東方生還記録   作:エゾ末

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㉚話 信じるが故

 

 一眼レフカメラがあれば是非とも一枚収めたいと思える程の満月が、暗闇に包まれた都を優しい光で照らしている。

 

 

「輝夜姫、天使様の元へ連行させてもらいますぞ」

 

「な、何を言うか!」

 

 

 虫のさざめきですら心地好い音色に聞こえるこの場で、なにやら物騒な事が起きているようだ。

 

 

「ええい造! これは天子様の御命令であるぞ! 

 そこを退け!」

 

 

 輝夜姫のいる几帳の前で、帝の兵とお爺さんが言い争いをしており、今にも手が出んとする状況。

 やっぱりそう来たか。あまりにも帝の聞き分けが良いと思えば_____

 

 

「退くわけにはいかないだろ。不等な連行なんて聞けるか」

 

 

 用心棒であるおれがこれをただ傍観する訳にもいかず、几帳剥がそうとする兵の一人の腕を掴む。

 

 

「うっ、熊口……!」

 

 

 おっ、帝の兵隊さんもおれの名前が知れ渡っていたのか。

 あまり有用性を感じていなかった果たし合いをしていた甲斐があったかもしれない。

 

 

「これは天子様……帝の御命令なのだ。決して不等な連行ではない!」

 

「だからなにがどうして連行するんだよ。5W1Hを知らないのかお前らは」

 

「ごーだゔゅりゅー?」

 

 

 帝の兵の腕を退かし、仁王立ちの構えでおれは几帳越しに輝夜姫の前に立つ。

 

 

「何を言ってるか知らんが、天子様はこうおっしゃられたのだ。"望月が頂点に達し、月の使者が現れぬ場合、輝夜姫を天子を前に虚言を申した不届き者として連行せよ"と。もう月は既に頂点に達しているうえ、此処に御達しもある。これがどうして、不等であると言えるのか」

 

 

 月がもう大分高くまで来ているのは分かっている。

 だからおれも内心焦っていた。

 

 輝夜姫は本当の事を言っているのか。

 もしかして月の使者が来るというのは嘘で、別のなにか考えがあるのか。

 

 そういった疑問がおれの脳裏を過って止まない。

 

 だからといっておれが此処を退く理由にはならない。

 

 

「だからなんだ。まだ月の使者が来ないと決まったわけじゃないだろ。もうちょっと我慢っていうのを知らないのか。女にモテないぞ」

 

「なっ、なっ!」

 

「熊口殿……!」

 

 

 

「き、貴様ぁ! 侮辱しよってからに!」

 

「この御達しがある限り、我々への抵抗はそのまま帝への反逆とみなされるのだぞ!」

 

 

 次々と抜刀していく帝の兵隊さん達。

 よくもまあこんな烏合の衆で……勝てると思っているのか_____天下の妖忌さんに。

 

 

「行くか? 熊」

 

「なんだ貴様! 何処から現れた!」

 

 

 塀を飛び越え、おれの前へ着地してきたのは、蓑笠を深く被った妖忌さん。

 ピンチの時に現れてくれるし、その現れ方もスマートだし、これこそ女性にモテる立ち振る舞い方ってもんだ。

 

 

「勉強になったか、非モテ男児諸君」

 

「さっきから何をほざいているんだ!」

 

「く、熊? ど、どうするんだ。もしかして出てこない方が良かったのか?」

 

 

 突如として現れた謎の剣士に皆が動揺する中、おれは確かに聞いた。

 

 

「来ます」

 

 

 先程まで沈黙を貫いていた輝夜姫の、待ち望んだ一言が。

 

 

 

 

 

 

 

 

「熊口くん!! 迎えに来たぞおぉ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーー

 

 

 先程まで喧騒にも似た言い争いで庭園を埋め尽くしていたのもつかの間。

 

 今では誰一人として言葉を発することもなく、ただ空を見上げている。

 

 

 

 シャン シャン シャン

 

 

 一定の間隔で鳴り響く鈴の音。

 まるで天の方舟の如く、黄金の装飾を施された船が緩やかに、しかし確実に輝夜姫の屋敷へと接近している。

 水押が掻き分けるは天の川。

 船底の周りにのみ、煌びやかな輝きが波のように打ち、そして淡く散りゆく。

 

 

「綿月、隊長」

 

 

 

 数十里もの距離があるにも関わらず、生斗の名を雄叫びにも似た呼声が、庭園中に谺する。

 

 

「煩い。鼓膜が破れそうになったわ」

 

「!!!」

 

 

 常人であれば、まだ誰が乗っているかすら判断できぬ距離。

 しかしながら、生斗の眼には確かに映っていた。

 

 

 ____彼の身請け人であった、八意永琳の姿が。

 

 

「あ、あっ」

 

 

 言葉が喉に遮られ、視界が次第に高波に溺れゆく。

 

 この日をどれだけ待ち望んだことか。

 

 生斗にとって約七百年ぶりの再会。

 月の民に自身の安否を報せるため。

 不可能だと割り切っていた筈の一方的な約束を果たすため。

 

 ただ歩き続けてきた。

 

 その終着点が今、眼前にある。

 

 

「きゅ、弓兵! 構え!」

 

 

 そんな感傷に浸る間もなく、帝の近衛兵の怒号が響き渡る。

 

 

「あれが月の使者とやらか。誠に現れたのは驚いたが、なんてことはない。撃ち落としてやる」

 

「おい熊。これはどういう状況なんだ」

 

 

 弓兵は火矢を構え、方舟を燃やし尽くさんと画策する。

 帝の近衛兵というだけあって肝が座っており、尋常ならざる光景を眼にしたとて、臆する様子など微塵も感じられない。

 

 

「……」

 

 

 火矢を向けられても尚、方舟が止まる様子を見せない。

 

 

「原始的だな。あんなものでこの舟が落とせるものか」

 

 

 月の使者の一人がそう呟く。

 それに呼応したように綿月隊長が号令を掛ける。

 

「自動反撃機構を発動しろ」

 

「しかしこの機体では旧式となりますが……」

 

「構わん。音速を越える攻撃が可能な者など、熊口君を除いてあの中にはいない」

 

「はっ!」

 

 

 綿月隊長の指示から程なくして、方舟全体を淡い光で包みこまれる。

 

 

「即着型催眠弾装填用意。相手からの行射次第発砲を許可する」

 

「指揮をしているところ悪いのだけれど、月の使者のリーダーは私よ。勝手に仕切らないでもらえるかしら」

 

 

 月の使者のリーダーを差し置き、部下に次々と指示を出していく綿月隊長を永琳が戒める。

 しかし、綿月隊長は悪怯れる様子もなくはにかんで笑った。

 

 

「はっはっはっ! 永琳! すまなかったな! お前の仕事を減らしてやろうと意気込んでたんだ。許してくれ。折角の主人と熊口君との再会だからな。此方のことは私に任せて寛いでいてくれ」

 

「余計なお世話ね」

 

「相変わらず手厳しいなぁ!」

 

 

 二人の雑談。

 色褪せていた声色が蘇っていく。

 

 十中八九、この近衛兵達は全滅する。

 そんな事はどうでもいい。

 

 今の生斗には、帝の兵への危機を報せるよりもただ、遠い昔に親しんだ者達の、追憶と言う名のキャンバスに、色を与えていく事の方が重要であったのだ。

 

 

「熊! 熊! 確りしろ!」

 

 

 呆然と立ち尽くす生斗の肩を揺らし、正気に戻さんと声を掛け続ける妖忌。

 

 

「……」

 

 

 その様子を、輝夜は悲しげに見つめている。

 彼女の眼には今、確信めいた不安が蠢いていたのだ。

 

 

「____妖忌」

 

 

 周りが慌ただしく月の使者に対し反応を示している中、ポツリと生斗が妖忌の名を呟く。

 

 

「おっ! 漸く正気に戻ったか!」

 

「避けろ」

 

 

 瞬間、近衛兵の一人が火弓を放った。

 

 それを皮切りに次々と火矢が方舟に向かって行射されていく。

 しかしその矢は、方舟を囲う淡い光に包みこまれると同時に霧散していった。

 

 

「ぐあぁ!」

 

「うぎっ」

 

「あがぃあ!」

 

 

 突如として倒れ伏していく近衛兵___だけではなく、屋敷にいた女中等の使用人、ましてやこの地に降りて輝夜姫の育ての親であった老夫婦まで事切れたかのように地面に伏していった。

 

 

「これは……」

 

 

 その場に立ち残っていたのは、対象ではなかった輝夜と生斗、そして二の腕に違和感を覚えた瞬間に薄い肉とともに麻酔弾を削ぎ取った妖忌のただ三人だけであった。

 

 

「……刺さるまで気付かなかった。これで皆倒れてしまったのか」

 

「こんな代物が……月の技術力は底無しか」

 

 

 事の数瞬で起きた惨劇を考察する二人を横目に、輝夜はゆっくりと几帳を除け、姿を露にする。

 

 

「お爺さん、お婆さん。御免なさい。そして有難う御座いました」

 

 

 倒れ伏す二人の前へ屈み込み、何処からか持ち出したのか、硬く封のされた壺を二人の前に置く。

 

 

「近くで見れば見るほどに……本当に生きていたんだな、熊口君」

 

「綿月隊長こそ、御健体で何よりです」

 

 

 既に方舟は輝夜の屋敷の眼前まで迫っていた。

 そして遂に果たす念願の再会に、生斗は思わず袖で眼を拭った。

 

 

「熊、まさか知り合いなのか」

 

「……ああ。遠い昔の、おれの上司だ」

 

 

 感慨深い気持ちを抑えつつ、生斗は震えた声でそう答える。

 だが、そんな痩せ我慢も次の一声で決壊する。

 

 

「生斗、久し振り」

 

「永琳さん!」

 

 

 抑えていた感情が吹き出すように、自身でも分かるほど童心に還ったかのような意気揚々とした声色。

 これまで大人として立ち回ってきた生斗が唯一、童の一面を見せる相手。

 転生後、永琳に保護され、月移住まで面倒を見てくれた恩人。

 そんな彼女の胸元へ飛び込みたいという気持ちで頭は支配されていた。

 

 

「永琳さん、おれ_____」

 

 

 全ての事柄を無視し、これまでの出来事を語りだそうとする生斗。

 

 

「なっ、いつの間に……!?」

 

 

 妖忌の驚愕の声が漏れる。

 

 

「えっ、ちょ」

 

 

 それもそのはず。先程まで船首にいた筈の白銀の女性が、生斗の身体を縛るように抱擁していたのだから。

 

 

 

「生斗、また会いましょう」

 

「何を、言って……うっ」

 

 

 自らが望んでいた抱擁が、数秒で叶ってしまったことにより、生斗はほんの数秒だけ、思考が固まる。

 

 そして、それを狙っていたかのように、永琳は生斗の首元へ注射を施していた。

 

 

「あがっ……はっ!」

 

「っ!!」

 

「妖忌さん待って!」

 

 

 注射器内の謎の物質を注射され、悶え苦しみだす生斗。

 それに呼応するように妖忌が永琳に向かって抜刀するが、寸でのところで輝夜が永琳の前に立ちはだかる。

 

 

「何故止める!」

 

「大丈夫、大丈夫だから……今は、どうか動かないでください」

 

「くっ___熊、大丈夫か!」

 

 

 永琳を仕留め損なった事を考える事もなく、地面に蹲り、唸り声を上げる生斗を介抱を優先する妖忌。

 その姿を見つつ、先の出来事を静観していた綿月隊長が口を開く。 

 

 

「何故だ永琳。熊口君に抵抗の意思はなかっただろう。態々無力化する必要性はなかった筈だが」

 

「何を言っているの。彼は立派な犯罪者。神妙にお縄についてくれる保障はないでしょう」

 

「熊口君を疑っているのか!!」

 

 

 綿月隊長の怒号が庭園中に響き渡る。

 まるで自分の事を貶されたかのように、他人の為に怒る綿月隊長と、正論を放つ永琳の対比に若干の動揺を見せながらも、月の使者達は綿月隊長を制止させる。

 

 

「司令、兵どもが起きてしまいます」

 

「……すまん。取り乱した。取り敢えず永琳、熊口君を連れて一旦舟へ戻れ。月還りの儀を行う」

 

「ええ、言われなくても」

 

 

 介抱する妖忌の手を退かし、生斗を抱えて飛び立っていく永琳。

 戻る最中、綿月隊長に軽く睨め付けられるも、彼女は釈然とした態度を示している。

 

 

「さあ、輝夜姫。船首へ来てくれ」

 

 

 月の使者の一人から羽衣を受取りながら、輝夜に此方へ来るよう促す。

 

 

「妖忌さん」

 

「……ああ、分かっている」

 

 

 妖忌の心情は芳しくない。

 約千戦を戦い抜き、親友とも呼べる生斗の知られざる関係性。

 輝夜の夜逃げの手伝いではなく、本当に月の使者が現れたことを今の今まで隠されていたこと。

 自身がそのいざこざに巻き込まれていたという事実。

 眼前にいる強敵に指を咥えて見ていなければならないという今の状況。

 

 そして、不意を突かれたとはいえ、親友が為す術なく倒された怒り。

 

 

「彼奴は、こんなものではない」

 

 

 誰にも聞こえないような声量でそう呟く。

 今の彼には、帝への復讐などという陳腐な考えは消え去っていた。

 

 今はただ、純粋に。

 親友の名誉挽回の為、自身が何をすべきかに思考を巡らせる。

 

 

「今、参ります」

 

 

 妖忌が思考を巡らせている最中でも、場面は常に映り変わる。

 

 さも当然の如く空を飛び、船首の上に降り立つ輝夜姫。

 その姿を見て、綿月隊長は安堵の息を漏らす。彼にとって、無事にこの任務を完了させることこそ最重要事項。月の中でも有権者の御息女に、娘の友人である生斗の回収。

 これは任務だけでなく個人的な___私情を挟んだ介入であった。

 

 

「蓬莱山輝夜、君は刑期を無事に終え、月への帰還が赦された。よく頑張ったな」

 

 

 元々は現場仕事の定期的な監察___基より、事務仕事で鈍らせ気味であった身体を動かす為の口実で始めた業務であったが、輝夜との邂逅にて発覚した生斗の生存。

 六万年もの間、月の技術を結集した衛星探知に探知されていなかった上、捜査が打ち切られた後も、綿月家で個人的に捜索を続けていた。

 

 しかし、副総監一派の策略による印象操作や情報改ざん、最たるは衛生探知機内の生斗の生体情報の末梢であった。バックアップはおろか、探知のきっかけとなる記録はほぼ全て燃やされ、残ったのは生斗の友人であった者達の個人的な写真と、月移住時に映った戦犯行為の一部始終データのみ。

 副総監が追放された怒りは相当で、衰退の一途を辿る前に副総監一派はありとあらゆる手を使って暫定死亡者であった生斗を徹底的に死体蹴りを行ったのだ。

 

 その勢いは凄まじく、司令となった綿月大和でさえ抑えられない代物であった。

 

 

「(長い道のりだった)」

 

 

 だが、その印象操作も今は変わりつつある。

 遡ること一年前。

 生斗が発見された事により、これまで戦犯行為とされた彼の行動の見直し運動が行われたのだ。

 生斗が行動を起こしたことによる実際の被害状況と、行動を起こさなかった場合の被害状況の分析。

 これまで無視されていた遺族の声。

 副総監一派による印象操作の発覚。

 

 数億年前から根付いた悪印象は簡単には拭えない。

 だが、確実に少しずつ、生斗への悪印象は薄れつつあったのだ。

 

 

「帰ろう。皆で」

 

 

 輝夜がその発言を受けた後、ゆっくりとお辞儀する。

 

 _____後は天の羽衣を輝夜に纏わせれば終わり。

 

 綿月隊長の頭は、既に月へ帰った後のことで胸を膨らませていた。

 

 

「その羽衣は、受け取れません」

 

 

 そんな綿月隊長の心情を裏切るように、輝夜は力強い発言で、月への帰還を拒否した。

 

 

 輝夜の両手は、既に合掌の姿勢を取っていた。

 

 

「なっ_____!!!」

 

 

 

 _____瞬間、方舟全体に異常を報せる警告音が盛大に鳴り響いた。

 

 




次話、4章最終回です。

当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖

  • 八意永琳
  • 綿月依姫
  • 綿月豊姫
  • 洩矢諏訪子
  • 八坂神奈子
  • 息吹萃香
  • 星熊勇儀
  • 茨木華扇
  • 射命丸文
  • カワシロ?
  • 八雲紫
  • 魂魄妖忌
  • 蓬莱山輝夜
  • 藤原妹紅

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