「はいやあああ!!」
今日も今日とて上がる奇声に飽き飽きしながら、迫りくる剣戟を受ける昼下り。
霊気を感じる特訓と視覚を頼らない戦いを想定しての特訓を兼ねるため、おれは目隠しをした状態で相対す。
「ぐぎゃぱ!?」
流石に相手側からしたら舐められているにしても大概な話なんだが、ここは催し物での戦いで軽く負傷して休ませているということで話を済ませている。
まあ、それで戦うって時点でかなり大概だが。
「くっ、くそう……」
くそうと言いたいのはおれの方だよ……
催し物の一件以降、お爺さんの屋敷には輝夜姫への恋文だけでなく、おれ宛の果たし状が後を絶たなくなっていた。
何故恋文ではなく果し状なんだ。
どんだけ都の連中は血気盛んなんだか。
「ふうぅ」
血気盛んな若人を一人に現実を見せつけたおれは、一礼してその場を後にする。
あれは数刻は彼処に蹲る事だろう。
やられた相手に介抱されれば彼奴の立つ瀬もなくなるので、ここは予め頼んでおいた女中に一任しておく。
「頼みました」
「畏まりました」
はあ……これで本日五戦目。眼に頼らない戦いは何度かしたことはあるが、やはり緊張感が違うな。
木刀での戦闘とは言え、普通に人を殺せる威力は出せる。おれならば、やろうと思えば両断することも可能だろう。
それに一応お爺さんとこの用心棒として雇われている手前、下手に負ければ抑止力としての機能がなくなってしまう。
「お疲れ様でした」
「おわっ、輝夜姫」
縁側から屋敷へと入り、そのまま湯浴みでもしようかと廊下を歩いているところに、後ろから輝夜姫から声をかけられた。
「近くにまだ余所者いるんだから、あまりほっつき回らないほうがいいぞ」
「大丈夫でしょう。あの方、既に気を失われていましたもの」
「み、見てたのか」
「一人目からずっと観戦させていだきました」
障子からこっそり見ていたのだろうが、女中やお爺さん以外に見ていたなんて全然気付かなかった。
もしかしてまた紫の奴が一枚噛んでるのか。
「……熊口様、御顔を此方へ」
「んっ? なんか顔についてるのか」
「はい。首元に羽虫がついておりますので、動かないで下さいね」
そう言いながらおれの首元へと手を伸ばす輝夜姫。
なんだか姫様に無視を触らせてしまうのも気は引けるが、既に伸ばされた手を突っぱねるのも申し訳ないので、大人しくしておく。
「あ"っ」
「おっ」
双方が近付く最中、ふと輝夜姫と目が合う。
すると輝夜姫は伸ばしかけた腕を止め、そのまま石のように静止してしまう。
ほんの数秒……いや、数瞬での出来事ではあるのだが、絶世の美少女を間近で目を合わせてしまった事に多少たじろいでしまいそうになったおれは苦し紛れに目を逸らそうとした____
「だ、大丈夫か輝夜姫!?」
____が、眼前の輝夜姫の鼻から一筋の血が流れたことにより逸らすことができなかった。
「すすすすすいません! 御目汚しをしてしまいまままました!!!?!」
「あー! こらこら着物で鼻を拭いたら勿体ないだろ! この布使ってくれ」
「そそそんなに近付かれないで下さいまし! ふぇ、ふぇりょもんが!!」
「ふぇりょもん? 何言ってんだ。取り敢えずはい。これで血を_____」
「ああああこ、ここ、これ熊口様の匂いがします! んむっ!」
「何故食べた!?」
予想外の出来事の連続で脳がパニックを起こしそうだ。
鼻血を出した瞬間取り乱したし、おれのハンカチを食べる奇行に走りだす。
うわっ、なんかさっきよりも鼻血の勢いも増したし大丈夫かこれ?!
「大変よ! 輝夜が生斗成分の過剰摂取によりパニックを起こしているわ!」
独りでどうしたものかとドギマギしているところに、颯爽と襖を開けて登場してくる紫。流石紫、困ったときに助けてくれるのはいつもお前だ。
「ゆ、紫! 良いところに来たって……おれ成分ってなに?!」
「ひゃんかちおいひい(ハンカチ美味しい)」
「咀嚼しない! あっ、出しなさい! 飲み込んでは駄目! 変な病気が感染るわよ!」
「んー!」
「その言い方だとおれが何かしらの病源菌を抱えてることになるんだが!」
いかん、紫が来たことにより更にカオスになってきてる。
ていうか輝夜姫、不意に鼻血を出して動揺したにしろ、パニクり過ぎなのではないだろうか。
なんでおれのハンカチを食べた。うつ伏せになった状態で、紫が吐き出させようと背中を叩いてるのに首を振って拒否してるし。
「か、輝夜姫? 早く吐き出さないと消化不良起こすぞ」
「カヒュッ」
「生斗はあっち行ってて! これ以上喋ったら輝夜が出血死するから!」
「え、えぇ……」
おれが何をしたって言うんだ……
と、取り敢えずはこの場にいたら駄目であることは判ったので離れるとするか。
輝夜姫はあれなのだろうか。鼻血を出すと変人になるスイッチでもあるってことなのだろうか。
確かに、ある事がトリガーで性格が激変する奴はいる。輝夜姫の場合は鼻血がトリガー……ってところか。
まあ、落ち着いたら改めて聞けばいいか。
折角超絶美少女なのに勿体ない_____
「あと生斗」
この場を離れようと、頭を掻きながら歩を進めようとすると紫がおれを呼び止める。
なんだ、やっぱりおれの介抱が必要になったか。
「後で私の部屋に来て。話して置きたいことがあるの」
「んっ? 急に……」
神妙な面持ちでそう言い放つ紫に、疑問を抱いたおれは反射的に質疑を吐き出そうとする。が、紫は直ぐ様輝夜姫の介抱へ意識を戻したため、心の内に留めておくことにするか。
後で部屋に来いって事だし、今後の立ち回り方について話し合いたいとかそんなもんだろう。
そう考えに至ったおれは、少し冷めてきた汗を流しに行くべく、湯浴みへと向かった。
ーーー
「お〜い、来たぞー」
「遅かったわね。待ちくたびれたわ」
おれの呼びかけを襖を開けて応答する紫。
少しばかり湯浴みに時間が掛かってしまった。
だが、紫は特段怒りを見せる様子もなく、部屋へと招いてくれた。
「輝夜姫はどうだった。少しは落ち着いたか」
既に用意されていた座布団に腰を下ろしながら、先程の輝夜姫の様子を尋ねてみる。
すると紫はやれやれといった様子で、
「うつ伏せになった状態でぶつぶつと自責を呟いてたわ」
と肩を竦めた。
そうか。一旦は正気を取り戻してくれたようだ。
「吐き出した布は洗って返すそうよ」
「いや、流石にそれは捨ててくれ」
「そう。輝夜も喜ぶわ」
「えっ、なんで?」
おれの質疑に怪訝気な表情となる紫。
今おれなんか変なことを言ったか?
さっきから輝夜姫の行動と言い、紫の言動と言い、何かしらおれに原因がある節がある気がする。
折角だし、そのことについても言及してみるか。
「なあ、もしかして____」
「まあいいわ。この話は置いておきましょう」
「お、おう」
しかしながら、紫にぶった切られてしまった。
どうやらおれを部屋へと招き入れたのは、これが本題ではないらしい。
「今日、貴方を呼んだのは今後の方針についてよ」
「やっぱりそうか」
ん〜っ。どうしたものか。
おれも当初はほぼ固めていた予定があったが、今はそれも有耶無耶になっている。
正直、どうしたものかと四苦八苦しているところだ。
「私は、輝夜が婚約したらこの家を出るわ」
おれも当初はそう考えていた。
だが、状況が変わった。輝夜姫は月の住人であり、今は罰として地球にいるがいずれはそれも解け、月へと還るだろう。
出来ればそれに付いて行きたいが、付いて行けないのかもしれない。
ほんと、どうしたものか。結局は輝夜姫の回答待ちっていうのが本音だ。
そのことについて、紫にどう説明すればいいのやら_____ちょっと待てよ。おれの聞き違いか?
「"私は"……?」
「そうよ。生斗はこの屋敷に残るの」
「それってまさか、自立するってことか」
「そのつもりだけれど」
「………………………………う"っ」
「泣いてるの?」
いかん、急に涙腺に来た。
そうか、遂に紫も独り立ちする日が来たか。
短いようで意外と長い時を一緒に過ごしてきた身からすると感慨深いな。だけど少しの寂しさもある。
なんだか凄く不思議な感覚だ。
「すまん、続けてくれ」
「え、ええ……それでね。生斗に見てもらいたいものがあるの」
「見てもらいたいもの?」
紫はそう言うと目を瞑り、深呼吸をして息を整える。
なんだいきなり畏まって。
まるで重大な秘密を暴露するみたいに。おれと紫の仲だろうにそう大したものではないだろうに。
「_____開いて」
「なんだ、これ」
片手を広げ、紫が何かを呟くと、指先の空間が歪み、裂けていく。
決して大きい裂け目ではない。だが、その裂け目の先は暗く、所々照らしているのは無数の眼球であった。
「私は、論理的な境界を操る事ができるの」
ありました。紫さん私に隠していることガッツリありました。
おれと紫の仲って思った手前、なんか滅茶苦茶恥ずかしいんだが。
いや、それよりも____
「論理的な境界?」
「境界とは万物にある切っても切り離せない概念。地上と海の境も、生物の存在の境も。物理的には出来ないけど、概念として成立すれば操る事ができるわ」
「例えば?」
「この空間の裂け目。物理的に割っているわけでないの。現と幻の境界を弄って出してるの。今は曖昧にしているから裂け目として出ているけど、やろうと思えばここら一体の現実は存在が幻想となり、周りからは認知されなくなる……と思う。これ自体はまだ試したことがないからなんとも言えないけれど」
「は、はへぇ」
思わず変な声が出てしまった。
紫の能力バケモン過ぎじゃないか。
こんなドチート、おれがいなくてもどうとでもなったんじゃないか。
いや、それだと妖怪となって四日目にして誰も信じられなくなってたかもしれないし、やっぱりおれ必要だな! うん、ある意味世界救った立役者かもしれない、おれ。
そうか、紫はそんな業の深い能力を持って妖怪となってしまったんだな。
そりゃあ今の今までおれにすら秘密にしていた訳だ。
能力を話して襲われた前例がある紫は、賢いからこそ慎重になっていた。
おれが能力を知れば危険因子として殺しに掛かってくるのではないかと。
それが怖くて今日まで話せなかったのだ。
でも、今、この時に紫はおれを信じて打ち明けてくれた。能力の話を。
何の変哲もないこんな昼下がりに。
しかも割りと急に。
勇気を振り絞って、賢明な彼女がリスクを顧みず話してくれたというのに、それを無下にする事が出来るだろうか。
否、おれはそこまで畜生ではない。
生死すらも操ることができるであろう紫に若干の恐怖を感じたのは事実である。
だが、そんなことよりも紫はおれにとって家族同然の存在だ。刃を向けようだなんて粉微塵としてない。
「紫、おれは_____あっ」
「……」
おれが発言しようとすると、紫が少しだけビクリと身体を揺らす。
やはり、おれの考えは当たっていたようだ。
いや、それよりも今、紫を元気付けようとしたが、あるとんでもない事実を発見してしまった。
これを確かめずして次の話題には移れない。
「その境界、もしかしてだけど……収納とかできたりする?」
「へっ?」
当作品の原作キャラの中で一番印象に残っている人(神)妖
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