意ですから!」
翠と諏訪子が打ち合わせに励む中、生斗が帰ってきても素振りをしていた道義と流れで夜が明けるまで剣の稽古をすることになったのはまた別の話。
「お願いだ! 寝かせてくれ!」
「何を弱音をは吐いておる! 自分で素振りなんて何万本やっても疲れないと言ったのだぞ! せめて私より長く素振りをしてみろ!」
「それ今じゃなくてよくない!?」
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔