遠い山々から太陽が顔を見せ始め、未だ薄暗い空を小鳥が鳴き声を発しながら滑空する。
息が白く、あまりの寒さに四肢の先は感覚が麻痺してうまく動かすことが出来ない。
乾燥した空気のおかげでドテラも乾き、本領発揮する機会に恵まれたというのに、上半身以外は凍結寸前だ。
「……」ガタガタガタガタガタ
おれの歯が何度もぶつかる音が乾いた空間に谺する。
音を起こす気なんて更々ない。身体の震えも止まらず、ドテラの中に少しでも寒さから避けるために身体を縮こませる。
_______寒い。
なんでおれ、外で寝ようとしたのだろう。
何が幽霊だ。そんなもの幻想だ。実際にいるわけがないだろう、馬鹿馬鹿しい。
何故そんな迷信を鵜呑みにしたのだろうか。少し考えれば分かることなのに。
「うっ、くぅ」
なんとか立ち上がり、家の中に入ろうと重い足を動かす。
元々家の目の前までは来ていたので、数歩程で玄関前までたどり着き、力加減もせずに戸を開いた。
「……!」ドンッ!
中は廊下などなく、中心に囲炉裏がある広い部屋が一室あるのみ。
なんだ、やはり幽霊なんていないじゃないか。ほんと、昨日のおれが馬鹿だったと言いようがないな。
「うわ、なんだこれ、ベッドか?」
木で作られた膝辺りの高さのベンチが端の方にあり、そこには藁か何かでできた敷物と薄っぺらい掛け布団らしきものがある。
まさかこんなもので寒い夜を過ごせとかそんな鬼畜いってるのではないだろうな。
こんなのでは全然寒さを耐えられる気がしない。綿のつまったふかふかのお布団がいい!
……いや、この際少しでも寒さを軽減させられるのならそれでいい。
眠いのに寒いせいで寝ることが出来ない地獄から早く解放されたいんだ。中は外よりかは幾分かはましだし、恐らく寝ることはできるだろう。
その考えに及んだ時にはもうベッドの上に倒れ込んでいた。
やはり固くて全然気持ち良くはないが、自然と眠れる気がしてきた。
ああ、どんどん意識が遠退いていく。そう、それでいい。楽園がすぐそこまで見えてきて____
「あのー」
と、あともう少しで寝られるというところで誰かから呼ばれるような声がした。
「おーい、聞こえますかー」
もう目は霞がかっていて話しかけてくる人物の顔ははっきり見えない。目を開けば見えるだろうが、折角寝かけれた手前、開けてしまうと眠気も覚めてしまう可能性があるので開けるつもりは毛頭ない。
「私幽霊ですよー、貴方が怖がってた幽霊が目の前にいますよー」
何か口走っているようだが、今のおれには雑音にしか聞こえない。頼むから何処かへいってくれ。雑音が入るとおれ、安眠できないんだよ。
「お~い、き・こ・え・ま・す・か~」
ああ、もう! 雑音が煩くなってきた! おれに対して睡眠妨害とは良い度胸だな。一発懲らしめてやってもいいんだぞ。今は眠いから不問にしているが!
「なんで起きないんでしょうか……恐怖の対象が目の前にいるというのに」
はあ……よし、次騒音鳴らされたら反撃しよう。眠りを邪魔する不届きものには罰を与えなければ。
「そういえば貴方、旅してるんですよね。諏訪子様から聞きました」
おっ、声が小さくなった。さてはおれの殺気に恐れをなしてトーンを低めたな。このまま殺気放って追い払ってやろう。
「もしかしたらこの人に取り憑けばあいつに遭えるかも……」
早く何処かにいってくれないかな。寝れないんだけど。もはやここまで来るとちょっと顔みたくなってきたぞ。
「取り憑いてもいいですかね?」
あ、でも心なしか声が小さくなったおかげで眠気が再発してきた。流石はオールしたあとだ。少しの騒音なら寝るのに問題外になるとは。
「無言は肯定と受け取りますよ。貴方まだ、寝ていないのは分かってるんですから」
それでもやはり寝る前に騒音の主を一目見ておきたいな。後で起きたときにとっちめてやる。
そう思い、重い瞼をゆっくりと開けていくと、そこには____
「(あれ……)」
誰もいなかった。
何故だ……さっきまで気配はあったのに。いつの間にか気配も消えている。
「(まあいいか。寝よ)」
考えるのも面倒になってきた。今は眠気に身を任せて意識を、手放せば、良い……ん……だ。
そう考えている間におれの意識は刈り取られ、眠りについていた。
ーーー
「……寝過ぎた」
起きたときには既に辺りは闇に覆われ始め、戸の隙間から入る光は僅かしかなく、家の中はほぼ真っ暗な状態だ。
しかし、おれは光を発生させる術を持っている。
ただ霊弾を出せば良い。おれの霊弾は他の者より輝度が高く、1つだけでも1部屋程度なら十分に照らすことが出きる。
「あれ、これは……」
部屋を照らすと、囲炉裏の前に何かしらで出来た握り飯が置かれていた。
何故だ……入ったときは握り飯なんて無かったのに。
「うわ、なんか粒が丸い。もしかしてこれ、粟か?」
粟は確か縄文時代から食べられていた植物だったはず。一度餅にして食べたことがあるから分かる。
まあ、あるのならありがたく頂こう。腹減ってたし。
「美味いな……」
確か粟は少し食べにくかった筈だ。それにおそらく冷たさ的に作られて結構経っているだろう。なのに口に入れ歯で噛み締めると普通の米のように柔らかく、程よく塩も効いてて何度も咀嚼したくなる。
そして原形がなくなるまで噛み締めた後、喉を通して胃に持っていった後でもまた食べたい衝動に刈られ、二口目にかかる。
なんだこのおにぎり、何個でも食べられるぞ!
「ごくっ……ご馳走さま」
そして皿の上にあった握り飯を全て平らげると、おれはその場に倒れ込んだ。
そういえば地味にこの部屋、温もりが感じられるな。囲炉裏も炭が残っているし……誰かこの家の中に入って来たのか?
「ああ、また眠たくなってきた」
食欲を満たすと次は睡眠欲がまた顔をだすとは。
まあ夜だしやることないし、寝ても問題ないよな。
そうと決まればおにぎりの置かれていた皿を洗ったらまた寝床につくか。
ーーー
「寝れない」
先程日の出から夕暮れまで寝ていたからか、寝ようとしても中々寝付けないでいた。
眠気はあるのに寝れないなんて、ここは地獄か。
「……」
もう何度めかわからないほど寝返りをして、寝心地の良い体勢に入る。
しかし何故だろう。さっき起きてからなんだか妙な感じがする。
動くときに何かしらの違和感が……起きた当初は寝起きだからと思っていたが、それとはまた違う。何かしらが体内に蠢いているような……まさか、腹痛の前兆か?
やっぱりあんな雑炊を食べたのが効いたか。
どうしよう、この部屋トイレとかないし。まさか外でそのまま……?
『中々汚い事を考えてるんですね』
「!!? 誰だ!」
この時代のおトイレ事情について考察していると、何処かから声がしてきた。
ま、まさか本当に幽霊なんじゃ……
『そう、貴方が恐怖していた存在の幽霊です! そして探しても無駄ですよ。今私は貴方の“中”にいるのですから』
あ、あぁ、そ、そういうことなのね。部屋を見渡してもいないわけだ。だから声が何か脳に響くような感じなんですね。わかりました。
……本当に幽霊いたのか。思った以上に話しかけてくるから少し驚きが薄まったのは良かったが、今おれの中にいるということで、まだ見ぬ幽霊の血に濡れた姿を想像してしまう。
声からして女の子っぽいけど……まあ、幽霊の定石は女だしな。それだけで驚かなくなるということはない。
『私は翠と言います。熊口生斗さん、でしたよね? 確かある人を探す旅人と聞いていますが……実際のところどうなんですか? 本当は旅人名乗って放浪する穀潰しの無職なんじゃないんですか?』
お、おい失礼だぞ。おれが穀潰し? おれほど世界に貢献している人間はいない! と自負している!
『何か世界に貢献した功績は?』
あるけどない!
『つまり無いんですね。なんだ、ただの穀潰しじゃないですか』
なんだこの幽霊、口悪いな。ていうかさっきからナチュラルに心読まれてるの嫌なんだけど。
『どうやら熊口さんの中にいる間は心が読めるようです。先程一回出てみたのですがその時は読めませんでしたし』
「ならさっさと出ろ! 何か違和感があるんだよ!」
何だかおれの思っていた幽霊のイメージがどんどん崩れていく。なに、幽霊ってこんなによく喋るの? 恐怖心がジェット機並みの速さで去っていくんだけど。
今なら血だらけの肌白女が出てきても驚く気がしないぐらい心が安定している。
『何か私、幽霊としての尊厳を無くしたような気がします』
お前が喋りすぎるからだろ。
『お前ではありません。翠というちゃんとした名前があるんですよ』
はいはい、翠ね。その翠さんとやらはいつになったらおれの中から出てくれるんでしょうかね。
『はぁ~、仕方ないですね。そんなに私の姿が見たいんですね。いいですよ、私の姿を見て無様に恐れ戦くがいいです』
幽霊なんかにビビる訳がないだろ。このおれが幽霊ごときにビビる姿なんて想像できない___あれ、出来る?
そんなことを考えているとおれの身体から白い靄が出始め、目の前でそれが集まっていく。
「……」
演出が妙に凝っている。少しずつ靄の中心が人影のようなものが形成されていっている。
この人影が幽霊の正体である可能性が高いな。
どんな人物なのか。声からして女、おそらく早恵ちゃんが言っていたこの家で妖怪に惨殺された子だろう。
そして何故かおれの名前と旅人ということも知っていた。
これもおそらくだが、諏訪子が関係しているだろう。おれの素性を知ってるなんて諏訪子関連以外で考えにくいからな。
「ふっふっふっ」
やっと人影から姿を目視できるまで見えるようになってきた。
まだ顔の方はまだ靄が深くて輪郭程度しかわからないが、服装は完全に白装束であることは分かる。これも幽霊と言えば定石、貞○も同じような服装だったし。
「さあ、恐れ畏れ慴れ慄れ、心臓が止まるぐらい驚きなさい! これが恐怖の象徴、本物の幽霊です!」
そしてついに靄が風に煽られ飛んでいき、正体を現す幽霊の翠。
その姿は恐怖の象徴とは程遠く、幽霊のコスプレをした美少女だった。
艶やかな黒髪のロングに白の三角頭巾を被っており、淡緑色の瞳には血走ったような充血した目と真反対に美しい。
……惜しい。これでお姉さんのような雰囲気で、尚且つ出るとこが出ていればドストライクだったのに。
「あー、うん、お疲れさま」
「お疲れさま!?」
おれの発言に驚きを隠せていない様子の翠。
考えていたであろう決め台詞をスルーされたことに驚いているのか、それともおれが全然怖がらなかったことに驚いているのか……たぶんどっちもだな。
「恐さの欠片もない。そんなに恐がらせたかったら血眼にしたり肌の血色をもう少し悪くしろ。そもそもそんな派手な登場で驚くわけないだろ」
「ぼろくそに言われてるじゃないですか私、なんですか、私に人を脅かす才能はないって言いたいんですか」
「うん」
脅かす気0としか言いようがないでしょ。さっきの決め台詞なんてただただ痛かっただけだし。
おれの言葉に翠は床に膝と手をつけて悔しがる。
「くっ、確かに私は驚かす才能はありませんよ、ええ。でもですね、貴方は私に恐れるのです」
「はあ?」
何が恐れるんだよ。今のところ翠に対しての恐怖心なんて全くないんだけど。
「私は貴方に取り憑きました。これが何を意味しているのかわかりますか?」
「はあ……はっは?! 何取り憑いたって! 初耳なんだけど!!」
取り憑いたってことはつまり……取り憑いたってこと!? なんだよそれ。おれ、いつの間に翠に取り憑かれた……ってそういえば絶賛さっきまでおれの中にこいつ入ってたからその間十分に取り憑かれる時間あった!
なになに、おれ何されるの?
「な、なあ、取り憑いたって、一体おれに何をするつもりなんだ?」
おれは純粋に思った質問を翠にする。
取り憑く事による効果は色々ある。寝付けない、肩が重くなる、精神に異常を来す等々、取り憑かれて良いことなんてほぼ皆無だ。
翠は一体おれに対してどんな祟りを与えてくるんだ?
「そうですねぇ、夜中寝ている熊口さんの邪魔をしたり、毎日散歩するようにさせたりとか、ただ単に罵ったり」
「なあ、知ってるか? そういうのを嫌がらせっていうんだよ」
なんだよそれ、想像してたのと違う。ただの嫌がらせだよ。ほんと何のために翠はおれに取り憑いたんだ。意味不明だ。
「まあ良いじゃないですか。熊口さん、美少女がつきっきりになるんですよ。役得じゃないですか」
「心が休まらないんだよ!」
心も読まれる、嫌がらせをしてくる、一人になれない。これはかなりのストレスだぞ。
「お願いだ、取り憑くのをやめてくれ」
「駄目です。私だって目的があるから貴方に取り憑いたんですから」
「目的?」
「熊口さんには関係ないことです。詮索はしないでくださいね。したら呪いますから」
なんだよそれ、つまりは己の目的のためにおれに取り憑いたってことだろ。
なんて理不尽なんだ。おれに落ち度はないよな? ちょっと解せない感が半端じゃないんだけど。
「ま、とにかく宜しくお願いしますね、熊口さん。なるべく私の目的を達成させられるよう努力してください!」
そう言って翠は親指をおれに立て、ウィンクしてくる。
…………。
霊媒師ってこの世界にいるかな?
このあと、結局翠はおれから取り憑くことを止めてくれなかった。
うん、一刻も早くお別れたい仲間が出来てしまった。
生還記録の中で一番立っているキャラ
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熊口生斗
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ツクヨミ
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副総監
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翠
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天魔