ひょんな事で決闘に巻き込まれてしまった綴たちは第三訓練所にやってきた。
その中心に、一輝と綴はレフェリーである黒乃を挟み20メートルほどの間を開けて対峙する。
そして、そんな二人を見つめるいくつもの視線が観客席にある。元々この訓練場を使ってトレーニングしていたり、噂を聞きつけて見学に来た上級生たちの視線だ。
数は二十強。ここに限らず様々な訓練場を借りて日々競い合っている綴から見ても、すこし多いくらいだ。それだけ《七星剣王》ならびに《紅蓮の皇女》は注目を集める存在だということ。
ざっとあたりを見回した黒乃はメリハリのある声で、会場全体に聞こえるよう二人に呼びかけた。
「ルールを確認するぞ。幻想形態による初撃決着。判定は私が下す。制限時間はなし。能力の使用を認める。開始は双方の霊装を展開した状態で行うものとする。……何か質問があれば聞くが」
『ないです』
ぴったりと高低の声が重なり、黒乃は了承の首肯。
実戦であればわざわざ霊装を展開させないのだが、あくまで訓練を前提にした模擬戦のため霊装による意思表示を行うのだ。
尤も、そんなのは建前で、綴の早撃ちで決着をつけられては面白くないというのが黒乃の本音である。聞いたところによれば一輝は
「来てくれ。《陰鉄》」
「……」
決め台詞のようなものや霊装に名前をつけていないため、無言でその手に銃を顕現させる綴。
おそらく綴が普通に銃を構えるところを初めて見たのだろう、観客たちがにわかにざわつく。同じ観客席に座るステラも同様。
そんな周りの反応に気づかないように、お互いを凝視する二人。もうすでに彼らの戦いは始まっているのだ。
「よし。では、試合開始!」
開幕と同時、一輝が姿を煙らせ、遅れて複数重なったように反響する銃声。
「えっ!?」
我が目を疑うように身を乗り出すステラ。しかしすでに一輝は次のアクションに移っており、今彼が何をしたのか理解することはできなかった。
単純に開幕直後に飛んで来た四発の魔弾を最小限の動きで躱しただけなのだが、射撃した綴も回避した一輝も桁違いの俊敏さで攻防を成したせいで、ろくに目に捉えることが出来なかったのだ。
当然である。今の一瞬のやり取りが可能な者なんて、それこそ数えられるほどしかいないのだから。世界的に見てそこそこのレベルでしか訓練できなかったステラに非はない。
いきなり始まった異次元の攻防に置いていかれる観客たちに構わず、当人たちはお構いなし。否、開始の合図を出す前から彼らの意識から外されていた。
眩く光るマズルフラッシュとほぼ同時に一輝の《陰鉄》が迸り、宙にいくつもの火花と擦過音が撒き散らされる。
時に鋭く。時に柔らかく。一輝は培ってきた技術と知識をふんだんに注ぎ込み、綴の猛攻をいなし徐々に前へ進む。
しかし、進むといってもたかだか5センチ程度。20メートルの間合いと比べれば、誤差と言っても過言ではない程度。
彼らの攻防を理解できぬ者がそのわずかな進みの偉大さを、どうして理解出来るだろうか。
はたから見れば、一方的に撃たれ続けられる一輝がたたらを踏んでいるようにしか見えまい。
やはり最強の七星剣王には勝てないだとか、あの留年生は押されっぱなしだとか、試合開始からわずか十秒で観客席から諦めムードが漂う。
ステラも綴の言葉を思い出し、もしかしたらと気を持ち直しているものの、本音を言えば他の観客たちと同じだった。
たが、唯一二人の攻防を正しく理解できている者は呆れのため息をこぼした。
「あいつら……完全に遊んでやがるな」
「理事長先生?」
レフェリーの黒乃が煙草をふかしながらステラの横に腰を下ろした。
黒乃の声にステラが顔を上げる。
「まぁ、奴らがいつもやってることをそのままやらせてるようなものだからな。こうなるのも必然か」
「いつもってどういうことですか?」
外部者にとっては意味深な発言に困惑するステラ。一度大きく紫煙を吐き出した黒乃は質問に答えた。
「そのままの意味だ。あの二人は知り合ってからほぼ毎日、あの攻防を繰り広げて勝敗を競っている」
「ま、毎日!?」
視線を戻せば、開始位置より如実に進んでいることがわかる間合いで、一輝は相変わらずたたらを踏んでいる。ように見える。
自分の間合い外から一方的に攻撃されているだけのこの光景を、毎日?
ステラにとっては冗談にもならない戯言である。
しかし、当の本人たちは別だ。
「馬鹿馬鹿しいと思うか?まぁ、普通はそう思うだろうな。何でこんな無意味な茶番をやるんだ、と。だが考えてみろヴァーミリオン。ならどうして黒鉄はまだ倒れていないんだ?」
「え?それは──」
言葉を続けようとして、されど口はそれ以上動かない。なんて言えばいいのかわからない。
一目見たとき、確かに馬鹿馬鹿しいと思った。そんなもの間合いで勝っている銃が圧倒的に有利じゃないか。銃が勝って当然である。
そう思う一方で、ではなぜ不利な剣は今もなお立っていられるのか、という疑問が湧く。
根本的に当然の疑問にようやく気付いたステラを導くように黒乃は言う。
「KoKや七星剣武祭のような超現実的な試合を見ているほど無意識に狂ってしまう感覚なんだが、銃弾の速度を知っているか?」
「え、えぇーっと……」
「まぁ知らんのは当然だ。銃や弾の種類にもよるが、言ノ葉のような拳銃の弾速は秒速300メートルから400メートルと思ってくれればいい」
「秒速300メートル……最初の間合いが20メートルだったから……」
「着弾するのに約0.07秒だ」
凄まじく現実的な数字が算出され、ステラは絶句。
現代では何よりも異能が重視される傾向にあるため、ほとんどの国民や学生騎士は異能を前提に考える。
つまり超常現象が当たり前の思考。現実的な武術が軽んじられるのはこのためだ。
なぜならそんな現実的なことは、異能の前に屈するからだ。異能という理不尽はそれだけ強力なのだ。
それは正しい考えだ。けれど忘れてはならない。その異能を使うのは現実に生きる、ただの人間であるということを。
目先の幻に惑わされ、誤った感覚を備えてしまう騎士の典型だったステラは、そこまで言われてようやく目を覚ました。
0.07秒で着弾する弾丸を見てから躱す、だって?
「そんなの無理に決まってるじゃない!!」
「そう、無理だ。普通は無理なんだよ、そんなことは。勝負になりもしない。でも奴はそれを可能にしているんだ。何か変だと思わないか?」
何かどころの騒ぎじゃない。何もかもがおかしい。なんで今の今まで違和感を抱かなかったのか、不思議で仕方ない。
「黒鉄は言っていたぞ。相手の目線、呼吸、筋肉、思考、癖。それら全てを見切れば躱せるとな」
「そ、そんなデタラメな……」
理屈はわかる。それは剣術に於いても通ずる理論だからだ。異能のみならず
だけどその理屈は決定的に破綻している。なぜなら、そんな芸当を対戦中に成し遂げることができたら誰も苦労なんてしないからだ。その芸当が机上の空論であることは、人間の歴史が証明している。
それこそ異能を使わない限り不可能の芸当。
なら、その不可能をさも当然のように生身でしでかしているあの《落第騎士》は何者なんだ。
えも言えぬ悪寒がステラの肌を舐める。それを人は畏怖と呼ぶ。
両腕をさするステラを横目に煙草をふかし、黒乃は続ける。
「そこまで理解したなら、もう一つ違和感を感じるはずだ」
「もう一つ……?」
まだこの試合におかしなところがあるのか。そんな気持ちで思考を巡らせたステラだったが、それは案外すぐに見つかった。
「あれ?ならどうして
「ほう、思ったより飲み込みが早いようだな」
そう、全てのアクションを読めるなら、一輝の足が止まる理由がつかない。
銃弾を躱し、斬り捨てることすら可能にするほどの読みを持つなら、ノンストップで銃弾をくぐり抜けることだって可能。
あくまで攻撃速度と射程範囲を武器にしている銃は、その強みを潰されてしまうと鉄屑と化してしまう。
一輝がその強みを潰せる手段を持つ時点で、この勝負は成り立たないはずなのだ。
なら勝負が成り立っていることに何か理由があるはず。ステラはすぐに思い当たった。
「ツヅリさんがイッキの読みを上回っている?」
「正解だ。尤も、言ノ葉は感覚と技術で黒鉄を抑え込んでるようだがな」
それは全てを読み通す一輝を釘付けにするほど超人的な感覚を持つ綴が凄まじいのか、あるいはその逆か。
あまりに飛びすぎた両者に優劣をつけることはステラにはできない。
その差すらわからないのだから。二人はステラの立つステージの遥か上にいるのだから。
両者が両者、桁違いの技量を持つからこそ実現し拮抗する、本物の超人の戦い。
今目の前に広がる戦いは、そういう次元にある。
「……これを、毎日、ですって……?」
これだけ拮抗しているのに決着がつくまで鎬を削り、毎日お互いを超えんとしている。
なんと途方も無いことか。
「今のところ黒鉄は一回しか勝ててないようだがな。お互い負けたくない一心で、それは毎日楽しんで勝負している」
ゆえに黒乃は言った。奴らは遊んでいると。
Fランクだの《落第騎士》だの散々見下していたあの一輝が自分より遥か格上だと痛感したステラには、もう綴が雲の上の人にしか思えなくなった。
そして、ようやくステラはテレビで見た異常を正確に理解できたのだ。道理であの瞬殺劇が行われるはずだと。この人にとっては学生騎士の頂点ですら生温いのだと。
ステラは綴がインタビューで言い残した言葉に深い共感を抱いていた。
どんな天才でも絶え間ない努力をしているんだ。最初は誰だって弱い、そこからどれだけ努力できるかがその人の人生を決めるんだ。昔の自分に当てはめて、ステラはそう思ったのだ。
けど違った。真に綴が言いたかったのはそうじゃない。
どんなに努力したって足りない。限界というものすら無視して、修羅のように努力するのは当たり前。
その上で、
思い知ったステラは、なんだか目の前の景色が地平線の彼方にあるような感覚に襲われる。
きっとこれは彼らとの距離なのだ。それだけ彼我の実力はおろか、覚悟の強さですら隔絶されている証拠。
「それでもなお、黒鉄に勝負を挑むのか?」
黒乃は無慈悲に尋ねる。そんな矮小なお前が勝てるはずがないだろうと、言外に言っていた。
その問いに、ステラは──
「
燃え上がっていた。そのルビーを思わせるような美しい髪と瞳が本物の炎のように見えるほど、ステラは燃え上がった。
ステラが遠い日本の学園にわざわざ入学したのは、上を目指したいからだ。
十年に一度の天才だとか、常人の三十倍の魔力を持っているから誰も敵わないだとか、そんな小さい枠に収まりたくないから母国を飛び出した。
愛するヴァーミリオン皇国を守る騎士となるため、自分は立ち止まってなどいられないのだから。
遥か格上上等。惨敗すら歓迎だ。全てを飲み干して上へ往く。
ステラの決意を見届けた黒乃はふっと小さく笑みをこぼして立ち上がった。
「これを言うのは少し早い気がするが、ひとまずこの一年は黒鉄の背を全力で追いかけてみろ。そして見てくるんだ。高みのステージというやつを」
「はい!」
「よし、そうと決まればさっさと奴らを止めてお前の試合に移るぞ」
「ええ!……えぇ!?」
あまりにあっさりと言ったために流されそうになった。
ステラが慌てて見上げると、いたずらに成功したような笑みを浮かべている黒乃の顔が。
「くくく……今回の事の発端をよく考えてみろ。そもそもこの決闘をする理由はなんだ?」
「それはツヅリさんがイッキの覗き……じゃなくて、事故を防げなかった責任として──」
「じゃあ、その不祥事を公に発表するのは誰だ?」
「え?当然マスコミ……マス……コミ……?ああああああ!!!!」
真実に気づき絶叫したステラに、ついに堪えきれず爆笑し始める黒乃。
「そう、今回の事件を知っているのは我々と、現場を目撃した寮の警備員のみ。そしてこの学園の実権を握っている私にかかれば警備員一人の口封じなんてお手の物。当然当事者の黒鉄も、責任を負うことになる言ノ葉も黙る。つまり、不祥事として公にできる奴はお前しかいないんだよ、ステラ・ヴァーミリオン」
「じゃ、じゃあツヅリさんたちにも勘違いさせるような言い方をしたのも──」
「ああ、お高くとまった皇女様をけしかけるために決まっているだろう」
──してやられたあああああ!!!!
頭を抱え込んだステラは悔しさやら恥ずかしさやらで、顔と目の区別がわからなくなるほど赤面した。
真の勝者は私だと言わんばかりに高笑いする黒乃は、ようやく1メートル詰めた一輝に声をかけた。
「両者そこまでだ!この戦いは引き分けとする!」
『へ?……はぁ!?ふざけないでください!!
「そうは言ってもな、もう集中力が切れただろう?」
『あなたのせいですよ!!』
全く同じタイミングで全く同じことを全く同じ表情で叫ぶ二人は、まさに気の置けないライバルのようだとステラは思った。
「ハハッ、それだけ元気があるなら十分だ。黒鉄はヴァーミリオンの試合に引き継げ。言ノ葉はヴァーミリオンと交代だ」
「ちょ、ほんとふざけないでくださいよ!勝ち負けつけずに引き分けとか、一番ありえないんですけど!?ていうか責任云々の件は!?」
「よかったな。今日は引き分け記念日だ」
「『この判定がいいね』と君が言ったから今日は──ってやかましいわ!黒鉄君からも何か言ってやってよ!」
「うーん……でも確かに理事長は判定を下すのは自分だって言ってたし……」
「そんな屁理屈に屈するつもり!?」
黒乃に噛み付く綴を苦笑いで見守る一輝。二人の間に友情を超えた何かが結ばれているような気がして、いつかアタシもそんな関係になれたらなぁとぼんやりと考える。
そして、なんでイッキなんかとくっついてるところを想像してんのアタシ!?と一人で暴走する。
「ヴァーミリオン、早く準備をしろ」
「新宮寺さん覚えておいてくださいね……この恨み絶対晴らしますから……!」
「まぁまぁ、続きは今日の夜にってことにしようよ」
「むぅ……納得いかないけど、黒鉄君がそう言うんだったら……。なら黒鉄君、絶対に勝ちなよ?ぼろ負けして気絶して寝過ごすとか承知しないから」
「うん、わかったよ。その代わりと言っちゃなんだけど、《一刀修羅》止めるのよろしく」
「ん?……あぁ、そういうこと。わかった」
──この学園に来てよかった、と決意を新たにステラは観客席を飛び出した。