銃は剣より強し   作:尼寺捜索

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36話

 諸星小梅にとって兄の敗北は想像の埒外だった。

 

 自分のつまらない我が儘のせいで悲惨な事故に遭ってしまい、選手生命を絶たれてしまった兄。

 四年という途方もない地獄のリハビリを乗り越え以前の力を取り戻した兄。

 常人ならばとうに逃げ出す茨の道を死に物狂いで這い往く姿をそばでずっと見ていた小梅は理解していた。

 全ては自分のためなのだと。

 雄大は一言も、それどころか仕草にすら出さなかったが、戦う兄の背をずっと見てきた小梅には何となくわかってしまえた。

 だからこそ、その死に物狂いの努力が七星剣舞祭で実を結ぶことを信じてやまなかった。

 報われるのは当然だと。これでダメならば努力という行為に意味はないと思うほどの量と質を積み重ねていたのだから。

 

 なのに、兄が輝かしく勝利する姿は夢幻へと消えた。

 言ノ葉綴という未曽有の『例外』によってあっさりと幻想は打ち砕かれた。

 

 戦いに関しては素人なので詳しい事情を推し量ることはできないが、ただ客観的に見たままを言えば、開始地点から数発発砲され、兄は何をすることも許されずに撃ち倒された。

 文字通りの瞬く間。小梅はその光景をただ茫然と眺めていた。

 

 我を取り戻したのは医療ポッドから出てきた兄の顔を見た時だった。

 雄大は小梅を認めると不格好な笑みを浮かべた。

 

『すまん。負けてもうた』

 

 胸が張り裂けそうだと初めて表現した人は実に的確な感性を持っていたんだろうな。

 そんな場違いな思いが過るほどあっけらかんと言い放たれた言葉に、把握しきれないほどのたくさんの感情に胸中を掻きむしられた。

 激情のままに叫べたらどんなに良かったことか。うんともすんとも言わない役立たずな喉をこれほど呪ったのは後にも先にもこれだけだった。

 雄大は、やはりあけすけな調子で言った。

 

『まさか同世代で零の領域に達しとるヤツがおるとは思わんかったわ。反則にもほどがあるやろ。アホちゃうかアイツ』

 

 その軽口の裏に隠された凄絶な悔しさを思うと、そんなものを味わうために兄はあの地獄を潜り抜けたんじゃないと叫びたくなった。

 それと同時にこうも思うのだ。もし兄が事故に遭わず、四年間を無駄にせずに済んでいたら。

 リトルで無双で鳴らしていた兄ならば今より更に遥か高みに到達していたはずだ。

 あの《沈黙》に敵うくらい強くなっていたんじゃないか。

 滂沱の涙を流すことしかできない小梅に、雄大は頭を掻きながらしゃがんで目線の高さを合わせた。

 

『今回負けたのは純粋に相手が悪かったからや。言ノ葉は……そうやな、今のワイが数十年修行してようやく届くかってとこにおるバケモンやねん。たかが数年嵩増ししても無理なもんは無理っちゅうこっちゃ』

 

 それでも、それなら、なおさらこんな仕打ちはあんまりじゃないか。よりにもよって何故この年の七星剣舞祭に参加してくるんだ。せめてあと一年遅れるだけでよかったのに、何故兄の晴れ舞台を台無しにするのか。

 だが、それを自分が言うのか。元はと言えば全ての原因は自分にあるというのに。

 小梅の内心を読み取ったように雄大は言葉を放った。

 

『のう、小梅。ワイは言ノ葉と()れたんは運が良かったと思うとる。()()()()()()()()()()を得た。それに比べれば優勝を逃すくらいは安いもんや』

 

 それが強がりでないことは直感できた。

 兄の表情は晴れ晴れとしていたから。かつて活躍していた頃に戻ったかのように、無邪気な笑みを浮かべていた。

 

『あの場所を見て思い出したんや。ワイがどれだけ戦いの世界を愛していたか。強い騎士として在ること。未熟な自分を鍛えて成長すること。それらをお前と分かち合う喜びをな。

 おかげで人生を賭けたい思える目標を見つけられた。それに気づくには過去のあらゆる経験が必要やった。だから今のワイがおる。今の目標が見える』

 

 兄の生き甲斐を奪った挙句に勝手に言葉を無くし、その上心配までさせている。

 罪の意識を拭い去れずにいる小梅は罪悪感から雄大の視線から逃げるように顔を伏せた。

 雄大はその頭をぐしぐしと掻き回した。

 

『ワイはワイのやりたいことをやる。それは今も昔も変わらん。だからお前もお前のやりたいことをやれ』

 

 そう言って雄大は部屋を後にした。

 一番冷静ではいられないはずで、誰よりも慰めの言葉を求めているはずの人から手向けられる言葉にただ当惑する。

 

 雄大の真意を悟るのはもう少し後のことであった。

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

「やぁ。ギリギリ間に合ったよ」

「言ノ葉さん。お疲れ様」

 

 警備の仕事から一時的に解放された綴は連絡を取り、客席通路のフェンスに寄りかかって先ほどまでの試合を観戦していた一輝たちの姿を見つけて駆け寄る。

 一輝の隣にいるアリスも「お疲れ様」と声をかけたが、珠雫は面白くなさそうに口をヘの字に曲げた。

 

「……お疲れ様です」

「ありがとう」

 

 アリスが困った笑みを浮かべても窘めない辺り、取ってつけた感じでも一応言ってくれるだけマシな方だろう。

 相変わらず嫌われちゃってるなと思いながらも放っておいている綴にも問題はあるが。

 

 さておき、一つ前のブロックの試合が全て終わり、リングの整備をしている待機時間である今、最も緊張しているであろう一輝の様子は昨日見た感じと全く同じだ。

 

 優勝しなければ卒業できないという制約のある一輝にとって七星剣武祭は他の代表生とは違う意味合いを持つ場だ。

 三年生になるまで何回かリトライ出来るものの、決して楽観視出来ない状況。

 その上初戦から前大会の準優勝者とマッチングしているのだから感じる重圧は半端ではないはずなのだが、一輝の表情は今から戦いに赴く人のそれとは思えないほど穏やかだ。

 

 選抜戦を乗り切った辺りから精神的な危うさがすっかり無くなった。

 どこか浮ついていたものがしっかり腰を据えたようだ。

 それを確かめるように一輝の肩に手を置く綴。

 

「いよいよだね。いけそうかい?」

「うん。良いコンディションだ」

「そっか。でも不思議な気分だね。去年はキミが見送る立場だったのに今年はボクがそうなるなんてさ」

「リングの上で会えなかったのは残念だよ」

「ほぉ? そしたら優勝は諦めてもらうことになっちゃうよ?」

「さて、それはどうかな」

 

 一輝の嘯きがただのハッタリではないということは綴も何となく感じ取っていた。

 暁学園の襲撃において、一輝は世界最強と名高い《比翼》と剣を交えたことによって、彼のステージは飛躍的に向上した。

 生と死の狭間に立たされた一輝は活路を見出すべく己の学習能力の底を引っぺがし、乾いた砂のように波濤の技術を吸収し、本来ならば何年もの時間をかけて体得するはずだった技術を文字通り体に叩き込まれたのだ。

 今に思えばあの戦闘は《比翼》なりの、魔の道を往こうとする若輩への激励だったのかもしれない。

 

 綴と一輝の間に横たわっていた隔絶はおおよそ埋まりつつあるのを、零の技術を教えた時に綴は悟った。

 それはおそらく一輝もそうだろう。

 手の届かなかった場所がもう目前まで来ているのだ。

 

「ふふ。なら見せてもらおうかな。キミの力を」

 

 一輝の返しに是非は出さなかった。

 綴はまごうことなき《七星剣王》で、これから一輝が挑むのはその座だ。

 そこに至って初めて綴と対等な立場になれる。綴に挑戦することができる。

 

『会場の皆様にお知らせします。リングの整備が終了しましたので、これよりCブロックの一回戦を開始します。Cブロックの選手の皆様は控え室にお集まりください』

 

 すり鉢構造の湾岸ドーム。

 人工芝の中心に設置された円形リングの整備が完了したことを知らせるアナウンスだ。

 一輝はCブロックの一組目なので、あまり悠長はしていられない。

 

「じゃあ、行ってくるよ」

「頑張ってね。一輝」

「御武運をお祈りしています。お兄様」

 

 言葉少なめにエールを送る二人に頷き返し、綴を見遣る。

 そういえばそんな約束したなとその目線の意図に気づき、

 

「頑張れよ。キミなら出来るさ」

 

 ペンペン背を叩いて送り出した。一輝も満足そうに駆け出していった。

 その背を見送った後、アリスがこっそりと耳打ちした。

 

「ちゃんと言うようにしたのね」

「言われないと気付けないんだってさ。しょうがないヤツだよ」

「そうかしら? 貴女も一輝に言って欲しいって言われるまで気付かなかったのよね?」

「……」

 

 アリスの指摘に綴はきょとんとした後、じわじわと顔を苦くさせ、頭に手を当てた。

 まさしく盲点だったと言わんばかりの態度だ。言われるまで全く自覚がなかったらしい。

 そんな様子がおかしくてつい吹き出すアリス。

 

「あはは。良いじゃない。似た者同士ってことよ、貴女たち」

「……そういうことにしておくよ」

 

 苦し紛れのぼやきにアリスは笑みを深めるだけで追及はしなかった。

 

「それはそうと、《七星剣王》はこのカードをどう見てるの? やっぱり一輝が勝つと思う?」

「そりゃそうだよ。勝ってくれないとボクが困るし」

「?」

 

 なぜ困るのかはよくわからないが、贔屓目に見ているということだろうと納得した。

 

「でも、諸星先輩に限って言えば容易に勝てる相手じゃなさそうだよね」

「どうして?」

「ボクが知っている中で先輩は唯一武術に偏った戦い方をしている人だ。元から黒鉄君と似た土俵で戦っている人だから、黒鉄君の剣術に対抗できるのは彼くらいだと思ってる」

「《暴喰(タイガーバイト)》だったかしら。伐刀絶技(ノウブルアーツ)を掻き消す能力で、魔術を無効化して近接戦を仕掛けるってスタイルだそうね」

「正直ボクは専門外だから先輩の実力とかは全然わからないけど、準優勝してるくらいなんだし、黒鉄君に比肩する腕を持ってても不思議じゃない」

「確か去年はあの《雷切》に勝ってたはずよ。そんな相手と一回戦から当たるなんてついてないわね」

 

 伊達に運Fを掲げていないわけだ。

 黒鉄君らしいと呆れの笑みを零す綴は、一輝が苦戦するであろう()()()()()()()を内心にしまった。

 

『それでは皆様、長らくお待たせ致しました! これより選手の入場です!』

 

 実況のそのアナウンスにより、会場が一気に熱を帯びる。

 特にその盛り上がりはこれまでの試合よりも若干以上に大きい。

 それも当然だろう。この試合の立役者たちの肩書きは双方共に観客が注目するに相応しいものなのだから。

 

『まずは赤ゲートより姿を見せたのは、前大会序列二位! 武曲学園・三年生の諸星雄大選手です!』

 

 その紹介とともに諸星がゲートより姿を現す。

 180センチを超えるその細身の体躯。額にバンダナを巻いた、どこか野性味を帯びた相貌。

 そして眼前の敵を食い千切ってやろうという気概を見せる鋭い眼光。

 まさに序列二位の名に恥じぬ偉丈夫だった。

 

『その天才的な槍術と、全ての伐刀者(ブレイザー)の天敵と言える魔術を無効化する能力で何者をも寄せ付けなかった西の雄! 去年の雪辱を果たすことは出来ずとも、ならば他全てを喰らってしまえと舞い戻ってきた不屈の男! 《浪速の星》諸星雄大だぁッ!』

 

 実況の紹介が終わるや否や、歓声で会場が激震した。

『星ィィィ!』『頑張ってくれェ!』とあちらこちらから観客たちが大声を張り上げる。

 ここは大阪。

 故に諸星にとってこの地はホームグラウンドなのだ。こういった応援になることも致し方ないことだろう。

 

『続きまして、この少年の顔をご存じの方は多いでしょう! 七星剣武祭史上初のFランク出場者。しかしそのランクに惑わされることなかれ! 

 校内選抜戦では去年諸星雄大を苦しめた《雷切》東堂刀華を一撃の下に降し、非公式の試合ではAランク騎士ステラ・ヴァーミリオンまでも打ち破り、歴代最強の七星剣王と名高い《沈黙》言ノ葉綴にすら食らいついたという異端の実力者! 

 今大会注目度ナンバーワンのダークホース! 破軍学園一年・黒鉄一輝選手が全国のリングに今、上がりましたァァッ!』

 

 一輝の登場に対して、雄大の時ほどではないが大きな歓声が上がる。

 皆期待しているのだ。

 Fランクながらこの日本一を争う舞台に登ってきた異端の実力者が、どれだけこの大会に波乱を起こしてくれるのかを。

 そんな会場の熱狂を眺め、綴は息を呑む。

 誰にも見向きされず、不当な扱いを受けていた騎士は、今や誰からも認められる実力者としてリングに立っているのだから。

 入学して以来ずっと一輝を見てきた身としては感慨深い光景だった。

 

 リング中央で睨み合う二人は同時に霊装を顕現させ、対峙した。

 こうして舞台は整い、役者は揃った。

 

『では! これより七星剣舞祭Cブロック第一回戦! 諸星雄大選手 対 黒鉄一輝選手の試合を開始いたします! 

 ────LET'S GO AHEAD!!』

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 開始の合図が鳴り響いたその瞬間、一輝は己の霊装《陰鉄》をしまった。

 

『おおっとぉ!? いきなり武器をしまったぞ!? 一体何をしているんだ黒鉄選手!! 試合放棄かァ!?』

 

 実況が素っ頓狂な驚きの声をあげ、会場にもまたどよめきが満ちた。

 そんな様子を他所に、一輝はあろうことか徒手空拳のまま身構え、蹴り足をべったりと地面に着けた。これではダッシュも出来まい。

 およそまともに戦う体勢でない一輝に、次第に観衆からブーイングの野次が飛び出し始める。

 

『ふざけんなー!!』

『真面目にやれ真面目に!』

『星ーッ! 舐められてんぞーッ!』

 

 初手から大胆な行動に出る一輝の意図を理解できない珠雫たちも困惑した表情で見遣る。

 

「お兄様、どうしたのかしら」

「何か狙いがあるのは間違いないだろうけれど、あたしにも想像出来ないわ。綴さんは?」

 

 水を向けられた綴は考え込んでいたのかすぐには反応しなかったが、少しすると解したように苦笑いを浮かべた。

 

「とっておきってそういうことか。確かに普段の訓練じゃ意味ないなこりゃ」

「一人で納得してないで説明してください」

 

 自分が気づかなかったことに綴が気づいたのが気に食わないのか、むすっと不機嫌そうに横突きした珠雫。

 

「霊装をしまったのは破壊されないためだよ。ボク対策でもあるって言ってたから間違いない」

「どうして霊装が破壊されるなんて考えてるの?」

「諸星先輩の伐刀絶技(ノウブルアーツ)は魔術を消滅させるもの。それはつまりそこに存在する魔力を消滅させているということ。ならば魔力で出来ている霊装も消せる道理だ」

 

 綴の推測に驚愕で眼を見張る二人。それが本当ならば勝負すら成り立たないほどとんでもないことだ。

 霊装は伐刀者(ブレイザー)の魂そのもの。破損すれば痛烈な精神ダメージとなり所有者の意識を容易く断ち切る。

 頼れる武器のはずが、最悪の弱点に変貌してしまうのだ。

 

「でも待って。そんな力があるんだったら去年から使っていたんじゃないのかしら? 出し惜しみしてたってこと?」

「去年はなかったと思うよ。もし本当にその力を身につけたんだとすると、たぶんボク対策をしたんだ」

「どういうこと?」

「ボクの《貫徹》の概念が乗った弾丸と諸星先輩の《暴喰(タイガーバイト)》がぶつかった時、どっちが勝つと思う?」

 

 アリスは口をつぐんだ。簡単に答えられる問いではないからだ。

 綴の《貫徹》は本人がそう思う限りあらゆる障害を無視することができる一方で、雄大の《暴喰(タイガーバイト)》は魔力そのものを消滅させるのだから、綴の能力を上回るかのように思える。

 だがそれは《貫徹》にも言えること。《暴喰(タイガーバイト)》すら跳ね除けられるポテンシャルを秘めている。

 まさしく矛盾だ。

 

「ボクもどうなるかはやってみないとわからない。諸星先輩もそう思ったに違いないさ。だから限界まで能力の出力を上げて、勝率を少しでも上げようとしたんだろう。今年もボクが参加することを前提に準備していたはずだからね」

「なるほど……」

「そして霊装を破壊するという戦法は元々ボクがしているものでもある。ボクという前例がある以上、黒鉄君がこの考えに行き着くのは割と当たり前だったかもね」

 

 綴の推測は完璧に的を得ていた。そしてその考えを見抜いたのはもう一人いた。

 

「なんや黒鉄! やる前からお手上げって言いたいんか!? この腰抜けが! 昨日の恩、忘れたとは言わせへんぞ!」

 

 観客と共にトラッシュトークを浴びせる雄大その人も、一輝の奇天烈なアクションの真意を悟っていた。

 言葉で、態度で、雰囲気で。ありとあらゆる要素を利用し、あたかも無礼な行いに憤る騎士として、一輝に霊装を取り出させようと仕向ける。気付いていることに気付かせないよう巧妙に。

 

 しかし一輝は一切耳を貸さず、実にノロノロとした摺足で前へ進む。

 雄大のハッタリを看破していたが、たとえ引っかかったとしても《陰鉄》を抜くことは決して無かっただろう。

 

 なぜなら《暴喰(タイガーバイト)》は()()であるからだ。

 もし仮に《暴喰(タイガーバイト)》に『迷彩』を掛けられていたとすると、一輝にそれを確実に見破る手段がない。

 魔術に関してはど素人よりも酷い有様のため、他の伐刀者(ブレイザー)ならば容易く感知出来るレベルのお粗末な『迷彩』であったとしても、一輝には感知出来ないかもしれない。

 

 そもそも、《暴喰(タイガーバイト)》がそこまで昇華していない可能性すらある。

 だが、している可能性も十分にある。

 

 分からない以上、下手を打つべきではない。一輝はどこまでも徹底することを決めていた。

 

 一輝の決意が固いことを認めると、雄大は怒りの仮面を被るその下で、冷静に策が成功したことを確かめる。

 技の一つを封じられたように見えるが、一輝はその代償に得物を手放すという甚大な被害を呑み込んだ。

 戦う前から大きなアドバンテージを得ている。必殺技が使えないというだけで十分にお釣りがくる成果だ。

 

「チッ。丸腰やからて手ェ抜くと思うなよ!」

 

 乱暴な毒突きと打って変わり、雄大は静かに槍の霊装《虎王》の矛先を寝かせ、身体を斜に構えた。

 瞬間、湾岸ドームにいた全ての人間の背筋に戦慄が走り、皮膚が泡立った。

 先程までの喧騒はどこへやら、実況ですら一瞬のうちに静まり返った。

 

 構えと同時に雄大が周囲一帯に撒き散らした威圧感。360°あらゆる方角にいる人間が等しく、下げられた《虎王》の矛先に心臓を狙われている感覚に陥る。

《八方睨み》。雄大の極限まで高められた集中力から放たれる尋常ならざる気迫だ。

 

 それを真っ向から浴びせられる一輝にかかるプレッシャーは誰よりも重い。

 

(踏み込む隙が全く見当たらない。元々威圧目的の技なんかじゃない。この手の迎撃を飽きるくらい繰り返して自然と醸し出されるようになったんだ。でなければこの完成度はあり得ない)

 

 威圧するのではなく、勝手に威圧を感じてくれている。雄大の感覚はそんな程度なんだろう。

 だからこそ恐ろしい。これほど熟練された間合い管理能力を持つ槍士の懐に素手で掻い潜り、一撃を加えなければならない困難さ。

 

 しかし一輝に選べる手札が限られている以上、やるしかないのだ。

 自分の距離。剣の間合い。そこに勝負を持ち込んで、斬る。

 結局のところ、いつも通りの戦いなのだから。

 

 意を決した一輝は穂先を正眼に捉えたまま、のそりのそりと間を詰め続ける。

 測るように。示し合わせたように。時間をかけて進み、歩を止めたのは、雄大の間合いその境界線上。

 

「「────」」

 

 束の間、場が膠着。

 腹の探り合い。相手がどう出るか、どのように応じるか。初動を掴もうと互いに牽制した故の静止。

 もとより槍とは長いリーチにより直線上に立つ敵に無類の強さを誇る武器である。

 視線を結んでいる熟練の槍使い相手に正面突破は無謀にすぎる。ましてや素手はいわんや。

 

 直後、一輝が手の先をわずかに雄大の間合いの内へ入れ、

 

「シッ!」

 

 鋭い息遣いと共に雄大の腕が幾度か瞬いた。

 一輝も然り。

 三次元空間において直線を描く軌道の穂先を横から押し退けることで刺突を逸らし、掻い潜る。

 一拍子に三度の連るべ突き。それを都合三回。圧倒的な速度と密度の刺槍のさ乱れ。

 紐解けば一つ一つはただの突き。されど槍の戻りの隙を削ぎ落し、こうも俊敏に重ねられれば壁さながら。

 

 この磨き上げられた槍術《三連星》こそが雄大の最大の武器。過去一人、綴という『例外』を除いて誰一人として侵犯を許さなかった絶対の間合いである。

 

 だが一輝は間髪入れず前進。飛来する矛先を緻密極まる微動で受け流し、雄大の前でひたすら立ちはだかる。

 幾ら突けども一輝は根を下ろした大樹の如く下がらず、横にも逃げず、ただ愚直にまっすぐ進む。

 

(この野郎ッ! 当たり前みたいな顔で何してくれとんねん!!)

 

 穂先を素手で払うと簡単にやってくれるが、やっていることは走っている新幹線に手を付けることと同じことだ。

 それ以上の速度で迫りくるものを、何の魔力も纏っていない素手で、あげく無傷で受け流す。要求される技術はもはや人間業ではない。

 

 これくらいは出来ないとやってられない土俵で戦い続けているのだろう。

 だからこそ素手で挑むなんて決断ができるとも言えるか。

 全くふざけた力量の男だ。

 

 同時に、一輝の狙いも看破した。

 縦にも横にもぶれず、正中線を正面に維持することで攻める側の攻撃の軌道を著しく制限し、否応なしに同じモーションを繰り返させ、それを処理し続ける。

 払うために必要な力、角度、速度。その全てを事細かに解析し、防御のモーションを短縮することで間合いを詰め続ける。

 すなわち、丁寧なゴリ押しだ。

 

 しかし言うは易し行うは難しとはこのことで、常に最短最速で最善手を打ち続けなければならない状況下にある一輝が絶対的に不利な立場にいるのは変わりなく、幾星霜の攻防を全て勝ち切った末にようやく一度きりの勝機を掴めるといった割に合わなすぎる戦略だ。

 その証拠に雄大のクロスレンジは破られたことがない。それだけ現実味のない空論であるということだ。

 

(……と言われとった《雷切》を打ち破ったんやからなコイツ。まぁ成るべくして成った対峙っちゅうとこか)

 

 それしか手がないから仕方ないのかもしれないが、それにしてもその胆力と自信は桁違いだ。

 なるほど綴が一輝に期待を寄せるのも分かろうというものだ。

 

(上等や……! やれるもんならやってみぃ!!)

 

 一輝の『お前の間合いは本当に不可侵なのか?』という挑戦に、雄大が受けて立った。

 獰猛に牙を剥き、腕を閃かせる。

 一輝も一歩踏み込み仕掛けた。

 

(一つ!)

 

 一撃目。眉間を穿ちに奔った一閃は右へ、

 

(二つ!)

 

 心臓を穿ちに迫る二撃目は左へステップし、一輝はこれを華麗に躱す。

 

(次が最後!)

 

 《三連星》の弱点、それはあくまでも素早いだけの三連打に過ぎないということだ。

 綴の早撃ちのように完璧な零でない以上、一輝にとって十分に対応できるもの。

 今までの応酬で雄大の《三連星》を繙きつつあった一輝はより深く踏み込んだ。

 そして、狙いをつけた三つ目は見切った通りの軌道を沿って────

 

(いや、遅────!?)

 

 ギアが一つ落ちたような、そんな感覚に陥る一輝。

 完璧に一定の速度で放たれていた三連打の一つが急に速度を落として襲ってきたのだ。

 そこは流石と言う他ないが、一輝はすんでのところで手で打ち払い、軌道をずらして二の腕を掠らせるに留めた。

 

 しかしその明らかな隙を見逃す雄大ではなかった。

 

「ッ!」

 

 ()()の息遣いと共に放たれた《三連星》の一撃目が()()()

 気づいた時には左手の甲が突かれていた。それが偽らざる感覚だった。

 

 刺突の速度がこれまでの比にならないほど跳ね上がった。

 直前の一刺と通常時の《三連星》とのアップダウンが激しすぎて一輝の目を曇らせたのだ。

 続く二刺三刺もバラバラの速度差で繰り出され、調子を完全に突き崩された。

 

 速度を変幻自在に操りながらも攻めの間隔は一定。一輝の一挙一手一足全てに絡みつかせる槍捌き。攻めっ気を気取らせない不動の心。

 それが駆け引きの幅を広く、底を深くさせている。

 おそらく雄大にここまで引き出させたのは一輝が初めてなのだろうが、雄大は当然に対応してみせた。

 

 不覚を悟った一輝の対応は迅速だった。今の今までの強気な姿勢から一転、わき目もふらず逃げ出した。

 

 間合いに深く踏み込んだために、その分余計に逃げなければならない一輝。

 向かってくるならともかく、逃げる相手になら遠慮することのない雄大は最大速度で攻め立てる。

 

「そう逃げんと付き合えやァ!!」

「っ、ぅぉおおお!!」

 

 その速さたるや、《三連星》と全く別の技と見紛うほど。

 消えたように錯覚したのは、なにも混乱したからというだけではなかった。

 《比翼》の体技で対抗する一輝をして追いつくのがやっとかという速度だ。

 

 四年という巨大なブランクを抱えた雄大が今の地位と実力を取り戻すために費やした執念。

 再起不能といわれた致命的な故障を血反吐を吐きながらリハビリで克服した不屈の精神。

 

 諸星雄大。

 この男、こと槍を刺き出し、引き戻すという単調な刺突に関してだけならば、一輝よりも零に近づいている。

 

『な、何て速度の応酬だァァァ!! 実況を挟む隙すらありませんでしたァァッ!!』

 

 逃げ出す代償に支払った手傷で血みどろになった一輝を悠然と見下ろす雄大。

 そこでようやく静まり返っていた会場が沸き立つ。

 

「やはりそうだったか……」

「綴ちゃん?」

 

 綴が懸念していたもう一つの理由。それも的中していたのだ。

 

「諸星先輩がボク対策をしていたということは当然早撃ちへの対策もしていたはず。それが今の三連打だ。あれならば、確かにボクに対抗出来るかもしれない」

「嘘でしょ……!?」

 

 去年の七星剣舞祭が運営の黒歴史と揶揄されている諸悪の根源。

 それを打ち破れる可能性を持っていると本人に認めさせた雄大に、アリスが驚愕と畏怖の念を向ける。

 

「今の時点では《暴喰(タイガーバイト)》との併せ技で一、二発防ぐのが精々だけどね」

 

 それを雄大も重々承知していたからこそ、昨日頭を下げていつか来る再戦を頼んだのだろう。

 

「この一年に限らず、諸星先輩が人生で一番振るってきた技があの突きだったんだ。元々近しいところまで詰めていたんだろうけど、ボクの早撃ちを見て、自分に応用したって感じかな」

 

 一輝とて、雄大が指を咥えて一年を過ごしたとは思っていなかったが、流石にこのレベルまで登り詰めていたのは予想外だった。

 それだけ零の道は厳しく、険しく、長い。だが雄大はこの道を踏破すると覚悟した。

 ()()()()()()()()()"()()"()()()()()、ただひたすらに槍を振り続けた。

 肉に、骨に、血に。気が遠くなるほど繰り返した過去の積み重ねの果て。

 

「《無双三段》ってな。ワイが導き出した"答え"っちゅうこっちゃ」

 

 恥じ入るばかりの未熟さだが、それでもなお今の七星剣舞祭を勝ち抜くに十分な強さを秘める絶技だ。

 

 その背を見て、いつしか小梅の心は氷解した。

 兄は生き甲斐を失ってなんかいなかった。夢に没頭しながら、それを供にしてほしいという兄の一途な願い。

 それに応えたい。それが小梅のやりたいことだったのだから。

 

「今度はワイが挑戦する番や。お前の《完全掌握(パーフェクトビジョン)》、試させてもらうで」


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